後始末の説明回です。
「――それで、あれからどうなったんです?」
挨拶もそこそこに、錬は張勲にそう聞いた。
あの評議から三日後のこと、場所は相変わらずの
評議のあと、拘束された楊建や韓忠らのことは張勲に任せて、錬は閻象と今後のことを話して、宛城を後にした。今回の立役者ではあるが、官職にない者が、郡の要職である郡丞が逮捕されるという混乱の内にある城内にいるべきではないだろうし。
そして三日後、その間に拠点として利用していた屋敷を引き払い、撤収の準備を完了させた錬と梁綱は、その報告も兼ねて、宛城に張勲を訪ねた、というわけである。
「…方全さん、説明よろしくです~」
茶で口を潤した張勲は、どことなく
「評議のときに張長史どのが言ったとおりですよ。楊建の裁定は斬首。関与していた家令始め幾人かの従僕も連座して同じく斬首、
そこで沈鬱そうに口を
「…逃亡いたしました。有罪確定な輩だけでなく、どちらとも明断できない者も。それどころか、特に注視していなかった者まで。要するに、袁家派閥のほぼ全ての官吏が、です」
「それはまた、潔いと言えばいいのか、目端が利くと言えばいい、の、か…」
うんざりしたような閻象の言葉に苦笑を浮かべた錬は、言いかけたところで、ふと気がついたように眉間にしわを寄せて、疑問を口にする。
「…袁家派閥のほぼ全て?」
「…それって、職務放棄?」
「まさしくその通り。しかも要職にあった者ばかりなので…」
「…大変なんですよ~。後始末ではなく、その、空いた業務の穴埋めをするのが~…」
閻象と張勲が、そろって愚痴とともに大きく息を吐く。
「…それはまた、なんと言えばいいのか…ご愁傷様です」
錬に言えることはその程度だった。
「…そんなわけですので、楊建に関する件については、彼の周辺のみの始末で手仕舞いということになりそうですね。袁家派の方々の逃亡先も捜索できないわけではないのですが、追手をかけるのも手間ですし、捕らえたとしても気慰み以上の意味があるとも思えませんし…」
「まあ、放免するのも業腹ですけど、所詮は二流以下の輩ですし、放っておいても害にもならないでしょうしね~。ほんと~に腹立たしいですけど~」
気を取り直した閻象と張勲だが、散々な言い様である。
まあ、ふたりの今の状況を思えば、その気持ちも分からないこともない。などと思えるのは、錬には直接の関わりがないからだろう。それが分かっているから、錬は下手なことを言わないように口を噤んだ。ふたりの感情を逆撫でして八つ当たりされる、などは勘弁願いたいところだ。
それに、いくら張勲や閻象がこれ以上の追及はしないとしても、郡政を放棄しての逐電だ。それは漢朝への不義でもあり、今後、彼らが表舞台に上がる方途は消えたと言えるだろう。言葉通りに憂さ晴らしになる以外に意味はない。
それはそれとして、今回の件、袁家派閥に対しては、張勲の計画通りで
実際、錬が韓忠らの謀を探っているころには、楊建が行っていた悪事のほぼ全てについての詳細を、張勲は掴んでいたのだが、楊建を追い詰めるための実戦力がなかった。ゆえに、追及の手を上げたところで、力尽くで反撃され、逆に張勲が為す術もなく排除された可能性が高い。そうなれば南陽郡は、袁術を傀儡とした楊建によって実効支配されることになっただろう。
だがそこへ、例の件で貸しのできた紀霊という実戦力を得たことで、一気に事を進めることができたというわけだった。
そして本来ならば、楊建の屋敷から接収した資料をもとに、その悪事に深く加担した者どもは厳罰に処し、関与の浅い者らは軽く罰するに留めることによって貸しを作り、縛り付ける予定だった。つまり、いち早く逃亡されてしまったのは誤算であり、そのせいで、彼らが携わっていた業務が滞ることになったわけだ。
それでも、抑えつけるように上にいた袁家派閥の官吏が消えたおかげか、袁術就任前からいた、いわゆる地元の官吏らが意欲的に業務に取り組んでくれるようになり、今は混乱から苦労も多いが、体制が整えば、これまで以上に円滑に進展するだろう、とのことだ。もっとも、居なくなった官吏の職分については、張勲と閻象に負担されることに違いはないのだが。
そして、韓忠と伊俊について。
