鋼鉄の迷宮(アンダーエリア)   作:魔人ボルボックス

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第三章 一つの再会、一つの決別 —1—

 暗い海の底から引き上げられるように、オルカは眠りから覚めた。

 

「んんっ……」

 

 軽くうなり、自分の身に被さった毛布をどけてベッドから下りる。

 

 僅かに残ったまどろみとともに、四肢と背筋にだるさと疲労を感じる。昨日の迷宮探索の疲れがまだ少し余剰しているのだろう。

 

 それらを引きずりながら窓際へと歩み寄り、遮光カーテンを全開した。

 

 真っ暗だった宿の一室に、まばゆい朝日が差し込む。

 

 目が慣れると、オルカは大きく背伸びをした。背筋が子気味よくパキパキと音を立てる。

 

 全身の確かな目覚めを確認しながら、そのまま今日の予定を考え始めた。

 

 昨日の未踏査迷宮探索から一晩経ち、今日から二日間の休日となる。

 

 未踏査迷宮の調査では、探索日の次の何日かは休日を設けるのが普通である。別にそういう決まりがあるわけではないが、どの街でもだいたいそのようなスケジュールを組む習慣だ。

 

 この休日では、各冒険者にエフェクターの修理や調整、及びアルネタイトの補給を行うための時間を与えるのもそうだが、そのほかにもう一つ存在意義がある。

 

 それは、その未踏査迷宮のある街で金を使わせるためだ。

 

 現在アンディーラには未踏査迷宮の調査のために、多くの冒険者が外部から来ている。そういった外から来た人々に街を見て回らせ、そこにある店で支出を出させることで街の経済を潤わせる。

 

 そのような休日も合わさって、結果的に未踏査迷宮の調査は割と長丁場となる。迷宮の難度にもよるが。

 

 いずれにせよ、休みというのは都合が良いかもしれない。

 

 昨日のラージゴーレムとの戦いで『ライジングストライカー』の片方を故障させている。今日はその修理をしようとすぐに決めた。

 

 ちゃんとお金のアテもある――いや、あり過ぎる。

 

 昨晩アンディーラに戻った後、早速持っていた特大アルネタイトを冒険者協会アンディーラ支部へ持ち寄って換金してもらった。

 

 その額は驚きの――四万七〇〇〇オプラ。 

 

 一晩で高給取りの平均収入に比肩するほどの額を手に入れた今のオルカの懐は、驚くほど暖かかった。

 

 予定が決まったならば、早速準備に取り掛かろう。

 

 寝巻き姿だったオルカは、着替えるためにまずは上着を脱ぎとろうと手にかけた――時だった。

 

 トントン、と、外側からドアを叩く音が聞こえてきた。

 

「うん?」

 

 唐突に耳に入ってきたソレに、オルカはドアを方を向いて反応する。

 

 こんな朝早くから誰だろうか。

 

 オルカは近づいてドアを開くと――姿を現したのは意外な人物。

 

「お……おはよ……」

 

 シスカだった。

 

「ク、クロップフェールさんっ?」

 

 オルカは思わぬ客人に声を張り上げる。 

 

「えっと……その……」

 

 彼女はこうべを垂れ、下腹部のあたりで両手の指を絡ませてもじもじとしながら、言葉を濁す。

 

 見ると、シスカの足は両方とも床をしっかり踏んでいた。

 

「あれ? もう足は大丈夫なんですか?」

「え、ええ……昨日の夜にきちんと応急処置したから、今朝には痛みは引いてたわ」

 

 あーなるほど、とオルカは納得する。

 

 クランクルス無手術とクラムデリア兵器術、この二つの武技では戦闘技術とともに、オマケのような形で応急処置の方法も学ぶ。

 

 武技の修行というのは生傷が絶えない。そのため指導者にはケガをした門弟を治療する技術も求められ、同時に未来の指導者となり得る門弟にもそれを教える。実際オルカも師に教わったため、割と得意だった。

