夢を見た――世界が朱く染まる夢。それは僕、式見蛍の流した血。
『鼻血』だった。
「うっ、ううっ」
興奮のあまり、押さえられない衝動。
さすがの僕だって、これで萌えない訳にはいられない。萌えた。萌えまくった。悶えた。
僕だって健全な青少年なのだ。ここまでされたら萌えるのは仕方ない。
「式見蛍、存分に萌えているみたいですね」
深螺さんの恰好は水着の上にエプロンという……正面から見れば、素肌にエプロンを付けていると見間違わないばかりの状態。
最終萌え兵器として名高い、『裸エプロン』を彷彿させる最強のカードだった。
「ああ、萌えていますよ、こんちくしょうっ!」
先日、『お詫び』と称して、僕の夢に意識を接続し、みんなを連れてきた深螺さん。夢の中とはいえ、彼女は最後に告白までしてきて……キスまでされてしまった。
その後、現実の世界では何の変哲もなく、今までと同じ関係を装っているのだが、それはあくまでも『現実世界』の話。
「私も、随分と萌えというものを理解出来てきたつもりです」
場所は、何の変哲もない。目下、僕がユウと一緒に住んでいるアパートの一室だ。
お揃いのマグカップ、お揃いの茶碗……なんでも二つずつ揃っている。ただ、それは普段暮らしているユウの物ではなく、更にはユウの姿すらない。
ここは現実の世界ではない。今は、あの時と同じ夢の中なのだから。
この、夢に意識を接続するのは、かなり力が必要らしく、目下のところは週一回、土曜日の夜にやって来る程度だけど――このままだと萌え殺されそうだ。
実際の身体が、鼻血を出しているわけではないのは分かっている。
それでも、精神的ダメージが大きすぎる。このままではアストラルサイドから殺され……って、スレイヤーズに出てくる魔族じゃないんだから、そこまでダメージを受けることはないけれど。
あーうん、色々な意味でやばい事態なのは確かだ。
「深螺さん、その、年頃の男子としては、そういう恰好は刺激が強すぎるんですけど?」
「ふふっ、照れる式見蛍も悪くないですね。萌えです」
親指を立てて、『グッジョブ』――ああ、深螺さんが、壊れていく。
「このままいけば私達はいずれゴールイン。式見深螺……ふむ、名字と名前の一文字目に『し』が付く事から少々違和感はありますが、悪くない気がします」
のほほんと、深螺さんはトンデモナイ事を言ってのける。
「気が早いよっ! 高校生の身で考える事じゃないでしょ、それっ!」
「何を言いますか。式見蛍、私のファーストキスを奪ったあなたには責任を果たす義務があります」
「奪われたのは僕の方ですよ、こんちくしょうっ!」
いわゆる、『受け』という奴なのか? 僕は。
『攻め』の反対言葉で『受け』が思い浮かぶのは腐女子思考らしい。まあ、どーでもいい話だが。
ちなみに、『攻め』の対語は『守り』である。
「私では不満ですか? 巫女服を着ない巫女という、訳の分からないポジションに居る鈴音と違って、私は生粋の巫女さんキャラ。容姿もどちらかといえば、平均値よりはかなり上回っている事でしょう」
「確かに僕には勿体ないかもしれないけど」
「それとも式見蛍は、『鈍感』な振りをして特定の相手を決めず、ハーレムを満喫していたというのですか?」
「そうは言ってないだろ。しかも、さりげに極悪人っぽいぞ。僕」
深螺さんの言葉を否定しつつも、彼女の言葉に納得していた。心の何処かで今のままを望んでいる自分が居ることを。ただし、深螺さんの言うハーレムじゃない。僕はただ、このままみんなでワイワイやっていく事が出来たら、それだけで十分に幸せだって思うから。
でも、そんなのは一方的な僕の願望でしかなく、その行為は好意を寄せてくれている女性達に対しては失礼なものだ。いい加減、一人に絞る時がやって来た。
一人だけに絞るとすれば……脳裏に過ぎったのは、騒がしい押しかけ幽霊の顔。
なんで……いや、理由なんてあってないようなもの。
「現実だけではなく、夢の中まで一緒にいられるのです。最高のパートナーだとは思いませんか」
「言い出しにくいんだけど、僕、ユウの事が好きみたいです。今、気付きました」
「……成る程、式見蛍はハーレムルートを希望しますか」
「頑張って一人に絞ったんですけどねぇ、僕」
人の決意を聞いてない。
「一人に絞る事はないと思いませんか? 低俗な俗世の風習ではありませんか」
「風習というか、道徳というか……ハーレムなんて不味いだろ?」
「口ではそう言って誤魔化す……分かりました。式見蛍は、ロリコンという事ですね。ユウのような小さな子でなければ、性欲が沸かないと?」
「露骨な言い方しないでくれませんかねぇ」
「式見蛍、私も女です。あなたが望むのであれば……私を好きにしても構いません」
「いや、だから僕が望んでいる相手はユウだけだと」
「ロリコン」
「ぐっ!」
真顔で深螺さんに言われると、心臓がズキズキと痛む。