これも事前に決めていたとおりに、実行犯であるふたりについては南陽郡からの追放、ということになった。評定時に意見を求めたのは、楊建ら袁家派から厳罰を提示させ、それを袁術から温情を示す形で減刑することにより、韓宜、延いては韓家を始めとする南陽豪族への歩み寄りを示唆して融和を図るためであり、韓宜と親交のある豪族武官らに対しては、それはほぼ図に当たっている。
ただこちらの件にも誤算はあった。韓宜が郡都尉の職を辞したことであるが、これに関しては韓宜自らが後任として紀霊を指名したことと、皆の前で袁術に忠節を表明したこともあって、紛糾することなく新たな郡都尉の下で足並みを揃えている。
「ひとまず、これで落ち着きそうなのは、なによりですよ」
そんなこんなの、南陽郡の実状を語って、張勲が言う。
「袁家派を追い払ったことで、官吏や豪族の方々には信用していただけそうですし~、南陽郡下全域についてはまだまだですが、郡治府と宛城周辺についてはこのまま掌握できそうですね~」
いつもの微笑みを浮かべて、張勲が言ったところで、
「張長史、紀長成だ。入るぞ」
「は~い、どうぞ~」
張勲の返事に扉を開いたのは、言葉の通りに紀霊だったが、彼女だけでもなかった。
「あら、美羽さまもいらっしゃったのですか?」
「うむ、来たのじゃ」
「調練場からの道中でお会いしたのでな。お連れしたのだ」
胸を張って存在を主張する袁術の後ろから入室して、そう説明した紀霊は、部屋を見回すとひとりの人物へと目を向けた。
「おお、士泰ではないか、いつ城に来たのじゃ?」
「こんにちは、コウちゃん。ついさっきだよ」
部屋に入るや駆け寄った袁術と挨拶を交わす、その人物――錬へと歩み寄ると、
「白どの、だったな。あのときは
そう言って頭を下げる。そんな紀霊に、瞬間、面喰ったように目を瞬かせた錬だったが、すぐに居住いを正すと謝意を示す紀霊に向き直った。
「お気に為さらず。お互い様ですしね」
「そう言ってもらえると助かる」
あまり重くならないように返す錬に、紀霊は口端を上げるだけの笑みを浮かべて、こちらも軽く答えた。
そんな紀霊に、閻象が着席を促し、慣れた手つきで淹れた茶を勧める。
錬の横の椅子に座りつつ話しかける袁術の前には、いつの間にか、張勲によって蜂蜜水が用意されている。
改めて話し合いが再開される。
「それで、武官らの掌握は順調ですか?」
そう、閻象が聞けば、
「ああ、今のところは従順だな。伯正(韓宜)さまが目を光らせてくださってもいるしな」
茶で口を湿らせながら紀霊が答える。続いて口を開いたのは張勲だ。
「では、編成はどうですか? 郡都尉が交代したのですから再編が必要でしょう?」
「うむ。再編は必要だ。まずは、新たに部隊長級の武官について考えねばならん」
南陽郡の軍を統括していた郡都尉韓宜はその職を辞し、副将格だった紀霊へと譲っている。そしてもうひとりの副将格だった韓忠は追放され、その部下の伊俊も同様だ。そして逃亡した袁家派のなかには、武官職に就いていた者もいた。張勲や閻象が苦労させられている政務ほどに穴を開けられているわけではないが、万どころか千を率いることのできる武官でさえ、その数を減じている、というのが、紀霊からの報告だ。
「まあ、幾人か目星をつけてはいるのでな。いましばらくすれば、下級武官については選定ができるだろう」
「ん~、そうすると、郡下の各所に軍を派遣、駐留させるとかに手を付けることは、まだ無理そうですね~」
紀霊の語る軍兵再編についての見通しに、張勲が多少の憂いを浮かべて嘆息すれば、その言葉を聞いて紀霊が驚きに目を丸くする。
「いやいや、
そう言われれば、張勲とて
そもそも、郡太守が抱える常備兵力は多いものではない。せいぜいが数千である。無論、有事にはそれに数倍する兵数を集めることになるのだが、それはその都度に徴兵したり、豪族らの私兵を借り受けたりして間に合わせるものだ。郡太守の軍兵は、郡都内とその周辺、そして街道の安全を確保することさえできれば、それで事足りる。それ以外の郡下の各地域の治安については、それぞれを管轄する県令であったり、豪族であったりが担うものだ。
大都市である宛を擁する南陽郡であっても、常備が可能な兵数は、現状では一万が限度だ。それを、郡下全域を統制するべく派遣しようとすれば、細分化された
さらに、郡太守の軍兵が各地に派遣され、駐留すれば、それぞれの地域に支配力をもつ県令や豪族は反発を覚えるだろう。それは、ようやく郡下の掌握に手を掛け始めたばかりの袁術陣営にとっては避けるべきことだ。