 

「それで、何か用ですか? しかもこんな朝早くに」

「へっ? え、ええっと、それは……」

 

 シスカはやけにうろたえた様子で、両手の指をいじる速度を早めた。

 

 そして、しきりにこちらの方をチラチラ見やってくる。

 

 オルカがそんな挙動不審な態度に首をかしげた瞬間、シスカは意を決したように言ってきた。

 

 

 

「あっ、あんたのエフェクター、今故障してるんでしょっ? あたいが――修理代出してあげるわよ?」

 

 

 

 オルカは目を丸くした。

 

「ええっ? そ、そんな、悪いですっ」

「いいわよ別に。それって『ライジングストライカー』でしょ? 構造はエフェクターの中では結構単純らしいから、修理代はそんなにかからないし」

「でも……」

「あーーもう! いいったらいいのよっ。その…………昨日、助けてくれたお礼、でどうかしら? や、安すぎかもしれないけど」

 

 シスカはそう言ってジッと見つめてくる。まるで懇願するかのように。

 

 ここまでされると、逆に頷かないのが失礼なことのように思えてくる。

 

「え、えっと、それじゃあ――お願いします?」

 

 最終的に、オルカは折れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもの服装に着替え、現金とエフェクターの入った鞄を持ったオルカは、シスカと二人で宿を出た。

 

 そして現在、街路を並んで歩いている。

 

 足元には石畳が歪みなく整然と敷かれ、小洒落たデザインの街灯が両端に等間隔で伸びている。その向こう側には普通の家よりも大きく立派な建物がちらほら見られる。

 

 だが、そんな小奇麗な場所なのに、なぜか人通りが乏しい。

 

 いや、正確には普通の人が歩いている割合が少ないというだけで、実際は割と人数はいる。ただ、その約九割は冒険者だった。

 

 オルカたちの泊まっている「妖精の方舟」から街中へ向かうためにはこの道を通る必要があるため、冒険者は否応なしにここを通る必要がある。その存在を消去して考えれば人通りは少ない事になる。

 

 その理由をそれとなくシスカに尋ねると、

 

「たしかこの辺って、この街の富裕層が軒を連ねてるって話よ。多分、それでみんな敬遠してるんじゃない?」

 

 と返ってきた。

 

 聞いてみれば納得である。「妖精の方舟」は、余所から来た上流階級の人間が宿泊することの多い高級宿だ。そんな宿なら、富裕層の邸宅が列挙するこの辺りに建っていても何ら不思議ではない。

 

「ところでクロップフェールさん、これから『工房』に行くんですよね? それとも、それより先にどこか寄るんですか?」

 

 ――そう訊くと、シスカはなぜかぶすっとした顔で自分を睨んできた。

 

 なんだろう。また藪蛇をつつくようなことを口走ってしまったのだろうか。デリカシーに欠ける我が身なら十分にありえる。

 

「……ねぇ、オルカ」

 

 不意にシスカが尋ね、さらに続ける。その顔からはかすかな不安のようなものが見えるような気がした。

 

「……あんた、年いくつ?」

「え? 一六ですけど……」

「そう……あたいとタメってわけね。だったら……そんな口の利き方はないんじゃないかしら?」

「え……ボクなんかマズイ事言いましたか?」

「そうじゃなくてっ……!」

 

 シスカはイライラした様子で蜜柑色の前髪を指でいじりながら、

 

「た、タメ年なのに……敬語で話すって、ちょっと変じゃない……?」

「そうですか? 人によると思いますけど……」

「そ、そうねっ。そうかもしれないわねっ。しれないけど……その…………あっ、そ、そうよ! あたいが嫌なの! オルカが良くてもあたいは嫌なのよ! なんだか変に気を使わせてるみたいでっ!」

 

 シスカはまるで今思いついたかのように後半をまくし立てると、

 

