「蛍、大変な事態に陥りました」
そう言って、平然な顔をして部屋に入ってくるのは、白髪の巫女少女、神無深螺だった。
僕、式見蛍は現在、神無家で深螺のお世話になっている。それもこれも、僕の身体を深螺が勝手にクローン製造していた事が切っ掛けで……成仏しようと思ったところで強制的に生き返されてしまった為だ。
これだけだと、深螺のお世話になる必要がない? なんて思うかもしれない。
クローン体の唯一の欠点は、魂との調和が難しいところ。身体に戻って数日経つが、いまだに満足に動く事が出来ないのだ。喋るのがやっとで、深螺が魂と体の調整をやってくれていた。
「一体、何があったんだ?」
「実は、鈴音と真儀瑠、二人のクローンボディーに低級霊が取り憑いたようで……神無家から逃げ出してしまったのです」
「低級霊って、簡単に取り付けるものなの? そもそも、すぐには動けないんじゃあ?」
現時点の僕のように、動けなくなるのが関の山ではないのだろうか。
「クローン体には心がないので、簡単に取り憑く事は可能です。身体も動かそうと思えば、動かない訳ではありません。後先の事を考えず、無理矢理、死にもの狂いで動かしているのでしょう」
僕は足に力を入れてみる。
確かに――後の事を考えなければ、動かせそうにない事はなかった。
「ん……でも、今回の歯深螺の不手際なんじゃ? 簡単に取り憑ける事が分かってるなら、注意しておかないと駄目だろ」
いつも完璧な深螺にしては、珍しい失態だ。
「いいえ、私だけが悪いわけではありません。蛍、あなたの責任でもあります」
「ふへっ、なんで?」
「定期点検を終え、クローン体を術式が施された水槽に戻そうとしたときのことでした。蛍が、『も、漏れそうだー』と叫んだではありませんか。私は二人の身体を水槽に戻す事よりも、蛍、あなたの尿意を優先したわけです」
「わーわーわー」
何度してもらっても、慣れる事はない。
身体が動かない以上、下のお世話になるのは仕方ない。頭では分かってるんだけど。
深螺の手が添えられて、僕のものが尿瓶に……なんて辱め、一回でも少ない方が良くて、ギリギリまで我慢する癖が付いてしまった。あの時は本当に限界だった。
「深螺、二人のボディー、問題が起きるぐらいなら、廃棄した方がいいんじゃないか?」
「蛍が壊したいなら構いませんが、私は常に蛍の側にいるわけではありません。ダッチワイフ、蛍の性欲処理の為にとっておいたのです」
「わーわーわー」
深螺の奴、なんて事を言うんだ。
「今のは冗談です。真儀瑠や鈴音の身に何かあった時、蛍と同じように代用品として保存しておこうかと。一時的に遊ぶ蛍のスペアボディーにしても構いませんが」
「う、うーん。それはどうだろう」
いくら意志がないからって、人権を無視した非道の行為にも思える。
廃棄するのも酷いのは分かっているけれど……その為だけに生かされる身体ってどうなんだろう。
僕の気持ちを察してくれず、深螺は続ける。
「ふむ、我ながら名案ですね。蛍、二人の身体を発見した暁には鈴音の身体に入って、『お姉ちゃん、好き。大好き』と言ってください。実に萌え……です」
耳をぴくぴくと振るわせて、赤面して悶える深螺。
「あー、僕はやらないからなっ!」
「蛍は、意外にケチですね。もう少しサービス精神旺盛だと思っていたのですが」
「ケチとかそう言う問題じゃないだろ!」
突っ込んだところで、重要な事を思い出す。
「深螺は僕と話してる余裕何てあるのか? 二人を探さないと駄目なんじゃないか?」
「そうでした。その件に関して、実は蛍にも手伝ってもらえればと思いまして」
「でも、僕、動く事が出来ないぞ」
トイレに行く事すら出来ないのに、人捜しをしろなどと無理な相談だ。
それとも、身体を壊す覚悟をしてまで、二人を捜さなければならないのだろうか。
「ああ、それでしたら問題はありません」
ピコピコハンマーを取り出した深螺は、無言で僕の頭を叩く。
