恋姫異聞 白武伝   作:惰眠

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六 意企策謀

 

 

「おお、さすがは七乃じゃ。良く分からぬが、よろしく頼むのじゃ」

 

 という袁術の能天気な称賛の言葉に、

 

「は~い、お嬢さま。おまかせください~」

 

 と、こちらも能天気を装った口調で返す張勲である。しかし、

 

「とは、言うものの、なんですけど…」

 

 立てた人差し指を口元に当てた仕草で、張勲はにこやかな微笑みを浮かべ、錬へと視線を流す。

 

「せっかくの新しい手駒(お手伝い)なんですし~、有効的に働いていただきたいんですけどね~」

 

(あ~、もう味方するのは確定なのな…いや、異論はないけども…)

 

 内心でボヤきつつ、錬は張勲からの視線に向き直る。

 

「それで、オレに何をやらせようっていうんです?」

 

「そーですね~…貴方のほうに何か考えはあったりしませんか~?」

 

 こちらを試すように質問に質問を返す張勲に、錬は、ふむ、と一瞬考え込み、

 

「袁家派閥は排除する方向性だとして、武官たちについてはどうするつもりなんですか?」

 

「ん~、武官たち(そちら)については、今のところは積極的に敵対してきてはいないので、とりあえずは後回しですね~。まあ、あちらもあちらで、こちらに構うよりも先になんとかしたいことがあるようなんですよ~」

 

「と、いうと?」

 

「ん~、まあ、よくある武官の派閥争いなんですけどね~。南陽豪族と他地方からの仕官組とで対立がありまして~」

 

 張勲が、しれっと語るのは南陽郡の内情で、本来、部外者に知らせていいものではない。だが、南陽郡の権力争いに錬を味方として巻き込むことをすでに決定事項として、新たな手駒を効率よく動かすことに思案を巡らせていた張勲は、そのためにある程度の情報を与える必要があることを理解している。

 であるから、武官らの状況を伝えることについて、張勲に躊躇(ちゅうちょ)はない。

 

 そして、その状況とは、張勲の言葉通りによくある対立構造。

 単純に、出自による派閥争い。

 

 張勲の説明によれば、地元南陽郡の豪族出身者やその係累からなる派閥は武官の八割を占め、また当然のように兵士のほとんどが地元出身であることから、彼らが南陽郡の軍組織に及ぼす影響力はかなり大きい。

 一方、他地方出身者からなる派閥は、数は少ないものの、縁故などに頼らずに任官したものがほとんどであるから、その人品の良さと能力の高さは豪族出の武官らを上回る。ゆえに見識ある文官や兵士などからは地方組(こちら)の武官らのほうが信頼を得ており、表向きはともかく裏に回れば支持は高い。

 

 そういった事柄を並べれば、武官内の派閥の力関係は、表面上、南陽豪族側に分があるように見えるが、潜在する事情を勘案すればそれほどの差はない、というのが実状らしい。

 

 現在、南陽郡の軍権を預かる郡都尉(とい)の地位にあるのは、舞陰(ぶいん)の有力豪族である韓氏に連なる韓宜(かんぎ)という男だ。その出自から南陽の豪族ら、そして彼らが抱える部曲と呼ばれる私兵集団へも大きな影響力を持っている、この男は、すなわち南陽郡の軍事力のほぼすべてを手中に収めていると言って過言ではない。

 もし、この韓宜という男が身に余る野心を抱いていれば、南陽郡は、そして太守袁術の身柄は彼の手の中に落ちていただろう。だが、

 

「…この韓郡都尉どのというのが珍妙な方でして、袁家派を排除しようとか、自ら権力を握ろうとか、そういったことを考えてらっしゃらないようにしか見えないんですよね~…地方豪族なんて累代の特権に執着する俗悪(ろくでなし)しかいないはずなのに…」

 

 と、張勲は言う。

 それはさすがに偏見に過ぎるだろう、と、錬も、閻象も、苦笑を浮かべる。

 

「それは、普通に常識人だというだけじゃないんですかね?」

 

「韓郡都尉どのと言えば、人格者として名を聞きますよ。見たままの人でいいのではないですか?」

 

「…まあ、それが本当ならいいんですけどね~」

 

 錬と閻象が呆れたように言うのに、少し拗ねたかのように口を尖らせる張勲であるが、そこは気を取り直すかのように話を進める。

 

