デジモンアドベンチャー それぞれの物語(タケル編) 作:アキレス腱
懐かしいその世界は、相変わらずパレットをひっくり返した後にバケツまで倒した所為で滲んだ絵の具みたいな空をしていた。
その色を見るたびに、ジンジンと疼く記憶達を感じる。
無人の遊園地に辿り着いた僕達を迎えてくれたのは、各々のパートナー達だった。
5年前と少しも変わらない姿で、嬉しそうにパートナーの名前を呼んで駆け寄ってくる様を見ると、変わらない絆がそこにあることを感じる。
それぞれにパートナーと抱き合い、存在を確かめ合って笑いあった。
それを、初島ユウキは自分ことのように嬉しそうに眺めていた。
「ユウキ、ここがデジタルワールドだ」
「うん。空気が違う…本当にここがデジタルワールドなんだ、すっごぉーい!」
大輔の隣に並んで胸いっぱいに空気を吸い込み、初島ユウキは感極まって叫ぶ。
驚く周囲の様子などお構いなしに、彼女はキラキラした顔で口説いほどに御礼を繰り返した。
そして、絵の具の空に、緑に、デジモン達に向けて、「会いたかったんだぁ」と呟いた。
その瞬間、ゆらりと、これまでない程の大きさで初島ユウキの周囲が染まる。
いくつもの色が、代わる代わる彼女を包んでは消えていった。
やっぱり、この世界は彼女を呼んでいたのかもしれない。
不可解な現象は拡大傾向にある。
僕が色を見たのと同時に、賢が耳を抑えたのがその証拠だ。
多分、大きな音だったのか、音の種類によっては耳に響きすぎたのか。
どちらにしても変化があったのは明らかだった。
僕達は周囲の仲間に変化があっことを予め決めておいたサインで伝える。
それから、このまま続行する旨も伝えた。僕達のサインを受け取った大輔が頷き、空の先導で周囲を歩いて回ることになった。
遊園地を周り、隣の森の中を歩く。
時折姿を見せる成長期や成熟期デジモンを見ては、初島ユウキが驚きや歓喜の声を上げた。
その度に大輔が得意げにデジモンの知識をひけらかすが、半分は間違いや勘違いであることが多く、パートナーや他のデジモンに訂正されては「そうだっけ?」とすっとぼけていた。
まあ、そんなこんなでピクニック的なノリではあったが、幸い襲われることもなく平和に過ぎていく。
「この辺り、確かもう少し先に行くと川があったわよね」
「あの川か…そういや、いい機会かもな」
先導する空が指差す方向を見て、ヤマトが何かを思い出したように呟く。
僕も兄が言わんとすることに気付いて昔を思い出す。
その頃を知らない大輔や賢、京は首を傾げたが、「行けば分かるわ」という空の言葉に大人しく従った。
そこはかつてスパイラルマウンテンに取り込まれた時に辿り着いた川で、ダークマスターズの一角と決着がついた場所。
そして、苦い思い出の眠る場所。
辿り着いた川岸一角には、砂利と砂の山に不恰好な木製の十字架が突き立てられた墓標がいくつも並んでいた。
賢達が息を飲むのを感じて、空が昔を思い出しながら説明してくれた。
「あの戦いの時、私達を庇ってたくさんのデジモンが犠牲になっていったわ。弔いも満足にできなくて。だから、せめてお墓をってミミちゃんが作ってくれたものなのよ。変わらずにここにあるのね」
墓前に膝をつき、手を合わせて祈る空ならい、僕達も同じように祈った。
初島ユウキもまた、手を合わせて祈りを捧げていたが、その瞳には涙が浮かんでいる。
空気は色付かない。
「皆、はじまりの町に転生できたのかしら…」
「転生?」
祈りを終えた空がポツリと口にした言葉に、初島ユウキが反応する。
空は「ユウキちゃんは知らなかったのね」と、この世界の生命の循環について語り始めた。
死んでしまったデジモンのデータは分解、再構築されて生まれ変わる。
生まれ変わる時間はバラバラで、生前の記憶や能力は再構築時に再現される場合とされない場合があり、それはランダムで決定される。
僕や賢のパートナーは前者だった。
再構築されて生まれ変わったデジモンはデジタマとなり、はじまりの町に還る。
はじまりの町はその名の通り、生命が始まる場所、すべてのデジモンの故郷。
