恋姫異聞 白武伝   作:惰眠

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二 閻象

 

 馬を走らせれば、拠点から丁荘里までそれほど時間はかからない。

 日が暮れる前に丁荘里に到着した錬たちが、門の前で馬を止めると、

 

「お疲れ様です、隊長」

 

 近付く騎馬が自分たちの隊長だと気付いて警戒を緩めた警備隊の歩哨が拱手して挨拶をしてくる。それに、

 

「ああ、ご苦労さん」

 

 そう答えて錬は、後ろの李豊が馬から降りるのに手を貸すと、自らも下馬した。そして、

 

「通らせてもらうよ」

 

 と伝え、そのまま手綱を引くと、李豊と、同じように手綱を引く梁綱を伴い、門をくぐって村内へと入る。

 そんな錬や李豊らに気付いた村人たちが気安げに寄越す挨拶に答えつつ歩きながら、錬は首だけで李豊へと振り向いて、

 

「丁村長の家でいいんですよね、季宛さん?」

 

「…ええ」

 

 錬の問いに、相変わらず無表情に不機嫌そうな李豊の(いら)えが返る。それに内心で苦笑を浮かべながら、錬は勝手知ったる丁荘里を村長宅へと向かう。

 

(…本当に相性が悪いんだな、このふたり…)

 

 などと、どこか少しズレた感想を抱きながら。

 

 程なく村の中央にある村長宅に着けば、中からちょうど丁延が出てくる。

 

「おう、来たか、士泰」

 

「ええ、呼び出されてしまいましたからね。方全さんは中に?」

 

「ああ、中で丁老と話してる。俺は用事があって出るから、勝手に入ってくれ」

 

 言い残して入れ違うように門のほうへと出ていく丁延を見送ると、錬は手綱を梁綱に渡して馬の世話を頼み、李豊を伴って村長宅の中へと入る。

 

 警備隊の拠点が整って居を移すまでは丁家(ここ)で起居していた錬だ。勝手知ったるとばかりに、親しい間柄の相手を応接するときに使われる部屋まで、迷うことなく歩を進める。案の定、近付けば丁老と女性の談笑の声が聞こえてきた。

 

「失礼します、丁老。白士泰、参りました」

 

 部屋の前で立ち止まって声をかけると、入りなされ、と入室の許しの声が返る。それに改めて、失礼します、と断りを入れてから扉を開けて、錬は部屋へと入った。

 

 部屋の中央には、丸い卓があり、その四方に四つの椅子がある。

 卓の上には急須と茶杯があり、その卓を囲うように二人の人物が座っていた。

 ひとりは丁荘里(このむら)の長である丁旋、もうひとりの女性が閻象であった。

 

 姓は(えん)、諱は(しょう)、字は方全(ほうねん)、博望を拠点に多くの行商人を束ねる商家の代表たる女性だ。

 年の頃は、20代半ば。黒を基調とした衣装に身を包み、金茶色の髪を後ろに結い上げた姿も、常に柔らかくにこやかな応対も、彼女が落ち着いた大人の女性だとの印象を強く与えている。だが、その鳩羽色の瞳は、見通すような理知的なきらめきを(たた)えていて、彼女がやり手の商人であることを示している。

 

「御足労いただき、ありがとうございます、士泰さん」

 

 入室する錬に、閻象はその印象のままに柔らかく微笑みながら、そう来訪を労う。そして錬に続いて入ってきた李豊にも同じように笑みを向ける。

 

「ああ、李さんもありがとうございました」

 

「いえ…」

 

 それに対する李豊の返しは相変わらず無感情で無愛想だったが、閻象は気にしていないかのように穏やかな笑顔を浮かべている。その、まるで聞き分けのない子供をあしらっているかのような相手の笑顔に、李豊の目元が微かにひくつくのを横目に見取って、錬は内心に冷や汗が流れるのを感じた。

 

 そんな錬の胸中を知ってか知らずか、

 

「士泰どの、まあ座りなされ。季宛も、の」

 

 と、丁旋が取り成すように着席を勧める。

 

「喉も渇いたじゃろう。方全どのより頂いた茶もあるでな。あんたらも頂くがよかろう」

 

 言われるのに無意識に鼻から息を吸えば、微かに香ばしい芳香が嗅覚を刺激した。

 なるほど、白湯(さゆ)ではなく茶だったか、と卓の上の茶杯を見て思いながら、丁旋の言葉に従って、彼の対面の椅子に座りながら、そっと閻象へと視線をやると彼女の変わらない微笑みが目に入る。

 この時代、茶が貴重品だということは、錬もすでに知っている。そんな貴重な茶だが、漢都である洛陽にまで取引の手を伸ばしている閻象であれば入手も可能だ。土産としては高価に過ぎようが、丁家と閻家の交誼の長さと深さとを思えば、それくらいはなんということもない、ということなのだろう。そして一度進呈した以上は、それを他の者に供することにも忌避はしないようだ。