「いえいえ、問題はそこじゃなくて、ですね、彼の部下なんですよ~」

 

 韓宜の部下、副将格にあたる武官に、韓忠(かんちゅう)という男がいる。韓宜の甥であり、韓本家の後嗣(あとつぎ)と目されている男だ。ただこの男が伯父に似ず、尊大で、いかにも豪族らしい男で、同僚や部下と問題を起こしたのも一度や二度ではない。そんな男がどうして副将格に就いていられるか、といえば、武に優れ、また韓氏の出身であるからだ。その立場から、次期郡都尉を自任しており、それもまた韓忠の傲慢さを助長している。

 その韓忠が現在(いま)、目の敵にしているのが、もうひとりの副将格であるひとりの武官だ。

 その武官は、姓を()、諱を(れい)という地方から仕官した女性武官で、彼女こそが仕官組武官らの中心となっている。ひとりで数十人からなる匪賊を討ち取ったという武勇の持ち主で、その武勇を韓宜に見出されて仕官することになった紀霊は、上には忠実で、下には厳しくも気配りを欠かさず、よって武官、兵士問わずに人望を集めている。つまりは、よくできた女性で、上司の韓宜の信頼も厚く、それもあって、韓忠の嫉視(しっし)を受けることになってしまった、ということのようだ。

 

「その二人の副将格が、豪族派と仕官組の対立を起こしている、というわけですか…」

 

「対立というか、叔礼(しゅくれい)どのが一方的に長成(ちょうせい)どのに敵意を抱いているだけで、長成どののほうは礼儀正しく素知らぬ振りをしているんですけどね~。まあ、対立そのものは、ふたりだけの問題でもないんで、しっかり巻き込まれてしまってるんですけど~」

 

 要するに、韓忠の独り相撲に対し、本人ではなく紀霊を慕う周りが過敏に反応している、ということらしい。紀霊には、迷惑なことだろうが。

 ちなみに、叔礼とは韓忠の字であり、長成が紀霊の字だ。

 

「そういうことであれば…張長史どの」

 

 そこまで聞いて考えがまとまったのか、錬が張勲へと向き直る。

 

「紀長成どのをこちらに取り込むように動くのが最上だと思いますが」

 

「まあ、それがいいのは分かるんですけど~…」

 

 仕官組の武官を引き入れようという錬の提案に、張勲が気遣わしげに眉を曇らすと、それに錬は頷きつつも言葉を続ける。

 

「ええ、その場合、豪族らを揃って敵に回してしまう危険は確かにあります。それでも、味方にするなら良識的(まとも)な人のほうがいいでしょう。まあ、豪族らも敵にならないならそのほうがいいし、そうならないように、韓郡都尉どのに渡りをつけることも考えるべきでしょうね。どちらにしろ、分かりやすい武力は必要でしょう? 今すぐというわけではなくても、将来的には…」

 

 豪族らへの影響の大きい韓宜が、閻象の言うように人格者であれば、理を()って説けば、少なくとも敵対行動を起こさせることは避けられるかもしれない。

 そんな考えから、張勲(あいて)理解して(わかって)いることを知りながらも、わざわざ告げる錬に、なぜか張勲は、にこやかに笑いかける。

 

 これは、言わされたか?

 

 その笑顔を見て、錬が思ったことがこれである。

 

「そうですね~、では、武官連中(そちら)への対応(こと)は、貴方に動いていただくということで」

 

「…やっぱり、そうなりますか?」

 

 案の定、である。

 

「ええ、細かいことはお任せしますので、よろしくお願いしますね~。細かくないことは報告してくれないと困りますけれど~」

 

 細かいのと細かくないの、の境界ってどこなんだろうな、などと(らち)もないことを考えながらも、錬は張勲に頷きを返す。

 

「分かりました。とりあえず、韓叔礼どの、ですか? その武官のことを探ってみることにします。細かいことは、それから考えますよ」

 

 諦め半分な気分でため息とともに言い返して錬は、しかし表情を改めて次を続ける。

 

「ともかく、今のオレなら太守陣営(そちら)との関連を疑われるようなこともないでしょうし、城下でいろいろと動いてみます。どこか拠点になるところがあればいいんですが」

 

「拠点、ですか~。そういうことなら私のほうで用意はしないほうがよさそうですね~」

 

