ペロロンチーノの煩悩   作:ろーつぇ

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第十二話:死都エ・ランテル 後編

「モック! お前と一緒に戦うのは何年振りだったか──なぁ!」

 

 迫り来る骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の前脚を受け流し、すれ違いざまに一太刀浴びせるイグヴァルジ。

 しかし、やはりというべきか。斬撃によるダメージは薄く、狙った前脚は断ち切れるどころか、やっとヒビが入る程度だ。

 まるで痛みを感じさせない動きで振り向いた、竜を模した骨の顔はどこか嗤っているようにさえ思えた。

 

「覚えちゃいねえ──!? イグヴァ! 後ろだ!!」

 

 後ろを振り返るまでもなかった。自分の立つそこだけが、覆いかぶさる影で一層暗くなるの感じ取れたからだ。

 回避は──ダメだ、間に合わない。

 咄嗟にかざした剣を盾に、巨大な塊を受け止める。

 ズシリ。骨が軋むようだった。膝は地に着き、押し潰されるまであと何秒保つかわからない。

 振り下ろされたのは死体の塊。無数の死体が集まって出来た4mを超す巨大なアンデッド、集合する死体の巨人(ネクロスオーム・ジャイアント)の腕だった。

 

 (ふざけんな! 魔法詠唱者(マジックキャスター)共は何をしてるんだ。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)2体をたった4人で任されてやってるというのに、こんなデカブツを通しちまうなんて!)

 

 しかし、悪態を言葉にする余裕すら生まれない。

 

(こんなところで終わってたまるか。俺がトップに、オリハルコン、アダマンタイト、いや……英雄と呼ばれる存在になるんだ!)

 

 それはイグヴァルジの夢だった。子供の頃、村にやってきた詩人の英雄譚(サーガ)を聞き、今まで追い求めてきた夢だ。自分以外の強者は必要ない。仲間など自分が頂点を取るための道具に過ぎない。ただ自分こそが、かの十三英雄という世界を救った英雄になるんだ。

 そう。求めたのは英雄だった──

 

 「──暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)ォオオ!!」

 

 天から声が届くの先か、爆風が先か。

 ほぼ同時だったと思う。のしかかっていた重みが消えた次の瞬間には、イグヴァルジは後ろへゴロゴロと吹き飛ばされていた。

 視線の先に4mを超す死体の塊はもういない。代わりにそこから立ち上がったのは聖女のごとき美しい女だった。手にした大剣の刀身は夜空に浮かぶ星の輝きを有し、不釣り合いのようでいて、けれど妙に似合っていた。

 

 口をあんぐりと開け、見惚れてしまいそうになる自分を叱責する。

 敵はそれ一体ではない。まだ凶悪なアンデッドが3体も残っているはずだ。

 

「オラァッ!」

 

 担ぐのがやっとと思えるような刺突戦鎚が振り回される。遠心力で加速されたそれは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の頭を打ち砕く。

 だが打ち砕いてなお、その勢いは止まらない。反動を巧みに制御して、そのまま2体目の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に向かう瞬発力と変換したのだ。

 その巨体から考えられないほどの加速を見せた戦士は瞬く間に2体目に肉薄すると、頭部目掛けて大きく振りかぶり──そして振り落とす。

 しかし、外れだ。刺突戦鎚の先端は目標を失い地面に打ち付けられた。

 確かに速攻な攻撃ではあったが、このクラスのアンデッドともなると、真正面からの単純な攻撃では躱されることもあるだろう。

 大振りな攻撃を外し、バランスを崩した隙だらけの戦士の前には、高く振り上げられた骨の前脚が迫る。

 

(《即応反射》は? チッ! 使えねえのか!?)

