恋姫異聞 白武伝   作:惰眠

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サブタイトル変更しました。




二 現状を知る

 逃亡する賊たちが、すっかりと視界から消え去ってから、錬は、背にしていた村の門に向き直った。

 歓声が上がる…こともなく、村内はひっそりと静まり返っている。

 

 さもありなん、と錬は思った。確かに錬は、村に損害を与えようとしていた賊の首領を(ほふ)り、その手下どもを逃亡させることを為して、村から賊の略奪という脅威を遠ざけた。しかし村の立場からすれば、今度は賊に替わって、それを撃退した少年が害悪にならないとは限らない。賊をひとりで撃退できるほどだからこそ、その武が脅威となる。

 

 そんな村人の不安が理解できるからといって、だが、錬としては諦めて引き下がるわけにはいかない。錬には、あらゆる意味で当てがない。信頼を得るほどではなくとも、まずは受け入れてもらい、これからの糧を、生きていくための方途を手に入れなければならない。

 

 さあ、どうしよう…と、考えて、しかし錬に良策は思いつかない。なにせ()()についての知識がなさすぎる。過去の中国だろうか、と推測してはいるが、だからといって錬に古代、あるいは中世中国についての知識、それもこういった村で通用するような、いわゆる常識がなければ、この状況下ではあまり意味がない。『拱手(きょうしゅ)』という、拳を(てのひら)で包むような挨拶の仕方がある、という程度のことは知っていたが、さて、拳にするのは左だったか右だったか…間違えれば侮辱になってしまうかもしれない、と思えば、半端な知識で行動するような下手な真似はできない。だから錬にできることは限られていた。

 

 両手の剣を放り捨て、空手であることを示すように掌を広げ、両腕を顔の横に掲げるようにしてみせる。顔はできるかぎり笑顔を――幾分か引きつっていたかもしれないが――心がけ、ゆっくりと村の入口である門へと歩を進めた。つまりは武装解除して敵意がないことを示した…つもりだ。それが功を奏したか、

 

「そこで止まりなさい」

 

 門まで十数歩、門と捨てた剣のちょうど中間といったところで、年老いた者だと思われる声が掛かり、門がゆっくりと、少しだけ――賊と戦闘になる前と同じくらいに開いていく。そしてそこから、三人が姿を現した。

 先んじて若者ふたりが、次いで老人が杖をついて門から出てくる。若者はそれぞれ弓と槍を構えており、当然のようにそれを錬に向けている。

 

 声に従って歩みを止めている錬に、あまり感情を見せない視線を向けながら老人が口を開く。

 

「儂はこの村の長をしているものです。それで、あんたはどんな用でこの村にいらっしゃったのかな。ご覧のように、ありふれた村です。あんたのような武芸者が好んで来るようなところではありませんがの」

 

 その言葉に、錬は村の長を名乗る老人の誠実さを見た。いや、さしてない人生経験からして、それほどの眼力があるわけではないのだが、それでもこの老人の言葉は、すんなりと錬の内に落ちて、居座るような感覚を覚えたのだ。だから、錬は正直に言ってしまおう、と思った。ただ全てを話しても呑み込めないだろう、自分自身でも分からないことばかりなのだから。

 

「…オレは、ここではない、遠いところから来ました。はっきり言って、この近辺はおろか、この国にも伝手はありません。この国のことも、それ以外のことも分からないことだらけです。だから、お願いです。オレを助けてくれませんか。お願いします」

 

 そう言って、頭を下げる。

 

「ふむ…頭を上げなされ」

 

 村長の言葉に、錬はゆっくりと頭を上げて、その老人へと視線を向ける。と、老人もじっと錬を、その目を、まるで見透かすかのように見つめてくる。そして幾許(いくばく)か、考え込むようにしたのちに、

 

「…ふむ…悪い者ではなさそうだの。よろしかろう、儂らの村はあんたを受け入れよう」

 

 そう言った。その言葉に、錬は、ほっ、と安堵の息をつく。

 

「だが、儂らも無駄飯喰いを養うほど裕福ではないのでな。あんた、なにかできることがあるかの?」

 

「…それも含めて相談にのっていただけませんか…とりあえずそれなりに腕が立つことはお見せできたとは思いますが、それ以外となると何がお役に立てるのか、が…」

 

「ほっほっほ、それなり、とは控え目に過ぎるでしょうな。まずはお入りなされ。今後のことは落ち着いて話すとしましょうか」

 

