デジモンアドベンチャー それぞれの物語(タケル編) 作:アキレス腱
「皆、準備はいい?ゲートを開く先は、はじまりの町。泉先輩が別口で監視システムにダミーを配信してくれてる間、まあざっと3時間程度なんだけど、その間に戻ってね。アタシはここのゲートをキープしとくから、何かあったらDターミナルで連絡して。ヒカリちゃんはアタシと伊織と一緒にこっちで待機。何かあったら伊織が助っ人ってことで、極力ヒカリちゃんの投入は避けるから。とにかく無茶だけはしないこと。賢も大輔もタケル君も、少しでも不調を感じたらすぐ戻ってくるのよ」
光ヶ丘団地にある公園に集まった僕達は、今日のゲートキーパーである京から改めて最終確認された内容を反芻し、頷く。
司令塔である京は、僕達の中でも一段と緊張した面持ちの初島ユウキの前に進み出て、彼女の目を真っ直ぐに見た。
「ユウキも何かおかしいって感じたりしたらすぐに皆に言ってね。無理しちゃダメよ」
「うん、ありがとう、京」
まだ硬いものの笑顔を作る初島ユウキ。
その手を、隣に立つ大輔が握りしめた。
見つめ合う2人はどこか以前と違って、僕達はそれぞれに視線を外す。
僕は見送る立場に歯がゆさを感じているであろうヒカリに近づき、「行ってくるね」と声をかけた。
ヒカリは不安を拭いきれない顔で頷き、「気を付けて」と言った。
準備ができたところで、京が鍵であるカードを並べ、最後の一枚、太一のパートナーが写ったカードをセットすると同時に、懐かしい掛け声をかける。
「デジタルゲートオープン」
でもそれは以前のようなただ明るい元気なだけの掛け声とは違い、言い知れぬ不安と緊張、そしてそれを払拭しようと心を立て直さんとする勢いが感じられた。
ゲートが開き、まず賢が、そして一度ヒカリを振り返ってか僕が、その後から大輔と初島ユウキが続いた。
この先はファイル島、はじまりの町。
二度目の目的地を、前回回避した理由を押してでも選んだのには当然理由があった。
それは、初島ユウキの希望。
それも単なる興味心などではない。
大輔が初島ユウキにすべての事情を話した時、彼女がそれでもデジタルワールドに行きたいと願った最大の理由。
『次にデジタルワールドへのゲートを開く時、行き先は始まりの町にしてくんねぇかな』
二度目の行き先を決めていた時、大輔が実に真剣な眼差しで言ったのだ。
当然、デジタマへの影響などを考えて反対する意見が多く出たが、彼はどうしてもと言い張った。
スカイプ越しの光子郎が穏やかな、しかししっかりとした口調で理由を問うと、大輔は暫く沈黙した後に「ユウキが望んでる」と告げたのだ。
そして、大輔は続けた。
「ユウキに全部話した後、あいつも今まで言わずにいたことを話してくれた。初めてデジタルワールドに行って自分に何が起こったのかは分からないけど、でもあれ以来、ユウキはそれまで以上にデジタルワールドに呼ばれてる気がするんだって言ってた。行きたいっていう単なる希望じゃなくて、行かなきゃならないって使命感みたいな気持ちになるんだって…」
その使命感に突き動かされる彼女が示した場所が、全てのデジモンが生まれる始まりの町だったという。
それを承服するのは中々に難しかった。
何かが起こってしまった時、あの町に被害を出したくない。
けれど、この不可解な出来事を解決に導くにはまたとない手掛かりにもなり得る。
光子郎がエージェントを呼び出し、賢や京、僕達も踏まえて暫く話し合った結果、可能な限りの警戒とバックアップ体制を取った上で、初島ユウキを決して単独行動させないという条件付きで許可が出たのだった。
ゲートを抜けると、はじまりの町に続く森の中だった。
デジタルワールドに着いてすぐ、僕達は京からメールを受け取った。
