窓から差し込む太陽の光に、僕、式見蛍は目を覚ました。
大きな欠伸をし、二度寝しようか考えて止める。
二度寝しようものなら深螺に起こされるというスペシャルなイベントが発生するのだ。普通に優しく起こしてもらえるのならいい。望むところだ。僕だって男だから、そういうイベントに憧れたりもする。ただ、深螺の場合は普通なんかじゃなかった。
数日前の事だ。
「蛍、朝です。頑張ってご飯を作りました。起きなければシティーハンターごっこをしましょう」
後から聞いた話では、深螺はそう言ったらしいのだが……その時の僕は寝ぼけていたらしく、記憶に全くない。
目が覚めたときに全ての答えは出る。僕はみのむし状態で布団ごと、二階の窓から吊されていた。布団から落ちそうだった出来事……今でも忘れることが出来ない。
深螺を嘗めるな。彼女は冗談も言わない。有言実行。恐ろしいことでも、やると言ったら実行する行動力を持っている。
ここは、寝過ごしたとしてもユウの手によって額に水性ペンで『肉』と落書きされる程度の式見家とは違う。
デッドオアアライブ。
生か死かの世界。
神無家では起きたときにおとなしく起きるのが吉だと悟った瞬間だった。
けだるい身体。伸びをすると軋んだ音を立てた。
数日前までは無理だったが、魂が身体に定着したのか、最近では深螺の世話になる必要もなく、一人で行動出来るようになっていた。その中でも今日は、すこぶると調子が良い。生まれ変わったみたいに。
早くご飯を食べにいこう。
なんだか胸が重いけれど。
「よし、起きる」
意気込む為に呟いた一言に、違和感を覚える。
なんかおかしい。物凄くおかしい。
「あー、あー、あー」
風邪でも引いたのか、妙に声が高い。
熱でもあるのだろうか。そう思って自分の左手をおでこと接触させる。肘が胸に当たった。
「熱はないみたいだな……むっ」
意識、覚醒。
をい、僕よ。 今、腕は何に当たった?
自分の身体を見下ろして理解する。おっぱいに決まっていた。
同時に謎が氷解する。
あー、成る程。さっきから重いと思っていたのは、このおっぱいのせいか。
納得、なっと……
「なんだこれはあああああ!」
絶叫しながら洗面所に走って向かう。
鏡に映る自分の姿を見て、その場で崩れ落ちるしかない僕。
やられた……間違いなく、深螺に。
昨日まで僕の身体は式見蛍だったのに、いつの間にやら神無鈴音にされていたのだ。
スペアボディーに放り込まれたのは間違いない。
一直線で、朝食の用意されている居間に駆け込む。
「起きたようですね、蛍」
「いつも通り起きたけど……これ、深螺の仕業だよな?」
聞くまでもない事だろうけれど、一応、聞いてみる。
神妙な顔で頷く深螺。
「蛍、今こそ言う時がやってきたのです。姉さん、大好きとっ!」
拳を握りしめて、言い切る深螺。
あー、うん。色々と突っ込みどころが満載だ。
「まず、深螺は僕のお姉ちゃんじゃないだろっ!」
「むぅー、仕方ありません。今日だけは蛍の姉さんになってあげましょう」
「別にいらないけど……」
先輩に振り回されっぱなしだった僕にとって、年上の女性は憧れの対象じゃない。持っているのは厳しい現実だ。例えば、先輩が本当に僕のお姉ちゃんだったとしたら……うん、想像するだけでゾッとする。言い方は間違いなく、こんな感じで呼ばれるだろう。
