「──それなら、やはり私が一点突破で注意も引くしかないじゃないですか」
「だからその考えが甘いって言ってるんですよ、たっちさん。自分の能力を過信するのもいい加減にしてください」
部屋の中央には黒曜石の巨大な円卓があった。それを囲むように配置された椅子には数人の異形が腰を掛けている。
「じゃあ、どうすれば良かったと言うんですかウルベルトさん。あの時、囲まれた時点で相手の準備は万全でしたよ。まさか白旗を上げて諦めるとか言い出しませんよね」
この会話は朧げに覚えている。ユグドラシル全盛期、ギルド順位9位にまで上り詰めたアインズ・ウール・ゴウンは異形種ギルドということも相まってよくPKの標的にされていた。
そのため狩り場選びは慎重を期していたが、敵対ギルドの綿密に練られたであろう計画に嵌ってしまい、全滅してしまった。それで今はその反省会といったところだ。
「んなこと言ってねえだろうが。確かにワールドチャンピオンのスキルは凄いかも知れないが、個人の力じゃどうにもならない状況があるって言ってんだ。そういう身勝手な行動されたらこっちも立て直せるわけ無いだろ」
少しでも善戦するならウルベルトの言うとおり大勢を立て直すべく防戦に徹するべきだった。しかし、多くのリソースを消費してもジリ貧になるばかりで、奇跡でも起きない限りひっくり返るような戦況でもなかったのは確かだ。
恐らくそれは皆も思ったことだ。そんな時、タンク役も担っていたたっち・みーは単騎で敵の一翼に突撃をかましたのだ。
結果から言えば、それを皮切りに戦線は崩壊、敗北した。
どっちも正しいし、どっちも悪くない。ただ、たっち・みーの行動に噛み付くウルベルト。いつものよくある光景ではあるが、この日は全滅したこともあり室内の空気はより一層悪かった。
「ま、まぁ、今回は仕方なかったですよ。私の狩りに付き合って貰ったわけで……むしろこの場合悪いのは今日、皆を誘った私です」
モモンガもどちらかの肩を持つことは出来ず、しまいには自分のせいだと言いだす始末。誰の責任でも無いのに。
いたたまれない空気だ。
なぜだろうか、こんな時には決まって冗談を言いたくなってしまう自分がいる……
「それより皆見てました? 相手にいた女戦士の格好めっちゃ際どくてエロかったなぁ! いやーアレで規制されないんだから、そういうとこは神運営だなって……」
「──いや、何を言い出すんですか。モモンガさんは何一つ悪くないです」
「そうですよ。それを言い出したら狩り場を選択した俺が悪い」
一人落ち込んでしまったモモンガをフォローするべく険悪な二人の意見も一致する。ひとまずは部屋の空気も弛緩した。
(……まぁいいか。でもなんだろうな、この何かが足りない感じ)
別にスルーされたことはいちいち気にならない。
でも、いつもであれば鋭い一言が飛んできて切り捨てられるような、そんな気がしたのだ。
(そうか、今日は姉貴いないのか……姉貴て誰だ……?)
久しく発していない懐かしい言葉の響きだ。
だけどハッキリ思い出すことは出来ない。
それどころか思考に虫食いができるような感覚が強くなっていき、数秒前の会話の内容も分からなくなっていく。
頭が、体が、心が、ボロボロと崩れ去っていくようだった。
手足が存在しているという感覚すら既に無く、視界にはなにも映らない。
そしてペロロンチーノの何もかもが消え去ろうとしていた。
──うと……
いや、僅かに何かが聞こえる。
──おと……と……
どこか聞き覚えのある声だ。自分を呼んでいるのだろうか。
──目……覚ま……せ! 弟……!!
確かに誰かが呼んでいる。今にも泣き出しそうな絶叫が頭に響く。
──この愚弟っ!!
