見える世界が歪んでる   作:藤藍 三色

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第三章

 

 

 

 コンパートメントの中で一冊の本を読み終える頃に出発の時刻となった。本を閉じ、息を吐きだす。窓の外は列車に乗り込む生徒とその家族で溢れかえっていた。幾人もの人たちが別れを惜しんで抱き合い、いくつもの言葉を交わしていた。その光景を見て、弦はまたひとつ溜息をついた。

 

 母との関係は一度こじれると尾を引く。長いときは半年もの間拒まれた。今年の冬に帰らなければ一年近く会えないのだ。その頃には母は弦を殴ったことなんて忘れているかもしれない。忘れて大鍋を目の前に自分の研究をしているのだろう。

 

 去年の一年を思い出してみる。母に手紙など一度も出さなかった。返事が返ってこないことなど明白だったのだから。叔父とだけ手紙のやり取りをし、一年ぶりに家に帰った時、確かに少しだけ胸を高鳴らせていた。もしかしたら、母が出迎えてくれるのではないかと。

 

 そして弦は失望した。

 

 母はいつも通りすぎるほどいつも通りだった。部屋から一歩も出ず、一年ぶりの娘に声をかけることすらなかった。

 諦めていたつもりだった。諦め、受け入れていたつもりだった。けれどそうではなかった。

「……若いなあ」

 もうすぐ十三になる。たった十三年生きた程度で、自分は大人になったつもりだったのだ。若すぎる。

 

 十三歳の時、母はどんな人だったのだろう。父はどんな人だったのだろう。何も知らなかった。

 ああ、そうか。私はちゃんと見ていなかったのだ。ただ自分を守るために殻に閉じこもっていただけなのだ。

 なんて恥ずかしいことだろう。一歩身を引いて、他人の事情に図々しく口を出して。なんて愚かなことだろう。ただ駄々をこねて、母が手を伸ばしてくれるかもしれないとありもしない希望にすがっていたのだから。

 

 弦はもう一つ出そうになった溜息を飲み込み、瞼を閉じた。

 再び瞼を開いたとき、弦の気持ちはすでに切り替わっていた。

 

 

 

 

 

 コンコンとノックの音に扉を見れば、ガラリとそこが開いた。立っていたのはテリー・ブート。弦と同輩同寮であり、友達だ。

「よ、ユヅル。久しぶり」

「久しぶり」

「ここいいか?」

「うん」

 テリーは自分のトランクを荷物棚に押し上げると、弦の向かい側に座った。

 

「お前、手紙出すなって言うからこうやって会うまで元気にやってるか心配してたんだ」

「私のところまで手紙を運ぶ梟が可哀そうだと思ったんだ。実際、すごくへとへとになってたし」

「手紙来たのか?」

「送るなって言い忘れてた。解決策はできたよ」

「それって俺も利用できる?」

「できると思うけど」

 

 テリーと、それからやはり同輩同寮のマイケル・コーナー、アンソニー・ゴールドスタイン、パドマ・パチル、リサ・ターピンには夏休みに手紙のやりとりはできないとはっきり言っていた。だから彼らから手紙は来なかったのだ。ハリーたちにはうっかり言い忘れてしまったけれど。

 

 弦の言った解決策を聞こうとしたテリーを遮ったのはノックの音だった。ついで引かれた扉がガラリと音をたてる。

「やあ、ユヅル。テリー。久しぶり」

 入ってきたのはアンソニーとマイケルだった。

 

「ここいいか?」

「構わない」

「おう」

 マイケルは了承をとると荷物棚に荷物を押し上げた。アンソニーもすぐにそうして、マイケルはテリーの隣に、アンソニーは弦の隣に座る。

 

「ユヅルは本当に久しぶりだね。元気そうで良かった」

「本当にそうだ。手紙はどうにかならないのか?」

「それそれ。そのことを今話してたんだよ。ユヅル、さっき言ってた解決策ってなんだよ?」

「ああ、うん」

 弦はハリーたちにも教えた叔父に送る方法を教えた。それなら梟たちも平気だと思うし、何より直接弦に送られるより早いのだ。

 

 そして叔父の名前を口にしたとき、やはり三人は驚いた。

「アクロイドって……マジか」

「大真面目」

「まさかユヅルがアクロイド家の血縁だったなんて……」

「君はまるでびっくり箱だな」

「そりゃどーも」

 失礼なマイケルの物言いに弦は無感動にそう返した。不機嫌になったわけではない。

 

「俺、ユヅルのことずっとマグルーマルの娘だと思ってた」

 マグルーマルとは非魔法族(マグル)に生まれた魔女や魔法使いのことだ。これとは反対に魔法族の血だけを継いで生まれた魔女や魔法使いを純血と呼ぶ。ウィーズリー家やマルフォイ家などはそうだ。もちろんアクロイド家も。少しでもマグルの血が混ざっていれば混血と呼ばれている。ここから派生して親が純血とマグルーマルの場合、半純血と呼ぶこともあるそうだ。

 

 だがこんなことは弦にとって心底どうでもよいことだった。

「どうでもいい」

「言うと思った」

 今度は嫌悪感を全面に出した声色にテリーたちは笑った。ここで笑うあたり、彼らもそんな区別が無用のものだとわかっているらしい。

 