次の瞬間、僕は身体から追い出されて……空中をぷかぷかと浮かんでいた。
「へっ?」
「新しい身体に戻ったばかりの蛍は、当面、安定する事はありません。式見傘と同様のスキル……超絶幽体離脱体質なのです。転んだり、チョップされただけでも幽体離脱します」
「樽から飛び出す黒髭親父より、なさけなっ!」
簡単に飛び出しすぎだ。
「さて、問題はないようですね。それでは行きますよ、蛍」
「あー、へいへい、分かりました」
なんだかなぁ……と思いつつ、少々投げやりな態度で、僕は深螺の後に続く。
森の奥深くにひっそりと構える神無家。
門の前に、僕と深螺は居た。
「目標の二人は、神無家の敷地から出ていません。この森には結界が張られていて、出入りするものがいれば分かるようになっています」
「つまり、誰も出た形跡はないって事なんだ」
「ええ、そういう事です」
「なら、敷地内だけを探せば良いんだな?」
「その通りです」
ででーんと広がっている、鬱蒼と生い茂った森。
鏡花としてお世話になっている時、何度か通った事はあったけど……
「神無家の敷地って、三キロぐらいあるんじゃ?」
「よくご存知で。ええ、大体そのぐらいの大きさであってます」
「合ってるんだ……ここで隠れんぼしたら、絶対に鬼泣かせだよな」
「ふふっ……昔は鈴音を泣かせたものです」
あー、鈴音が深螺を少し苦手に思っていたのは、こういうところの影響があるのかもしれない。
深螺の奴、鈴音の反応が可愛いからって絶対に困らせてそうだ。
「にしても、こんだけ広いとなると一苦労だな」
「その為に蛍が居るのではありませんか。びゅびゅーと飛んで、二人を見つけてきてください」
「深螺は探さないの?」
「実は、神無家の仕事が入っていまして……私が帰ってくるまでに見つけてくれると助かります」
人使い……ならぬ、霊使いが荒い人だ。
砂漠の中から、一粒の砂を探せ――なんてミッションに比べれば見つけやすいんだろうけれど。
「隠れていられると、見つけるのは至難だぞ」
「隠れていたら見つけるのは難しいでしょう。大丈夫かと思われます」
まあ、相手は低級霊みたいなので、そこまで頭は回らないに違いない。
そもそも、実体を伴っている人間を捜すのだ。道なりに進めば一発で分かってしまうだろうし、森の中に入ったら入ったで、痕跡を残している事だろう。
「それでは、頼みますよ、蛍」
深螺にお願いされ、神無の広大な敷地での、先輩、鈴音ボディーの探索が始まった。
何者かが無理矢理通っていった痕跡――折れた木々を発見した僕は痕跡の後を辿り、二人を発見するのにそれ程時間を要さなかった。要さなかったのだが、
「ぶっ!」
水槽の中に戻す直前という状況を考えれば、当たり前なのかもしれないけれど。
二体の低級霊が取り憑いた鈴音と先輩の身体、両方とも全裸だった。
「わーわーわー」
目のやり場に困るというか。
家の中ならOKという訳じゃないけれど、外だと言う事が余計に拍車を掛けているのか、なんだか酷くいけないような事をしている気がする。
「落ち着け、落ち着くんだ、深呼吸して、手のひらに人と書いて」
息を吸って、吐いて。何度も人と言う字を手に書いて。
最初、混乱している僕であったがしばらくすると落ち着いて、二人と交渉を始めた。
「その身体は大切な人達の身体なんだ、返してもらえると助かるんだけど」
「我は知っている。お前は霊だった。生き返った。ずるい」
僕の言葉に最初に反応してくれたのは、鈴音ボディーの低級霊だった。片言ではないけれど……随分と区切りの多い喋り方をする。それ程、明確な意識は残っていなかったのだろう。
「我も生き返る。もう一度……」
「悪いけど、そういう訳には行かないんだ」
僕は鈴音ボディーに近づいていく。
近づいただけで、物体から霊体は抜け出るだろう。僕の霊体物質化能力によって。そう思ったのだが、霊体物質化能力が働いてくれない。