内容は、僕達がゲートをくぐった直後に伊織のもとに例のアドレスからメールが届いたというものだった。
伊織に届いたメールの文面は『祝』。
こまでのメッセージを合わせると『すべての生に祝』となる。
「誕生日でも祝うのか?」なんて大輔は言ったが、果たしてそんな単純なものなのだろうか。
字面からは悪意が無いようにも思えるが、皮肉である可能性も否定できない。
これがもし仮に敵対勢力からのメッセージであるなら尚更だ。
楽観はできない、とだけ賢が言って、随時連絡を取り合う旨を返信した。
僕達はパートナーと合流後、土地勘のある僕とパタモンの先導で歩き始める。
「賢も行ったことあるんだよな?」
「ん?ああ…迷い込んだ感じで辿り着いたから、道順はあまり覚えてないけど」
かつてパートナーを失い、自らの過ちに気付いて茫然自失だった賢が彷徨った果てに辿り着いた始まりの町。
そこで再びパートナーと再会し、賢自身も生まれ変わったという。
それを聞いた初島ユウキが、何故か切なげに眉を寄せ、胸に手を当てて祈るような仕草を見せた。
それが気になって、僕は肩越しに彼女を振り返る。
「こういう話、苦手なんだっけ?」
「あ、いえ…賢さんとパートナーが再会できたこと、すごく素敵なことだなぁって」
言いながら、初島ユウキの表情はやはり硬い。
「もうじき着くけど…初島さん、何か感じる?」
立ち止まって問うと、彼女は「少し、ドキドキしてます」と答える。
それはどういう意味なのか。
しかし、横にいる大輔がやけに気遣わしげに何かを耳打ちしていた。
ただ、残念ながら丸聞こえだったが。
「それって前みたいな感じなのか?」
「え?えっと…どうかなぁ」
ヒソヒソとやり取りをする様は微笑ましいが、もう少しうまく出来ないものだろうか。
まあそれは置いておくとして、僕は気になったことを質問する。
「前って、いつのこと?」
「げっ、なんだよ聞こえてたのかよ」
聞こえてないと思ってたのかよ。
やれやれと呆れたのは僕だけではない。
賢も溜息交じりに「何か心当たりがあるなら言ってくれないか?」と促す。
問われた初島ユウキは明らかに戸惑い、大輔の顔を見てどうするべきかと訴えていた。
初島ユウキのSOSに、大輔が彼女を庇うように一歩前に出る。
「緊張してるだけだよ」
「でもさっき前って」
「言ってねーよ!」
押し切って誤魔化そうという魂胆が見え見えの反論に、僕は少しだけイラッとした。
「あのさ大輔、ただでさえ分からないことだらけで気を張ってるんだから、隠し事とかは無しにしてもらわないと困るんだけど」
「だから、何もねーって言ってるだろ」
「何も無いって態度じゃないと思うから言ってるのに」
「だーかーらー!」
「ストップ!二人とも落ち着けって」
ヒートアップしそうな僕等の間に賢が割って入った。
諭すような賢の視線に僕は喉まで出かかった言葉を飲み込む。
大輔も居た堪れない様子の初島ユウキを見て、バツの悪そうな顔をして引き下がった。
少しナーバスになり過ぎだ、と自分を叱責する。
じりじりと胸を焼く不安が、僕から余裕を奪っていく。
賢が小さく「タケル、焦るな」と囁いた。本当にこの冷静で優しい友人には頭が上がらない。
賢だって不安でないわけがないんだ。
心を鎮めて事に挑まなければミスを犯す。
焦りを押し込めて大輔に向き直ると、彼の横の初島ユウキが口を開いた。
「あの…私、前にもあったんです。デジタルワールドだけじゃなくて、呼ばれるみたいな感覚」
突然の告白に僕と賢は顔を見合わせ、彼女の隣では大輔が不機嫌面をしている。
「それはどこで?いつぐらい?」
「かなり前で、それも何回か。どこっていうのはちゃんと言えないんです。行かなきゃって思って行った場所はどこもバラバラで…」
