デジモンアドベンチャー それぞれの物語(タケル編)   作:アキレス腱
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第2話 〜8月1日〜

 

 

 

空は重いし、息は苦しいし、生きるのはかったるい。

高校に入学して半年、僕の視界は灰色だった。

あの日以来、僕は人が人に抱く感情の重さと醜さを身を以て知った。

僕が『仲間』に対して抱いていた友情や絆という崇高な幻想は、いつまでも現実を見ようとしない子供の逃避であり、『仲間』以外に心を許さない潔癖さが彼らに対する誠実さなどという大いなる勘違いが、単なる依存であるということ。

そして、自分が過去を何一つ乗り越えておらず、未だに失うことを極端に恐れ、他者との関わりを疑い、己の世界に閉じこもる臆病者であることに気付かされた。

かつての『仲間』達のなんと大人なことか。

デジモンカイザーなどという取り返しのつかないと思われたような過ちから立ち直り、他者との関係を築こうとする賢を始め、着実に進路を固定しつつある兄達の背はもはや遥か遠い。

次々と箱庭から飛び出す彼らに、知らず知らずの内に追い詰められていたのだと、今になって気付く。

そして、最後の拠り所であったはずの彼女さえも、自分の傍にはいてくれない。

この孤独に、寂しさに、悲鳴を上げた心が発したSOSは拒絶に塗り潰され、もはやここから這い上がる術など見つけられない。

 

「何が希望だよ…」

 

自分のどこに希望があったのだろうと思う。

こんなにも臆病で、恐くて、寂しくて、だというのに家族にも仲間にも本当の気持ちを吐露できない。

幼い頃の両親の離婚は、自分にとってあまりに重すぎた。

8歳の自分にとって、半身と言えるパートナーの喪失はあまりにも痛すぎた。

そして、立て続けに起きた非日常な出来事は、自己意識の拡大を助長し、壮大な目的を遂げた高揚感と達成感は一時的に心の穴を埋めた。

徐々に冷めていく熱が、冷えた溶岩がひび割れるかのごとく、心を割る。

もう血も出ないのに、痛くて痛くて仕方がない。

 

置いて行かないで。

 

涙も出ないのに、僕は毎日泣いていた。

そしてもう一つ、厄介な問題を抱えていた。

いつか賢が大輔と自分に持ちかけた相談を思い出す。

性行為。

それは動物が子孫を残すための生殖行為であり、本能だ。

知能を兼ね備えた人間に至ると、そこに感情が付属され、社会の形成とともに性の在り方は着実に変化してきた。

好きな人との性交渉、それは現代社会においては一般的な考えた方になっていた。

(あんなに辛いとは思わなかったなぁ…)

初めて激しい性衝動に駆られたのは、やはり中学2年の夏。

仮初めの安息が崩壊して間もなく、賢と京が一線を越えたと仲間内で話題になった。

野次馬根性丸出しで問い詰める大輔や、興味が先走る伊織に混じって、賢の話を聞いた。

そしてその後、迂闊にも想像してしまった。

彼女のこと、そして、彼女が付き合っているであろう先輩との情事にまで考えが及び、ジリジリと胃が焼かれる思いを味わった。もうそこからは地獄だった。

彼女に対し、仲間以上の感情を持っているのだと自覚するだけでも身が切られる思いだったというのに、更に追い討ちを掛けるドロドロと渦巻く嫉妬の炎と、気が狂いそうな程の彼女への支配欲、征服欲が次々と襲いかかる。

そんな危うい自分が恐くて、仲間にそれが知られるのが恐くて、彼女に知られるのはもっと恐くて、高校は誰とも被らない所を選んだ。

しかも通学に時間が掛かるからとの理由で、一人暮らしをしたいと我儘を通した。

母は心配したが、月に一度は顔を見せるという条件付きでOKをもらい、以前住んでいた世田谷区で一人暮らしをすることになった。

逃避だってことはわかってる。

でも同じ空間なんて耐えられない。

彼女の気持ちも、その後の動向も、何も知りたくなかった。

耳を塞いで、目を閉じて、兄からもたらされる彼女の兄経由の情報も全てシャットアウトして、取り敢えずの仲間ごっこを続けてきた。

でももう疲れた。

限界は近い気がしていた。

 

 

8月1日、その日、僕は集合時間より遥かに遅れてもまだお台場に辿り着けずにいた。

人身事故による電車の遅れが原因だった。

どうやら飛び込み自殺だったらしい。ごった返すプラットホーム。

駅員の交通整理と、構内のアナウンスが被って、どっちを聞けばいいのか分からない。

誰かが亡くなったのだと、誰もがその可能性を知っていながら、駅のホームはあまりにもそっけなかった。

灰色の人波の中に立って、僕は亡くなったのかもしれない誰かを思った。

何がその人をそこまで追い詰めたのか、相談できる人はいなかったのか、誰も助けてあげれなかったのか、家族はいるのか、恋人はいるのか、遺される人の気持ちは考えたのだろうか…。

