マテリアルゴースト SS 置き場   作:相馬 刀

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デンタルパニック

 

 口の中、黒い恰好をした子人達が踊り回る――

 そのリズムは激しくて、鏡に映った僕、式見蛍の顔は、しかめっ面していた。

 

「……」

 

 歯磨きを終えた僕は、部屋の中央に戻ってくる。そこに同居人であるユウの姿はない。

 自由奔放のユウは猫みたいに気紛れで……日曜日の昼間だというのに、陽慈のところに遊びに行っていた。

 

「ふぅ、死にてぇ」

 

 一人なのを良い事に、久しぶりに昔の決め台詞を口にしてみる。実にしっくりと来た。

 死にてぇ理由は簡単だった。

 

 歯が、痛いのである。

 

 歯は放っておいても治る事はない。

 歯医者に行くしかないのは分かっているのだが……脳裏に過ぎるのは、『ウィィィィィィィン』なんて人間の恐怖心を煽る、ドリルの音。

 想像するだけで痛みが増していく。

 

「歯医者に行くぐらいなら、いっそ死にてぇ」

 

 ただ、実際には自殺したいとまで思わない。

 口から決め台詞が漏れてくるのだから困ったものだ。

「へぇ、ケイ。歯医者に行かないと不味い状況なんだ」

 

 背後から、声。

 ユウは、いつの間にか帰ってきていたみたいだ。

 僕は咄嗟に言い訳をする。

 

「さっきまでボクシングを見ていたんだ。殴られるのを想像すると、歯が痛そうだなぁって」

「往生際が悪いな、後輩よ、私はお前をそんな情けない男に育てた覚えはないぞ」

「いや、先輩に育てられた覚えがありませんから……て、玄関から入ってきたわけでもないのに、何で先輩まで居るんですかっ!」

 

 幽霊のユウならすり抜けて入ってくる事も可能だが、生身の人間である先輩では不可能……いや、ちょびっとこの人ならやりかねないような気はすると思ったが、一応人間なので普通に考えれば不可能だろう。

 

「どうして……か。愚問だな、後輩よ。そこの空いている窓から入ってきたに決まっているではないか」

「さも当然のように、犯罪行為をしないでくれますかねぇ」

「何を言うか、中学三年の時からお前を育ててきたのは、他ならぬ私だぞ? 後輩の親みたいなものだ。よって、後輩の部屋にどんなふうに入ろうと、問題などあろう筈がない」

「超理論を展開するのは止めて欲しいです。そもそも、ここは二階じゃないですか。はしごでも使ったんですか?」

「普通に上っただけだ。この程度を上る事が出来なければ、山を越えて帰宅する事態に陥ったとき、山を迂回しなければならないんだぞ? 帰宅するスペシャルリストである帰宅部が、登山程度のスキルを持つなど常識なのだ」

「そこで常識とか言われても」

 

 先輩の常識はおかしいし、むしろ、迂回するより山に登った方が時間が掛かるんじゃないだろうか。

 

「後輩は素直じゃないな。登山のスキル、持っていても損はしないと思うがな」

「それよりも、今はケイの歯のことが重要だよっ! 歯医者さんに行かないといけないよ」

「確かに、この私ともあろう者が失念していた」

「ううっ、そこは思い出さなくても良かったのに……」

 

 有耶無耶にして、誤魔化そうと思った作戦、失敗だ。

 

「ケイ……歯医者が辛いのは分かるよ。でも、頑張って行かないと。歯は放っておいても治らないんだよ」

「いや、最近は調子が良いんだ。痛くなくなってきている気がする」

「後輩よ、ひきつった顔で言っても説得力がないぞ」

 

 本当、痛くなると良いのになぁ……

 

「仕方ない。歯医者に行かないで、歯が痛くなる秘策を授けようではないか」

「是非、教えて下さい」

「答えは簡単だ。死ねばいい」

 

