初めて御感想と評価をいただきました! これからも頑張って参りますので、どうかよろしくお願いします!
「それじゃ、俺達は先に部室に行ってるから」
「わかりました」
「仁徳、またね」
「ああ」
午前八時。始業よりも一時間早く到着した俺達は、校舎の入り口で別れ、俺は教授室へと向かい、部室とそう変わらないドアの前でノックした。
返事が来たので、入室する。
「失礼します。本日から御世話になります、逢坂仁徳です」
よろしくお願いします、と言って一礼すると、机で仕事をしていた男性が立ち上がった。
彼は白衣を着込んでおり、黒髪に赤褐色の瞳をしているが、一番気になったのは……右目に傷が出来ており、瞑られているところだ。
「初めまして。君の教室を担当している乙坂有宇です」
「逢坂です。よろしくお願いします」
どこか内山さん似の声をしたイケメンは、「そう堅くなることないよ」と俺の左の二の腕をぽんぽんと軽く叩き、緊張をほぐしてくれる。
その左手の薬指には、綺麗な
(既婚者か。ならこの落ち着かせ様にも納得だ)
「仲村から話しは聞いてるよ。学内は一通り見て回ったかな?」
「実はあまり。昨日
「そうか……。分かった、すまないけど僕はこれから講義があってね……。《
「《SSS》?」
「ん? サークルの話は聞いていなかったのか。『
(なんて名付けセンスの無さだよ……)
俺は額に手を当てながら嘆息して苦笑すると、乙坂教諭は楽しげに笑う。
「それじゃあまだ少しだけ時間があるから、部室まで一緒に行こうか?」
「いや、知人が待っているので大丈夫です」
「分かった。それじゃあ悪いけど、また明日ここに来てほしい」
「分かりました」
俺は一礼してから、教授室をあとにするのだった。
◇
――午後十八時。
「ふう……」
なんとか初日の講義を終え、作成した時間割を提出すると、すっかり外は夕焼け模様だった。
音無先輩と初音はすでに帰宅しているはずだ。流石に迎えに来てもらうのは抵抗がある。
荷物をまとめ校舎を出ようと足を向けると、そこには。
「お疲れ様」
ゆり姉が車のキーを回しながら立っていた。
「どうも。……なんでゆり姉が居るんですかね?」
「初音ちゃんから連絡があったのよ。今日はフルで講義入ってるって」
「そういう事ですかい……」
気の利くお嬢さんだ、と呟きながら肩を落とすと、ゆり姉はくすりと小さく笑った。
「一度旅館に寄るけど、問題ないわね?」
「大丈夫だけど……あ」
そういやトラ、昼飯は大丈夫だっただろうか。というよりも旅館へ行くならトラも連れてくるべきだったんじゃないか?
「何か忘れ物?」
「……いや、なんでもねーですよ。ちょっとした用事を思い出したんで、早く行きましょう」
俺は後ろ頭を掻きながら、小首を傾げたゆり姉と共に駐車場まで歩いて行く。
昨日も世話になった黒い軽自動車のドアを開き、助手席へ座ろうとしたところで――
後部座席に座っている、とある生物に視線が吸い寄せられた。
「トラ!? どうしてお前がここに……。自力で脱出を?」
おっと、今朝の初音のセリフがフラッシュバックしてしまった。
その生物――トラに語りかけると、後部座席でぐったりとした彼(?)は俺を見上げ、手を振った。
「オイラにとっては脱出なてちょろいぬ」
「そ、そうか……。でもどうしてゆり姉がトラを?」
「まあね。音無くん家に居たのを連れて来た、って感じかしら」
ゆり姉は左目を瞑りながら、人差し指でその翡翠色の右目を指差す。
「この子、ホントは旅館に居なきゃいけない子なのよ。一応クロハ様の使い魔、みたいな立ち位置だから」
「そりゃまあ、こんなナリですしね……」
俺は半眼で唸りつつ、助手席へ乗り込む。
するとトラが後部座席から俺の右肩へと飛び乗り、ずるずると滑り台の様に俺の脚の上に下りて行く。
「さて、それじゃ出るわよ」
「うッス。安全運転でお願いします」
任せなさい、とウィンクするゆり姉。俺はふーっとひとつ息を吐きながら、走り出した車の車窓から、徐々に離れて行く学園を眺めるのだった。
仲村旅館へ入り、ゆり姉は肩にトラを乗せた俺を連れて『奥の間』へ向かう。
