見える世界が歪んでる   作:藤藍 三色

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第七章

 

 

 

 クリスマス休暇までの間に、生徒一人とゴースト一人が襲われた。生徒はハッフルパフのジャスティン・フィンチ=フレッチリーで、ゴーストはニコラス卿だ。一度に二人も襲われたことにみな混乱し恐怖し、現場に居合わせていたハリーが現行犯だなんだと騒がれた。

 ハリーの間の悪さやホグワーツ生の単純さはなんとかならないのかと若干苛ついていた弦は、当然至極とばかりに自分の考えを推理としてふれまわるハッフルパフのアーニー・マクミランのどや顔にぶちりと頭の中の何かが切れた。

 

 その時間は魔法薬の時間で、レイブンクローはハッフルパフとの合同授業だった。魔法薬が苦手なハッフルパフのアンナ・ハボットとは一年のころからの付き合いなのでそのときもいつも通り彼女と組んでいた。同じテーブルにはテリーとマイケルのペア、アンソニーとハッフルパフのスーザン・ボーンズがいて、なんの問題もなく薬をつくっていた。

 ことが起きたのはスネイプが弦たちのテーブルから別のテーブルに移った直後のことだった。すでにスネイプの監査を終えていたアーニーがわざわざこちらに来てアンナやスーザンだけではなく弦たちにまであちこちで触れ回っていた話をし始めたのた。

 

「―――だから、僕はポッターで間違いなと思うね!」

「アーニー!」

 もうその話は止めてとばかりにアンナが彼を制止する。どうやら弦がハリーと仲がいいから気にしてくれているようだ。優しい子だなあと思う一方でこいつ魔法薬はどうしたと弦は無言で出来上がった魔法薬を瓶に詰めた。

「なんだい、アンナ。状況証拠だってあるし、もうポッターで間違いないじゃないか。なんで校長はあんな危険人物放っておくのか、僕は不思議でならないよ」

「アーニー、言い過ぎよ」

 スーザンもそう言うのでアーニーはいささか気分を害したようだ。

 

「二人ともどうしたんだい? もしかしてミス・ミナヅキを気にしてるのかな」

「アーニー!」

「別にいいじゃないか。さっきから反論してこないってことは彼女だってそう思っているってことだろ!」

 弦は頭の血管が切れたような錯覚を起こした。

「あーあー……俺しーらね」

 そうテリーが瓶に入った薬を弦の手からとり自分のものと合わせて提出に行く。

「僕も提出してくる」

 そそくさとマイケルがテーブルを離れた。

「僕はちょっと先生に質問してくる」

 アンソニーがスネイプの気をひきにいった。

 

 弦は自分の道具を片付け始める。その手つきは淡々としており、目つきはひどく冷ややかなものになっていた。

 アーニーはスーザンやアンナにとめられてもまだ話しており、最終的には「君もマグルーマルなら十分に気を付けたほうがいい」と親切ぶって忠告をくれた。弦は片付けの手を止め、アーニーに視線を向ける。

「言いたいことはそれだけか、アーニー・マクミラン」

 自分の発した声がどれだけ冷たく響いたのか弦には判断がつかなかったが、アンナとスーザンがそろって顔を青くしたことから相当なものだったのだろうと後で思い返すことになる。

「君がしているのは推理じゃない。ただの拡大解釈と被害妄想だ」

「なっ……!?」

 

「現行犯って言うのはそもそもそ事を起こした現場を見ていた場合に言う言葉だし、君が言う状況証拠っていうのは不確定すぎて話にならん。君がハリーをどういうふうに見ているのかは知らないが、彼が闇の魔法を使えるだと? 馬鹿も休み休み言え。闇の魔法は強力だが扱うのはそう簡単じゃない。それが使えるのなら彼が学年首席だろうよ。赤ん坊のころにそれを使えた? なわけないだろう。杖も持っていないのに。君がいう推理は穴だらけのただの空想だ。そういうのは名推理っていうんじゃなくて迷推理っていうんだよ。君の頭の中がお花畑なのはかまわないが、周りに種を撒き散らすな迷惑だ」

 

 パタン。教科書を閉じる音がやけに響き、弦はそこでようやくあのスネイプさえも黙らせていることに気が付いたが、どうでもいいと素知らぬ顔をし続けた。

 