 先輩は、実に手厳しかった。

 

「なに、そのアクトレイザーで住人が火事が起こした時、雷で家を焼き払って鎮火する……人道に反した神様理論は」

 

 思わず、スーパーファミコン初期の名作ゲームを思い出した。

 

「だが、道理であろう? 苦しむのが嫌であれば、それこそ死ぬしかあるまい。それが嫌なら、大人しく歯医者に行けという事だ」

「くっ、うわーん……死んでも行ってたまるかぁぁぁぁ!」

 

 このままだと連行されかねない。

 まだ、ギリギリのところで歯医者に行くレベルではないと判断した僕は、二人から逃げる為にアパートを飛び出すのだった。

 

 

 式見蛍のいなくなった一室に残された二人。

 

「ふふふっ、後輩をからかうのは楽しいな」

「ケイの反応、良かったねぇ~」

 

 二人はしみじみと呟いて、うんうんと頷いたところで、ユウは我に返る。

 

「ところで、さも当然のように会話してますけど、私の事、先輩さんって見えなかったような……」

「ユウ、マテゴ最終巻では見えるようになるじゃないか。忘れたのか?」

「時事系列的にケイが生きているのなら、最終巻に至ってないと思うんですけど」

「細かい事を気にするな。サザエさんやドラえもんを思い出すんだ。あのアニメに時事系列が存在していると思えるか?」

「長寿番組と同じ扱いにされたっ!」

「まあ、深く気にしたら負けという事だ。所詮はSS。何でもアリだ」

「だねぇ~。しかも、生徒会の一存SSならまだしも、マテリアルゴーストのSSなんて、はぐれメタルキング級のマイナーSSだと思うし」

「ぶっちゃけ、このSSを書いている奴も設定を忘れているという有り様だからな。仕方あるまい」

「二次SS書きの本音まで曝け出したしっ! 恐るべし、先輩さんっ!」

「はっはっはー。と、漫才を繰り広げている場合じゃない。私は地上から、浮遊霊のユウ、君は空から後輩を追うぞっ」

「ラジャー! 分かったであります」

「いい返事だ」

 

 二人の追跡者が、式見家から放たれる。

 

 

 僕、式見蛍は現状をリアル逃走中だと思いながら、あの二人を相手に、無策で逃げ回ってもすぐに追いつかれるだろうと結論を出した。

 かくまってくれそうな人物は居ないだろうか。

 一番最初に頭に浮かんだのは、鈴音だったけれど。

 

「蛍、歯医者には行かないと駄目だよ。私が付き添ってあげるから、大人しく行こうね」

 

 駄目だ。一番やばい。事情を説明した瞬間、有無も言わさず歯医者へと連れていかれるだろう。

 深螺さんに頼んでみるか……いや、もっと駄目だ。下手をすれば、霊能治療とか危険なものを行使される可能性がある。わざわざ自らの身を危険に晒す事はないだろう。

 こういう時こそ家族、傘に頼るのも悪く……無理だ。実家、遠いからなぁ。そもそも歯医者が嫌だからって、北の大地にまで逃げるのは高校生としていかがなものか。

 綾……ついでに曜。根本的に年頃の女性に匿ってもらう事態が問題だ。 

 となると――選択肢なんて、最初から一つしか用意されていなかった。

 男友達の星川陽慈。

 何となく、陽慈なら一時的かもしれないが助けてくれる気がする。

 

 

 僕は電車に乗って移動し、陽慈の住むアパートにまで辿り着く。

 幸いにも陽慈は部屋に居て、僕は事情を説明した。

 

「そんな訳で、ひとまず匿ってくれると助かる」

「別に匿ってやるぐらい問題ないが……大人しく、観念した方が良いんじゃないか?」

「歯医者に行きたくない年頃なんだ」

 

 行きたくなる年頃なんて存在しないだろうけれど、行きたくないものは行きたくないのだ。

 

「そうは言われても、ここも安全じゃないぞ。俺のところにも紗鳥から連絡が来ていて……蛍が来たら、教えてくれと言われているし」

 

 ちっ! 既に手は打たれていたかっ!