「みんな、生まれ変わる、の?」
転生というシステムを聞いた初島ユウキの驚き方は予想と違った。
生き物が死ぬことに過剰反応を示すと言っていた彼女ならてっきり喜ぶのかと思ったが、その顔に浮かぶのは歓喜ではなく悲哀の色だった。
「ユウキ?」
深刻な表情で墓標を見つめる初島ユウキに、大輔が呼びかける。
彼女は「ごめん」と謝る。
「素敵なことなのに…おばあちゃんが言ったみたいに、生命は巡るって、嬉しいことのはずなのに…何で…」
掠れた声の続きは聞き取れなかった。
ただ何かを呟いた後に墓標の一つに歩み寄り、傾いた十字架に触れた。
その手つきは辿々しく、でも優しく映った。
僅かに震える指先が、十字架をなぞって積み上げた砂利の山に触れた直後、十字架の根元からダークブルーの靄が立ち昇り、彼女の手を伝って彼女の全身を取り囲んだ。
「「初島さん!?」」
僕と賢の叫び声が重なる。
周りの仲間は何事かとこちらを振り返るが、そんなことに構っている暇などない。
僕は初島ユウキに駆け寄って、彼女を墓前から引き離した。
初島ユウキは驚いて僕を振り仰ぐ。
隣で大輔が騒いでいるが、それは賢が抑えてくれるはず。
引き離した墓と初島ユウキを交互に見ると、さっきのダークブルーの靄は彼女の体にのみ纏わりつき、触れている僕には伝わってこない。
「これ、君には見える?」
「え?」
掴んだ手を目線の高さまで持ち上げて見せるが、彼女は戸惑うばかりだ。
「じゃあ、何か音は聞こえない?低音が響く風の音みたいな」
右手で大輔の肩を押さえ、左手で自分の耳を押さえた賢が尋ねる。
きっと今、賢に聞こえている音のことだろう。
後ろでは京、空、ヤマトが不安そうに見守っている。
「あ、あの、何も聞こえない、んですけど」
僕達の気迫に怯えた様子を見せる初島ユウキがそう答えるのとほぼ同時に、彼女を包んでいた靄はフッと色を無くして消えていった。
同じくして、賢も耳を押さえていた手を外す。
色とともに音も消えたようだ。
僕は初島ユウキの手を下ろして離し、「急にごめんね」と謝った。
自由になった初島ユウキは、同じく賢の抑制が解かれた大輔に駆け寄る。
入れ違いに賢が近づいてきた。
「ごめんな、ユウキ。あいつら最近何か見えたり聞こえたりすんだ」
「えっ、それって幽霊とか!?」
「いや、多分違うと思う」
「デジタルワールドにも幽霊っているの!?」
「いや、だから…」
そんなやり取りを繰り広げる大輔と初島ユウキを見ながら、僕と賢は今起きた現象に各々考えを巡らせていた。
そこに京と空、ヤマトがやってくる。
三人に軽く事情を説明すると、時計を確認した京が今日はそろそろ引き上げようと提案してきた。
理由は時間的なこともあるが、賢と僕の身に起こる現象が頻発することで、また僕達や大輔が倒れでもしたらという心配があるからだと話す。
もともと今日だけで全てが分かるわけでも、解決するわけでもないと踏んでいたわけだし、一度引き上げて今回の現象も踏まえて次を考えようと進言されれば、断る隙も理由もなかった。
残念がる初島ユウキを宥めて、僕達はデジタルワールドを後にした。
ゲートが閉じきるその時まで、初島ユウキはデジタルワールドを見つめていた。
その後ろ姿に色は見えなかったけれど、あの世界の何かが彼女を呼んでいるのは間違いないのだと感じた。
初島ユウキを大輔に送らせ、僕達は光子郎の家に集まった。
そして、今回の探索で起きた現象や感じたことを報告し合う。
その途中、大輔も戻ってきて加わった。
「デジモンのお墓でそんなことが…」
「ユウキは生き物の死に敏感だって自分で話してました。お墓の前で祈った時も泣いてたし、それが関係あるんですかねぇ?」
墓前での出来事に腕を組んだ光子郎に、京が思い当たる事柄を補足する。
「会ったこともないデジモンなのにか?」
ヤマトが最もな疑問を口にすると、大輔が「あいつはそーゆーヤツなんですよ」と答えた。
その顔には照れ隠しではない、慈しむような笑みが浮かんでいる。