 

 《即応反射》は強制的に姿勢を戻すことで攻撃後の隙を打ち消す武技だ。数ある武技の中でも習得すべき順位が高いそれを、目の前の戦士が使えないとは思ってもみなかった。

 予想される結末にイグヴァルジが目を逸らしたくなったその瞬間──

 

「砕けや!!」

 

 覇気が込められた怒声と共に、刺突戦鎚が突き立った大地が砕ける。まるで大地震がそこにだけ生じたようだった。

 足元が一気に破壊されたことと、それによって生じた衝撃波により、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の動きは封じられる。そこからカチ上げられた刺突戦鎚が骨の頭部を吹き飛ばし、偽りの命を散らすまでは瞬き一つの出来事だった。

 

 残るは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)あと一体。

 〈火球(ファイヤーボール)〉をも連発で放てる凶悪なアンデッドだ。戦闘は苛烈を極めているに違いない。

 しかし、イグヴァルジの視線の通る先にはそのような光景は映っていない。代わりにこの戦場にあって、涼し気な声が聞こえて来る。

 

「おう。そっちも片付いてるようだな」

「当然」

「一人で2体はずるい」

 

 そこに居て、そこに居ない。視線を外せばたちまち見失ってしまうほど、闇に溶け込んでいる影の薄い女が二人──それを今、初めて認識する。

 そして、その足元に転がるのはただの屍。既に頭部と体は別れを告げ、地に伏していた。

 

「わりぃな! けど、あんなすげぇもんずっと見せられてたんだ。(たぎ)っちまって、一発じゃ収まらねぇって!」

「はいはい、呑気なこと言ってないの! さあ怪我人を連れて壁内まで退くわよ!」

 

 間違いない。こいつらは英雄と謳われるアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”だ。

 この時、イグヴァルジの心の中に宿った感情は助かったことによる安堵や、本物の英雄を目にした歓喜や憧憬ではなかった。

 むしろ力の差を目の前でありありと見せつけられたことにより、薄暗い感情が渦を巻く。

 

 悔しい。何故自分が助けられ、助ける側ではないのか。

 羨ましい。何故自分に力がなくて、あいつらにあるのか。

 憎たらしい。何故……そんなに魅力的なのか。

 

 イグヴァルジは白銀の鎧に包まれた麗しい女──ラキュースを睨みつけ、決意を新たにする。

 今に見ていろ。いつか必ずその地位から引きずり下ろし、そして自分の手の内に収めてやる、と。

 

 不快な視線を浴びせられながらも、それを無視してラキュースは天を仰ぐ。そこにあるのは相も変わらず薄暗い雲が広がるばかり。

 何も居ないことを確認したその顔は、どこか儚げで少し寂しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 深く濃い霧に覆われたエ・ランテル外周部。墓地のある西側へ進むにつれ、アンデッドの気配とともにその濃度はさらに濃くなるようだ。

 

 徘徊する数多のアンデッドの頭上をイビルアイは難なくすり抜けていく。本来、命ある者に対して貪欲に牙を剥くアンデッド達だが、側を通りすぎてもなお、感心を示そうとはしなかった。

 その秘密は先程外した一つの指輪にある。イビルアイが人間社会に紛れて生活するのに必須なそれは、アンデッドの気配を隠蔽するマジックアイテムだ。

 これにより、同じアンデッドであるイビルアイ側から敵対行動をとらない限り、知能の低い低位アンデッドは襲っては来ないという寸法である。

 

 イビルアイは前方に大きな建物の影が見える所までたどり着くと、速度を緩め足を地に着けた。

 墓地にある大きな建築物ともあれば、それは霊廟だろう。しかし、イビルアイの目線はその手前に整列する物々しい軍勢に固定された。

 

「ここで間違い無いようだな……」

 

 この忌わしき災厄を引き起こした術者は外周部の何処かに潜んでいる、という推測は当たっていたようだ。

 魑魅魍魎。この世のどんな冒険者でもあっても尻尾を巻いて逃げ出してしまいそうな、そんな光景がイビルアイの目の前に広がっていた。

 

 イビルアイは北側から反時計回りに、そして内周部へラキュース達を運び終えたペロロンチーノは時計回りに捜索を行う手はずになっている。

 半分どころか、その更に半分も周らない内に目的地へたどり着けたのは僥倖と言えよう。だが逆にそれは、強力な助っ人であるペロロンチーノが到着するまで時間がかかると言うことでもある。

