夢幻航路   作:旭日提督

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此方に本作「夢幻航路」の続編構想を先行公開しております。盛大にネタバレがあるので、その点ご注意下さい。私は某副監督とは違って、ネタバレはちゃんと一手間置きます(笑)
https://syosetu.org/novel/185755/
また関連して、上記の先行公開をご覧になられるのであれば最新の活動報告も参照頂ければ幸いです。


ちなみに、「博麗幻想郷(Ⅰ)」が抜け落ちてるのは誤植でもなんでもないです。


第九六話 少女ノ深層

 闇、闇、闇―――――――

 

 一面を漆黒で塗りつぶした、つめたい世界………

 

 星のような彩りも、太陽のように道標となるべき灯台すらない、原初の闇。

 

 もし宇宙(せかい)の終わりがあるのだとしたら、きっとこんな風景になるのだろう。

 

 ゆらゆらと陽炎の如くこんな世界に浮遊しながら、ふと、そんなことを考える。

 

 自分がただ浮かんでいるのか、はたまたゆっくりと沈んでいるのか、そもそも存在しているのかすら怪しくなるほど無意味で無機質な、何処までも続く闇の世界………

 

 胸を貫く錆びた鎖は何処に繋がっている訳でもなく、ただ私の心臓(まんなか)を縛り付けては、なけなしの熱を奪うばかり。冷えきった闇に曝されて、凍てついた鎖に縛られて、指を動かす気力すらも沸いてこない。

 

 

 ―――さむい、よ………

 

 

 唯の少女(よわいじぶん)はその冷たさに耐えかねて、縋り付くように温度(だれか)を求める。

 ………だが、助けなど来ない。来る筈がない。

 

 

 ―――何故なら此所は、私が望んだ悪夢()なのだから………

 

 

 此所は夢、私の世界、泡沫の終末。博麗霊夢の見る深層心理。博麗(わたし)少女(わたし)を殺し続けて、少女(わたし)博麗(わたし)を罰し続ける、絶望の循環。

 

 故に、誰も此所を訪れることなどできない、知ることすらない。永遠に独りぼっちな孤独の牢獄、死ぬまで続く禁固刑。

 

 

 そんな世界に、有り得ない色が混ざり込んだ。

 

 

 視界の先が、一点、黄金色にきらきら輝く。

 

 その輝きは次第に大きさを増していって、遂には闇が取り払われたと錯覚するぐらいには、私の視界を埋め尽くした。

 

「―――よう。久し振りだな」

 

 何処かで聞き覚えのある、濁った声。

 

「なんだ?返事すら無いのか。くくっ、逢う度に噛みついてきたのがまるで嘘みたいだな、え?楽園の素敵な巫女さんよ」

 

 それが魔理沙の声だと気づくまでに、十数秒の時間を要した。

 

 ―――最も大切だった筈の彼女の声でさえ、こんなに霞んで聞こえるのも、やはり罰なのだろうか。

 

 死期を前にした老人のように、耳が遠い。

 彼女が言っている台詞でさえ、半分ぐらいは何を言っているのか分からない。

 

 ―――怒っている、のだろうか。

 

 返事がない私を前に、無愛想な奴だ、と罵っているのかもしれない。

 

 でも、ごめんなさい、魔理沙……………

 

 何を言っているのか聞こえないようだと、どんな言葉を返したらいいのかも分からないの。

 

 ―――そもそも、魔理沙を■した私が今更彼女と昔のように話すなんて、それこそ有り得なくて、許されない話………

 

「………まさか、本物がここまで弱ってるとは思わなかったぜ。お前がこんな有り様なら、あいつらが植え付けた偽物の方がまだマシだ」

 

 魔理沙がまた、何か言っている。

 

 遂にはその全てが、悉く分からなくなった。

 

 ただ魔理沙の音だけが、くぐもった淡い音色が鼓膜に響く。

 

