導入部分で燃え尽きた残りカス   作:キューブケーキ

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トリューニヒトに娘が居たら何て考えた、同盟側でのオリ主物。
※最終加筆2020/01/08


トリューニヒトの娘だと何か? 1~16話

第1話 糞ッタレのパパですか?

 

 閑静な高級住宅街の一角に、トリューニヒト家の白亜の邸宅はあった。そこに、望まれて生まれた一人娘がいた。名はエイミー。父ヨブ・トリューニヒトは自由惑星同盟の国防委員にして、同時に家庭内においても善良な父親であった。

「エイミーちゃん、パパですよ~」

 幼い娘をあやす姿は、国家に関わる要職とは到底思えぬほどに柔和だった。エイミーはきゃっきゃと笑い、小猿のように父の胸に飛びついた。

 だが娘が小学校に入る頃には、世間の声も耳に入るようになる。

「お前の親父、国防委員だってな」

 ある日、同級生の少年が話しかけてきた。

「うちのパパが言ってた。お前の親父は戦場に出ない腰抜けだって」

 少年は悪意からではなかった。人気者のエイミーに一言物申したいだけだったのだ。だが、エイミーにとって父は正義の象徴だった。侮辱は許せなかった。

 小さな男の子の指が、無邪気に彼女の胸を押した。

 エイミーの視界が静かに色を失った。

 次の瞬間、骨の中で何かが潰れる音がした。

 拳が頬を叩き、もう一度叩き、潰れた鼻血が制服の袖に散った。

「黙れ、ダボハゼ」

 唇の端に血がついているのも、もうどうでもよかった。

 それを見ていた他の子たち――彼女を日頃からからかっていた取り巻きの数人が、恐怖を押し隠して笑おうとした。

 エイミーはゆっくり立ち上がり、倒れた少年の背中に座った。

 まだ鼻血が止まらないのに、椅子代わりにするように、体重をかけた。

 大人になればご馳走だが泣き声が廊下に響いた。

「舐めなさい」

 靴の先を突き出した。血と埃で汚れた白い革靴。

 誰も逆らわなかった。子どもたちはひざまずき、口を近づけて、恐る恐る泥と血のついた靴先に唇を押し当てた。

「パパの悪口を言ったら、こうなる」

 声はまだ幼いのに、廊下の奥まで鋭かった。

 誓いのように、誰も目を合わせなかった。

 

 

「エイミー、暴力はいけないぞ」

 父は膝に娘を乗せ、穏やかにたしなめた。エイミーは頷きながらも言い張った。

「でも、パパのことを……」

 父を守るためには、手段を選ばぬと、彼女は幼心に誓った。

 軍に入るか、政治家になるか。この世界を変えるには、それしかない。

 その日からだった。椅子代わりにされた鼻血まみれの少年の背で、少女は冷たい目をしていた。

 この学校で、エイミー・トリューニヒトを怒らせる者はいなくなった。

 廊下の隅に、泣きながら跪いた生徒がいた。

 膝を擦り、唇を震わせ、何度も謝った。

「パパを馬鹿にした罰を知ってる?」

 エイミーの声は冷たく笑っていた。

 校庭に響く子供たちの声と、教室のカーテンのはためきだけが静かだった。

「その汚いポークビッツ、出して。自分でやってみせて。私の前で。今すぐ」

 少年の顔が真っ赤に染まり、肩が震えた。

 それでも逆らえなかった。白い指先が、命令の証だった。

 誰も口外しなかった。

 教室の噂話にも、家庭の夕食にも、その恥は持ち出せなかった。

 小さな王国は、恐怖と父の名で密封されていた。

「パパの悪口を言ったら、こうなるの」

 誰も知らないところで、彼女は王座に座り続けた。

 やがて先生たちの間でも、「トリューニヒトさんは、まだ小学生だがやり過ぎでは」と囁かれた。

 年端もいかない少女が、指一本で校内秩序を動かす。

 小さな国防委員だった。

 その後、誰もエイミーに喧嘩を売ろうとはしなかった。

 傷つけられたくないからではない。

 もっと深いところで、誰も、自分の醜さを暴かれたくなかったからだった。

 

 

 やがてエイミーは士官学校に進む。トリューニヒトの娘として、周囲の視線は厳しかった。だが彼女は、純粋な実力で応えた。戦闘シュミレーターでは“撃墜王”の名を得、校長からは「二十五年来の逸材」と評された。訓練では、仲間を凌ぐ操縦技術と判断力を発揮した。

 ワイドボーン、同級生のひとりは言った。

「戦略論を軽視してはいけない」

 だが彼の堅実さは、エイミーの電撃戦には通用しなかった。

「戦術の基礎がなっていない。戦略を語る前に、候補生失格です」

 ワイドボーンは敗北の屈辱を感じ、同時に不思議な快感も覚えた。抑圧と支配、その響きに陶酔していく。

「俺と付き合ってくれ。もっと罵ってくれ!」

「頭の中、ウジ虫湧いてるんですか?」

 エイミーは彼を冷笑し、距離を置いた。これを知ったトリューニヒトは烈火の如く怒った。

「娘をストーキングするなど、軍の倫理はどうなっているのか?」

 士官学校はワイドボーンを退学処分とした。

 それでも彼は諦めず、実家付近でエイミーを待ち伏せしようとしたが、元軍人による民間警備会社に取り囲まれ、未遂のまま逮捕された。

 