初島ユウキが大輔にゾッコンかと思ったが、大輔も相当に入れ込んでいるようだ。
それが分かったのか、ヤマトが「そうか」と優しく笑った。
「でも、たとえ死んでしまったデジモンへの思いが強いのだとしても、それでタケル君達が見たり聞いたりした現象に繋がるのかしら?それに、その靄や音が何を意味するのか、まるで分からないわ」
「キーワードはデジタルワールドと死、ですか…」
状況を聞いた伊織が呟く。
その時、光子郎のパソコンにメールが届き、同時にヤマトの携帯が鳴った。
それぞれが応対した相手は、ミミ、そして丈だった。
そしてどちらの用件も例のメールが自分たちの所に届いたというものだと知らされ、その場は一様にざわついた。
「丈は既にメールを光子郎に送ったそうだ」
「今確認しました。ミミさんの分も併せて開きますね」
電話を終えたヤマトが光子郎の座る椅子のバックレストに手をかけて画面を覗き込む。
その後を追って僕達もパソコンの画面に映し出されたメールの文面を見た。
液晶画面に表示されたメールのタイトルはどちらも無題、アドレスにはapocalypseの文字列、本文にはそれぞれにたった一文字だけ。
ミミに届いたメールには『に』、丈に届いたメールには『生』とあった。
「漢字だ」
「そこはどうでもいいの!受信した時刻は城戸先輩の方が先ね」
大輔のコメントをあっけなく弾いた京が指摘すると、続いて光子郎が何かに気付く。
「待って下さい。2人がメールを受信した時間の間隔は、以前タケル君達がメールを受け取った間隔より開きがあります。もしかしたら、間にもう1通誰かが受け取っているかもしれません」
「じゃあ、メッセージは『すべての生〜に』かしら?」
今受け取っているメッセージを繋げてヒカリが言う。
大輔や伊織、空、光子郎、ヤマトといったメールを受け取っていないメンバーは各々の携帯を確認して、新着メールが無いことを告げる。
「太一さんのところかもしれません」
伊織が残る選ばれし子供の仲間である太一の名前を挙げる。
ヒカリは「聞いてみる」とすぐさま兄に電話を掛けた。
しかし、太一は今日は全国の選ばれし子供あるいはパートナーのいる子供達との交流会に主催として参加しているため、すぐに連絡がつく可能性は低かった。
しばらくコールした後、ヒカリが申し訳なさそうに首を振る。
「仕方ありません。太一さんも気付けば連絡をくれるでしょう」
「そうだな。それにしても…このメッセージ、何でまた送られてきたんだ?今まで全然動きなかったんだろ?」
太一の状況を十分に理解している光子郎とヤマトが話題をメールに戻した。
「そうですね。解析して発信元の特定をしないと同一のものとは断定できませんが、まず間違いないでしょうしね」
「もしかしたら、今回デジタルワールドへ行ったことがきっかけでしょうか?」
「その可能性は大いにありますね」
賢が問うと、光子郎は肯定する。
発信元はデジタルワールドであり、そのデジタルワールドに足を踏み入れたことが、新たなメッセージを送り出させるきっかけになったというのは、理解できる図式だ。
そこに初島ユウキの存在がどの程度関与しているかは不明だが、と光子郎が付け加えると、大輔は複雑そうに顔を歪めた。
「もう一度、僕達だけでデジタルワールドに行ってみますか?」
それでメールが送られてくるかどうか、もっと別の何かがあるのか、確かめることができるのでは、と賢が提案し、大輔がそれに賛成する。
しかし、京と空は僕達への負担を考えて日を改めるべきと反対した。
僕もその意見に賛成し、明日もう一度デジタルワールドに行くことを決めた。
僕達だけならゲートポイントを使う必要はなく、パソコンからゲートを開けばいい。
明日集まれるのは僕と賢、大輔、京のみだったが、光子郎がサポートについてくれるということで、一先ずそのメンバーで決定した。
参加できないヒカリが僕の服の裾を引っ張って、「無理しないでね」と言った。
僕はできるだけ安心してもらえるように彼女の手を握る。
僕達は僕達の想像以上に周囲に心配をかけているんだろう。