 いや、まだだっ!

 

「陽慈なら、男の友情を優先してくれると信じてるっ!」

「そうしてやりたいのは山々だが、隠すと後が怖いんだよ。紗鳥だけでも脅威なのに、ユウさんが居ると、壁をすり抜けて来るし」

 

 敵にはチートキャラが居たっ!  

 くっ、こうなれば霊体物質化能力を駆使して、ユウが入って来れない狭い部屋、トイレにでも閉じこもカギを掛けるしかない。

 

「迷惑は掛けないから、トイレを貸してくれ」

「トイレを貸すぐらいは構わないが……どうするんだ?」

「トイレに籠城する」

 

 僕の言葉に陽慈は文句を言ってくる。

 

「言いたくはないけれど、普通に迷惑だからな、それ」

 

 そんな、陽慈に突っ込みを入れられた瞬間。

 死刑宣告――ノックの音がした。

 

「陽慈、後輩を匿っている容疑で、貴様は完全に包囲されている。家のドアを破壊されたくなければ、大人しくドアを開けろ」

「ちょっ、紗鳥、待ってろ。今、開けるから。勝手に人の家のドアを壊すんじゃねーぞ」

 

 あわわわわ。

 僕は少しでも時間を引き延ばす為に、トイレの中に引きこもって、カギを掛ける。

 トイレに逃げ込んだまでは良いが、式見蛍、どうする? もう逃げ場はない。 

 すぐにでも先輩が部屋に入って来る。歯は痛い。

 観念するべきじゃないのか? キリキリと痛む。

 陽慈の部屋に来てから容体は悪化した。

 歯が痛過ぎて、頭痛までしてくるぐらいだ。

 最初から分かっている。最終的には、歯医者ぐらい行かなければならない事に。

 

 数日前から、予兆はあった。

 その時はまだ、我慢できる範疇の痛みだったから、耐える事が出来たけれど。

 もう、限界なのかもしれない。

 観念しなければならない時が、やって来たのだ。

 

 諦めるのは早いかもしれないけれど。

 アパートから逃げ出して、電車に乗って、わざわざ陽慈のところまで辿り着いた。

 時間にすればせいぜい、一時間程度の逃亡劇だけれども。

 僕の今回の逃亡劇を小説にしたら、せいぜい五千文字ぐらいしかいかないかもしれないけれど。

 十分、逃げたように思う。

 

 先輩にトイレのドアをノックされる。

 

「後輩、そこに居るのは分かっている。大人しく出てこい。さもないと、トイレのドアを破壊する」

「紗鳥、さっきからそればっかりじゃねーかっ! ドアを破壊されて困るのは俺なんだぞ。止めてくれよ」

「だが、私は困らないから、問題ない」

「俺が困るって言ってるだろうがっ! お前、人の話を聞けよっ」

 

 トイレのドアの前では、先輩と陽慈が言い争っている。

 このままでは陽慈の住んでいるアパートのトイレのドアが、僕の為に破壊されてしまうかもしれない。先輩はやると言ったらやる人だ。

 早く出ていかなければ。

 

「……っ」

 

 トイレのドアノブを握ったところで、動かなくなる身体。

 額からは大量に汗が流れて来る。

 覚悟は決めた……つもりだったけれど。

 でも、行きたくないものは行きたくないんだから、仕方ないじゃないかっ!