 目に見えているアンデッドが全てでは無いだろう。敵の正体も判らぬ情報不足なこの状況で闇雲に飛び込むのは危険すぎる。安全を期すなら彼との合流を待つべきだ。しかし、時間が経てば経つほどアンデッドの数は増え、状況は悪くなる一方なのもまた事実。

 

「……何を恐れているのだろうな、私は。これでも伝説にすら謳われる女。例え()()の“死の螺旋”であったとしても、私自身が乗り越えねばならない壁だ!」

 

 イビルアイは地を蹴り〈飛行(フライ)〉により飛び上がるとアンデッドの軍勢の前に躍り出た。

 

「まずは数を減らさせてもらうぞ! 食らえ! 〈結晶散弾(シャード・バックショット)〉!」

 

 初手に選んだのは彼女のお気に入りの魔法だ。拳よりも若干小さめな結晶の散弾が撒き散らされる。

 弾雨に晒されたアンデッド達は大した抵抗も出来ずに崩壊し、物言わぬ屍となって次々と大地に沈んでいく。

 

 広範囲に連続で放たれた魔法によって、百に近い数のアンデッドを一気に潰せた。だが、やはりというべきか。土埃の向こう側から憎悪が込められた視線を感じる。

 耐え切ったアンデッドは全部で6体。魔法への完全耐性を持った骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が5体。そして残る1体は──

 

「オオオァァァアアアアアア──!!」

 

 聞くものの肌があわ立つような叫び声が響く。

 

死の騎士(デス・ナイト)だと!? これら全てを使役してるとでも言うのか……?」

 

 左手には巨大なタワーシールド、右手には波打つ刀身のフランベルジュ。巨体を包む黒色の全身鎧には血管のような真紅の文様があちらこちらに走っており、鋭い棘が所々から突き出している。その姿はまさに死の騎士というのに相応しかった。

 

「ズーラーノーンの盟主……いや、まさか朽棺の竜王(エルダーコフィン・ドラゴンロード)?」

 

 伝説級のアンデッドを使役出来るとすれば、それはやはり伝説の存在でしかあり得ない。イビルアイのよく知る──彼女を半ば無理やり“蒼の薔薇”に放り込んだ老婆──13英雄の一人として名を馳せた死者使いのリグリット・ベルスー・カウラウですら、そこまでの実力は無い。

 

(やはりペロロンチーノ殿と合流するまで待つべきか。……いや、彼なら必ず来てくれる。ならばそれまでに敵の正体だけでも掴んでやる)

 

 暫しの逡巡の間も、眼下のアンデッドは霊廟の前から動こうとはしていない。遠距離攻撃の手段を持たないという理由もあるが、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が飛びかかって来ようとすらしないのは、霊廟の中に守るべきものがあるという証左だろう。

 理想を語れば、空中におびき寄せた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を各個撃破し、最後に死の騎士(デス・ナイト)を高火力の魔法で仕留めるのが一番効率が良い。

 しかし、そう甘くはない現実に、少し残念に思いながらもイビルアイは決意を固めた。

 

「行くぞ!」

 

 イビルアイは拳を握りしめると一直線に降下を始める。目標に定めたのは一番手前の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)だ。

 〈飛行(フライ)〉により後押しされた速度を小さな拳に乗せたパンチは見事に頭部へ命中し、その巨体を揺さぶった。拳よりも一回り大きい穴を抉ることに成功するが、まだ沈まない。

 衝撃でたたらを踏んだものの、痛みも恐怖も感じない骨の体に怯みはない。お返しにとばかりに背後から骨の腕が横薙ぎに振るわれる。

 しかし、イビルアイは〈飛行(フライ)〉でもって即座に体勢を立て直すと、頭部の高さまで浮上し回し蹴りをその横っ面に叩き込んだ。

 一発目のパンチで脆くなっていたためか、人骨の塊で出来た頭部は粉々に飛散し、遅れてその大きな体も崩壊する。

 

「ふぅーっ。拳で戦うのは久々だな」

 