あー、そうか。深螺の作ったクローンボディーに入っているのならまだしも、今はマテリアルゴースト状態だ。あのスキルは僕の身体に備わっているものであって、幽霊の僕にはないものだっけ。それならそれで、話は早いのだが。
鈴音の身体には傷つけないように、霊力の衝撃波で攻撃する。
それ程強い霊体ではなかったのだろう。
追い出すだけのつもりだったのに……
「うがああああっ」
悲鳴を上げて、消滅してしまった。
低級の中でも低級。
最弱級の霊だったようだ。
一部始終を見ていた先輩ボディーに入った低級霊が、ぶるぶると震えている。
「消えたくない。女の子の身体でも構わないから、生き返りたい。お願い、殺さないで」
先程の低級霊よりも、こちらは明確な意識が残っているようだ。
今度こそ話し合いで解決出来ると助かるなぁ、そう思いつつ言葉で説得を試みる。
「殺すつもりはないから。大人しく先輩の身体から出て行ってもらえると助かるんだけど?」
「ボクは生き返る。生き返って家族の元に戻って……出たくない。生き返りたい」
――生き返りたいという気持ちは、一度死んでしまったからこそ、嫌になるほど分かる。
それでも、その願いを叶えてあげる訳には行かない。
「悪いけど、その願いを叶えてあげる訳には行かないんだ」
僕は知っているから――その果てにあるものが悲しみでしかない事を。
最低限、身体と魂が一致しなければ、精神がすぐに崩壊してしまうという事を。
心を鬼にして、手をかざした。
「やめて、やめて、やめ……」
目を瞑り、一撃で消すつもりで容赦なく霊力を放つ。タナトスとやりあったりした僕のレベルは、ドラクエでは50とか60とか、そういうレベルだろう。その僕が序盤の敵、スライムを相手にしているのだ。霊は一撃で四散する。
「不条理だよな、世界は」
最初から、何となく分かっていた。身体を手に入れた幽霊を説得するなんて不可能に等しい事を。
倒れている二人の身体を抱きかかえて、溜息を吐く。
「やれやれだな」
低級霊を手に掛けた腕だけが、ずっしりと重たかった。
少し前に、深螺に質問した事があった。
もしも僕が、鈴音や先輩の肉体を選んでいたらどうなっていたんだ? と――
何気ない質問の果てに、深螺はお茶を啜りながら答えてくれた。
「霊体と肉体、二つがあって蘇生は成功します。短期間なら問題ありませんが、そうでなければ徐々に拒絶反応が起きるのです。まあ、よほど相性が良ければ、希に例外もあるようですが……つまり、最初から蛍には選択肢がなかったわけです」
「あー、そうなると僕、あの時、からかわれてただけの気がするんですけど?」
「一度死んだ者が、他者の身体を使って生き返ったケースが過去に一件ですがありました。どうなったと思います?」
僕の意見は深螺に華麗にスルーされた。
「あの時、深螺にからかわれたんですよねぇ?」
「最初の頃は、家族と普通に暮らして、平穏だったと聞いてます」
またもスルーされる。話が良いところなのかもしれない。
「当時は技術が拙いものだったのでしょう。肉体に不備があり、一ヶ月後、終局が訪れました。全身の身体が腐り始めて、崩壊していったのです。男は死にたくないと死に物狂いで足掻き、生きていられないと諦めた瞬間、家族を八つ裂きにして道連れにしてしまいました。一度目に死んだ時は死を受け入れ、家族に微笑んで死んだ男が、ですよ」
なんか、ここは呆けるところではない気がしたので、真面目に相づちを打つ。
「つまり、幽霊が身体を手に入れた場合は、意地でも消滅させた方が良いと?」
「ええ。死は、想像以上に人を狂わせますから」
だとするとその条件には、死者であった僕も当てはまる。
もしも、自分が先輩を、鈴音を、綾を、傘を、深螺を、陽慈を、サリーを手に掛ける事になったら……想像したくない。身体が恐怖で打ち震える。
「深螺、僕が例え話に出てきた男のように暴走してしまった時は、深螺が止めてくれると助かる」
「大丈夫。蛍なら、そうはなりませんよ」
「そんなの、なってみなくちゃ分からないだろ?」
