彼の時間を動かすのは誰か?   作:ウボハチ

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前編

 埼玉県のとある市立病院、そこで私は生まれた。

 オタクで身体能力の高い父、幼児体型で胸のない母との間に生まれた私は二人の遺伝子を引き継ぎ、幼児体型で胸がないにも関わらず身体能力は優れ、典型的なオタクという人間へと育ってしまった。幼い頃に母が他界したため、物心ついた時には父と二人暮らしだったが、小説家である父の収入と私に対する過度の愛情もあり、何不自由なく生活を送ることができた。小学校、中学校、高校でも交友関係は良好であり、心を通わせる友人と共に充実した日々を過ごしていた。

 そんな私の日々に突如暗雲が立ち込めた。高校一年生の時だ。

 この頃、地上には地球外生命体【ワーム】が蔓延り、人類を支配しようと日夜過激な活動を行っていた。私の住む地域ではあまりなかったが、秋葉原や池袋という東京の中心部でワームの擬態による被害が多発していた。しかし、その被害もある時期から急激に減少した。『ZECT』と呼ばれる組織が一箇所に集まったワームを一掃することに成功したからだ。

 

 この出来事がきっかけで『ZECT』に対する信頼も高まった。私の学校にも『ZECT』へ入隊しようと考えるものまで現れる中、全国で緑色の石が填められているネックレスが配布された。ワーム探知機として『ZEXT』から配布されたネックレス。その効力は凄まじく、日に日にワームの数が減少していった。ワームの擬態に怯えることなくこれから暮らせるようになる――そんな魔力とも言えるネックレスの性能に人々は魅入られ、私の学校だけでも生徒の殆どがそれを身につけていた。中には県内を歩き回り、複数個ネックレスを所持する者まで現れた。

 

 私も複数個ネックレスを所持する者の一人だった。オタクの(さが)なのか、普段首から下げているネックレスの他に保存用、観賞用、布教用のものを家の片隅に置いていた。これを身につけていれば絶対に安全だ。その頃の私は『ZEXT』の言葉を全て鵜呑みにしていた。今にして思えば不審な点は多々あったというのに――。そして、運命の日が訪れてしまった。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 忘れもしないあの日曜日。私は冬期休暇中で父と家にいた。外ではコートを羽織る男性が白い吐息を漏らしながら手を擦り合わせている。そんな男性の気持ちが室内にまで浸透してきた気がしたので、私は半纏を着てコタツに籠っていた。父もコタツの中で足を伸ばし、昼のバラエティー番組を視聴していた。あまりの寒さで漫画やゲームをする気力もおきなかった私は、父とそのバラエティー番組を観ることにした。

 

 そんな時、突如観ていたバラエティー番組が強制終了され、テレビ画面に中年男性の顔が映った。以前にもこれに似た光景を目にしたことがある。『ZECT』の生放送だった。そこに映った男性はあと少しでワームを根絶できるという理由から、視聴者にネックレスを身につけるよう要求してきた。私と父はすでに首から下げていたが、少しでもワーム根絶の力になりたいと、残りのネックレスも開封してつけることにした。父は三つ、私は四つだった。そしてしばらくした後、その中年男性は独特な口調でこう話し始めた。

 

『人間の皆さん、私は誠に残念です。我々は人間とネイティブの戦いを見てきました。確かにワームは侵略者だ。しかし、人間は彼等と共存し合う気が全くなかった。人間は必ず争い合う。国家や民族の壁さえ越えられず争い続ける人間に我々ネイティブとの共存など不可能です。だから、我々は――人類を全てネイティブにすることにしました。それが真の平和です。おろかな人間など必要ないのです――』

 

 人類を全てネイティブに? 人間など必要ない? 何を言っているのか、この人は――私の脳裏で混乱が渦巻いた。それと同時に私の身体に異変が起きた。

 急に胸が苦しくなったと思えば、これまでに感じたことのない吐き気、頭痛が次々と襲ってきた。身体中が沸騰したやかんのように熱くなり、手足は紅潮した。と思えば、突如全身に悪寒が走り、手足の紅潮が静まった代わりに豆粒程の鳥肌が立った。骨の芯まで伝わる苦痛は呻き声に変換され、私はその場で横たわり、野獣のようにのたうち回った。

 

 留め止なく襲ってくるこの苦痛。勿論父の身にも降りかかっていたが、父はその原因がネックレスにあることをすぐに察した。父は苦痛に耐えながら上半身を起こし、ネックレスの紐を両手で掴む。そして、自慢の力で左右に引っ張ると、首にかけられていた三つのネックレスを見事引き千切った。

 

 父の顔面から滝のように汗が流れていた。かなり疲労し切っていた父は身体を引きずりながら私の下へ来た。私の場合、父よりも一つ多くネックレスを身につけていたので、自力で取ることは叶わなかった。激しくのたうち回っていたので私の頭からネックレスを外す余裕もなく、先程のように父が紐を引き千切るしか手段はなかった。

 父は暴れる私の身体を押さえつけ、三つのネックレスに手を付けて引っ張った。先程の行為で体力が消耗していたからか、父は素早くネックレスを千切ることができなかった。それでもようやく三つのネックレスを引き千切った父は残りの一つに手をかけようとした。しかし、父は残りのネックレスを見つけられなかった。最後の一つは私が暴れていたせいで、シャツの中へ潜り込んでしまったのだ。半纏のせいでネックレスの紐も隠れており、見つけるのも容易ではなかった。

