恋姫異聞 白武伝   作:惰眠

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サブタイトルを変更しました。




三 名を称す

 何が起こったのかは分かった。

 

 もっとも原因や理由は分からず、すなわち元に戻る方法も分からない。まあ、そのことについては、すでにほとんど諦めがついている錬だった。もしかしたら、なんの前触れもなく唐突に戻る、ということもあるのかもしれないが、望みは薄いだろう。

 で、あるからには、できるだけ早く後漢末(このじだい)に馴染むことを考えたほうが、より建設的だろう。そしてそれにはやはり、自ら言葉にしたように、しばらくはこの村に滞在してその第一歩とするのが、現状では一番だと思われる。

 

「さて、申し訳ありません、話を戻しましょうか」

 

 とりあえず自らの現状を表面的には理解したところで、錬は丁旋村長との会話を続ける。

 

「賊が来襲するとして、この村としてはどうするのですか? やつらはこの村に、食料を寄越せ、と態々(わざわざ)通告したと言っていたのですが…」

 

 それが普通なのか、いきなり襲撃して略奪したりはせずに…言外にそんな意を込めて。

 

「そりゃあ、賊は賊じゃて。通常は通告なぞせん。いきなり略奪するじゃろうし、他の村には、そうじゃったそうじゃ」

 

 丁旋の話をまとめるとこうだ。

 この村――呼び名を丁荘里という――の近辺、50里――徒歩で半日程度の距離――には他に五つの村が点在する。

 そのうちの、丁荘里より西に位置する2つの村は、これまでに幾度か(くだん)の賊による略奪を受けており、犠牲者も出ていた、とのことだ。西の村々から要請されて、丁荘里からもその復旧作業の手伝いに人員を派遣したこともある。今回のことは、賊が縄張りの拡大、さらに丁荘里も己らの縄張りだと他の賊に示すために恭順を強いてきた、ということだろう。

 そして、いずれはそうなるだろうということを、丁旋村長は見通していて、それに対抗するために、村で戦いの(すべ)を持ち合わせている者たちを集めて集団戦闘の訓練を施していた。それだけでなく、この近辺を治める県都である博望(はくぼう)へと救援を求めたり、未だ略奪を受けていない東の二村へと共闘を持ちかける使いを出したりもしていた、とのことだが、それらは芳しい結果にはならなかったようだ。

 

「博望への救援は、話は通ったようじゃが、時期を見て、などと返答されたそうじゃ。体のいい断り文句じゃな。東の村からは幾人かの若者を寄越す、とのことじゃったが、あまり危急を感じておらんようじゃ」

 

「まだ襲われていない村では、直接的な危機を感じ取れないでしょうからね。まあ、そうなってからでは遅いんですけど…でも、博望への救援、それって役所に願い出た、ってことですよね。それで、ほぼ放置、ですか…いや、まあ役所の対応が遅い、ってのは、洋の東西、時の古今を問わず、ってことなんでしょうけど…」

 

「…うむ、官を動かすには、それ相応の手管が必要じゃろうの。袖の下を渡すか、もっと上への伝手から命を下してもらうか…どちらも儂らには無理なことじゃが…」

 

「…賄賂に癒着、ですか…それはまたずいぶんと…」

 

 腐っているなあ、とは錬の心の声だ。それにしても、“博望”って、なにか聞き覚えがあるような…

 

「ところで、この辺りってどういう地名になるんですか。いや、聞いても分からないかもしれないですが…」

 

「ふむ、正式に言うならば、荊州南陽郡博望県柳河郷丁荘里、といったところじゃの」

 

(ああ、荊州の博望といえば、“博望坡の戦い”の…たしか劉備軍が、諸葛亮孔明の指揮で夏候惇率いる曹操軍を撃退したんだっけ…あとは南陽郡の主要な都市って宛城だったっけ…宛と博望って近かったんだな…)

 

 所詮、小説とゲームをかじった程度の知識では、そんなものである。

 