「弟よ、今日も帰宅部に行くぞ」
ぶっきらぼうに答えるであろう弟役の僕も、容易に想像出来る。
「姉、帰宅部って何処にあるのさ」
さりげに突っ込みになっているのが僕らしい。でも、あながち間違っていない想像だと思う。
「ふっ、愚問だな。そんなものは決まっている。私達の心の中にあるのだ」
「格好いい台詞で誤魔化してますよねぇ、それっ!」
「はっはっは、姉を敬うと良い、弟よ」
「そんな傍若無人だから、マテゴファンサイト『ハイツリドル二号館』の人気投票で六位になっちゃうんじゃないかと」
あの結果は衝撃的だった。うん。
「貴様、弟の癖に、触れてはならん事をっ! くっ、こうなれば地球破壊兵器、ノモラカタノママを使うしかあるまい」
いきなりすごい兵器が出てきた。ペルソナネタだった。
って、想像しているだけなのに……、なんでこんな意味不明のスケールに。
先輩が如実に凄いのは分かるけれど。
一通り妄想が終わり、現実に戻って来る。
「むぅ、蛍がいけずなのが悪いのです」
深螺が口を尖らせて拗ねていた。いかん、思考が脱線しすぎていた。
ただ、話はあんまり進んでいないっぽいようだ。
「勝手に鈴音ボディーに放り込むのもどうかと思うんだが」
「そんなに嫌なら、抜け出せば良いではありませんか」
あー、そう言われてみれば黒髭よりも飛び出しやすかったんだっけ。
自分で自分にチョップを入れる。
ぺしぺし、頭に何度もチョップ。
この間とは違って、身体から霊体が抜け出さない。
「むむっ、おかしいぞ」
「ふむ、もしかして」
深螺が身体に触れてくる。
「どうかしたのか?」
「蛍、重要な事が発覚しました。すっかり定着しています」
「はっ? てい、ちゃく?」
「ええ、完全にではありませんが……蛍の身体とは比べものにはならないシンクロ率ですね。その率は何と、400%っ! これ程までに定着するとは……」
エヴァンゲリオンかっ!
「ふ、普通は本当の身体の方が定着するものじゃないのかっ!」
「否定はしません。逆に、他人の身体など問答無用で追い出されることも多いはずです。蛍は、鈴音ボディーの方が合っていたと言う事ですね」
喜んで良いのか……いや、喜ぶ事態じゃないよなぁ、これは。
「さすがは女顔……間違って男に生まれただけあります。蛍、女の子として生きる機会がやってきたのかもしれませんよ。よかったですね」
「けなされたっ! 僕の心、ズタボロにけなされたっ!」
男としての威厳なんて、欠片もない気がする。
いや、今は女か。
「まあ、何とかなるでしょう」
「投げやりだ、どうでも良い感じ満載だ」
「私も忙しいのですよ。今日は歓迎パーティーを開かねばなりませんし」
神無家に仕事の依頼人以外、やってくるなど珍しい。
「歓迎パーティーって、誰のさ」
深螺はあっさりと、とんでもない事を言ってのける。
「鈴音です」
「えっ?」
「私の妹である鈴音を歓迎する為にパーティーを開くのです。今日、鈴音がやって来る日であった事を失念してました」
「そんな日に放り込んだのかー! 不味いだろ? 鈴音が二人も居たら不味いだろっ!」
不味いというか、おかしいしっ!