 閻象の笑顔に、そんなことを考えて遠慮を捨てた錬は、

 

「では、ありがたく」

 

 そう答える。ふと、季宛さんはどうするのかな、と思いつき、隣の椅子に座ろうとする李豊へと目を向けると、その視線を感じたのか、李豊は観念したかのように微かに息を()いて、

 

「…頂きます」

 

 辛うじて他の三人に聞こえるくらいの声量で答えた。

 

 そんなふたりの答えに、笑みを深めた閻象が手慣れた手付きで新たに茶を淹れる。それを見るとは無しに眺めていた錬に、丁旋が警備隊の現状について問いかけ、拠点施設は順調に整備拡張が進んでいること、藤泉里や高丹里との係りが進展していること、だが、それらのために人手が不足し始めていること、などを錬が答える。

 

「緊急性があるわけではないんですがね。今は、警備と施設の建設に優先して力を入れるようにしているのですが、拠点周りの開墾が進めば、農作業にも人手が要るようになるでしょう。そうなればいずれ警備隊本来の任務に支障が出ることも考えられる。先の戦闘では少なからず戦死者も出ていますので、そろそろ考えなければなりませんね」

 

「うむ、そうじゃのう…とは言え、村人から人手を割くのは、今はまだ厳しかろう。交わって仕事をするには今少し時間が要るじゃろうしの。他の村や郷から募ることも考えていくべきじゃろう」

 

「それは可能ですか?」

 

「うむ。今すぐ、と言うわけにはいかんがの。それに、それで集まる者と言えば、食詰め者か荒くれ者じゃろう。それらを差し障りなく束ねるには、上に立つ人材が育っておるまい」

 

「…ですねえ…」

 

 丁旋の言葉に、錬はため息を()きながら同意を示す。

 現状の警備隊は、それぞれの伍――五人の組――をまとめる伍長が、隊長の錬と副隊長の郭平の直下に配される形で組織されている。四つから五つの伍が各作業に振り分けられるために、その伍長のうちから小隊長を任じている形を採っているが、それはそれほど厳しく規制しているわけではない。警備隊に所属しているのは全てが元は同じ匪賊にいた者たちであり、その辺りの呼吸というのは互いに疎通ができており、ゆえに厳密に統率せずとも問題なく運営をしてこられた。

 だが、そこに異物が組み入れられた場合、堅実な指揮命令系統を構築しておかなければ組織が瓦解してしまう。そうならないためには、錬や郭平以外にもしっかりとした統率を執れる人材が少なくとも四、五人は必要だろう。が、錬の見る限り、

 

「一応は、小隊長候補について安進と話し合ってはいるんですが、まだ候補止まりなんですよねえ」

 

 というのが現状である。

 

「まあ、今のところは賊やらの兆候は見られないので、しばらくは猶予があると思いますが」

 

 肩を竦めつつ告げる錬の前に、そっと茶を淹れた杯が置かれる。

 

「そうですね。おそらく半年から一年は、柳河郷近辺(このあたり)で匪賊が現れることはないでしょう」

 

 錬に続いて李豊にも茶杯を差し出しながら言う閻象に、錬と丁旋の視線が向けられる。

 

「ああ、そういう噂が流れてきているのですよ。柳河郷で新しく設立された警備隊は恐ろしく精強で、いくつもの匪賊が返り討ちに遭い、壊滅に追い込まれた、と」

 

「へえ、そんな噂が…」

 

 錬が驚いたような声を上げると、閻象は見透かすような笑みを浮かべて錬を見遣る。

 

「士泰さんのお考えの通りなのではないですか? そのために見逃すようなことをしたのでしょう?」

 

 その言葉に、錬は口を(つぐ)んで押し黙った。

 

 閻象の言う通りだ。

 匪賊との戦闘の際に、錬は数名の賊徒の逃亡をわざと見逃している。それは、あの丘の砦での戦闘後にもそうしたのと同じ理由だ。その狙いは、匪賊を壊滅にまで追い込み、恐怖を刷り込んだ賊徒を逃がすことによって、他の匪賊らの心境に手を出すことへの躊躇を引き出すことであり、閻象から聞かされた情報によれば、それは功を奏したということになる。

 ただそれは裏を返せば、柳河郷(じぶんのまわり)だけを脅威から遠ざけた、とも言える。

 閻象がそんな意味のことを言っているわけではないことは、錬には分かっている。分かってはいるが、そう考えついてしまった以上、忘れることができるほどに錬は器用ではなく、思わず黙然としてしまったのだ。

 