 

 宇宙暦789年2月、少尉任官を前にして配属希望を問われたエイミーは、迷いなく言った。

「最前線。出世の早そうな部署を希望します」

 担当教官は渋い顔をしたが、エイミーは自らの意思で薔薇の騎士連隊を選んだ。

 愚連隊に近いその部隊でなら、己の価値を証明できると信じていた。

 彼女の目指すものは、父の名誉ではない。大切な者を守るための力だった。

 

 

第2話 

 

 ――空気が腐っている、と思った。

 配属初日の艦内通路。

 油と消毒液と、男の匂いと、硝煙の痕跡が薄く漂っている。

 薔薇の騎士連隊。名誉と無頼の境目で死臭を撒き散らす集団。

 その檻に、自分の居場所を押し込んだ。

 駆逐艦、それは量産される消耗品である。老朽化した船体は改装の手間よりも新造の方が合理的であり、残されたものは標的艦として訓練用に供される。

 エイミーが配属された薔薇の騎士連隊本部管理中隊は、実戦部隊の支援を担いながら、実質的に連隊全体の訓練計画を一手に引き受ける部署だった。

 定員割れと人材不足の中で、新米少尉は端末の前で苦悩していた。

「なんで私がナンバー中隊の面倒まで見なきゃいけないのよ……」

 ぼやく声に気配を感じ、冷たい缶が頬に当たった。「ひゃっ」飛び跳ねたエイミーが振り返ると、シェーンコップ中佐が飄々と笑っていた。

「根を詰めすぎと効率が落ちます。一息入れてはどうです?」

 セクハラと訴えますよ、と睨む彼女の態度も、中佐は意に介さない。

「渋々ですからね」とエイミーは缶を受け取り、レモネードの甘さに小さく安堵した。シェーンコップはウィンクひとつ残して去っていった。

 薔薇の騎士連隊は、本部、本部管理中隊、ナンバー中隊から成る。大隊制は過去の損耗により廃され、歴代連隊長の多くが戦死、数人が将官へ昇進した。

 第12代連隊長ヴァーンシャッヘ大佐は、帝国出身者の混成で構成されたこの部隊において、エイミーの存在に不安を抱いていた。

「中佐、あの少尉の様子はどうか」

 副連隊長シェーンコップへの問いは、スパイの可能性を探る意図があった。だが彼は飄々と返す。

「あれは母親似でしょうな」

「信用できるかどうかを聞いている」

 シェーンコップもまた、無根拠に疑うことは嫌いだった。「職務には忠実。模範的です」その返答に、大佐は不満げな表情を浮かべた。

 だが命令は一つ。「引き続き監視せよ」

 

 第八艦隊との合同演習において、連絡将校として派遣されたのはヤン・ウェンリー少佐だった。

「ヤンです。よろしく」

 エル・ファシルの英雄と呼ばれる男に、大佐はやや過剰な期待を示す。エイミーはそれを冷めた目で見ていた。彼女の頬をまた指が引っ張る。

「何するんですか!」

「演習は長い。肩の力を抜け」

 シェーンコップの悪癖に部隊員は慣れていた。

 彼が粉をかけた女性士官の数は、冗談抜きで大隊編成が可能と言われている。

 その餌食に今回も――と見えたが、エイミーの反応は冷淡だった。

「キモいんですけど」

 その様子を見て、クローネカーが口にした。

「中佐、狙ってます?」

 笑いが起きる。

「それも面白いな」と返す彼に、リンツは半ば本気で問うた。

「冗談ですよね?」

 演習は、イゼルローン回廊に近いイマクニ星域の小惑星レーダー基地メノクラゲを巡る奪還想定で行われる。帝国軍の占領を想定し、第八艦隊が制宙権を確保した上で、連隊が降下・奪還を図る。

「艦砲で吹き飛ばせば済むのでは?」

 演習計画に疑問を呈したエイミーに、ヤンは低く答える。

「演習とはそういうものだ。情報を奪取する、という想定もある」

 納得しかけたそのとき、また頭の上に手が置かれた。

「やめてください。髪がくしゃくしゃに」

 ヴァーンシャッヘ大佐の視線が厳しくなる。

 エイミーの行動、彼女の周囲は逐一、父トリューニヒトに報告されていた。

「シェーンコップは危険人物だ」

 娘を巡る環境に苛立ちを覚えたトリューニヒトは、元帥シトレに会う機会を求めた。応接室に現れた政治家は、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべていた。

