一 初戦闘
ひょう、と音を立てて風が吹き抜けていった。
乾いた風だ。混じる匂いは、黄色い砂の匂い。
ぱらぱらと、軽い音をたててそれが頬をなで、その感触で少年は目を覚ました。
「う…ん…と、いたた」
寝違えたか、固いところに寝ていたからか、首から背中にかけて走る痛みにうめきながら身体を起こして、少年は寝惚け眼で周囲を見回して、絶句した。
辺り一帯、遮るもののない広大で平坦な荒野。その地平の先にそびえる尖った岩山。
天空から降り注ぐ陽光は、じりじりと強く照りつけてくる。
そのどれもが、身に覚えのない、少年のこれまでの、長いとは言えない人生ではあるものの、その中にはありえなかったものだった。いや、直接的な経験外であるならば記憶にないこともなかった。
「え、と…中国とかモンゴルとか、ってこんな感じだったっけ?」
それは、某国営放送のドキュメンタリーを好んだ父親とともに見たテレビのなかの光景だ。その光景の中に自分がいる…まったく現実感がない。
(夢、か…いや…)
まず考えたのはそれだった。が、否定する。それを今までに経験したことがなかったからだ。夢の中で、これは夢だ、と認識するようなことは。高校生時代に授業で読んだ山月記の中で、李徴がそうした夢を何度も見ていると記されていて、クラスメイトもそれに違和感を持っていなかったようで、そうか、自分のほうが
「む~、よし、とりあえず自分を振り返ってみよう」
荒野に胡座をかいて腕を組み、自分の耳に音として聞こえるように声に出してみる。
「オレの名前は、
もう一度周囲を見回す。
「…どう見ても日本じゃないよな…これだけだだっ広いのとか、あの山の形とか、やっぱり中国とかモンゴルとか、かな…て、ことは…え、と、どういうことなんだ?」
状況を把握しきれずにどうしても唸る以外になくなり、そんなときだった。
「おい、兄ちゃん、こんなところでなにしてんだ?」
「え?」
背後からかかる声に少年…錬は立ち上がりつつ振り返ると、そこにいたのは見慣れない格好をした三人組だった。
年齢は錬よりいくらか上か。平成の世では平均な体格の錬より背丈は少々低いが横幅は上回っている。太っているというのではなく、力仕事に慣れているが故の頑健さが表れた体格だ。問題はその身にまとっているモノにあった。みすぼらしい、そう言ってもいいような
「鎧と…剣…」
錬がそうつぶやくのが聞こえたのか、男のひとりがすらりとその腰のモノを抜いて、錬に突きつける。
「ああ、そうさ、剣だ。これでおまえを殺すことなんざ、訳もない。て、わけでだ、有り金全部出しな。ついでにその珍しい着物も脱いで渡せ。うまくすりゃ、そこそこの値で売れそうだしな」
言われて見直す我が身は、見慣れたシャツとジーンズ、そして、スニーカー。平成の世では、ごくごく普通の、ありふれたファッションだが、それが珍しいと言う。この男たちも含め、自分を取り巻く現状の現実感のなさにいまひとつ頭の働かない錬は、突きつけられた剣の切っ先に視線を合わせて、ぼうっと考える。
(鎧と剣が普通…で、オレのこの恰好が珍しい? て、場所どころか時代も違うのか?)
「おい、なんとか言いやがれ、殺しちまうぞ」
苛立った声をかけられ、我に返る。そこでようやく理解し、恐怖が走る。
(え、と、あれ、オレ、殺されちまうのか?)