「………哀れだな。見てられないぜ。だけどまあ――拾ってやるぐらいはしてやるよ。昔のよしみで、それぐらいのことはしてやるよ。元々、それが目的な訳だし」

 

 光が、近づいてくる。

 

 手を伸ばすように、光が私を包み込む。

 

「しかし、皮肉なものだな。…………私を殺したお前は完膚なきまでにぶっ壊れて、お前に殺された私はまだ、何とか自我を保ってられてる。………まぁ、色々弄られたことに変わりはないがな。尤もこの身は、霧雨魔理沙というよりはその残骸に過ぎないのだが。………まぁ、残骸(亡骸)どうし、仲良くやろうや」

 

 光のなかに、魔理沙がいるのか。だけど幾ら光に包まれていても、一向に彼女の姿は見えない。

 

 その姿だけでも、一目見ることすら叶わないのか。

 

 ―――やはり、これも罰なのだろう。

 

 今更ながら、視界すら霞んでいるようだ。

 

「ほうら、迎えにきたぜ、霊夢。壊れたオマエに、最期の居場所を与えてやるよ」

 

 触覚すら、今の私には曖昧だった。

 

 だけど、彼女が私の手を取ったことだけははっきりと分かる。今までと違う温度を手先に感じて、辛うじて、彼女の存在を感じることができた。

 

 

 ―――伸ばされた手は、屍のように冷たかった。

 

 

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「うっ、ん…………」

 

 瞼に差し込む光に身体が耐えかねたのか、朧気だった意識が次第に明瞭になっていく。

 

 目覚めの感覚は、最悪だ。

 

 内容こそ覚えていないものの、悪夢のようなものを見ていた気がする。―――いつものように、魔理沙を手に掛ける光景ではなかったような気がするが、それでも胸の内に残った靄のような気味悪さと寒気は消えない。

 

「あ、おはようございます霊夢さん」

 

「―――ん、おはよ……」

 

 傍らから響く、澄んだ声―――

 

 いまや私の右腕といっても過言ではない同郷の友人、早苗の声だ。

 

 悪夢のせいで、もやもやと残る胸糞の悪さに引きずられたのか反応が遅れてしまうが、挨拶だけはしっかりと返しておく。が、自らの口から出たのは小さくて、間の抜けた寝ぼけた声だ。それを見てか、早苗がくすり、と笑いを溢す。

 

「ふふっ、可愛らしい寝起きですね」

 

「な、何よ。文句でもあるの?」

 

 目覚めた矢先にいきなり笑われては、不機嫌にもなるというもの。まぁ、そのお陰で胸糞の悪さが吹き飛んだのだけはは感謝してあげる。ただ嗤うのは別だ。別の方向で機嫌が悪くなる。

 私はよく分からない事情で笑う早苗に向けて、抗議の台詞と目線を送った。だが早苗は、慈しむような柔らかい雰囲気を纏ったまま、私の肩に垂れる髪を撫でた。

 

 ―――そんな彼女の表情が、ふと、記憶に刻まれた(ゆかり)と被る。

 

 ………っ!?

 

「………どうかしましたか?霊夢さん」

 

「ゆか………り………?」

 

 ―――彼女の表情で、何もかもか吹き飛んだ。

 目覚めに感じた、胸糞の悪い悪夢の残り香も、早苗の挑発で上った血も、一瞬で心の底まで鳴りを潜めた。

 

 月光のように、寒さとあたたかさを併せ持った慈母の如き微笑みが、何故か、よりによってあの胡散臭い(一番信頼してる)スキマ妖怪と被って見えた。

 

「う、ううん………何でもないの」

 

「むっ、そういう訳にはいきません!他の女の名前を呼ぶなんて不義理です!!ふんっ、霊夢さんのことなんて知りませんよ!?」

 

 あの微笑みはあっという間に崩れていき、早苗はぷんすかと、わざとらしく怒って顔を背けながら言い放った。―――その様子がひどく滑稽で、思わず私も笑みを溢してしまう。

 

 ―――やはり、あの声は聞こえていたらしい。

 

