ペロロンチーノの煩悩   作:ろーつぇ

6 / 15
この世の強者
第六話:探索その1


「知らない天井だ……夢じゃない」

 

 ペロロンチーノは屋根の隙間から差し込む日差しを眺めながら呟く。

 寝て起きてみれば、そこはいつもの自分の部屋──そんな可能性も考えなくはなかった。だが視界に広がるのは石で作られた壁と木で骨組みされた天井だ。ここはカルネ村の離れにある空き家。背中の窮屈さが鬱陶しい。そういえば昨日の朝もこうして仰向けで目が覚めたことを思い返す。

 

 そう、昨日は様々なことがあった。

 知らない草原で目が覚めたと思えば、体は昔ハマっていたDMMO-RPG、ユグドラシルのアバターであるペロロンチーノの体になっていた。

 最初こそ困惑したものの、ゲームと同じように……いや、それ以上に自由に使える魔法や特殊技術(スキル)。コンソールを用いないで大空を翔ぶことが出来る翼。全てが新鮮で、驚きで、我を忘れて楽しんだ。

 

 そんな中で見つけたのは小さな村、カルネ村。

 まだゲームか夢か現実か、判断のつかなかったペロロンチーノはそこで起きている争いがイベントの一種かと初めは思った。しかし、実際はリアルな虐殺。そこでエンリとネムという姉妹を助けることに成功し、ついでに村も救った。食欲をそそる血の匂い、人を殺すことで感じた愉悦。それは自分が既に人間を止めていることの証明だった。そしてそんな自分自身の存在がこの世界では異質ということも知った。

 

 近辺の情報を村長から貰い、あとは助けた姉妹とイチャイチャしたいなーと思っていたところで邪魔が入る。正直面倒だった。さっさと追い返そうとするが、しぶとく引き下がらない。そんな男が王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。どうやら本当に村を助けに来たようで、先に折れたのはペロロンチーノだった。また、正面から対峙した戦士長とは別に遠くからこちらを観察する集団も……結局のところ、彼らが何者だったかは分からない。

 

 だがそんなことよりも──

 

 昨晩の充実した記憶が蘇る。

 股の上で丸まる小動物のような温もりと重み。その顔には無垢な寝顔を湛え、まるで天使のようだった。落とさぬようにと添えた手は確かに柔らかい感触を捉えていた。

 そして腰から腕を回し、抱き寄せた少女。ペロロンチーノからすれば、か細くも感じられる体だった。だがその確かな肉感はまさに少女が女性へと成長している過程を示していたと言えよう。

 

 ……ふぅ。

 

 今日もいい天気だ。

 ペロロンチーノはドアを開け放つと息を大きく吸い込み、そして吐き出す。風は草と土と家畜の匂いを運んでいる。

 手足と翼を大きく広げて伸びをすると、ポキポキと心地よい音が響く。

 目の前に広がる青と緑の世界に十分満足すると、ペロロンチーノは大空へと舞い上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルネ村で得られた情報には限りがあった。

 もう少し大きな集落、出来れば街にでも行って、これからの方針を決める足がかりを見つけたいところだ。だが、昨日の村長との話で分かったように、迂闊に人間のコミュニティと接触するのはそれなりに危険が伴うかもしれない。であればこの地を離れ、バードマンに忌避感の無い亜人種、もしくはバードマンの生活圏を探るべきだろうか。

 とはいえ、せっかく手に入れた寝床だ。このまま暫くは活動拠点をカルネ村に置いて、近場からゆっくりと世界を見て回るのも悪くは無いだろう。

 

 さてと。まだ見ぬ美少女を探しにいざ、トブの大森林へ──

 

 村のすぐ北側から広がるトブの大森林は、遠くに見えるアゼルリシア山脈の南端の麓を取り囲むように広がる森林である。

 これだけ広大な森だ。きっと居るに違いない。お目当ては森妖精(エルフ)だ。

 

 ペロロンチーノは上空から森を俯瞰する形で生物の気配を探していく。だが、開始早々に大きな失敗をしていたことに気付かされる。

 どこもかしこも密集して自生する木々は太陽の恵みをいっぱいに得ようと、枝を上へ横へと伸ばし、絡み合い、青々とした葉を蓄えている。大型生物の姿はおろか、地表部分もまともに見通すことが出来なかったのだ。せっかく得たこの翼があるのに、まさか広大な森の中を歩いて探索しようなんて気持ちにはさらさらなれなかった。

