少し思考を整理しようと思う。
まず、この世界だが……もはや疑いようもないが、ゲームではない。言葉にするのもバカバカしいが、これが異世界ってやつだ。つまり現実だ。
では、この異世界は勝手よく知るユグドラシルが現実化した世界なのか。共通点は多いと思うが、そっくりそのままでは無いだろう。
じゃあ、エンリやネムは何者なのだろうか。自分の意志で考え行動し、家族を思いやる姿には確かに人格が宿っていた。決してゲーム世界のNPCとは思えない。
なら、自分と同じプレイヤーか。貧弱さに加え、あの過剰とも思える反応から考えれば……ノーだ。この地に産まれ、この地に生きる現地人というのが一番しっくりくる。
そして、俺とは一体何なのか。ユグドラシルの姿、能力をそのままに、突如として現れた異質な怪物……この世界から浮いた存在。
そうじゃない。俺は単なるエロリーマンだ。エロゲーをこよなく愛し、ロリを愛でる紳士である。会社での付き合いは悪くなかったし、決して多くはないが友情をわかちあい、腹を割って話し合える友がいる。顔を合わせればいつも喧嘩ばかりだが、大切な家族がいる。そんな人間らしい人間が、俺。
それなのに、どうして、何故。
人間を殺めたことに対して何一つ感慨がわかないのか。
……いや、僅かにあったな。あれは愉悦だった。
そしてあの姉妹はとても旨そうに見えた。淫猥な意味で、ではない。いや、それはまあ当然あるとして……そうではなくて、食欲が訴えてきたのだ。旨そうだと。
考えたくもない。人間を喰らいたいなどと……それだけは絶対にダメだ。俺の人間だった頃の残滓がそう訴えている。
「やっぱ肉体のみならず心でも人間を止めたということかー……」
血の匂いを嗅いだ時から、なんとなく分かってはいたのだ。ただ認めたくなかっただけで。
そしてまたその人間たちに対して、さも当たり前のように弓を引こうとしているのだから笑えてしまう。
ペロロンチーノは村の中央、上空おおよそ100m地点まで一気に到達した。2対4枚の翼を器用に動かし、空中でほとんど上下することなく静止する。眼下には村の広場、そこには60人弱の生き残った村人とそれを取り囲む様に20名の全身鎧を身につけた騎士たちが映る。まるで蟻の巣を観察している気分だ。
どうやらあえて生き残らせた村人を、ここから間引いていこうという局面に差し掛かっているらしい。
おもむろに1本の矢を番えた弓を下界に構えて矢を放つ。
放たれた矢はそのまま直進し──刹那、20の矢に分裂した。
それぞれの矢は予めターゲティングされていた通りに、騎士の脳天めがけ突き刺さる。
全射的中。遅れて全身鎧が崩れ落ちる音が幾重にもなって広場を満たした。
(速度・威力ともに落ちる《分散射撃》ですら全員即死か……こりゃLv換算で10以下というところかな……)
もはや完全に緊張感がなくなってしまった。「はぁ…」と一息つくと、再び構え──単調な作業の様に淡々と4度射る。
村の周囲に散開していた、馬に乗ったままの騎士たちは──こちらに気付いていたものも居るようだったが──そこで何をしていたのか、そして何をされるのか解らぬまま絶命していった。
村人たちは困惑の中、矢が飛来してきた方向──頭上を仰ぎ見る。
そこで確かに見た。上空に佇む翼の生えた微かな人影を。
◇
ひと仕事終えたペロロンチーノはエンリとネムの元へと舞い降りた。
村にいた全ての騎士を倒したと報告すると、また律儀で畏まった礼をされる。
(抱きついてくれてもいいのに……)
さてと、待ちに待った女の子達とキャッキャウフフなお喋りタイムといきたいところだが、流石に今度は空気を読もう。
村人たちと合流するために、姉妹を立ち上がらせ、村の広場へ歩を進めた。
今だに状況を把握しきれず、困惑の渦にいる村人たちは、家の影から顔を出した姉妹の姿を目にして
「エンリ! ネム! 無事だったかっ──ひぃッ!?」
直後、その背後から現れた異形の姿に言葉を詰まらせた。
(予想はしていたけどさぁ……どうしようこの空気……)
目を見開き固まる村人。さながら蛇に睨まれた蛙。もとい鷹の前の雀である。
「あ、あの、このお方は、私達を助けてくれて……えっと、その、命の恩人なんです!」
静寂の中、エンリが慌てて切り出した。そんな恐ろしい物を見たかのようか顔をしてはいけないと、失礼な真似は許されないと、訴えるように。
そんなエンリの気持ちなんて露知らず、ペロロンチーノはエンリの対応にグッジョブ! と心の中でサムズアップを向けて見せている。
