「本当に、この額でよろしいのですか?」
なんだか申し訳なさそうな口ぶりで、帝国製鉄社長である永田氏は言った。眼鏡を掛けて、髪を真ん中で分けた壮年の男は、紺地にストライプの入ったスーツを着て、下にはのりの効いたワイシャツ、青と紺の落ち着いた色のネクタイを締めている。まさにサラリーマンの典型のような人物だった。
話の相手である男は、アイスブルーの瞳で真っ直ぐに相手を見据えながら、静かに頷いた。
「ええ、勿論、我々はあの憎むべきBETAと戦うために、一刻も早くこれが増産される事を願っています」
「勿論、お任せください」
はっきりと答えて永田氏は相手と硬い握手を交わした。横浜絡みの企業、しかも外国人と言うこともあって最初は敬遠していたが、この物静かな客人が持ち込んだデータと試作品は素晴らしいものでことは元より、何より信頼を深めたのは、目の前にいる男の日本文化への造詣の深さだった。
始まりは社長室に飾ってあった、あまり有名でない風景画家の掛け軸からだった。そこから焼き物やらの古物談義に花を咲かせてすっかり仲良くなってしまった。そんな相手が売り込んできた商品がまた素晴らしかったのだから、これは買わねば愚か以外の何者でもない。
それが安いとあっては、申し訳なくすらなっている。結局商談は技術料+製品収益の15パーセントいう条件で落ち着いた。山分けするなら収益の30でも良いくらいなのだが、こちらも商売人ということだ。
「では、商談成立ですな」
「ええ、いい取引をさせていただきました」
そう言って、相手を本社ビルの出口まで見送ると、深く息を吸った。
「後はどうやって、国粋派の石頭連中を説得するかだな」
頭の痛いことにはこと欠かない。だが、それ以上にもたらされたものの大きさを考えれば年甲斐もなく胸が躍っていた。
帰りの車の中で、マ・クベはホッと息をついた。
「いかがでしたか?」
運転席のウラガン大尉がバックミラー越しに尋ねる。
「商談はまとまった」
「それはそれはめでたい事ですな」
いつの間に乗り込んでいたのだろうか、片側に乗り込んでいたのは、灰色のトレンチコートに中折れ帽、茶色のスーツ姿の男だった。
「!?」
「……なっ!?」
「前を見て、運転していただきたい」
謎の男が静かに告げる。見るとコートに突っ込まれたままの男の右手が、不自然なふくらみをマ・クベに押し当てている。
「…………」
「始めましてマ・クベ中佐。帝国情報省外務二課課長の鎧衣と申します。このような形で残念ですが、少々お聞きしたい事がありまして」
飄々としてつかみどころの無いその男は、まるで名詞でも差し出さんばかりに、そう言った。帝国情報省、いつかは来ると思っていたが、思ったより優秀らしい。一瞬も気配を悟らせずに同乗した手際といい、一筋縄でいく相手ではない。
「私に何か? わざわざこんな方法を取らなくても、上官の香月大佐に聞かれればよろしい」
「なかなか、奥ゆかしい女性ですので」
「……それで、何をお聞きになりたいのかな?」
「奥ゆかしくて口の固い女性と言うのは大変魅力的だ。内の娘のような息子、いや、息子のような娘にも見習わせたい」
まるで突拍子も無い内容を口にする男に、ウラガンがイラついたような目線を向ける。バックミラーを通じて、マ・クベはそれを目で制すと、静かな口調で言った。
「その奥ゆかしい女性からは、我々の事をなんと?」
「藪をつついて蛇を出さないようにとの忠告は受けました」
「……私が思うに、香月大佐は的外れな忠告をする方ではないと思いますが」
「それゆえにです。帝国の大事を請け負う企業に、毒蛇が近づいているなら、放っておくわけにはいきません。害獣駆除は役所の仕事です」
「アスクレビオスに医術を教えたのも、イブに知恵の木の実を教えたのも蛇です」
「ならば、悪魔と言うことですな。恐ろしいことです」
「例え、異形であろうとも、『ネズミ』を喰らうそれを農耕の守り神としたのは、お国の古き信仰だと聞きますが」