 柳河郷周辺を守る。それ以上のことは、今の錬にどうこうできることではない。それは誰もが――錬も、丁旋や李豊、閻象も――当然のこととして理解している。

 だから、そんなことを気に病むのは無益であり、ある意味では傲慢でさえある――そう考えるのが丁旋や閻象だ。そうであっても、自分の決断と行動で無用な惨禍を被る人がいることに、罪悪感を思えるのが錬である。どちらが正しいか、ということではなく、それは生まれ育った環境による違いというものだ。

 

 今は考えても仕方がない。錬はいくらかむりやりにそう思い込むことを自らに強いて、意識を切り替えようと茶を口に含む。久しく――四か月振りくらいは――接していなかったふくよかな芳香に目を細めた錬は、思惑通りに気を落ち着かせて、閻象へと顔を向けた。

 

「それで、今回はどうされたんですか、方全さん?」

 

 気持ちとともに話題も切り替えて錬が問うと、実に珍しいことに閻象の顔が曇る。あまつさえ眉間に皺を寄せつつ嘆息さえもして見せる。

 

「ええ…実は、宛まで赴く必要ができまして、その護衛をお願いしたいのです」

 

 顔を曇らせたまま、閻象が言う。

 

 宛。荊州北部南陽郡の郡治府があり、南陽郡を治める太守が駐在する。すなわち南陽郡の都である。

 南陽郡はかなり発展している郡である。帝都洛陽を擁する司隷河南郡の南に隣接し、人口は一州に匹敵すると言われるほど。そんな郡の都であれば、有力な商人である閻象が係わりのないはずがなく、また彼女の本拠たる博望は、宛と洛陽を結ぶ街道に位置している。当然、閻象は幾度も宛へと足を運んだことがあるだろう。

 であるのに、暗い表情を浮かべるということは、閻象が宛へと赴かざるを得ない理由のほうに、その原因があるということだ。それは――

 

「先程、赴任されました南陽太守様に召致(しょうち)を受けまして、伺候(しこう)しなければならなくて…いったいどのような用件なのやら…」

 

 言いつつ再び嘆息する。

 

「新しい南陽太守ですか…」

 

 訝しげに呟く錬に、

 

「ええ、赴任されて一年。これまで何事もなかったので一安心かと思っていたのですが」

 

 と、閻象は三度(みたび)ため息。

 

「…あまり良い噂を聞かないので、あまり係わり合いにはなりたくはなかったのですが…まあ、名門名士の出の方なので、こういった風聞はよくある話ではあるのですけど」

 

「それは、悩ましいことじゃな。新しい太守様と言えば、あの汝南袁家の御曹司じゃろ。確かに良い噂を聞かんのう」

 

「…汝南袁家の御曹司、ですか?」

 

 丁旋が気遣わしげに眉をひそめると、そういった政事(まつりごと)向きのことに疎い錬が聞く。

 

「うむ、四世三公を輩出した名門汝南袁家。その御曹司、袁公路さまが今の南陽太守じゃよ」

 

 へえ、と何の気なしに聞き流そうとした錬だったが、ふと丁旋の言葉のひとつがひっかかった。

 

 四世三公。

 それは、たしか、三国志において北方に君臨し、あの曹操と争って滅ぼされた、とある諸侯の枕詞とされた言葉ではなかっただろうか。

 その諸侯とは、袁紹。では、その南陽太守とは、袁紹なのだろうか。いや、袁紹が割拠したのは北方冀州だったはずだ。それに、袁紹の字はたしか本初とかいったはず。ということは他の袁家だろう。

 と、そこまで思考を進めて、錬は思わず血の気が引く思いがした。

 もうひとり、三国志には有名な袁姓の諸侯が登場する。それはどちらかと言えば悪名に近い。錬にとっての印象は、玉璽を手に入れたことで思い上がり、帝位を僭称するが、他の諸侯と対立して滅ぼされた、愚かな偽帝。

 

「え、と、その太守様の名前って…」

 

 恐る恐る尋ねる錬に、閻象が答える。

 

「たしか、術。姓は袁、諱は術、字は公路。御先祖の威光を笠に着る、典型的な名門御曹司ですわ」

 

 

 

 

 





ということで、お待たせしました。
ようやく、原作キャラが登場です…名前だけですが…

…これで登場とか言ったら詐欺ですな…

でも次です。
次こそは、名ばかりじゃなく、登場です。
恋姫きってのおバカキャラ、美羽こと袁術が登場するんです。

…不安しかありませんが…あの、おバカっぷりを書けるかどうか…
今から不安で仕方がありません。
更新が遅れましたら、苦労してんだなあ、と生温かく見守っていただければ
幸いに存じます…

さて、ひとつ注釈です。
御曹司、というと感覚的に『名家の若様(御坊ちゃま)』のことだと思いますが、
本作では、男女問わずの『名家の子』として用いました。
違和感があるかもしれませんが、ご容赦願えればと思います。


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