「えーゴホン。怯えることはないですよ、安心してください。あなた達を襲った騎士は全て私が倒しましたから」
「あ、あなた、あなた様は……」
ペロロンチーノの左手に握られている人間が扱うには大きすぎる弓に視線をくれながら、村人の代表者らしき人物が口を開く。
「たまたま通りかかったら、この子らが騎士に襲われるのを見かけてね。助けに来たんですよ」
「「おお……」」
ざわめきが上がり、村人は顔を見合わせ表情を緩ませる。だが、そんな中にあってもまだ、不安の色は消え失せてはいない。
見返りに何が要求されるのか。金銭や貴重品ならまだいいが、労働力としての奴隷、はたまた……そんな不安が透けて見えてくる。
「あー……そうだな。助けた代わりと言っちゃなんだけど、食料を分けてくれませんか?」
「しょ、しょくりょう、でございますか!?」
村長は絶望の表情を張り付かせる。
やはり何か勘違いされている気がしてならない。
「いや、なに。あなた達が普段から口にしているもので構わないから」
「そ、そうですか。お口に合うかわかりませんが、すぐに、ご用意させて頂きます! で、では、どうぞこちらへ……」
通されたのは広場からほど近い村長の家。入ると土間のような場所が広がっており、隣接して炊事場が作られている。そんな土間の真ん中にはみすぼらしいテーブルと数脚の椅子が置かれていた。
その椅子の1つに座り、ペロロンチーノは室内を観察する。どこを見渡しても機械製品の類は見受けられない。
科学技術はさほどこの世界では発達していないな、と判断してすぐに浅薄だなと気がつく。
「ところで、この村に魔法を使えたり、詳しい者は居るのかな?」
「申し訳ございません。あいにくこの村には魔法を使う者も、魔法に明るい者もおりません。時折村を訪れる冒険者の中には、魔法を使える者もいると聞いたことがありますが……」
なるほど……この世界にも魔法は存在している。
「あ、あの。ペロロンチーノ様……とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「ん? ああ。構わないよ」
「この度は命を救っていただき、ありがとうございました!」
村長は頭をテーブルに叩きつけるのではと思うような勢いで下げた。遅れて後にいた村長の妻も感謝の言葉と共に頭をさげる。
「ペロロンチーノ様が来てくださらなければ、村の皆が殺されておりました! 感謝いたします!」
強く心のこもった感謝の言葉に、ペロロンチーノは瞠目する。
人生を振り返っても、これほど感謝されたことは一度もない。いや、先ほどの少女と幼女には同じように感謝されたっけ。まあ、命を助けたことなんか無いのだから当たり前だが。
純粋な感謝を向けられ、気恥ずかしいと思う反面、嫌な気は決してしなかった。まだ、このように感じられるのは人間らしさが残っている証拠だろうか。
「顔を上げてください。えーと、そうだ。そういえば、あの姉妹は?」
気恥ずかしさをごまかすように、話を逸らしてみる。
「今は村の残りの者と片付け等をしているかと思いますが、お呼びいたしましょうか?」
「あー……いや、邪魔をしては悪いよな」
今や村は、少なくない数の人達が殺され、また家屋にも多大なる被害が出ている悲惨な状況である。男も女も子供も老人も、皆総出でその復旧作業に追われている。誰ひとりとして暇を持て余している者などいないのだ。
飯を食いながらエンリとネムとおしゃべりしたいなー、なんて我儘は許されないだろう。情報収集という主目的を達成するためには、むしろ村長に問うたほうが成果が上がりそうでもある。
そんなふうに考えている内にも、部屋の奥の勝手口から次々と干し肉や野菜に果実、パンや酒などが運び込まれている。村中から可能な限りかき集めてきたのだろう。相当量な貢物だ。さながらこれで腹を膨らませて、どうか私達を食料の対象にしないでくれと言わんばかりに。
これには流石にペロロンチーノも悪いことをしたなと、苦笑いをこぼす。
「そんなに沢山も食べれないので、そのへんで結構ですよ。 そうだ、せっかくだからこの場で調理してくれませんか?」
村長の妻は緊張した顔を村長に向け、しばらく顔を見合わせていたが意を決したのか炊事場に向かっていった。
正直言ってめちゃくちゃ旨かった。塩気が足りなく多少物足りない気もするが、素材の味が活きている。
普段の食生活で食べてきたものといえば、化学合成されたタンパク質に味をつけたようなものか、食物繊維に栄養素・ミネラルをぶちこんだダンボールみたいなものだ。天然の食物なんて年に何度も食えるもんじゃない。