それでも止めないで支えてくれることに感謝した。
その日は夕方に解散となり、僕は兄のヤマトと連れ立ってマコトのライブに来ていた。
何組かのバンドの演奏が終わり、次がマコトが参加しているバンドの番だ。
ステージでは機材の調整や音合わせをする先輩の姿がある。
薄暗く騒がしいライブハウスの入り口付近の壁にもたれ掛かり、ワンドリンクオーダー制で頼んだジンジャーエールを口に含む。隣ではコーラを頼んだヤマトが同じようにストローを咥えていた。
シュワシュワとした炭酸を飲み下し、僕はステージに表れたマコトを見つけて指差した。
「あの子、あのヴォーカルの子が先輩で友達」
「女だったのか」
意外だったと驚くヤマトに、僕はいつか大輔にも言ったセリフを吐く。
「女友達くらいいるよ」
「まあ、そうだけど…」
何か言いたげな表情の兄を尻目に、僕はマコトが歌が上手いことやルックスが良いことなどを説明する。
今日のマコトは季節外れの白い麻のノースリーブワンピースを着ていて、足元は素足だった。
髪は特に飾り立てることなくストレートに降ろしている。
素朴な雰囲気の中でマコトの美貌は際立つ。
ステージの中心に立つ彼女は、今までのバンドの中でも異彩を放つ存在だった。
「確かに綺麗な子だな。モデルでも通用しそうだ」
「そうかもね」
兄も認めるマコトのルックスに、ライブハウスの客も少なからず反応を示しているのが分かる。
僕は改めてマコトを見て、以前アイドルでもいけそうだと思ったことを思い出した。
まあでも、笑顔で愛想振りまくマコトの姿は想像できなかったが。
暫くして準備が終わり、ギターを担当する部長が簡単な挨拶とバンドの紹介をする。
ヴォーカルのマコトを紹介する時、「ヴォーカルだけはどこのバンドにも負けません」とか言ってしまい、マコトが凄い形相で部長を睨んだのが可笑しかった。
兄も「ハードル上げられたなぁ」と笑っていた。
反感を持った他バンドのメンバーもいたかもしれない。
でも、それはすぐに吹き飛ばされるだろうと、僕は勝手ながらに思っていた。
何故なら、部長の言ったことに密かに賛成だったから。
前奏が始まる。
以前屋上で聞かせてもらった曲だった。
あの歌がマコトの声で聴けるんだと思うと嬉しかった。
同時に、この日常に戻ってこれたことを喜ばしく思った。
マコトの歌はこの世界でしか聞けない。
僕は今、この世界に、この日常にいる。
歌が始まると、ライブハウスは水を打ったように静まりかえった。
僕は聴き入り、隣の兄は瞬きを忘れているようだったが、暫くするとマコトの声に浸っていた。
人は弱いものだと、そして強いものだと、同時に儚いものだと歌う歌詞を、見事に表現していると思う。
立ち姿、表情、歌い方。
マコトは歌を歌っている時は自由だと言っていた。
そうなんだろう。
普段、マコトの心は色々なものに縛られていて、それを理解しているマコト本人も自ら抑え込んでいて、きっとそれを解放できるのは歌う時なんだと思う。
解けた心が水のように広がって空気を振動させ、歌になるんだ。
マコトの歌は少し優しくなった。
初めて彼女の歌を聞いた時よりも。
それは彼女が直面している現実と、そこで生じた心の変化を象徴しているようで、僕は目頭が熱くなるのを感じた。
寂しさとか不安とか、誰の心にもあるものを包んで許すようなマコトの歌声は、感傷的だと言われようが僕にとってはどのアーティストよりも魅力的だった。
歌い終わると、パラパラと拍手の音が響き、徐々に大きくなる。
僕と兄も拍手を送り、マコトは深々とお辞儀をしてステージから去っていった。
「どうだった?」
「ん?予想以上。彼女、プロ志望か?」
兄に感想を求めると、ヤマトは素直に感嘆の意を述べて言った。
やっぱり、兄が聞いてもプロへの道を考える程にマコトの歌は上手いのだと分かる。
それが嬉しくて笑顔を作ったあと、「残念だけど、プロになる気はないんだって」と答えた。
ヤマトが「それは惜しいな」と本当に残念そうに言う。
