その日最後の授業を終えても弦は不機嫌なままだった。
「ユヅルが怒鳴るところって初めて見た」
「俺も」
「怒ってはいるがいつもは静かに話すからな」
夕食の席でデザートに手をつけずに何かを書いていた弦は、それを終えて顔をあげた。封筒にそれをいれて鞄の中にしまう。
「それで、ユヅルさんの機嫌はなおったわけ?」
「考えるのは止めた。だけど腹立つ」
「相当だな」
「勇敢と無謀を勘違いして怪我する奴と、考えなく馬鹿やって怪我する奴は嫌いだ」
チョコレートプリンにスプーンを刺しながら、弦は苛ついた溜息をついた。
「薬だってタダじゃない。植物にしろ動物にしろ命を恵んでもらって人間に役立つように作ってるんだ。その命の重みをわかってないことに腹が立つ」
「命の恵みか……そういやそうだよな。俺らが食べてる物だってそうだし。でもマルフォイに怒ってるのってそれだけ?」
テリーが「だったら去年みたいに静かに怒るじゃん」と続ける。
「……マルフォイはわかってない。自分の影響がどこまで広がるのか」
あいつは貴族だ。それもマルフォイという純血名家の一人息子。ようやくできた子宝をたいそう大切にしていると聞く。
「自分が怪我をして、さらにいえば一方的に攻撃されたとき、どれだけ周りが動くかを知らな過ぎる。自覚が足りない。すごく無責任で、とんでもなく甘えてる」
きっとマルフォイの負傷は家に連絡が入っているだろう。学校側はそういう措置をとらなければならないだろうし、マルフォイ自身が言わなくても取り巻きが自分の親に連絡してそこからマルフォイ家に伝わる。そうなればハグリッドは糾弾されるし、実害のあったバックピークへの制裁は免れない。
「自分の言葉一つで失われる命があるってことを知るべきだ」
次の日からマルフォイの腕は布でつられるようになった。スリザリンの取り巻き達はマルフォイを英雄のように扱ってハグリッドがいかに愚かな教師もどきか詰ったが、弦が傍を通ればとたんに口をつぐんだ。あの弦の恫喝は「鷲寮の眠れる虎を激怒させた」と言われているようだった。あほらし。
二回目の闇の魔術に対する防衛術の授業では
「さて、まね妖怪について説明できる人はいるかな?」
迷わずに全員が手をあげるのでルーピンは笑って弦を指名した。
「まね妖怪は形態模写妖怪で、せまくて暗いところを好みます。出会った相手の一番怖いものを判断しそれに姿を変えますが、相手が二人以上いる場合は恐怖の対象が複数となるのでその真価を発揮することはできません。またすぐに姿を変えてしまうため、その本当の姿を見た人はいません」
「うん、そこまででいいよ。わかりやすく素晴らしい説明だった。レイブンクローに五点」
ルーピンはそれからまね妖怪を退治するための唯一の方法を話しだした。肝心なのは恐怖に代わる笑いだ。目の前のまね妖怪が愉快な姿に代わることを思い浮かべて「
一度呪文を復唱した後、生徒は一列に並ぶよう言われた。そこから一人ずつまね妖怪がいる洋服箪笥の前に出て相手をするのだ。古い蓄音器が奏でる軽快な音楽の中、一人ずつまね妖怪に挑戦していく。
まね妖怪が大蛇になった者もいれば、大百足になった者、いかついおじさんになった者、古ぼけたシーツをかぶったお化けになった者、激怒した母親になった者、怪物的な怪物の本になった者、ホグワーツの司書のマダム・ピンスになった者もいた。
弦の番がきた。直前にアンソニーが凶暴な豚を逆さ吊りにしたところだ。その前に立つと、まね妖怪はぐるぐると渦を巻いて姿を変え始めた。さて、何になることやら。
まね妖怪の動きが止まる。それは背の高い人間のようだった。黒いマントのようなもので全身を覆い、頭部らしきところには正面に鬼の面、右側面に翁の面、左側面におかめの面をつけていた。
「ああ゛ん?」
やばい、最近沸点が低くなっているような気がする。
「ユヅル、落ち着けー」
「最近怒りすぎだぞ」
「まね妖怪を木端微塵にしちゃダメだよ」
なんかあの三人も慣れてきたな。