◇
霞がかった視界が徐々に色を取り戻していく。ふるふると震える半透明な粘体は見覚えのあるピンク色をしていた。
「あ、あね……き……?」
「……ッ! 心配させやがって糞弟!」
全身の筋肉が弛緩し、うまく体を動かすこと出来ない。
状況からして蘇生に成功し、生命力が極端に低下しているようだ。
そして蘇生を行った張本人は元アインズ・ウール・ゴウンのメンバー、実の姉にして不沈の双盾、ぶくぶく茶釜であった。
粘体の中に浮かんでいた短杖が消えると、代わりに豪華な装飾が施された薬瓶が現れる。
栓が抜かれ、ペロロンチーノの頭上からねっとりとした液体が注がれていく。
するとペロロンチーノの体は淡く発光し、見る見るうちに生傷が癒えていった。
「うわっ。ぶく姉、きたねぇ……」
「あ゛? てめえ、助けられた第一声がそれか? もういっぺん死ぬか?」
先程とは打って変わり、ドスの利いた低い声がぶくぶく茶釜から発せられた。
「ははっ……ごめんて、姉貴。助かったよ」
そうだ、このやり取り。
小さい頃から頭の上がらない姉だったけど、気兼ねなく軽口を叩けるのは信頼があるからだ。
大人になっても同じゲームで同じギルドに入って一緒に遊ぶ程なのだから、よっぽど姉弟仲が良いに決まっている。
「はぁ。何が全く、どうなってんだか……」
「てか、どうして姉貴がここに?」
「ある冒険者から聞いてってところだけど、話はあと。もうすぐ障壁が壊れるよ」
ぶくぶく茶釜を中心に張られたドーム状の障壁は今にも割れそうなほどヒビが走っている。
一時的にかなり強固な防壁となる特殊技能だが、光と音は内外で遮断されるため外の状況はわからない。
だが、状況からして殺された直後の切迫した局面に変わりないのは間違いないようだ。
「姉貴、白黒の少女がやべえ。あと一番後ろのチャイナの婆さん、あれは洗脳系のワールドアイテムらしい」
「は? こちとら装備も不十分なのに、えらいもんにケンカ売ったね、この馬鹿弟は。もう動けるよな?」
「ああ。それと、人質を助けたい! 『トレイン』頼む!」
「まったく。沢山借りが増えたこと、後悔するなよ?」
次の瞬間、ガラスが割れるかの如く障壁は飛散し、その破片は空気の中に溶けていった。
同時に十字の戦鎌を持った白黒少女が肉薄する。
立ちふさがったのは両手──に当たるであろう位置に盾を構えたぶくぶく茶釜。
相当な強撃だったはずだが、一切ノックバックはしない。
その隙きにペロロンチーノは上空へ飛び上がり距離を取る。
「ちッ!」
「おっと、行かせないぞ。カワイコちゃん!」
少女の舌打ちよりも幼い声がピンクの粘体から発せられ、その言葉通り白黒少女は戦鎌に引っ張られるような急停止を強いられた。
見れば左手の盾から伸びた鎖が戦鎌に絡みついている。
PvP用特殊技能、鎖鉤縄だ。
しかし、攻撃を仕掛けてくる相手は白黒少女だけではない。
ぶくぶく茶釜を無視し、ペロロンチーノに迫るのは長い黒髪の少年。
突進の勢いを乗せた跳躍、引き絞った槍による強烈な刺突が放たれた。
間一髪。
自由に飛び回れる翼を持つことで可能とした空中での回避で、ペロロンチーノは直撃を免れたが、同時に発生した衝撃波がダメージを与える。
「くっ。流石にお行儀よく見ていてくれないか……!」
人質であるエモット姉妹の側にはチャイナ服の老婆を含む四名の人員を残し、後はこちらを狙って距離を詰めてきていた。
流石にこちらが二人に増えた以上、今まで通りの傍観者では居てくれないようだ。
とは言え、人質の周りから敵が減ったのは好都合でもある。
この数であれば姉妹に危害が及ぶ時間を与えずに倒し切る自信がある。