 “蒼の薔薇”に加入し、一人で戦うことの無くなったイビルアイにとって肉弾戦は久しいことであった。

 チームの戦いにおいて役割分担は大切だ。前衛には敵の注意を引き付けチームの盾となる役割が、後衛には状況を的確に判断しチーム全体を支援する役割がある。これらお互いのやるべき事をしっかり行うことで連携が生まれ、確実な勝利へと繋がる。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)であるイビルアイの役割と言えば、後衛だ。仲間を支援し、隙があれば攻撃にも参加する。純粋な攻撃魔法のみに頼る魔法詠唱者(マジックキャスター)は二流、これはイビルアイの持論でもある。

 では何故その魔法詠唱者(マジックキャスター)がその身を武器にして戦えるのか。それは単純にイビルアイの肉体能力が高いからだ。それこそ“蒼の薔薇”の戦士であるガガーランを凌ぐほどに。

 

 一息つく間にも、獲物を追い詰めるようにイビルアイの周りを残るアンデッドが取り囲む。その連携が取れた動きには、裏から指示を与えている者の存在が感じ取れた。

 

『──冥界へ誘われし迷仔よ。生者を怨み憎む我が同胞よ。我に身を委ねろ……』

 

 視界の奥が霞むような、今までに経験したこと無い感覚がイビルアイを襲った。

 しかし、頭を軽く振ることで容易くその誘いを弾く。

 

「……ほう。アンデッド風情が我が支配を弾くとは。何用だ、吸血鬼(ヴァンパイア)よ」

 

 声と共に霊廟の奥から現れたのは一人のアンデッド。

 ──いや、髪の毛一本も生えていない頭部と、やつれ果てた髑髏地味た顔は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に近いものを感じるが、全身の皮は今だ健在で、その姿からしてもまだ人間なのだろう。ただし眼球は既に白く濁り、開きっぱなしの口からは泡が漏れ出ていた。とても正気とは思えない様子だ。

 そしてその手には強大な魔力を感じさせる歪な黒いオーブが握られている。

 

「お前がこの事件の黒幕か!」

「……いかにも。我は世に死を撒き散らすもの也。して、それを知って何とする? 共に死を撒き散らせたいと言うのなら考えなくもないぞ」

 

 その声に抑揚はなく、意味のある言葉をただ発声しているだけに思えた。その様子からして、精神支配を受けているのは彼自身なのではと思わせるほどだ。

 代わりに黒いオーブからは拍動するかの如く負の魔力が黒い光となって噴き出している。

 

「死を撒き散らす……か。“死の螺旋”を行ったのもそれが理由か!?」

「それはこの人間の手段。アンデッドとなる願望を抱いておったが、我が目的はさらにその先にある、より多くの死だ」

 

 イビルアイは仮面の下で小さく笑った。

 

「……なるほどな、石ころ風情が。今すぐ降伏すると言うのなら漬物石として使ってやらんでもないぞ?」

「呵呵。可笑しな事を。“死の螺旋”で力を得た我に抗おうとは。邪魔立てをすると言うのなら容赦はせん」

「愚かな石ころよ、二度とその儀式の名を口に出来ぬよう粉砕してやる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

(おお! 近接距離、遠距離ともにバランスの良い攻撃手段を持ってるじゃないか。それに防御面も……問題無さそうだな)

 

 不可知化特殊技術(スキル)顔の無い王(ノーフェイス・メイキング)》を使用したペロロンチーノは物陰に隠れて……ではなく、イビルアイの背後に立ち、堂々とその戦い振りを観察していた。ちょうど昨日の今頃、神都の時はすぐに看破されてしまったが、どうやら特殊技術(スキル)は正常に機能しているようだ。

 

(大地系の中でも水晶特化のエレメンタリストかな? あの位階だと骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の耐性は通せないけど、死の騎士(デス・ナイト)の防御を突破するには十分か)

 

 繰り広げられる戦いは苛烈さを増していた。

 老人のように見える男は死の騎士(デス・ナイト)を盾にしながら骨の竜(スケリトル・ドラゴン)をけしかけ、イビルアイを四方から挟撃する。

 しかし、イビルアイの周囲に展開された〈水晶盾(クリスタルシールド)〉はこれらを全て防ぎ切り、なおかつ彼女の攻撃の手は緩まない。

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の存在を半ば無視した形で撃ち込まれる水晶の魔法は死の騎士(デス・ナイト)を徐々に追い詰めていく。