「国家総力戦において、女性士官を守る制度も必要だと思うのだよ」

 社会経験の乏しい娘が、不埒な男に翻弄されるのは許せない。彼の言いたいことは一つだった。

「悪い虫を、どうにかして欲しい」

 シトレは内心ため息をついたが、口には出さなかった。

 

 

 

第3話

 

 薔薇の騎士連隊は演習後も前線宙域に留まり、巡察任務と哨戒演習を兼ねて小型艦隊を展開していた。

 第八艦隊と分離後、連隊本部はクライン砂宙域の近傍に設けられ、名目上の休養期間が与えられていた。

 本部管理中隊の仮設事務室では、エイミーが日報の整理を続けていた。

 端末の光に照らされる無表情な横顔に、缶入りコーヒーの影が差す。

「少尉。夜更かしは美容の大敵ですぞ」

「……また貴方ですか」

 シェーンコップ中佐が隣に腰を下ろす。

 ノックもなく勝手に入ってきたのはいつものことだ。

「妙齢の女性が書類仕事に没頭するのは色気がない。少しは私に甘えてくれても構わない」

「冗談は顔だけにしてください」

 エイミーは目を伏せ、表情を変えずに返す。

「むう、これは手厳しい」

 だがシェーンコップは怯まない。

 椅子の背にもたれ、くつろいだ声で続ける。

「私はね、あなたのような気の強い娘が心配なんですよ。政治家の娘として、余計な注目も多いでしょう。味方ばかりとは限らない」

「だからといって、上官が色目を使って良い理由にはなりません」

「色目ではない。これは、人生の先輩としての忠告だ」

「その手の忠告に耳を貸してきた女が、どれだけ傷ついたか御存知ですか」

 しばし沈黙が流れた。

「私は君に敵意はない。むしろ、少しばかり情が移りかけている」

「それをセクハラと言うんですよ」

「……そうか」

 彼は静かに立ち上がり、帰ろうとした。

「シェーンコップ中佐」

 呼び止める声に、シェーンコップは少しだけ振り返る。

「お気遣いには、感謝しています」

 彼女の声は柔らかかった。それでも笑顔は見せない。

「おお……これは貴重な一言だ」

 シェーンコップは軽く敬礼して部屋を後にした。

 だがその夜、エイミーは眠れなかった。部屋に戻っても、ベッドの上で繰り返し浮かぶのは、あの男のくつろいだ声と、あの時の静かな眼差しだった。

 

 

 

第4話

 

 休憩所と呼ぶには殺風景な、宇宙艦の一室が女性隊員専用の談話スペースとして開放されていた。

 エイミーはカップに注がれた人工香料入りの紅茶を前に、無言で周囲の会話を聞いていた。

「中佐ってさ、やっぱり昔はプレイボーイだったんでしょ?今でもそうだけど」

「昔だったのかどうか、今でも伝説だよ。輸送艦の整備兵、メディック、通信士官……片っ端から落としてるって話」

「しかも、ひと晩限りの女は絶対作らないっていう。必ず連絡を絶やさないって、どこか律儀よね」

 噂話に混じる艶笑。誰も本気で責めない。

 それがこの部隊の空気だった。

 笑い声が弾む中で、エイミーは一口だけ紅茶を啜った。喉を通っても味はしなかった。

「でもさ、最近は少し落ち着いてきたよね。トリューニヒト少尉と関係あるのかな」

 その名前に、場が一瞬静まった。

「え、まさか……ないでしょ」

「ないとは思うけど、最近よく話してるし……中佐って、興味ない相手には近づかないって有名だし」

 視線がちらちらとエイミーに向かう。

「……わたしは、何もされていません」

 静かに呟いた彼女の言葉は、空気を固めた。だがその抑えた声に、誰も追及はしなかった。

「まぁ、あの中佐のことだし、軽口で終わるでしょ。あの人、深い関係にはならないって言われてる」

「逆に、深くなるのが怖いんじゃないの?」

 会話は別の話題へと流れていった。エイミーは飲みかけの紅茶を置き、席を立った。後ろから呼び止める声もなかった。

 通路を歩きながら、彼女は自分の心臓が少し早く打っていることに気づいた。

 シェーンコップに抱いたわずかな感情――それが、噂という形で他人の口に上っただけで、これほどまでに心が乱れるとは思わなかった。

 何でもない。そう思いながら、彼女は制服の襟元を少しだけ強く正した。

 

 

 

第5話

 