 面倒な空気にはなったが、ころころと表情が変わる早苗が面白くて、ついつい気分が和む。

 

「ふっ………クスッ。――いやぁ、あんたって相変わらず五月蝿いけど面白いわね」

 

「むうっ!何なんですかその言い方は!?馬鹿にしてるんですか!?」

 

「ふふっ、ごめんごめん…………やっぱりあんた、面白いわ」

 

 先程までの聖母のような慈しみは何処へやら、今の早苗は、すっかり相手の気を引こうと可愛らしい意地悪を繰り返す子供にしか見えなかった。

 その矛盾がやっぱり可笑しくて堪らなくて、また笑い声が溢れてしまう。―――今度は、魔理沙と一緒にいたときのような、陽光にも似たあたたかさ………

 

 そんな私の顔をみながら見ながらうーっと唸り続けていた早苗だが、ふと彼女の表情が一転する。

 

 可愛らしく頬を膨らませた幼子から、不穏な悪戯を思い付いた幼子のそれへと。

 

 再度の豹変を前にして、ぞくり、と背筋が凍る。

 

 ―――そうだ、この表情は………

 

 彼女が何か、よからぬことを口走る寸前の顔だ。

 

 私は即座にその場から逃げ出そうと布団を蹴るが、果たしてそれは間に合うことなく、早苗の口から爆弾が飛び出した。

 

 

「………霊夢さん、昨日はあんなに乱れていた癖に」

 

 

「ぐっ…………!?」

 

 早苗の口から飛び出した爆弾発言、それは昨夜の逢瀬(霊力供給)を揶揄する台詞だった。

 

「ばっ……馬鹿じゃないの!?それはあんたが……!」

 

「霊夢さん、こんな言葉知ってますか?嫌よ嫌よも好きのうちって。本当は嬉しいくせに」

 

「な、何を言って………前から言ってるけど、アレはあんたが必要だからって言うからで、私はそこまで許した訳じゃ………」

 

 痛いところを付かれてしまって、らしくなく思わず狼狽えてしまう。

 なんとか言い訳じみた反論を捻り出したはいいものの、それが更に、火に油を注ぐ結果となってしまう。

 

「ふぇ!?じゃあやっぱり私とは遊びだったんですか…………!?」

 

 ―――駄目、もうめんどくさい………。

 

 昨夜、早苗に無理矢理剥かれて乱れた寝間着の襟元を今更ながら直す私に、早苗はいかにも演技だと言わんばかりの仕草で嘘泣きを始めた。

 

 大体、約束は早苗が必要だからという理由で、霊力の譲渡だけを認めていたものの筈だ。だから早苗が必要な分だけ霊力(チカラ)を吸わせてやるという建前の筈が、何をとち狂ったか私の寝間着にまで手を掛けて剥き取ろうとして………その、一応は認めてないこともないのだけれど、それはあくまでもっと慎みを持ってというか…………ああもう、止めよ止め。大体こいつは遠慮というものを知らなさすぎるのよ、私の気も知らないで。

 

 ―――そもそも、やっぱり私が誰かと求め合う資格なんて…………

 

 そうよ、だからせめて、建前は守って欲しいのに、こいつはいつもずかずかと―――図々しいのよ………

 

 火がついてしまえば延々と燃え広がる大火のように、一度はすっかり鳴りを潜めた筈の負の感情が、間欠泉のようにどばどばと心の底から溢れ出す。

 

「………霊夢さん?」

 

 途端に静かになった私を訝しんでか、心配そうに顔を覗かせる早苗。

 

 ―――本当に、どうしてこの娘は………

 

 私のことなんて何も分かっていない癖に、そうやって私を一番に考えてくれる。なんで、私なんかに。こんなに醜い、人の形をしただけの血に濡れた絡繰人形に。

 

 どうして………

 

「………………」

 

 魔理沙とは、生涯腐れ縁のままだった。

 

 お互いに、意図して表層しか見ていなかったから。

 