ともかくアンソニーの言うように木端微塵にするわけにもいかないので(していいなら遠慮なくしたい)、呪文を唱えて杖を振った。その途端に三つの面が砕け散り、布は無様にひらひらと舞って箪笥の中に戻っていく。
嫌な記憶だ。弱かったときの忌々しい出来事が思い起こされる。ぎりっと歯を食いしばってそれを断ち切った。九年経ってもあれは弦の心の奥深くに突き刺さったままだ。
弦で最後だったから生徒は全員まね妖怪を相手にしたことになる。失敗した者はいなかったので一人五点ずつ与えられた。
「ユヅル」
授業が終わった後にルーピンに声をかけられた。
「はい」
「大丈夫かい? さっきのまね妖怪はずいぶん君の心を乱したようだけど」
「……まあ、思い出したくないことを思い出しましたけど、平気です。ずっと前のことですから」
忘れることなどできないだろうが、もうずいぶん前から平気なのだ。思い出すたびに恐怖よりもむかつきが湧き上がるけれども。
「ハグリッドの授業のことは聞いたよ」
「ああ、聞きましたか……」
「随分、迫力があったって」
「あれは怒ったっていうより叱ったって言ったほうが正しい気がします」
叱るほど価値があったかどうかは言わないが。
防衛術の授業は瞬く間に全校生徒の間で人気になった。ルーピンは教師としての才能が十分にあるらしい。一方で魔法生物飼育学ではハグリッドがすっかり自信を無くし、レタス食い虫【フローバーワーム】の世話ばかりになった。その幼虫の見た目から女生徒の多くは気持ち悪がり、男子生徒もつまらなそうにしている。弦はレタスをあげる傍らひたすら読書の時間となった。
また占い学のトレローニーは三年生の何人かを信者として取り込んだようで、特にブラウンとパチルは熱狂的なようだった。ハリーをいつも痛ましげな目で見るのだ。あれは可哀そうで仕方ない。双子の姉がはまっていてもパドマは冷静だった。というかレイブンクロー生は冷静だった。それは弦の言葉があったからなのだが、弦は「自寮は平和で良いね」と思っている程度だ。
そして来たる休日。弦はかなり機動性のある恰好をしていた。それはテリーたち三人も同じである。
「それでは、秘密の部屋への侵入経路捜索計画を進行しようか」
「本当にするのか……?」
「もちろん。あそこあるバジリスクの死体はまだ綺麗に残っているはずだから余さず回収する」
そのためにあの量が入る鞄をもう一つといくつもの大小さまざまな採取瓶を用意したのだから。
「でももう何カ月も前のものだろ? 腐ってるんじゃないのか?」
「魔法生物はその体に貯まった魔力の影響で通常の生物より腐敗が遅いんだ。バジリスクなら半年はそのまんまだね」
「うわあ」
弦はレグルスを影の中から出した。この子犬のことはペットとして知られている。パドマやリサにも可愛がられているようで何よりだ。
『レグルス。少し大きくおなり』
子犬サイズのレグルスが大型犬サイズに大きくなる。それに目を丸く三人に「実は犬じゃなくて魔法生物でした」と暴露する。
「うちの国では神様の領域を守る聖なる獣なんだ。秘密ね」
「いや、うん……」
「影の中に入る時点でただの犬じゃないって思ってたけど」
「まさか大きくなるなんて」
「実際はまだ大きいよ。成長途中だし」
「嘘だろ!?」
レグルスは弦がとっておいたバジリスクの毒つきの布を嗅ぐと、次に大気を嗅いで森の中へと入っていった。それを追いかける。
「バジリスクはあの地下室で永い間寝ていただろうけど、ときどきは起きて食事をしていたはずだ。脱皮には栄養が必要だろうし。ということはどこかで狩りをしていたことになる。でも私達が入った場所からは学校の中に出てしまう」
「あの地下には他にもパイプがたくさんあったよな」
「そのうちのどれかが外に通じてるはずだ。そこから侵入する」
主のいないあの部屋は薬物の材料があるというだけで弦にとっての宝物庫である。
「レグルスは今、バジリスクの毒からあの蛇の魔力を追ってる。感知能力が私よりも数倍高いからあの子に任せれば付くよ」
現在の時刻は午前七時。今日中に全て片付けば上出来だが、道のりがどれほどのものなのか予測はつかないし、バジリスクの巨体は解体するだけ手間だろう。