鎧衣氏は少し驚いたような顔をすると、苦笑を浮かべながらマ・クベを見た。
「これは一本とられましたな」
続いて表情を引き締めると真っ直ぐにマ・クベの眼を見据えた。何の色も無い、ガラスのような視線がマ・クベに突き刺さる。
「単刀直入に聞きましょう。あなた方は何者ですか?」
答えようによっては、この場で命を貰うと言わんばかりに、無言の圧力がたたきつけられる。凄まじいまでの緊張感が時間を凍りつかせたかのようにこの場を支配していた。
ウラガンは、振り向く事さえできずに、その場のやり取りを聞いている。いつの間にか車は路肩に停車していた。常人ならば、この場を生き残る術を考える為に、必死で考えをめぐらせなければならなかっただろう。
だが、この場にいるのは、南極条約締結や地球侵攻、オデッサ防衛、数々の謀略の中を駆け巡った元ジオン公国軍中将マ・クベその人である。
はっきりとした声で、マ・クベは答えた。
「我々の仕事は、『BETA』と戦争をする事です。他にご質問は?」
「……まったく、痛いところをつかれ通しですな。なら、我々の利益は対立することはないでしょう」
苦笑浮かべながら、男はユックリとポケットに入れた手を引き抜いた。その手に握られていたのは、拳銃ではなく、小さなモアイ象だった。
「どうぞ、イースター島に行ってきたお土産です」
「おや、目がありませんな……」
「良くご存知でいらっしゃる」
感心したように男が言う。マ・クベは表情を変えずに、土産を受け取った。
「眼を開けども見えないものも、沢山ありますからな」
そういって、視線を道路の対岸にあるビルにむけた。2階の窓で、キラリと何かが光る。恐らくは狙撃銃だろう。
「まったくですな」
改めて、帽子を下げて軽く会釈をすると、男は車のドアを開けて出て行った。
「……肝が冷えましたよ」
ホッと息を吐いて、運転席のウラガンがシートに深く沈みこんだ。一息つくと、車載型の無線機を取ると、チャンネルをオープンにすると、短く言った。
「状況終了、撤退せよ」
「……了解」
簡潔な答えを返し、対岸のビルに陣取っていたヘイヘは、構えていた狙撃銃を下ろした。弾倉を外し、銃弾を全て抜き、薬室に装填されてい弾丸も同じように抜く。手の上の銃弾を僅かに眺め、ヘイヘそれをポケットに滑り込ませた。傍らに転がった元の持ち主に見えるように、ライフルを簡単に分解した。
「一応、返すぞ」
目の前に部品をばら撒きながら、ヘイヘはパラコードで手と足を縛られて猿轡までかまされた男を見た。男の目には3分の諦めと7分の悔しさと憎しみが見て取れる。まさか自分が襲撃されるとは思っていなかったのだろう。制圧するのはたやすかった。
うらむなら大尉を恨んでくれ……。と言うのが、苦笑混じりの感想だった。ウラガン大尉が機転を聞かせて車載無線を送信常態にして、状況をこちらに知らせていたために、ヘイヘは、ウラガンの車が止まっている周辺で、狙撃地点と思しきビルに潜入捜索し、狙撃位置についていた哀れな犠牲者を制圧したのだ。
手早く階段を下りたヘイヘは、ビルの裏口に止めておいたバイクにまたがると、アクセルを回しながら、キックを入れた。猛々しいエンジン音と共にバイクをスタートさせた。
けたたましいエンジン音と共に、ふっと僅か横を一台のバイクが走り抜ける。思わず振り返った鎧衣左近は、苦笑交じりに呟いた。
「私も歳をとったかな……」
鎧衣が中折れ帽の唾をすっとせり上げると、鍔の下からこぼれて来た光が、針のように網膜をつく。反射的に顔を伏せ、唾の隙間から空が青いことを確かめる。第一の接触は、おおむね上手くいったはずだった。だが、何かがおかしい。
何かを訴え続ける己の感を信じ、鎧衣は近隣で自分の支援を命じてたはずの部下たちに自分の部下たちと連絡を取った。
「…………つながらない?」