「今なら私が、式見蛍を真っ当な道に戻すことが出来ます」
「確かに、ユウが好きだなんて僕はロリコンなのかもしれない」
素直に認める。その上で、僕は言葉を続ける。
「でも、僕はユウが小さいから好きになったんじゃなくて、ユウだから好きになった。好きになった相手が、たまたまユウだったんだ」
「式見蛍、詭弁です……ロリコン」
「ううっ!」
容赦ない深螺さんの言葉に挫けそうになるが、心に活を入れ、深螺さんの目を見た。
「毎日一緒にいて、不快に思わない相手……それがユウなんです。恋人とか通り越して、家族というか、夫婦の関係というか」
同棲……もとい、同居生活の中で、僕はユウに対する好感度を徐々に増やしていったのだろう。
そうでなければ、付き合いの長い先輩か、クラスメイトの鈴音が有力候補だったに違いない。
「成る程、確かにフラグ立て……好感度上げは大事でしたね。失念していました」
「へっ?」
「私は今後、大変ですが毎晩式見蛍の夢に参上するとします」
「いや、あの……」
「鶏肉野郎っぽい式見蛍なら、すぐに彼女に告白出来ないでしょうし」
「それ、臆病者って事?」
「ええ、式見蛍、覚悟してください」
不適に笑う深螺さん――構築されている世界が壊れていく。
「えっ?」
「式見蛍、色々と準備があるので失礼します」
「深螺さん、話はまだ終わって――」
「では」
ない。そう言いたかったのに、深螺さんは問答無用で消え去ってしまった。
かくして、僕は起きている間はユウと、寝ている間は深螺さんという、二重の同居生活を余儀なくされる事になる。僕が深螺さんに来ないでと言っても彼女は一方的にやってくる訳だから手だてはなく、寝なければ良いけれど、人間なんだから眠らないでいるなんてのは不可能だった。
自分でもお人好しだって分かる。なんだかんだいって深螺さんと過ごして居るんだから。その上で、彼女のことを少しずつ知る度に好きになるのだから困ったものだ。
ただし、深螺さんが用意する世界は舞台が夢の中である以上、どんなシチュエーションも不可能がないわけで。
「深螺さん、物凄く死にそうなんですけど?」
夢なのに妙にリアリティがあるから困りものだった。
僕と深螺さんの二人は、現在、沈み行く豪華客船の中に居た。
一昔前に流行った、某映画を参考にしているんだろうけれども。
「吊り橋効果、というものを父から聞きました。危機的状況にある男女は、恋が芽生えやすいものであると」
三十分もしないうちに船体は真ん中から折れ、海の藻屑になるのは間違いない。
「あー、あえて一つ言うのであれば」
僕の記憶が確かならば。
「あれって男主人公が死にませんでしたっけ?」
「式見蛍は細かいことを気にしすぎです」
否定しないと言うことは、肯定しているという事だろう。
全然細かい事じゃないのに……夢の中でとはいえ、人命が掛かってるのに。
「あっ、もしかして、死ななくても良い?」
別に映画と同じ展開になる必要はないに違いない。
そう思って深螺さんに尋ねたのだが、首を横に振られる。どうやら、僕が死ぬという展開だけはどうしても譲れないらしい。
「死んでもらいます。安心してください、式見蛍。ただ、夢の中で死ぬだけですから。海の水が冷たくて、『痛い』だけです」
彼女に、深螺さんに気に入られてしまった事が、そもそもの運の尽き。
「水が冷た過ぎると痛いのは分かるけど、そこまでリアリティがなくても良いんじゃないかな」
「式見蛍、見せ場ならぬ、死に場ですよ。元、自殺志願者の威厳を発揮する時が来たのです」
何故だか高揚している深螺さんをよそに、僕は深いため息と共に呟く。
「死にたくねぇ」
「贅沢を言ってはなりませんよ。死んでも実際に死なない……こんな状況、なかなかに味わえるものではありませんから」
起きているときはユウ。寝ているときには深螺さん。
二十四時間、気の抜けない生活。
「式見蛍、喜んでいるようですね」
「喜んでないんですけどねぇっ!」
「式見蛍……冗談を言い合っている間に、そろそろフィナーレです。海の藻屑になるときが着ましたよ」
「だああああああぁぁぁ、簡単に死んでたまるかぁぁぁぁ!」
霊体物質化能力を駆使して、小舟を作り上げる。
夢の中だからとおぼれてたまるものか。
「ふむ、大人しく運命を受け入れればいいものを……ていっ!」
「小舟、壊されたぁぁぁぁぁ!」
「ついでに四肢へ攻撃。それでは式見蛍、ごきげんよう」
「間違ってもご機嫌なんかじゃねぇぇぇぇぇぇ!」
沈み行く船の中で絶叫する。
ちゃっかりとゴムボートに乗り込んでいる深螺さんは、頭を下げてきた。
「今後ともよろしくお願いします、式見蛍。あなたが私を好きになるその日まで――」
「だあああああああっ、洗脳されてたまるかぁぁぁぁぁっ!」
場所は夢の中。沈没する豪華客船の上で。
「負けてたまるかぁぁぁぁ!」
当面の間続くであろう大変な日々に想いを馳せ、今日もギリギリのところで生きるのであった。