森の奥に侵入すればするほど野生の気配が強くなる。初めて入ったがなかなか立派な樹がたくさんある。水無月の山とはまた違った雰囲気だ。こっちのほうがどこか禍々しい。
レグルスは迷うそぶりを見せずに進んでいった。それを難なく追いかける弦。テリーとマイケルはクディッチ選手というだけあって体力がある。アンソニーはこの中で一番体力はないが、それでも十分ついてきていた。
一時間ほど歩き続けるとむき出しの岩肌が見えてきた。近づけばそこが谷であることがわかる。切り立った崖の谷間に洞窟を発見した。レグルスはそこを示している。
「あそこか」
「……雨が降ったら水が流れ込みそうなところだ。天気は大丈夫そうだけど、警戒しておいたほうがいいか」
谷底まではおよそ十五メートル。でこぼことした岩場を軽い足取りで降りていくレグルスを追って、弦も降りようと踏み出しかけて振り返った。
「ロープいる?」
「いるよ!?」
「なんでいらないと思った!?」
「いや、跳んでいけるかなって」
「いけねーよ!?」
しっかりと根を張っている大木に丈夫なロープを結び付け、それを洞窟のほうへ垂らす。降下はあっというまだった。
「次どうぞ」
「おーう」
場所を空けるために洞窟の中に一歩入った。レグルスも傍で待機している。片手に魔導式懐中電灯を持って中を照らしだせば、洞窟は緩やかに下方へ向かっているようだった。案外広い。鍾乳洞のようだ。
全員が降りてきたところでそれぞれ懐中電灯をつけて手に持った。レグルスを先頭に弦とテリー、マイケルとアンソニーの二列で進む。途中いくつか段差はあったが夜目のきくレグルスが対応してくれたので誰も落ちることはなかった。
「……」
「ユヅル、どうかしたのか?」
「灯り、消しても大丈夫かも」
「え?」
懐中電灯を消す。他の三人もわからないままそれに倣った。全ての灯りが消えても洞窟内は闇には包まれない。
眼前に広がったのは満点の星空だった。
「うそ、なんで?」
「壁に光る鉱物が混ざってるんだと思う」
「星みたいだな」
「ああ……あそこは運河みたいだ」
天井だけではない地面も同様に光る石が混ざっている。まるで宇宙に飛び込んだかのような神秘的な光景で、弦たちは懐中電灯を消したまま先に進んだ。
満点の星空を抜けても、その先に自然のつくりだす幻想的な光景は続いた。まるで大樹のような床と天井を繋ぐ石柱の森に、見渡す限り水を満たした千枚皿の広間、巨大なシャンデリアのような氷柱状の鍾乳石、風が削ったかのように滑らかな流華石の彫刻。奥に行けば行くほど、見たこともない光景を見ることができた。
どんどん高度を下げていることはわかるが、どの変なのかはわからない。ふいにレグルスが立ち止った。確かめるように大気を嗅いだ後、別れた道の中から一つを選んだ。その先は鍾乳洞ではない。冷たく暗い岩壁が続く、秘密の部屋まで続くトンネルのような場所だった。
「今までの道はバジリスクの大きさなら通るのは十分だった」
「……ちなみにバジリスクってどれだけ大きかったの?」
「それは見てのお楽しみ」
胴体は一部爆破されて四散してるけどな。
時計を見れば午前九時。ここまで片道二時間か。疲労も考えれば帰りは多く見積もって三時間だろう。
「ちょっと休憩にしようか」
「賛成」
「さすがに疲れた」
「お茶でも入れる?」
「クッキーもあるよ」
「なんであるんだ」
「アンソニーもユヅルもどこでもお茶しようとするよな」
「魔法って便利だよね」
「学校だと自分で準備できるから楽しいよ」
あっという間に出来上がった
「とりあえずここまでで二時間。結構降りてきたはずだからもう少しだと思う」
「正午までにつくといいよね。解体作業がどれだけ時間かかるかわからないし」
「そこからまたこの道を戻るんだろ? 疲労も考えてだいたい1.5倍くらいかかるか」
「クディッチの練習が始まる前の準備運動にしてはハードだな」
そういえばそろそろクディッチチームはシーズンに向けて張り切る頃合いか。
「二人は変わらずビーター?」
「そうだな。先輩方はそのつもりらしいぜ」
「シーカーの補欠は変わりそうだ。ほら一つ上のチョウ・チャン」