 それにユグドラシル時代、森妖精(エルフ)の森に進入するには専用NPCの案内を受けるか、イベント用のアイテムの所持が必要だったはず……そんなことを思い出す。まあもちろん、全てがユグドラシルと同じだとは思わないが、結界に守られ外からの発見は困難であっても不思議ではない。

 

 出鼻をくじかれ、ため息をひとつ。それでもまあ、雄大な空の遊覧飛行は2日目にしてもまだ飽きることはない。

 

 バードマンの水平飛翔の速度はかなりのもので、程なくして山脈の麓にある大きな湖の上空に到達する。やはり文明が栄える条件に水は欠かせないためか、湖と湿地が入り混じった場所には点々と建造物も伺えた。しかし文明といっても人間の村よりもはるかに原始的な造りに見えるそれらは、ペロロンチーノの欲している情報源としてあまり期待が出来なさそうに思える。

 

「んーむ。蜥蜴人(リザードマン)とトードマンか……もう一巡りして何もいなかったら接触してみようかな」

 

 上空から確認できた種族は2種類。どちらもそこまで興味が湧いてこない。ペロロンチーノは上空で大きく旋回すると進路を東に変え、湖を後にした。

 

 

 

 

 

 しばらく飛行を続けると、ペロロンチーノの目の前に奇妙な光景が現れる。それは森の一部に、ぽっかりと穴が空いたような木々が枯れ果てた場所だ。火事の痕か病気の類か……。地表に舞い降り、その様子をじっくり観察していると──

 

「ね、ねえ君! なにしてるのさ! 危ないよ!」

「うおおっ!?」

 

 背後から突然掛けられた声に驚き、思わず声を上げるペロロンチーノ。それもそのはず、高度を下ろす前に広い範囲ではないが特殊技術(スキル)を使用して索敵を行っていた。まさかこんな間近から声が掛かるとは夢にも思わない。

 慌てて上空へ翔び退き弓を構える。看破出来なかった隠密系特殊技術(スキル)の使用者か、索敵範囲外からの転移術者か。緩みきっていた緊張感を引き締め直す。

 

「わっ、わわ、待って待って! 撃たないで! 驚かすつもりじゃなかったんだ!」

 

 そこに立っていたのは、人ともエルフとも表現できそうな姿の少女だった。より正確には超がつくような一級の芸術家が木から作り出した裸婦像のように、肌は磨かれた木の光沢を持ち、髪は新緑を思わせる鮮やかな緑。そして大事な所だけが葉に隠されている。これだけ情報があってペロロンチーノにその正体が判らない訳がない──森精霊(ドライアード)である。

 言葉を忘れてただ見つめるペロロンチーノに彼女は続けて話しかける。

 

「と、とにかく、そこはとーっても危険なんだ! こっちこっち!」

森精霊(ドライアード)……これもいいな……」

 

 古い森の木に宿る精霊たる森精霊(ドライアード)であれば、普段は自らの木の中に姿を隠し、木と一体化しているため発見できなかったのも納得がいく。

 すぐにでも今は無き百科事典(エンサイクロペディア)に色々と書き込みたい衝動を抑え込み、ペロロンチーノは彼女の手招きに応じた。

 

「……えっと、君、前に来た人じゃないよね?」

「ん? 俺は初めてここに来たけど、前に来た人って?」

「そっかー……そうだよね。んとね、前に魔樹の一部が暴れた時に、それをやっつけて封印してくれた人達の一人かなって……でも違うみたいだね」

 

 ペロロンチーノの頭に疑問符が浮かぶ。

 

(魔樹? 封印? それに自分と間違えたということは前にバードマンがここにいたってことか?)