「それなら、私のほうで準備をしましょう。閻家の伝手を使えば、気付かれるようなこともないでしょう」

 

 張勲、閻象が言い、粗方の方針を決めていく。

 

 話通りに、錬が城下で活動する際の拠点を閻象が商家の伝手をもって準備し、武官や袁家派閥の情報などについては、書簡に記したものを、張勲がその拠点に用意しておくことになった。

 というのも、錬にしても閻象にしても、一度は戻る必要があるからだ。錬は丁荘里および警備隊の拠点に、閻象にしても博望の閻本家に戻り、引継ぎをしなければならない。ふたりとも、それから再び宛にやって来ることになる。

 もっとも戻るのは別々に、だ。

 宛に戻ってくれば、閻象は主簿として袁術の臣下になる。錬と袁術との関わりを疑われないために、接触を控えるべきなのは当然だろう。

 ゆえに宛に戻って後、錬は個別に動くことになるが、連絡を取る必要がないわけではない。その連絡方法としては、錬が拠点に腰を据えたところで、張勲が囲っている細作を遣わせることにした。それ以降については、錬とその細作で話し合えば十分だろう。

 

「そんなところでよろしいでしょうか? お嬢さま…あらあら…」

 

 そんな細々(こまごま)を打ち合わせて話がまとまったところで、張勲が了承を得ようと主君へと目を向け、その目を丸くした。その視線の先で、規則正しく頭を上下に揺らす袁術の姿を見て。

 

「静かにしてると思ったら…お話が難しくて眠くなっちゃうなんてお嬢さまらしいですね~」

 

 そして、柔らかな微笑みを浮かべる。どうやら、起こす、という選択肢は彼女の中には存在しないようだ。

 

「それでは、私たちはそろそろ御暇(おいとま)させていただくとしましょうか」

 

 その様子に、話はこれまで、と見た閻象が退出の意を告げ、そっと立ち上がる。

 それに頷くと、錬も席を立ち、張勲へと向き直った。

 

「コウちゃ…いや、袁太守さまによろしくお伝えください。黙っていなくなってすまない、また会おう、と」

 

「分かりました~。その約束、守ってくださいね~。破られるとお嬢さまが悲しまれますので~」

 

 袁術への伝言にしっかりと頷いて微笑む張勲に、錬は不思議なものでも見るかのような表情を浮かべた。

 

「すみませんが、ひとつ質問してもいいですか?」

 

 堪え切れなくなったというほどでもないのだが、張勲の醸す空気に()てられたか、気がつけば錬はそう切り出していた。唐突な質問に、張勲は何も言わずに頷いて先を促す。

 

「先程の話は、結構大事(おおごと)です。昨日今日会ったばかりのオレのような相手にしていい話じゃないはずです。いくら方全さんが請け合ったとは言え、どうしてオレなんかを信用されたんですか?」

 

 その問いに、張勲はしばし思考を巡らしてから、口を開く。

 

「別にあなたを信用したわけじゃないですよ。方全さんの保証もありますが、第一にはお嬢さまが懐いていたからです。こう見えて、人を見る目だけはあるんですよ、うちのお嬢さまは。なにしろ、幼いころから()()()()大人たちの中で育ってきたんですから」

 

 そう言いながら、張勲は舟をこぐ袁術へと目を向ける。その視線は、どこまでも穏やかで優しい。

 

「名門氏族ですからね~。それこそ、有象無象が雲霞のごとくってやつです。ご両親がお亡くなりになられたのも物心つく前とのことですし…」

 

 そりゃ人品を見抜く目も養われるってものです、と小さく呟くのを聞いて、錬も袁術へと目をやる。

 今や半ば椅子からずり落ちかけて、口を半開きにした寝顔を晒す袁術。可憐さも霞む、その様子を見ても、呆れるよりも痛ましさを覚えたのは、張勲の言葉でその境遇に思いを馳せたからだ。能天気にさえ思える言動の裏に抱える悲嘆(もの)に。こんな幼い少女が、人を見極める直感を得た――得てしまった事情(こと)に。

 ゆえに、ただ決意を込めて囁くように、

 

「…そうですね。また会いに来ますよ、必ず」

 

 そう呟いた。

 

 

 

 

 