生まれて初めて感じた殺気にガタガタと身体が震え出す。
高校時代に所属していたのは弓道部。格闘技など、剣道や柔道を授業で
「チッ、面倒くせえな。どうします、アニキ」
「…まあいいや、殺しちまえ」
男が後ろを振り向くことなく伺うと、背後にいた男のひとりがあっさりと殺人を指示し、それに答えるように、突きつけられていた剣が振り上げられ、振り下ろされる。
(死…)
覚悟…なんてできるわけがない。ただただ今から押しつけられる死を黙って受け入れるしかない。錬の意識はそう思った。だが…
「え?」
一連の動きが終わったときに、そんな声が
振り下ろされる剣に為す術もなく斬殺されるしかないと、自身でも諦めかけていたというのに、身体は意思によらず動いた。腰を落とし、膝を軽く曲げ、両足の親指の根元に重心を移す。要するに身構えた。
そして自分の頭部へと落ちかかる剣に右腕が動く。剣の持ち手の柄元へと右掌を添えるように合わせると、内から外へ-左から右へと払うように振るわれ、その剣筋を弾き逸らす。その動きの流れで右半身は後ろへ引かれ、代わりに左半身が前に出るのに合わせて左足が前へと踏み出されると、その踏込みに継いで握りしめた左拳が突き出された。剣筋を逸らされたがために無様なほどに体勢を崩した男の右脇腹へ目掛けて。その結果、声も上げられずに男が吹き飛んだ。
改めて言うが、錬には格闘技の、他人と物理的に戦うというような経験はほとんどない。そんな錬が放った拳で人が吹き飛ぶなどありえない、いや戦いの経験の有無に関わりなく、単なる拳打で人は飛ばない。だが、今、目の前でそれが起こった。
もう、なにがなんだかわからない、それが錬の脳裏に走った思考だったが、それは錬以外のふたり――吹き飛ばされた男は昏倒していたため――も同様だったようで、数瞬の沈黙が流れ、そののちに我に返ったように揃って剣を抜いた。
「て、てめえ、なにしやがるっ」
殺そうとした相手にかける言葉じゃないだろう、と思い、いやそんな呑気なことを考えている場合でもないだろう、とも思いつつ、錬は右手にある剣を…どうやら斬りかかられた剣を弾き逸らした際に奪っていたらしい――両手で構え直す。
それはほとんど、先程の危機を回避した際と同様に無意識な行動で、それから先もまた同様だった。
斬りかかる二人目の剣が袈裟掛けに斬りおろされるのを、両手に持った剣を振り上げるようにして弾き上げ、次いで一歩踏み出しつつ水平に振るう。血飛沫が舞い、剣を持った右手が肘の先辺りから飛んだ。
続いて突き出された三人目の剣は、飛び
「く、くそっ」
剣を折られたことに悪態をつきながらも三人目の、アニキと呼ばれていた男は、素早く錬の攻撃範囲から逃れるように後退する。男は錬を警戒するように折れた剣を構えながら、初めに吹き飛ばされた男のもとに向かった。
「おい、おきろ」
頭を蹴りながら声をかけると、それほど深い昏倒ではなかったのか、唸りながら男は目を覚まし、
「…ア、アニキ…」
自分の手に剣はなく、アニキの剣は折られ、もうひとりの子分は右腕を切断された衝撃で気を失ったのか微動すらしない、そんな現状を把握して、情けない声を上げながら起きあがる。そんな腰の引けた子分に、
「…そいつ、生きていたら連れて来い…さっさとずらかるぞ」
敵わない、そう理解したアニキは、動かないもうひとりの子分を顎で示して言い、子分はその指図に従って仲間に近付き、声をかけた。返事はないが、まだ生きてはいるようで、錬のほうを気にしつつも切断された腕の元をきつく縛って止血したのちに肩に担ぎあげた。
それを、錬はただ黙って見ていたわけでは…あった。状況を把握しては、いた。だが錬の思考は未だにずっと斬り殺されそうになったときの忘我状態にあった。
その状態は、男たちがこちらへの警戒を緩めないまま逃げ去り、その姿が見えなくなるまで、そしてそれをしっかりと視界に収めて意味を認識しながらも変わることなく、それゆえに能動的な行動を全く起こせなかった。
「…助かった?」
どのくらいののちか、そんな
少し離れたところに切断された剣を握ったままの腕。それを為したのは錬が右手に提げている、男たちから奪った剣だ。それを承知して、しかし錬の心中に浮かんだのは、
「…どうしてオレにあんなことができたんだ?」
という疑問だけだった。
今までの人生の中で戦闘行為など、ほとんどしたことはない。運動能力にしても人並みでしかなく、腕力などは同年齢に比べて足りないくらいだった。そんな錬が、ひとりは拳ひとつで昏倒させ、同時に掛かってきたふたりは剣戟で圧倒し、撃退した。相手の、人への攻撃に慣れていそうな、それなりに鋭い剣筋にしっかりと反応して余裕を持って反撃した。もしその気になれば、三人ともを斬り捨てることも容易だった、との自覚さえもある。