「まあ、どうであれ、他からの救援はあまり期待できんが、それでも賊に膝を屈するわけにもいかぬでの。博望辺りで兵を募るなど、するつもりじゃった。間に合わず、賊に先んじられた形になってしまったところじゃったのだが…」

 

「そこにオレが紛れ込んできたってことですか…」

 

 錬が肩を竦めて言う。自分の存在が丁旋の思惑を裏切ってしまったのは間違いがない。だが、

 

「うむ、予測外ではあったが、良い方向に動いた、といってよかろう」

 

 という丁旋の言葉通りに、それは良い方向への裏切りとなった。

 

「恫喝を受けて、まさか半日もせずに本隊が襲来するとは思わなんだ。おそらくは近辺に待機しておったのじゃろうな。ああまで早くやって来られたのでは、儂らの打った手は間に合わず、いくらか、あるいは存分に略奪されてしまったことじゃろう。そういう意味では、あんたが来てくれたことは良い結果になった。より良い、にするにはこれからの行動次第じゃろうがの」

 

「そうですね…賊の根城の場所は分かっているのでしょうか?」

 

「うむ、北西にある村よりさらに先にあるとのことじゃ。そこに古い廃棄された砦があるでの、おそらくそこを根城にしておるのじゃろう。それで、あんたならどうするべきじゃと思う?」

 

「これを時機として壊滅を狙うべきではないか、と。あるいは、他の近辺の賊が進出するのを防ぐ意味でも、取り込むことを考えるのも一手ではないでしょうか」

 

 その返答に、丁延と李壮の二人は訝しげに眉をひそめ、丁旋村長は面白そうに瞠目する。

 

「ほう、取り込む、か…どういう意味かの?」

 

「賊の現状次第ですが、できるだけ犠牲を出さないように成敗したあと、忠順を誓わせて、村の防衛を担う部隊として運用します」

 

「賊に情けをかけると言うのか!」

 

 怒声を上げたのは、丁延だ。見れば、李壮も不快げな表情を浮かべている。

 

「やつらは、自ら畑を耕すこともせず、他者から奪うことを良しとしてきた獣のごとき輩だ。そんな獣が、大人しく我らに従うものか」

 

 ふたりの言葉ももっともだ。特に丁延は、この丁荘里の長の孫であり、他の者に比べて、村に対しての責任感が強い。祖父、父に継いで、いずれは自分が長として治めていかなければならない、という思いがあり、今でもすでに若手のまとめ役として村の警備などを自任している。李壮にしても、こうして(不審者)に対していることから、警備体制の一翼を担っているのだろう。故に、村に危難をもたらしかねない事態を看過することはできないのだ。

 

「まあ、どうにせよ、賊どものを成敗してのちのことじゃて」

 

「そうですね、あちらがどう対してくるかにも因りますし…それを考えるのはそれからでもよろしいか、と」

 

 そんな若者ふたりの心情を慮ったか、丁旋村長も錬も取り成すような言葉を紡ぎ、続いて丁旋が、

 

「…それでは、早速、明日にでもやつらの根城に向かうべきだと思うのじゃが…」

 

 言いながら、錬へと思わせぶりな視線を向ける。それを受けて、

 

「もちろん、オレも手伝わせていただきます」

 

 錬は、言葉とともに、応諾の意を込めて頭と下げた。

 

 

 

 

「さて、賊への対処については、それでいいとして、じゃ…」

 

 丁旋村長が、これまでの話から切り替えるように、軽い口調で話す。

 

「…オレのことですか?」

 

 切り替えた先の話が、自分のことでは、と察して錬が言うと、うむ、と村長は頷いた。

 

「そろそろ、事の次第を整理できたようじゃと思うてな。まあ、表向きには落ちついとるように見えたがのう」

 

 その言葉に、事情を把握できないこちらを焦らせることのないように配慮してくれていたことに気付き、錬は、村長に何度目かの頭を下げた。

 

「そうですね、オレも全てを理解したわけではないのですが、とりあえず…」

 

 そうして、自分の身の上に起こったことを、かいつまんで話し始めた。

 