 城を辞して屋敷に戻ると、閻象は駐在する部下に幾つかの指示を飛ばし、その日のうちに錬を伴って宛を離れた。

 出した指示とは、宛に置ける拠点の確保と準備、そして閻象が袁術に仕官することと商家としての閻家総代を実弟閻統へ譲ることを知らせる博望への早馬の手配である。そしてそういった諸々(もろもろ)の手続きのために本拠である博望へと急ぎ戻る必要があったのは、閻象が宛に()く舞い戻る必要があるからだ。

 

「手早く手続きを終えて戻らなければ、なんらかの妨害がある可能性を捨て切れませんからね」

 

 太守袁術の主簿という地位。

 それを決めたのが、袁術の腹心たる長史張勲。

 誰が見ても、閻象の仕官は袁術を輔翼するためだというのは明らかで、袁術が力をつけることを避けたい面々がそれを知ればどう思うか。排除できるものなら排除したいだろう。可能ならば正式に仕官する前に。特に袁家派閥は文官の集まりであり、太守の側近である主簿という文官に納まることになる閻象は、彼らにとって直接的な政敵となる。心穏やかではいられまい。

 更に、その新たな政敵が卑賎の身である商人であるとなれば、名士としての誇りも刺激することだろう。

 閻象としては、早々に宛に戻り、出仕して、公的に護衛を配して身の安全を図りたいところだ。

 

 博望への道すがら、錬と閻象は今後の行動についての話し合いを行いつつ、馬車を走らせた。

 

「宛での拠点については、博望の閻家に連絡が来るようになっています。宛に行く前に寄るようにしてください」

 

「了解です。ところで、武官、豪族について、方全さんのほうでも調べられませんか?」

 

「分かりました、閻家を通して商人たちから情報を集めてみます。その情報の渡し方については改めて考えましょう」

 

 等々。

 そんなこんなを話しつつ、博望は閻本家へと閻象を送り届けると、錬は挨拶もそこそこに馬に乗り換えて博望を発つ。

 

 一路、丁荘里へと馬を走らせながら、錬は宛で出会った人のことを考えていた。

 コウこと南陽太守の袁術と、その配下の長史張勲。

 張勲については知らないが、袁術については知識がある。古代中国の三国時代、あるいは三国志演義に名を残す群雄の一人として。

 だが当然にして、その群雄のひとりが女性だったなどという荒唐無稽な話は聞いたことがなく、実際に会って話をするまで、そんな可能性など錬は思いつきもしなかった。

 今になってみれば、それに思い至らなかったのは、少々考えが浅かったと思わないでもない。李豊や楽就、閻象という実例が間近にいたのだから。

 まあ、袁術のような“名のある人物”が女性であったからこそ実感できたというわけだが。

 すなわち、

 

「オレの知ってる三国志とは別物だと思ったほうがいいかなあ」

 

 ということである。

 大まかな歴史は変わりないかもしれない。

 実際に、春秋戦国、秦、前漢から後漢への流れは同じなようだ。現状でも、何進が妹を後宮に上げている。やがて大将軍へと就任することだろう。

 だが性別以外にも明らかに違う状況もある。

 何進が大将軍になるのは黄巾の乱が興ってからで、その黄巾の乱で名を上げるのが、曹操や劉備といった後の英雄たちだ。そして袁術も曹操と同年代であったはずだ。本来なら。

 明らかにおかしい。

 黄巾の乱があとどれくらいで始まるかは不明だが、十年も先ということはないだろう。早くて一年以内、遅くても四、五年といったところではないだろうか。それを前提として数えて十代前半。黄巾討伐に派遣される将軍皇甫嵩の下で一隊を率いた曹操が、十歳そこそこだったということはないだろう。

 それでは、この世界では?――

 十に満たない袁術が――形式上のことだけであっても――太守をしているくらいである。曹操が十代前半で軍を率いていても不思議ではない、のかもしれない。いや、年齢がおかしいのは袁術だけかもしれない。

 などと考えるも、答えなどでない。出るわけがない。それに――

 

「金髪だもんなあ…東洋人の髪色じゃないじゃん…」

 

 ということもある。

 

「…考えても無駄、か…」

 

 結局のところ、行きつくところはそこであり、多くもない三国志の知識は役に立たないと思っておいたほうがいいだろう、ということだった。

 

「まあ、いいさ。不十分な知識なんて逆に悪い影響にもなりかねんだろうさ」

 

 そう独りごちると、錬は手綱をしごいて馬足を速めた。

 

 

 

 

 