「オイラは別にここに居なくてもいいんだけどぬー」
「(まぁそう言ってやるなよ。ゆり姉はお前が言葉を話せるだなんて思ってもないんだろうしな)」
小声で会話をしつつ、俺は奥の間に続く和室へ足を踏み入れる。
「クロハ様、トラ様を連れて参りました」
ゆり姉が奥の間へとそう言いながら、俺は肩に乗ったトラの首根っこを掴んで畳へ卸す。
『……ん? トラ、もう帰ってきたの?』
「クロハ、いったん戻ったぬ」
すると、小倉さんの様なロリボイスが後ろから聞こえ、トラと共に振り返る。
「クロ――は?」
見れば、黒髪のおかっぱ、左目には市販の眼帯をつけた、黒い着物姿の少女が居た。
「なに?」
その赤い瞳は、人間味を感じさせない何かがある。そんな瞳が、俺の視線と交錯する。
「アンタがクロハ様ですかい?」
「様はいらん。面倒だろう? ひとのりはわたしがちゃんと見えてるみたいだから許す」
「はあ……そりゃどうも」
俺は後ろ頭を掻きながら頷くと、ゆり姉は辺りを見回しながらも俺へと訊ねた。
「逢坂くん……ひょっとしてクロハ様が見えるの!?」
「ああ、まぁ。そこに立ってる可愛らしい女の子がそうなら、ですがね」
「嬉しいことをいってくれる」
クスリと、驚くゆり姉とはまた違った妖しげな笑みを浮かべるクロハ。
「いかにも。わたしがクロハ。そしてそこの二足の猫がわたしの使いのトラ。改めてよう来たな、あいさか・ひとのり」
「ども……」
「自己紹介はきいてた。仲村の血は薄いはずなのにわたしが見えるなんて珍しい」
クロハはまじまじと俺を見てくる。ゆり姉は息を吐きながら肩を落とした。
「逢坂くん、私はクロハ様がどちらにいるか分からないから、外で待ってるわ」
「あ、あぁ……。わかった」
ゆり姉は「失礼します」と出口で一礼してから、エントランスホールまで歩いていった。
「ゆりはとても良い子。でもわたしが見えなかった。ちょっと悲しい」
そんなゆり姉を、クロハは拗ねたように唇を尖らせて見送った。
「そうだ、それだ。アンタとトラは俺以外の人間にはどう見えてるんだ?」
「トラは普通の猫。わたしはまず人間の目には入らない。でも、見える人間にはいろいろある」
「色々?」
「たとえば、わたしの面倒を見なければならない、とか」
「ンな勝手な……」
「わたしが見える以上、諦めるのだな」
目の前の
俺はそんな彼女を振り返り見ながら、奥の間へ入る数歩前で問いかける。
「他に見える人がいなければ俺がやるしかない、ってことか?」
「そういうこと」
クロハは満足げに頷いた。
「さて挨拶はこれくらいにして、少し出かけるとするか」
そして部屋の角に掛けてあった白紫色の羽織に袖を通す。
「え?」
「フフッ……」
嬉しそうに、しかし妖しげな微笑みは変えないまま、クロハは奥の間から出ていく。
俺は彼女に視線を引かれながら、エントランスから外へ向かおうとしている彼女を奥の間の隣の和室から眺めていると、不意にくいくいっとジーンズが引かれた。
「気になるなら追ってみるといいにゃ」
「あ、あぁ……」
トラにそう言われながら、俺は肩に乗せてエントランスホールへと向かう。
「逢坂くん、どうだった?」
「悪い、ゆり姉。ちょっとクロハを追い掛けてくる」
「え? ええ、まぁいいけど……。ならこれを使いなさい」
俺はゆり姉にクロハを追いかける事を伝えると、ゆり姉は黒いキーを俺に手渡してきた。
「これは?」
「私が使ってたバイクの鍵よ。今後はそれを使いなさい、ガレージは裏手にあるわ」
「分かった。ありがとな」
「音無くんには私から連絡しておくわ、気をつけてね」
「ああ、行ってくる!」
バイクの鍵を握り締めると、すでにエントランスから出ようとしていたクロハへ追いつく。
「クロハ」
「なに? ひとのりも来る?」
「ああ、そうさせてもらいますよ。とりあえず
俺はバイクの鍵を見せると、クロハはキョトンとした様子でそれを見たあと、くすりと笑った。
「ふふっ……あいわかった」
「回してくる、ちょっと待っててくれ」
踵を返し、ゆり姉から言われた通り旅館の裏手にあるガレージへと向かう。
