見える世界が歪んでる   作:藤藍 三色

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第十二章

 

 

 

 

 休暇が終わった。戻ってきたテリーたちに、誰もこないよう人避けをして防音呪文を施した空き教室で弦はハリーから聞いた話を話した。

 

 シリウス・ブラックとジェームズ・ポッターは学生時代誰もが知っている親友同士だったこと。ピーター・ペティグリューはその二人のあとをついてまわるような友達で、落ちこぼれだったこと。ポッター夫妻の隠れ家を守る秘密の守り人がブラックだったこと。その裏切りを知ったペティグリューがブラックを追いつめ、小指一本を残して死んだこと。

 

「ハリーには少し話をして、今は落ち着いている。むやみやたらとブラックを追いかけるような様子じゃないよ」

「なら当分は大丈夫か。今週から始まるんだろう? 吸魂鬼対策」

「うん。木曜の午後八時に魔法史の教室で。私も呼ばれてる」

 ホットチョコレートを準備していく所存である。

 

「それにしてもこの写真のちっこいやつがペティグリューねぇ」

 例の写真を眺めてテリーはぼやいた。写真の中の四人は確かに友達に見えるのだ。

「二人は死んで、一人は脱獄犯、もう一人は教師かぁ。この中だとルーピン先生が一番不憫だね」

 言われてみればそうかもしれない。きっと四人はルーピンが人狼であることを知っている。それでも友達だったのだ。その唯一無二の親友を二人も失い、それが残った親友の仕業だと知ったルーピンの気持ちはどんなものだろう。

 

「……あっ!」

 そこで弦は声を上げた。突然のそれに三人が驚き弦を凝視するが、彼女は苛ついたように綺麗にしたテーブルを叩いて「私は馬鹿か!」と嘆いている。

「どうした?」

「ペティグリューが親友だったなら彼も動物もどきだった可能性がある!」

「ああっ!」

 今度は三人も「俺たちは馬鹿か!」と嘆いた。

 

 三分ぐらい自虐してから気持ちを落ち着け、話し合いを再開させた。

「よし。ここまでで私が感じた不可解な点が二つある。一つはペティグリューの殺され方」

「爆死が不満か?」

「そうじゃないよ。殺し方があまりにも綺麗じゃないことが問題なんだ」

 何故、わざわざ目立つ爆発を起こして殺したのか。

 

「ペティグリューはブラックよりも弱かったはずだ。闇払いに入れたブラックには到底敵わなかっただろう。ならブラックは爆発なんて目立つ真似をしなくても、『死の呪文』一つで簡単に殺せたはずだ」

「それは……確かに」

死喰い人(デスイーター)ならそうするよな」

「逃亡中だったんだからそうしたほうが自然だね」

 

「うん。だからそこがひっかかる。それに死体が小指一つしか残らなかったこともおかしいんだ。クレーターが起きるくらいの爆発で全身が四散しているなら、大量の血が残っているはずだし。何より周りのマグルの死体が残っているのにペティグリューだけ消し飛んでいるのは不自然すぎる」

「……なあ」

 ふいにテリーがあまりにも不快ですという顔をした。

 

「どうしたの、テリー」

「あのな。考え付いた俺でも気分のよくない話なんだけど……もし、ペティグリューが動物もどきだと仮定して、小指を切り落として動物になって逃亡したってことならその説明にならないか?」

「ああ、それは私も考えた。つまり、ペティグリューは死んでいなくて、生きているってことだろう。まあ、その話はあとだ。たぶん合ってるし」

 

 そう考えたら不思議と全部繋がるような気がするのだ。

「不可解な点の二つ目は、ブラックが秘密の守り人だったことだ」

「それが不可解?…………もしかしてあまりにも単純すぎるってこと?」

「その通り。ブラックとハリーの父親が親友であることは周知の事実だ。ポッター夫妻が隠れたのなら、親しい関係だったブラックが居場所を知っていると誰もが考えただろう。とくに闇側は」

 

「僕なら意表をついて別の人間を秘密の守り人にするな……まさか」

 マイケルが「ペティグリューがそうなのか?」と言った。それに弦も頷く。

「あくまで推理だけど、それが一番しっくりくる気がする」

 ブラックではなくペティグリューが秘密の守り人で、裏切ったのはブラックではなくペティグリューだったら。

 

「ペティグリューはブラックに罪をきせるためにブラックの前で死を偽装して、さらには周りのマグルを巻き込んで罪を重ねさせたってことか」

 なんて人だとアンソニーが顔を青くする。テリーもマイケルも嫌な奴と言いたげに憮然としている。弦も同感だ。

「もしかしたらペティグリューはもともと裏切っていたのかも。だからあの日、ポッター家を襲撃した闇の帝王が倒れたと知ったから自分は死んだことにしたのかもしれない」

 