 

 私は苦しんだ。それでも三つのネックレスが取れていたこともあり、全身を襲っていた苦痛が幾分か和らいでいた。なんとか身体を起こす気力も生まれ、ゆっくりと上半身をあげた。そして、父にこう言った。

 

 

「お父さん、助けて」

 

 

 これが人間として最後の言葉になると思わなかった。汗だくの父が微笑みながら「ああ」と頷き、私のネックレスへ手をかけた時、突如父の表情が変わった。驚き、それも何か得体の知れないものと出会った際に浮かべる驚きの表情が私の眸に映った。私は最初、父がなぜこのような表情を浮かべたかわからなかった。いつの間にか身体中の苦痛が消えていたので、私は自力でネックレスを外そうとした。しかし、すでに外れていた。自身の腕を見ると、そこには人間の手がなかった。

 

「――えっ?」私はゆっくりとその場に立ち、洗面所へ向かった。父は時間が止まったように全く動かず、ただただ私の座っていた場所を見つめていた。

 私は鏡の前に立った。そこに幼児体型で胸のなく、青い長髪をした少女の姿はなく――

 

 

 

 

 

緑色の甲殻に包まれ、甲虫のような一本の角を生やした怪物、『ワーム』が映っていた。

 

 

 

 

 

 「ぁぁぁああああああ !! 」私は訳も分からず悲鳴を上げ、呆然と座り込む父を無視して部屋へと駆け込んだ。部屋中にあるテレビ、漫画、フィギュアなどこれまで大切にしてきたものを八つ当たりするように破壊した。そしてベッドに飛び乗り、全身に布団を覆い被せた。

 

 

 

 

 

――私がワーム、みんなが恐れていたワーム、私が、私が…………怪物。

 

 

 

 

 

 その時の私は布団の中で自らの存在が何であるかを反芻していた。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 それから事件の真相が色々と判明した。『ZECT』は元々ネイティブと呼ばれる、ワームに似て非なるものを守るために作られた組織だったこと、『ZEXT』の上層部はテレビに映っていた中年男性を含むネイティブがその地位に就いていたこと、あの日、そのネイティブ達は人類を異形の姿へ変えようとしたことなど、これまで築き上げた『ZEXT』の栄光が地に堕ちる情報ばかりだった。事件自体、とある青年の活躍により阻止することはでき、例の中年男性を含む過激派ネイティブの集団は排除され、『ZECT』も解体した。しかし、私の時が止まったことに変わりなかった。

 

 あの日以降、私は部屋へ籠もるようになった。父に薦められた料理を一切口にせず、それまで興じていた漫画やアニメ、インターネットゲームに手を付けなくなった。

 私はどうしても『死』にたかった。人の姿に戻れるとはいえ、異形の者と化した自分を周囲が黙っているはずがない。醜い、汚らわしい、悍ましい──そんな蔑む言葉を吐き捨ててくるだろう。誰かが国に通報し、始末される可能性もある。それだけならばまだいい。しかし、その矛先が父や友人達に向けられたらどうなるか。学校で日々迫害され、住み慣れた土地を追われるかもしれない。最悪の場合、自ら命を絶つことも――。そう想像しただけでも恐ろしくなってくる。だからこそ、早く『死』にたかった。誰にも迷惑をかけずにひっそりと──。

 

 首吊り、練炭、硫化水素、失血──家で実践できる全ての自殺方法を試した。しかし、異形の者と化した私の身体は意外と丈夫だった。そしてその度、父が止めに入ったので、結局未遂に終わってしまった。

 私が自殺未遂をする度、父はどうか生きてくれと懇願してきた。そして、私の事情を知った友人達も泣きながら父と同じことを口にした。なぜ? 私は皆のために『死』のうとしているのに──。

 本当は嬉しいはずだった。異形の者になっても自分を受け入れてくれる人がいる。そのはずなのに、私は今の運命を受け入れられず、人を強く憎んだ。私をこんな姿に変えた『ZEXT』の人は勿論、生に縛り付けてくる父や友人達、私のように異形の者へとならずに済んだ人類全てを憎んだ。だからと言って、人に手を出すつもりはない。ただ、父や友人達に懇願されるがまま生きていくのは息苦しかった。

 

 何度目かの自殺が未遂に終わった時、私は父に生きるための条件を突き付けた。高校を卒業したら、私はこの土地を離れる。これを承諾してくれるなら、今後一切命を絶つ真似はせず、黙って生きていくと。父は頭を縦に振った。どんな形であれ、生きてくれるならいいらしい。犯罪以外のことならば資金援助だってなんでもすると言われた。別に必要なかったのに──。

 

