恋姫異聞 白武伝   作:惰眠

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三章開始です。

ですが、冒頭でミスしています。
詳しくは後書きで……



三章 黄巾
一 客将


 

 高笑う袁術に、遠い目をしつつ、内心でこっそりと肩を落とす錬だったが、それを余所に――

 

「さすがはお嬢さま。士泰さんの言葉を、ご自分に都合のいいように曲解する、その独善的な身勝手さには、私も脱帽です~。よっ、漢朝一の唯我独尊我田引水お嬢さまっ!」

 

「うははーっ、もっと褒めてたも、褒めてたも~」

 

 主従の間でそんな会話が繰り広げられれば、深くため息を()きそうになっても致し方ないというものだろう。咄嗟に気付いて、飲み込むことはできたのだが、ちらっと見れば意味ありげな微笑みを浮かべて、錬へと流し目を送る張勲がいた。

 

「――さぁて、これでめでたく、士泰さんがお仲間になったわけですけど~」

 

 そんな張勲が、人差し指を顔の横で、ぴんと立てて口を開く。

 

「士泰さんは、これからどうされるつもりですか~?」

 

 そう聞かれはしたものの、その意図がつかめず、錬は口籠った。先の笑みを思えば、こちらの内心を読み取られたような気がするのだが、言葉にはそんな響きは感じられなかったからだ。あと、ふたりの会話に微妙に気を抜かれていたりしたのも理由の一つだったりする。

 

「張長史どの、それでは質問が抽象的ではありませんか?」

 

 たじろぐ錬を見かねて、そう助け船を出したのは閻象だ。

 

「なにについてなのか、分からなくては士泰さんも答えようがないかと思われますが……」

 

 そう言われて、張勲は思うところなどないかのように、にこやかに言葉を紡ぐ。

 

「そうですね~、とりあえずはこれからの予定ですね」

 

 上に視線をやりながら、立てた人差し指を口元に当てて、張勲が聞くのは、錬の行動予定について。要するに、いつから出仕するのか、ということ。ということであれば、錬にはやっておかなければならないことがある。

 

「とりあえずは報告しなければいけないので、一旦、村に戻ろうと思います。警備隊の引き継ぎやらなにやらもありますしね。こちらに戻れるのは、十日後といったところでしょうか」

 

「了解です。それでは、そのつもりでお話を進めておきますね~。あとは、士泰さんの立場というか、身分というか、ですけども~」

 

 錬の言葉を受けて、張勲が言えば。

 

「白どのは、警備隊をされているのだったな。ならば、武官ということになるのか?」

 

 そう、武官の筆頭たる紀霊が問う。

 

「そうですね。適性という意味ではっきりしているのは武官でしょう」

 

 その問いに答えたのは、多少なりとも錬のことを知っている閻象だ。

 

「ただ、士泰さんの警備隊は百人ほどでしたので、いきなり軍の指揮をお任せするのはどうか、と……」

 

「あとは、諜報方面でも役立っていただけそうなことを考えると、しばらくは太守府直属として……」

 

 張勲がそう言いかけたところだった。扉の向こうから入室の許しを得る声が掛かる。

 その声に、そっと目を細めた張勲が「どうぞ~」と許しを与えると、入ってきたのはひとりの侍女だった。その侍女へと目を向けた張勲が「どうしたんですか~?」と尋ねるも、侍女はすぐに答えずにそっと近寄ると耳打ちをするようになにやらと囁いた。それを聞いて、張勲が目を見開く。

 

「……わかりました。すぐに向かいますので、謁見の間に通しておいてください」

 

 指示を受けた侍女が一礼して下がるのを見送ってから、錬らへと向き直った張勲は、すでにいつもの表情だ。その微笑みのままで、張勲は錬へと人差し指を立てて見せる。

 

「すみませんが、村へ戻るのは少し後回しにしてください。士泰さんにお願いしたいことができちゃいましたから」

 

「お願い、ですか?」

 

「ええ、お嬢さま――南陽太守への謁見の申し込みがあったんですが、そこに同席していただきたいんですよ」

 

 そして、意味ありげな視線を向けて、言葉を続ける。

 