「別に問題はありません。父の隠し子という事で」
「それはそれでひでぇ!」
深螺のお父さん、鈴音に問いつめられたら拗ねるんじゃないだろうか。
「どっかに隠れてるから、それで良いだろ?」
神無家の屋敷なら、隠れるところは一杯ある。
外でかくれんぼをやっても鬼のようだが、それは屋内でも変わらない。
つくづく鬼泣かせなのは間違いなかった。
「そうですね。分かりました。今では閉鎖されていますが、地下に霊体を使って非合法な実験を繰り返した秘密の部屋がありますので、そこに隠れて……」
「嫌だっ! そんなところに隠れたら最後、出てこれそうにない気がする」
「贅沢ですね。ならば、神無家の裏手にある墓地なんて、良い感じに隠れるところが満載。特に墓石をどけて、掘り返した先にある棺桶の中に……」
「呪われる、そこ、絶対に呪われるから!」
普通に町中で暮らしていてさえアクシデントに巻き込まれるのに……墓場になんて行ったらどれくらいの数の幽霊に絡まれる事か。
「贅沢ばかり言いますね、蛍は」
「贅沢じゃないから、これ、普通の反応だから」
「……」
「深螺?」
突然、無口になり、神妙な顔をする深螺。
「蛍、すでに手遅れです。大人しく押し入れに隠れてください」
「ふへっ?」
「鈴音が帰宅して、この部屋に一直線で向かってます。何か、感づいているのかもしれません」
どういう仕組みで鈴音の事を……深螺の事だから、『気』でも把握して……いや、『気』よりも、『霊力』を察知した可能性が高いか。
なんて、どうでもいい事を考察している場合じゃない。深螺の言うとおり、早く隠れねば。僕は押し入れの襖を開けて中に入ろうとしたところで……居間の出入り口の襖が開かれた。
「姉さん!」
そう言って室内に入ってきたのは、今朝、洗面台で見た……けれど、身体の中に入っている人格も大事なんだろう。正真正銘の鈴音だ。
視線は深螺に一時向かったけれど、すぐさまこちらに向けられる、
誰だって自分とそっくりさんが居たら、否応なく注目してしまうだろう。
「え、え、ええっ!? なんで私がこんなところに」
口をパクパクさせて、僕は必死で鈴音を真似る。
鈴音が右手を挙げると左手を、左手を挙げると右手を挙げる。
秘技、鏡の振りだ――
「あなた、誰?」
『こんなところに鏡があったのか』なんてのは成功するはずもなく。
「鈴音、この人は父の隠し子です」
深螺は、先ほどの僕とのやりとりで出した案をあっさり口にした。
言い切っちゃったよ、この人は。
動揺するかと思いきや、ぶつぶつと呟き出す鈴音。
「……そ、そうなんだ。だったら……あ、この子と間違われたのかな」
なにやら、事情がありそうだ。
「鈴音、今日は一体どうしたのです? 嬉しさのあまり歓迎パーティーをやる予定でしたが、何故来るか、理由を聞いていなかったので」
「えっと、そのね。姉さんも知ってるかもしれないけど、出たんだって」
その前振りは、幽霊関係における説明好きの鈴音話術の一つだった。
自分で言っておいて、意味分からないけれど。『意味ありげ』というか、『今から、霊感系の話をします』ニュアンスを漂わせる言葉が鈴音をコーティングしているのだ。
横文字で誤魔化してみた。なんか、ウケがとれてない様が想像できる。死にてぇ。
「出たとは、何がです?」
「……あっ……う」
しどろもどろになる鈴音。
「鈴音、言わなくては分かりませんよ」
「姉さんなら、何か知ってるかもしれないし……」
なにやら心の中で葛藤があったようだ。
「その……私が」
鈴音が顔を真っ赤にして、その言葉を口にする。
「私が裸で敷地内を走り回ってたってっ!」
それは、半月前に起きた出来事。
スペアボディーとして作られた鈴音ボディーに低級霊が取り憑いてしまい、神無家から逃げ出してしまうと言う騒ぎがあった。
その一件を屋敷に勤めている家政婦さんかメイドさん、執事、あるいは退魔師見習いか……何処の誰かは知らないが、目撃していたのだろう。
鈴音のことを知っていたら思うはずだ。鈴音お嬢様……普段の鈴音からは想像できないが、ここではそう呼ばれている。鈴音お嬢様が、錯乱したと――
「鈴音……この、神無鈴木は」
「いやいやいや、なんで苗字みたいな名前なんだよっ!」
「鈴音にそっくりなんで、似たような名前にしてみました」
「あのな……そっくりになるかどうかなんて、生まれた時にはわからないだろっ!」
「ふむ、言われてみれば確かに」
頷いて思考した深螺。衝撃の事実(勿論、嘘)が発覚する。
「鈴音、実は鈴音は双子だったのです」
「えっ、そうなの?」
「ここまでそっくりなのだから双子に決まっています。神無家には、悲しい運命があるのです。双子は吉凶とされ、昔であれば間引きしなければならないところを、ひとまず存在しない人間として扱うことで事なきを得たのです」
神妙な顔で、ペラペラと嘘を付く。
鈴音の反撃。
「あれ? 従姉妹に双子、居た覚えがあるんだけど……」
深螺に会心の一撃っ!