 クリスマス休暇に帰省しようとホグワーツ特急の予約を入れる生徒は多かった。テリーたち三人も親に帰ってこいと言われているようで帰省すると残念そうだ。今年は居残って休暇中に防衛術の自習をたっぷり行いたかったようなのだ。

 弦はやはり今年も叔父から帰省のお誘いが来たが断って残ることにした。ポリジュース薬のこともある。自習と読書で有意義に過ごせそうだと思ったのは内緒だ。

 

 クリスマスの日に薬は完成した。その見た目も臭いもひどいものだったが、なんとか手に入れた相手の一部をそれぞれ自分のゴブレットに注いだ薬の中に投入し、三人はそれを飲みほした。弦は全員が気分の悪さに悶えるのを見届けたあと、見事変身しスリザリン寮へとスパイしに行くハリーとロンを見送った。残されたのは弦とトイレに引きこもったハーマイオニーだけだ。

「あー……ハーマイオニー? あまりいい予感がしないんだが」

 自分は無理だと二人に言っていた彼女は未だ個室から出てこない。

 

「ユ、ユヅルの魔法薬は完璧だったわ!」

「ということは最後に入れた変身する相手の一部に問題があったわけだな。なに入れた?」

「………」

 そろりと顔を出したハーマイオニーにすぐさま自分のローブをかぶせて医務室に駆け込んだ弦は、確かに彼女が半猫に変身してしまっているところを見た。どうやら彼女が薬に入れてしまったのは猫の毛だったらしい。ポリジュース薬は動物変身には使ってはいけない。効果時間が過ぎても元には戻らないからだ。

 

 マダム・ポンフリーには魔法薬の練習中の事故と言うことを説明し(ある意味では不幸な事故だった)、弦はハーマイオニーのために薬の中和剤を毎日作ることになった。もちろん、マダム・ポンフリーの指示のもと作られた薬は確実にハーマイオニーの姿を元のままに近づけて行った。

 クリスマス休暇が明けてもハーマイオニーは医務室から出られなかった。彼女はマグルマールということで帰省していた生徒の大半が襲われたと思い込んだし、一時期は医務室の中の様子を探ろうとちらほらと野次馬がいた。弦はマダム・ポンフリーに進言してハーマイオニーのベッドのカーテンを常に閉め、人目に触れぬようにした。マダム・ポンフリーも顔に毛が生えている状態の女の子を多くの目にさらすのはよくないというお考えだった。

 

 ハリーとロンだけ見舞いが許されていたので、彼らは毎回の授業のノートをハーマイオニーにお願いされていた。弦はそれをもとに授業の内容を一緒におさらいする役目をお願いされた。彼女がこうなったのは弦にも落ち度があるので甘んじて受け入れている。

 マルフォイが何も知らないことがよくわかって、三人は犯人が誰かわからなくなったようだ。絶対にマルフォイだと睨んでいたロンはとにかくがっかりしていた。

 一方で弦のショックはそこまでではなく、マルフォイも犯人を知らないならスリザリンには犯人がいないのだろうと考えた。スリザリンの連中は純血だと威張ってはいるが、誰が犯人かわからない不気味さは感じているようなのだ。

 

「犯人がスリザリン連中じゃないっていうなら、次に怪しいのはレイブ()ンクロー()かなぁ」

 防衛術の自習で空き教室にいた弦たちは、ちょっとした休憩をはさんでいた。その中で呟かれたアンソニーの呟きに三人はおのおのの反応を返す。

「それを言うならグリフィンドールだってありえるじゃないか」

「ハッフルパフはなさそうだよなあ。あの寮に入る人間にこんな悪事できないだろ」

「決めつけるのはよくないけど、確かにハッフルパフはないだろうね。私もレイブンクローかグリフィンドールの中にいると思う。ただうちの学年じゃないな」

「どうして?」

 

 手の中にある紅茶の入ったカップには濁りのないものが注がれている。そこには目に見える大きさの茶葉は入っておらず、綺麗なものだ。今の状況のように、何も見えない。

「誰も嘘をついていないからだよ」

 何も知らないと言うマルフォイも、彼に何も教えないその父も、ハリーもロンもハーマイオニーも、レイブンクロー生もハッフルパフ生も、誰一人として嘘はついていない。

 