だからと言って手を拱いていれば、いつまでたっても郡下の治安は不安定なままだ。本来ならば、それは県令や豪族が責任を負うべきことなのだが、彼らにその認識がなければどうにもならない。
張勲と紀霊との会話に、錬の横では袁術が頭から煙を出しそうになっている。そんな袁術に気がついた張勲が内容を噛み砕いて説明し、錬や閻象も
「つまりは、どういうことなのじゃ?」
「簡単に言ってしまえば、郡下を安全にするにはもう少し時間がかかるということですね~」
「豪族らの振る舞い次第だが、早くても数か月から一年はかかるでしょうな」
袁術の疑問に答える張勲に続き、紀霊が具体的な見通しを告げる。それでも不得要領な様子を見せていた袁術だったが、そこでようやく何かに気がついたように首を傾げた。
「…うにゅ?…ということは、じゃ。妾は兵を自由に動かせぬ、ということかの?」
結局のところ、袁術が抱いた当初の懸念はそれである。すなわち、太守であるはずの袁術がその権限を自由に行使することができない、という。つまりは、それがゆえに。
「では、士泰が妾の下に
疑問とも確認ともつかない言葉を、眉を八の字にしながら袁術がこぼし、俯く。
――今までなら
袁術の様子に目を細める張勲は言葉もない。主の憂いを晴らせないことに対する忸怩たる思いと、主の精神的な成長を嬉しく感じる想いとが複雑に絡み合って、渦巻いて、胸を締め付けていたからだ。何故か、その表情には悶えているような喜色が見え隠れしていたが。
そして、張勲ほどの深い感慨ではないものの、錬と閻象は
が。
「ふむ、少し良いか?」
室に漂う空気など知らぬとばかりに、暢気ささえをも感じさせて、声を発するものがいた。
紀霊である。
「先ほどの公路さまの言葉を聞くに、白どのは公路さまにお仕えしているわけではないのか?」
その言葉に、皆が呆気にとられて目を丸くした。
――なにを言っているんだ、長成どのは?
そんな言葉が聞こえてきそうな視線を受けて
「…そういえば、士泰さんの立場については、お教えしてませんでしたね」
「それなら、あたしが知らなくても仕方がないじゃないか」
眉間にしわを寄せて憮然と口を尖らせる紀霊に、申し訳ありませんでした、と閻象が素直に頭を下げる。
今回の件で、紀霊に渡りをつけたのは、もともと商人として付き合いのあった閻象であり、それは多少でも話を通せそうなのが彼女しかいなかったからだ。というわけで、紀霊が得られる情報は閻象から伝えられたものだけであり、白毅という同志が袁南陽のために動いている、と聞けば、その通りにしか認識できないのは当然であり、つまりは、気分を害して不機嫌になるのも当然なことだろう。
もっとも、すぐに閻象が素直に謝罪したおかげか、気を持ち直した紀霊に、閻象が説明を始める。
錬が、博望県丁荘里の人で、自衛のための警備隊の隊長を務めていること、閻象の護衛として宛へやって来て袁術と出会ったこと、そして、錬を気に入った袁術が出仕を望んだが、警備隊の職務を無責任に放棄できないために応じられないこと、などである。
「ふむ、
事情を聞いて腕を組みながら、そうこぼす紀霊に答えたのは、張勲のため息だった。
「…やっぱり無理ですかね~、私たちで直接に各地を掌握するのは…」
「無理だな。さっきも言ったように手が足りん。
改めての紀霊の言葉に、張勲も閻象も、大きく息を
分かっていたことだ。今回の件で南陽郡治府の掌握を果たしはしたが、郡下の各県以下に影響を及ぼすことはできても、完全に支配下に置いたわけではない。県令や豪族の囲っている兵力は当てにし切れないし、かと言って郡治府の軍兵を回すわけにいかないのは前に述べた通りだ。
「ところで、先程から軍を駐留させる前提で話をしていますが…」
と、そこで疑問の声を上げたのは、誰あろう錬である。
「パトロール…いや、巡回、かな? そういう形での対応はできないものなんですか?」
「できないわけではないが、それもまた効果的ではないだろう。多少の兵を巡回させたところで、反対に匪賊に蹴散らされる懸念は拭えないし、巡回の間隙を突かれれば徒労にもなりかねん」
錬の疑問を紀霊が首を振って否定する。が、そこに異を唱えたのは張勲だった。
「いえ、そうとばかりも言えませんよ」