 と、言っても、話しても混乱させるだけのことは、自分が存在した世界(いたところ)が、どうやら1800年近く未来らしいなどといったことは、避けた。

 

 話したことは、ひとつ、自分は(このくに)とは遠く離れた国で生活していたこと。そこは、漢とは文化や常識も違い、とにかく平和なところで、故に自分が漢の文化や常識――拱手という礼のことは知っているが正式な作法は知らない、などで、このときに右拳を左掌で包む、と教えられた――には疎く、戦いや人の生き死にといったことに慣れていない、ということ。

 ひとつ、気が付いたら、この丁荘里近くの荒野に転がっていて、どうしてこのようなところにいたのかは全く分からない、ということ。

 ひとつ、今までいたところでも戦いをした経験も、その訓練もしたことはないが、なぜか敵の動きがよく見え、想定以上に身体が素早く力強く動き、または考えるまでもなく動く、ということ。先の賊との戦闘も、言ってしまえば身体能力に任せただけの本能的なものでしかなかった、ということだ。

 

 それについては、李壮が頷いて言葉を発した。

 

「たしかに、こいつの動きは正式な鍛錬をした者の動きではありません。なんらかの武術を習っているにしては、芯がない上に動きに無駄が多過ぎる。ただ、姿勢はいいのですが…」

 

「それは弓道をやっていたからかもしれませんね。オレのいたところでは、武術ではなくて武道と呼ばれていて、その目的は、身体を鍛えるのは当然なのですが、むしろ精神修養をこそ主な目的としているんです。弓道というのも、そのひとつとしてあるんです」

 

「分かる気がするな」

 

 そう言うのは、丁延だ。

 

「弓を射る、というのは、とにかく集中することが大事だ。でなければ的確に当てることは難しい」

 

 閑話休題――

 

 

「なるほどのう、あんたの置かれた状況は、なんとなく分かった。まあ、なんとなく、じゃがな」

 

「まあ、当のオレも、なんとなく、ですからねえ…そんなわけですから、これからよろしくお願いします。と、言っても、他の方々が認めてもらわなけりゃいけないんでしょうけど」

 

「それについては安心しろ。村長が、受け入れる、と言うのだ。反対する者など村にはおらん」

 

 そう言う丁延の言葉に、錬は、確認するように村長たる丁旋へ視線を向けると、老村長は笑みを浮かべて、

 

「まあ、信頼の証、ということにしておこうかの。皆、儂の方針に意見を言うが、大概は受け入れてくれとるよ」

 

 誇るように言う。それは、言うように丁旋が村人から信頼され敬仰されているからか、それともただ単に村の実力者だからか。それは今後の付き合いで判別できるだろう。とは言え、なんとなく前者だろう、と錬には感じられていたが、それは文字通り感取でしかない。

 

「あとは、先も言っておったように、あんたの呼び名じゃな」

 

「そうですね…姓、諱、字、真名、でしたか…」

 

「うむ、あんたの名の響きはこの国では珍しい。諱のほうはそうでもないが、姓のほうはの。儂らに馴染もうと言うのであれば考えたほうがいいかもしれんな」

 

 丁旋の言葉に腕を組んで考え込み、そうですねぇ…と呟く。そんな錬に質問を投げかけたのは、丁延だった。

 

「おまえの名はどんな字を書くんだ? いや、そもそも我らと同じ文字なのか、が問題か…」

 

「ああ、おそらく似たような文字だとは思います」

 

 錬が答える。同じ漢字文化圏であることは変わらないだろう。使われている漢字が変遷していることはあるだろうが、大まかには違わないと思われるので、なんとなくは読み取れるだろう。もっとも、平仮名はさすがにないだろうから、文章の形態はかなり相違があるだろうことは想像に難くない。それにしては言葉が通じているのが不思議だが、それはもう、そういうものだ、と納得するしかない。

 

「ふむ、延。砂版を持ってきてくれ」

 