 笑いながら言う老村長に、ありがとうございます、と再び頭を下げてから錬は、門の中へと戻る村長を追いかけて村に足を踏み入れた。その背に警戒も露わに睨みつける若者ふたりの視線を感じながら。

 

 

 

 

 杖を突きつつ、ゆっくりと歩く老村長の後ろに従いながら、錬も歩を合わせて、近付き過ぎないように――あまり近付き過ぎると後ろのふたりの敵意の度合いが上がるので――ゆっくりと歩く。村人たちの、好奇と警戒の視線を感じながら。

 

 連れて行かれた先は、村の中央付近だと思われる広場に面した平屋の建物だった。他の家屋にはない、腰くらいの高さの柵に囲われた、その家屋は、他の建物に比べてひとまわりほど大きく、その敷地内には何本もの柱と大きな屋根だけの、雨だけを凌げればよいとでもいうような建物が隣接している。不思議そうにそれを眺めていると、家屋へ入る扉を開けて迎え入れようとする相手が向ける視線の先と浮かべている表情に気づいた村長は、含み笑いを浮かべるようにして錬に声をかける。

 

「そこは、主に村の集会に使うところですじゃ。今晩辺り使うかもしれんのう」

 

「議題は、オレの待遇について、ですか?」

 

 笑いを浮かべて言葉を返す錬に、村長は笑みを深めるだけで答えず、改めて錬を建物の中へと招き入れる。通されたのは玄関からすぐの部屋だった。部屋といっても入口にあたるところに扉はなく、代わりに肩くらいまでの衝立が置かれ、それ以外の三方が壁で仕切られた、おそらくは接客用の、玄関から直接には客が見えないことだけに配慮しているのだろう、そんな空間だ。そこには、小さな円い卓と椅子が四つあり、村長はそのひとつへ腰を下ろし、その後ろに護衛よろしく、ついてきたふたりの若者が佇立する。そして、錬にはその対面の椅子に座るようにと、村長が勧め、錬はそれに素直に従って席に着くと、まずは、とばかりに自ら口を開く。

 

「とりあえずは、自己紹介を。オレの名前は、白河(しらかわ)(れん)、といいます」

 

「…白河錬…珍しい、というよりも聞き及びのない名ですな…姓と(いみな)ですかな?」

 

「…はい、姓が白河、名が錬、となります」

 

「…ふむ…では、(あざな)は? もしやまだ付けておられぬのかの?」

 

「字…というと、一人前になったときに付ける名のことですか?」

 

 錬の返しに、瞬間、怪訝そうな表情を浮かべた村長だったが、ああ、と息をつき、得心がいったかのように頷いた。

 

「そう言えば、遠いところから来た、と、仰っておられましたな。そのとおりですじゃ。あんたの言うとおり、字とは、一人前になったという証に自ら付ける名で、字を付けた以降は、諱ではなくその字で呼ばれることになります」

 

 村長の言葉に、なるほど、と錬は頷いた。姓、諱、そして、字。この命名の文化はある意味で馴染みのあるものだった。すなわち以前に読んだ小説の中で。『封神演義』や『項羽と劉邦』、『三国志演義』などだ。ということは、やはり()()は、過去の中国、ということなのだろう。

 

「字は、ありません。というより、オレの暮らしていたところには、字を付けるような習慣がなかったのです。ですが、こちらの習慣に合わせて、オレも字を付けたほうがいいでしょうかね?」

 

「ふむ…今後、この国で暮らしていくつもりなのでしたら、それがよろしかろう」

 

 その言葉に、錬はしばし考え込む。自分で自分の名を考える、それは楽しいもののような気がして、少し心が浮足立つのを感じた。芸名とかペンネームを考えるのは、こんな気持ちなのだろうか、と。そんなだからだっただろうか、次の村長の、

 

「それでは、真名(まな)もないのかの?」

 

 という言葉に、錬は放心したように、は…、と息を()いた。

 

「…真名(まな)、ですか?」

 

「うむ、諱とはまた違った意味で、己の本義天質を示すもの、それが真名ですじゃ。故に、簡単に呼ぶことは許されず、心よりの信頼の証として預け、そこで初めて呼ぶことを許す、何よりも大切にすべきもの。もし許しもなく口にすれば、問答無用に斬り殺されて致し方なし、とも言われておるのじゃ」

 

(…そんなの、あったっけ?)