「ただ疑問なのは相手がハリーの行動を把握しているかのように事件現場を合わせていることだ。ある程度ハリーと交流していなければ、そうはいかないだろう」

「ということは彼の周りに犯人がいるってこと?」

「うん。魔法をかけてまで追跡しているとは思わないから。だが誰かまではわからない。隠れるのがうますぎる。何か見落としている気もするし……」

 まだだ。まだ足りない。なにを知らなければならないのだろう。なにに注目しなければならないのだろう。

 

 ハリーが得体のしれない日記を拾い、それによってハグリッドが五十年前に秘密の部屋を開けて女生徒一人を殺した犯人だと分かったのは、バレンタインの夜のことだった。

 

 

 

 

 

 英国のバレンタインは花やカードを送るのが主流らしい。女性から男性へ、または男性から女性へ。今年のホグワーツではところどころで珍事が起きた。ロックハート以外ははた迷惑な、彼自身が起こしたとんでもない珍事が。

 ド派手なローブを見に纏ったロックハートはわざわざカードやプレゼントを運ぶ悪趣味な小人たちを用意した。彼らは生徒達の中を巡りに巡り、カードやらプレゼントたちを運ぶ愛のキューピッドとなった。逃げる相手を転ばせるわ、歌のプレゼントだと調子はずれの音程で歌いだすわでその成果は散々なものだったけれど。

 

 弦はカードや歌ではなく花を一輪だけプレゼントされた。ミヤコワスレだ。まさか日本の花をプレゼントされるとは思わなかった。色は青みがかった淡い紫色で、茎には黒色に銀の刺繍がされたリボンが結び付けられていた。花言葉は「強い意思」。褒められているんだろうか。

 珍事件の話に戻ると、教師の中で二人ほど被害をかぶった人がいる。スネイプとフリットウィックだ。前者へは<愛の妙薬>、後者には<魅惑の呪文>の指南を求めた女生徒が殺到した。馬鹿馬鹿しい話である。魔法で心を手に入れて嬉しいのだろうか。

 

 そのバレンタインの夜にハリーは三階の女子トイレで拾った日記で五十年前の情景を見たらしい。日記はハリーにハグリッドが犯人だと教えてくれたそうだ。ハグリッドが当時飼っていた毒蜘蛛のアクロマンチュラであるアラゴクがやったと。ハグリットは退校処分となり、ダンブルドアの温情で森番となって現在に至る。

「胡散臭い」

 その話を聞いた弦の感想はそれにつきる。

 

「その日記の持ち主はハグリットを捕まえてホグワーツ特別功労賞をもらったのか。さぞ優秀だったんだろうね」

 半ば棒読みのその科白に加えて弦は半目だった。それにハリーたちはたじろく。

「ユヅルは信じてないの?」

「まったくもって。顔を合わせて直接話したこともない相手をよくそこまで信用できるな」

「だって、過去を見せてくれたんだ」

「その過去とやらを捏造していないありのままの真実だという証拠はどこにもないだろう。魔法道具にしても怪しすぎて得体の知れない。五十年前の記憶と言うなら五十年前も教師だったダンブルドアにでも提出するべきだな」

 

 ハリーはトラブルを自ら招くような真似を平気でする。招かなければ近づきもされないのに、ご苦労な事だと弦は溜息を吐いた。先ほどから見せられている日記にはいっさい触れていない。

「それにハグリッドのことならダンブルドアに相談するのが最も適切だ。彼をこの学校に残したのはダンブルドアだろう。五十年も森番として雇って来たんだ。ハグリッドの為人(ひととなり)も十分に知ってるはずだし、五十年前の真実に気付いているかもしれない」

「……」

「友達のことなんだろう。君達が彼の無実を信じなくて誰が信じる」

 はっとした三人の顔を順繰りに見て、弦は「とりあえず」と鞄の中を漁った。そこから一枚の札を取り出す。

 