「そ、それに……あたいだけあんたを「オルカ」って名前で呼んでるのに、あんたは「クロップフェールさん」って苗字呼びなのも、不公平なんじゃないかしら……?」

 

 そういえば、彼女は昨日から突然自分を名前で呼び始めた。

 

 それに対して違和感を覚えたのは記憶に新しい。だが、別段目くじらを立てるようなものでもないと思った。

 

「ボクは気にしませんけど」

「あ、あたいが気にするのっ!!」

 

 そこでシスカは「思わず大きな声を出してしまった」とばかりに慌てて口を塞ぐ。

 

 そして恥ずかしそうに頬を染め、うつむきながら続けた。

 

「だから、その……いいわよ?」

「え……?」

「あ……あたいのこと名前で呼んで……タメ口利いても、いいって言ってんのっ。ていうかそうしなさいっ」

 

 ずびしっ、と自分を指差してくるシスカ。相変わらず睨み目だが、その白い頬はうっすらと桜色に染まっていた。

 

 なんとなく、今の彼女には頷かないといけないように感じた。

 

 それに――別に嫌というわけではない。

 

「え、えっと……じゃあ、シスカさん」

「……さんはいらない」

「あ、は、はい、分かりました、シスカ」

「……敬語」

「う…………うん。ごめん。わ、分かったよ、シスカ」

「……よ、よろしい」

 

 シスカは偉そうに咳払いする。だがその頬は今でも赤くなっていた。

 

 それを見て、自分の顔も微かに熱くなってくる。

 

 なんだろう、よく分からないが恥ずかしいやり取りをしているような気がする。

 

「ほ、ほらっ。行くわよオルカ! 時間は有限なんだから!」

「は、はいっ。クロ――」

「…………」

「……うん。行こうか、シスカ」

 

 シスカのガン飛ばしで口調を矯正させられる。

 

 そんな風なやり取りをしながら歩いてしばらくすると、横手に広大な屋敷がその一角を現した。

 

 金殿玉楼と形容するに相応しいその建造物は七割がたが汚れなき純白で彩られており、侵すべからざる高貴な雰囲気を醸し出していた。

 その手前には、優美なデザインの噴水を中心にした敷地が大きく広がりを見せており、その中には高級石車が幾つも列挙していた。

 

 柵の向こうに見えるその豪華な建物は、昨日も目にしている。

 

 富裕層の代表格といえる存在、貴族の一員である「レッグルヴェルゼ家」の屋敷だ。

 

「何度見ても、すごいわね……」

 

 シスカがそう感嘆する。自分も同感だった。

 

「クロ……シスカが武技を習ってた道場って、クラムデリア家の敷地の中にあるの?」

「いいえ。道場は屋敷とは別の土地にあるの。でも、お姉様から招待されて何度かお邪魔になったことはあるわ」

「クラムデリア家はどんな感じだった?」

「そうねぇ、確かにクラムデリアの屋敷もデカかったけど……お姉様には申し訳ないけど、ここほどじゃないわ。やっぱり国を動かせるレベルの貴族さまは格が違うってわけね」

「そうなんだ……」

 

 二人がそう話している時だった。

 

 

 

 

 

「――ふざけるのも大概にしろ貴様ぁっっ!!!」

 

 

 

 

 

 凄まじい怒声が聞こえてきて、二人はビクッと同時に反応した。

 

 周囲の空間に反響して余韻を残すほどの声量で発せられたソレは、屋敷の正門付近が音源だった。

 

 見ると、自分の背丈以上の高さの立派な正門の前には、二人の男性が向かい合って立っていた。

 

 一人は見覚えのある顔――スターマン・レッグルヴェルゼだ。

 

 そしてもう一人は、見たことのない人物。

 

 顔にいくつか小さく浮かんだ皺を見るに、壮年ほどだろうか。姿勢が良く、堂々たるその体躯には立派な正装を身にまとっており、並々ならぬ気品と精力を同時に感じさせる。

 