とても信じられない。
だが、それ以上に人間の右腕を切断しておいて、そのことに何の感慨も湧かなかったことに首を傾げた。
あれほどの重傷であれば、下手をすれば死ぬかも知れない。それも理解している。だが、それでも、人を殺したかもしれない、ということに対しての衝撃は、まるで感じなかった。
あまりのことに感情が麻痺しているのか、とも考える。あまりにも冷静な思考で、自己防御的な思考停止が働いているのか、と。
考えても結論は出なかった。答えの出ないことを考えても仕方がない、と半ば開き直った思いで錬は、
「さて、これからどうしようか?」
という、ある意味で根源的な疑問を思った。
まずあれはなんだったのか、と逃亡した三人組について考える。おそらくは盗賊や山賊の類。
ここがどこでいつなのかは未だに不明だが、剣や鎧で武装していたり、地平線までなにもないような荒野が広がっていたりすることなどから、少なくとも錬の生まれ育った平成時代の日本でないことは、時代と場所の両方の意味で確かだ。
現代――錬の感覚からしての――であれば、どのような辺境であっても所持している武器は銃器だろう。密林の最奥のような秘境でもない限りは。つまりは剣が主要な武器だった時代だということだ。そして山がちな日本にこんな広大な荒野は、今も昔もないだろう。
どうしてこんな状況に陥ったのか、は分かるはずもなく。
それ以上は、自分の身体が異常に動けるということと同様に、今は考えてもどうしようもない。
だから今、考えるべきはあの三人組のことだった。少なくとも、今この段階で、この
そして、彼らが賊であるのなら、逃げた方向が彼らのアジトである可能性が高い。そしてそちらは彼らが声を掛けてきたときに錬が向いていた方向だった。ならば彼らが来た方向に村か何かがあるのでは、という予測が成り立つ。なんらかの
そう結論付けて、錬はその方向を向く。太陽は高く、ほぼ真上にあるために自分が向かっている方角の検討はつかないが、ともかくそちらに何かがあることを願いながら、錬は歩き始めた。
歩くこと2時間くらい。
時計もないために体感的な感覚でしかないが、それほどの時間を歩き続けても、全く疲労感はない。以前でもその程度を歩ける体力はあったが、疲労を感じないということはなかった。やはりこの身体はどうかしてしまったらしい。そう思う。
歩きながら色々と自分について確認してみたが、服装については気を失う前と変わったことはない。だが、携帯や腕時計、財布、アパートの鍵といった物品については所持していなかった。理由は不明だ。
そして身体的特徴として左の二の腕にあった、それなりに大きな古い裂傷跡がきれいさっぱりなくなっていた。弓道部活動の一環として近所の神社で行っていた
太陽は、錬の右斜め後方へと居場所を移していて、彼が進む方角が東だと知らせていた。その傾きからもそれなりの時間が経っていることが分かる。
すでに周辺は畑らしきものが広がり、農村の耕作範囲になっていることがうかがえる。すでに収穫を終えた様子の畑の、その間を縫うように踏みしめられた土が道らしきものを形成していて、錬が今、歩いているのはその道だ。畑の向こうには森だと思われる緑も見えていて、この辺りが先程までいた荒野と違って水気に恵まれていることが分かる。
そして前方に予想通りに村のようなものが見えてきた。
周囲を、土を盛った塀、というより土塁に囲まれ、その外周には堀も見受けられる。だがどちらも人の背丈の半分程度の規模でしかなく、申し訳程度、といった感が否めない。その中には、木造と思われる家屋の外壁や屋根が並んでいる様が覗いて見える。向かっている正面には、木製の両開き扉を設けた門らしきものがあった。1枚が両手を広げたよりも多少大きいくらいの、その扉は開かれているが全開でない。人が2人並んで通れるかどうかほどの隙間を見せている。
その様子に錬は、なんとなく違和感を抱いた。
ここが農村であるなら、まだ畑仕事に出ている者がいたり、森へ狩りに行っている者などがいたりして、それらのために門は大きく開かれているのではないだろうか。あるいはすでに全員が戻っているのならば完全に閉じられていてもおかしくない。
「ま、オレに分かるわけもないか…まったく分からないことだらけだな…」
ぼやきに近い呟きが漏れる。未だに錬の思考は冷静を保ったままで、自分自身でどうにも違和感を否めない。