「これは?」

「封印のための御札だよ。張ったものの力を無力化する」

 人間に張れば魔法は使えないし、魔法道具に張ればその効力を発揮しなくなる。一時凌ぎだが、十分だろう。

 黒い日記が開かないように札を張りつけ、剥がさない様にと注意した。もしものときのために持っていた御札たちがこんなところで役に立つとは。使う気は一切なかったんだけど。

 

「そんなものがあるんだ……」

「まだ私じゃ作れないからストックが少ないんだ。剥がさないでいてくれると助かる」

「わかった」

 頷いて見せたハリーになんとなく不安が残ったけれど、自分ができるのはここまでだと弦はそれを胸の奥に閉まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三月になりマンドレイクの成長が謙虚に現れた。第三号温室にいた何本かのマンドレイクが乱痴気騒ぎを起こしたらしい。あいつら植物なのになにやってんだ。

 

 そして復活祭(イースター)の休暇中に三年になってから始まる選択科目を決めるよう二年生は言い渡された。今までの授業に加え、新しく占い学、数占い、マグル学、古代ルーン文字、魔法生物飼育学の五つの中から選択するのだ。

「ユヅルはどうするか決めたか?」

 テリーの言葉に弦はすでにチェックを終えた自分の選択表を見せる。つけられているのは古代ルーン文字と魔法生物飼育学の二つだ。

 

「この二つかあ。ちなみに理由は?」

「そもそも私は占いがあまり好きじゃない。だから占い術と数占いは受ける気がない」

「そうなの?」

 アンソニーが首を傾げたあと、マイケルが「女は占いが好きなものだろう」と言った。

「別に女だから好きでないといけないなんて決まりはないし、何より占いは理論よりも才能の比重が大きいからな。数占いは理論的だがそれでも占いだし不確かだ。だから好きじゃない」

「ふーん」

 

「それに日本だと自分のことを自分で占うのは禁止(タブー)とされてるんだ。私自身も占術の才能はないと思うし、するとしたら本職に頼む」

「ユヅルらしいね」

「じゃあ、ほかの二つは?」

「古代ルーン文字のほうは読めるようになれば古代書の解読に役立つかなと思って。魔法生物飼育学は薬関連だな。材料で魔法生物のお世話になることが多いから」

「なるほど」

 テリーは弦に選択表を返し、自分のものにさっさとチェックをつけた。

 

「俺も占い学とマグル学はパス。三つに絞るわ」

「僕も占い学は止める。先輩たちの反応がどうも極端すぎる。マグル学もユヅルやテリーがいるから必要ないな」

「じゃあ、僕もそうしようかな。ユヅルも数占い受けてみようよ。案外、楽しいかもよ」

「遠慮しておくよ。他に勉強しておきたいこともあるし、三人がその授業を受けている間にしておく」

「ほかの勉強?」

 三人がなんだなんだと顔を寄せてくる。

 

「言っておくけど、魔法界関連じゃなくてマグル関連のことだぞ」

「マグル関連? マグルの学問ってこと?」

「なんで?」

「……卒業後は日本の大学に進学するつもりなんだ。入学試験を受けるのに勉強していないと受かるものも受からないだろう」

「ユヅルはもう卒業後のこと考えてるんだな」

 感心した様子のマイケルに弦は「別に」と返した。

 

 もともとホグワーツに入る前からそのことは決めていたのだ。日本で薬剤師の資格をとるにはそれが一番適切だし、最も多く勉強ができると思ったから。

「今日日、薬を扱うには資格がいるんだよ。薬師の家系だけど法律には逆らえないからな。公然と仕事するには必要なものだし、祖母も持っていた資格だ。家を継いで仕事をするのに必要だからとる」

「でもそれだと大変じゃない? ここで習う科目とはまったく別のものなんでしょう?」

「卒業するまでにあと五年はある。夏休みの間にいくらか勉強はしてるし、それをホグワーツでするだけだから間に合うさ」

 忙しくなるのは仕方ないが、なんとかなるだろう。できないことに甘んじていてはいつまでたってもできないままだ。

 

 選択表をフリットウィックに提出して日が経ち、クディッチの試合が近づいていた。対戦カードはグリフィンドールとハッフルパフだ。ハリーは練習で忙しそうにしている。テリーたち三人は観戦に行くそうだ。