裏手、といっても裏口。古い焼却所などが放置されたところで、旅館が保有している庭とは全く別の場所だ。
そんな所に、一台分の車が入るサイズの黒い倉庫の様なものがポツリと存在している。恐らくあれがガレージなんだろう。
(……ちょっと待っててくれ、とは言ったけども……)
ゆり姉のお古といった手前、暫く使われていない可能性が高い。走る前によく調べておく必要もある。
だが、彼女の性格上最低限のチューニングはしてくれているはずだ。とりあえず待ち人もいるわけだし、俺も確認はしておこう。
そう思いながらガレージのシャッターをあげると、赤塗りのCBR250Sが顔を出した。
周りを見れば、どうやらこのバイクが独占している様だ。実際にバイクはこの一台しかない。調整器具などは壁に掛けられている。ひょっとしたらゆり姉か親父さんが趣味で作ったのかもしれないな。
俺は早速バイクの調子を確かめに入る。
「時間かかる?」
「うおっと!?」
唐突に後ろから声がした。振り返れば、クロハとトラがいる。
「来たのか」
「あそこは日が当ってちょっと暑い。だから、こっちに逃げて来た」
「なるほどな」
そりゃそうだ。こっちは裏口――もとい殆ど陽の当らない場所だ。梅雨といっても高地とあってか日射しの強さは尋常じゃない。それにクロハの服装は黒い和服だ。熱も籠るだろう。
「すいません、もう少し時間がかかりますよ」
「別にいい。待ってる」
そしてクロハは膝を曲げ、俺がバイクをチューニングしているのをまじまじと見て来る。
(なんというか、見られながらっていうのはやりにくいな……)
高校時代、俺は工業科の知人に誘われてガス溶接の資格を取ったことがある。その実技試験では担当者が異常に圧迫してきたのを思い出した。
ただ、あの時とは違い刺すような視線ではなく、興味本位で見られている、というだけで、全く違うように思えてくる。
あの、緊張で手先から冷え切っていく感覚はない。
まあ、見られている時点でやりにくさというのを感じるのは当たり前だとは思うが。
「……こんなもんか」
「できた?」
クロハが立ちあがりながら訊ねてくる。頷いた俺は額に浮かんだ汗を袖で拭ったあと、彼女に紫色を基調とした赤いラインのあるヘルメットを渡す。
ほぼ間違いなくゆり姉のものだろう。
「安全のために、乗る前に被ってください」
「わかった」
俺はショルダーバッグに腕を通し肩に掛けると、バイクをガレージから出してシャッターを閉める。
「んじゃ、行き先を教えてくれますかい?」
「奥山陽湖」
「……それはどうやって行けばいいんですかね?」
「とりあえず学園の中に入ればいい」
「分かりました……」
俺はバイクへ跨ると、クロハはちょこんと横座りをするだけ。
「もう少ししっかり座ってはくれませんかね……。危ないッスよ」
「大丈夫」
ヘルメットを被ったクロハはブイサインをすると、俺の腰に手を回してきた。
俺は嘆息しながらエンジンを掛け、走り出す。
――帰りには目もくれなかった山陽湖の畔にバイクをつけると、結局バイクから落ちる事もなかったクロハはキラキラと茜色に輝く湖とは違う方向――学園の敷地外の森林へと足を向けた。
「クロハ? そっちは」
「ひとのりはくると言った。だったら最後まで」
目の前に目的地があるというのに、クロハは気にせず森の中へと入っていく。
「……はあ、分かりましたよ」
俺は後ろ髪を掻き毟りながら、彼女の後へ続く。
コンクリートで舗装はされていないが、草木などが除去されたその道を、俺達は歩いて行く。
「(なあ、トラ。奥山陽湖っていうのは学園の湖とは違うのか?)」
疑問に思った俺は、俺の隣をてくてくと歩くトラへと訊ねる。
「(うむり。あの湖は人工的に作られた借りの場にゃ。実際の山陽湖はこの先だぬ)」
「(人工物だったのか……)」
少し森を進んだところで振り返り、大きな湖を見る。
あれほどのものを人力で作り上げるのには、かなりの時間と予算がかかったんじゃないだろうか。
「(その実際の山陽湖はあとどのくらいなんだ?)」