 

 僕がまごまごとしていたせいで、憐れ陽慈の住んでいる部屋のトイレのドアは、先輩によって強引に外された。

 

「だあああああ、マジでやりやがったっ! こいつ」

「良かったではないか。これで緊急時に、トイレのドアを開けるという工程を省ける」

「言い訳あるかぁぁぁぁ!」

 

 外れたトイレのドアを見て、どうやって直そうかと悩んでいる陽慈。

 先輩は僕の方を見て、手を差し伸べて来る。

 

「後輩よ、鬼ごっこは終わりだ。後輩のアパートの近くにある歯医者に電話して、予約はしておいた」

 

 結局のところ歯医者なんてのは、いつしか腹を括って行くしかない訳で。

 僕はここで観念して、先輩の手を掴んだ。僕なんかの勝手な逃亡劇で、これ以上被害を出してはならない。

 僕の虫歯の為に陽慈の部屋のトイレのドアが破壊されるという、最悪の結末。やったのは先輩だけど、陽慈に迷惑を掛けたのは間違いない。

 

「ケイ、ここに居たんだ」

 

 空を飛んで移動できるユウよりも、先に僕の事を見つけたのは……それだけ長年の付き合いという事か。僕の行動パターンを読んでいるのだろう。

 先輩とユウ、ついでに陽慈の三人に連行されて、歯医者に連れていかれる。

 歯医者は終わってから死にてぇと呟きたくなるぐらい、痛かった。

 

 

 

 

 これで僕、式見蛍の逃亡劇は終わるけれど、歯医者との戦いがこれで終わる訳ではない。

 数日後の事だ。

 お菓子ばかり食べていたユウが、歯が痛いと言い出したのだ。

 幽霊なのに虫歯になるのかよっ! と思わなくもないが、実際になってしまったのだから、仕方ない。

 

「ふっ、ケイの霊体物質化能力の範囲から出れば痛くなるから、そっとしておいて欲しいんだよ」

 

 と、力説するユウ。

 そこでまた、先輩が窓から勝手に入って来て。

 

「安心しろ、浮遊霊のユウよ。もしもの時に備えて、幽霊の歯医者を探しておいたぞ」

 

 などと、妙な事を言い出した。

 死んだ人の中に歯医者ぐらいは居るかもしれないから、見つかるかもしれないけれど。設備とかはどうするつもりなんだろうか。

 

「先輩さんが、鈴音さんのポジションを奪ってる!? いつの間にか他の幽霊まで見えるようになってる!?」

「どうやら霊能力の才能が開花したようだ。これで私も、仲間外れにされないで済むな」

 

 不敵に笑う先輩。今まで疎外感を感じていたかもしれないけれど、目覚めてはならない人が、恐るべきものに目覚めてしまった気がする。

 

「歯医者なんて嫌だよ。行きたくないよっ!」

 

 僕が歯医者で苦しんでいた様子を、こっそりと中に入って来て間近で見ていたユウ。

 口の中が血だらけになり、拷問みたいだよと言っていたっけ。

 

「いやぁ、逃げる獲物を追いかけるのは楽しくてな。ふふっ、どうやら私は前世では狩人か何かだったらしい」

「あわわわ、このままだと先輩さんにやられる!?」

 

 慌てて空に逃げていくユウを見て、舌なめずりする先輩。

 

「今度の獲物は空を逃げる事が出来るから、随分と楽しめそうだ。行くぞ、後輩よ」

「あー、はいはい」

 

 ユウの為にも、虫歯は治した方が良いだろう。

 本当に治せるかどうかはさておいて、ひとまず放っておくことはできない。

 

 ユウは、結論としては陽慈のところに逃げ込んでいた。一度僕が逃げ込んだという経緯がある為、そこなら安心だと判断したみたいだけれども。先輩の野生の直感の前には適わなかった。

 

「陽慈、こちらに浮遊霊のユウが居るのは分かっている。早くしないと玄関のドアが今度こそ破壊されるぞ。早く開けろ」

「だあああああ、紗鳥、今、開けるから。マジで壊すんじゃないぞっ!」

 

 

 

 結局は僕もユウも……陽慈でさえも、先輩に振り回されているだけなのかもしれない。

 なんて思う、春の麗らかな日の出来事だった。

 

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