デジモンアドベンチャー それぞれの物語(タケル編)   作:アキレス腱
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第5話 〜曇天〜

 

 

 

季節が巡り、新しい年を迎えた日の朝、珍しくマコトから電話があった。

今年の元旦は夜明け前から厚い雲が空を占拠し、昼過ぎから雪が降るというのはネットの天気予報情報だ。

大晦日から母親の所に帰っていた僕は、例に漏れず夜更かしをし、明け方に1時間程仮眠を取り、恒例になっている初詣のために午前中の内に押しかけて来るであろう大輔達の来訪を迎えるための準備をしていた。

時折やってくる眠気を欠伸でやり過ごし、母親の作った御節を盛り付けていた時、ソファに放ってあった携帯の着信音が鳴った。仲間の誰かからかな、と思い携帯を手にとって、待ち受け画面に表示された名前に驚いた。

水崎マコト。

携帯電話の番号こそ交換していたが、彼女から電話がかかってくることなど一度もなかった。

まさか新年の挨拶ではあるまい。

何かあったのではと、かつての自室に駆け込んで通話ボタンを押した。

『高石君』

「水崎さん、どうしたの?」

携帯のスピーカーから聞こえてきた彼女の声は、冬休み前に別れた時と変わりないトーンだった。

考えすぎだったかな、と思った矢先、

『私のお父さんね、病気でもう長くないんだ』

機械を通したどこか重みを無くした音声が耳に届き、僕は固まった。

あまりに唐突な告白に、頭の処理速度が追いつかない。

父親というのは離婚後一度も会うことのないままにいた実の父親のことだろうが、何故その父親のことが降って湧いたように話題に上がり、しかも病気、それも長くはないなんて…。

混乱する頭が叩き出したのは、そんな事実を知った彼女の心境、そしてそれを自分に告げずにはいられないほどに彼女を突き動かしたものがあるということ。

「今どこ?」

『…歩道橋』

どこの、なんて聞かなくても分かる。

だがしかし、遠い。くそったれ。

心の中で誰にでもない悪態をつくと、ダッフルコートと財布を引っ掴んで、驚く母親を尻目に携帯片手に家を飛び出した。重暗い曇天が視界に飛び込んでくる。

昼過ぎなどと言わず、すぐにでも降り出しそうな雲行きだ。

風はそれほど強く無いが、冬の冷気は容赦なく肌を刺す。

「今から行くから、すぐ行くから!それと、店とかに入れとは言わないけど、できるだけ暖かい所にいて!」

無茶だけど、でもどれくらい前からそこにいるのか分からないし、身体が凍えると心もキシキシと凍えてしまうから。

けれど、今のマコトに人がいる店に入れなんて酷なことも言えない。

だからせめて、と思う。

マコトからの返事はなかったが、震えたような吐息が漏れ聞こえてきて、僕はもう一度「すぐ行くから」と伝えて通話を終える。

そして、すぐにアドレス帳を開いて本宮大輔を探し当て電話を掛けた。

「何だよタケル、まだ早くねーか?」なんて呑気な第一声を遮って、「ごめん、初詣は僕行けない。ちょっと急用!」と早口に告げ、理由を問う大輔に、「友達が事故った」などと適当な理由をでっちあげて丸め込んだ。