「(歩いて十分くらいかぬ)」
「(そんなもんか……)」
「移設された神社もある」
俺らの声が聞こえたのか、クロハは割って入った。
それから神社についての話しを聞く。
なんでも、学園を作るために樹齢五百年の御神木をわざわざ奥山陽湖の畔まで移動させたらしい。それによって、社も移動したという。それだけで学園を作ったところは金と権力があるという事を悟った。
すると、その社が見えてくる。
名前を陽龍神社。赤を基調としたそれはまさしく神社そのもので、どうやら神主さんもいるようだ。生活はどうしているんだろう。
「――おや、ご参拝の方ですか?」
黒髪に眼鏡をしたインテリ系の男性は白い宮司服を着込んでおり、微笑みながら一礼してきた。
「いや……山陽湖を見にきました」
「そうですか、珍しいですね。お若い方で奥山陽湖を見物に来られる方は少ないのですが、こちらから行く事ができますよ」
水島さんのような声をした男性は、神社の左手にある道を指し示した。
「ども」
「いえ、お気をつけていってらっしゃい」
「ひとのり」
俺は会釈で返しつつ、道の前で待っていたクロハへ追いつくべく、速足で向かう。
それからはさっきとそう変わらない道のりで五分ほど。
(これで十分、ってわけか)
神社は五分ほどで到着し、奥山陽湖にはもう五分で着く。トラの言葉もあながち間違いじゃない。
――林から開けた場所へ出ると、そこには小さな湖があった。
大きさはおよそ1キロほど。森の木々は湖を囲むようになっているからか、どこか神聖的な雰囲気を纏っている。
クロハはふーっとひとつ深呼吸をすると、その畔まで歩いて行く。
湖の周りは石ばかりだ。土がないからか少し足場が不安定になる。
「クロハ、足場が」
「大丈夫。ひとのりもおいで」
まるで遊びに誘う様な調子で言われ、俺はため息をつきながら彼女のもとまで歩いて行く。
どうしてかトラは、ついてこなかった。
「ひとのりには、ここを見せておきたかった」
「はあ……」
彼女の元まで辿り着くと、クロハはその赤い瞳で目の前の本来の山陽湖を見つめる。
「ふふ、じっとして」
するとクロハは湖の水を両手いっぱいに汲みあげる。まさか飲むのか?
「梅雨時だというのに、この湖の水はいつも冷たい……」
「そりゃ標高が高いからでしょうね。ここは特に」
まじまじと両手に汲んだ水を見ていたクロハに応えると、彼女は俺へ振り返った。
「ひとのり、ちょっとしゃがめ」
「……まさかぶっかける気じゃないッスよね」
「ちょっとしたまじないと言ったところ。べつに取って喰うわけじゃない」
いいからしゃがめ、と言われ、俺はしぶしぶ膝を折る。
「心配はいらない。濡れたりもしない。これは
まじないという名の悪戯でもあるわけだな。
「……本当ですかね」
「わたしが見えるのなら、まじないも信じてもよいのではないか?」
「すいませんけど、俺は見えない側に居た事がないんでよく分かりません」
「それもそうだ。なら、どうだろう。ここはひとつわたしを信じてみるというのは」
「まあ、ここまで付いてきた手前、とことん付き合いますよ。どうぞ煮るなり焼くなり」
「うむ」
上機嫌になったクロハは、その水を俺の頭にかけた。
「っ」
不思議と冷たくはなかった。濡れた感触もない。
ただ、目を開けば目の前に下りている前髪が光っていた。
いや、髪だけが光っているわけじゃない。身体中が光っている。
なんだこれは――?
「……ふむ」
クロハは真剣そうな表情を浮かべた後、嬉しそうにニィッと微笑んだ。
「この地もひとのりを迎え入れることに賛成したらしい。よかったな、ひとのり」
「何の事ですかい?」
「それは教えない。……とはいえ、この町にとっては大切なこと。そしてわたしにとっては、
「はあ……」
フフフ、と妖しく笑った彼女と顔を合わせると、「ひとのり、もうたって良い」と言われたので立ち上がる。
そしてクロハは踵を返しながら「帰る」といって元来た道を戻っていく。
――今年は特に良い夏になる。良い夏に――
その時にクロハが呟いた言葉が、俺の中で妙に引っ掛かりを覚えたのは、言うまでもない――。