「蛍、少しばかり話があります」
神無家の一室……僕、式見蛍が仮住まいとして住んでいる和室に、神妙な顔をして入ってきたのは白髪の美少女、神無深螺だった。
深螺の珍しい表情、感情の起伏が薄いので分かりにくいのだが、ここまで本気になっている事も珍しい。
「何か、凄い事態でも起きたのか?」
「いえ、そういう突発的な出来事ではありません。それでも、切迫しているのは事実です」
「話を聞こう」
茶化す場面じゃないのが分かった。
互いに座って向き合う。
「ここだけの話ですが、神無家は現在、財政難なのです」
「えっ、こんなにも土地を持っているのに?」
「こんなにも土地を持っているから、ですよ。毎年、維持費だけでもどれ程の額が掛かっているか。少し考え見てればその額が途方もない額だと分かるのではありませんか?」
「そうかもしれないけれどさ、霊能商法って儲かるもんんじゃないの?」
漫画……GS美神のイメージで悪いが、こう、一回の事件で何百万、何千万、下手をすれば億単位の額を要求しているような気がしていた。
「儲かったりはしません。蛍はどんなイメージを持ってるんです?」
深螺の口ぶりから察するに、儲かっていないようだ。
ここでGS美神の話題を出せば、『漫画と一緒にされては困ります』なんて深螺に馬鹿にされそうなのは確実……よくあるパターンを思いついたので、それを口に出してみる。
「その辺のスーパーで売っている安物の壺を、霊力が編み込まれた幸せな壺、とか言って高く売りつけたりはしないの?」
「悪徳業者と一緒にしてもらいたくはありませんね。そういう事はたまにしかしません」
「たまにならするんだっ!」
「蛍、世の中には形があるものでなければ、安心できない方も居るのです。私達が相手をしている霊という存在は、普通の人には見ることすら出来ません。悪霊を追い払っていなくなっても分からないのです。まだ、近くにいるんじゃないか、再び取り憑かれるんじゃないかと疑心暗鬼に捕らわれる人も居ます。そういう人たちには魔除けの壺……値段も相応、神無家で清められた壺を買ってもらい、形と共に安心感を手にするのです」
言いたいことは分からないでもない。
ただ、普段より饒舌な深螺の言葉に、詐欺師の才能でもあるんじゃないかと思ったが。
「こほんっ、話が随分と逸れましたね」
「あー、うん。財政難なのは分かったけどさ、自慢じゃないけれどお金の相談を僕に持ちかけたとしても、何にも出来ないぞ」
神無家に居候して、厄介になっている身なのだ。
一文無しである。
「蛍には、一度その身体から出てマテリアルゴーストに戻ってもらい、馬になって欲しいのです」
「馬に?」
「ええ、それで馬の姿でレースに出て、勝って欲しいのです」
「僕は卵王子かっ!」
深螺が分かるか分からなかったが、ラノベ好きとして突っ込みを入れずにはいられなかった。
「蛍、カイルロッドは生粋の馬に勝ったではありませんか。覚えてないのですか?」
「カイルロッドの苦難ぅぅぅ!」
くっ……このネタ振りに付いてこれるとは、深螺の奴、隠れ富士見ファンタジア文庫マニアかっ!
「全九巻。名作でしたね」
「今の若い人たちには分からないだろ。ファンタジア文庫、初期の作品だぞ……たまたま古本屋で見つけて読んだから、僕は知っているけど。まっ、カイルロッドの苦難は置いておいて、本当に馬にならないと駄目なのか?」
「駄目です」
きっぱりと言い切られる。
「蛍が気に病むと思い本音は言わなかったのですが、財政難になっている一番の原因は、式見蛍ボディのせいです。実は億単位の費用が掛かっています」
「億ぅぅぅぅぅ!?」
あまりの破格の額に、立ちくらみがしてしまった。
深螺の奴、無茶しやがって。
「働かざるもの食うべからず。式見蛍の食べているご飯もタダではないのですよ」
「……」
「穀潰し、女たらし、自殺志願者、優柔不断、ラノベ主人公、女装好き……」
「分かったっ! 分かりましたっ! やればいいんでしょ?」
結局、深螺に言いくるめられ、庭で馬に変身する事になった。
「ふむ、威風堂々とした体躯、とても蛍だとは思えませんね」
「僕自身だって思えないよ」
まさか、馬になる日が来ようとは。
一体何をやっているんだろう。どこへ向かっているんだろうと、思わざる得ない。
「一度、その辺りを走ってみてください」
深螺に言われた通り、適当にその辺を走ってみる。
「う、う~ん、走りにくい」
猫の時と違って足が長い分、重心が取りにくい。
「足が二本から四本になったのですよ。二倍早くなる筈なのですが……」
「何、その二刀流は一刀流より二倍強い、ロイド・アーヴィン思考っ!」
「テイルズオブシンフォニア……より、ファンタジアのノーム、イカスです」
「マニアックだ」
このネタ振りにも付いてこれるは……深螺の奴、隠れテイルズファンかっ!