はっと顔を上げると、今さっきマ・クベの車が止まっていた場所まで走った。足は地面を蹴り続ける傍らで、鎧衣は、その灰色の脳味噌で思考をめぐらした。
確かあの場所のビルの一室は、支援要員が制圧していたはずである。窓から見えた一瞬の光は狙撃銃のものだろう。だが、それは本当に自分の部下のものだったのだろうか。
階段を駆け上がって件の一室にたどり着く。鎧衣は拳銃を抜いて突入した鎧衣が見たのは、おおむね想像道理の光景だった。
「……やはり、逃げた跡か」
殺風景な部屋の窓からは、先ほど停車していた車の窓が見える。ガタッと足元で物音がして、とっさに拳銃を向けると視界に入ってきたのは、手足を拘束された部下の一人だった。周りには分解された狙撃銃のパーツが転がっている。
「大丈夫かね?」
拘束を速やかに解除しながら、鎧衣は部下を助け起した。
「すみません課長。そちらに目をとられすぎました」
どうやらこちらの懐の中だという驕りがあったらしい。正直なところを言えば、このポイントに誘導したときに、思惑道理に事が進んだ、という確信が無かったと言えば嘘になる。部下だけはせめられまい。
鎧衣は素早く他の支援要員に電話を掛けるが、応答は無い。どうやら、似たような光景がいたるところで広がっているらしい。いじましい『ネズミ』はみな喰われてしまったというわけだ。
僅かであるが、しかめた顔で男は、ポツリと呟いた。
「……横浜の女狐を超える『大蛇』とは、うちの息子のような娘に気をつけるように言っておかねばな」
「課長?」
鎧衣はおきてきた部下にふり向くと、いつもの調子で喋り始めた。
「はて、娘のような息子だったような気もするが、どっちだったかな?」
[わ、私に言われても……」
(エデンの蛇か、アスクレビオスの蛇か、例えどちらの蛇であろうと、人間に利益を与える事には変わりない……か)
鎧衣は心中で定めた結論に、とりあえずは満足してやる事にした。総合的に見えても、彼らが、直ぐに帝国に対して良からぬ事を企てる可能性は薄い。仮にそれが根付いてから着々と行うものであっても、次こそは油断無く追いつめて、かじり倒せばいい事だ。
――――「ジオン・インダストリー」本社(旧アプサラス開発基地)
「どういうことですかな?」
開口一番に、マ・クベが冷ややかな口調で言った。対する香月大佐は相も変らぬ人の悪い冷笑を浮かべながら、泰然とした態度である。画面越しであるとは言え、蛇と雌狐対峙は並々ならぬ緊張感を、周囲に撒き散らしていた。
「勘違いしないでほしいわね。あたしは所詮、一国連大佐よ。帝国内部の諜報活動まで手は回せないわ」
「ですが、事前に接触があったそうではないですか? 内務調査部の御仁がそうおっしゃってましたよ」
「あら、それが本当だという証拠があるのかしら? 仮に真実だったとしても、あなたは新しい『会社』の仕事で飛び回ってたんだから、仕方ないじゃない」
言葉の応酬は、互いに一歩も引かぬ激しいものだった。もっとも、マ・クベの語調は冷静かつ穏やかであり、それが一層、相手を圧迫する意図である事は、考えるまでもない。
香月博士も一歩も引かぬ構えで、しっかりとマ・クベの目を睨みつけながら、その鋭敏な頭脳を回転させているのだろう。
だが、今回に関してはこちらに分がある……。
「どうやら、信用は損なわれたようですな。我々としても新たな取引先を見つけるより他はありませんな」
言い終えて、マ・クベは先刻からの香月大佐の態度に、嫌なものを感じていいた。
「先ほどからこちらの落ち度のように言うけれど、そちらこそ虚偽の取引を行ったわ」
マ・クベの顔色が変わる。
「それはどういう意味ですかな?」
「…鑑純夏」
その名が出た瞬間、マ・クベは僅かに凍りついた。直ぐに持ち直したが、悟られているであろう。獲物を求めて巣穴をでたはずが、やすやすと首根っこをくわえられてしまったようである。畳み掛けるように、香月大佐が言う。