口元に手を当てた恰好の張勲が、考え込むように半眼のまま、巡らせた思考を囁く。
「通常のように小隊、中隊規模の巡回兵では、長成さんのおっしゃった通りになるでしょう。ですが、巡回を大隊(500人隊)単位で行えば…」
「…ふむ。であれば、数の問題は解消できるであろうが、巡回に空隙ができることに変わりはなかろう」
「いえ、通常の巡回の規模で考えず、可能な限りの最大限の兵数を巡回する部隊に回すんです。大隊十隊で郡内を有機的に運用すれば、空隙もある程度は潰せるんじゃないかな~、と思うんですが~」
「む…各隊で連携を取って巡回するということか。それならば可能かもしれんが、宛に駐在する兵にしても、巡回する兵にしても、負担が重くなりすぎるぞ?」
「ええ。ですから、宛城の守備と郡内の巡回とを順送りにしたりしてですね~、それぞれの軍務の合間でそれなりの休暇を与えるようにすれば、ある程度の負担は減らせるでしょう? なにより、巡回を行軍訓練として全将兵に義務付ければ、練度の上昇も期待できるでしょうし~」
思考を進めるうちに、いつもの調子が戻ってきた張勲の言葉を受けて、閻象が頷いて補足する。
「なるほど。常に十隊程度が郡下を巡回していることになるのですね。巡回範囲を振り分ければ、一度の巡回期間が二、三か月、宛城での軍務も同じくらいでしょうか。それくらいなら、楽とは言いませんけど、厳し過ぎるということもないのではないですか? それにその方法であれば、各地も一月毎程度に巡回が来ることになるでしょうし、十分な効果が見込めるのではないでしょうか」
「それに、軍兵の派遣ではなくて、あくまで訓練の一環としての行軍巡回と言っておけば、豪族の皆さんを刺激することもないでしょうし~」
「ふむ。そう聞くと、良いこと尽くめに聞こえるな」
閻象、張勲の説明に、紀霊が考え込むように頷く。
「問題がないってことはないのでしょうけれど、特に費用面では。まあ、試行錯誤を前提に実施していくしかないでしょうね」
「そうだな。となれば、やはり早々に隊長級武官の選定をせねばならんな」
「いっそのこと、その行軍そのものも、武官の選定基準に盛り込んではどうですか~?」
「ふむ、それもいいかもしれんな」
矢継ぎ早に言葉を交わす張勲、閻象、紀霊の三人に、錬がいささか呆気に取られているうちに、次々と方策が決まっていき。
「と、いうわけで、郡下の治安については、これである程度の回復が見込めると思いますが、士泰さんはどうでしょうか~?」
「ええと、それは、なにについて、ですか?」
そう振られて、錬は戸惑いながら質問に質問で返すが、にっこり笑顔で、
「分かってることを聞き返すなんて男らしくありませんよ~?」
などと更に返されれば、大きくため息を吐きつつ、覚悟を決めるしかない。
「分かりました。もともと、安全が確保されれば、とは考えていましたしね」
決められた方策で郡下が安定するかどうか、錬には断定できないが、張勲や閻象が有効だと判断しているのならば、
「袁南陽さま」
錬は立ち上がると袁術へと向き直り、拱手を捧げる。
と、見るからに眉間にしわを寄せ、頬を膨らませた袁術が文句を言おうとするのを見て。
「…いや、ここは畏まらせてくれよ、コウちゃん…」
情けなさそうに肩を落とす錬だった。
その言葉に、うにゅ、と唸り、不満げに睨みながらも、その意を汲んでくれたのか、口を噤む袁術に、錬は気を取り直そうと深呼吸をひとつ、姿勢を正し、
「この白士泰、南陽郡の安寧のため、袁南陽さまにお仕え致したく。お許し願えますか?」
瞬間、きょとんとして錬を見つめる袁術だったが、その表情が緩んでいき、やがて浮かぶのは満面の笑み。
「うむ、許す!」
そして、立ち上がると錬へと向き直り、両手を腰に当て、上機嫌に高笑う。
「うははーっ! よかろうなのじゃ、妾のために励むがよいのじゃーっ!」
いろいろと、台無しな気分になる錬だった……
なんとか章題の”仕官”まで来れました。
内容に関して、整合性があるか疑問もあるでしょうが、ご容赦ください。
自分の能力ではこれくらいが限界なので。
サブタイトルが同じになってしまったのも自分の限界のせいです。
さてこれで二章完です。
ようやく原作開始時間に追いつきました(予定)。
時間はかかるかもしれませんが、よろしければお付き合いくださいませ。