「謁見者は、周瑜、字を公瑾(こうきん)。あの、孫策さんの義姉妹にして懐刀とされる人物です~」

 

 

 

 

 

 朝議などの多数が参集するためのものが評定の間だとすれば、謁見の間とは、太守が少数と目通りをするための部屋で、その造りは似通っているが、より小作りになっている。

 そんなことを説明しつつ、張勲《ちょうくん》が廊下を歩いていく。その背中を、閻象(えんしょう)、紀霊、錬の三人が追う。

 

「ところで、周瑜さん――つまり、孫策さんの思惑は、どんなものだと思われますか~?」

 

 前を歩く張勲からそんな質問が発せられた。質問(それ)に、しばし考えながらも、まず答えたのは閻象だ。

 

「まあ、順当に考えて、援助の申し入れでしょうか」

 

 呉郡孫家の前当主孫堅死後の、その状況については、情報通であれば把握していて当然のことだ。閻象が、そして張勲が知らないわけがない。窮状にある孫策が、名家にして南陽郡太守である袁術に接触を図るとなれば、その意図を推測することは難しくはない。

 その辺りのことを細作頭から聞いていた錬も、閻象の言葉に、なるほど、と頷く。

 

「ということは、資金とか物資とか?」

 

「そうですね~。あるいはもっと直截的に庇護を依頼してくるかも、ですね~」

 

 ――まあ、そうほいほいと信用したりはしませんけど~。

 

 囁くように続けた、その小さな独白を、辛うじて耳に拾った錬は、前を行く女が浮かべているだろう微笑みを思って、震えるように肩を竦めると、口の中で、孫策か、と呟いた。

 思い起こすのは、あの晩に出会った褐色肌の女だ。細作頭の推測では、()()が孫策ではないか、ということだった。だとするならば、あんな獰猛な微笑みを浮かべる女が、そんな殊勝なだけのことを考えるだろうか。もっと物騒だろう、と確信的に思う。が、別れ際の無邪気にも見えた笑顔を思い出せば、そんな印象は霧散して消えていく。

 結局のところ、錬は、彼女に対して悪い印象を抱けないようだった。

 

 襲撃の件については、細作頭から張勲へと伝えられている。

 細作頭の推測が当たっていたのだとしたら、孫策は隠密能力に優れた部下を使い、宛城下の情報を収集し、そして今回、宛の主たる袁術に接触してきた、ということになるわけだが、それを直接に確認できるのは、例の女に襲われた錬と梁綱のふたりしかいない。それもあって張勲は、錬が村へと帰還するのを引き留め、周瑜との謁見、そしてその後にあるだろう、孫策との謁見に立ち会わせることを優先したのだ。

 その代わりに、と言ってはなんだが、今回の顛末を村と警備隊へと伝えるために、梁綱が馬を走らせている。

 

 そんなことを考えているうちに、張勲の先導によって、四人は謁見の間へと到着した。扉の前に立つ歩哨が一礼ののちに、扉を開ける。その先は、太守の座がある壇上ではなく、その直下へと続いていた。扉を開けて再び礼をする歩哨の前を通り過ぎて、張勲を先頭に謁見の間へと進み入る。

 

 謁見の間には、壇上に正対するようにひとりの女性が佇んでいた。その女性が、こちらの入室に合わせて、拱手をとるとともに頭を下げる。その礼を受けつつ、張勲が太守の座を背にして立ち、錬らはその脇へと控えた。

 

「お待たせしました~。あなたが周公瑾さんですか~?」

 

「はっ、姓は周、諱は()、字は公瑾と申します」

 

 張勲の確認に、女性が畏まったままに名乗れば、微笑みを浮かべた張勲が言葉を返す。

 

「私は、南陽郡長史の張栄之(えいし)と申します。申し訳ありませんが、袁公路さまは御加減が優れないとのことですので、代わりに私がお話を伺いますが、よろしいですか~?」

 

 その言葉に、女性――周瑜が承服の意を示すのを聞いて、張勲がその微笑みを深めて頷く。

 

「ありがとうございます。それでは早速、ご用件をお聞きしましようか~」

 

「はっ、実は……」

 

 そう話し始める周瑜を、錬は感慨深く眺めた。

 