 男性の手には――マキーナが昨日スターマンに貸し与えた紋章が握られていた。

 

「あれだけ冒険者を集めておいて、得た収穫がたったこれっぽっちだと!? どこまで私を愚弄すれば気が済むのだ、この穀潰しがっ!!」

 

 だが男性はそうがなり立てると、その紋章を地面に投げて叩きつけた。

 

 スターマンは慌てた様子でソレを拾い、服の袖で付いた汚れを拭うと、

 

「なっ、何をなさるのです父上! これはミス・クラムデリアからの借り物なのですよ!?」

「吐かすな!! あんな一介の小規模貴族風情の、それも冒険者などという下劣で野蛮な役回りに身を落とした小娘がなんだというのだ!? 私は国家にすら影響を与える力を持ったレッグルヴェルゼ家の当主だぞ!!」

「我々の文明は彼らが持ち帰る資源によって支えられているのです! それをわかっている立場であるにもかかわらずその発言、恥ずかしいとは思わないのですか!?」

「口答えするか、この餓鬼がーー!!」

 

 バシンッ! という音が周囲の空気をはっきりと揺さぶった。

 

 掌を振り抜いた姿勢の男性。

 

 スターマンが頭を傾け、片頬を押さえていた。

 

「後から入ってきた分際で生意気を吐かすなっ!! まったくアミティめ、とんだ厄介者を招き入れたものだっ。その上そのツケを残された我々に全て押し付けおって! 本当に勝手な女だっ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、スターマンの表情が微かにだが険を帯びる。

 

「私のことはどう侮辱しようと構いません、しかし死んだ者の、それも母上の悪く言うのはおやめください、父上っ!!」

「貴様っ、また口答えをッ――!!」

 

 そう手を再度振り上げようとした瞬間、それを見ていたオルカとシスカの存在に気づく男性。

 

 平手打ちに使う予定だった手を空中でピタリと止めると、ばつが悪そうに顔を背け、

 

「……フンッ!」

 

 鼻を鳴らし、無作法な足取りでドスドスと正門の向こうへ消えていった。

 

 男性の姿が見えなくなった後、

 

「だっ、大丈夫ですかっ?」

 

 オルカは慌ててスターマンの元に駆け寄った。

 

「……これはこれは。お見苦しい所をお見せしてしまいましたね」

 

 スターマンは朗らかに笑って見せる。だがその片頬ははっきりと赤く熱を持っていた。さっき叩かれた所だ。

 

「酷いことするわね……ミスター・レッグルヴェルゼ、彼は……」

 

 シスカが男性の去った方向を非難がましい目で見つめながら、そう訊いた。

 

「ええ……彼が僕の父にしてレッグルヴェルゼ家現当主、ガルティス・レッグルヴェルゼです」

 

 オルカは目を丸くした。知らない名ではなかった。

 

 この国の政治を動かすビッグネームの一つ。レッグルヴェルゼと聞いて、大半の人間がまず頭に思い浮かべる名前はそのガルティスである。それほどの知名度を誇る人物だ。

 

「それにしても、あの態度は一体なんなんですか? 躾だとしても理不尽です、どう考えても息子にする対応ではありません」

 

 今のシスカのようにはっきりと罵れるのはやはり時代の流れだろう。大昔はこんな風に貴族をはっきり腐せばそれだけで罪に問われたそうだ。酷い時には斬首にまでなったという。

 

 だが、オルカも彼女と同意見だった。

 

 事情はよく分からないが、相手の言い分も聞かず、一方的に痛罵し手も上げる。上下関係ならばまだしも、親子間でするやり取りとは思えない。

 

 彼には今日初めて会ったが、はっきり言って第一印象は決して良いものではない。

 

「ま、まぁまぁ、そうおっしゃらないでください」

 

 しかし当のスターマンは、何事もなかったかのように苦笑しながら自分たちをなだめた。

 

「……もしかして、古代の遺物がほとんど取れなかったことに関係しているんですか?」

 