132のダメージっ!
深螺は倒れた。
滅茶苦茶、打たれ弱かった。
「困りました。どうやら私は、誤魔化したりするのが苦手なようです。どうしましょうか、『蛍』」
「どうしましょうか、なんて言われても……って、今、名前……」
さらっと言っちゃいましたよっ! この人はっ!
「えっ、蛍? あれ? えっ……もしかして?」
名前まで出されたら観念するしかない。
そもそも、鈴音相手に無理に隠すこともない。
「深螺、ここまで来たら正直に言うしかないよな?」
「仕方ありません。うっかり、蛍と呼んでしまった私にも非があります。ってなわけで、奥の手」
深螺は札を取り出し、鈴音の額に貼り付ける。
「姉さん、何を?」
『改っ!』
その場で意識を失う鈴音を、深螺は支える。
「なんか、強硬手段に出たっ!」
「知らぬが仏、という言葉があります。世の中には、知っていては不幸になることもあるのです」
「え、何? 式見蛍が生きていることを知られるのは不幸ってこと?」
「私にとっては」
「いやいやいや、鈴音にぐらいなら、知られても良いんじゃないか?」
「式見蛍は野暮ですね。女心というものを理解していません。もう少しぐらい、二人の時間を満喫したいのですよ」
「だからって、こんな強引な手段にでなくてもっ!」
「女の戦いです。時には強引な手段を持ちいらなければならないのです。そんな訳で、記憶の改竄を行いました。これでもう大丈夫です。ちなみにこの技は、一般人に霊などを見られた時の対処用に用いる手段です」
まあ、『改っ!』なんて口にしていたから、そんなところだろうと思ったけどさっ!
「せっかく二人きり……厳密に言えばお手伝いなど居るので違いますが、帰宅部メンバーに邪魔されると面白くありませんので、今暫くは二人で居ましょう」
「をおおおおおい」
かくして深螺の行った奥の手により、何事もなかったかのように、翌日、鈴音は帰る事になる。
「ネエサン、カエルネ」
鈴音が立ち去った後で、僕は深螺に訝しげな視線を向ける。
「鈴音の奴が、言葉が片言だったんだけど」
「仕方ありません。後遺症というやつです」
「……」
人道的にはどうだろうと思いつつ、こんな強引なところも深螺らしい。
「てか、僕はいつまで鈴音のままなんですかねぇ?」
「姉妹水入らず……というのは冗談だとして、そろそろ戻そうと思っていますから、安心してください」
その日、深螺が尽力を尽くしてくれて、無事に僕は蛍の姿に戻るのだった。
無難に終わってくれない。
どうやらこの筆者は、なかなかの難敵のようだ。
腕が胸に当たる。
違う。昨日よりは明らかに視点が高いし、胸も大きかった。
洗面所に出向き、確認。
「昨日、元に戻ったのに、どうして今日は先輩のスペアボディに入ってるんだよっ!」
「虫干しみたいなものです。たまには動かさないと、身体が固まってしまうのですよ」
「だったら深螺が入ればいいじゃないかっ!」
「普通の人間は幽体離脱なんて出来ません」
「どう考えても、深螺は普通の人間じゃないだろっ!」
それだけは間違いない気がする。
と、ここで真面目な顔をする深螺。
「蛍、隠れて下さい。とうとうやって来ました。宿敵、サトリがっ!」
「だあああああああっ! なんで先輩が神無家にやって来るんだよっ!」
「昨日、鈴音の後遺症でピンときた。といったところではないでしょうか」
「くそおおおおおおおおっ! 絶対バレるっ! もうバレルからなっ!」
「フハハハ、面白い予感のところに我はあり。という訳で参上だっ!」
隠れる前に先輩がやって来て、そこからも出鱈目で。
僕、式見蛍の平穏な日々は、そう簡単には訪れないのであった。