「闇の帝王の死を招いたと知られたらかつての仲間に報復されるのは間違いないな」

「でもすべての真実を知っているブラックが十二年もの時を待って脱獄した。あとはその理由だけか」

「なんで今なんだろうな。それとどうしてホグワーツまで来てるのか、か」

「ペティグリューが紛れ込んでるとか?」

「生徒のペットに?」

「探すのは時間がかかりそうだな」

 

 冤罪のシリウス・ブラック。裏切りを選んだピーター・ペティグリュー。何も知らないリーマス・ルーピン。そして死んだジェームズ・ポッター。この中で救われるのは二人だけだ。

 

「ブラックが脱獄したなら、彼が再び捕まるか、それともペティグリューを追いつめるか。どちらにしろ事態は動く。私はハリーたちが無事ならそれでいい」

 

 そう、弦にとっては大人たちの争いなどどうでもいいことだ。ただ、子供である自分達がその争いのせいで命を落とす事なんてあってはいけない。死にたいなんて誰も思っていないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 木曜日となって、弦はハリーと共に魔法史の教室へやってきた。部屋は暗く弦は燭台に炎をともして室内を明るくした。五分ほどでルーピンがやってくる。その手には荷造り用の大きな箱があり、彼はそれをビンズ先生の机の上に置いた。

 

「何ですか?」

 ハリーの問いかけにルーピンはマントを脱ぎながら応える。

「またまね妖怪(ボガート)だよ。火曜日からずっと、城をくまなく探したら、幸い、こいつがフィルチさんの書類棚の中に潜んでいてね。本物の吸魂鬼に一番近いのはこれだ。君を見たら、こいつは吸魂鬼に変身するから、それで練習できるだろう。使わない時は私の事務室にしまっておけばいい。まね妖怪の気に入りそうな戸棚が、私の机の下にはあるから」

 

 なるほど、まね妖怪か。確かにいい練習台だと弦は思った。しかしハリーは自分の恐怖が吸魂鬼であることを少し気にしているようだった。その肩を叩きつつ、ルーピンの説明をしっかり聞くよう促す。

「さて……ハリー、私がこれから君に教えようと思っている呪文、非常に高度な魔法だ。いわゆる『普通魔法レベル(ふくろう)』資格をはるかに超える。『守護霊の呪文(パトローナス・チャーム)』と呼ばれるものだ。ユヅル、お手本をみせてもらえるかな」

「はい」

 

 杖をかまえて呪文を唱える。

「エクスペクト・パトローナム」

 杖先から白銀の光が飛び出し、大きな虎へと姿を変えた。虎は従順に弦の傍に控える。

 

「呪文がうまく効けば、守護霊が出てくる。いわば吸魂鬼を祓う者―――保護者だ。ユヅルの守護霊は虎の形をとった。この呪文のおもしろいところは、人によって守護霊の形が違うことだね」

 大虎が弦の手を強請るので、弦はその鼻の筋を撫でた。

 

「守護霊は一種のプラスのエネルギーで、吸魂鬼はまさにそれを貪り食らって生きる。希望、幸福、生きようとする意欲などを。しかし守護霊は本物の人間なら感じる絶望とうものを感じることができない。だから吸魂鬼は守護霊を傷つけることはできない。ただし、ハリー、一言言っておかねばならないが、この呪文は君にはまだ高度すぎるかもしれない。一人前の魔法使いでさえ、この魔法にはてこずるほどだ……うん、そのはずなんだけど」

 

 ルーピンが弦とその隣の守護霊を見た。

「あ、大丈夫です。ユヅルは規格外ですから」

「いい度胸だな」

「じゃあ、ユヅルってそれいつ習得したの?」

「二年生の半ば」

「ほらやっぱり! 君ってちょっと普通じゃないよ!」

「『生き残っ()た男の子()』には言われたくないね!」

 二人の様子にルーピンはくすくすと笑った。それから教えの続きを施す。

 

「呪文を唱えるとき、何か一つ、一番幸せだった想い出を、渾身の力で思いつめたときに、初めてその呪文が効く」

 ハリーは少し考えた後、何か思い浮かんだようだった。それから呪文を幾度か唱えれば杖先から白銀の煙のようなものが出た。それを見てハリーの顔に喜色が浮かぶ。

 

 次にまね妖怪で実戦練習となった。弦は少し離れた場所で、いつでも虎が動かせるように準備をする。その手はホットチョコレートの入った魔法瓶をしっかりと持っていた。

 箱から吸魂鬼の姿をしたまね妖怪が出てきた。そっくりである。即座に第三の目を開眼させる。成程、本物のほうが禍々しい魔力である。なにやらその中心に別の形が見えるが、それがまね妖怪そのものの姿なのかはわからなかった。