 シスカがそう投げかけた。

 

 スターマンはしばし逡巡するように黙ると、

 

「……はい」

 

 落ち込んだような顔でそう頷いた。

 

「えっ? クロ……シスカ、それってどういうこと?」

「今日明日に設けられた休日の理由と似たような理屈よ。その迷宮で多くの出土品が発見されれば、二匹目の泥鰌(どじょう)を得ようとする冒険者がその街に集まってくるかもしれないじゃない? もしそうなったら、迷宮探索の過程で街の店で買い物をさせて、その街の経済に油を差そうって考えよ。稀にその街自体が気に入って永住する奴も出る。そうなればそいつから税金を取れるじゃないの」

「そのとおりです。元々アンディーラとは、昔からそれを繰り返して徐々に規模を広げていった街なのです。ですが今回は残念ながら、冒険者の皆様の頑張りとは裏腹にあまり収穫が無いようで……」

 

 ははは、とスターマンは苦笑する。

 

「でもだからといって、それは貴方が被るべき責任ではないんじゃありませんか? 取れないものは取れないのだから仕方がありません。だというのに、その事で貴方に当たるなんてお門違いもいいところです。何か他意があるのではないかと邪推を禁じ得ませんわ」

「……他意、か…………実は無いこともないのです」

 

 彼は力なく笑うと、その先を続けた。

 

 

 

「なぜなら僕は――彼の本当の息子ではないのですから」

 

 

 

 オルカとシスカは同時に息を飲んだ。

 

「僕は赤ん坊の頃、とある迷宮の最深部に閉じ込められていました。それを当時レッグルヴェルゼ家に仕えていたクリスタルクラスの冒険者が助け出したのです。そして、そんな赤ん坊の段階で身寄りのなかった僕を、不憫に思ったガルティスの夫人――アミティ・レッグルヴェルゼが引き取りたいと言ってくださったそうです」

 

 ――それを聞いた瞬間、オルカの背筋に冷たいものが通過した。

 

 迷宮で――拾われたっ?

 

「父上は最初は猛反対していました。無理もないことです、由緒あるレッグルヴェルゼ家は自分たちの血に特に高いプライドを持っている貴族。どこの馬の骨とも知れぬ赤子を迎え入れるなど言語道断。ですがアミティの必死の説得によって、自分で面倒を見るという条件付きで僕はレッグルヴェルゼ家の一員となれたのです。そしてアミティは僕の義理の母となりました」

 

 ――アミティ・レッグルヴェルゼ。

 

 その名前も、オルカは記憶していた。

 

 ガルティスの妻。すなわちレッグルヴェルゼ夫人と呼ばれた高貴な女性。

 

 元はレッグルヴェルゼと肩を並べるほど名高い貴族の令嬢だったが、親同士が取り決めた縁談で半ば強制的にガルティスと結婚させられたという話は有名だ。レッグルヴェルゼ家は血筋を重んじる一族。それゆえそんじょそこらの貴族では満足できず、自分たちと比肩するクラスの貴族に目をつけたのだろう。

 

 見たことはないが、彼女を語る上で欠かせないのがその類まれな美貌である。

 

 その上、家柄を鼻にかけない懐の深さ、何より聖母のように優しい心を持っていて、周囲の人々からは身分を超えて非常に慕われていたという。

 

 だが、そのアミティは確か…………

 

 スターマンはさらに続ける。

 

「僕は常に母上の隣で育っていきました。父上と兄上たちには常に冷たい目で見られていましたが、母上だけはいつだって僕の味方で、そして僕もそんな母上を愛していました。しかし、母上は僕が十二歳になったばかりの頃に――病で突然この世を去ったのです」

 

 彼の目元には、小さな透明の雫が浮かんでいた。

 