 その中で事件が一つだけあった。ハリーの私物が暴かれたのだ。かなり荒らされていたようで、あの黒い日記だけがなくなっていた。犯人はグリフィンドール生しか考えられない。各寮はその寮生しか入り方を知らないのだから。

 

 クディッチの試合の日は弦は図書室にいた。今日の試合はそこまで荒れないだろうと、医務室の手伝い要請は来なかったのだ。読書をしていると図書室にしては慌ただしくうるさい足音に顔をあげる。マダム・ピンスに睨まれているのはハーマイオニーだ。彼女はせわしくなく本棚の中に消えていった。急ぎの調べものだろうかとまた手元の本に視線を落とした。

 しばらくしてまたあの足音だ。ハーマイオニーはやはり忙しなく図書室を出ようとしている。その顔に少しの達成感を見て弦は首を傾げた。何か気になるので追いかけようと図書をもとの場所に戻して図書室を出る。

 

 廊下を少し急ぎ足で歩き、角を曲がる。そこで弦は息は数秒止まった。

「……っ!」

 人が、廊下に倒れている。二人も、だ。それぞれ時間を止められたように不自然な格好で転がっている。その二人に弦は見覚えがあり過ぎだ。

 そこから自分が何をしたのか、弦ははっきりと記憶していたわけではなかった。だが近くの絵画に先生たちへの連絡を頼み、状況を明確に説明したことは覚えていた。その足でマダム・ポンフリーの制止も振り切って図書室にとって返したことも覚えている。

 

 目的の図書を持って医務室に戻ったとき、医務室にはマクゴナガルとハリー、ロンが増えていた。そして弦に遅れて医務室にスネイプとフリットウィック、スプラウト、ダンブルドアが入ってきた。

 ベッドは新たに二つほど埋まっていた。ハーマイオニーとレインブクローの五年生のペネロピー・クリアウォーターの体はぴくりと動かない。彼女たちは石にされてしまったのだから。

「ユヅル!」

 ハリーとロンが弦に駆け寄ってくる。ハリーが弦の手を取って眉を下げた。

 

「君が発見したって聞いたんだ」

「だ、大丈夫……?」

 ロンは気遣うように声をかけてきた。それを見て、弦は少しだけ肩の力を抜いた。

「……私は大丈夫だよ」

 自分が石にされたわけじゃない。考えていたよりも落ち着けている。

 ペネロピーはレイブンクローの監督生だった。会えば言葉を交わしていたし、勉強を見てもらったことも何回かある。優しくて周りよりも落ち着いた先輩だ。

 

 ぐっと歯を食いしばる。まだ死んでない。まだできることはある。諦めてはいけない。私は水無月の子なのだから。

「スプラウト先生。前から探していたものが見つかりました」

「まあ、それは本当なの!?」

 図書室の奥から引っ張り出してきた図書を開いて目当てのページをスプラウトに見せる。

 

「この方法なら、マンドレイクの成長速度を速めて薬効も高められます」

「ええ、ええ、よくやってくれました! 校長、私はすぐに温室へ行かなくては!」

「よろしくお願いしよう。ミス・ミナズキもスプラウト先生を手伝って差し上げなさい」

「はい」

 少しでも早くマンドレイクを収穫して石化を解く薬を作らなければ。それが今、自分にできることだ。

 

 落ち込むのも怒るのも後悔するのも全部終わってからでいい。

 

 

 

 

 

 学校は続けられるけれど、規制が多くかけられるようになった。その中で最も弦にとって煩わしかったのは六時までに生徒は各自寮に戻らなければならないことだった。門限が早まったことで寮にとどまる生徒が増え、弦は談話室に居辛くなった。ついこの前の事件の第一発見者である弦に話を聞きたがる者が続出したためだ。弦は終始無言を貫き、テリーたちが寄ってくる生徒を追い払ってくれた。

 

 マンドレイクの世話の手伝いを続けながら、弦はずっと考えて続けていた。

 ハーマイオニーは確かに何か見つけたのだろう。では何を見つけたのか。彼女がなんの本棚を漁っていたのか弦は見ていない。彼女が消えていった方向にある本棚はたくさんあって絞りきれはしない。だが確かに何かを掴んだのだ。今回の事件に関する何かを。

 では、それは何か。

 

