デジモンアドベンチャー それぞれの物語(タケル編) 作:アキレス腱
シャワーを浴びて部屋に戻ると、サイズの合わない大きなグリーンのTシャツと、裾を折り曲げた黒いジャージに身を包んだマコトがテレビを観ていた。
黒い髪は緩く一つに束ねてある。
ローテーブルの上には本日2杯目である飲みかけのココアが置いてあり、何故かもう一つ湯気の立ち上るマグカップがあった。
ここからでは中身は伺えないが、僕の分だろう。
僕は濡れた髪をタオルで撫でつけ、後ろめたさで一杯になりながらも、マコトの隣に人2人分の空間を開けて正座した。
「あの…すみませんでした」
腹を括って謝ると、マコトが振り返る。
と同時に思いっきり顔を背けてしまい、妙な沈黙が流れた。
全く腹なんて括れていないじゃないか。
バツの悪さと羞恥心とでマコトの顔が見れない。
すると、正面からやれやれとでも言いたげなマコトの溜息が聞こえてきた。
「気にするなってのは無理だろうけど、私は大丈夫だから。それに、高石君だけが悪いわけじゃないし」
あまりに冷静なマコトに僕の方が焦り出す。
何故一度も僕を責めないのか。
行為の後だって、詰って罵って殴ったっていい筈の彼女は、自分を犯した相手を慰めた。
理解できない。
「そんなっ…あれは僕が、全部」
悪い、と言うよりも早くマコトが口を開く。
「高石君が1人にしてってわざわざ遠ざけようとしたのに、無理にそばにいようとしたのは私だよ。ちゃんと警告してくれたのに」
「でも、それでもして良いことと悪いことはあるよ!あんな、無理矢理っ」
なんでこんなに冷静に相手を思いやれるのか理解できなくて、僕は思わず声を荒げた。
だっておかしいだろう。
僕は君を強姦したんだ。
本来ならこんな風に話すことなんて許されない筈なのに、何だって君はまだここに居続ける?
シャワー浴びて、僕の服を着て、僕の分の飲み物を用意して、何で今し方押し倒されていいように弄ばれた空間でテレビを観ているの?
なぜまた近くに座る僕を警戒しないで、そんなに真っ直ぐ僕を見ていられるの?
何で、何で何でなんで!?
乱暴に組み敷いた僕の気持ちを、理解って、汲んで、受け止めて、救ってくれたの?
彼女にぶつけたいたくさんの疑問が次々と口をついた。
そのどれもこれも、自分で口にしていて悲しくなる。
責めてくれ、詰ってくれ、そうでないと…。
矢継ぎ早に投げつけた疑問の数々を、マコトはゆっくり呑み込むように間を置いて、やっぱり負の感情の宿らない瞳で言った。
「私が一度でも嫌だって言った?」
「なっ…に…」
予想の斜め上を行き続ける彼女の返しに、僕は言葉が出なかった。
「確かに強引だったかもね。でも私は嫌じゃなかった。ただ乱暴なだけじゃなかったもん。ちゃんと優しかった。それに、高石君が凄く辛そうな顔してたから…」
「え…?」
「いつかの時みたいに、どこかに行ってしまいそうな気がした。今手を離したらダメだって思った。身体の痛みなんて大したことなかったよ、高石君を繋ぎ止めておけるなら。私にとって高石君は大事な人で、失いたくない存在なの。それは、前に高石君が言ったみたいに恋愛とはちょっと違うのかもしれない。けど、それでも大事な事に変わりないよ。いなくなって欲しくない。後で高石君が、それこそ死にたくなるくらい後悔するんだろうなとか、きっと何度も私に謝るんだろうなとか、償いだって言って自分を犠牲にしようとするんだろうなとか、簡単に予想できた。簡単に予想できてしまうくらい、高石君は優しい人。でも…」
それから後に語られたマコトの中の僕の姿は、多分全て的を射ていたんだろう。