 丁旋が頼み、孫が頷いて席を外すと、しばらくして四角い木の板のようなものを持ってくる。厚みがあり、蓋のようなものを開けると、囲われた木枠の中に砂が薄く敷き詰められていた。

 

「それは?」

 

「これは、砂版といってな、この砂に指や竹棒で書いて文字の練習をするものじゃ。これならば木簡や竹簡に比べて書き直しが楽なのでな」

 

 説明とともに卓の上に置かれたそれを錬のほうへと押しやる。錬はそれを頷きながら受けると、そこに自分の名前を書いた。

 

『 白河 錬 』

 

「オレの(ところ)では、白河(これ)で、しらかわ、(これ)で、れん、と読みます」

 

「ほう、文字は確かにおなじじゃの。しかし、やはり読み方は違うようじゃ。儂らは、その姓を、シラカワ、とは読まぬ。読むならば、はくが、か。諱のほうは珍しいものではないのう」

 

「そうですか、では、名のほうはそのままで…いや、諱とか真名とかもありましたっけ」

 

 そこで先程の丁旋村長の説明を思い出す。

 

「真名は、本義天質を示すもの、でしたよね…なら、“錬”を真名にするべきなのかな」

 

「そうじゃな、あんたの名が、それひとつであるならば、真名とするか、諱とするか、じゃろう。あんたのその名を、あんたの親があんたに、そうあってほしい、と思って名付けたのならば、真名にするのがよいかもしれんな。その字は、鍛え上げる、より良くする、といったような意味を持つ。真名としても相応しかろう」

 

 なるほど、と、錬は頷く。

 

「それで、諱とは、どのように付けられるのですか?」

 

「諱は、出生に際して真名とともに名付けられるものじゃ。真名とは違い、万人に表し、しかし呼ぶことを敬避される。たいていは真名から派生して名付けられることが多いことから、似た意味や関連した意味であることが多いのう…まあ最近はあまり気にしていないこともあるのじゃが…」

 

「つまり、オレの真名を、錬、とするなら、鍛える等の意味から関連される文字を当てるといい、ということですか…」

 

 頷く老村長に、錬は考え込む。錬、とは鍛え上げる、の意…鍛え上げれば強く堅くなる。“堅”では、有名な孫堅がいたし…そういえば、中学の同級生に(つよし)ってやつがいたな。なら、と、砂版の“錬”の文字の横に“毅”と書き、“白河”の“河”の字を消す。

 

「…()、というのはどうでしょう? 姓は、(はく)、諱は毅…」

 

「ほう、良いの。戦国期の燕の将であった、かの楽将軍の諱も毅であったし、斉を滅亡寸前まで追い込んだ名将の諱に(あやか)るのじゃな」

 

 感心する丁旋だが、それに、いえ楽将軍とか知らないのですが、と困惑しつつも、錬は、ならばそれでいこう、と決める。

 

「あとは、字ですね。これも諱から派生させるのが普通なんでしたっけ?」

 

「うむ、じゃが、そうするのが多い、のであって、絶対ではない。一人前になった証に、諱の代りに呼ばせるための名を自ら付ける、というものじゃからな。人によって好きなように付けておるようじゃな」

 

 と、なると…毅だと、毅然とか剛毅とか…精神的な強さとか物事に動じないとか…泰然している、とか言うよな…

 

「…士泰(したい)とか、どうでしょう?」

 

「ふむ、心強く不動なる丈夫、とでも言ったところかの。即興で考え付いたにしては良い字じゃと思うぞ。のう、ふたりとも」

 

 同意を求められ、村長の後ろに立つ丁延、李壮のふたりも頷いて答える。

 その様子に、錬、改め、白毅は、安心したように頬を緩めると、立ち上がって、右拳を左掌で包んで胸に当てて頭を下げる、拱手の礼をした。

 

「それでは、今後は、姓は白、諱は毅、字は士泰、そう名乗らせていただきます。よろしくお願いします」

 

 こうして、後漢末(このせかい)に、白毅、字は士泰が誕生することになった。

 

 

 

 

 

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