「ふむ…袁南陽太守様に力を貸す、というのじゃな?」

 

 丁旋は、問うようにそう言った。宛から帰還した錬から、張勲との会合についての報告を聞いてのことである。

 

「ええ、そういうことになりました」

 

「本気か?」

 

 事もなげに肯定する錬に、眉根を寄せて言ったのは丁旋の孫の丁延だ。

 

「袁南陽って、()()袁術だろう? 碌な噂を聞かんぞ、あの太守様は…」

 

 その言葉に、

 

「言葉が過ぎるぞ、延」

 

 と、(たしな)めるのは丁洪(ていこう)、丁延の父である壮年の男だ。がっしりとした身体つきに無精髭という一見粗野な風貌ながら、寡黙で理知的な男性であり、その性質はさすが丁旋の息子、といったところだろう。その理性的な男が、息子の不遜を咎めながらも、やはり不審さを露わにする。

 

「だが、確かに不可解ではあるな、士泰どの。前任が優れていたわけではないが、今の南陽が悪政を()いているのは間違いのないところだ」

 

 丁洪の言葉は、南陽郡下の民に共通した思いだろう。

 その言葉に、同席する皆が――丁旋、丁延、そして丁洪とともに丁旋を補佐する二人の村人が――首を縦に振る。

 南陽郡治府が人民を慮っていないのは事実だ。だが、悪政(それ)について、現太守に直接的な非がないことを錬は知っている。

 

「そうなんですけどね…それってどうも、実権を握ってる袁家の取巻き連中が好き勝手にやってるせいらしいんですよ。いわゆる側奸ってやつですね。あと、それに対抗すべき地元の豪族も武官内での勢力争いに(うつつ)を抜かしてるみたいで…」

 

 嘆息しつつの錬の言葉に、丁家の三人は暫時(しばらく)考え込むように押し黙ると、丁旋が代表するように錬へと視線を向ける。

 

「…すなわち、その側奸を除けば、郡治府は正道に立ち返る、と見たわけじゃな? 士泰どのは」

 

「はい、袁公路は幼く無知ではありますが暗愚ではないと思います。仕え、支える者次第でしょう」

 

 首肯する錬に、丁旋は、ふむふむ、と幾度か頷き、丁洪は瞑目して黙考し、丁延は、大丈夫か、とばかりに疑わしげに眉根を寄せる。

 場に沈黙が流れ、

 

「…それで、どうなさいますか、丁老?」

 

 しばしのちに、卓を囲む村人の一人が質問する。

 

「儂は、士泰どのの考えを支持しよう」

 

 その言葉に、丁延や補佐の二人は驚いたように目を見開いた。

 それを見て、丁旋は落ち着いて説明をする。

 

 現状で悪政を為す者らを除き、袁術が実権を握ることによって、政治が正されるのであればそれが一番良い。

 閻象が主簿として仕え、さらに何の因果か、錬もが袁術の知己を得、場合によっては仕官も叶うとなれば、より人民を慮る政道に近付かせることへの期待は高まる。ならば、一時の危険性を負ったとしても、後の安定につながる可能性のある方策を採るべきだろう。

 だから今は、目先ではなく、その先を見据えるべきだ。

 丁旋が言うのはそういうことで、そう説明されれば皆にも否やはなく、錬が留守の間は、丁延、李壮、李豊を警備隊に派遣することで助力することを、丁旋が決める。

 

「まあ、その必要もないかもしれぬがの。匪賊も柳河郷(このあたり)には出張る様子はないようじゃ。官を改めて治を正すには、今がよい時期かもしれぬの」

 

 その言葉を締め括りとして、丁荘里での話し合いは終わった。

 

 

 

 

 

 そして、話し合い、というか、錬の事後報告は、警備隊の拠点へと移り。

 

「丁老らにはすでに話したんだが、袁南陽太守が実権を握るための手助けをすることになった」

 

 と言えば。

 

「隊長のなさりたいように…」

 

 副隊長の郭平があっさりと言い、錬不在の穴を埋めるために拠点に詰めていた、李壮、楽就も。

 

「丁老が承認したのならば否やはないな」

 

「まあ、いいんじゃないの?」

 

 と、錬が拍子抜けするほどだった。それを埋め合わせるというわけでもなかろうが。

 

「…それは、閻どのに合わせて、ということなのでしょうか?」

 