 そしてついに〈水晶騎士槍(クリスタルランス)〉が死の騎士(デス・ナイト)の胸に深々と突き刺さった。

 

「まだ倒れないか化け物め。だがこれで終わりだ! 〈水晶の短剣(クリスタルダガー)〉!」

 

 イビルアイの掌から射出された水晶の短剣は開けたヘルムの中央を貫き、今度こそ偽りの命を無に還した。

 

(あれ……? えっ、もしかしてこれで終わりじゃないよな……)

 

 本来ならイビルアイの活躍に賞賛を送るべきところであるはずが、一部始終を見守っていたペロロンチーノの胸の内は焦りに焦っていた。

 ピンチとなった彼女の前に颯爽と現れ、窮地から助け出す。そんな過去にも実績のある完璧なヒーローを演出する作戦を企てていたのだ。

 しかし結果は、ピンチらしいピンチもなくイビルアイの圧勝である。さらに、老人からオーブを奪い取り、残る骨の竜(スケリトル・ドラゴン)も殲滅し尽くす勇敢な乙女の姿がペロロンチーノの目に映り込んでくる。

 

(いやいや、まだ慌てるような時間じゃない。まさか死の騎士(デス・ナイト)がラスボスな訳がないだろう。そもそも切り札は伏せておくのが定石なのだから、始めから姿を見せてたあいつは前座に過ぎないはずだ。きっとそうに違いない。ならば、本当のラスボスはあの霊廟の奥にいる──)

 

 ペロロンチーノは不可知化を維持したままイビルアイの後に続き霊廟の中へと足を踏み入れた。

 隠し通路だったろう地下への階段を降りると、大きな空間が広がっている。そしてその中央には棒立ちで佇む一人の少年の姿があった。

 変に透けた衣装を纏い、頭には蜘蛛の巣にも似た繊細な作りのサークレット、そして顔には瞼の上から付けられた刀傷が一直線に走っている。赤黒い涙のように固まった血の跡から察するに失明は確実だろう。まるで敵意を感じさせないどころか意識さえ無さそうな雰囲気は、彼も被害者の一人なのかもしれない。

 

 だがそれよりも何よりも、ペロロンチーノに警鐘を鳴らすことが他にあった。

 目元まで長く伸ばされた前髪、中性的な顔立ち、日焼けは少なくインドア系男子を思わせる体つき、これらの特徴を全て併せ持つ人物像に心当たりがある。

 それは──主人公。といっても主にギャルゲー、エロゲのだ。

 自称平凡、特にこれといった才能や特技も無いとか言いつつ何かしら持っていて、何故か両親が海外赴任やら何やらで不在にしている、どこにでもいる一般的な少年を装った存在。それと相違ない。

 そのような男達を今までに何百人も見て、そして自身を投影してきたペロロンチーノが警戒しないはずがない。

 なぜなら、彼らは決まって甲種(恋愛)一級フラグ建築士だからである。

 

「やめろ! そいつに触れるんじゃない!!」

「ひゃあっ!?」

 

 突然の背後からの怒気を含んだ大声に驚き、イビルアイはすっとんきょうな声を上げて飛び上がった。

 

「な、なんだペロロンチーノ殿ではないか……驚かせないでくれ」

「えっと、すまん。だが、こいつは危険だ。いいか? 絶対に触れちゃダメだ」

「よ、よく分からないのだが、分かった。ペロロンチーノ殿がそこまで言うのなら従おう……」

 

 もはや登場の仕方とか作戦とか全てが台無しになってしまったが今更だ。とりあえず今は物理的な接触を防げたのだから良しとしよう。

 

「それで……こいつがさっきからピクリともしないのは精神支配の影響か? ……このサークレットだよな、どう考えても」

「うむ。この形状に思い当たる節があるのだが……魔法を掛けてみてもいいだろうか……?」

 