 周瑜と言えば、三国の一角である呉を支えた名軍師だ。もっとも有名な功績と言えば、南下する曹操軍を撃退した赤壁の戦いに勝利したことだろう。その赤壁で共闘した諸葛亮には出し抜かれたり、赤壁以後は病を得て早逝したりと不遇な感があるが、知勇兼備の将としての評価を(いな)む者はいないだろう。また、美周郎と渾名されるように美男子であったと言われ、歌舞音曲にも才を示した風流人でもあったという。

 

 もちろん、錬の知る歴史に記された周瑜という人物は、紛うことなく男性のはずだった。

 だったのだが、今、謁見の間にて張勲と話している人物は、どう見ても、というか、(しか)と見るまでもなく女性だ。

 異国的な雰囲気を漂わす褐色の肌、その肢体を包むように流れる長く伸ばされた黒髪と掛けられた眼鏡の奥の理知的な瞳が印象的だ。そして、年頃である錬が目を奪われるような、魅惑的な肢体。

 うん、それはもう、見間違えようもなく、立派に女性だった。

 

 ――ああ、やっぱり、女の人なんだな……と、言うか、眼鏡?

 

 どこか諦観的に心の中で呟き、その装身具に軽く目を見張る。

 

 ――眼鏡って、こんな時代からあったんだ……

 

 そんな訳はない。

 ないのだが、眼鏡の歴史についての知識などない錬は、ほう、と感心の息を吐くだけであった。

 

 そんな、とりとめもないことを考えながらも聞いていた周瑜の話をまとめれば、こういうことだ。

 

 呉郡孫家の先代当主だった孫堅が奇禍に遭ったのは、長沙太守に就任してそれほど経っていないころだった。それゆえに孫家は、長沙郡に基盤を築くことがまだできておらず、また嫡子孫策もようやく初陣を終えたばかりの若輩であったため、長沙郡での統制権を存続させることも、新たに他所に官を得ることもできなかった。

 そのせいもあって、配下のほとんどが麾下(きか)を離れることを許さざるを得なかった。

 もともと孫堅の武名に惹かれて集まった郎党らであり、その武勇が喪われたならば致し方ないと言えるだろう。周瑜を始めとする孫策に期待を寄せる幾人かが残っただけでも僥倖というものだった。

 

 何はともあれ、孫策は今後の展望というものを模索しなければならなくなった。

 故郷である呉郡に戻れば生活することくらいはできたであろうが、孫家は呉郡の一豪族に過ぎない立場であり、この状況での呉郡への帰郷は、他の豪族の後塵を拝することになるだろうと思われる。

 そこで孫策は賭けに出ることにした。辺境ではなく、中原の有力者の庇護のもとで、功績を積み、名声を轟かせ、それによって官を得ようと考えたのだ。賭け、というが、孫策の才覚をもってすれば、それは容易ではなかろうが、充分に勝算のある目論見だろう。少なくとも孫策、そして周瑜らはそう考えた。

 

 それでは、誰の庇護下に入るのか。

 有名どころでは、何皇后の兄である何進や将軍職にある皇甫嵩(こうほすう)朱儁(しゅしゅん)などの名が挙がるが、彼らのように帝都洛陽に居を構える人物は、すでに多くの配下を抱えているため、すぐには重用されない可能性が高い。なにより長沙から洛陽は遠い。では、より近場で、ということなら、皇族であり、荊州刺史にして荊州南郡太守を兼任する劉表ということになるのだが、先代孫堅が、(かね)てより劉表とは折合いが悪かったため、頼りにし難い。

 

 さて次に、ということで、南陽郡太守の袁術の名が挙がった。

 袁術の実家である汝南袁家はもちろん名家である。南陽郡も有数の大府であり、申し分もない。そして、ともに亡くなってはいるが、孫堅と袁術の母である袁逢(えんほう)には少なからぬ縁があった。過去に一軍の大将と副将を務めたことがあり、その縁を理由に頼ることは可能だ。

 あとは、袁術の為人(ひととなり)と南陽郡の状況によるわけだが、ここ数日の郡下や宛城を見るに、これも不足はなかろう、ということで、こうして謁見を願い出た、ということだった。