 

 ハリーが床に倒れた。虎がまね妖怪に襲いかかり、箱の中に戻した。蓋をしめたルーピンがハリーに駆け寄る。

「ハリー!」

 幾度かの呼びかけで気絶していたハリーが目を覚ました。起き上がるので椅子に座らせ、マグカップにホットチョコレートを注ぐ。

 

「はい、どうぞ」

「ありがと……」

 もう一度挑戦したが、ハリーはやはり倒れた。今度弦が叩き起こしてその口にチョコレートを突っ込む。

「父さんの声が聞こえた」

 ぽつりと零したハリーの呟きにルーピンが反応したが弦は無視した。ハリーも自分のことに一杯いっぱいで気付いていない。

 

「父さんの声は初めて聞いた。母さんが逃げる時間を作るのに、独りでヴォルデモートと対決しようとしたんだ……」

「うん。それがあったから君が生きている。続ける? それとも止めるか?」

「続ける! 僕が考えた幸せは、ちょっと足りなかったみたいだ。別のことを考えてみる」

「よし」

 

 次の挑戦で、ハリーは守護霊を盾の形にしてみせた。それはまね妖怪の動きを完全に阻んだ。弦の虎がまね妖怪を再び箱の中に押し込み、きっちり蓋がしまった。

「よくやった!」

 ルーピンが心底嬉しげに声をあげた。

「よくできたよ、ハリー! 立派なスタートだ!」

 

「もう一回やってもいいですか? もう一度だけ?」

「いや、いまはだめだ」

 今日はこれでおしまいだとルーピンは言う。弦も頷いた。もう始めてから二時間が経過していた。

「ハリー。今日はもうやめよう。君の身体が限界だ」

 その日、ふらつくハリーをグリフィンドールまで送ってから弦は寮に戻った。

 

 ハリーの守護霊の盾は確かに機能していた。ただしそれは弦が呼び出した守護霊より弱い。もしかしたらこれから先、彼は苦労するかもしれない。弦がそうだったように。

 弦の予想通りハリーは次からの対吸魂鬼訓練で行き詰った。

「高望みしてはいけない」

 生チョコを食べるハリーにルーピンは言った。

 

「十三歳の魔法使いにとって、たとえばぼんやりとした守護霊(パトローナス)でも大変な成果だ。もう気を失ったりはしないだろう?」

 確かにハリーは気絶することはなくなった。しかしハリーの盾は吸魂鬼が近づくのを阻むだけで、その盾の形を維持するだけでかなりのエネルギーを消耗するようだった。弦のように守護霊を実体化できず、吸魂鬼を追い払えないことにハリーはがっかりしていた。

 

「僕、守護霊が吸魂鬼を追い払うか、それとも連中を消してくれるかと、そう思っていました」

「本当の守護霊ならそうする。しかし、君は短い間にずいぶんできるようになった。次のクディッチ試合に吸魂鬼が現れたとしても、しばらく遠ざけておいて、その間に地上に下りることができるはずだ」

 

「あいつらがたくさんいたら、もっと難しくなるって、先生がおっしゃいました」

「君なら大丈夫だ。さあ、ご褒美に飲むと言い。ユヅルもだ。『三本の箒』のだよ。今までに飲んだことがないはずだ」

 

 ルーピンが鞄から三本の瓶を取り出し、ハリーと弦に一つずつ渡してくれた。それを受け取ってハリーが「バタービールだ!」と言い、思わず口を滑らせた。

「ウワ、僕大好き!」

 馬鹿だ。案の定、ルーピンが不審そうに眉を動かしている。すかさず弦がフォローに入った。

 

「ハーマイオニーやロンがわざわざ上級生に頼んで買ってきてくれたんです。これは飲まないと損だって。ありがとうございます、ルーピン先生」

 さらりと嘘を言って笑った弦の横でハリーも慌ててお礼を言った。

 

 納得したルーピンが仕切り直す。

「それじゃあ、グリフィンドールとレイブンクローの健闘を祈って。私は先生だからどっちかに味方できないんだ」

「ルーピン先生はグリフィンドール出身だって聞きましたよ。出身寮なのだからそっちを応援してもいいと思います。私、選手ではないですし」

 

「ユヅル。そんなこと言ったらブートとコーナーに怒られるよ」

「あの二人は私がクディッチにそこまで熱狂的じゃないことを知ってるから問題ないよ。ハリーこそ、明日のブラッジャーには気を付けたほうが良い」

「わかってる。あの二人、ジョージとフレッドぐらい手ごわいから」

 弦は初めてバタービールを口にした。うん、確かに美味しい。

 