 この出来事があった後、私は約束通り命を絶つ真似をすることなく、再び高校へ通うようになった。高校へ行くと、私のことを気遣ってくれた友人達が昔のように和気藹々と話しかけてくれた。しかし、止まった時間を動かすことはできず、私から友人達との距離を置いた。授業に参加し、知識を取り入れ、帰宅する。以前のような娯楽に対する興味が一切なくなったためか、高校生活が無性に長く感じた。そして高校卒業と共に、友人達に何も告げず、住み慣れた土地を去った。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 父に勧められたのもあり、私は秋葉原のとあるマンションに住むこととなった。なぜか某名門大学に合格していたので、単位のことを考慮しながら何不自由なく淡々と生活を送った。月ごとの資金援助があり金に困ったことはなく、アルバイトも特にしなかった。周囲からしてみれば、これほど憧れる生活はないはずだ。しかし、今でも『死』にたいと思う私にとって、この生活は苦痛でしかなかった。厩舎の中で餌を与えられるだけの家畜。今の私は家畜と同類だった。それでも約束を破るわけにもいかないので、この気持ちを日々ノートに綴っていた。

 

 大学生活に慣れ始めた頃、私は暇な時間ができると小説を綴った。間接的でいいから、日々蓄積される辛い気持ちを人々に知ってもらいたい。そんな浅はかな考えで取り組んでいた。父の作品を参考にしながら、ノートに綴ってある内容を小説風の文章に書き直す。そして完成した作品を web 上の小説投稿サイトに載せた。

 

 私の綴った小説は多くの人に読んでもらった。それなりに高い評価を受け、偶々目を通した電光文庫の社員に声もかけられた。実際に編集者の人とも話をした。あなたのどんな想いがこの作品を生み出すキッカケとなったのか。そんなシンプルでありながらも小難しいことを尋ねられた。私は自分が異形の存在であることを包み隠しながら、これまで経験してきたことを噛み砕いて説明した。それを仏頂面で聞いていた編集者は私に興味を抱き、「私の所で本を出さないか」と勧めてきた。

 

 私は返事に渋った。ただ、これを仕事として続ければ、公の場に顔を出さず、人々に私の気持ちを知ってもらえる機会が増えるかもしれない。仮に売れないで生活が苦しくなっても、辿り着く先は私の求める『死』だ。父の約束を破らず辛い現状から解放される。どちらかといえば後者が本望なのだが、そんな思惑もあり、私は大学を卒業してから本格的に小説家の道へ進むことを決心した。

 

 

 

 

 

 その決心から一年後、私の気持ちを綴った小説は人気を博してしまった。当初の思惑が見事外れてしまい、私の下には嵐のように仕事が舞い込んだ。その仕事量はベテラン作家でさえも嫉妬させてしまうものであり、あまりの多忙さに一時期は一睡する余裕もなかった。他人から見れば順風満帆な日々を送っていると羨まれるかもしれない。けれども、今でも気持ちが変わらない私はただただ『死』にたいと望んでいた。次は過労死のことを考えるか、或いは――。

 

 そんなことを考えながら、止まった時間の中で惨めに生き永らえる日々。しかし、その日々も突如終わりを迎えることになった。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 作家として活動し始めてから数年が経った。未だに『死』を追い求めており、どれだけ身体を酷使しても耐えうるワームの丈夫さを呪っていた。

 

 この頃の私はファンタジーものの小説を綴っていた。編集者の意向により書き始めた作品であり、「これまでの君の経験を空想ものに取り入れてもなんら違和感がない。絶対成功するはずだ」と言われた。確かに私の経験は非現実的なものだ。ファンタジーへ取り入れるにはうってつけの題材かもしれない。ああ、やっぱり私はこの世界に存在してはいけないんだな。そう自分を卑下しながら唇を噛んだ。

 

 私はその小説の中で鍛冶場のシーンを取り上げようと考えていた。しかし、『鍛冶師』という仕事が実際どういうものか知らなかったので、取材のため一週間程休みを取り、東京都内の鍛冶屋へ赴いた。

 私は『鍛冶屋』のオーナーと話をした。『鍛冶師』の仕事はゲームや漫画だけでは補えきれない情報が多々あった。所持していたメモ帳も書き込まれた文字ですぐに埋まり、バックの中から別のメモ帳を取り出した。仕事場の雰囲気を画像で残すため、インスタントカメラを使って写真を何枚も撮った。

 

 

 

 

 

 ふとその時、私の視線にあるものが飛び込んできた。

 熱した鉄を台の上に置き、握ったハンマーで何度も叩く青年の姿。服装を見る限り、この鍛冶屋で働いているのであろうその青年は、赤みを帯びた鉄を叩いては窯の中で熱し、また叩いては窯の中で熱するという行動を幾度となく続けていた。一般人では耐え難い作業を淡々とこなす青年。そんな彼の顔は無表情であり、死んだ魚のように眸から光が奪われていた。

 

 青年の名は真泉ソラ。私と同い年である。そう『鍛冶屋』のオーナーは教えてくれた。ここ数年の間に彼の才能は開花しており、オーナーのみならず、多くの鍛冶師が期待を寄せているらしい。

 しかし、彼には欠点があった。殆ど人と接しようとしないのだ。言葉を発したとしても、頼まれたことに対する返事か、『はい』、『いいえ』のみ。自分の意見も滅多に口に出さない。そして、表情はいつもあの調子らしい。笑っているところなんて一度も見たことないとオーナーは話す。

 