 ペロロンチーノは直接触れないようにと念を押した上でイビルアイに了解の意を示す。

 

「〈道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)〉……やはり叡者の額冠。スレイン法国の最秘宝のひとつだ」

「へぇー。それはどんな物なんだ?」

「私の魔法では詳しい効果までは分からなかったが、伝え聞いた話によれば……」

 

 叡者の額冠──着用者の自我を封じることで、人間そのものを超高位魔法を吐き出すだけのアイテムと変える神器である。ただし着用できる者の条件は非常に厳しく、適合者は100万人の女性に一人という割合だ。更にこれを外すと魔法ですら治癒の効かない発狂状態に陥るというデメリットも存在する。スレイン法国ではその適合者、もとい生け贄を巫女姫と呼ぶという話だ。

 

「……いや、でもこいつ男だよな?」

 

 改めて視線を落としてみれば、小さく縮こまってしまっているもう一人の彼の姿があった。透けた衣装はそんな彼のプライバシーを守るどころか、むしろ一層にその存在を際立たせている。望んでそんな格好をしている訳ではないはずだから、同情は禁じ得ない。だが、自分と比べてあまりにも可愛げもあるその姿にペロロンチーノの男としての自尊心が満たされるのと同時に、優越感から余裕も生まれてきた。

 隣を窺えば、つられて少年の下腹部へと視線を落としてしまった彼女の様子が目に入る。慌てて視界からソレを追いやるように壁へと向き直った仮面の下では、一体どんな表情をしているのかとても気になるところである。

 

「んんっ! お、おそらく彼はエ・ランテルでも有名なンフィーレア・バレアレだろう! 『あらゆるマジックアイテムの使用が可能』という生まれながらの異能(タレント)を持っていると聞くぞ」

 

 生まれながらの異能(タレント)というのは昨日も少し聞いていたが、なるほど、そんな便利なものもあるのかと感心してしまう。

 ただ、それよりも興味を引いたのは普段の彼女らしからぬ落ち着きない素振りと声色だった。

 

「もしかして、200年以上も生きてきて男の見るの初めて?」

「ふぁっ!? み、見たことぐらい! あっ、いや、ちゃんとは無いが……あーもぅ、なんてことを言い出すのだ、ペロロンチーノ殿は! それより今は、これをどうにかしないといけないのではないか!?」

「コレ……とは?」

「叡者の額冠に決まっているだろう!!」

 

 ふむふむなるほど。なんかこう、勝手にシャルティアのイメージで考えていたのだが、こうも(うぶ)いとは。もしかしてもしかしそうだ。

 これ以上からかっても可哀想、と言うより嫌われかねない気もするのでここらで自重すべきだろう。

 

「すまんすまん。だが、このままだとマジックアイテムと化した人形、サークレットを外したところで処置無しなぁ……ならいっそ、一思いに命を絶たせてやるべきか」

「わわっ! ちょっと待ってくれ、まだ助かる可能性もゼロではない。叡者の額冠さえ破壊出来れば、発狂させずに救えるかもしれないのだが……ただ、ここまで高位なマジックアイテムだとその手段が無いに等しいのも事実だ……」

 

 言葉尻は小さく、自分の無力さを嘆いているようだった。

 確かにマジックアイテムにはアイテムレベルが存在し、その見た目にそぐわず、あり得ないほどの耐久度を持つものもある。ユグドラシルではそうだったが、その口振りからすればこの世界でも同様なのだろう。

 

(貴重なアイテムを失う代わりに、少年を救える可能性がある……か。割りと博打な気もするのだけど……そこまでして助けたい理由があるとか? まさか、こんなのがイビルアイの好みだと!? いや、これが全てのルートにフラグを建てられる主人公の力だと言うのか!?)