 紫とは、思うだけ一緒に居られなかった。

 

 お互いに、成すべき役割と立場があったから。

 

 魔理沙は私にとって、届かなくても傍らで輝き続ける太陽()でいて欲しかった。

 

 紫は私を分かってくれた上で接してくれていたみたいだけど、立場がずっと邪魔をしてた。

 

 だけど早苗は、この娘は………

 そんな垣根なんて簡単に飛び越えて、私の心に居座ってしまう。しがらみなんて打ち壊して、ずかずかと土足で他人の深層に上がり込む………

 私の中なんて貴女が思うほど綺麗じゃないのに、どうしてここまで、早苗は私の隣にいることを望むの……?

 

 ………こんな様では"空を飛ぶ程度の能力"なんて自分から言うのが馬鹿らしくなる。

 ………地に縛られているのは私の方で、よっぽどこの娘の方が、空を飛んでいるじゃない。

 

 そう考えると、自分の姿が酷く滑稽に思えてくる。

 

 私はもう巫女ではない筈なのに、心は未だに"博麗の巫女"のまま。

 対して早苗はまだ風祝を続けている癖に、その有り様は天真爛漫、自分がまま。

 

「………霊夢さん、やっぱり何かあったんですか?」

 

 早苗の問いに、私は答えられない。

 

 ………応えてしまえば、早苗との距離感が今よりもっと縮まってしまいそうで………それは、駄目。

 今の距離感が最大限妥協した上でのもで、それでも唯でさえこうして惹かれてしまっているというのに、本当に全部許してしまったら………

 

「―――さっきまで黙ってましたけど、私……また見てしまったんです。霊夢さんが、魘されている様を。―――あのときみたいに、また悪い夢でも見たんですか?」

 

 早苗の問い掛けは微妙にずれてはいたものの、原因がそれに近いことは確かだった。

 

 ―――何も見えていないようで、やっぱりちゃんと見えているじゃない………ばか。

 

「………うん、そうみたい。―――昔みたいに、内容まではっきりと覚えていないのだけは救いだけど」

 

「そう、ですか………」

 

 ここまできたら、もう隠すことなんて出来ないだろう。

 

 私は素直に、早苗の指摘を認めた。

 

 直接悪夢に起因する訳では無いのだけれど、そもそも悪夢を見る原因が、この醜い身体にあるのは確かなのだ。なら、どっちだって同じことだ。

 

「―――大丈夫ですよ、霊夢さん。いつでも私が隣にいてあげますから」

 

「………ありがと」

 

 ぼそり、と小さく感謝の念を贈る。

 早苗の耳元でしか聞こえないぐらい、小さな声で。

 

「はい。だからもう、怖くなんてないですよ―――」

 

 そして早苗は私をあやすように囁くと、私の身体を抱き止めた。

 

「さな、え………?」

 

「………もう、駄目ですよ霊夢さん。貴女は一度、私を受け入れるって言ってくれたんですから。今更逃げるなんて、そんなの私は許しません。大人しく癒されていて下さい」

 

「そう………だったわね。ごめんなさい」

 

 昔みたいに、拒絶することなんてできない。

 

 だって私は、あのとき悪魔(早苗)の手を取ってしまったのだから。

 

 今更断っておけば良かったなんて、後悔するにはあまりにも遅すぎる。

 そして私は、不思議とあのときの選択を、後悔する気にはなれなかった。

 

 やはり、無意識のうちに自分は救いを求めているのだ。幾ら一人になろうとしても、心はそれを拒絶する。今の早苗が魔理沙や紫に重なって見えたのも、昔のように、隣に居てくれる存在を強く望んでいる証拠だ。

 ―――いや、早苗は彼女達とは違って、容易に壁を飛び越えてくる。そんなところに、私は惹かれていたのかもしれない。

 

 魔理沙からの好意には、敢えて目を向けないように努めてきた。私の泥が太陽(星光)を、汚してしまうことがないように。彼女の好意がどんな性質のものだったか、今となっては、その真意は分からない。―――あのいけすかない人形師と、上手くやっていることを願うばかりだ。