次にペロロンチーノを襲ったのはレイピアを手にした小柄な男。
高度をとられることを牽制したのか、ペロロンチーノの更に上空から斬りかかってくる。
投石機のように地上から放り投げたのは蛮人のような巨体な男だった。
これも空の利があるのはペロロンチーノの方であり、落下の軌道上から逃れれば避けるのは容易い。
しかし、完全に間合いから外れたと思われたペロロンチーノの横腹に痛みが走った。
受けたダメージ自体は小さいが、不可解な攻撃に困惑は隠せない。
だが、もう少し、攻撃がギリギリ届く位置で敵を引きつけ続けなければならない。
せっかく人質から離れてくれた敵がこんなにもいるのだ。
それらを一点に足止めさせるためにも、残りの数人をぶくぶく茶釜の有効範囲内に入れる必要ある。
チャンスは一度切り。
失敗したら警戒され二度目はないだろう。
ペロロンチーノは自身が弱って反撃も碌に出来ず、ただ逃げ惑うだけのバードマンを演出する。
蘇生の知識がある者から見れば、むしろそれだけ動ける方が驚きで、それ以上の何かを隠しているなどと思わない。
思惑通り、戦いに参加してきた全員が漏れなく範囲内に収まった。
遂に、その瞬間がやってくる。
ペロロンチーノは一気に飛翔し、有効範囲内から離脱する。
「姉貴っ! 今だ!」
白黒少女とじゃれ合うように戦鎌を盾で受けてたピンクの粘体がブルっと震えた。
そして──
「みんな──っ! ちゅーもくっ!! おっにさん、こっちら! てのなるほーえ!」
盾と盾を打ち鳴らしながら発せられたのは、ロリボイス全開の大声だ。
勿論、周囲の耳目を集めるためだけの大声ではない。
チャレンジシャウト──範囲系ヘイト獲得スキルであり、ユグドラシルでは一度に複数のモンスターを誘導できるタンク職の奥義。
ただ、個々のヘイト上昇値は控えめで、敵を集めすぎるとスキルの使用者本人が袋叩きにあって沈むことから使い勝手は難しい。
さらに付け加えると、このように自身の声で台詞を述べる必要は全く以てない。
しかし、ぶくぶく茶釜曰くこの方が効果がある気がするということで、日常的にロリボイスを付与していた。
そのせいで、範囲外から見知らぬ男性プレイヤーがひょっこり顔を出してきた事があった思い出も、今となっては懐かしい。
「あーんど、おーばーばいんどりーしゅっ!」
さらに、その時点で自身にヘイトが向いている相手を一箇所に集める特殊技能が発動する。
捕縛に対して対策がなされていた数名を除き、全員がぶくぶく茶釜の前に集められた。
本来であれば、束ねられた敵を集中砲火で倒すところだが、優先すべきは人質の奪還。
自由になったペロロンチーノは弓を引く。
一度死んだことで弓師職のレベルがダウンしている分、火力は落ちてしまっているはずだ。
しかし、ぶくぶく茶釜が作り出してくれたこのチャンス、絶対に失敗することは出来ない。
持てる全ての特殊技能、集中力を総動員し、同時に四本の矢を弓に番えて限界まで引き絞る。
人質前の四人もペロロンチーノの殺気に気が付いた様子であったが、奇怪なピンクの粘体に目が奪われていて反応が遅れている。
「──ッシ!」
全射命中。
盾を持った男がチャイナ服を庇うように前に立ち塞がったが、二本の矢はどちらも貫通し、二人は大きな風穴を空けて地に伏した。
他の二人も同様に息絶えたようだ。
その間もぶくぶく茶釜は敵十人を相手に防御を固め、背後を取られないように華麗なステップで立ち回っている。
フレンドリーファイアが有効であるため一箇所に纏められた敵が自由に攻撃出来るはずもなく、その攻防には余裕すら覗える。