 

「どういうことか、詳しく聞かせてくれるかな?」

「いいよ。んーと、……若い人間が3人、大きい人が1人、年寄り人が1人、君のような羽の生えた人が1人、ドワーフが1人、全部で7人の人達さ。世界を滅ぼせる魔樹を倒してくれるという約束をしてくれたんだけどね……」

 

 その森精霊(ドライアード)──ピニスン・ポール・ペルリアは語ってくれた。

 世界を滅ぼせる魔樹──大昔、幾多の化け物が突然空を切り裂いてこの世界に現れた事があった。その化け物それぞれが世界を滅ぼせるほどの力を有していたが、竜王達との戦いの末、全て討伐された。しかし、実際には一部が深い眠りに就いたり封印され今なお生きているという。この木々が枯れ果てた場所の中央にいる化け物もその内のひとつ。名は魔樹ザイトルクワエ。そして時折体の一部が目覚めて暴れることもあるという。

 以前、魔樹の一部が暴れた際はその7人組がこれを退治し再び封じ込め、もう一度これが目覚めたときには戻ってくるという約束を残していったという話だ。

 

 先ほどの警告の意味を理解し、ユグドラシルの記憶を思い返す。

 

 (魔樹……イビルツリーのことか? ザイトルクワエは聞いたことも無い名だ。それにしても世界を滅ぼせる、か……流石にワールドエネミーなんてことは無いよなあ……)

 

「さっき危険と言っていたけど、今はまだ封印されて眠っているんだろ?」

「それがそうでもないんだ……。本体が目覚めるために周りの木々の命を吸い上げているんだ。ここのところ枯れ木の範囲がどんどん広がってきてて……蘇るのも時間の問題だろうね。次の太陽が昇った時か、その次か……はたまたもっと遅いのかもしれない。でも、もう少しで完全な状態で蘇るよ……。自分の本体の木から長期間離れる事も出来ないし、君にその7人を探して来てもらいたいんだけど……」

「ん、……それって何年ぐらい前の話なんだ?」

「何年……? 太陽がたーくさん昇ったぐらい前……かなぁ?」

 

 ペロロンチーノは思わずうなだれる。時間の概念がまるで違うらしい。何十年どころか何百年も生きる彼女らの感覚から考えれば、その7人組が今だ生存している可能性は低いだろう。

 

「でもまあ、カルネ村にも近いし放置は出来ない……か。面白そうでもあるし、倒せるようなら倒してみるさ」

「ええーー!? 倒すって君がかい? 相手は世界を滅ぼし尽くすことも出来る魔樹だよ!? 前に来てくれた7人組だって、その一部とも苦戦したんだからね!?」

 

 この世界における強者。これからの立ち振る舞いを考える上で知っておかなければならないことだ。ピニスンの言からすれば、その7人組も十分な実力者なのだろう。彼らでは勝てない相手、魔樹を物差しにすれば己の実力を測れるというものだ。

 

「ここの中央だったよね? んじゃ始めてみますか──《下位狩猟具作成 蟇目矢(ひきめや)》」

 

 ペロロンチーノの右手に生成されたのは、鏃の代わりに円柱状の朱い筒がついた矢だ。それを枯れた木々が広がる中央めがけて射る。

 

 ギュィィイイイインン──

 

 静寂に包まれていた森に空気が割れんばかりの、けたたましい音が鳴り響く。蟇目矢は周囲の敵対値(ヘイト)を集める効果がある補助効果を有する矢だ。パーティ戦において後衛であるアーチャーが使用する機会は決して多くないが、前衛が崩れた時などには一時的に敵対値(ヘイト)管理する際に使用された。

 

「ッ! 急になんて音を出すんよっ! 君ぃ!! 魔樹が気付いたら……あわ、うわわああっ!」

 

 ピニスンが猛烈な抗議を始めたところで大地が揺さぶられた。

 

 地響きと共に地中から現れたのは高さおよそ100mを超える巨木。だがもちろんただの巨木ではない。その巨体に似合った木の枝めいた触手は6本。そのどれもが長さ300mを超えている。幹の下腹部ともいえる辺りには巨大な鋭い牙を生やした口が、その上部には邪悪な目玉が並んでいる。歪んだトレント。ザイトルクワエがその全貌を現した。

 

「おおー……こりゃまたでっかいなー」

「な、なな何呑気なこといってんのさっ!! あ、あわわわ……ほほ本体がっ本体が蘇っちゃったじゃないかっ!! どうしてくれるのさっーー!!」

「まあ、これならなんとかなるかな。きっと削りきれるだろう……たぶん」

 

 慌てふためくピニスンの頭にポンと手を乗せたペロロンチーノは落ち着いた口調で宥めにかかる。だが手の下の少女姿の精霊は、涙目になりながらも怒りを込めた苛烈な瞳で睨み上げる。

 