 

 紫のそれは………どちらかというと、親子や歳の離れた姉妹のような………そんな感じがした。唯一、本当に心を曝け出して甘えることができた相手、ただ一人、弱みを見せることができた人。

 だけど彼女は妖怪で、私は人間。幻想の賢者と、博麗の巫女。私は誰にでも平等でなければならず、例外は許されなかった。お互いの立場が、関係を歪なものにしていた。

 

 だけど早苗は、一切の柵を無視して私だけを見てくれている。伸ばされた手を、掴みとれる距離にいてくれる。俗っぽくてどこか抜けてるところが、寧ろ垣根を越えてくるのに一役立ってくれている。………彼女がこんなにも私へ入り込んでくる理由が、私が博麗でなくなったせいかもしれないけれど、――それでも嬉しいと思えるぐらいには、人並みの感情が私にも残っていた。

 

 昔はただの、ライバルの同業他社な知己でしかなかったのに、今ではこんなにも、彼女のことが愛しい。

 

 早苗ならば、私の泥なんて平気で跳ね返してしまいそうな、不思議とそんな安心感があった。―――だから、私も彼女の隣にいるという選択ができたのかもしれない。

 

「いえ、構いません。―――今はまだ難しくても、ゆっくり変わっていけばいいんですから。この際、他の女の名前を呼んだのは不問にします」

 

「………ふふっ」

 

「もう何ですか霊夢さん!また笑ったりなんかして。………私ががんばって癒してあげてるのに」

 

「いや………あんたと居ると、落ち着くなぁって」

 

「そ、そうですか……?えへへ、―――れ、霊夢さんの役に立ててるのなら、私も本望ですけど」

 

 えへへ………と早苗が、蕩けた笑みを私に見せた。

 

 その表情は心底嬉しそうで―――やっぱり、それだけでも彼女を受け入れてよかったと思えてくる。

 

 早苗の隣にいると、不思議なことに、私の泥が洗い流されていくように感じた。

 

「だから―――、一つだけ、霊夢さんのお願いを聞いちゃいます」

 

 さぁ、何でもどうぞ!と言わんばかりに、私の身体から離れた早苗は両手を広げる仕草を取った。

 

 ―――えっと………なににしよう………

 

 お願い……なんて言われても、いきなりそう思い付くものではない。流れからして、甘えさせようとしてくれているのは何となく察しがつくんだけど……

 

「じゃ、じゃあ………」

 

 ―――思い浮かんだ願いは、たった一つ。

 

 でもその願いがあまりにも馬鹿馬鹿しくて、口にすることすら憚られる。

 

 だけど、私は………どうしてか、アレが欲しくて堪らなかった。―――いや、贈られたかった……

 

 

「………毒人参、ちょうだい―――?」

 

 

 直後、「へぇっ!?」という、早苗の間抜けな声が響いた。

 

 

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「………もう、びっくりさせないで下さいよ、いきなりあんなこと言い出すなんて」

 

「ごめんごめん、その………つい、欲しくなっちゃって………」

 

 廃艦状態の〈開陽〉と現旗艦〈ネメシス〉を繋ぐ渡り廊下を、私と早苗は並んで歩いていた。

 

 昨夜は廃墟と化した〈開陽〉の神社で眠っていたので、これから仕事に向かうには、この道を通らなければならない。

 ちなみに今は2隻とも移民船の宇宙港に並べられていて、移民船から〈ネメシス〉、そして〈開陽〉と渡れるように特設の廊下がそれぞれ設けられていた。

 

「―――理由、聞いてみてもいいですか?まぁ………これで大体察しましたけど」

 

 そう言いながら早苗は、髪飾りと一緒に指していた二輪草を、手に取って弄ぶ。

 

 あの花を欲しがった理由………恥ずかしくて全部言える訳もなく、私は表向き用意した理由だけを早苗に語った。

 