 いつもの感情の見えない面差で、これまた平坦な声音で、李豊が問う。

 その言葉には、責める様子も、詰る気配もなく、単なる疑問から出たようではあったが、その場の空気が若干冷えたような感覚を皆は覚えた。

 

「いえいえ、あれはなし崩しみたいなものでして…」

 

 平静を装いつつ、錬は答える。

 

「どちらかと言えば、張長史どのに嵌められた、というのが近いですね。とはいえ、利がないわけでもないですし」

 

 そうして、丁荘里で丁旋らと話し合った内容を改めて話す。

 理にかなっている話であり、全員が賛意を示した。無論、李豊も。無表情に、だが、分かる者には分かるように、幾分、不機嫌そうに。

 

「あれって、やっぱりそういうことなのか?」

 

「ん~、前はそんな気持ちはないって言ってたけど…どうなんだろ?」

 

「…悋気(りんき)にしか思えんのだがな、俺には」

 

「…あたしもそんな気がするけど…」

 

 以上、李壮と楽就の師弟が小声で交わしたやりとりである。向けられた刺すような冷徹な視線に、それ以上の詮索は中断を余儀なくされたのだが。

 

「それで、隊長」

 

 流れる微妙な空気を払拭しようとしてか、郭平が口を開く。

 

「具体的にどう対応するつもりですか?」

 

「とりあえず、武官らに対する諜報が、先ず一番だからな。少人数で目立たずに宛に入り込まなけりゃならん」

 

 錬の言葉を聞いて、郭平は顎に手を当てて考える。

 

「とすると、隊長の他にひとりかふたり、ってところですか…誰を連れていきますか?」

 

「そうだな。まずひとりは、奉武を。あれで目端が利くからな。打ってつけだろう」

 

 郭平の問いに、錬が梁綱の名を挙げたのは、言うようにその少年が機転の利く性質であることを知っていたからだ。慕う錬に近侍するがゆえに、そういった能力が伸びたのだろう。加えて、錬との相性も良く、補佐としては最適と言える。だが。

 

「それで…他にいるか?」

 

「…思い当たりませんね、他には…」

 

 梁綱以外の適任が出てこない。修練や実践を積んだとはいえ、数か月前まで賊徒だった者らだ。良く言って奔放、悪く言えば粗雑な警備隊下の者らに諜報工作が向くはずがない。

 

「仕方がないか、オレと奉武だけで…」

 

 錬がため息とともに、そう口から(こぼ)すと、

 

「えっ、あたし、行こうかと思ってたのにっ」

 

 驚きの声を上げたのは楽就だったが。

 

「いやいやいや、ないから」

 

「ありえませんでしょう?」

 

「おまえは一番ないだろう」

 

「……」

 

 周囲から否定が続出して、楽就は不満げに頬を膨らませる。

 

「ええ~、なんで~?」

 

「いや、さっきも言ったけど、目立っちゃいけないから」

 

 楽就が宛へ赴けば必ず衆目を集める。

 特段、武装している女性が珍しいというわけではない。特に宛ほどの大都市であれば、なおさらだ。だが女性の武人であれば、“昂武の才”であることを誰もが思い浮かべる。特に権勢の近くにいる者は、召し抱えることを考える。目立ってはいけないのに、最も避けたい権力者から注目されてしまうわけだ。

 さらに、楽就は見目も悪くない。むしろ美少女と言っていいだろう。目立たないわけがない。

 同じ理由で、李豊も除外される。もっともこちらは騒いだりはしないが。そんなことは承知の上だし、性格的にもそういう性質(たち)ではないし。

 

 そう説明されて、渋々ながらも納得はしたようで、口を尖らせながらも楽就が黙る。

 その様子に苦笑を滲ませながら、錬はその場にいる皆を見回すと、

 

「そんな訳なんで、今回は長くなりそうですが、留守をお願いします」

 

 そう言って頭を下げた。

 

 

 

 

 

 





ずいぶん間を空けてしまいました。
申し訳ないです。

もう忘れられちゃってるかもしれないなあ、と危機感がありはしたのですが、どうにも会話が多くなると、文章のリズムが狂ってしまうような気がして、なかなか筆が進みませんでした。
かと言って、時間を掛けたから良くなるものでもないという……

遅くなってなんですが、読んでいただけたなら幸いです。

ちなみに『意企策謀』という四字熟語はありません。




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