「ああ、あの先輩。そんなに上手いの?」
「まあ、速いな」
「俺としてはユヅルに出て欲しいんだけど」
「興味ない」
「言うと思った」
スポーツをするより勉強がしたい。本が読みたい。その気持ちが顔に出ていたのか三人は笑った。
「そういえば、ユヅル。この前、デイビースに声をかけられていなかったか? ほら、六年のロジャー・デイビース」
「……ああ、あの人か」
「あの人、かなりナルシストだよな」
「だな。あとついでに自分の容姿にあう女を捜してる」
「二人とも、同じクディッチチームの先輩なんだよね?」
「プレーはセンスあるぞ。ただ性格がな……」
「チームプレーは上手い。他のメンバーが女子なら尚更」
「ああ、うん、なんとなく想像できるね」
「それでなんの話だったの?」
「次のホグズミードに一緒に行かないかっていうお誘い」
「……はぁあ!?」
三人の声が洞窟に反響してぐわんぐわんと鼓膜をゆする。
「っ、何?」
うるさいんだけど。耳を抑える弦にかまわず三人は身を乗り出した。
「おま、お前っ!」
「断ったんだろうな!?」
「あの先輩に何もされなかった!?」
「いや、とりあえず落ち着けば?」
三人の口にクッキーをつっこんで塞ぐ。それを咀嚼し終わる頃に紅茶を渡し四人で同時に口を付けた。ふう、落ち着く。
「話は断ったよ。そもそも今年はホグズミードには行かない予定だったんだ。許可証にサインももらってない」
「え、ユヅル行かないのか?」
「行かない。気分じゃないから。あそこで買いたいものもないし、だいたいは梟通販で揃うから」
「ええ、俺この四人で行くって楽しみにしてたんだけど」
テリーの不満そうな声に弦は「来学年以降よろしく」と返す。
「たとえ行ったとしてもあの人の話は断ったよ。ろく話したこともなかったし」
「それは正解だ。というかあの先輩は眼鏡をとったからユヅルに話しかけたんじゃないか?」
「……そういえば『どこに隠れていたんだい?』って言われたな」
「なんて返したの?」
「『もともといましたけど』」
「あははは!」
行かない理由はなんとか流せたか。別に話してもよかったんだけど、気をつかわれるのもなあ。今年中には話そう。たぶん。
探索はやはり順調だった。邪魔するようなものが少ないのがその理由だろう。バジリスクのあの巨体を通してきた道は余計な障害などない。
「あ、パイプ!」
テリーがそう声をあげ、そこを照らしだす。確かにそこにはパイプがあった。
「この先が秘密の部屋かあ」
「ちょっとわくわくするな」
「スリザリンの銅像あったよ」
「お、うちの銅像と比べてみようぜ」
談話室にあるレイブンクローの銅像とはまた一味違う雰囲気なのだが、まあそれは造った者の性格だろうな。
パイプはほんの少しの上り傾斜があるくらいで、あとは曲がると言うこともなった。ただひたすらまっすぐだったのだ。
いくつかのパイプと合流する地点へときて、そこからさらに奥に進むと目的の部屋に辿り着いた。相変わらず陰気な場所だ。
対となっている柱が並ぶ薄暗い部屋。明かりが不十分だと杖を振っていくつかの光球をつくりだすと部屋の全貌がよく見えた。
まず天井は高い。およそ三階分。薄暗いままだと見えなかったが、画が描かれていた。
「おい、これ……」
「ホグワーツの歴史……?」
「創世記か……?」
「…………ああ、なんだ」
なんだ。あのサラザール・スリザリンも、ホグワーツを愛していたのか。
別々の場所から来た四人が出会い、共に切磋琢磨して一つの城を築きあげる。次第に人は集まり、けれども思想の違いから反発しあい、最後はサラザール・スリザリンとゴドリック・グリフィンドールの決闘となった。木はなぎ倒され、地面は抉れ、水は吹き飛び、炎が揺らめくその決闘はグリフィンドールの勝利となり、スリザリンはこの部屋にバジリスクを残して学校を去る。約千年前の物語。
「あそこ。二人が杖を重ねてる。『断琴の交わり』の情景じゃないかな」
アンソニーが指さした場所を見れば、確かに男二人が杖を重ねている。日本で言う武士が刀の峰を打ち鳴らす