ペロロンチーノはエモット姉妹を救出すると、抱え上げて上空へ退避した。
同時にチャレンジシャウトの効果が切れたらしく、地上では大混乱が起きている。
どうやらヘイト値というプレイヤーには意味がなかった効果も、今では精神支配に近い思考誘導という形で発揮していたようだ。
白黒少女もぶくぶく茶釜に有効なダメージを与えられていないせいか、喪失する生命力量が上回りだいぶ衰弱している。
ペロロンチーノにとどめを刺す前の少女の話が事実であれば、姉妹を誘拐した理由はペロロンチーノをおびき出し、ワールドアイテムで洗脳することだった。
だが、その使い手であるチャイナ服は死亡。
さらに人質を失ったことで作戦は完全に失敗したことになる。
最高戦力の白黒少女の命も危ぶまれる中、これ以上の戦闘は彼らにとって利にならないはずだ。
一方でペロロンチーノからすれば追い打ちを掛けるチャンスでもあった。
「いいの? 逃しちゃって」
ぶくぶく茶釜は隣に降り立ったペロロンチーノに問いかける。
死体と白黒少女を回収し、南へと撤収していく集団の姿を見送っている。
「両手が塞がってるし、それにいつかきっと分かり会える日が来るかもしれないじゃん?」
「ふーん……。殺されといてよく言えるな。どうせ下らないこと考えてるんでしょ? あの子可愛かったしね」
姉には思考が全てお見通しらしい。
「それで、その子らが人質だった子?」
「うん。お陰で二人共無傷だ。ありがとう姉ちゃん」
ピンク色の粘体に眼球は無いが、ジトっとした視線がペロロンチーノに向けられている。
丁度魔法による催眠が解けたのだろうか、姉妹はほぼ同時に目を覚まそうとしていた。
「ぅ……あれ? 私……ペロロン様?」
「ぅーん……ペロロンさまだーっ!」
目を覚ましたら愛しの王子様の腕の中に居たような、そんな恍惚とした表情をエンリは見せている。
「なぁ、お前。いたいけな少女に手を出してないよな?」
その声はペロロンチーノが今まで聞いた中で最大級の低さだった。
「ご、誤解だよ、姉貴! まだ何もしてない!」
「……まだ?」
「あ……いやぁ……」
「すごいっ! ピンクのぬめぬめが喋ってる!」
「ペロロン様、なんか怖いですっ」
ぶくぶく茶釜はころっと声色を変えてみせる。
「怖くないよー! 私はこのバカ鳥のお姉ちゃんっ! よろしくね☆ よろしくついでに助言しとくけど、まじでそいつ碌でもないから、今すぐ離れなさい」
「「は、はい!」」
有無を言わせない威圧は姉妹を素直に従わせてしまった。
「うわああ! 俺のハーレム計画がぁああ!!」
「弟よ……とんでもないこと口走ってる自覚ある?」
こうして強力な姉、ぶくぶく茶釜が仲間に加わることとなった。
この先、この異世界を生き抜く上では心強い存在となってくれるだろう。
旅はこれからも続く。
姉のぶくぶく茶釜がこの世界に来ていたのなら、他のアインズ・ウール・ゴウンのメンバー、たっち・みーやウルベルト、そしてモモンガがこの世界に来ていてもおかしくはない。
ただし、ペロロンチーノの主目的であるハーレム計画は、前途多難であることは間違い無さそうだ。
とは言え、ペロロンチーノがペロロンチーノである限り、どんな状況だろうと彼の煩悩が鳴りを潜めることにはならない。
今までがそうであったように、きっとこれからもそうだ。
ここでの『ペロロンチーノの煩悩』の話は、これにて終幕である。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
投稿間隔がとても空いてしまったこと、途中で非公開にしてしまったこと、申し訳なく思います。