「大体、人間から二倍早くなったぐらいだと、駄目じゃないのか?」
馬って、記憶だと確か、時速七十キロぐらいで走った気がする。
もしも人間が時速三十五キロで走ることが出来たら、世界新記録を樹立しちゃうような。
ああ、でも短距離だと百メートル十秒切ったりする人間もいる訳だから……って真面目に計算しようとして止める。短距離と長距離では体力の問題もあるし、一概には言えない。
「冗談はここまでにして、真面目に行きますよ」
「真面目にって……」
「式見蛍、レースという事は、単独で走るものではありません。上に人を乗せて走ってこそ、練習になるのです。という訳で、パイルダーオ◯」
深螺が背中に乗っかる。
「なんか……ネタが多いな」
「そういう仕様です」
「……にしても、重い」
普通の女性相応……いや、軽い方なのかもしれないが、人間である。
深螺の身長を考えれば、五十ぐらいはあるんじゃないだろうか。
考えてみて欲しい。
五十キロの人間を背中に乗せて、走るという行為を。
元が生粋の人間では不可能である。
「私に対して重いとは失礼な人ですね」
女性に対して、重いは禁句なのを思い出すが、時既に遅し。
「式見蛍、ビシビシといきますよっ」
深螺は鞭を振り上げる。その鞭は風を切り、僕のお尻に向かって振り下ろされた。
瞬間、凄まじい痛みが走る。何度も、何度も。
「痛いっ! 痛いっ!」
すげえ理不尽だ。何も悪い事やってないのに。
競走馬たち、苦労してるんだろうなぁ。しみじみと思う。馬になってみてはじめて分かる苦労だった。
「蛍、遅いです、滅茶苦茶遅いです。この程度ではリニアモーターカーには勝てませんよ」
「馬じゃ勝てないよっ! そもそも、リニアモーターカーなんかと勝負しないから」
「……残念です。面白そうだったのですが」
段々とスケールが大きくなっているから困ったものだ。
「式見蛍、あなたは今、馬なのです。そう思いこみましょう。そうでなくては勝ち目がありません」
一理あった。人の心のままでは、馬には勝てまい。
僕は馬だ。馬だ。美味い……じゃなくて、馬だ。
「ブヒヒヒーン」
仕方ないのであきらめて、馬になりきってみる。
「鳴くなら、ブロロローンの方が早そうな気がしませんか?」
「それだと車だしっ!」
こんな感じで呆けと突っ込みを繰り返しながら、深螺曰く、僕の調教は続いた。
めくられていくカレンダー。
過ぎ去っていく日々。
お尻には、深螺の振り下ろす鞭の痕だけが増えていく。腫れあがったお尻が痛くて、仰向けでは眠れない夜。喜々として鞭を振り下ろす深螺が怖くなって、逃げようとした日もあった。追いつかれて酷い目にあって……がくがくぶるぶる。二度と深螺に逆らわない事を誓った。その日の午後も逃げ出したけど。
死にてぇ、死にてぇ、死にてぇぇぇぇぇぇぇ。
自殺願望、復活。既に一度死んでるとかいう突っ込みは禁止の方向で。今は生きて居るんだし。
もう、死のうか。うん、それがいい。
「式見蛍、あなたが変なことをしないように、言っておくことがあります。式見蛍スペアボディはたくさんあります。あなたが自殺した場合、問答無用で復活させますからそのつもりで」
世界は相変わらず、理不尽だ。
死んだとしても生き返させられるという状況に追い込まれては、死んでも逃げられないという訳で。
この世の生き地獄だった。
なんで生きているのか。僕には分からない。
と、ここで重要な事に気が付いた。
億単位の費用が掛かっていたとか言っていたけれど。
「それが経営難の原因だぁぁぁぁぁぁ!」
「盲点でした。このプロジェクトが成功すれば、式見蛍はボディを変わりながら、永遠に生き続ける事が可能だったのですが」
「不死の願望なんて、ないんだけどなぁ」
深螺には大量にあると言われた式見蛍スペアボディを、安価な保存方法に回してもらえるように頼んでおく。今後の維持費は軽減される事になったが、それでも使った金額が戻って来る訳でもなく。
結局のところは、馬となって勝負しなければならない現状は変わらなかった。
日々、深螺に鞭でお尻を叩かれる日々が続く。
「に、逃げてぇ」
深螺の調教は、決戦の前日まで続いた。
決戦の日――深螺家の敷地内に、十頭の馬が集まっていた。
「競馬場で勝負しないの?」
既に馬になっている僕は、小声で深螺に尋ねる。
「年齢とか、色々と問題がありますので。裏で取り引きすれば可能ですが、それはそれでお金が掛かりますし……蛍に出てもらうのは、神無家が独自に主催する賭けレースですよ。神無家の敷地、南側に馬用のレース場があるので」
「個人のプールじゃなくて、レース場っ! お金持ちはやる事が違うなぁ……」
ぶっちゃければ、それだけ土地があるのなら、少しぐらい売れば解決するんじゃないかと思う。
「なんか、凄そうなのが一頭いるんだけど……」
北斗の拳に出てきたラオウが乗っていそうな、頑強な黒い馬が居た。
走る為ではなく、戦場を駆け抜ける為に生まれてきたような馬だ。
「蛍、あの馬に気付くとは……あれは、オグリキャップの血を引く名馬ですよ。名はオグリスペシャル。あまりにも早すぎて勝負にならない為、表には出る事はなかったと聞いています」
「そんなのに勝てるの? ねぇっ!」
「勝ってもらわなければ、神無家は破産です。式見蛍、私はあなたに十億円、賭けているのですよ」
「ええええええええっ!」
精神的に追い詰められながら、時間になったのでレース場に移動。
「神無家開催、深螺カップ。開催します」
ファンファーレ……これ、GⅠのだ。
あんまりやらない系統のゲームだけど、ダービースタリオンも一本だけだけどプレイした経験があったので、知っている。
ゲームならまだしも、百歩譲って騎手ならまだしも、馬になって聞くと思わなかっ――出遅れたっ!