「行った先で何か感じたりした?もしくはデジモンを見たとか」
「いえ…デジモンは見てません…」
「じゃあ他に何かなかった?」
「えっと…それは…」
僕と賢が代わる代わる質問し、彼女はそれに答えるが、徐々に返答は小さく、歯切れの悪いものに変化していく。
言い淀んで続かなくなった所で、見兼ねた大輔が口を挟んできた。
「もういいだろ」
何がだよ、と食ってかかりたくなるのを抑え、僕は努めて冷静な口調で言った。
「いいわけないよ。以前と同じような感覚なんだとしたら、今回のことにも何か関係があるかもしれないじゃないか」
「だからって、今問い詰めなくてもいいだろーが!」
大輔の反論に僕の焦りと苛立ちが再燃する。
「じゃあ何で今まで黙ってた?皆で話し合うときにも、出発前だって僕達に伝えるチャンスはあったのに」
「言いたくねーことだってあるんだよ!」
大輔もまた怒りを露わにして僕を睨みつけた。
僕にとっては子供じみた理由にしか聞こえないその言い分が、更に苛立ちを増幅させる。
何でこんなに苛立つのか、自分でも分からないくらい何かに焦らされていた。
「言いたくないから言わないなんて、そんなこと言ってる場合じゃないってこと、口で言わなきゃ分からないの?」
挑発的な言葉が口をつく。
隣から賢の制止が飛ぶが、見事に挑発に乗った大輔が掴みかかってきたために徒労に終わった。
「ふざけんな!そういうお前らの言い分がユウキを傷つけんだよっ」
襟首を強く捕まれ、眼前で吠える大輔。
その後ろでは初島ユウキがオロオロしている。
パートナー達も止めに入るべきかどうか迷っているようだった。
僕は大輔と初島ユウキを見比べて言った。
「彼女のためにも必要だって言ってるんだ」
「必要なら相手の気持ち無視してもいいってのか!?」
案の定、直情思考の大輔らしい答えが返ってきた。
きっと大輔は初島ユウキの気持ちを慮って隠そうとしたのだろう。
その気持ちは分かるけれど、今回の件については容認できない。
割り切れと大輔に告げようとした時だった。
大輔を収めた視界の後ろ、さっきまで張り詰めた空気に戸惑うばかりだった初島ユウキの周囲がゆらりと歪んだ。
同時に賢が「うぁ!」と短い呻き声を上げて両耳を抑えてしゃがみ込み、大輔が異変に気付いて彼女を振り返った瞬間、初島ユウキは何色もの色に包まれたかと思うと、まるで風のように走り出した。
「ユウキ!」
弾かれたように大輔が彼女の名前を呼んで後を追う。
その後を大輔のパートナーが続く。
僕も追いかけようとして振り向いた遥か先、四方の空から初島ユウキへと注ぐ色の筋に息を呑んで立ち尽くした。
「何なんだ、これ…」
まるでこの世界のあらゆる色が彼女に集められていくような、あまりにも異様な光景。
すぐ後ろからは、立ち止まった僕を不審がるパートナーと、頭を抱えた賢を心配する彼のパートナーの声が聞こえた。
どんどんと遠ざかる初島ユウキと大輔。
しかし、不気味な色の帯だけは空から注いでいて、初島ユウキの居場所を示していた。
「賢、大丈夫?」
「すまない、音が…」
駆け寄って賢が立ち上がるのを支える。
賢は片方だけ手を外し、さっきよりはマシになったと言った。
僕は僕の見た現象と、今もなお見えている現象について簡単に説明し、大輔達の後を追うために走り出した。
「彼女、様子がおかしかった」
「嫌な予感がする、急ごうタケル」
短いやり取りをおえて、後はただひたすら走った。
走りながらも賢は京に連絡をしていたようだ。
応援が来るなら伊織だ。
ヒカリは来ない筈だから安心しろ、と自分に言い聞かせる。
空を流れていく色の帯を追いかけて、まっすぐに始まりの町へ急いだ。