 なんだか私に似ているなと思った。そう思った直後、私の足は自然と彼の下へ向かっていた。そして、彼の前に来てしゃがみこむと、彼が叩いている赤みを帯びた鉄を凝視した。

 彼が鉄を叩いている間、なんだか私は無心になれた。脳裏に蓄積されていく辛い気持ちが一つ一つハンマーで砕かれる気がした。そう、それは私が小説を綴っている際、辛い気持ちが文章の中へと消化される感覚と似ていた。

 彼の前にいるだけで、私の額やこめかみから止め処なく汗が流れ出た。時折口の中に入ってくる汗は昔のようにしょっぱい。高温の釜の近くで彼の仕事を見つめているので、当たり前といえば当たり前だ。しかし、私は不思議と熱さを感じなかった。あの日の苦痛に比べればこんなもの──その時は無意識にそう考えていたからかもしれない。私は眼前の光景をいつまでも見ていられる気がした。

 

 数時間が経過し、鍛冶場の営業が終了した。彼が道具を片付け始めたのと同時に、その仕事風景に見とれていた私は我に返り、そそくさとその場から去った。そして、次の日も取材と称して鍛冶場に訪れ、理由もなく最後まで彼の仕事を見つめていた。その次の日も、また次の日も、そしてまた──気づけば、一週間取っていた休暇の全てを鍛冶場へ赴くために使い、休みが終わった後も時間ができればそこに足を運んだ。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

「……あんた、暇なのか?」

 

 これが私に対して最初に口にしたソラの言葉だった。彼は叩いている鉄へ視線を向けたままそう尋ねてくる。私が鍛冶場に赴くようになってからすでに数ヶ月が経過した頃のことだ。

 

「別に暇じゃないよ」

「……そうか」

 

 彼は私に視線を移すことなく相槌を打った。そこから再び沈黙の時間が続いた。カン、カンと等間隔で響いてくる鉄の叩く音は、一種の独特なメロディーを奏でている気がする。それを耳にしているだけで心地いい気分になった。

 

 

 

 

 

「あんた、こんなの見てて楽しいか?」

 

 別の日、依然として私に視線を向けることのない彼は私にそう尋ねてきた。見てて楽しいか楽しくないかで言えば、楽しくない。ただ、ここにいると妙に落ち着いた。その理由が叩かれる鉄にあったのか、その時に奏でられる独特なメロディーにあったのか、はたまたそれ以外にあったのか──正直、よくわからなかった。だから、私はこう答えた。

 

「楽しくないけど、見てるとなんだか落ち着くよ」

 

 私は考えていたことをそのまま口に出した。すると、これまでそれといって反応を見せてこなかった彼がコクンと頷いた。

 

「そうか。……俺もだ。これをしている時だけ、妙に落ち着く」

「じゃあ、楽しくはないの?」

「……わからない。ただ、昔みたいに楽しんで取り組むことはできないと思う」

「昔からやってたんだね」

「……ああ、故郷の方でな」

 

 彼がそう言い終えると、再び話がプツリと切れてしまった。今回は長く話せた。それに彼のことも少し聞けた。私の中にはなぜか達成感があった。そして、無意識の内に彼のことをもっと知りたいという欲求に駆られていた。

 その後、私は彼に対して積極的に話し掛けた。その殆どが他愛のないことで、一言、二言もしない内に話が尽きた。それでも時々長い会話が続くと、彼のことをよく知れた気がして、勝手に満足感を覚えた。

 

 

 

 

 

「そういえば、あんた──」

「もぅ、あんたじゃないよ! 『こなた』って何度も言ってるじゃん」

 

 その日も私は鍛冶場に足を運んでいた。彼は相変わらず叩いている鉄に視線を向けながら尋ねてくる。彼の態度に関してはだいぶ慣れた。ただ、いつまで経っても他人行儀で話してくる彼に私は苛立ちを覚え、思わず少し声を荒げてしまった。そんな私の反応に驚きを示したのか、彼は考え込むように少し間を置くと、こう口を開いた。

 

「……こなた、最近自由にここを出入りしてるけど、師匠に何も言われないのか?」

 

 彼は私の指摘した所を訂正してくれた。『あんた』ではなく、私の名前を呼んでくれた。これまでにも似た経験は何度かあったが、それでも彼との距離が少し縮まった気がして嬉しかった。そして、思わず調子に乗った私はこんなことを口走った。

 

「うーん、一応取材のためって伝えてるよ。けど、もしかしたらオーナーさん、私達の関係がこれになってると思ってるんじゃない?」

 

 私は右手の小指を立て、悪戯っ子のようにニタリと笑った。この時はほんの冗談で言ったつもりだった。彼の反応を目にするまでは──。

 

 

 

 

 

「冗談うまいな、こなたは──」

 

 彼は依然として赤みを帯びた鉄を叩きながらそう答えた。その横顔には微笑み(・・・)が見て取れた。

 

「えっ……ソラ、笑ってるの?」

「俺だって笑うさ。こなただって笑ってるだろ。今、声震えてるぞ」

 

 あっ、私が見えてないのにそんなこともわかるんだ。すごーい。思わず感心してしまった。

 

 ――って、そうじゃない!