「僕は深く悲しみましたが、泣き言ばかりも言っていられませんでした。母上という唯一の味方がいなくなったことで、父上と兄上二人からの冷遇は熾烈さを増しました。僕の分の食事だけを粗末で少ないものにしたり、食事を床でさせたり、お腹が減っている時に食べ物をこっそり分けてくださっていた使用人の方をクビにしたり…………義理とはいえ子を自分から捨てたということになれば、由緒正しきレッグルヴェルゼ家の名に傷がつくかもしれない。だから父上たちは、僕が出て行かざるを得ない環境を作ろうとしたのです」

「何よそれ……おもっくそ虐待じゃない!」

「……仕方がありません。彼から言わせれば、貴族の血を全く含んでいない僕は妾腹の子よりも下賤な存在なのです」

 

 憤るシスカの言葉に、そう寂しそうに微笑むスターマン。

 

「あ、でも、悪いことばかりでもなかったのですよ? アンディーラはとても迷宮の多い街で、その分多くの古代の遺物や書物に触れる機会があったのです。娯楽のなかった僕はそのような太古のロマンの虜になり、屋敷内にある図書室にて独学で勉強しました。そうして成長する度にそれが高じていき、気がつくと今のような考古学者となっていたのです。しかしそれらはレッグルヴェルゼ家の図書室やあらゆるコネクションがなければ決して成し得なかったことでした。だから僕はこの家を恨んでいません。むしろ感謝すらしています」

 

 今度の彼の笑みは、とても晴れやかなものだった。

 

 それだけでも、彼の今の幸せ具合が伝わってくるような気がした。

 

 赤ん坊の頃から身寄りがなく、引き取られても大好きな母親が亡くなり、残された家族から鼻をつままれる。このような不運の連続に見舞われても、今こうして幸せを手にしている。

 

 彼の人生は、最終的には勝利で終わったと思った。

 

 同じくシスカもそう思ったのか、自分と同様に小さく笑いを見せていた。

 

「さらに僕はもう一つ、ある大きな夢も持ちました。そしてその夢も、この家に来なければ決して見ることのなかったものです」

「夢……ですか?」

 

 スターマンは頷き、そして落ち着いた口調と面持ちで言った。

 

 

 

「あなたがたは――先史文明が滅んだ理由をご存知ですか?」

 

 

 

「滅んだ、理由……?」

 

 コクン、と再度首肯されるオルカ。

 

 あまり考える機会のない事だったので、自分の知っている事を記憶から取り出すのに数秒の時間を要してしまった。

 

「えっと…………確か『天よりの悪魔』に滅ぼされたとか……」

 

 オルカは多少自信なさげに答えた。

 

 自分たちの文明が成立する太古の昔、この地上に君臨していたという先史文明。

 非常に高度なテクノロジーを誇ったその文明だが、ある日天空より地上へ降り立った『悪魔』によって、古代人たちはあっという間に皆殺しにされたという。

 そして今この地上で活動している人間たちは、『天よりの悪魔』による大災厄から運良く生き残った少数の者たちの子孫であるという説が、世間では定説になっている。

 

「ええ……ですがその『天よりの悪魔』というのが、一体何であるかを具体的に説明はできますか?」

 

 ――絶対に無理だ。

 

 そう。この言い伝えで最大の謎は、『天よりの悪魔』の正体が分からないことである。

 

 そのはっきりした正体についてはあらゆる説が唱えられているが、未だ全て推論の域を出ていない。

 

 どうして今その話題を出すのかを、オルカは考えた。

 

 スターマンは考古学者。

 

 つまり、スターマンの持つ「夢」というのは――

 

「僕の夢は――その『天よりの悪魔』の正体を掴む事です」

 

 明確な意思のこもった表情で、スターマンはきっぱりと口にした。

 

「もしも『天よりの悪魔』が、いずれこの文明に牙を剥いてもおかしくない、他人事ではないものなのだとしたら、この命が尽きる前になんとしてもその正体を掴み、そしてそれから逃れる方法を見出したいのです――我々が古代人と同じ結末を迎えることなく、未来永劫平和に暮らしていけるように」