 嗚呼。どんな表情をしていたって絵になるのだから、美少女というのはたまらない。

 ペロロンチーノはその熱烈な視線と、もうひとつ。()()()ことが出来たという事に満足して、俄然やる気を出していた。というのも具現化した森精霊(ドライアード)の姿が実体なのか霊体なのか、それによって触れることが出来るのか出来ないのか、彼にとっては重要なことだったからだ。

 

 その間にもザイトルクワエは触手を器用に使い、周りの枯れ木を引っこ抜いては口に運んでいる。

 

「ところでピニスンちゃん、君の本体ってどっちにあるの?」

 

 まるで忠告を聞こうとしないこの男に対して、まともに抗議するのも無駄だと諦めたピニスンはわざとらしい大きなため息を吐いて方向だけを指し示す。

 ペロロンチーノは鷹揚にひとつ頷き、魔樹ザイトルクワエの面前に躍り出たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユグドラシルにおいて、飛行状態で戦闘を行う事は勧められたものではなかった。

 

 ただ直線的に飛行する場合、『飛行用コンソール』の操作は簡単だ。というのも動かす必要が無いからだ。しかしながら、ひとたび戦闘となれば状況に応じた立ち回りが必要なために『飛行用コンソール』を複雑に操作しなければならない。そこに魔法や特殊技術(スキル)を発動させるための『アイコン』操作が加われば、難易度は飛躍的に高まる。確かに毒沼や溶岩といった地形ダメージを回避するメリットには繋がるが、遮蔽物がなくなり狙われやすくなるというデメリットの方が大きい。故に囮や誘導、後衛職が一時的に射角を得るために使われる程度だったが──

 

 振り上げられた触手は鞭のようにしなりながら轟音と共に大気を切り裂く。巨大な質量が通り過ぎた空間には周りの空気が吸い寄せられ、乱気流が発生する。

 縦横無尽に振り回されるその触手は6本。直撃せずとも巻き起こされる乱流の渦の中では立っていることさえ困難だろう。しかし、その領域を器用に掻い潜る影がひとつあった。

 影は針の穴を通すような見事な回避をしばらくみせた後、触手から逃れ上昇していく。

 

「ふーっ! 神回避だったろ、今の!」

 

 猛禽類を思わせるその顔に表情はない。

 だが、抑え切れない高揚感を全身から醸し出していた。 

 ペロロンチーノは2対4枚の翼を巧みに動かし上空500m地点で静止する。眼下には巨大な魔樹ザイトルクワエを捉え、その距離、直線にして700m程度。

 

「攻撃範囲は周囲300mといったところか……多少伸び縮みすることを考慮しても、ここなら安地だな」

 

 それはザイトルクワエの攻撃がペロロンチーノには届かない事を意味する。対してペロロンチーノの射程はというと……最大で2kmに達した。

 しかし、それは彼の神器級武器──太陽を射殺した英雄の名が付く『ゲイ・ボウ』を、同じく神器級装備で全身固めた時に成せる技だ。現状の装備では《射程距離延長》を併用したところでその半分がせいぜいだろう。しかも、彼が異世界に来てから消耗品節約のために使用していた矢師特殊技術(スキル)《狩猟具作成》で得られる矢の有効射程は更に短い。

 

「流石に出し惜しみはしてられんね」

 

 ペロロンチーノが空間から取り出したのは、手にしたコンポジット・ボウと同様に装飾のほとんど施されていない矢筒だ。この矢筒はゲーム内で販売される消耗品の矢を収納する専用のインベントリとなっている。放てばその分だけ消費するため、補給の目処が立つまでは温存するつもりでいたのだ。

 

 腰に備えた矢筒から同時に4本の矢を抜き取ると、そのうちの1本を弓に番え──射る。

 斜め下方に放たれた矢は二重螺旋の軌跡を残しながら一直線に大きな的へと突き進み──直径にして1m以上の大穴を穿った。

 

 「グガァアアアアアアッ!!」

 

 ザイトルクワエの苦痛な叫びが森中に響き渡る。触手を伸ばしペロロンチーノを打ち落とそうするが虚しくも空を切るばかりで、まるで届いていない。

 手応えを感じたペロロンチーノは続けて3連射。その全ては吸い込まれるようにザイトルクワエに突き立てられ同じような穴が4つ並ぶ。

 

 全盛期、属性ダメージの塊を直接放つことができる『ゲイ・ボウ』を主武器としていたペロロンチーノにとって、この結果はあまりにも地味だった。射程、ダメージ量、そして何より派手さが圧倒的に足りていない。それでも、特殊技術(スキル)で生成した矢をチマチマ射つよりかは、遥かに効果的ではあるのだが。

 

 ゲームとは異なり高度制限も一切ない環境からの一方的な攻撃。和マンチ対策も施されていない現実の戦い。正直なんだかなー、という思いもある。だが、これは生死を懸けた命のやり取り。HP1を残して勝てたとしてもそれは勝利ではない。無傷での完全勝利こそ最善。

 

 余計な考えを振り落とし、再び矢を弓に番えたところで異変に気付く。

 

(何かを撃ち出そうとしているのか……?)