 

 もちろん、すべて本心を言っているわけではないだろう。

 郡下を見て不足がない、などということがありえないのは、張勲はもちろん、錬でさえも理解している。南陽郡の施政は、お世辞にも善政と言えるものではない。むしろ悪政と言えるもので、元凶だった袁家派閥を追放できはしたものの、郡政の改革に取り掛かることなどできているわけがなく、巷間(ちまた)での袁術の評価はかなり悪い。好んで仕えようなど思いはしないだろう。

 それを踏まえた上で仕官を望むのならば、そこには下心が見え隠れするだろう。取り入って傀儡と為さしめようとするか、あるいはもっと直截的に実権を奪おうとするか。それが容易い陣営だと見たからこそ、こうして麾下に入ろうとしているのかもしれないのだ。

 

 そういった事情(こと)を理解していないことなどないだろうに、張勲は和やかに、ときに相槌を打ち、ときに質問を交えながら、周瑜から話を聞き出している。一方の周瑜にしても、張勲(あいて)がそう認識していることを承知しているだろうに、それを微かにも表面(おもて)に出さずに話を進めていく。

 

「……お話は分かりました。お申し出は、改めて検討させていただくとして、ですね~。ひとつ質問なんですが、伯符さんはどのような立場をお望みですか?」

 

「はい、我らとしては、いずれ官を得て、独り立ちすることを目標としております。ですので、不躾ではありますが、まずは客将としての立場で遇していただきたく。さらに官を得るに口添えを頂ければ幸いに存じます」

 

「分かりました。それでは、その条件で考えておきますね~」

 

「ありがとうございます」

 

 何を考えているのか分からない、いつもの微笑みを浮かべた張勲が言い、内心を読み取らせない無表情の周瑜が礼を返す。

 

「それでは、この件について明朝にはお返事できると思いますが、公瑾さんはそれまでどうされますか? よろしければ城内にお部屋を用意しますけど~」

 

「いえ、それには及びません。城下に宿を取っておりますので……」

 

「そうですか……ひょっとして、伯符さん方も宿(そちら)に?」

 

 話の流れで出た話題だ。だが、そこに形容しがたい応酬があったように、錬には思われた。そして、それはまだ終わってはおらず。周瑜は一瞬だけ、ほんの僅かに、張勲を窺うかのように眼鏡の奥で目を細め。

 

「……はい、我が主、孫伯符もそちらに逗留しております」

 

 そこに逡巡がなかったはずはなかろうが、それを感じさせることなく周瑜は答えた。

 

「わかりました~。それでは、明日の朝、そちらの宿に使者を遣わしますね。そのまま、登城することはできますか?」

 

「はい、可能です。それでは準備を済ませておくよう、主に伝えておきましょう」

 

 事もなげに答える周瑜は、そのまま退出の挨拶をすませると、颯爽という言葉を体現するかのように、悠然と謁見の間から立ち去っていった。

 

 

 

 

 

「……ん~、やりにくい人ですねえ~……」

 

 それが、立ち去る周瑜の背を見送った張勲がこぼした呟きである。

 その呟きに、もの問いたげな三つの視線が集まるのを感じて、張勲は軽くため息を吐いて、言葉を続ける。

 

「さすがは美周嬢、ということです。博識にして、情勢の把握も正確。こちらの意図を量るのも明敏で、対応も臨機応変。それでいて、胆力も備えている、なんて、交渉や策謀の相手としては最悪の相手ですよ」

 

 その言葉に、さもありなん、と錬は内心で頷く。

 ()()周瑜なのだから、若くあろうとも軍師的な才能については約束されているようなものだ。

 そんな訳で、錬にとっては張勲の所感は当然のものなのだが、他の者にはそうではなかったようで。

 

「それほどの才器なのか、あの女?」

 

 訝しげに言うのは紀霊である。

 口を挟むことなく、張勲とのやりとりを眺めていたわけだが、その談義から才能の有無を感じ取ったりはしなかった。なにより紀霊は武人であり、発言や態度から内面を見通すことに長けているわけではない。それでも、その立ち居振る舞いから、その武の方面については見抜いたようで、そこそこ腕は立つようだが、と呟く。