それを見て、僕は思惑通りに兄がマコトに興味を持ってくれたことを知り、「兄さん、これは相談なんだけど…」と僕の中の本題を持ち掛けた。
全てのバンドの演奏が終わり、マコトが客席にやってきたところで、お互いを紹介するために話しかけた。
「水崎さん、お疲れ様。凄く良かったよ、相変わらず上手いね」
「高石君、来てくれてありがとう」
僕の賛辞に答えるマコトは先ほどのワンピース姿ではなく、白のインナーにデニムジャケットを羽織り、黒いスキニーパンツにブラウンのウェスタンブーツを履いていた。
髪は高い位置でポニーテールに結い上げ、首には父親からのプレゼントだと言っていたハートトップのネックレスが光っている。
大分印象は変わるが、整った顔はいつものマコトだった。
マコトは僕の隣の兄を見て「どうも」と挨拶をする。
そこで改めて2人にそれぞれを紹介した。
「同じ学校の先輩の水崎マコトさん。水崎さん、こっちがこの間連れて行きたいって話した人。僕の兄さんなんだ」
「石田ヤマトです、弟がお世話になってるみたいで」
「水崎マコトです。こちらこそお世話になってます」
兄が握手を求めると、マコトは社交辞令でよく聞く文句を口にしながらそれに応えた。
「水崎さん、歌凄い良かった。声も綺麗だし、歌い方も」
「あ、ありがとうございます」
照れているのと戸惑っているのとでぎこちない返事をするマコトに、兄は構わず続ける。
「ルックスもモデル並だから舞台映えしていたし、衣装も曲の雰囲気に合わせてたんだろ?」
「あ、はい。イメージは大事かなと」
「いいな、そういうの」
「ありがとうございます」
根拠も無しにただ褒められるのではなく、自分の観点を認められたことに対してマコトは素直な感謝を示した。
マコトの受け止め方の変化に気付いた兄は、先程僕が持ち掛けた件を切り出す。
「それで水崎さん、これからもバンド活動は続けていくのか?」
「このバンドは多分ここまでです。部長が声かけてくれてやってたので、その部長が卒業ですし」
少しばかり名残惜しそうなマコトの顔は、次に歌う場所が無いことを表していた。
やっぱり、と僕は心の中で呟く。
そして、やはり兄を連れてきて、そして頼んで正解だったと思った。
「そうか、それなら…もし他のバンドと組む予定が無いなら、俺たちのバンドに加わってくれないか?」
「え!?」
珍しくマコトの声がひっくり返る。
驚くマコトにヤマトは詳しい説明をした。
高校時代に兄がバンドを組んでいた仲間はそれぞれに大学へ進学したり就職したりしたが、その繋がりは継続している。
ただ、兄が国立大学に進学して忙しい身の上になったため、活動は不定期になってしまっているのが実情だった。
本来ならバンドメンバーはそれぞれに実力もあり、仲間の一人は音楽事務所に片足を突っ込んでいるため、ライブの機会確保に事欠かないのだとか。
ヴォーカルさえいればもっと頻繁に活動できるというバンドのニーズと、バックバンドさえいれば歌えるというマコトのニーズは合致するのでは、という提案だった。
丁度女性ヴォーカルとも組みたいという要望も上がっていたし、ヤマト自身も自分の都合で仲間の足を引っ張るのは気が引けていたのだ。
そこへ僕がマコトのことを持ち掛けた。
僕としては、兄のバンドか知り合いのバンドでマコトが歌わせてもらえたらと思って言っただけだったが、何とも都合の良い展開になったものだ。
けれど事情を聞いたマコトの目に期待の光が宿るのを見て、結果オーライだと思えた。
「私で良ければ、一度練習の場にお邪魔させて下さい」
「ありがとう、待ってるよ。コレ、ウチのバンドのリーダーの連絡先。リーダーには俺から話しておくよ」
「はい、ありがとうございます」
渡された名刺を大事そうに見つめるマコトに、僕は「良かったね」と声をかけた。
彼女は僕の顔を見て何かを察したように柔らかく微笑み、「ありがと」と小さくお礼を言った。
これでまた、マコトは歌を歌えるし、僕は彼女の歌を聴ける。
エゴだなぁと思いながらも、そうなったことに満足していた。
日常と非日常の狭間です。
読んで頂き、ありがとうございました。