 

 次の瞬間、ザイトルクワエの口から球状の物体がマシンガンのように射出された。比較対象が大きすぎたため豆粒のように見えたそれらは近づくにつれ、その全貌が明らかになる。

 成人の人間ほどもある巨大な種子だ。

 雨あられのごとくペロロンチーノに迫るが、間近でその触手を掻い潜り抜けた彼にとって、ただ真っ直ぐに飛来するだけの弾丸は止まって見えるのも同然。

 直前まで引きつけたところで身を翻し、その回転に合わせ一射。立て続けに迫る弾丸も同様に回避し、《貫通矢強化(ペネトレートショット)》を上乗せした矢を降り注がせた。

 

 

 

 

 

 壮絶な撃ち合いは程なくして決着を迎えた。ザイトルクワエに開けられた幾多もの風穴は、重なり合い、もはや『穴』と表現出来ないほどに削られ、抉られていた。

 足元から声が掛かる。

 

「ぺーぺろーーーんっ!!」

 

 喜びを全面に押し出したそんな声音だ。

 

「ペロロンチーノな」

 

 地上に降り立つと、半ば浮いた状態で駆け寄って来たのはもちろん森精霊(ドライアード)のピニスンだ。

 

「うんっ! ぺろろんすごいよっ!! たった一人であの魔樹を倒しちゃうなんて!!」

 

 そう言うやいなやペロロンチーノの胸に飛び込んでくる。

 

(おっほぉおお! いいぞーーこういう素直な反応!)

 

 小柄な精霊の体はペロロンチーノにぶら下がるような形になったが腰に手を回すことで支えてやる。『櫓立ち(やぐらだ)ち』のようなスタイルだ。分かりやすく言えば『駅弁』だ。

 その肌の色艶から木のような感触も想像できたが、伝わってくる実際の感触はぷにぷにといった女の子特有の柔らかさ。そして顔が近い。

 

「お、おう! 大丈夫って言ったろ?」

 

 内心の興奮とは裏腹に、急なスキンシップのお出迎えという展開にしどろもどろになるペロロンチーノ。そんな様子から彼の女性経験の豊かさが窺い知れるというものだ。

 

「あっ! でもどうしよう。私、こんなお礼を用意できないよ……」

 

 ──魔樹を倒したお礼。息のかかる距離で困ったように薄い眉を八の字に曲げる少女は、対価を支払うには身に余ると言う。

 

 ここはカルネ村と違い、他に誰の目もない。であれば、ムフフなお願いを対価として要求することも可能ということだ。なかなかどうして、割と現実的な落とし所では無かろうか。ごくりと喉が鳴る。そう……いつもの様に、選択肢にカーソルを合わせるだけ……。

 

 だが、言葉が出ない。一体なんて言えばいいんだ。直球に『お礼にエッチさせて』とか? いやいやダメでしょ! お巡りさん私です。

 ではもっとオブラートに包んで言ってみるとして、果たしてその意味するところが通じるのだろうか。この明らかに無垢で、男女の営みの、エッチの『え』の字も知らなさそうなこの少女に対して。というか森精霊(ドライアード)に性別ってあるのだろうか。生涯、()()というものにほとんど触れることがなかったペロロンチーノにとって、植物に対する知識なんて雄しべと雌しべがあるぐらいだ。もちろん教科書はエロゲだ。

 仮に意味が通じたとしよう。ワタワタと動揺して顔を真っ赤に染め上げる姿を見れたら万々歳だ。というかそれはもう勝ちだろう。もしかしたら『助けてくれてありがとう! 抱いて!』なんて言い出すかもしれない。まぁ実際にそんなチョロインなんて存在しないと思うけど。

 だが逆にドン引きされてしまったら……。ペロロンチーノは自分の容姿を思い出す。

 