 

 それがそのときの錬の素直な感想だった。いや、錬にしても中国の歴史や風習に詳しいわけではないし、むしろ無知に近いと言ってもいい。だが、そんな風習があったのなら、少しくらいは耳に挟んだことがあってもおかしくはないだろう、そう思う。平成の情報化社会のことだ。地球の裏側のような国のことならいざ知らず、隣国の、それもそこまで重要な風習なら、なんらかの方法で伝わっていたはずで…いや、考えても無駄か…

 

「…そう、ですか…斬り殺されても、ですか…今後は注意することにします…」

 

 半ば呆然としてつぶやく。と、ふと気がついたように、

 

「…と、いうことは、村長殿にも真名はあるのですか?」

 

 そう質問すると、後ろの若者が、すわ、と色めき立つ。これまでは泰然自若としていた村長も、不快気に目を細めて錬を見遣った。

 

「…それは、儂に真名を名乗れ、と、そうおっしゃっているのですかな?」

 

「いや、申し訳ありません、そういうつもりではなかったのです。ただ、この国では誰もが持っているものなのだろうか、と…」

 

 そう言って頭を下げる錬に、村長は軽く息を吐くと、身の緊張を解いた。

 

「ふむ…はい、あります。先程も言ったように、真名とは本義天質を示すもの。故に、全ての者が持っております」

 

「そうですか…では、それも含めて考えたほうが良さそうですね…」

 

 白河錬という姓名は、()()()にはそぐわないだろうことは、こちらの名前を聞いたときの村長の言葉で知れる。ということは、この名前を名乗る限りにおいては、錬は必ず浮く、ということだ。

 

 たったひとり、この国の人々に関わることなく生きていけるのなら、それでも構わないだろう。だが、それは無理だ。少なくとも、この村で、()()で生きていくための方策を見つけるか、あるいは身につけなければならず、そのためには、()()()()()()()()()()がある。であるならば、この国に見合った名前にするべきで、それは、この国で大切だという真名は、特に重要だ。真名がない、などと言えば、他人(ひと)によっては、人間(ひと)として見てもらえない、などということさえあるかもしれない。幸いにして、今現在に錬にとって命綱に近い、目の前の村長は、そのような人物ではなかったが。

 

「そうですな。まあ、それはまた、ゆっくりと考えるがよろしかろう」

 

 そんな錬の思考を読んだかのように、村長は、うんうん、と頷きながら言い、おお、と何かを失念していたことに気がついたかのように声を上げた。

 

「そう言えば、儂らは名乗っておりませなんだな。儂は、姓は(てい)、諱は(せん)、字は回豊(かいほう)、と申す。後ろのふたりじゃが、こちらは儂の孫で…」

 

「姓は(てい)、諱は(えん)、字は長基(ちょうき)、だ」

 

 と、弓を携えたほうが名乗れば、

 

「…李壮(りそう)、字は以勇(いゆう)…」

 

 と、続いて、槍を片手に、剣を腰に下げた若者が無愛想に言う。どちらも村長が名乗り、それをふたりにも促してきたから致し方なく、という感を隠しもせずに。それを聞いて、錬は笑顔を浮かべて、

 

「村長殿が、丁回豊どの、後ろの方々が、丁長基どのに李以勇どの、ですな。これから、よろしく」

 

 そう言って軽く会釈をする。そんな錬に、馴れ合う気はない、とばかりに、丁延はそっぽを向き、李壮は、その真意を見透かそうとでもいうかのように、じっと錬の顔を見つめてくる。

 

「…さて、続いて、じゃが…」

 

 村長――丁旋が話題を切り替える。

 

「あんたが、この村でどのような働きができるか、ですがのう…」

 

「…それなんですが、名の件でも分かるでしょうが、オレは、この国の、あなたがたの風習を始めとした文化に疎い。だから今の段階で、できることといえば、賊に対しての対応戦力くらいしか思いつかない。初めに村長どのが、オレのことを武芸者とおっしゃいましたが、はっきり言ってオレには武芸の心得なんてないんです」

 

 返ってきた錬の言葉に、丁旋は首を傾げる。

 

「…しかし、あんた、賊相手に戦っておったじゃないか?」

 

「あれは、身体が動くようにしていただけで、ただ身体能力…腕力とか敏捷とかで圧倒しただけなんです。オレが剣術とかを修得していたからってわけじゃない。それに戦ったのも人を斬ったのも、さっきのが初めてのようなもので…だから戦闘経験そのものはない、と言ってもいいくらいなんです」

 