食うことに夢中になりながらも村長に話題を振っていく。
ペロロンチーノが魔法の次に聞いたのは周辺国家についてだ。その答えは聞いたこともない国の名前だった。少なくともユグドラシルと何らかの関連性があるのでは、と考えていただけに……いや、むしろいっそ清々しい。
周辺の国家である、リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、スレイン法国。これらは人間のみで構成された国家であり、大森林や山岳地帯を避けるように、平地に街や村を築いている。
もし、他にプレイヤーが来ているのであれば、この3国と関係を持とうと考える者が多いのではと思われる。なぜならばユグドラシルプレイヤーの多数は種族として人間を選択していたからだ。加えて元々が人間であることも考慮すれば、間違った推論ではないだろう。
出来れば同郷の者同士仲良く、情報交換や協力関係を築きたいところだ。
そこで、はたと気づく。先程の騎士達──バハルス帝国の紋章入りだが、あからさま過ぎて逆に疑わしい──を殺してしまったのは悪手だったのではないかと。あの程度の騎士達なら千人だろうが万人だろうが、数を増やしただけなら相手にならない。しかし、その国に肩入れをしているプレイヤーがいたら……自分はLv100のカンストプレイヤーだが、装備の質はその水準以下だ。真向から殺り合うのは分が悪すぎる。
これからはできる限り周囲と敵対するような行為は控えなくては、と思い直す。先程の騎士達は……襲われていたから助けた、仕方がなかったんだと、自分に言い聞かせた。
ちなみに、モンスターという存在もいるようだ。森林奥にも魔獣、特に『森の賢王』と呼ばれる存在もいるし、
これらはユグドラシルにもいた存在だが、ファンタジーの定番とも言える。魔法があるのなら当然なのかもしれないが。
しかし
村長の話は冒険者という存在へと移っていく。これらモンスターを報酬次第で退治しているのが冒険者で、大きい都市には冒険者達によってギルドという組織がつくられているのだそうだ。村長は言葉を濁していたが、バードマンもそのモンスターに分類されるのであろう。つまり討伐対象である。迂闊に人間の都市に近づくのは危険ということだ。
となれば、これ以上の情報収集は亜人種や異形種の国家に主軸を置いて行うほうが良いかもしれない。文明レベルが高いと良いのだが。
途中、葬儀のため中断されながらもペロロンチーノが周辺のことや、ある程度の常識を学んだ頃には結構な時間が経過しており、格子戸から差し込む夕日が空を真っ赤に染め上げようとしていた。
そして最後に尋ねてみる。『ユグドラシル』、『アインズ・ウール・ゴウン』、『プレイヤー』という言葉に聞き覚えはないか、と。しかし村長は全ての単語に首を横に振った。
村長の家を後にすると両手両足、4枚の翼を広げ、ぐーっと伸びをする。存外、時間を奪われたものだ。
ただ、それに見合うだけのメリットはあったように思える。特にこの世界を知れば知るほど、わからないことが増えていく。それが把握できただけでも十分だと言えよう。
目の前には綺麗な夕日が広がっていた。天空のパレットには青から紫そして赤色のグラデーションが彩られている。初めて見る景色にペロロンチーノから感嘆のため息が漏れた。後一時間もしないで辺りは闇に沈むことだろう。
夕日を眺めながら、ふとあることに気がつく。帰る家が……寝床がない。この体なら野宿でも問題ない気がするが、やはり屋根ぐらいは欲しいものだ。
とりあえず、今夜は空き家でも借りて泊めてもらうとペロロンチーノは村長を捜して歩き出した。
村長はすぐに発見できた。広場の片隅で数人の村人達と真剣な顔でなにやら相談している。ただそこには緊迫感があった。不安な表情を浮かべている。
「どうかされました?」
ペロロンチーノが近づくと村長以外の村人達は、恐れおののき一歩後ずさる。
「おお、ペロロンチーノ様。実はこの村に馬に乗った戦士風の者たちが近づいているそうで……」
「なるほど。んと、一晩寝床を借りたいと思っていたのですが」
「それは勿論構いませんが……」
「よし。では、安眠の妨げとなる芽は早めに摘むとしますかね」
その場に居た村人全員の顔が引きつるのを横目に「追い払うだけですよ」と冗談ぽく告げると、大地に風を打ち付けペロロンチーノは夕日の空に舞い上がった。
12/19
色々と微修正
話の大筋に変更はありません