賢の言った嫌な予感は、はじまりの町の門をくぐってすぐに現実となって視界と耳に飛び込んできた。
「やめろ、ユウキ!」
大輔の叫び声と、デジタマから生まれたばかりの幼年期達の悲鳴が重なって響く。
僕と賢がその場に辿り着いた時、そこにはあってはならない光景が広がっていた。
砕かれた幼年期達の寝床、いくつもの傷ついたデジタマが転がり、ぐったりと動かない幼年期達の姿も見て取れる。
そして、そんな惨状の中心には、初島ユウキが淀んだ色の渦に包まれて立っていた。
その彼女に対している大輔は、その腕に傷ついた幼年期デジモンを抱え、背中にいくつものデジタマを庇っている。
「これは…っ」
「まさか、初島さんが…?」
咄嗟に幼年期達を庇う位置に立ち、僕と賢は必死で状況を把握しようとした。
初島ユウキは自らの体を抱きしめるようにして俯いていて表情は伺えない。
「ユウキ!」
大輔が呼びかけると初島ユウキ肩がビクッと震え、彼女を取り巻く複数の色が淀んで共存しているような空気が形を変え、幾つもの蛇の頭のように細く伸び上がる。
空から注ぐ色の帯の隙間を縫うように上昇していたその蛇達は一定の所でピタリと動きを止め、その矛先を地上へと向けた。
「やめてぇえええ!」
初島ユウキの割れんばかりの悲鳴が響き渡る。
上空から何匹もの蛇が飛来し、パステルカラーの町の地面を貫き、逃げ惑う幼年期達に襲いかかり、まだ孵らないデジタマを呑み込んでいく。
次々と消滅していく命の悲鳴が空間を占拠し、飛び散ったデータチップがまるで雪のように降り注いだ。
呆然とする僕達にもまた、蠢く色の蛇が襲いかかるが、咄嗟に進化したパートナー達がその攻撃から守ってくれた。
周囲を喰らい尽くした蛇達が形を失って初島ユウキのもとに戻っていく。
はらはらとデータチップが舞う。
まるで、賢が見たという夢のように。
「こんな…ことって…」
一体いくつの命が失われたのか。
あまりの惨劇に言葉を失うとはこのことか。
隣の賢が、パートナーの腕の中から周囲の惨状を見渡して唇を震わせる。
僕もまた、成熟期になったパートナーの翼の下から、破壊の中心を見つめた。
初島ユウキは両の腕で己を抱きかかえ、大粒の涙を零していた。
「ユウキ…」
大輔もまた守ってくれたパートナーの腕から這い出てきた。
恐らく最も大きなダメージを受けたのは大輔達だというのが見て取れた。
彼等の周囲の地面は抉られ、パートナーも傷だらけだ。
彼女にとって大切な筈の大輔が何故?いや、そもそも彼女は何故こんなことを?彼女の意志?まさかそんな…。
疑念が渦巻く。
ただ彼女の周りで蠢く空気、たくさんの色が集まっているのにどの色も混ざり合わずに絡み合い、留まることなく動き続けている。まるで迷子が彷徨っているみたいに見えた。
「もう…やめて…っ」
微かに空気を震わせたのは、消え入りそうな初島ユウキの声だった。
涙に濡れたその声は、僕達ではない誰かに向けて発せられていた。
「も…やめよう…帰りたかっただけなんだよね…ここに、帰ってきたかったんだよね…」
「ユウキ?」
ポツリポツリと呟かれる言葉の意味は僕達には分からず、大輔がフラフラと初島ユウキに近づく。
しかし、初島ユウキは首を振って拒んだ。
それでも大輔が手を伸ばすと、彼女の周囲を取り巻く空気が膨張し、その手を弾き返した。
強い力に跳ね返された大輔は後ずさってしまう。
その姿を見た初島ユウキが、新たに涙を流した。
「ごめん…大輔くん、ごめんね…」
「ユウキ!」
「みんな、みんな帰りたかったけど、ここに来れなくて…私、ここに来るまで気付かなくて…みんなを傷つけて、ごめんね」
「何言ってるんだよ、ユウキ!」