 女でも欲情する。

 子どもではなく、もう女だから。

 エイミーは誰にも言わなかった。誰にも見せなかった。

 月のものが始まる前の数日、身体の奥で火が燻るように熱を孕むのを、彼女はもう何度目かで知っている。

 鈍く重い下腹の感覚が、いつの間にか柔らかな甘い痺れに変わり、誰の指でもいいわけではないのに、誰かの指を欲してしまう。

 生物的には大きな根っ子の熱で、冷える腹の奥を埋めてしまいたい。

 ——明日には、赤い雫がすべてを洗い流してくれるだろう。

 それまでのわずかな猶予を、欲望に明け渡す。

 月経の時、白い下着に触れる度に、自分の芯が熱く疼く。

 血の匂いに、動物の奥が目を覚ます。

 けれど。だからといって、誰でもいいわけじゃない。

 犬の舌でも、泣き声を上げる獣の指でも、穴を満たすだけなら幾らでもいる。

 欲しいのは、そういう熱じゃない。

 あの男だけが、違った。

 ワルター・フォン・シェーンコップ。

 噂と女の匂いにまみれた、剣のような笑い声。

 無神経な指先が頬に触れたとき、心が小さく逆立った。

 嫌悪と同じだけの熱。

 蹴飛ばしてしまえば消えるのに、視線が残る。

 夜。

 眠りの底で、背中にあの指が触れた気がして目を覚ます。

 喉が渇いて、水を飲んでも渇きは消えなかった。

「……欲情してるの、わたしが?」

 呟いた声が、鉄の壁に吸われて消えた。

 舌を噛んでも、疼きは消えなかった。

 ――誰でもいいわけじゃない。だが、一人では終われない。

 この檻の中で、誰よりも心に爪を立てて耐えてみせる。

 休暇日、宇宙通信を通じて接続された映像越しに、ヨブ・トリューニヒトは娘の姿を見ていた。

 画面の向こうでエイミーは軍服のまま、背筋を伸ばしていた。だがその表情には、どこかいつもの鋭さがなかった。

「どうした、エイミー。顔色が優れんようだが」

 彼の声音には、父親としての優しさと憂いが滲んでいた。

「……パパ。わたし、少しだけ怖いの」

 言葉を選ぶように、彼女は静かに言った。

「怖い?」

「誰かがわたしに何かを向けてくるとき、それが敵意なのか、好意なのか、分からなくなるときがあるの。見抜けないのが怖いのよ」

 トリューニヒトはしばらく黙った。やがて画面の向こうで椅子の背にもたれ、静かに頷いた。

「エイミー。人の心というものは、そもそも分からぬものだ。私のような者でも、それは同じだよ」

「でも……その人のことを嫌いじゃないって思ってる自分がいて、それも分からなくて」

「その男は、君に無理をさせているのか?」

 エイミーは首を振った。だが、それが否定か肯定か、自分でも分からなかった。

「そうか。……ならば、焦らずともいい。君が本当に恐れるべきものは、他人の感情ではなく、自分の弱さだ」

 父の声は静かだった。説教ではない。命令でもない。迷い、躊躇い、揺れる娘に対しての、ただの助言だった。

「私は、君の味方だ。たとえ全世界が敵に回っても、父親である限り、君を信じる」

 それを聞いたエイミーは、ほんのわずかに目元を緩めた。

「ありがとう、パパ」

「愛しているよ、エイミー。だが次の休暇には、少しだけでもスカートを穿いてくれ。君は美しいのだから」

「……そっちは忘れていいわ」

 通信が切れた後、エイミーはしばらくモニターを見つめていた。彼女の中にある不安は消えていなかったが、それでも、揺れる心の底に、かすかな灯がともっていた。

 

 

 

第6話

 

 エイミーとの通信を終えたあと、ヨブ・トリューニヒトは長い沈黙の中にいた。指の間でペンを回しながら、虚空を睨むような視線を応接室の一点に注いでいる。

 彼のデスクにあったのは、軍人の人事情報と、内部監査報告書だった。

「ワルター・フォン・シェーンコップ中佐」

 名前を声に出してみると、喉の奥に苦味が湧いた。愉快な男ではない。愛嬌で誤魔化し、女をたぶらかす風情は、国家の柱たる軍人には不適格としか映らなかった。

「娘が怯えるような対象を、放置してはならぬ」

 呟きながら、通信端末を操作する。繋がったのは議会の公安委員会に連なる内局の一人、灰色のスーツを着た無表情な男だった。

「調査を頼みたい。対象の部隊記録、交友関係、勤務評価内容、すべて洗え」

「承知しました。対象に接触しますか?」

「いや。今はまだ動かすな。ただ、こちらが見ていることだけは伝わるようにしておけ」

「了解」

 通信が切れると、トリューニヒトは眼鏡を外し、目頭を押さえた。娘の口から怖いという言葉を聞いたのは初めてだった。

「愚かな男だ」

 私の娘を惑わせるには、分をわきまえぬにも程がある。だが政治家としての彼は、怒りを表に出さない。

 静かに、冷徹に、対象を取り除く手段を選ぶ。それが、この国を支えるということだった。

 

 

第7話

 