深螺は珍しく不適に笑った――
「蛍は天下の自殺志願者ですから。霊体になっても自殺しようとしましたし」
「いや、あれは世間一般的に成仏って言うんじゃないかと」
「良いではありませんか。死にたがりでも悪くないと言ってるんですから」
「なんか、問題の観点がずれてるような……」
肝心なところを、深螺にははぐらされてしまったような気がする。
「正しい事だったんだよな」
深螺と話し合った先日の一件を思いだし、呟いた。そうでなくてはやってられなかったから。
それにしても、重いなぁ。精神的だけではなく、肉体的にも。
二人の身体を運びながら、鈴音と先輩、二人を目の前にして言ったら半殺しにされてもおかしくない台詞を心中で思う。
マテリアルゴーストとて、万能ではないのだ。肉体を持っている時に比べればパワーはあるけれど。
人と言うのは女の子でも、実際には結構な重量がある。二人分なら尚更だ。
一時間ほど掛かって、ようやく辿り神無家まで辿り着く。
「二人を確保してきたぞ」
「ご苦労様でした、蛍」
神無家の門で……本当に仕事があったかどうかは定かではないが、深螺が僕を待っていてくれた。
むう、もしかすると厄介な事を引き受けされられただけなのでは?
疑問を持つが深螺の手際の良さを考えれば、仕事をあっという間にこなしてきた可能性だって否めない。疑うのは良くないし、やめよう。
それよりも、今は……
「深螺、生きている事って、なんだろうな」
意味などない。独り言のような、それでも、第三者への問いかけ。
「そんな哲学的問題、私には答えられませんよ。あえて言うのであれば、一つだけ言える事がありますが」
「何て?」
「細かい事何て気にせず、一生懸命生きろと。死んでしまえば、生きる事なんて出来ませんから」
望んだ答えは何か、そう問われれば分からない。深螺の答えは明確な答えではなく、当たり前の事で……僕の望んだものなんかじゃなかったから。
それでも、それも一つの答えだと、真理だと理解した。
「そうだな……なら、一生懸命生きるとしますか。強いて言うなら、生きてぇ」
僕は親指を立てて答えると、深螺は苦笑する。
「蛍は面白いですね。さて、そろそろ遅い時間ですし、二人を水槽に戻して、蛍も身体に戻して、夕飯にしましょう。今日は蛍の大好きな、羽毛布団ライスですよ」
「何、その奇怪な食べものっ!? というか食べ物なの?」
「楽しみに待っていてください。軽く死ねます」
「うわー、生きてぇとか言ったのに。いきなり死にそうだ」
一生懸命なんて、あえて意識する必要はない。
僕、式見蛍は今日も、神無家で深螺と共に、一生懸命毎日を送っているのだから。
「デザートに蛍の好物である羽毛布団アイスも付きますから、残さず食べるように」
僕から二人のボディーを受け取った深螺は、不吉な事を呟いて屋敷の奥へと消えていく――
僕は窓から見える夕日を見て、頭を垂れた。
「深螺との生活は、休まる暇がないよな」
それでも、それが嫌じゃない自分が不思議だった。
さて、今日は未知なる料理と対面する為に、頑張るとしますか。
僕、式見蛍は覚悟を決めて自分のボディーの安置されている部屋へと向かい、お札を剥がして低級霊除けを解いた僕は自分の身体に戻った。
神無家で夕飯の始まる時間、19時まで時間を潰し、深螺が料理を持ってくる前に、手元に深螺の置いていったぴこぴこハンマーを確保しておく。
「もしも危険な料理だった時には、幽体になって逃げよう」
逃げ道を確保しながら僕は、ヒヤヒヤしながら待ち受ける。
「お待たせしました」
やってきた料理は、想像を絶する恐ろしさだった。
訪れた料理は見ただけで危険で、すぐさま幽体になって逃げ出したのだが……相手は深螺。
「吸」
などとお札で吸い寄せられ、まんまと捕まって。
強制的に体に戻らされて、奇怪な料理を口に運ばれるのであった。
「ぐ、ぐはっー!」
生きているのって、本当に大変だ。
そう、しみじみと実感したのである。