「吸魂鬼の頭巾の下には何があるんですか?」

 ハリーがおもむろにそう尋ねた。ルーピンは考え込むようにしてから答える。

「うーん……本当のことを知っている者は、もう口が利けない状態になっている。つまり、吸魂鬼が頭巾をとるときは、最後の最悪の武器を使うときなんだ」

「どんな武器なんですか?」

 

「『吸魂鬼(ディメンター)接吻(キス)』」

 前に読んだ本からの知識をなぞれば、ルーピンは頷いた。

「その通り。吸魂鬼は、徹底的に破滅させたい者に対してこれを実行する。たぶんあの下には口のようなものがあるのだろう。やつらは獲物の口を自分の上下の顎で挟み、そして餌食の魂を吸い取る」

 

 霊的な視点から見れば人の口は入り口の一つに過ぎない。死んだら魂が口から出ていくと言うマグルの創作にもその影響はおよぶほど昔から言われてきたことだ。ルーピンの言う通りあの襤褸の下に口のようなものがあるなら、それを使って魂を吸い取るのは納得がいく。

 

「殺されるんですか?」

「いや、そうじゃない。もっとひどい。魂がなくても生きられる。脳や心臓がまだ動いていればね。しかし、もはや自分が誰なのかはわからない。記憶もない、まったく……何にもない。回復の見込みもない。ただ、存在するだけだ。空っぽの抜け殻となって。魂は永遠に戻らず……失われる」

 

 ハリーはぎゅっとバタービールの瓶を握った。

「シリウス・ブラックを待ち受ける運命がそれだ。今朝の『日刊預言者新聞』に載っていたよ。魔法省が吸魂鬼に対してブラックを見つけたらそれを執行することを許可したようだ」

 それは購読を続けているアンソニーから聞いていた。「もし冤罪なら魔法省の汚点がまた一つ増えるな」とマイケルの言葉に揃って溜息をついたのだ。

 

「……」

 ハリーはぎゅっと目をつぶった。そして絞り出したような声で言う。

「ねえ、ユヅル」

「ん?」

「ブラックは、そうなるべきだと思う?」

 

 このとき彼が何を思っていたのかは、弦にはわからなかった。だから正直に自分の考えを話す。

「思わないよ。ブラックが大勢の人を殺したなら、寿命が尽きるその時まで、生きて苦しむべきだ。簡単に殺すべきじゃない」

 父を殺した男のことを弦はそう考えている。顔を見たことがない、話したこともない男が簡単に死んでしまうことを弦は望んではいなかった。

 

 その身が擦り切れ心が砕けるまで苦しんで苦しんで、そのまま死んでいけばいいと心底願っている。

 

「人は魂とそれを入れる器を持って生まれてくる。このとき与えられる名前は器の、つまり身体の名前だ。だから名前を知られれば身体が縛られ操られることもある。だが完全じゃない。一方で魂のほうの名前を知られてしまえば、その人間は魂そのものを掴まれて思うがままにされてしまう。これを日本では『真名』と呼んでいる」

 

 水無月弦というのはあくまで体の名前で、弦の魂の名前は別にある。弦は自分の魂の名前を知らなかった。

「生まれながらに『真名』を知っている人は少ない。その人達はそれがどれだけ大切なものかを知っているから決して口にしたりはしないし、他人に教えることはない。とても危険だから。もちろん、身体の名前も使いようによってはとても危険だ」

 

 このとき弦は告げなかったことがある。名付けによる縁のことだ。ハリーの名はシリウス・ブラックがつけた。名付け親と名付け子という縁が二人の間には確かにできているのだ。

 

「名前と魂は密接な繋がりがある。そして魂は巡るものだ。死んだら冥府へ導かれ、そこで裁かれる。罪を犯していないなら次の生へ、犯したならそれを償う。でも『吸魂鬼の接吻』はその巡りを切って、魂そのものを消滅させるんだ。だからとても怖いことなんだよ」

 彼らのような存在は輪廻転生の巡りを壊してしまうものだ。だから忌々しく、そして同時に恐ろしい。

 

「どんな生物にも魂は存在する。それは大きな巡りの中をそれぞれの速さで巡っているから、この世界が成り立っている。私の命も、ハリーの命もその巡りの一部にすぎないんだ。途方もなく大きくて広い世界の話だけど、そう考えてみればちょっとした悩みは吹っ飛ぶよ」

 気が滅入ったら空を見上げてみればいい。そう言った弦にハリーは笑って頷いた。それをルーピンは微笑んで見つめていた。

 

 

 

 

 


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