「ユヅル……」

 気遣うようにアンソニーが肩を撫でる。閉じていた目を開け、弦はふっと息を吐き出した。

「……ごめん。もう寝る」

「うん……いい夢を」

 思いつめすぎた。感情に引きずられすぎている。これでは冷静な判断はできない。くしゃりと前髪を握って、足早に部屋に戻った。まだ戻ってきていないパドマやリサがいない部屋はひどくがらんとしている。ベッドのカーテンをひいて頭から布をかぶった。

 

 

 夢を見た。記憶を掘り返し整理するようなそれに静かに身体を委ね、現実世界ではできないほどまでに深く思考の海に潜る。

 始まりは夏休み。ハリーのところへしもべ妖精のドビーがきた。そしてハリーへ学校に戻らないように警告をした。

 

 次はハロウィーンに起きたミセス・ノリスの石化事件。壁に描かれた文字は『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ』。

 

 次はクディッチの試合でのブラッジャーの暴走。ハリーを執拗に追いかけた。

 

 次はその日の夜に再び現れたドビー。彼はなんとしでもハリーをホグワーツから追い出したいようだった。ブラッジャーの暴走は彼がしたと本人が自白している。

 

 次はグリフィンドールのコリン・クリービーが襲われた。

 

 次はハッフルパフのジャスティン・フィンチ=フレッチリーが襲われた。

 

 次はクリスマス休暇にマルフォイが犯人でないことがわかった。

 

 次は五十年前に起こった秘密の部屋の騒ぎでは女生徒が一人だけ死んでおり、その犯人がハグリッドされたことがわかった。それを暴いたのがトム・リドル。

 

 次はハリーの日記が盗まれた。犯人はグリフィンドール生しか考えられない。

 

 次はハーマイオニーとペネロピーが襲われた。ハーマイオニーは何かをつかんでいたようだが、わからずじまいだ。

 

 今回の犯人を知っているのはドビーとマルフォイの父親だろうか。しかし彼らも誰が何をしているのかまでは知らないかもしれない。ただ彼らはそれがハリーにとって危険なことだとわかっている。

 秘密の部屋の怪物はその犯人に従っているのだろう。その怪物は人知れず現れ管理人の猫と生徒を襲った。最初の猫は実験とみて間違いない。試運転とでも言えばいいのか。それが成功したために生徒を襲い始めた。

 

 なぜ石化させたのだろう。純血主義ならばマグル追放を考えてもおかしくはない。恐怖で魔法界から遠ざけようとした? それとも単純に目障りだった?

 

 もしかして着眼点を間違えているのだろうか。

 

 純血主義でもマルフォイ家はマグル排斥派と言っても過言ではない。彼らはホグワーツにはマグルーマルが必要ないと考えているし、自分たち魔法族のほうが素晴らしいと考えている。ならば彼らは、マグルなどいらないと思っているのかもしれない。

 

 もし、殺してやろうとした結果が石化なのだとしたら? 死人が運よく出てないだけだとしたら?

 

 現場の共通点はなんだ。壁に描かれた赤い文字。石化した被害者。ミセス・ノリスのときは床が水浸しだった。コリン・クリービーはカメラをもっていたようだし、ジャスティン・フィンチ=フレッチリーはゴーストのニコラス卿と襲われた。ハーマイオニーやペネロピーは手鏡を持っていた。

 

 ゆっくりと意識が浮上する。まだ考えていたいのに、それを許しくれない何かが弦の身体を思考の海から引っ張り上げた。

 

 しかし完全に抜けきる前に、弦は海の底に沈んでいる事実を見つける。

 

 

 五十年前に死んだのが女生徒なら、その女生徒はゴーストになっていないのだろうか。

 

 

 

 

 

 目を覚ます。いつもの起床時間だ。普段よりも多く睡眠をとったからか、頭がすっきりしている。

 

 ベッドのカーテンを開けて窓の外を見た。まだ薄暗い。パドマとリサはまだ寝ているのか、それぞれのベッドのカーテン越しに二人の寝息が聞こえてきた。穏やかなそれに耳をすませて、それから最近、ハグリットが世話している鶏の時の声を聴いていないと思う。確か狐か何かに襲われてすべて殺されてしまったのだったっけ。ハリーたちから聞いたような気がする。