「帝国人の、それも民間人がどうしてそちらにいらしているのかしら? 先日の会合で地上に来たにも関わらず、一言も紹介してもらった憶えはなくてよ」
「トップ会談で一秘書を紹介する必要が?」
「それがBETAに捕らわれたただ一人の生存者が1秘書でおさまるなら、お茶組の人材はCIA長官でも引き抜くしかないわね」
香月大佐が皮肉っぽく言う。向こうに、「ヤシロカスミ」がいる以上、当然、考慮してしかるべき可能性。もとより純夏に地上を見せると決断したときから、覚悟していた危険である。
「鑑純夏はオルタネイティブ4、ひいては人類にとって重要な情報源。残念ながら許容できかねる要素ですわ」
香月大佐が対外的な口調に戻る。これはいよいよもって、本気で純夏を確保しようと言う腹らしい。このまま、一気に引き裂き喰らってしまおうと言うのだろうが、マ・クベと言う男も、そこで食われるほど往生際の良い男ではなかった。怜悧な態度を固めた男は、無表情な顔に、亀裂のような笑みを浮かべた。獲物を飲み込む前の蛇のような、無機質で攻撃的な、笑み。
「それは、そちらの事情ですな」
蛇の反撃が始まった。
「は?」
平然と言い放つマ・クベに、夕呼は思わず素直に聞き返してしまった。思わぬ反応である。
向こうにとってこの世界で拾った小娘など、交渉の材料以外の何者でもないはずだ。となれば、この反応はその価値を吊り上げる為であろう。夕呼は直ぐに頭を切り替えると、この欲深な交渉相手をにらみつけた。
「こちらの不利益は、あなた方の不利益としてそのまま跳ね返ることを保障すると言っても?」
「彼女は自分の意思で我々の元にいます。である以上、それに関してなんら文句を言われる必要を持ちません」
「自分の意思? 薬物などで洗脳されていれば、真実とは限りませんわ」
「それはそちらにも言えることでしょう」
忌々しいほどに済ました顔で、マ・クベ中佐が返す。多分に事実を含んでいる事だけに、言い返せない。もとより目先の嘘が通用するような相手ではない。
こちらの躊躇に付け込むでもなく、中佐は淡々とした調子で話した。
「第一、完全な天涯孤独の、しかも戸籍上は死んだ事になっている、人類初のBETAから救出された生存者」
独特のリズムで緩やかに言いながら、中佐は小さく拍手をして「……完璧ですな」、と言い添えた。
「これほど、使いやすい者もありますまい。悲劇のヒロインに仕立て上げるもよし、ありとあらゆるところを解剖して、一生標本にするもよし、なんとも夢の広がる話だ」
言われて一瞬夕呼はドキリとした。この男は一体、何処まで知っているのだろうか。最後の言葉は霞にリーディングさせた「情報源」の事を指しているとも取れる。それとも単なる皮肉であるのかは、定かではない。
その一瞬の硬直に付け込むように、マ・クベ中佐は言葉を続けた。
「無論、あなた方は『人類』の為、というのでしょうが、そんな事情をどうして私が考慮する必要があるのか」
全てをはねつける様な冷徹さで、中佐が言う。自称ではあるが元地球侵攻軍司令官という肩書きを持つ男の言である。画面越しですらこの威圧感は何なのだろう。これまでの交渉において、彼は「厄介な取引先」だった。
だが、今は明確な「敵」として立っているのだ。この男を敵に回すという意味を自分は果たして理解していたのだろうか、夕呼は焦りを覚える思考の中で、そう自問した。
「あ、あなた方にどうして、そこまで彼女に執着する理由がおありで?」
辛うじてそこまで言うと、夕呼は相手の反応を待った。
「……そう望む以上、彼女はジオンの一員です。それ以上理由が必要で?」
どこまで、真実があるのかは分らない。香月夕呼は、ただ一つ単純な事実を忘れている事に気がついた。彼女にとって、価値があるということが、マ・クベたちにとっての「カガミ・スミカ」の価値になりうるという事を……。
苦虫を噛み潰したような顔で、夕呼はため息をついた。事実、気分は最悪だ。
「……どうやら、一度おいとました方がよさそうですわね」