自分はこんなにも精神的に強靭だっただろうか。いや、はっきり言えば、図太かっただろうか。
そんなことを考えながら門に近付いたときだった。
「止まれっ」
門の内側から制止の声が上がった。
素直に立ち止まる。狙われているな、何の根拠もなく、そう感じた。それでも心は乱されることもなく、錬はただ反応を待った。
「…なにものだ、何しに来た?」
しばしの後には
「…旅のものです。一晩の宿をお願いしたいのですが」
「本当か? ずいぶん変な格好をしているが…あと、その抜き身はなんだ?」
言われて、錬は自分の右手にある剣を見る。賊から奪ったままのため鞘はなく、その言葉のとおりに抜き身のままだ。不審と言えば不審である。
「はい、遠い場所の出身ですので見慣れないのでしょう。この剣は鞘をなくしてしまいましたので仕方なくこのように。村に入れていただけるのであればお預けしますが」
「…少し待て、
その言葉が終るか終らないかのうちに、背後に気配を感じて、錬は振り向いた。
その様子を見て、声に怪訝そうな色が混じる。
「おい、なにをやって…」
「…門を閉じてください」
「なに?」
「おそらく賊です。門を開いていては、なだれこまれますよ」
その錬の言葉を訝しみながらも、それを見届けたのだろう。中が騒がしくなり門が音を立てて閉じられる。
その音を背後に聞きながら、錬は気負いもなくそれを眺めていた。遠くに人数が揃って移動しているかのように砂煙が上がっている。それが近くまで寄ってくるのにさほど時間はかからなかった。
人数は、100人ほどか。手に持つは剣や槍、あるものは鎧を身にまとい、あるものは武器とは別の手に盾を持ち、漂わす雰囲気は荒々しい野卑な暴性、数人の騎乗しているのは幹部格だろうか。予想通り賊の一味と見て違いなかった。それは、
「てめえはっ! やっぱりこの村のもんだったのか!」
そんな叫びが聞こえてきたことからも察せられた。
(いや、それは無理があるってもんだろう…)
内心でツッコみつつ見れば、そこにいたのは先程、錬と一戦やらかした三人組の、アニキと呼ばれていた男だった。馬に乗っていることから見て、それなりの地位にいるらしい。
だが、その男を抑えて、別の男が馬を進めてきた。
賊の首領だろうか。その体格は明らかに他の者たちより大きく、左眼の下から顎にかけて走る切り傷が、凶相を際立たせている。
「今日、な…」
地の底から響くような声音で凄むように言う。
「こいつに、この村へ通告をさせたんだ。食い物の半分を差し出せ。出さなければ殺して奪う、とな。その帰りにてめえに襲われた、てことなんだが…それでいいか?」
恐怖で震え上がってもいい状況だった。少なくとも先程、目が覚めたばかりのときには、これよりも弱い威圧に
「…多少、違うけど…まあ、大筋で間違ってないかな」
「そうか。で、てめえ、この村のもんか?」
「いや、この村にはさっき着いたばかりだ。これから厄介になろうか、てところだったんだけどね」
「…そうか。なら、ひとつ提案だ。てめえ、ずいぶん腕が立つようじゃねえか。俺の下につけ。働き次第で幹部にだってしてやるぜ」
何の感情も交えずに配下になれ、と言ってくる。その言葉に撃退された例の男が表情を変えるが、異を挟むことはない。首領の統率が行き届いているようで、ただ憎々しげに錬を睨みつけるだけだ。他の男たちはにやにやと表情を崩して傍観している。100対1だ。断る馬鹿はいまい、と思っているのだろう。
「…断る」
だが、錬は事もなげに拒絶した。その言葉に賊たちが一様に嘲笑を浮かべる。例の男などは喜色を示している。これで誰
「じゃあ、死ね」
首領の言葉は端的だった。そしてその言葉を合図に賊たちが錬に向けて斬りかかる。
嘆息混じりの悲鳴が聞こえたのは、門内から様子を伺っていた村人のものだろうか。その場に居合わせたものは、皆が門前に
血煙が舞い、人が地面に倒れる音がして…だが、倒れたのは、賊のほうだった。瞬きをする間もあらばこそ、錬のもつ剣が閃き、斬りかかった三人が逆に斬り伏せられたのだ。それぞれ、袈裟掛け、斬首、心臓への突きをもって、物言わぬ死体へと変ずる。
それを見て、首領が、ほう、と感心したように息をつき、
「まとめてかかれ」
と、指図する。
それに従って賊たちが再び殺到する。だが同じ光景が再現されるだけで、しかし今度は賊たちの攻撃が止まらない。三人が斬り殺されても次の三人が、次の三人が斬り殺されてもそのまた次が、というように波状的に攻撃を続けられれば、最初のように剣を合わせることもなく斬り伏せる、というわけにはいかず、賊の剣閃を自らの剣で受け止め、あるいは