冷めたココアを喉に流し込む。
甘さの好みが分からないから、砂糖はスティックシュガー3本分にしたと言っていたマコトの作ったココアは、僕には少し甘かった。
あの後、洗濯を終えたマコトの服をドライヤーとアイロンを駆使して乾かし、乾いた服に袖を通して彼女は帰っていった。雪も降っていたし、送ろうかと言ったら、その顔で?と泣き腫らした不細工な顔を指摘され、渋々断念し、玄関で見送った。
鏡で確認したが、確かに酷い顔をしていた。
寝不足と泣きっ面のダブルパンチで、とてもじゃないが他人には見せられない顔だった。
これじゃ仲間に合流することもできない。
まあ、それでなくても合流なんてできなかったけど。
こんな最低なことをしでかしておいて、のうのうとあの中になど戻れないし、何よりヒカリの顔をまともに見れる自信がなかった。
組み敷いて乱れていくマコトに、誰を重ねていたかなんて、今更確認するまでもないのだ。
「…最低だな、僕」
自分を嫌いになる要素しか無い。
でも…
『でも…
優しいけど、その優しさに潰されそうで危うい。きっとそれは寂しいせい。極度の“寂しがり屋”がいつも高石君の足下に蹲ってる。残される辛さを知ってる高石君は、置いていかれるのが恐くて泣いてるその“寂しがり屋”を置き去りにはできないから、いつまでもそこから動けない。友達が皆その場を離れてしまっても、大好きな人が行ってしまっても、高石君だけは離れられない。その“寂しがり屋”は高石君にとって厄介だけど大事な存在なんだね。でも動けない高石君は辛いよね。だからさ、ちょっとだけ視点を変えてみたらどうかな?その“寂しがり屋”の隣で、同じ目線になって蹲ってみて、その子の顔をよぉく見て…そしたら、もしかしたら…
自分を好きになれるかもしれないよ?』
何度も反芻したマコトの言葉をまた思い出す。
僕の足下の“寂しがり屋”。
その存在は何年も前からずっと感じていた。
命懸けで走り抜けなければならなかったあの夏に置き去りにしてきた、『寂しさの塊(トラウマ)』。ずっと向き合うことを避けて、でも逃げ出すこともできず、マコトの言う通り、身動きできなくなっていた。
『同じ目線で…』と投げ掛けたマコト。
できるだろうか。そろりと足下に視線を落とせば、そこには膝を抱えた“寂しがり屋”が現れる。
ギクリと心に緊張が走る。
何泣いてるんだよ。
いつまでもそんなんじゃダメだろう。
置いてかれる。
そんなんじゃ置いていかれるよ。
お父さんに、お母さんに、お兄ちゃんに、太一さんに、空さんに、光子郎さんに、ミミさんに、丈さんに…ヒカリちゃんにも!
ぼんやりと浮かぶ、蹲る“寂しがり屋”を叱りつけるもう一人の“寂しがり屋”がいた。
ああ、やっぱりお前もいるのか…。
妙に納得してしまった。
僕はもう一人の“寂しがり屋”のことも知っていた。
そいつはいつも僕の背中にいた。
頑なに足下の“寂しがり屋”を否定してきたそいつは、懸命に自分の正しさを信じてきた愚か者だ。
でも、そいつも必死で走ってきたんだ。
3年という時間では『トラウマ』を清算できず、孤独の中でとうとう誰にも弱さを吐露できないまま…。
でも、だからまた置いてきぼりなんだよ。
大輔に、賢に、京さんに、伊織君に、ヒカリちゃんにも。
背中にいるそいつに語りかける。
返事は無い。
足下の“寂しがり屋”は泣いたままだ。
深く息を吐き出して目を閉じ、再び開けた世界には、二人の“寂しがり屋”はいなかった。
タケルを縛るのは常に自分自身なのではと思っています。
読んで頂き、ありがとうございました。