 

 ソラが笑ったのだ。最初に会った頃、笑うどころか言葉を交わすことさえなかったあのソラが笑っているのだ。今までにない驚きを感じた。それと同時に身体に異変が起きた。急に胸の奥が熱くなったのだ。数年前の日曜日、私の身体が異形の姿へ変わった時に襲ってきた感覚――とは、少し違う気がした。

 

「なんだ、そんなに俺が笑うのが珍しいか?」

 

「えっ――う、うん」ソラに質問を投げかけられた私はぎこちない返事をしてしまった。気が動転しているのだ。そんな私の反応がおかしかったのか、ソラは鉄を叩きながら含み笑いしていた。

 

「こなただって最近はよく笑ったり喋ったりするようになっただろ。最初、こなたがここへ取材しに来た時、物静かな子だなって思ったし」

 

「そんなことないよ。私は、私は――」そこで私は言葉を詰まらせた。

 私が物静かな子。ソラの言う通りだ。あの日以降、私は周囲と関わろうとして来なかった。父とも殆ど口を聞かず、仕事の時でさえ必要最低限のことしか言葉に出さなかった。けど、今はどうだ。昔、友人と語り合った時のように話が盛り上がっている。単に独りよがりなだけかもしれないが、以前より言葉数が増えているのは確かだ。それに最近、あの感覚に囚われることも少なくなっている。死にたい――前はあんなにも強く感じていたはずなのにどうして。

 

 

 

 

 

「……どうした、こなた?」周章狼狽する私に気がついたソラは、握ったハンマーを台の上に置き、私の方へ視線を移した。私の眸にソラの顔が映ると、胸の奥を熱くしていた何かが全身へ伝わり、肺が酸素を受け付けずに息詰まりかけた。ソラのことを直視できない、今すぐにでもこの場から離れたい。私はそんな衝動に駆られてしまった。

 

「ご、ごめん! ちょっと用事を思い出したから帰るね!」

 

「おい! こなた!」ソラは黒ずんだ手袋をはめている右手を突きだし、私を呼び止めた。しかし、そんな彼の言葉を華麗にスルーした私は、バックを肩にかけながら住宅街を全力で駆けて行った。なぜ、突然あの場から逃げ出したのか。わかっているはずなのに、私はわからなかった。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 一時間ほどして、私は自宅に到着した。

 バタンと玄関の扉を強く閉じると、扉を背にしてヘナヘナと座り込んだ。全身の熱が収まる気配がない。あの場から離れたはずなのに、未だに酸素が肺へ到達しきれていない。そして何より、ソラの顔を思い出そうとすると苦しさが増すのだ。苦しくて辛くて、嬉しい――そんなおかしな感覚に陥っていた。このままだと寝ることも歩くことも、ソラと会うこともできない。それじゃあ駄目だ。ソラに会えないなんて――。

 

 ふとその時、私の右手は肩にかけられているバックの中へと吸い込まれていった。腕をピンと伸ばし、乱雑にバックの中を漁ると、掌に長方形をした冷たい固形物が収まる。スマートフォンだ。私はすぐにそれを取り出し、パスワードを入力してから電話帳を開いた。父に友人に編集者――数人の名前が登録された中で、私は【真泉ソラ】の名前を見つけた。ソラを知りたいという欲求に駆られ始めた頃、勢いで交換してしまった彼のメールアドレスと電話番号。私はその名前に触れ、表示された電話番号に触れようとした。けど、やめた。代わりに電話帳の中から【森海里(もりかいり)】の名前を見つけ出し、中を開いて電話番号を押した。森海里は大学生の頃、唯一私に話しかけてくれた女性だった。

 

 

 

 

 

『──はい。えっ、こなた? 本当にこなたなの !?  わあ、本物だ !! 』

 

 

 

 

 

 受話器から聞こえてくる女性の声。間違いなく海里だった。彼女が興奮気味なのは、おそらく私から電話をかけるのが初めてだからだろう。大学生だった当時、無理矢理電話帳に登録されたこの電話番号を今になって使うとは私自身、思いも寄らなかった。

 

「海里。今、ちょっといい?」

『私は大丈夫だけど――どうしたの、こなた? なんか息苦しそうだけど…………』

 

「うん。実はね――」私はそこから鍛冶場での出来事を事細かに話した。勿論、ソラの名前は出さなかったが、どうしてその鍛冶場へ行ったかなどの経緯まで包み隠さず口にした。その相談相手としてなぜ海里を選んだかわからない。ただ、今はどうしてもこの苦しみの原因を突き止めるのに必死だった。彼女はただ黙って私の話を聞いてくれた。

 

『そっか――』

 

私の話を聞き終えた海里はそう短く呟いた後、間を置いてから言葉を続けた。

 

『その理由は多分、こなた自身がよくわかっているんじゃないかな?』

「えっ?」

 

海里の意表を突くような返事に、私の口から言葉が出なかった。

 

『私にはこれしか言えないよ。それとあいつのことよろしくね。あっ、こなたの元気な声も聞けて嬉しかったよ』

「えぇ !!  ちょっと待って、海里!」

 

私は思わず声を荒げたが、その時にはすでに通話は切れていた。

 

「――私自身がよくわかっていること」

 

 私は海里に言われたことを反芻した。

 私がわかっていること――鍛冶場で取材したあの日、私は初めてソラと出会った。その時のソラが漂わせる雰囲気はまるで私だ、そう感じたのを覚えてる。それから私は鍛冶場に通うようになり、ソラが喋ったことで彼に興味を持った。色々な話題で語り合って、ソラのことを知れた気がして、満足感を覚えた。そして今日、ソラの笑った姿を見て私の身体がおかしくなった。あれ、もしかして私――。