 そして捻り出した言葉はこうだ。

 

「……お礼なんて要らないよ。俺が勝手にやったことだしね」

 

 なんというヘタレか……いや、我ながら紳士すぎる。だが、恩義は感じてくれているんだ。時間を掛けて雰囲気を作り、自分から言わせるように仕向ければいいのだ。それに変態発言にドン引きされてこの密着状態が解消されるのも困る。せっかくだしもう少し味わいたい……。

 

「わぁーっ! 寛大だねえ! そうだ、ちょっと待っててー」

 

 尊敬の眼差しを送ったピニスンは何かを思いついたのか、スルリとペロロンチーノの腕から逃れ森の奥へと消えていく。

 

(あぁ……)

 

 ペロロンチーノの腕が空を切り、力なく垂れ下がった。

 

 

 

 

 

「お待たせーって……どうしたの? もしかして怪我とかしてた!?」

 

 なにやら両手に抱えて戻ってきたピニスンは、座り込んでうなだれるペロロンチーノの顔を下から覗きこむ。

 

「いや、なんでもないよ……ん? 俺に?」

「そうだよっ どう? お腹すいてない?」

 

 沢山の木の実や果実を大きな葉に乗せ、首を傾げて見上げてくるその姿は精霊と書いて天使と読むに違いない。

 

 出会った当初こそ持ち前の活発で陽気な性格は鳴りを潜めていたようだが、生を受けて以来の悩みの種から解放されたピニスンはそれはもう、ペロロンチーノもついていけないほどのハイテンションだった。座ったと思ったら立ち上がり、周りを飛んだり跳ねたり。ペロロンチーノのあぐらの上にちょこんと座ったかと思えば、腕で捕える前にスルッと抜け出し踊り出す。

 昼下がりの木漏れ日の下、二人の時間はそれはもう賑やかに過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペロロンチーノが一方的なお喋りから解放された時には既に日が傾き始めた頃だった。帰り際に見せてくれた「また会いに来てね」の寂しそうな笑顔は決して忘れないだろう。そして、後ろ髪を引かれつつもカルネ村への帰路についた。

 

 村へ戻ったペロロンチーノは、これからもしばらく世話になる旨を伝えるため、ピニスンから貰った森の恵を手土産に、村長の元へと向かった。

 朝から姿を見せなかったためか、少しばかり期待させてしまったかもしれない。そんな村長の気持ちもわからなくもない。村を救ってくれた恩人であるのと同時に、その牙がいつ自分たちに向くか分からない恐怖があるのだろう。なんとも微妙な表情をされたが気付かない素振りで挨拶を済ませた。

 友好的に接していれば、いつかは誤解も解けるはず。くよくよする理由はない。なんたって今のペロロンチーノは最高に気分が良いのだから。

 

 借り受けている空き家の前に差し掛かると、窓からは既に室内の明かりが漏れている。不審に思いながらも扉を開けると──

 

「あっ! ペロロンチーノさま戻ってきたー!」

「こ、こんばんは。ペロロンチーノ様」

「おっ、こんばんは。エンリちゃん、ネムちゃん。どうしたのこんなところで」

 

 な、なんだこの展開は。下校の際に校門前で待ち伏せする後輩みたいなシチュエーションは。いや、自宅に上がり込んでいるのだからそれ以上か。自分の知らないところで、まさかここまで関係が発展していたとは。ただいまとか言ったほうがよかっただろうか。

 妄想があらぬ方向へ暴走しそうになるのを必至に抑えるペロロンチーノ。嬉しさのあまり声のトーンが一段上がったような気もするが、ここは努めて平静を装わねばなるまい。

 

「はいっ、お食事をお持ちしたので中で待たせてもらってました」

「ましたーっ! もぅ、ペロロンチーノさまどこ行ってたんですか? 朝も昼も探したんですよー」

「こ、こら、ネムっ!」

 

 なんということだ。朝方何も言わずに出て行ってしまったから、余計な気を使わせてしまったらしい。この様子だと朝も昼も食事を用意して待っていたのだろう。

 

「それは……その、すまなかった……」

「い、いえっ! ペロロンチーノ様。私達が勝手にしたことですし……その、どうかお気になさらないでください」 

 

 机の上には昨日と同じようにバスケットにパンと、スープが入っているのだろうか鍋が用意されていた。

 