 

「才覚に優れた方なのは間違いないようですね」

 

 一方、そう言うのは閻象だ。元商人として情報の収集に長けた閻象に、美周嬢という渾名は才媛として聞こえていた。その評に違わぬ才覚の持ち主だと、閻象はその言葉の端々から見取っている。

 

「であれば、その才子を従える孫策も傑物でありましょうが……」

 

 そう言いながら張勲へと物問いたげな視線を投げる。それを受けて、張勲は大きくため息を吐いて、三人を見回した。

 

「……方全さんの言う通り、孫策さんは傑物でしょうし、野心も抱いているでしょう。周瑜さんもそう言ってましたしね~」

 

 張勲が言うのは、孫策が“客将”という、自由な立場を望んでいる、ということだ。それは袁術の庇護は欲しいが傘下には入りたくない、という意味を持つ。さらに言えば、任官への推薦を、とまで意志表明している。

 錬からしてみれば、虫のいい申し出に思えるが、張勲を始め、閻象も紀霊も、不快げな様子を見せないことから、客将志願(それ)はそれほど特別なことでもないようだ。そう思い、錬は話を聞くことに意識を切り替える。

 

「底意を掴みきれないというのは、一抹の不安を残すものではありますけど……皆さんは、彼らの申し出についてどう思われますか~?」

 

 言葉ほど深刻そうにもない張勲の問いに、まずは紀霊が答える。

 

「考えものではあるな。先の政変による混乱はまだ収まり切ってはいないだろう。そんな状況なのに、好んで不穏の種を抱え込むことになるのは避けるべきではないか?」

 

「長成どののおっしゃることも尤もなのですが……」

 

 きっぱりと武人らしい意見を言う紀霊に、左手を頬に宛がった閻象が困ったように言葉を紡ぐ。

 

「今のままでは、その混乱自体がいつまでも尾を引きそうな気配なのです。主に、人手不足のせいで……」

 

 そう言われれば、心当たりのないでもない紀霊も、口を噤んで考え込まざるを得ない。落ち着きつつあるとはいえども、何かに追われているような浮ついた空気が、現在の郡府内に流れているのは確かだ。それが、人材不足からくる焦燥や不安によるものだ、と言われれば、紀霊にも腑に落ちるところはある。

 

「孫策にしても、周瑜にしても、人材として出色であることに間違いはないでしょうし、他にも孫策に付き従う者もいるとのことです。彼らを有意に用いることができれば、その辺りの懸念は払拭することができるものと、私は考えています。まあ、別の不安が生ずることは否定できませんが……」

 

「その、別の不安というやつが問題だと、あたしは思うのだが、な。だが、まあ、方全の言うことも分からんでもない。有能な配下ならば、あたしとて欲しているからな」

 

 片目を瞑って口を尖らせた表情で、ぼやくように紀霊が言う。有能だからこそ不安が募るのだが、などと呟きつつ。

 

 ふたりの意見は、消極的な同意、といったところであろう。

 孫策一行を迎え入れるということもついて、不安はあろうとも利点が勝る、というのは、張勲も考えていたことだ。ふたりも同じような結論に至ったのであれば、説き伏せる必要もない、と内心で笑みを浮かべる。

 すでに張勲は決めていた。孫策を陣営に迎え入れることを。

 質したのは、ただ単に独断という心象を抱かせないためで、腹心たる閻象と武官の頂点たる紀霊が賛同を示すのならば、説得に余計な手間をかける必要はない。あとは、太守である袁術の承認を得なければならないが、張勲にとって主君(おじょうさま)説得す(言いくるめ)るのは片手間でも済む。つまりは、孫策を客将として用いることはほぼ確定であり、この件については落着ということになるのだが、ふと張勲は無言で佇む青年へと視線を向けた。

 

「ところで、あなたはどう思われますか、士泰さん?」

 

 そう問うたのは、気紛れからだった。閻象や紀霊と違って南陽郡府との関わりがまだ薄いとは言え、思うことがないというほどの盆暗(考えなし)ではないだろう錬が、先程から一言も発しないことがいささか気になったということもある。