「というか、なんでそこまでして決闘? グリフィンドールとスリザリンって最初っから仲悪そうだけど」
「いや、そうでもないよ。マグルへの差別意識がなかったのはヘルガ・ハッフルパフだけだって言われてる。あの当時は魔女狩りもあっただろうし、マグルに対して良くない感情を持っていたはずだ」
ただ純血至上主義か、そうでなかったかの違いだけだ。
「仲のいい人間が、一度ひどく仲違いすると関係修復には時間がかかる。信頼している相手ほど特に。可愛さ余って憎さ百倍って言われるぐらいだからな」
「そうか……何も最初から、仲が悪かったわけじゃないんだな」
「思想の違いはしょうがないよなあ。ただそれを他人に押し付けるのはやっぱ違うし」
「それだけわかってれば十分だよ。さて、バジリスクの状態を確認する」
「あ、目的忘れてた」
光球をバジリスクの周囲に集める。その遺骸は朽ちている様子はなかった。
「うわ……うわあ……」
「でかい。え、こんなでかいのと戦ったのか?」
「おい。バジリスクと部屋の一部が抉られてるんだが」
上手く言葉の出ないアンソニーに、バジリスクの大きさを目の当たりにして驚くテリー、そして冷静に部屋の様子とバジリスクの意外を観察して疑問を口にするマイケル。その三人の様子に弦は解体準備をしながら丁寧に答えた。
「戦ったのはハリーとダンブルドアのペットの不死鳥と私の守護霊の虎だ。トドメをさしたのはハリーだって言っただろう。私はその間、日記のトム・リドルとやりあってた」
「なんでそれで抉れるんだ!」
「爆破しちゃった」
軽く言ってみたのが悪かったのか。三人がドン引きしている。
「なんだ。爆破は有効な攻撃手段だぞ。魔法薬を合成するだけで起こるし。ああ、でも去年は魔法薬と呪文を合わせて爆破したんだっけ。私の爆破呪文はまだ威力が弱いからなあ……」
せいぜい威嚇ぐらいしか使えない。
「いや、もう、ほんと……俺、お前が戦ってるところは見たくないわ」
「巻き込まれて爆死とか嫌だな……」
「……ユヅル。お前の持ってる薬の中で混ぜれば爆発するのはいくつだ?」
「ばっ、聞くなよ!」
「半分」
「そして答えるな! しかも半分!? お前、いくつ薬持ってると思ってんの!?」
テリーが頭を抱えて「やだもうこの子! 人間凶器!」とうずくまった。
「なんで。試作品をもったいないから有効活用してるだけなのに」
「その有効活用が爆破か……」
「それだけ聞くとユヅルってば爆弾魔みたいだね」
「……そもそも私は戦闘向きじゃないんだ。本業は薬師なんだから」
「俺たちの常識の薬師とユヅルがあまりにも違いすぎるんだよ!」
マイケルの渾身の叫びにアンソニーもテリーも頷いている。それにはさすがにむっとして、弦も言い返した。
「そもそも私の代わりに前衛に出る人間がいなかったから私が戦ったんだ。私以外に適役がいたらサポートに回る」
「サポート? そう言って火炎瓶的な何か(それよりもはるかに凶悪)を投げるんだろう!」
「というか普通、サポート役は前衛で戦えるほど強くないからね!?」
「私の国では私より強い人間なんてごろごろいる!」
「お前の国なんなの!?」
最終的に四人は肩で息をきる状態だった。ぜいぜいと荒い息遣いだけが部屋に響き、それを整えた頃に弦は時計を見た。昼には少し早いが、もうこのさいお昼にしてしまおう。
「昼食にしよう」
「ここで? まあ、いいけど」
「解体はいいの?」
「解体を見たあとで食欲がわくならやるけど」
「昼食にしよう」
光球がなくならないよう順番に補充しつつ、早起きして厨房でつくった弁当を広げた。和食である。
「解体にはどれくらい時間がかかりそうだ?」
「……多く見積もって二時間かな」
「ここまでくるのに片道四時間ちょっとだから、夕食に間に合うぎりぎりってとこかな」
「間に合わなかった厨房行こうぜ」
昼食を食べ終わって、解体用の手袋をつける。どんな劇薬でも解けないすぐれものだ。ただしその耐久力は消費期限があるので注意。解体ナイフも同様に。回収するのは血と内臓の一部と骨と牙、そして鱗だから、消費期限期間が一年のこの二つのアイテムは十分にもつだろう。