 

 それに、と接続してさらに続ける。

 

「もしも僕がそれを見つければ、今でこそ僕を嫌っている父上でさえも認めてくれるかもしれない。そうなったら一石二鳥ではないですか」

「……レッグルヴェルゼさん」

 

 オルカは思わず呟く。感動を覚えたため思わずこぼしてしまった一言だ。

 

 不幸の連続であるにもかかわらず、決して腐ることなく生き続け、それどころか自分の愛するもので誰かを助けたいとまで言っている。

 

 自分なら、ここまで前向きに生きることはできないかもしれない。だからこそ、それをやってのけられるスターマンに尊敬の念すら抱いた。

 

 スターマンは軽くウインクし、

 

「僕のことはどうぞお気軽にスターマンとお呼びください。まだまだ未踏査迷宮の探索は続きますが、もしも面白いものが見つかったら、是非見せてくださいね。待ってます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい人だったわねぇー……あたい久しぶりに感動したわ」

 

 シスカがしみじみとそう言う。

 

 スターマンと別れた二人は現在、大勢の人で混み合った街中を歩いていた。

 

 道の両側にはあらゆる店がズラリと並んでおり、多くの人々が入口から出たり入ったりしている。

 

「ねえ、あんたはそう思わない、オルカ?」

 

 シスカがこちらへ何事か喋る。

 

 だが、オルカはある言葉が気になっていて、自分の世界に入っていた。

 

「……オルカ?」

 

 思い出すのは、スターマンが自分の事情を話し始めた時、最初に口にした事。

 

 ――迷宮で拾われた。

 

 そんなバカな。それではまるで――

 

「オルカってば!」

 

 張り上げられたシスカの声で現実に立ち戻る。

 

「へっ? ああ、うん、ごめんクロ……シスカ」

「……あんたまた「クロップフェールさん」って呼ぼうとしたでしょ? いい加減慣れなさいよ、もう……」

「ごめんなさい」

「まあ……いいけど。それで、これからあんたの『ライジングストライカー』を直しに『工房』に行くわけだけど……」

 

 『工房』とは、主に機械の開発、修理などを行う店の事である。

 一概に『工房』といってもその種類は多岐に渡り、生活用品専門、石車専門、エフェクター専門などと、店によって専門とする機械が異なる。だが従業員が多く、規模の大きい大手の『工房』だと、複数の機械を専門に取り扱っていることが多い。

 

 そして今回、オルカが立ち寄るべきはエフェクター専門の『工房』であるのだが…………

 

「……どこにすればいいんだろう」

 

 オルカは覇気なく呟いた。

 

 軒を連ねる無数の店の中には、エフェクター専門の『工房』ももちろんあった。

 

 問題なのは、その数がとても多かったことだ。

 

 アンディーラは迷宮の多い街であるため、冒険者の人数もそれに比例して多い。そうであるならば、エフェクター専門『工房』のニーズが高いのも必然といえよう。

 

 だが、これはいくらなんでも多過ぎる気がした。

 

 オルカは改めてそれらを見渡した。店の建物は立派だったり煤けていたりと様々だった。そのいずれを選ぶべきか悩む。安そうな店を選ぶのか、それとも高いけど修理のクオリティを保証してくれそうな店を選ぶのか。

 

 おまけに今回の出費はシスカの財布からだ。できればあまり高くは出させたくない。しかしおざなりな修理をされると後々響く。

 

 そんな風に決めあぐねている内に随分歩いてしまったのか、二人はいつの間にか真っ直ぐ伸びた道を抜けて、見知らぬ広場へと出ていた。

 

 レッグルヴェルゼの屋敷の敷地内のように、円い噴水を中心に円形の広がりを見せていた。石畳も綺麗に敷かれているため、清潔感が漂う。

 

 そして周囲には、カップルと思われる若い男女が何組もいた。

 