次に母親に電話をして、突然飛び出したことへの謝罪と、理由を少々の嘘と真実を交えて説明した。

電車を乗り継ぎ、世田谷に向かう。

乗り込んだ電車はどれも普段からは考えられないくらい空いていた。

まばらな空席が目に付く。しかし座る気にはなれず、ドア付近の手すりに寄りかかった。

電車に揺られる時間が恨めしく、その間マコトがこの寒空の下、抱えきれないものに押しつぶされそうになっているのを思うと堪らなかった。

道すがらマコトの置かれている状況を色々と想像してはみたものの、どれも楽観できる結果には辿り着かない。

一人暮らしをする世田谷のマンションからならすぐだったのにな、などとどうしようもないことまで考えた。

目的の駅に到着し、電車の扉が開くと、いの一番に駆け出した。

まばらな人の合間を縫って駅から飛び出し、マコトと初めて会ったあの歩道橋に向かう。

途中、自動販売機でホットドリンクを二本購入し、再び走り出す。

彼女は移動しているだろうか。

少しは暖かい場所を見つけて、身を縮めているだろうか。

それとも…。

駆け上がった先で、歩道橋の欄干にもたれかかり、ぼんやりと車道を見下ろしている彼女を見つけた。

黒く長い髪を腰まで垂らし、真っ白なコートに身を包んで、コートの裾から僅かに覗く紺色のスカート、そこから伸びる細い足を包むのはライトブラウンのロングブーツだった。

僕はすっかり上がっている呼吸を整え、静かに、けれど足早にマコトのもとへ向かった。

「水崎さん…」

マコトの睫毛の長さが分かる位置まで近づいて名前を呼ぶと、さすがに気づいていたらしい彼女がこちらを向くことなく答える。

「ごめんね、なんか呼びつけちゃったみたいで…」

「そんなこと…僕が勝手に来ただけだから」

「うん…ありがとう」

マコトは手袋もマフラーもしていなかった。

欄干に添えられた白い指と、黒髪から覗く耳が赤味を帯びている。

僕はコートのポケットから先程買ったホットドリンクのペットボトルを差し出した。

差し出されたそれを、マコトがまじまじと見つめる。

「さすがに水は寒いしホットの炭酸は無いから、紅茶で我慢して。それとも緑茶の方がいい?」

そう言ってもう一本を取り出すと、マコトは可笑しそうに笑って「じゃ、緑茶にする」といって緑茶のボトルを受け取った。

凍えた指先を暖めてから、マコトは「数年ぶりだなぁ」と言って緑茶のキャップを捻り、一口飲んだ。

僕も隣に並んで紅茶のボトルを開封する。

急いで買ったので好みに合わせて厳選したつもりはなかったが、ちゃっかり自分の好きなメーカーのミルクティーだった。

ミルクのまろやかな口当たりと、いかにもペットボトル飲料として製品化された平均的な甘味が口の中に広がる。

湿った唇を1月の冷たい風が即座に冷やしていく。

相変わらず頭上には曇天が横たわっていた。

雪が降る前にどこか場所を移した方がいいかと思いマコトの方を見ると、彼女はキャップを閉めたペットボトルを手の中で転がしていた。

これは、自分のことを話す時のマコトの癖だ。

僅かな間を置いて、マコトは話し始めた。

「私ね、ホントはずっと前からお父さんとちょこちょこ会ってたの」

「…うん」

マコトの話を止めることはできなくて、僕は頷いた。

「お父さんから連絡してきてくれて、お母さんには内緒で、3ヶ月に1回くらいかな…食事に行って話して」

「うん」

「色々聞いたんだ。何してるのか、どこに住んでるのか、何で離婚したのか…とか。お母さんは何も教えてくれなかったから」

「…うん」

「だから、お父さんとお母さんの間に色々あったのも、それは仕方ないんだってことも、もう分かってる」

「……うん」

「でも、どこかでもう一度家族で暮らしたいって思ってた自分もいたんだよね。そんな夢見がちじゃないって思ってたのに、お母さんの再婚にあれだけ反対したのも、根本はそれだったのかもって今じゃ思う。叶うはずないって分かってるつもりで、それでも捨てきれない期待とか希望みたいなものがあったんだなぁって…さ」

「………ん」

「けど、さ……癌だって、もって半年なんて…そんなの……絶対無理じゃん」

不規則に途切れる声、弱々しく紡ぎ出される言葉に、僕はもう「うん」とさえ返せなかった。

痛いくらいにマコトの気持ちが分かってしまうだけに、微かな希望が絶たれようとしている現状が、鋭利なナイフのように心に食い込んでくる。

生きてさえいれば、例え可能性は限りなくゼロに近くても、ゼロにはならない。

まやかしだろうが、気休めだろうが、希望を持てるか持てないかでは大きく違う。

かつて彼女は、母親の再婚というゼロに向かう筈だった道を、母親との確執という代償を支払って阻止している。

けれど、父親が死んでしまったら、ゼロになってしまう。

それだけじゃない。

父親を失う。

想像しただけで恐ろしいのに、彼女にとっては差し迫る現実なのだ。

もって半年。あまりに時間は短い。

ペットボトルを握るマコトの手が震えていたのは、きっと寒さからだけではない。

震えながら俯くマコトは、強く歯を食いしばり、必死に何かを堪えているようだった。

マコトの心の悲鳴が今にも聞こえてきそうで、僕の心も軋んだ。

ギュッと縮められたマコトの肩に手を伸ばし、触れる手前で逡巡する。

この接触は果たして正しいのだろうか。

慰める術が分からない。

安易な言葉は逆に相手を傷付ける。

かといって、何をしてあげられる?何かしたいのに、人の生き死にの前に、僕は幼いあの頃と同様あまりに無力だ。

行き場のなくなった手を握り締め、引き戻そうとした時、その手に冷たいものが掠めた。

思い当たる正体を追って空を見上げる。

暗い灰色の雲から、はらはらと白い結晶が舞い落ちて来るのが見えた。

小さな氷の粒が頬や額に触れて水に変わる。

思った通り随分と早いじゃないか。

そう心の中で呟くのと同時に肩口にトスンっと何かがぶつかった。

慌ててそちらを見ると、僕の肩に額を寄せるマコトの姿があった。

「高石君…」

少しくぐもった声が届く。

「…水崎さん?」

「………寒いね…すごく」

最後は無声音だった。

マコトの息が空気を震わせる。

降ろしかけたままだった手で、マコトの頭に触れた。

髪の毛の一本一本まで冷え切っている気がする。

漆黒の髪を撫でるのを、マコトは何も言わずに受け入れていた。

 

 




色々な意味で曇天模様。
折れ線グラフで言えば降下中です。じき底辺。

読んで頂き、ありがとうございました。



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