 ワルター・フォン・シェーンコップは、警戒されることに慣れていた。いや、むしろ、それを愉しむ類の人間だった。

 連隊本部の小さなバーカウンターでグラスを傾けながら、彼は背後の気配を背中で受けていた。

 監視。それも軍の筋ではなく、もっと湿った眼差し。情報局あたりか、あるいは──議会筋。

「やれやれ……トリューニヒト氏のお気に入りというのも楽じゃない」

 口元に皮肉な笑みを浮かべ、赤い液体を喉に流し込む。自分が誰に見られているか、なぜ見られているか、理解できないほど鈍くはない。むしろ、それこそが彼を昂らせていた。

 ――可憐な花ほど手折る価値がある。誰かに大切に育てられたものなら、なおさら。

 それは信念というよりも、嗜好に近い。だが彼は、ただ弄んでいるつもりなどなかった。花に触れるとき、指先には慎重な優しさがあった。壊したくないのだ。

 だが、自分の指の熱でゆっくりと崩れていくなら、それもまた運命だろう。

「トリューニヒト少尉……君はどこまで私に踏み込ませてくれるのかな」

 酒精の灯る静かな部屋の中で、彼は独り言のように呟いた。

 ――何人たりとも、彼を止めることはできない。禁じられるほどに価値が増す。それが、ワルター・フォン・シェーンコップという男だった。

 

 

 

第8話

 

 艦の灯が落ちた深夜。連隊本部の通路は、まるで宇宙の片隅のように静かだった。

 エイミーは勤務交代の帰り、眠気を紛らすために冷たい飲料を求めて補給区画へ向かっていた。

「夜の巡回ですかな、少尉」

 声に振り返ると、影の中から現れたのはシェーンコップだった。制服の上着を脱ぎ、シャツの襟を緩めている。

 彼の姿があまりに自然で、エイミーは一瞬だけ返答を忘れた。

 

「……ただの夜食です。監視されているようで不愉快です」

 

「では、偶然を装いましょう。私は今、あなたとここで出会ったことにした」

 

 軽口に乗るつもりはなかった。だが彼の歩幅が自然と隣に並ぶと、エイミーは拒絶の言葉を見つけられなかった。

 

「あなたが何を考えているか、分かりません」

「私も分かりませんよ。あなたが何を求めているのか」

 

 不意に彼が足を止めた。通路の明かりに照らされて、二人の影が重なる。

 

「少し、試してみますか」

 

 言葉の意味を理解するより早く、彼の手が肩に触れた。次いで顔が近づく。エイミーは一瞬、身体を硬直させた。呼吸の音が近い。睫毛が触れそうな距離。

 

「送り狼という言葉をご存知ではないようですね」

 

 そう言うと、微笑んだシェーンコップは、エイミーの頬に手を添え唇を重ねた。

 拒む隙も、息を呑む間も与えられなかった。

 口づけは一瞬にも思え、永遠にも感じられた。

 彼女はその場に立ち尽くし、やがてじわっと目に涙が滲んだ。

 何の感情なのか、自分でも分からなかった。

 低い声が喉をくぐる前に、エイミーの唇が震えた。

 

「……もう止めてください」

 

 声は細いのに、空気を切った。

 シェーンコップの指が止まる。

 

「副連隊長、セクハラは……やめてください。」

 

 指先を握り込む。

 震えているのは彼女の方だった。

 

「私……本当に……疲れてるんです。」

 

 目を伏せると、まつ毛が微かに濡れていた。

 

「帰らせてください。……眠りたいだけなんです。」

 

 声が割れた。

 熱も恐怖も、全部剥き出しの小さなお願いだった。

 彼の指が、頬から滑り落ちる。

 ふっと、鼻先で笑った気配。

 

「……なるほど。まだ、早かったか」

 

 手を離しながら、シェーンコップはため息のような笑みをこぼした。

 

「二度としないでください」

 

 彼女はそう言い残し、踵を返して歩き去った。背中を見送りながら、シェーンコップは独り言のように呟いた。

 

「だが拒まれるほど、価値が増す。君は本当に、いい花だ」

 

 

第9話

 

「戦場でなら、君を抱けるか?」

 

 エイミーは居室の端末に視線を落としたまま、拳を握っていた。

 シェーンコップの声が耳に残る。

 吐き気と同じだった。

 誰も言えない。誰も止めない。

 だから、私が言う。

 指先が冷たくなるほど硬くキーを叩く。

 軍法務部へ、監査局へ、同時通報。

 

【件名】副連隊長の継続的なセクハラについて

 

 内容:執拗な身体接触、同意なき言動、暗所での接触未遂、心理的圧迫

 

 証拠はない。

 でも、この声だけで十分だ。

 最後に、一行だけ。

 

「死ね」

 

 誰に向けたのか、自分でも分からなかった。

 男か、檻か、この醜い熱か。

 送信ボタンを押した瞬間、肩の奥がじんと熱くなった。

 

 

 

 自室の通信端末が鳴ったのは、午前二時を回っていた。政務日程に追われるヨブ・トリューニヒトにとって、その時間はわずかな仮眠の最中だった。

 呼び出し音の主が“エイミー”であると知った瞬間、彼は一切の眠気を払い、応答ボタンを押した。

 

 画面に映った娘は、制服のまま、ひどく取り乱していた。瞳は赤く、唇が震えている。

 

「パパ……」

 

 その声に、彼の喉がつかえた。

 エイミーが泣き顔を晒すのは、幼い頃を最後に一度もなかった。

 