「うん………その、ね?………昔のことを思い出して、それで………」

 

「昔のこと……?幻想郷のこと、ですか?」

 

 小さく縦に頷いて、私は早苗の言葉を肯定する。

 

「あのね………昔、魔理沙からそれを贈られたことがあったの。"ドクニンジンのサラダ"なんて、可笑しいでしょう?こいつは私を殺すつもりなのかと思ったわ。………まぁ、ただの悪戯だったんだけど」

 

 一見早苗とは、なにも関係無さそうな理由………だけど、私はあの花に込められた意味を知っている。

 

 ―――魔理沙がアレを贈った真意は今となっては確かめようもないが、それでも………あの花に込められた意味が真だとしたら、彼女はやっぱり、薄々と気が付いていたのかもしれない。

 

 だから本当は、私の方から贈るのが正しいのかもしれないのだけれど、あんな可愛げのない毒草を、星のような早苗に贈る訳にはいかなかった。―――あまりにも、似合わない。………だから私が、貰っておく。あのときとは意味の向けられた方向が逆だけど。

 

 きっと私より女の子らしい早苗のことだから、込められた意味も、お返しで贈った二輪草で気付いてくれるかもしれない。

 

 二輪草なら、愛らしい彼女にも似合っているし、そして語呂合わせも意味も、丁度いい。

 

 

 ―――私が愛を向けた人は、同時に私の命取り………

 

 誰にでも平等でなければならなかった私にとって、誰かをそれ以上の特別にしてしまうことは許されざることだった。

 

 魔理沙には一歩踏み出すことすらできず、紫とは少ししか一緒に居ることができなかった。……早苗なんて、多少覚えのいい有象無象だ。そこそこ仲は良かったとは思うものの、ただそれだけ。決して特別には成り得ない。

 

 それが漸く解放されて、やっと余裕が出来たのかもしれない。だけど未だに、私のあり方はあの頃に囚われていた。思い出さないように心がけても、一人のときは、ふと何かの拍子に沸き出してしまう。

 

 ―――誰かを"特別"にしてしまうと、それが錘になってのし掛かる………

 

 そんな私には、未だにあの言葉がお似合いなのだ。

 

「はぁ………回りくどいですねぇ、霊夢さんは。そんなのが表向きの理由だなんて、簡単に想像ついちゃいますよ」

 

 ………やはり、早苗には何もかもお見通しだった。

 

「そもそも同時に二輪草を贈っておいて、毒人参を欲しがる理由がそれだなんてあり得ないです。毒人参は花言葉は"死も惜しまない"。―――そして、"貴女は私の命取り"。この意味が自分みたいだ、とか、どうせそんな理由なんでしょう?魔理沙さんも、霊夢さんのことをよく見てたんですねぇ。―――本当、今の霊夢さんにぴったりです。束縛は嫌う癖に、それでいて生への執着は薄い。誰かを特別にする度に、死んじゃいそうなぐらい苦しんでる。………どこまで自虐的なんですか」

 

「ううっ………」

 

 なんだか、説教されているみたい。

 

 早苗はこういうとき、お姉さんぶるような態度を取る。だけど不思議なことに、それが嫌な気はしなかった。

 

「ちょっと、聞いてるんですか!?」

 

「う、うん………だいじょうぶ、ちゃんと聞いているから………」

 

「もう………本当に心配してるんですよ?」

 

「わ、わかってるから………」

 

 突き刺さるような、早苗の視線が痛い。

 前世でも、ここまで親身になってくれる人なんて殆ど居なかった。魔理沙にはぼろを見せないようにしていたし、紫は多分、分かってたけど遠回しに警告するぐらいしかできなかった。強いて言うなら、一時期居座っていたあの仙人が近いだろう。

 けど、彼女は私の特別ではなかった。

 

「……ですが、まぁ………この花を贈ってくれたので、この件は許してあげます。また他の女の名前を言ったのも、あれだけ言ったのにまだ霊夢さんが自虐的なのも」

 