 実際には、自分と世間との意識の相違に気付き、的外れなことを言わないようにしていただけなのだが、まあ、錬も思考を停止していたわけではない。聞かれたからには、と思いを巡らせながら口を開く。

 

「そうですね……孫策らを受け入れる、ということに異存はありません。人手不足ということであれば、彼らを活用しようとするのは意味があると、オレも思います」

 

 もちろん錬には、孫策や周瑜という人物が才能にあふれる傑物だと知っている。また、孫家初期の配下にも名のある人物はいた。程普や黄蓋、韓当など、錬でも名前を覚えている武将がいるならば、さらに期待は高まるだろう。

 問題はやはり、信用できるか、ということで、それについて。

 

「それで、まあ、長成どのの心配されていることなのですが、監視するのは当然だとして、いっそのこと、彼らの希望に沿うようにしてしまえば、どうでしょうか?」

 

 そう錬が言えば、三人が三人とも、呆気に取られた表情で錬へと視線を向ける。

 張勲は様子を見るように上目遣いで沈黙を守り、紀霊は首を傾げて不審げな様子だ。

 であったから、数瞬の静寂のあと、然るべく問いを発したのは閻象だった。

 

「え、と……それは、どういう意味なのでしょうか?」

 

「はい。客将として迎え入れるとして、周瑜も言っていたように、彼らが求めているのは独自に立つことでしょう。ということは、下手に縛り付ければ反感を買うだけです。ですので、しばらくは適度に任務を与えて、いずれは功に報いて、県令辺りにでも推薦すれば、逆に恩を売ることにもなるでしょう。問題は、そのタイミ……時機ですけど、それまでに孫策らが抜けてもいいように、陣営を充実させる必要がありますが……」

 

 言われてみれば、なぜ思いつかなかったのか、と不思議に思うような方策だった。

 周瑜の意気に()てられたのか、彼らの野心をどう抑えるか、ということばかりに意識が向いていた。張勲などは、遣い潰すために如何に弱みを握るか、ということにまで思いが及んでいたほどだ。

 だが、そうなのだ。ここで孫策を受け入れ、その独り立ちを手助けすれば、その恩は無視できない。もし、(それ)を裏切り、仇で返すようなことをすれば、孫策の名声は地に落ちる。それが分からない孫策や周瑜ではないだろう。つまりは――

 

「……つまりは、ごく一般的に、ただ誠実に遇すればいい、と、そういうことですか~」

 

 どことなく消沈したような様子で呟く張勲が上目遣いを向けると、錬は、はい、と首肯する。

 それを見取って、張勲が、ふっと息を吐く。難しく考えすぎてましたかねぇ、などと呟いて。

 袁家派や豪族らとの謀略に浸かりすぎていたようで、どうにも穿った思考に偏っているようだ、と反省を浮かべつつ、張勲はじっと錬を見つめた。

 注視を受ける錬は、そんな内心など分かろうはずもなく、狼狽えて精神的に後退(あとずさ)る。甘いとか、楽観に過ぎるとか、そんなふうに言われるのでは、と思いつつ。自分でもそう思わないでもないので。

 だから――

 

「……そうですね~、それでは、士泰さんのおっしゃるのを基本方針として対応しましょうか~」

 

 と、張勲が言うのを聞いて、錬は、ほっと安堵の息を吐き、だが次の言葉で顔を引きつらせた。

 

「ということで~、士泰さんにはその言葉の責任を取っていただくとして~、孫策さん一行との調整役をよろしくお願いしますね~」

 

 お得意の、立てた人差し指をくるくる回しながら、張勲がにんまりと微笑む。

 

 錬には、それが、獲物を見守る悪魔の微笑に見えた。

 

 

 

 

 

 




さて、冒頭部分、違和感を覚える方もいるかもしれませんが、
まさしく本来は二章一一話に入るべき部分です。

三章一話を書き始めて、周瑜の訪問を書いてみて、話の流れとしてこうなり、
これは二章のだなあ、と気づきました。

変なタイミングで変更すると混乱するかと思いますので、しばらくは
このままにしておきますが、しかるべきタイミングで訂正しますので、
ご容赦ねがいます。




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