「ええ、今度会う時はより良い関係を気づける事を願っています」
蛇の武器は牙だけではない。しなやかに絡みつき、一瞬で絞め殺すのも蛇である。
「社、あんたどう思う」
ふと傍らにいたウサギに声をかけてみる。自分で作って言うのもなんだが、人類の運命を左右する基地に、ゴスロリ兎耳の少女と言う取り合わせも、なんだかシュールな気がする。
「表層しか、探れませんでしたが、純夏さんを護りたいんだと、思います」
「……思い出させたくない話でも、あるのかしら」
なんとも皮肉な事に、何の気なしに呟いた夕呼の言葉は、真実の核心を射抜いてた。
「……頃合だな」
誰に言うでもなく、呟いた男の顔は、どこか憂鬱の色に染まっていた。
人でごった返す食堂は、数日前から異様な盛り上がりを見せていた。食堂に新しく現れた「看板娘」の存在である。
基地の食堂を切り盛りするのは、あの「佐藤」軍曹だ。そういえば、バウアーが日本語を習ったのもあの二人だという。食堂で「試食」に協力した一件以来、彼らとはどうも縁があるらしい。
「う~んやっぱり、可愛い女の子が作ってくれる食事は良いなあ」
「サイド3の娘を思い出します」
「まあ、むさい野郎の作る飯よりはよっぽど、マシだな」
当の佐藤軍曹に聞かれたら、明日の朝食の材料にされかねない台詞があちらこちらから聞こえてくる。
(……念のため、明日の朝食はザンジバルの食堂で食べよう)
マ・クベはどうでもいい決意を新たにすると、目的の人物を探した。
「メインディッシュのプレート上がったぞ! おら、さっさと持ってけ。中村ぁ! ステーキ弾切れだぁ! 下げろっ!! 急げ、飯食う前に戦争が終わっちまうぞ!!」
「は、はひぃぃぃぃただいまぁぁぁ」
「す、すみませぇぇぇぇん」
「あん? スミカは気にするこたねぇ。追加の煮物頼むぞ! 予想以上に売れ行きが良い」
さながら戦場のようだ。いや、真実、彼らにとってここは戦場なのだろう。
「あ、中佐!」
目ざとく気づいた佐藤軍曹が敬礼をしようとするが、マ・クベはそれを片手で制した。
「良い軍曹。君がワーテルローにいる事は、はたから見て分かる。自分の任務に集中したまえ」
ワーテルローとは旧世紀の偉大な軍人と帝国が潰えた戦場の名であり、凄まじい激戦が行われた地だ。
「はっ! ありがとうございます!!」
軍人らしいキビキビトした態度で、食堂へ戻った。もっとも、それから聞こえてくる指示を飛ばす声は、まるで田舎の食堂で、娘や気弱な2代目に囲まれた元気なシェフといった印象である。しばらくして、佐藤軍曹が戻ってくるとなにやら盆を持ってきた。
「中佐殿、出しゃばりすぎでありましょうが、夕食はまだでありますか?」
元気者の軍曹も上官の前では緊張すると見えて、なんだか口調がぎこちない。
「ありがたくいただこう」
つい頬を緩めてしまう。最近、この手の事に鉄面皮を保てなくなったな……。マ・クベは心中で苦笑すると夕食の乗ったプレートを受け取った。今日は和洋折衷らしい。
先ず箸をつけたハンバーグは、程よく焦げ目もついて美味かった。それはもう、肉の出元がまったく気にならないほどだ。付け合せのポテトサラダもあっさりとしているが良い箸休めだ。ハンバーグの下に敷かれたパスタは、油を吸わせるための工夫だろう。
サイドメニューの煮物は、鳥と椎茸と大根のオーソドックスなものだが、実にうまい。
「……ハシ、随分上手に使われますね」
唖然とした顔で佐藤軍曹が言う。
「父が食道楽でな……時に軍曹、仕事に戻らなくていいのか?」
「え! 申し訳ありません。驚いたもので。それで、中佐。いかがでしょうか?」
料理の感想を問われているのに気づいて、マ・クベは穏やかな口調で言った。
「君のグランダルメ(大陸軍)は、どうやら地下最強のようだ」
最後の方は珍しくからかうような口調だった。ともあれ、最高の賛辞であることは、理解できたのか、軍曹はホッとしたような顔で、厨房に戻って行った。