 早苗はそう言って、自らの手にある二輪草へと視線を落とした。

 

 硝子細工をそっと撫でるような手付きで、彼女は花を慈しむ。

 

 ………丁度、廃墟と化した〈開陽〉の自然ドームの中は、早春の季節だったのが幸いした。お陰でこの花を、早苗に贈ることができた。

 

「二輪草の花言葉は"友情"と"協力"に、最後の一つが"ずっと離れない"でしたね。それに二輪草は3月7日の誕生花。私の名前と、数字を掛けているんですね。………ふふっ、霊夢さんにしては上出来です♪」

 

 早苗は満足気に、かの花の意味を口ずさむ。

 

 ………やはり、褒められるのは馴れてなくて、恥ずかしい………。

 

 お世辞でも皮肉でもなく、向けられた純粋な称賛に、どう応えていいのか分からなくなる。

 そしてつい、いつものように刺のある対応をしてしまうのだ。

 

 だけど、早苗のお陰で心の中があたたかい。………頑張って、意味を調べてよかった。

 

「な、何よ………そんなにニヤニヤして………」

 

「いやぁ、いつもの可愛らしい霊夢さんに戻ってくれて何よりだなぁと。………これはやっぱり、"三番目"として受け取ってもいいんですね?」

 

 悪戯っぽい、小悪魔のような早苗の囁きが耳に響く。

 

 そんな蠱惑的で可愛らしい早苗を前に、体温がぐーっと一気に上がっていくのを感じた。

 

「……~~っ!?か、勝手にしなさいよ、もう……!」

 

 またしても、早苗に向けて威嚇じみた態度が出る。

 嫌よ嫌よも好きのうち、と彼女は言ったが、今の私は正にその通りだった。

 

「クスッ………やっぱり霊夢さん、ちょっと怒って膨れてるのが可愛いです♪」

 

 だけど早苗は、私の扱いなど馴れていると言わんばかりに、吠える私を軽くあしらってしまう。

 

 そうして余計に恥ずかしさが増してしまうのだが、早苗はそんなの何処吹く風と、終始私を振り回し続ける。

 

 ―――本当に、私の気も知らないで………っ♪

 

 今は少しだけ、早苗のお陰で気が楽だ。

 

 

 

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 .............................

 

 

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 ~〈ネメシス〉作戦会議室~

 

 今日の業務のためにいつも会議室へ足を運んだのだけれど、今日はなんだか、いつもと違って慌ただしい。

 シオンさんは端末から矢継ぎ早に指示を飛ばして、サナダさんは深刻そうな表情で俯いている。

 

「あれ………?なんだか今日は様子がおかしいですね」

 

「うん………何かあったのかな?早苗はなにか聞いている?」

 

「いえ、何も………」

 

 まがりなりにも早苗は艦隊最高峰のAIで、艦隊に関する情報なら即座に彼女と繋がっているコントロールユニットに送られる筈だ。完全に東風谷早苗と化したせいで忘れがちになるが、元々彼女の身体は、サナダさんのすごい発明なのだ。

 にも関わらず何も分からないと言うのだから、事は艦隊そのものに関するものではないのかもしれない。だけど様子から見るに、深刻な事態であることは間違い無さそうだ。(そもそもこのときの私は、〈開陽〉がぶっ壊れているせいで早苗に情報が行っていないという事実を、完全に忘れていた)

 そしてやはり、いつものメンバーには焦燥感が漂っている。

 

 そんな彼らの反応を訝しみながら入室した私達に、ようやく気づいてくれたのか、サナダさんが声を掛けた。

 

「………来たか、艦長」

 

「え、ええ………なんか騒がしいみたいだけど、何かあったの?」

 

 サナダさんは、私の問い掛けを前に視線を下げた。

 

 申し訳ない、と謝っているようにも、あまりにも深刻な事態を前に悩んでいるとも、どちらにも取れるような仕草だった。

 

「………艦長、よく聞いてくれ」

 

「え?………、うん………」

 

 重苦しいサナダさんの声を前に、私はただ、頷くことしかできなかった。

 

 そして彼の口から、衝撃の事態が告げられた。

 

 

「―――霊沙君が、消えたんだ。唐突に、忽然とな」

 

 

 …………え?