そこまで考えて、僕は小さく頭を振った。

 

違うね、考えられなかったんだよね。

遺される人が悲しむとかじゃなくて、そうするしかないって、それしかこの状況からは抜け出せないから、それしか方法が見えなくなって、もういっぱいいっぱいだったんだよね。

きっと、今の僕以上に何かに絶望したから、だから最後の希望に縋ったんだ…時として死ぬことさえ希望になるんだ。

 

いつの間にか駅を抜けて歩道橋を歩いていた。

Dターミナルがメールの受信を知らせるメロディを発する。

もう皆の所に行く気分じゃなかった。

立ち止まって下を覗き込めば、自動車の群れ。信号が青に変わると同時に動き出し、直進、右折、左折と次々に交差点を横断していく。

暫く車の流れを見ていた。

ふと、吸い込まれそうな感覚に陥った。

足が軽い、頭が重い、身体が重心を失うように意識のコントロールから外れていく。

脳裏に浮かぶのは…。

グイっと後方に引っ張られる感覚に襲われ、同時にTシャツの丸襟が首に思いっきり食い込んで呼吸が止まった。

軽かった足が地面を捉え、驚いて振り返ると、そこには見たことのない黒髪の女の子が、自分の服の裾を掴んで立っていた。

「あ、えっと…」

どうにも状況が掴めずに惚けていると、女の子は髪と同じ真っ黒な瞳で見つめてくると、一言こう言った。

「いかないで」

鼓動が一つ、大きく跳ねる。

その後には、じんわりと胸に広がる痛みに似た感覚がやってきて、目頭が熱くなり、往来の場だというのに、誰とも知らない女の子の前だというのに、僕は泣き崩れてしまった。

後悔と、自責の念と、自分自身への罵倒が鳴り響く頭の中とは裏腹に、胸の内から湧き出る痛みに似た暖かさは、紛れもなく僕の生命を祝福している。

そして、目の前の女の子もまた、僕の生存を許容してくれているような気がした。

黒い髪、黒い瞳の女の子は、僕が泣き止むまで側にいて、背中をさすってくれていた。

涙が途切れる頃、改めて女の子を見やると、彼女は長いストレートの黒髪を耳に掛けながら立ち上がった。

それを追うように立ち上がり、強引に涙を拭って彼女と向かい合う。

彼女は長いストレートの黒髪を腰まで垂らし、白いノースリーブのブラウスに、細い首にはゴールドチェーンにハート型のトップがついたネックレスが光る。

腰にはライトブラウンの編み込みの飾りベルトを締め、紺色のスキニーパンツをロールアップして、足元は涼しげな白いサンダルを履いていた。

顔は酷く整っていて、二重の眼は大きすぎず小さすぎず、落ち着いた大人っぽい雰囲気は年上を予想させる。

唐突に恥ずかしさと申し訳なさに襲われ、僕は早口にお礼と謝罪を述べる。

「あ、あの、ありがとうございました。それから、すみません」

「もう平気?」

綺麗な声だった。

薄ピンクのルージュに縁取られた形の良い唇が動き、短く問いかける声は、決してミミのように澄んだソプラノではなかったけれど、ヒカリように涼やかではなかったけれど、よく通る響きを持っていた。

「はい、ご迷惑をおかけしました」

そう言って下げた頭に心地の良い感触を覚え、撫でられた、と感じて顔を上げると、彼女の黒い瞳と視線がかちあった。

「大丈夫だよ」

「え?」

訳が分からずに聞き返すと、彼女は僕の頭を撫でていた手を引き戻し、「じゃあね」と背を向けて去っていった。

ポカンとして彼女を見送った後、我に返った僕は時計を見て驚き、慌ててお台場に向かい、兄をはじめとする仲間から心配されたり叱られたりした。

最初にお台場に向かおうとしていた時ような、沈みきった気持ちは不思議と感じなかった。

彼女は誰だったのか、もしかしたら都合の良い幻だったんじゃないかとさえ思うような女の子の存在は、夏休みが明けても、未だに僕の心に焼きついていた。

 

 

高校1年の2学期が始まる。

僕の人生にとっての転機が訪れる。

 




あっという間に高校生。
オリジナルキャラ登場です。名前は次話で出てきます。

読んで頂き、ありがとうございました。



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