――― ザンジバル 純夏の部屋
疲れた、数日目なので、堪えられなくはないが、基地にいる屈強な男達全ての腹を満たしてやらねばならぬのだ。並大抵の量ではない。
何時までも病室を塞いでいるわけには行かず、移ったこの部屋は士官用の私室の一つらしい。
部屋に入ると、純夏は真っ直ぐベッドに倒れ込んだ。
「疲れた~~。でも、みんな美味しいって言ってくれるし、佐藤さんも良い人だし、なんだか楽しかったな」
ベッドでごろごろしながら、純夏は一日の記憶を振り返っていた。
食堂の手伝いは、元々純夏から申し出たものだ。体力はそれなりにあるという自信はあったし、母からそれなりに料理を習っていた。何より何度も幼馴染に作っていた経験が、生きたのだ。
純夏はぐっと顔に腕を当て、こみ上げてくる涙を抑えた。
「もう、泣かないもん」
その時、戸を軽く叩く音共に、聞きなれた声が「入っていいかな?」と尋ねる。
「あ、ど、どうぞ」
あたふたと起き上がると、扉が自動で開いて前に立っていた人物が入ってきた。
「……マ・クベさん」
珍しくマ・クベのほうも何かを躊躇しているようだった。恐らくは純夏がもっとも恐れている事を言いに来たのであろう。
「……純夏、単刀直入に言おう。君は選ぶ事が出来る。我々と共に、このままジオンの一員として暮らすか、地上に戻って、帝国の保護を受けるか」
「へっ?」
「突然だから、戸惑うのは分るが、いつかは決断せねばならぬことだ」
戸惑うものか、この数日、何もしていいないときは、その事ばかりを考えていたのだから。答えはもう決まっていた
「マ・クベさん、私……ここに、いたいです」
「!?」
「上に出してもらって、柊町を見て、決めたんです。私にできる事は何でもします! マ・クベさん。ここに置いてください!!」
マ・クベはしばし呆然とした表情をしていたが、直ぐにいつもの冷静な顔に戻った。
「分った。だが、ジオンの一員になるという事は君も、この基地の一人として戦い、死ぬ事もあるのだぞ」
僅かな諭すような口調のマ・クベの目を、純夏は真っ直ぐ見返し、そして笑った。
「私、短い間ですけど、ここで知った人たちが好きになりました。やさしいリディアさんにバウアーさん、時々面白い話をしてくれる佐藤さんに、本当は仲のいい中村さん。そして、……あたしを助けてくれたマ・クベさん。皆、大好きです!」
「…………」
マ・クベは黙って話を聞いていた。純夏は意を決して話を続けた。
「タケルちゃんは、幼馴染のタケルちゃんは、あたしをかばってBETAに連れて行かれました。そでも、マ・クベさんに必死で助けを求めてくれました」
マ・クベの表情が少しだけ動いたが、純夏は構わず続けた。
「沢山のあたしが私を助けてくれて、だから今度はあたしが助けたいんです! あたし、馬鹿で、ドジで、ロボットの操縦も出来ないし、だけど……」
さっき泣かないと決意したばかりなのに、涙が溢れそうになる。うつむいた純夏の頭を何かが、そっと撫でた。大きく、暖かい手だ。
「……分った」
マ・クベは静かに言うと、大きくため息をついた後に、穏やかな声音で言った。
「だが、この基地の者たちは、君に護られるほど弱くは無い。そこまで行くのは、苦労するぞ」
少し不安に思いながらも、しっかりと頷く。マ・クベさんは満足そうに笑うと踵を返した。
戸口の近くまで来て、思い出したかのように言った。
「君はずるいな。知っての通り、私は個人的な約定のため、君を護らねばならない」
「そんなつもりは……」
慌てて、言おうとする純夏の言葉を、マ・クベは片手で制した。どうやらからかわれたらしい。
腹が立たないのは、これが初めての事だったからだろうか。
「必ず、護る……」
きっぱりとした口調で、それだけ言うと、マ・クベは戸口から出て行った。
その後姿を見つめながら、呆然と立ち尽くしていた純夏は、それからしばらくそのまま扉を見つめていた。