「むう…それでは、もし再び賊が村を襲ってきた場合に、村の若い衆を指揮して戦ってもらう、というのは…」

 

「ええ、厳しいかと…むしろそちらの方々に指揮してもらって、オレは最前線でそれに従う、ってほうが効率的かもしれません」

 

「…それしかないかもしれんのう…」

 

 丁旋から漏れるのは溜息。てっきり腕の立つ経験豊富な武芸者だと思っていたので、少々当てが外れた印象だ。だが、それでも、この少年がめっぽう強いことには違いない。であるならば、少年の言う通りに対応戦力としてならば十分に頼りにはなるだろう。そこで、ふと丁旋に疑問が湧いた。

 

「しかし、あんた、戦いが初めて、と言ったが、それで最前線に出るのはよいのかの?」

 

「ええ、さっきの賊程度の相手なら、後れをとることもないと思います。そこにこの村の方々からの援護があれば、それ以上の規模であっても対応は可能かと」

 

「ふむ、そうか。では、とりあえずはその方向性で頼りにさせてもらうとするかの。おそらく遠からずに先程の賊の残党が再来するじゃろうから、まずはそれですな」

 

 そんな丁旋の言葉に、錬が神妙な表情になって言う。

 

「…来ますか、また…」

 

「来るじゃろう。あれだけ蹂躙されたのじゃ、あやつらだけではその気にならぬじゃろうが、この近辺の賊の集団はひとつだけではない。それぞれ縄張りがあるから、この村に来るのは本来ならばあやつらだけじゃが、その首領が討ち取られたとあれば、他の賊がその縄張りを侵すか、あるいは跡を継いだ者が他の賊を糾合するか…そんなふうにして新たに現れた脅威を排除しようとするじゃろうな」

 

 老村長の返答に、錬は、なるほど、と頷き、

 

「しかし…村長どの、お詳しいですね」

 

 感心したと言わんばかりの錬の視線に、ほっほっほ、と声を上げて丁旋は笑った。

 

「若いころは兵士として漢に仕えておったからの。これでも伯長(はくちょう)までいったでの。戦術の嚆矢(こうし)程度は(わきま)えておるよ。もう何十年も前のことじゃがの」

 

 それは控えめながらも老村長の自慢話だったのだろうが、錬に引っ掛かったのは別の言葉だった。

 

「…漢、ですか…それでは、都は長安ですか?」

 

「いや、それは王莽(おうもう)の大乱の前の都ですな。今の都は洛陽です」

 

 と、いうことは、今は後漢の時代か…そのいつ頃だ?

 

「では、光武帝が国を建ててからどのくらいが経っていますか?」

 

「ふむ…おおよそ160年くらいですかな。今は光和4年で…」

 

 光武帝が後漢を再興したのが西暦20年だか30年。それからすると今は西暦180年くらい。ということは…

 

「あの、今、なにか大きな反乱は起こっていますか?」

 

 黄巾の乱…あの三国志を語る上で欠かすことのできない、あまりにも有名な農民反乱は、起こっているのか…

 

「いや、そのような大乱が起きているという話は、噂でも聞きませんな」

 

「…では、ここ最近でなにか大きな出来事はありましたか? 例えば、後世で史書に記されるような…」

 

「ふむ…史書に記されるような、ですか…思いつくところですと、昨年、何皇后が立てられた、というようなことでしょうかの」

 

(何皇后! 間違いない、後漢末の大将軍何進(かしん)の妹だ。やはり、()()は…今は三国時代の直前だ!)

 

 内心で叫び声を上げ、錬は、目を(つぶ)って天を仰いだ。よりによって激動の時代か、と。

 その様子に丁旋が心配そうに声をかける。

 

「…どうされましたかの?」

 

「いえ…申し訳ありません。不躾に質問ばかり重ねてしまって…」

 

「…いやいや、なにやら儂らには分からぬ苦悶がおありのようで…まあ、詮索はしますまい」

 

 心からそう思っているかのように、にこやかな笑みを浮かべて言う丁旋に、ありがとうございます、と頭を下げると、錬は、少しすっきりした表情で、親切な老村長に視線を向けた。

 

「なんとか、自分の立場というか、現状の一端を知ることができました。まあ、それでも分からないことばかりですが…」

 

 そして居住いを正す。

 

「やはりこの村の、村長どのの親切に(すが)るしかないようです。どうか、よろしくお願いします」

 

 そう言って、錬は改めて頭を下げた。

 

 

 

 


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