「ペロロンチーノさま! わたしも手伝ったんだよ! 食べて! 食べて!」

「お口に合うといいのですが……」

 

 こんな可愛い姉妹から手料理を振る舞われる。男冥利に尽きるというものだ。断ろうはずがない。ましてや『外で済ませてきてもうお腹いっぱいです』なんて言えるはずがないのだった。

 

 

 

 

 

 昨夜、肌も触れ合う時間を共に過ごしたおかげだろうか。ペロロンチーノと二人の姉妹との距離は更に縮まったように思える。

 談笑の中、ひとつの話題が一区切りついた時にエンリが意を決して切り出した。

 

「ペロロンチーノ様……その、お羽根が乱れて……」

 

 エンリの指差した所を目で追うと、確かにペロロンチーノの羽根は不揃いに重なっていたり捲れたりしている。まるで寝癖のように。遠目では分からない程度の細かな乱れであったが、よく見れば全身の羽根がそうであった。

 

「あー。今日はよく翔び回ったからかな……自分では気付かなかったけどボサボサだな」

 

 苦笑交じりに応えるペロロンチーノ。人間であった頃はシャワーを浴びるところなのだろうが、このバードマンとなった今の身体ではどう手入れをすればいいのか分からない。このままにしておくのも身だしなみとしてどうかと思うし、だからといってバードマンの羽根の手入れについて訊ける相手などいない。

 大空を羽ばたける翼を手に入れた代わりに些細な問題が付き纏う。こういうところがやはり現実味あるなとしみじみ思う。

 まあ、しかし今更だ。羽根の手入れについては姉妹が帰った後にでも考えるとしよう。そう結論付けたところで、エンリが再び口を開く。

 

「あのっ、もし羽づくろいされるのでしたら、お手伝いしましょうか……? あっ! えっと、背中の方とか大変かと思いましてっ!」

 

 少し頬を赤らめながら、そして最後の方はかなり早口になりながらも言い終えると、顔を隠すように俯いてしまった。

 

(羽づくろい? 毛づくろいみたいなものだろうか。羽づくろいをしてもらう……これはバードマンの常識的に有りなのか無しなのか。……分かるわけがないけど、せっかくの申し出だ。断るわけがない!)

 

「ん。じゃあ、お願いしようかな」

「は、はいっ」

 

 パッと花が咲いたような笑顔をみせるエンリ。席を立ち上がりペロロンチーノの背後に回ると、指先で翼をなぞるような感触が伝わってくる。なんだかこそばゆい。

 最初は恐る恐る触れていたエンリも勝手が分かってきたようだ。羽根の付け根から羽先に沿って優しく指が通される度に、羽根の収まりが良くなるように感じる。

 

「おぉー……案外うまいじゃないか」

 

 案外どころかめちゃくちゃ気持ちいいです。

 

「ありがとうございます! 森の鳥達がやってるのを見よう見まねなのですが……喜んでいただけて嬉しいです」

 

 なるほど。骨格は違えどバードマンの羽根の作りは鳥のものと同じだ。自然溢れる環境で育ったエンリが上手なのも頷ける。

 

「お姉ちゃんばっかりずるいっ! 私もー」

 

 今まで様子を見ていたネムも、負けじと姉の横に並んで羽づくろいを始める。そして時折「気持ちいいですかー?」と後から顔を覗かせてくるところがまた微笑ましい。

 

(だが、ネムよ。そんな前の方はやらなくていいぞ。いろいろとマズイですからっ)

 

 

 

 

 

 もはや定位置だと言わんばかりに、ネムはペロロンチーノの膝の上で居眠りを始めてしまった。

 

「もぅ、ネムったら。すみません妹が……」

「なに、構わないよ」

「……ペロロンチーノ様。私達、本当に感謝しているんです。村の皆はまだ……」

「ああ。わかっているさ」

「はいっ。ありがとうございます。それと……急にいなくなったりしないでくださいね……心配しますから」

「……分かったよ。約束する」

 

 まだ背後に立って羽づくろいを続けてくれているエンリの顔は見えなかったが、きっと満面の笑みだったに違いない。

 こうしてペロロンチーノと二人の姉妹の静かな夜は過ぎていった。




4/21 2話分を1話に結合

12/21
原作10巻に則り下記内容を訂正
対してペロロンチーノの射程はというと……最大で3kmを超えた→2kmに達した

その他色々と微修正
話の大筋に変更はありません

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。