 

「なぁ……どうして、そこまでして助けたいんだ?」

 

 訊かずにはいられなかった。

 それを聞いたイビルアイは少し考えこむ素振りを見せたあと、仮面を外し正面からペロロンチーノを見据えた。その真紅の瞳は光を透かした色硝子の様に澄んでいて、吸い込まれそうになるほど美しかった。

 そして彼女は言葉を選びながらゆっくりと語りだす。

 

「……昔、私は絶望のどん底にいた。もし、あの時救いの手を差し伸べて貰わなければ、今もなお言葉を失ったまま、ただ滅びた街を徘徊するだけのアンデッドになっていたかもしれない。私に光を与えてくれたのがかつての仲間達であり、今の仲間達だ。その恩は到底返しきれるものではないと思っている。だからせめて、救えるかもしれない命が目の前にある限り、私は諦めたくないんだ。……ペロロンチーノ殿にとってはたかが人間と思われるかもしれない。確かに私達からすれば彼らは脆弱で貧弱で短命だ。だけど、だからこそ……」

「──わかった。わかっているさ」

「ペロロンチーノ殿……」

「あー……さっきの発言は……申し訳ない、俺が悪かったよ。だけど誤解しないで貰いたいな。俺は別に……うん、まあこれは止めておこう。それとな、他にも勘違いしていることがあるぞ?」

 

 そう言うとペロロンチーノは、右手を広げる。そこへ魔法的な輝きが灯ると、細長くしたメイスに矢羽を着けたような奇怪な矢が一本、生み出された。

 

「それは……?」

「打撃属性と武装破壊効果を有した矢だ。これを……こう!」

 

 ブンッ──

 

 音と共に空気が揺れた。手に持ったままの矢をそのまま少年へ向けて振ったのだ。

 

 《矢切り》──弓士の職業(クラス)で得られる初歩の近接攻撃特殊技術(スキル)である。

 ユグドラシルでは、防御力が極端に低くなる職業(クラス)構成上、純粋な弓使いがわざわざこの特殊技術(スキル)を使うことは滅多にない。だが、筋力、敏捷性に応じた攻撃力の伸びが高いという特徴があった。最盛期では“殴り魔”ならぬ“殴り弓”というネタビルドに走る者もいたほどに、そこそこ使える特殊技術(スキル)である。

 

 巻き起こった乱流に顔を庇いながらイビルアイが見たものは、無数の細かな輝きとなって砕け散る叡者の額冠と無傷の少年。

 そのまま崩れ落ちそうになる少年をペロロンチーノは優しく受け止めてやった。

 

「すごい……! まさかこんなにも簡単に破壊してしまうとは!」

「そ、そうか? まあ、聖遺物級(レリック)程度が限界だし、俺の仲間はもっとすごいぞ? 触れた物をほとんど何でも溶かしちまう奴だっていたんだからな」

「そうなのか……やはり本物の英雄は格が違うな」

 

 自分に出来ないことを軽々しくやってのける、そんな存在に出会うのはイビルアイにとっていつの日以来だったろうか。

 真っ直ぐ過ぎる眼差しに気恥ずかしさを覚えたペロロンチーノは頬のあたりを掻くと、少年を肩に担ぎ上げた。

 本当は、もう少し二人でお互いの仲を深め合いたいところだったが、今はお荷物を抱えている上、地上ではまだ悲惨な状況が続いていることだろう。力を貸すと言ったものの全く活躍していないペロロンチーノは、この後の働きで挽回すべく行動しようと踵を返し──数歩も進まないうちに立ち止まった。

 

「あっそうだ。俺が安全な所まで運ぶけど、今後もこの少年には絶対に接触しないと約束して欲しい。“蒼の薔薇”のメンバーもだ。あ、けど、ガガーランは例外な。んー……というか彼女に預けよう。面倒見よさそうだしな、うんそうしよう!」

 

 いったいどんな理由があって、とイビルアイは首を傾げるがそこにはきっと深い意味があるのだろう。

 

 ペロロンチーノの後に続いて霊廟から外に出ると、霧は薄れ、雲の隙間からは陽光が光の柱となって降り注いでいた。




「戦利品だぞー受け取れぃ!」
「うひょおおお! ありがたきぃいい」

ガガーラン攻略完了(嘘)

死の宝珠はWeb版設定のアイテムレベル40相当を参考にしております。
死の螺旋の力が加わったとしてもちょっとオーバースペックだったかも?

12/22
色々と微修正
話の大筋に変更はありません

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