「どうした、誰だ……誰が君を泣かせた」

「……わたし、何もしてないのに……勝手に……」

 

 言葉が途切れがちで、意味をなさない。だがトリューニヒトは、娘の怯えた表情からすべてを悟った。

 

「シェーンコップか」

 

 エイミーは何も言わなかった。ただ、うつむいたまま、小さく頷いた。

 彼の指が静かにデスクの端を叩いた。

 

「もう大丈夫だ。君を傷つける者は、誰であれ、私が許さない」

「でも……軍の人事に、パパが口を出したら、問題になるでしょ……」

「私は父親だ。国防委員である前に、父なのだ。国家を守るのも大事だが、娘を守れぬ者に、国を語る資格はない」

 

 画面の向こうでエイミーは、言葉もなく肩を震わせていた。やがて、小さな声で絞り出すように呟いた。

 

「パパ……こわかったの……」

 

 トリューニヒトは静かに頷き、椅子から立ち上がると、すぐに複数の回線に命令を下した。   

 口調は冷静だったが、その声には一片の容赦もなかった。

 

「対象は許可なく接触し、女性士官に対して不適切な行為を行った。即時調査に移行しろ。必要なら軍法会議も辞さぬ」

 

 端末を切った後、彼はしばし拳を握ったまま天井を仰いだ。父の顔に戻った彼の表情は、血の気を失っていた。

 

「娘を泣かせる者に、未来などいらん」

 

 

第10話

 

 連隊本部に静かな嵐が吹いたのは、翌日の昼だった。予定されていた指揮官幕僚会同の直前、監査局の監査官と軍法務部の法務官が連隊長室を訪れた。

 

「シェーンコップ中佐。今回ばかりは少々、穏やかでは済まないと思ってください」

 

 冷たい声音だった。

 

「あなたが相手にしたのは、どこにでもいる女性士官ではない。国防委員トリューニヒトの娘──あの箱入りだ」

「……なるほど」

 

 シェーンコップは椅子に座ったまま、ワイングラスを回すように指を組んだ。

 

「そして当然、上からは調査の徹底と処分の可能性について指示が来ています」

「それはそれは」

 

 部屋に立ちこめるのは緊張ではなかった。韜晦し、彼の周囲だけがまるで別の空気に満たされているようだった。

 

「日頃の素行がこれだけあれば……正直、庇い立てする声も少ないでしょうね」

「いやあ、困った。誰か私を擁護してくれませんかね」

 

 自嘲めいた笑みを浮かべて、彼は応じる。その態度がまた、監査官と法務官の苛立ちを煽った。

 

「軍法会議にかけるつもりはありません。証拠と当人の申告が足りませんし、相手も明確な告発をしていない。ですが──」

「ですが?」

「あなたの行動は明らかに問題だ。再発すれば、今度は即時拘束もあり得ます」

「心しておきましょう」

 

 応接の場を終えたあとも、シェーンコップはまるで散歩でもしていたかのように悠々と自室へ戻った。

 周囲の隊員たちは、沈黙の中に奇妙な緊張を共有していた。

 だがその中で、エイミー・トリューニヒト少尉は、何事もなかったかのように執務席に戻っていた。

 淡々と端末を操作し、次の訓練予定を更新している。誰もが彼女の心境を測りかねたが、エイミーは毅然としていた。

 口元は結ばれ、目線は揺れない。──職務とは、感情を押し殺してでも果たすもの。

 彼女のその態度こそが、まさに父譲りだった。

 

 

第11話

 

 数日後の深夜。窓もない連隊本部の士官ラウンジにて、シェーンコップはひとり酒を飲んでいた。ほとんどの隊員が仮眠に入っている時間帯、彼は誰の視線も気にせず、グラスを指先で揺らしていた。

 

「いやはや……見事なまでの包囲網だ」

 

 上層部、議会、そして周囲の隊員たちから向けられる視線。それがどういう意味か、彼にはわかっていた。

 ──もう、次はない。しかしその自覚は、彼の動揺には繋がらなかった。

 

「障害が大きければ大きいほど、燃えるものだ」

 

 誰に語るでもない呟きに、自嘲とも情熱ともつかぬ熱が混じる。

 彼にとってエイミー・トリューニヒトは特別な存在だった。

 若さだけでも、血筋だけでもない。あの目の強さ、言葉の刃、冷たい態度の裏に見えた微かな揺れ。あれは、簡単に手に入るものではない。

 ──だからこそ、欲しくなる。

 だが彼自身、分かってもいた。これは本能であり、衝動であり、たぶん破滅の始まりだということも。

 

「反骨精神が仇になるか……さて、それもまた運命かもしれんね」

 

 酒の底を見つめながら、シェーンコップはただ静かに笑った。

 彼にとって、人生とは常に賭けだった。だからこそ、後悔など、最初から想定していない。

 

 

 

第12話

 