 

「………五十年前の事件で死んだ女生徒」

 ぽつりと口からこぼれた言葉に弦ははっとした。憑きものが落ちたように、一つの事実が見えてくる。

 

 ベッドを下りてなるべく音をたてないように身支度を整えた。その足で女子寮を出て男子寮に侵入する。

 五十年前に一人の女生徒が死んだ。トイレで、だ。ハグリッドが秘密裏に飼っていたアラゴクという毒蜘蛛のせいらしい。アクロマンチュラという種類の蜘蛛だったか。肉食で毒性は強い。

 女生徒は本当に蜘蛛の毒で死んだのだろうか。即死だったと言うが、毒ならそれらしき痕跡が残っていてもおかしくはない。アクラマンチュラの毒は他とは違う特徴もあるだろう。なんでそこに気が付かなかった!

 

 目的の部屋に入り、一番入り口に近いベッドのカーテンを引いた。

「テリー、起きて」

 気持ちよさげに寝ているテリーの身体を遠慮なく揺さぶった。

 この数日で状況は大きく変わっている。ハグリッドは重要参考人としてつれていかれてしまったし、ダンブルドアがホグワーツから消えた。理事会で懲戒免職が下されたのだ。今はマクゴナガル先生が代理として中心で指揮をとっている。

 

 テリーがうっすらと目をあけ、弦を認めて飛び上がらんばかりに驚いた。

「ユヅル!?」

「シッ、静かに」

 素早く身を起こしたテリーはまだ早い時間帯ということを理解したのか声を潜めて弦に詰め寄った。

「どうしてお前が俺らの部屋にいるんだよ……!」

「相談したいことがある。マイケルとアンソニーを起こそう」

 

 テリーと同じように二人をたたき起こす。マイケルは「男子寮に来るんじゃない!」と弦を怒ったが、アンソニーは「ユヅルって行動力あるよねぇ」と関心していた。

 三人が完全に覚醒し、なおかつ支度を整えたところで弦は相談事を持ちかけた。

「三階の女子トイレに行って確認したいことがある」

「女子トイレ? 忘れ物でもしたのか?」

「違う。そこにいるゴーストに聞きたいことがあるんだ」

「そこのゴーストって『嘆きのマートル』のことかい?」

「そう」

 

 弦はどうしてそうしたいのかすべて語った。秘密にしたまま協力してもらえることではないし、何より三人に秘密にしておくには事態が進み過ぎている。

 

「つまり、マートルが五十年前の被害者で、もしかしたら犯人も怪物も見てるかもしれないってことか?」

「うん。死因さえわかれば怪物の正体が特定できる。特定できれば移動手段もわかるはずだ」

「……わかった。ユヅルが抜け出せるように上手く立ち回るのは僕とアンソニーが適任だろう。テリーはユヅルと一緒に行動してくれ」

 マイケルの指示にアンソニーもテリーも頷いた。弦もお礼を言う。

 

 話がまとまったところでアンソニーが口を開いた。

「何か連絡手段をもてないかな? せめて危険な状況かどうかわかる手段がいるよ」

「そうだな……」

「ユヅル、何かないか?」

「…………古い手法になるけど、『両結(ふたむす)び』を使おう」

 杖を振って四本の糸を出した。それを手繰り合わせ、一本の太い糸にし、四つに分断する。それぞれ糸に三つの結び目をつくった。それを手首に巻きつけ腕輪とした。

 

「誰かの糸が切れれば、この結び目が解かれて誰かになにかがあったって知らせることが出来る」

 もともとは遠くに離れてしまう夫婦間で行われていた(まじな)いの一種だ。古い古い呪いだが、ホグワーツという特殊な環境ならその効力は確かなものになるだろう。

「よし。作戦決行は今日の午後だ。僕たち、今日の午後は授業が一つしかないから、一度寮にすぐに戻れば時間はつくれる。マイケルと僕がテリーやユヅルと行動していると思わせ、その間に二人は三階の女子トイレへ行く。ユヅルはできるだけ早く用を済ませて寮に戻ってきて」

「わかった」

「了解」

「問題ない」

 

 ことを起こしたその日に、事件は動いた。

 

 

 

 


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