 

 私の中に一つの推測が生まれた。それと共に身体に苦しみが消え、熱も引いた。丁度その時、手元のスマートフォンがブルッと震え、受話器付近にメールが来たことを伝える青い光が灯った。

 私は再びパスワードを解除して、届いたメールを開いた。ソラからだ。メールの文面には『体調が悪そうだったが、大丈夫か?』と記されてある。

 

 

 

 

 

 ――もう、全部ソラのせいだよ。

 

 

 

 

 

 推測が結論へと変わった瞬間だった。私はメール画面を見つめながらそうツッコミを入れた。そして、先程ソラに言われたことを思い返した。

 

『こなただって最近はよく笑ったり喋ったりするようになっただろ』

 

私がいつからよく笑い、よく喋るようになったのか。今ならそれがわかる。それだけではない。私がソラと出会ったあの日、私の止まっていた時間が再び動き出したんだ。

 私はスマートフォンをギュッと握りしめてから、新規メール画面を開き、電話帳から宛名を検索した。相手は勿論【真泉ソラ】。件名には『バカ』と打ち込み、文面にはこう入力した。

 

 

 

 

 

『大丈夫じゃないから、私の家で一緒にゲームしよう』

 

 

 

 

 

☆☆☆

 その日以来、私とソラは暇さえできれば頻繁に会うようになった。会って何をするかといえば、家でゲームをしたり、○ニメイトに赴いたり、某アニメの聖地巡礼など、所謂私の趣味に付き合ってもらっていた。ただ、それだけだとソラにも悪いので、行った先々で彼に似合いそうな服を選び、グルメも堪能した。

 

 鍛冶場で聞けなかった事も沢山話した。最近は忙しくて寝る暇がないとか、仕事中に居眠りをこいてしまったこととか、あのオーナーは妻の尻に敷かれているとかで大いに盛り上がった。私のこともソラに色々と知られてしまった。私が以前、男性もののフィギュアや漫画を収集している生粋のオタクであったこと、暇な時間ができるとインターネットゲームに没頭していることなど、女性としては知られなくない一面をさらけ出してしまった。ただ、その相手がソラなので別にいいかなと思った。それに私の正体もバレるわけではないし――。

 

 そんな付き合いを続けていたある日、私はソラと共に秋葉原の中古ゲームショップに立ち寄っていた。昔遊んでいたGBA(ゲームボーイアドバンス)のソフトが無性にやりたくなったので、 GBA 本体とそのソフト共に計二つずつを探しに来たのだ。本当は某通販サイトで買うのが手っ取り早いが、外に出ることで小説のネタになり得そうなものを見られる可能性もあるし、何より付き添ってくれるソラと長く一緒に居たかった。

 

 中古ゲームショップ内には名作とも呼べるソフトがいくつも置かれていた。しかし、私の探していたソフトは置いておらず、肩を落とした。そんな中、ソラは棚に置かれているとあるゲームソフトを凝視していた。【KINGDOM HEARTS】――某企業二社がコラボレーションして作ったアクション RPG ゲームであり、今もなお世界中で絶大な人気を誇っている。シリーズ化もしており、ソラが目にしているのは記念すべき第一作目のソフトだ。

 

「そのゲームに興味があるの、ソラ?」

「……ああ。昔、故郷の幼馴染と一緒に遊んだんだ。俺の家にあった唯一のゲームでさ、凄くハマったけど、結局クリアできなかった」

 

 そう答えるソラは懐かしむようにゲームを見つめていた。しかし、その表情はどことなく切なく感じられ、私の胸がキュッと引き締められた。こんなソラの姿、見たくない――そんな気持ちが脳裏に過ぎった。それと同時にある提案も思い浮かんだ。

 

「じゃあ、私達でこのゲームをクリアしようよ!」

 

「えっ !? 」私の提案を耳にしたソラは驚いた様子でこちらへ顔を向けた。即座に思い浮かんだにしては良案だったのかもしれない。そのお陰でソラの切ない表情がどこかへ消えてしまった。私は心の内で密かに歓喜した。

 

「俺、PS(プレステーション)2 持ってないぞ」

 

「あっ──」私はポカンと口を開いた。ソラの家にはゲームの類がない。そのことは以前、彼の家へ訪れた際に確認済みだ。私の家にもPS3しかなく、 PS2ソフトであるこのゲームをプレイできない。私は両腕を組んで頭をフル回転させた。そしてまた一つ、良案が浮かんだ。

 

「そうだ! 私の実家にPS2があるから、それを取りに行こう!」

 

 私の案を耳にしたソラは目を丸くした。『中古で買えばいいんじゃないか?』そんなことを言いたげそうである。確かにそれの方が楽なのだが、数年振りに父とも会いたいという思いが突然脳裏に浮かんだので、そのついでに PS2 を取りに行くのも悪くないかなと考えた。

 

「PS2を取りに行く時はソラもついてきてね」

 