 

 ―――霊沙って、アイツが………!?

 

 それを聞いた瞬間、頭の奥底に沈んでいた、あの澱んだ今朝の悪夢の記憶が、走馬灯のように脳裏を走った。




毒人参に込められた意味は、霊夢ちゃんなりのサインです。未だに心の整理がついてなくて、自分は未だ"博麗…に囚われたまま。だから誰かを特別にすることは、同時に大きな影を落としてしまう。―――30代40代ぐらいにもなればある程度は割りきれますが(何事もなければ)、間の悪いことにここの霊夢ちゃんは、肉体年齢に引き摺られて精神も幼くなっています。なので本格的にぶり返してます。

なので、"あなたは私の命取り"。

茨のドクニンジンに意味があるなら、われらが神主はやっぱりダークです(笑)………ただ、てゐにチョウセンアサガオ(偽りの魅力、愛嬌)は確実に確信犯なので、此方も単なるまりたゃの悪戯とは言い切れないのが不穏ですが………
まぁそれでも早苗さんはお構いなしに取って食って、それを忘れさせてしまうぐらいに霊夢ちゃん鳴かせちゃうんですがね。というかそれしか出来ません。ブレーキがぶっ壊れてます。ただ、処置としては悪くないです。茨でも言及されていた通り、ちょっと怒らせるぐらいが丁度いいです。愛でに愛でて、恥ずかしさで一杯にして怒らせた方が、霊夢ちゃんにとっては良い結果になります。
なので霊夢ちゃんの隣に居るのは、ぐいぐい引っ張っていくタイプの方がいいんです。ゆかりんに存分に甘えられる世界線なら大丈夫ですが、ゆかりんと比較的疎遠だと本当に一人です。金髪の子は、霊夢ちゃんを照らす太陽になることはできても、霊夢ちゃんの闇を取り払うことは出来ません。強すぎる光はむしろ、濃い影を生んでしまいます。加えてまりちゃーはヘタレです。ヘタレ過ぎて業を煮やした霊夢に喰われます(故に、マリアリの場合は人形師に籠絡されて酷いことになりますw)。霊夢を引っ張るどころか振り回されていたらお話になりません。ただ、それで霊夢ちゃんが満足することもあるので、そうなれば別に問題はないんですけど。そもそもレイマリは危うい均衡の上に成り立っています。周りが常にそれとなく軌道修正してあげるか、当人達が問題を解決しない限り、両方ともズブズブと沼に堕ちていきます。まりちゃーもかなり深い闇抱えてるからね、仕方ないね。水属性だもんね。

寧ろこれが中途半端に遠慮してしまうと、変なスイッチ入って自壊します(→レイマリBad)。実際本作では、回を経るごとに壊れかけてました。まだ壮年の落ち着きが残っていた序盤はともかく、一度早苗さんを突き飛ばした辺りでは完全に精神年齢と肉体年齢が一致してます。表面上何ともないように振る舞えていたのは、幸い本屋の娘も金髪の子も手に掛けることがなかったからです。このタイミングならまだ間に合います。一方で、間に合わなかった博麗霊夢は………
それが本能的に分かっているので、早苗さんはとにかく全力で霊夢ちゃんを愛でにいきます。気を抜いたら離れてしまうと察しているから、変態と罵られようと霊夢ちゃんから離れません。トリモチランチャーで無理やりくっ付くぐらいの勢いです。それとなく空気を察して控えめになることはあっても、その代わり夜は普段以上にベタついてきます。そんな早苗さんには、やはり二輪草が似合っていると思うのです。丁度"3月7日は早苗さんの日"ですからね。


………霊沙の正体、流石にもう気付かれましたよね?

本作の何処に興味がありますか

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