もう一度ユウキに駆け寄る大輔だが、またあの空気に跳ね返されて吹き飛ばされる。
僕達は大輔に駆け寄って助け起こし、初島ユウキを見やる。
賢は煩わしげに首を振って顔を顰めた。
音が強いのだろう。
僕は真正面から感じる異様な空気に肌が粟立つのを感じた。
この言い知れぬ恐怖、いつかどこかで…。
「初島さん、これは一体どういうことなんだ!?」
いつもより大きく張り上げられた賢の声は、自分にしか聞こえていない音を振り切る為だろうか。
初島ユウキは僕達三人を見つめ、今にも飛び掛かってきそうな周囲の空気を抑え込むように自分の肩を掻き抱いた。
「この子たちは、ここに帰りたくて帰れなかったんです…」
「この子たち?」
それは彼女の周囲で蠢くものたちのことなのだろうか。
僕の問い掛けに、初島ユウキは降り注ぐ蹂躙された生命の欠片を見上げる。
「帰りたくて、必死に叫んで、たどり着いても本当に帰ることはできなくて、それが悲しくて苦しくて、暴れ出してしまったんです…私は、抑えきれなかった」
「な、んで…ユウキが、そんなっ、もん、背負ってんだよぉ」
助け起こされて膝を着いた大輔が切れ切れに紡ぐ。
これが、彼女の背負っていたもの?
死んでも死に切れない、転生もできない命の叫びを背負ってきた?
それは、そんな哀しい存在を、僕は前にもこの世界で…。
「私にも分からなかった…これが何なのか、どうしたらいいのかも。でも…これだけは分かるの…このままじゃ、この子たちはみんなを傷つけるから…」
ほんの微かに初島ユウキが泣きながら笑った気がした。
大輔が「やめろ」と呟く。
それは無意識なのか。
賢が耳を抑えて崩れ落ちるのと同時に、初島ユウキを取り巻く空気がガバッと大きな口を開けたように広がった。
次に眩い光が僕達と初島ユウキとの間に現れ、その中にノイズ混じりのデータが構成されていく。
構成されて実体化した姿を見た瞬間、僕の呼吸も心臓も動きを止めた。
そんな馬鹿な、あるはずない、ここにいるはずがないのに。
言葉にならない声が喉の奥で空回り、無我夢中で手を伸ばした先で、大きく口を開けた仄暗い色の波が初島ユウキもろともその姿を呑み込んで消えた。
ほんの一瞬のことだった。
色は消え、何も無かったかのようにデータチップだけが視界に舞い落ちる。
伸ばした手は何を掴むこともなく、蹂躙された傷跡だけが残ったはじまりの町がそこにはあった。
「あ…ウソ、だ…っ」
データチップが手に触れ、ジジっと音を立てて消える。
今しがた起こったことが信じられず、さっきまで彼女らが居た場所を呆然と見つめた。
あの色の奔流が初島ユウキを呑み込む直前、光とともに現れたあれは…。
「八神、さん…」
「!?」
賢が呟いた名前に、僕は大きく肩を震わせ、息を飲んだ。
続いて大輔が初島ユウキの名前を呟くのが聞こえた。
幻じゃなかった。
途端に手が震え始める。
自分の意志とは関係なく震える手を引き寄せ、もう片方の手で強く握り込むが、震えは収まらない。
この手は届かなかった。
目の前で消え去った彼女。
体の内側から這い上がってくる何かを止められない。
「あ、ぁあ…うぁあああああぁぁぁぁああああ!」
叫んだって、意味なんて無いことは分かっていた。
でも、どうにもならなかった。
大輔が地面を殴りつける音がした。
賢のDターミナルにメールが届く音がした。
退化したパートナーの気遣わしげな声が聞こえた。
幼年期達の啜り泣くような鳴き声が聞こえた。
遠くから、僕達を呼ぶ伊織の声が聞こえた。
でも、彼女達の声は聞こえない、姿も見えない、気配もない、この世界のどこにも…。
たとえお芝居でも、そんなに叫ぶことってないと思うんです。
アニメは別ですが…。
読んで頂き、ありがとうございました。