「ユヅルは俺と同じ半純血か」

 テリーの言葉に頷いておく。マイケルやアンソニーは純血の家系らしく、その縁から二人は幼馴染なのだそうだ。そうなるとマルフォイたちとも知り合いと言うことになるが、彼らはスリザリンの家系、一方でマイケルたちはレイブンクローの家系と細かな区別があるらしい。そこで弦は面倒になって読書に入った。

 

 テリーとマイケルがチェスに興じ、アンソニーは日刊預言者新聞を読む。しばらくして車内販売が廊下を通った。弦は去年と同じように瓶詰飴を買う。他の三人は昼食分と夕食に差し支えない程度のおやつを購入したらしい。時計を見れば針はちょうど十二を指して重なっていた。

 

「そろそろ昼食にしようか。ユヅルは買ってなかったけど、持って来たのかい?」

「ん、一応」

 持って来たのはおにぎりだ。去年の経験で和食がひどく恋しくなることはわかっていたからそうした。まあ、厨房の場所はわかっているのでいつでも食べれるけど。思い出して湧き出る食欲は止められない。日本人のめしうま文化にどっぷりとつかってきた十三年間は伊達ではないのだ。

 

 風呂敷に包んだ重箱を取り出しそれを紐解く。漆塗りのそれは紅葉と銀杏が彫られ色づけられていて、秋にはぴったりの品物だ。その蓋をあければ一段目におかず、二段目に俵型に握られたおにぎりが顔をだした。

 三人が興味深そうにそれを見るので、弦は「食べる?」と問いかけた。頷いた三人に塩鮭のおむすびを渡した。三人がおむすびを口に入れて味わっている間に弦はお茶を用意した。魔法瓶にいれたほうじ茶をコップに注いでいく。

 

 初めて食べたおにぎりを三人は気に入ったらしい。もともと作りすぎていたこともあって弦はおかかのおにぎりをもう一つずつとおかずの卵焼きと肉巻牛蒡をあげた。お礼に大鍋ケーキをもらった弦はそれをデザートにした。

 

「ユヅルは料理が上手だったんだな」

「普通」

「でも美味しかったよ。また食べたいくらい」

「あ、俺も俺も」

 純粋に褒められることに悪い気はしない。

 

「ホグワーツの厨房を借りてときどき作ってる」

「厨房?」

「うん。去年知り合ったハッフルパフの先輩に教えてもらった」

「へえ! じゃあ、そのとき俺らも一緒に食べていい?」

「構わない。それに一人分より数人分作った方が作りやすいし」

「やった!」

 テリーは手をたたいて喜び、アンソニーも弦にお礼を言った。マイケルも満足そうだ。

 

 弦はそのことに満足し、おにぎりに噛みついた。

 

 

 

 

 

 昼食を終えまた読書に戻った弦を訪ねる者がいた。ハーマイオニーだ。彼女は弦が一人でないことに怯んだが、気を持ち直して弦を廊下へと引っ張り出した。

 

「ユヅル。ハリーとロンを見なかった? 列車のどこにもいないの」

「どこにも? 乗ってないのか?」

「駅までは一緒にきたの! でもいなくなってしまって……」

「……」

 顔を少しだけ俯けて考える。乗り遅れるぎりぎりに駅についたそうだから乗り遅れている可能性は十分にありえる。

 

 ふと弦はコンパートメントの中を見やった。三人が窓の外を見ている。その食い入るような視線を追って弦も窓の外を見た。

 

「………はぁ?」

 

 思わずあげた声にハーマイオニーが眉をあげた。そしてその目で窓の外を見る。

 青い空の中をトルコ色の車が飛んでいた。しっかり視認できるそれを見て弦はハーマイオニーを見た。

 

「ところでハーマイオニー。ロンはどうやってハリーを連れ出したんだっけ?」

「……車だって聞いてるわ」

 空飛ぶ車。ハーマイオニーはただただ呆然としていた。

 

 それから弦はハーマイオニーを正気に戻すと、誰かに梟を借りるように言った。マクゴナガルあたりに連絡を入れておかなければ。もしかしたら変な気を起こして車で行くかもしれません、と。

 ハーマイオニーはすぐに走って行ってしまうから弦はコンパートメントに戻った。

 

「あの車、知ってるのか?」

「少しだけ」

 あの馬鹿ども、退校処分になりたいのか。それから待っているのはどちらにとっても地獄のようなものだろうに。

 乱暴に座席に座り重く息を吐きだした弦にテリーたちは顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 その夜のパーティーにハリーとロンの姿はなく、二人が車をとばしてホグワーツにきたという噂は学校中に広まっていた。またその日の夕刊に空飛ぶ車をマグルが多数目撃していることがばっちりと載り、魔法省は記憶操作にてんてこ舞いだったとも書かれていた。

 

 そして次の日の朝にロンのもとに吠えメール(名前の通り吠える手紙。怒りをぶつけたいときに使用するとテリーに聞いた)が届いたのだった。お祭り騒ぎに浮かれていた彼らの熱がこれで覚めることを願うしかなかった。

 

 

 

 


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