絶妙なタイミングでスタートする他の馬たち。
どいつもこいつも、表のレースに出ればGⅠだろうと一着を取るんじゃないだろうか、そう思うぐらい出鱈目に早い。
つまり、僕がどんなに頑張っても並走するのさえ不可能。勝ち目がない。勝てっこない。無理無駄無謀。距離を縮める事さえできない。
「先頭はオグリスペシャル。一馬身差で……おおっと、シニタガリ、最後位からの出発です」
ちなみに、シニガタリが僕の馬名である。
シニタガリ、シニタガリ、シニタガリ、実況が連呼する。
実況がうるさい。前の馬までの距離は遠く、後方には一頭もいない。
既に全力だ。全力なのに差が小さくならない。むしろ、離されているような気がする。
勝ち目はない。絶対に勝てない。
ゲームじゃないんだから、ショートカットなんて都合のいいものもないし。
だから僕は、早々に走る事を諦めた。
「一着はシニタガリ、シニタガリですっ! 凄い追い上げでしたっ!」
走っても勝てないので、ぶっちゃけ、飛んだ。
足を動かす振りをしながら、ドラえもんの如く地面から微妙に浮かんで、飛ぶ。
こちとら、過去に幽霊経験有りの生き霊だ。飛ぶことにおいてはエキスパートだった。
「さすがは神無家、私のオグリスペシャルに勝つとは……」
オグリスペシャルの馬主が、褒め称えてくれる。
「走っているのに飛んでいるように見えた程、凄まじい走りでしたぞ」
ばれてる、ばれてるよー!
深螺の目が、一瞬こちらに向いた。
余計な手間を掛けさせて――目が合っただけだけど、深螺は思った。絶対に、そう思ったはずだ。
でも、仕方ないじゃないか。普通に走ったって勝てるわけないのだから。
かくして、出馬した馬から登録料、及びシニタガリに賭けた掛け金により、神無家の財政は立ち直……
「式見蛍、残念ながら、予定の金額まで届きませんでした」
家に帰って開口一番、そう言われる。
これだけ頑張ったのに、目標額に到達しなかったようだ。
「式見蛍、今度はモーターボートになって、海上での勝負です」
「はっ?」
「競馬の次は、競艇に決まって居るではありませんか。この調子で次も頼みますよ」
「見かけだけならボートになれない事もないけど……勝つなんて不可能だぞっ!」
無茶苦茶言われても困る。
「今回のように、さりげなく浮かべばいいのではありませんか?」
「水しぶきがないと、さすがに不自然じゃないか。無理だろっ!」
水の抵抗を受けると、かなり遅くなりそうだ。
「う~む、そうは言われても既に勝負は決まってしまいました。諦めが肝心です。まあ、何とかなるでしょう」
そんな簡単に言われても困る。
「蛍、特訓の開始です。さあ、いきますよっ!」
深螺が鞭を振り上げる。
即答で突っ込みを入れた。
「モーターボートに、鞭は使わないよっ! ってか、まだボートにも変身してないしっ!」
「つべこべ言わず、お願いします」
「痛いっ! 痛いっ! 背中が痛いっ! 深螺さん、楽しんで叩いていません?」
「ちょっぴり」
「くそぉ、変なのに目覚めてしまったぁぁぁぁぁ!」
かくして、Sに目覚めた深螺さんに振り回されながら、神無家の財政難が回復するまで、僕、式見蛍は振り回されるのである。