「えっ──」ソラの表情は固まった。実家までついて行くというのはつまり、私の父とソラが対面することを意味しているのだ。今でも私以外の人と深く関わろうとしないソラにとって、峻拒したい頼みだったのかもしれない。しかし、彼は少し考え込んだのち、コクリと頷いた。

 

「わかった。実家にあるこなたの部屋も気になるしな」

「えぇ、何にもないよ。今の私の部屋と大して変わらないって」

「大して変わらないって……いつからそんな感じなんだよ、こなたは――」

 

 ソラは少し呆れた表情を浮かべていた。私はそんなソラと他愛のない話をしながら、棚に並んでいた【KINGDOM HEARTS】を購入し、その店を後にした。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 お盆休み――学生時代のような休みのない私達社会人が取れる長期休暇である。

 私はその期間を利用して、ソラと共に私の実家へ赴いた。事前に父と連絡を取り、帰省することは伝えてある。『今度帰る』と私が口にした瞬間、父は電話越しに喝采を叫んでいた。ただ、(ソラ)が付き添いにいることを話すと、その叫びは断末魔へと変わった。

 

 

 

 

 

 秋葉原から電車に乗ること数時間、埼玉県のとある駅に到着した。そこから徒歩で進むこと数分、私達の眼前に懐かしの実家が見えてきた。昔となんら変わり映えもしない城壁のような白の側壁。目を細めると、亀裂でも補修したような跡や多少の汚れが見て取れる。やはりあれから時間は経ってしまったようだ。それでも、この目に映るのは十八年間過ごしてきた我が家に変わりなかった。

 私は玄関口に立ち、恐る恐る引き戸の取手に右手を添え、横にスッと開いた。戸を開いた先には、微笑みながら感涙する父の姿があった。

 

「おかえり、こなた」出迎えてくれた父は私に優しい言葉を投げかけてくれた。歳で涙腺が緩んでいるからか、父は頬を赤く腫れ上がらせている。以前よりもまばらに白髪は生えているが、その点を除けば昔の父と何ら変わりない。

 

「お父さん――ただいま」私はそう言葉を返した後、勢いよく父の胸へ飛び込んだ。私の身体を受け止めた父は「うっ」と少し呻き声を漏らしたが、その後すぐに強く抱き締めてくれた。そんな父の抱擁には親の温もりが感じられ、私の脳裏に時間が止まる以前の記憶が過ぎった。あの頃はただただ引っ付いてくる父にうんざりしたが、今ならこれがどれだけ素晴らしく尊い行為だったのか感じ取れる。それを再び理解できたことが何よりも嬉しくて、私は眸の奥から溢れんばかりの涙を流した。

 

 

 

 

 

 父の服で涙を拭った私は、父にソラを紹介した。

 父は最初、私の隣に立つソラを警戒した。相手の喉元に狙いを澄ませる虎の如く鋭い視線を送る父だったが、軽い雑談を交わす内にソラと打ち解けてしまった。というよりも、父がソラの何かを感じ取ったようだ。

 父が一体ソラの何を感じ取ったのか、私にはよくわからなかった。もしかすると男同士でしか分かり合えないことなのかもしれない。私がそう思索していると、リビングの方からドタドタと足音が聞こえてきた。父は確か一人暮らしのはず。なのに、なぜ家の中から足音が──。そう私が訝しんでいると、眼前に何者かが姿を現した。それは高校時代の友人達だった。

 

 友人達は私の姿を捉えた瞬間、涙ぐみながら私に飛び付いてきた。それが一人だけならば良かったが、続けざまに一人、また一人と計三人が雪崩でも押し寄せるようにやってきた。流石の私も三人の体重を支えられる程の力はなかったので、その場で膝を崩して潰れた。プレス機で圧迫されるような感覚が全身に伝わり、私は思わず「うぅ」と呻き声を漏らした。それでも、友人達との再会は私の胸を喜びでいっぱいにさせた。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 私達は元々、 PS2 を取りに実家へ帰ってきた。その際、久々に顔を合わせる父と軽い雑談を交わしながら、その日中に秋葉原へ戻ろうと考えていた。

 しかし、父はそう考えていなかったらしく、リビングには豪勢な料理や一般人だと手の出しにくい高価な酒類が並べられていた。どうやらこのために友人達も招集されたようで、その手に握られている酒のアルコール度数から察するに、今日は家に帰してもらえないみたいだ。私とソラは顔を見合わせて苦笑しながらも、せっかくなので父、友人達と酌み交わすことにした。

 

 飲み会は楽しかった。ソラがいるので話す内容は限定されたが、それでも主に私の話題で大いに盛り上がった。高校生時代、学校の宿題をほぼ毎日丸写しさせて貰っていたことや皆を色々な場所へ連れ回したこと、立ち寄った○ニメイトで何の躊躇もなく諭吉五枚をはたいたことなど、今となってはいい思い出を友人達が語った。そんな私達の思い出話を耳にしたソラはどことなく共感している様子であり、日本酒を手にしながら微笑んでいた。それが私にとってとても嬉しいものであり、少しだけ小恥ずかしかった。

 

 飲み始めてから数時間経過した。ソラに父、友人達が何食わぬ顔で酒を口に運んでいるのに対し、私の意識は途切れかかっていた。アルコール度数の高い酒を流し込むように飲んでいたせいもあるが、それ以前に私自身、あまり酒が強くないのかもしれない。或いは皆が酒に強すぎるのか――。そう考えている内に私の頭が急に重たくなり、気づけば額を机の上にぶつけていた。痛みはしない。限界だった。