それでも、この程度の賊相手に不覚をとることはない、との確信があり、こんな状況ながらも冷静に自己分析ができていることに、錬は奇妙な感覚を抱きながら、賊の攻撃を捌き続ける。それでも、いつまでもこのままというわけにもいかない。さてどうしたものか、考えて、ふと足元に倒れている賊の死体が視界に入る。正確にはその死体の傍らに落ちている剣に。
思いついて、その剣を蹴り上げ、左手でつかむ。二刀流だ。これならば片方で防御しつつ片方で攻撃ができる。まったくもって、その場凌ぎの思いつき。だが、その思いつきが型にはまった。
初めの三人に続いて、五人を戦闘不能にした後で停滞していた戦果が、瞬く間に積み重なる。
受け止め、弾き、払い、押し戻す。
袈裟斬り、薙ぎ払い、突き、首を斬り飛ばす。
縦横無尽、接敵必殺といわんばかりに錬は、賊を相手に殺戮を重ね…
「退け」
首領が手下に攻撃中止の号令をかけたのは、30人ほどが殺され、あるいは重傷を負って戦闘不能になったときだった。もっともそのときには、賊のほとんどが錬を相手取ることに腰が引けて、言われなくても距離を置き始めようとしていたところだったのだが。あるいはそんな空気を敏感に察したからこその号令だったのか。
そうだとしたら、その首領は確かに凡百ではなかったのだろう。
「…ずいぶんとやってくれたもんだな。これ以上、手下を殺られたら今後に響く。てめえは俺が直々にぶっ殺してやる」
言いつつ、首領は馬から降りると、その馬の背から武器を取って構える。
戦斧。
伐採用の斧ではなく、柄を長くして両手で振り回しやすくした長柄の重量武器だ。
それを見て、さすがに錬も気を引き締めて両手の剣を構えた。まともに受ければ数十人を斬って
これまでと違って避けるしかない。そんな不利に思える状況に、それでも錬の表情に焦燥は浮かばなかった。
ただ構えを変えた。腰を落として重心を後ろに残し、相手を待ち受ける型から、爪先立ちになって全身から無駄な力を抜き、いつでも即時に動き出せる型に。あまつさえ拍子をとるように、軽く跳びはねてさえ見せる。
ヴォンッ!
そんな風切音さえ生じさせて戦斧が振るわれた。今までの首領の寡黙さのままに無言で。
だが、錬はそれをあっさりと避けた。身体を滑らすように、わずかに立ち位置を後方へとずらすだけで。続けて振るわれる、破壊的な戦斧の第二、第三撃も、横にずれ、後ろに下がり、あるいは体勢を低くして、避け続ける。
ただ回避、それに徹すれば、そして一手を誤らなければ、錬にとって首領の戦斧は恐れるものではない。ないが、僅かな齟齬が生じれば、
そして何撃目なのか、攻撃を掠らせることさえ覚束ない状況に、首領が焦りを覚え始める。このままじっくりと慎重に攻撃を重ねれば、勝てないまでも負けることはないだろう。だが、それでは首領としての立場に傷がつく。手下どもを撫で斬りにした相手なのだから
錬を脳天から防ぐ剣ごと唐竹割にせん、と振り下ろされた戦斧に、左手の剣をこちらもまた力任せに、しかし真っ向からではなく、内から外へと払うように叩きつけて戦斧の軌線を逸らす。その衝撃に左手の剣は砕け散ったが、力を逸らされた首領は体勢を崩し、戦斧の重量を支えきれずに地面へと叩きつけてしまい、その結果、頭から胴までががら空きになった。そこに錬の右手に握った剣が突きこまれる。それは吸い込まれるように首領の喉に突きたてられ、頸部を貫き、盆の窪から切っ先を突き出させ、首領は何が起こったのかも理解できないままに吐血、一瞬で絶命した。
錬は、確実に首領が死んだのを確認すると、その死体に足をかけて剣を引き抜き、まとわりつく血を飛ばすように剣を振り払うと、遠巻きにしている残りの賊へと向き直る。
その横で、どう、と音を立てて賊たちの首領だったものが地に倒れ伏す。そして錬が冷徹に告げる。
「さて…次は誰が死にたい?」
「う…うわぁあああああ、逃げろ、逃げろぉっ!」
崩壊は一瞬だった。
おそらくは圧倒的な暴力で賊たちに君臨していた首領があっさりと屠られ、さらにそれ以前には仲間たちが、すでに30人以上も為す術もなく殺されている。
適うはずもない。
この場に残れば必ず殺される。
そう理解すれば、賊に身を落とす程度のものたちなど、統制も連帯もなく逃走するしかない。
時をおかず、門前には錬と、彼に殺された30余の死体、そして首領が乗っていた馬だけがどうすればいいのか分からない、とばかりに首を振りながら錬を見つめていた。