 手を繋いでいるだけの連中などまだ可愛いもので、抱き合っていたり、熱いベーゼを交わしていたりするカップルも容易に発見できた。

 

 正直言って、居心地があまりいいとは言えない場所だった。

 

「…………」

 

 隣のシスカもそう感じているのか、頬をうっすらと桜色に染めて黙りこくっていた。

 

 とりあえずここを出よう。そう思った時だった。

 

 

 

 

 

「――――ヘイ彼女、俺と一緒にアンディーラの夕日を見に行かないかいっ?」

 

 

 

 

 

 そんな陽気で軽快なノリを持った声が耳に入ってきた。

 

 ――この声って。

 

 オルカは音源へ思わず視線を移した。

 

 するとそこには自分と同い年くらいの女の子と、その目の前で手の甲にキスをする王子様よろしく跪いた一人の男の姿があった。

 

 獅子のたてがみのように逆立った真紅の髪が特徴的で、精悍な顔立ちと、引き締まった大柄な体格。

 

 それらの特徴を持つ人物に、オルカは一人だけ心当たりがあった。

 

 まさか、あの人は――

 

「――ヘイ彼女、俺とアンディーラの夕日を見に行こうぜっ!」

 

 男は先ほどと似たような口上を再度述べると、片手に持った一輪の花を恭しく女の子に差し出した。どうやら、ナンパをしているようだ。

 

 しかし女の子はそれを受け取らず、男の頬へ「バチンッ」とビンタを一発かましてから去っていった。

 

「やれやれ、最近の娘はシャイだねぃ……」

 

 男は打たれた頬をさすりながら呟く。

 

 だが、少し離れたところを一人で歩く綺麗な女性を見つけると、男は再び目をキラキラ輝かせながら一気に距離を詰めた――滑るような足さばきで。

 

「ヘイ彼女、俺と一緒にアンディーラの夕日を――」

「ウザイッ!」

 

 バチーン、と平手打ちを頂いた。

 

 だが男はすぐに他の美女を見つける。今度はそちらへすっ飛んで行き、

 

「ヘイ彼女、俺と一緒にアン――」

「キモイッ!」

 

 バチーン、ともう一発。

 

「ヘイ彼女、俺――」

「死ねっ!」

 

 バチーン。

 

「ヘイ彼――」

「来世に出直せ!」

 

 バチーン。

 

 その後も粉をかけては撃沈、粉をかけては撃沈を何度も繰り返す男。

 

「……見境ないわね」

 

 シスカがそれを見て呆れ気味に呟く。

 

 しかしオルカの意識は、男の呆れるほどのエネルギーを感じさせるナンパに対して向いていなかった。

 

 我知らず足が進み、男に近づいていく。

 

「ちょっ、ちょっとオルカ!?」

 

 背中側に立つシスカの困惑した声。

 

 オルカは男との距離を先ほどよりもずっと詰め、二メートルほどまで近づくと、尋ねた。

 

 

 

「もしかして——カシュー兄さんっ?」

 

 

 

 男は見せていた背中をピクリと震わせて反応すると、勢い良くこちらを振り向き、

 

「おまっ——オルカじゃんかっ!!」

 

 嬉々として駆け寄って両手を握ってきた。

 

「おいおいおい、久しぶりだなオイ! 元気してたかぁ!? 今何やってんのよお前!? ていうかなんでココに!?」

 

 握った手をブンブン上下させながら、矢継ぎ早に詰問してくる男。

 

「え、えっと……ちょっとお仕事で……」

 

 無駄に元気さを見せる彼に多少気後れしながらも、オルカはそう答える。

 

「オルカ……知り合いなの?」

 

 知り合いどころではない。

 

 子供の頃から、よく見知った顔だ。

 

「いやぁ、可愛い弟弟子にまた会えて嬉しいぜ」

 

 男がそう言って親指を立ててくる。

 

 彼はクランクルス無手術最強の門下生にして、オルカの兄弟子——カシュー・ファルブレルだった。

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