 薔薇の騎士連隊の日常が静かに戻ってきたように見えた。だが、その均衡は脆く張りつめていた。

 本部管理中隊での事務連絡、訓練計画の進行、報告書の承認──連隊長室を含むこれらの業務は、当然、少尉たるエイミー・トリューニヒトと副連隊長であるシェーンコップの間でも交差する。

 意図的な無視。それが彼女の選択だった。

 公務上のやりとりは、可能な限り部下を介し、顔を合わせる必要が生じた場合も、視線すら合わせない。言葉は礼儀を守り、態度は冷ややか。完璧な線引きだった。

 ──それでも、彼の視線は、彼女を追っていた。

 連隊長室の会議、訓練視察、食堂の片隅──どこにいても、ふとした瞬間、目が合う。いや、合ってしまう。

 それが偶然でないことを、エイミーはすぐに理解した。だが、それ以上は何も言わず、表情を変えず、ただ任務に集中した。

 周囲も何も言わなかった。いや、誰もが見て見ぬふりをしていた。

 あの副連隊長は危険だ。だが、戦場では必要な男でもある。エイミーが毅然としている限り、誰も手を差し伸べようとはしない。それがこの部隊の秩序であり、沈黙の合意だった。

 エイミーは完璧だった。どこまでも冷静に、整然と職務を果たし続けていた。

 ──だが視線の熱は、日に日に強くなっていた。

 

 

 

第13話

 

 勤務終わりの通路で、エイミーはふと立ち止まった。背筋にひやりと冷たい感触。空調ではない。気配だった。

 振り返らずとも分かる。視線。いつもの、あの視線。

 歩を早める。何も言われていない。何も触れられていない。ただ見られているだけ。それだけなのに、喉が詰まり、息が浅くなっていく。

 艦内の薄暗い連絡通路。足音が吸い込まれていく中で、ついに彼女の足は止まった。

 壁に背を預けて、目を閉じた。震える指先を握りしめる。

 

「……やめて」

 

 自分に言い聞かせた言葉だった。

 ──なのに、声が返ってきた。

 

「なぜ?」

 

 彼の声。低く、静かに、だが明確に空気を揺らして届いた。

 視線が刺さる。身体がこわばる。

 

「なぜ、そんなに怯える」

 

 逃げたくてたまらなかった。だが、脚が動かなかった。

 気づけば、目に涙が浮かんでいた。理由も言葉も見つからず、ただ、涙が溢れた。

 

「……近寄らないで」

 

 声が震えた。だが、その震えは弱さではなかった。揺れる理性、崩れる境界。それでも立とうとする、最後の誇りだった。

 

「泣かせるつもりはなかった」

 

 足音が近づく。ひとつ、またひとつ。やがて、彼の影が彼女の影に重なる。

 

「それでも──惹かれるんだ」

 

 頬に触れた指先が、涙を拭った。そしてそのまま、彼は口づけた。

 ふたたび。

 拒む間も、問いかける隙も与えずに。前とは違った。そこに狂気も軽薄もなく、ただひとつ、熱があった。

 エイミーは震えながら、彼の胸を拳で叩いた。何度も。だが力はなかった。

 彼の手が肩を抱き、背を押さえた。押さえる力に、抗えなかった。

 逃げようとすればできたかもしれない。だが、恐怖で動かなかった。

 やがて、その手は下に落ち、そして彼女は目を閉じた。

 ──逃げれなかった。

 

 

 

第14話

 

「パパ……」

 

 通信端末の前で、エイミーは声を震わせていた。画面の向こうに父ヨブ・トリューニヒトの顔が現れた瞬間、彼女の表情は崩れた。

 髪は乱れ、制服の襟元は緩み、頬には乾きかけた涙の痕があった。

 整った容姿に似合わぬ無防備なその姿に、トリューニヒトの眉がわずかに動いた。

 

「……誰だ」

 

 その問いは、父としてのものだった。政治家としての駆け引きも、用心深さも、今この瞬間には一切存在しなかった。

 

「中佐……また……」

 

 言葉にならない吐息のような声。だがそれで十分だった。

 

 トリューニヒトの背後で、秘書がそっと退室する気配。怒りというより、冷気が部屋の温度を下げていた。

 

「何があったかは、今は問わない。だが──その男は終わりだ」

「パパ……わたし、逃げれなかったの……」

 

 その言葉に、一瞬だけ父は息を止めた。娘がこんなふうに弱音を吐くなど、想定の外だった。

 

「……よく連絡をくれた」

 

 静かに、しかし深くそう告げると、彼は別の端末に指をかけた。眼差しはすでに、誰かを裁く者のものになっていた。

 

「君を守る。何があっても、だ」

 

それが正義かどうかは、関係なかった。娘が傷ついた。ならば、それを許す者は存在しない。

 

 

 

第15話

 

 水音だけが浴室に満ちていた。湿度を孕んだ空気の中、湯に濡れたタイルの上に、エイミーは静かに座っていた。

 その手首から、赤いものが細く流れていた。湯に混ざって薄くなる。だが視界はやけに澄んでいた。

 ──少しだけ、静かにしたかっただけ。

 刃物を持ったのは衝動だった。明確な意図ではなかった。消えたいと思ったわけでも、叫びたかったわけでもない。ただ、止まらなかった。

 ふらつく意識の中で扉が開いた。

 