 

 もう駄目だ、眠い。私の意識はだんだんと遠のいていた。そして瞼が閉じようとした時、ふと私の身体がフワッと浮かび上がった。夢中で金斗雲にでも乗ったのかな。最初はそう思った。しかし、周囲から友人の忍び笑い、父の断末魔が耳に入ってくるので、今はまだ現実の出来事なのだなと理解した。

 

 では、なぜ私の身体が浮かび上がったのか。どうもその点が気になり、私は襲ってくる眠気に耐えながら、なんとか片目の瞼を開いた。そして、すぐに現状を把握した。ソラが私を横抱きしていたのだ。横抱き──俗に言う『お姫様抱っこ』をソラが私にしてくれているのだ。

 

 

 

 

 

「あわわっ──」

 

 私の心が『羞恥』という言葉で満ち溢れた。皆が見ている前でなんと大胆な行動を取っているのだ、ソラは──。道理で彼の背後から忍び笑いや断末魔が聞こえてくるわけだ。

 私の身体は燃え盛る炎のように熱くなった。このままではマズい。只でさえアルコールの魔力に堕ちて身体が全く動かず、意識を保つのだけで精一杯なのに、このままでは保っていた意識が時空の彼方へ飛ばされてしまいそうになる。

 

 だからと言って、これに抵抗する術は何一つない。私は遠のいていく意識をギリギリの所で保ち続けた。そうしている内に、ソラは実家にある私の部屋に足を踏み入れ、堕落しかけた身体をベッドの上に乗せた。そして、腹部から下部の間に薄い掛布団をかけてくれた。

 

「無理するなよ」そうソラが優しい言葉を投げかけてくれた瞬間、私の中に張り詰めていた糸が呆気なく切れ、瞼はスッと閉じ始めた。そんな私の眸に映った最後の光景、それは父に肩を組まれるソラの姿だった。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 次の日の朝。カーテンの隙間から差し込まれる穏やかな光が眸の奥を刺激し、私はゆっくりと瞼を開いた。少し頭が痛い。どうやら二日酔いのようだ。私は頭を軽く押さえながら上半身を起こし、辺りを見回した。

 

「…………」私は口をあんぐりと開いた。自室の床には生まれたての子犬のように肌を擦り合わせて眠る友人達の姿があった。何をしたかわからないが、胸元がはっきり窺える程服ははだけており、寝言を漏らしながら涎を垂らしている。これはマズい。もし父が友人達のこんなあられもない姿を目にすれば、飢えた獣の如く襲ってしまうかもしれない。私はその点を危惧し、友人達を起こそうと右手を伸ばした。しかし、友人達があまりにも気持ちよさそうな寝顔を浮かべているので、伸ばしていた右手を引っ込めた。父が部屋に入りそうなら、私が止めればいいじゃないか。私はそう結論を導き出し、友人達を起こさぬようそっと自室を後にした。

 

「おはよう、こなた」

「あっ、おはよう。ソラ」

 

 リビングに入った私は、椅子に座っているソラと挨拶を交わした。昨日、あれだけ酒を口にしたにも関わらず、ソラの表情は何事もなかったかのようである。どうやら彼はかなり酒に強いらしい。

 

「こなた、もう大丈夫なのか?」

「うん。ちょっとだけ頭痛いけどね」

「そうか。それにしても、こなたは見た目通り酒に弱いんだな」

「むぅ、私のことを子供扱いして──それに、あれは皆が酒に強すぎるだけだよ」

 

 私は顔を顰めながら語調を強めて言った。そんな私の反応を目にしたソラは綻びを見せ、「そうかもな」と答えた。

 

「私が寝ちゃった後もずっと飲んでたの?」

「ああ。赤の他人の俺が人の家で先に寝るのは厚かましいと思ってな。こなたの父さんが横になるまでずっと起きてた」

「えぇ、無理しなくても良かったのに。眠くないの?」

「多少は眠い。けど、いつもの睡眠時間に比べればまだマシな方さ」

 

 ソラはそう言いながらも、欠伸を噛み殺すような仕草を取った。慣れているとはいえ、眠いものは眠いらしい。私もそんな彼につられて欠伸をした。

 

「なあ、こなた──」

 

 私が欠伸し終えた時、ふと神妙な表情を浮かべたソラがこんな事を尋ねてきた。

 

 

 

 

 

「俺達って、本当にこれでいいのか?」

 

 

 

 

 

「──えっ?」私はソラの質問の意図が理解できず、思わず小首を傾げた。その反応を目にしたソラは「いや、やっぱりなんでもない」と慌てて首を横に振った。

 

「今のは忘れてくれ」

 

「う、うん──」私はつい頭を縦に振ってしまった。本当はソラの口にした言葉の意図を探りたかったが、先程の慌てようを考慮し、敢えてそれ以上のことを聞かなかった。その後、私達は目覚めたばかりの父、友人達と朝食を取り、少しばかり言葉を交えてから別れを告げた。勿論、実家を後にする際は PS2 も忘れずに持って行った。

 




後編に続きます。
宜しくお願いします。

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