解毒作用のある薬を全員で服用し、なおかつ口と鼻を布で覆う。この布には解毒薬が染み込ませてあった。至近距離で解体する弦だけゴーグルをかけ、さらに服の上からつなぎを着こむ。準備は万端だ。
「それじゃあ、明かりを切らさないようにお願い」
「了解」
「レグは周囲の警戒ね」
「ワン」
さて、やりますか。
血液をできるだけ瓶につめてその都度、劣化防止札を張っていく。内臓もおなじ処理をした(毒袋が回収できたことには思わずガッツポーズを決めてしまった)。鱗は傷がつかないよう丁寧に剥がし、牙は全て抜く。
「ふう……」
「終わったか?」
「いや、まだ骨が残ってる」
肉は使い道がないので回収しない。だが肉が邪魔で骨がとれないのだ。そこで使うのが用意していた御札だ。
「それは?」
「劣化を促進させる札だよ。こういう大型生物の解体のさいに使われるものなんだ。ほとんどの生物の肉は食用になっても薬用にはならないから。骨とかのほうがまだ使い道があって、それを取り出すために肉を排除する。そのときに使われるのがこれ。要は遺骸の時間だけを早めて肉を腐らせて骨だけにする札」
人間に使えば言わずもがな、骸骨の出来上がりである。
「そ、それ、かなり危険なしろものなんじゃ……」
「そうだね。解体以外で使われるのは禁止されてるし。作るのもすごく難しい札なんだ。これは私の家に残ってたもの。祖母が作り貯めていたやつからもらってきた」
「つまりお前の家にはそういう品物がごろごろあると?」
「万一にも盗まれちゃいけないから厳重に保管してる。私もこういうの作れないとやっていけないから夏休みはひたすら修行だね」
「ユヅルも大変そうだな」
「まあまあかな。楽しいことも多いし」
札をバジリスクの額に張りつけ素早く離れる。蒸気をあげて遺骸は腐っていった。杖を振って腐敗臭を集めて瓶に閉じ込める。蓋の上から密閉するために札を張れば臭いは外に漏れない。
部屋に残されたのは大きな骨だけだ。
「……刺激臭爆弾」
腐敗臭のつまった瓶を見つめてぽつりと零した弦の後頭部をマイケルがはたいた。
「止めろ」
「何でも武器にするの止めようぜ」
「しかも刺激臭って地味にキツイよ」
「んー」
それでもいそいそと鞄にしまいこむ弦に三人は諦めたような遠い目をしていた。されている本人はまったく気付いていないし、気付いたとしても意にも介さないだろう。
あとは骨だけなので三人も手伝ってくれるという。手袋をしっかりしていることを確認し、弦はナイフで大きすぎるものを切り刻んでいく。
「そのナイフの切れ味おかしくない!?」
「おかしくない。だって解体用のものだから。頑丈な骨も切断できる優れもの」
「やっぱお前の国っていろいろおかしいって……」
「僕はもう常識に当てはめることを諦める」
解体作業は思ったよりも早く終わった。時刻は午後二時。上々だ。
バジリスクの遺骸が無くなった部屋はとても広く感じる。所々が破壊されているのはしょうがない。あれは死闘だったのだ。
最後にサラザール・スリザリンの銅像に黙祷を捧げ(これ本当に本人かと首を傾げていた三人を黙殺)、足早に秘密の部屋を去った。
帰りでもやはり途中で休憩をいれる、かと思えば全員一致でさっさと地上に帰ろうということになった。普段は高い所で寝起きしているからか、穴倉生活には向かないようだ。
パイプ、洞窟、鍾乳洞すべてを抜けてようやく戻ってきた時、空は夕暮れに染まっていた。
「腹減ったー!」
「もう広間に行ってようよ」
「そうだな。ユヅルもいいだろう?」
「うん。鞄の中身さえ見られなければ」
「それ見られたら俺ら全員謹慎じゃ済まないな」
「俺、退学になったらいっそのことユヅルの国に行こうかな。楽しそう」
「あ、いいかも」
「いいんじゃない。こっちよりは色々自由だよ」
「それはいいな」
協会に個人登録してしまえば伝手もできる。個々の特性にあった仕事も山ほどあるし。
広間に行って夕食をとり、寮に戻って回収したものが詰まった鞄をトランクに投げ入れる。シャワー浴びてベッドに入れば泥のように眠ってしまった。