「エイミー! なにしてるの、ちょっと、うそ……!」

 

 ルームメイトの叫び声が空間を引き裂いた。すぐに駆け寄る音。タオルが巻かれ、非常呼び出しが作動した。エイミーの意識は、そこで途切れた。

 医務室のベッド。白いシーツの上に、細く包帯を巻かれた手首。隣には当直医がデータ端末を確認している。神経を落ち着かせる注射はすでに投与され、エイミーは浅く眠っていた。

 診断は、「発作的な自己傷害行動」。明確な自殺未遂とは判断されなかった。だが精神的に追い詰められていたことは明白だった。

 

「ここ数週間、眠れていなかったようだな……」

 

 医師は誰にともなく呟いた。

 ルームメイトは静かに椅子に座り、ただエイミーの寝顔を見守っていた。彼女が何に追われていたのか、すべてを知っているわけではない。だが、誰かが支えなければならないと、強く思っていた。

 

 

 

 

「――トリューニヒト少尉が、自殺を……?」

 

 誰かの低い声が、兵員区画の狭い廊下を沈黙で満たした。

 剛胆を誇るナンバー中隊の古参兵でさえ、思わず手を握ったまま言葉を失った。

「嘘だろ。あの女帝だぞ……」

 誰かが絞るように吐き捨てた。拳を壁に叩きつけた者もいた。

 だがすぐに誰もが口をつぐんだ。

 本部管理中隊の若い兵士たちは、端末を握りしめていた。

 まだ医務室に面会許可は出ていない。

 ただ廊下に立ち尽くし、互いの視線だけを合わせていた。

「中佐のせいだ」

 女性下士官からぽつりと洩れた声に、周囲が一瞬にして息を呑んだ。

「言うな」

 誰かが咎めた。

 だが誰も否定しなかった。

 クローネカーは、工作室で溶接図を広げたまま手を止めていた。

 視線の先には図面ではなく、別の書類――

 シェーンコップの内偵報告の断片が挟まっていた。

「お嬢さんが死んだら、俺ら薔薇の面子も一緒に死ぬってのに……」

 誰にでもなく呟いた言葉に、誰も返さなかった。

 隊員食堂の片隅、銀色のカップを両手で包むリンツは無表情だった。

 だがカップの内側のコーヒーは、小さく波打っていた。

 誰も口に出さない。

 だが全員が思っていた。

 ――あの副連隊長をどうする?

 そして誰も答えを言えなかった。

 

 

第16話

 

「報告書か……?」

 

 トリューニヒトは差し出された端末に目を落とした。医務局からの緊急連絡、その内容を確認した瞬間、彼の指が止まった。

 ──娘が、手首を切った。

 椅子の肘掛けに置かれた手が、ゆっくりと拳を握る。咄嗟に声を荒げることもなかった。ただ、冷えきった沈黙が部屋を満たした。

 

「詳細を」

 

 部下の口から語られたのは、医務室の診断。『発作的自己傷害』『明確な自殺企図とは認められず』『精神的圧迫の兆候』。

 原因と見られるのは、明示されていなかった。だがトリューニヒトにとって、それは既に明白だった。

 

「副連隊長シェーンコップ。あの男か」

 

 誰かが言い訳をしようとしたが、その声は遮られた。

 

「好意のない相手に繰り返される接近、接触。娘にとっては明確なストーカー行為だ。セクシャルハラスメントも重なる。──軍はこれを黙認するのか?」

 

 議会内の特別監査部が即時動いた。連隊本部には監査官と法務官、加えて精神科軍医が派遣された。

 

「対象人物の職務即時停止。隔離措置を講じろ」

 

 命令は私情を装っていなかった。だが誰の目にも明らかだった──これは父の怒りである。

 一方、軍上層部にも動揺が広がった。トリューニヒトの娘を壊したという事実が、政治的にも倫理的にも看過できるものではなかった。

 

「今回ばかりは、かばえませんな……」

 

 軍法務部のある者が呟いた。

 

「いや、それ以前に、もう戻れまい。あの男は」

 

 だがその二日後、状況は急転する。

 軍司令部の命令により、薔薇の騎士連隊は前線に派遣されることが決定した。

 弾薬積載、連隊員の再配置。すべてが電光石火で進められた。

 

「軍内部で揉め事をこれ以上公にするわけにはいかん。戦功を立てさせれば世論の空気も変わる」

 

 ある上級幕僚の言葉だった。政治の都合、軍の面子、そして記録の調整。

 

 監査は打ち切られ、シェーンコップの処遇は指揮官としての信任継続とされた。

 

「結局、有耶無耶にするのか……」

 

 誰かが吐き捨てた言葉に、誰も返さなかった。そして、連隊は宇宙へと出発した。

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