願い雨   作:夜泣マクーラ

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第二章
彼の十字架、彼女の美醜


 不自然な静寂の中、かちゃ、かちゃと小さく頼りない音だけが室内にある。

 外は夏など面影も見えない寒さと風が支配しているのに、額や頬を汗が伝う。

 視線を合わせぬよう、俺は三人を見回す。

 鷺沢と信の二人は手元に視線を落とし、これまでの工程に見落としはないかと思考を繰り返しているようだ。視線が左から右へと泳いではまた思案している。

 なるほど、二人は俺と大差ない状況らしい。だが、異様な緊張感に手に汗握る俺達とは違い、唯一そいつだけは緊張どころか余裕の笑みを浮かべている。その笑みには勝者特有の匂いが漂っている。

 いや、奴の笑みに惑わされるな。そう、このままなら。

 これまでの戦いを振り返れば俺達の誰もが気付いている。奴は普通じゃない。セオリーなんて紙屑同然。ならば俺達も変則的にいかなければ喰われてしまう。

 退けない、退いてはいけない。どれだけの圧力が肩に圧し掛かろうと、気持ちだけは折れるわけにはいかない。折れた時、俺達は死んでしまう。

 対面の信と視線で会話をし、お互いに頷く。仕掛けるならここしかない。一人で駄目なら二人。俺と信が組めばやってやれないことなんて一度もなかったんだ。そう、俺達は最強だ。

 そんな俺と信のコンビが結成されようという時、馬鹿がとんでもないことをしやがった。

「くっそ、倍プッシュだッ」

 右手を天高くから振り下ろした鷺沢。そして高校野球のサイレンのような、終わったと感じさせる声が俺の隣から上がった。

「あ、それロンだよ。清一色、二盃口、純チャン、ドラドラ。やったよ智ちゃん!数え役満~!一蹴くんトビだね!」

「馬鹿野郎~~~~~~~ッ!!!!」

 俺と信の渾身の馬鹿野郎の言葉。馬鹿じゃねぇの馬鹿じゃねぇの馬鹿じゃねぇのッ!!!!

 この世の終わりのように嘘だろと呟く鷺沢。お前の頭の悪さは嘘じゃねぇよッ!

 目の前の場を眺める。鷺沢が出したのは三萬。唯笑の捨て牌は萬子中心で、一見萬子の待ちには見えないかもしれない。だが、九蓮宝燈(ちゅうれんぽうとう)もそうだが、こういった捨て牌になることは珍しくない。だからこそ疑わなければならなかった。現物で降りるのが最善だというのに。唯笑はおばさんと母さんから、天から降り立った天才と謳われる規格外の化け物だってのに。

「これで四回連続ラスだね一蹴くん」

「い、いやいやいやいや!おかしいでしょこの人!?最初なんて、東一局で俺瞬殺されたんだけど!?なに、国士十三面待ちって!?都市伝説の役満に刺さるってどんな確立っすか!?」

「え?そんなに低い確率かなぁ。でも、そっか。唯笑もまだ十回位しか上がった事ないし、珍しい役満だよね」

 ほんと何言ってるのこの子。天文学的確率の役満なんだけど。看護師になる必要ねぇだろ。

「ていうか鷺沢、お前振り込み過ぎなんだよ。こいつが普通じゃないって気付いたら、普通は現物で降りるべきだろ、脳みその代わりにサイコロ詰めた方がマシだな」

「だよな。しかも役なしでリーチとかマジで止めろって。せっかく俺と智也で追い込もうとしてるのになんで邪魔するんだよ、場を読めよ馬鹿」

「年下に本気の言葉のリンチとか酷すぎだろ!」

 この程度で涙目になるなんて、そんなに女に負けたのがショックか。安心しろ、俺達はいつも黒須に負けているから。

「鷺沢、負け犬が人間の言葉をしゃべるのか?ワンだろ?ほら、鳴いてみろよ」

「容赦のなさがおかしい」

「それじゃ、張り切ってやってもらおうか。最下位の罰ゲーム、静流さんに電話してセクハラト~ク」

 ワクドキなテンションの俺達と、無理無理と拒む負け犬。ははは、最初は嫌がってもやっているうちに楽しくなっていくはずだ。くくく、恥ずかしがる静流さんをもっと恥ずかしがらせることが徐々に快感となり、小僧はその甘美な背徳の味に酔いしれる事だろう。

「あんた等は冗談で済ませられるだろうけど、俺の場合は冗談じゃ済まねぇから!年下なうえに上司なんだぞ!「あ、ごめんね一蹴くん。もう掛けちゃった」せめて今坂さんだけは常識的でいてくれないっすかねぇ!?」

「無理とか諦めるな鷺沢。お前ならおはようございますってノリで、おっぱい揉みたいですって言える。自分を信じろ」

「信じてたまるか!」

「普段下ネタを逃げだって否定して言わない智也が、自分のプライドを曲げてまで応援しているんだ。その気持ちに応えてやれよ」

「応えたら俺の人生曲がっちゃいけない曲がりかたしちまうんだって!」

『セックハラッ!セックハラッ!』

「合唱うぜぇッ!!」

 うははははは!やっぱり弄れる年下がいるのは生活が潤うよなぁ!

 やいのやいのと素面の酔っぱらい状況の俺達と、逃げ場のない鷺沢……そしてもう一人。

「三上セクシャルハラスメントさん。終わりました」

 絶対零度の視線で俺達を凍らせるエリザベート陵。

「今坂さん?」

「うん、ごめんねいのりちゃん。本当は掛けてないから、ね?」

 唯笑の声が心なしか震えていた。唯笑、年上の自覚あるか?小娘に気圧されてどうする。

「一蹴も三上さんのウィルスに侵されないように、マスクとアルコール消毒をしてから迎えに来てね?」

「あ、ああ。気を付ける」

「お前魂まで尻に敷かれる勢いだな」

「ここまでいのりに言わせるあんたがおかしいんだ」

「誉め言葉と受け取っておこう」

 鷺沢が陵を迎えに来るようになり一週間。これが今の俺達の日常だった。

 

 

 

「はあ?年始まで親父のとこに戻るだぁ?」

 一時限目から講義がある日の朝、起き抜けの母さんの言葉に一気に目が覚めた。

「うん、いつまでもあの人を一人にしておくのも心配なのよぉ~」

 何が心配なのか。クソ親父なら南極でもペンギンを狩って生きていける埒外だろうに。

「んなこと急に言われたって、今は陵が家に来る日が多いんだぞ!男と二人にして心配じゃないのかよ!?」

 年頃の男女が一つ屋根の下だなんて、陵の両親だって許すはずが……

「全然」

「ですよねぇ~」

 躊躇のない返答に思わず脱力してしまう。

「だって、これまで見てきたけど、あんたいのりちゃんに手を出すどころか、いつも友達の誰かを呼んでるじゃない。二人っきりの状況なんて最近見た事ないもん」

 ええ、まあ。母さんの言う通り、唯笑や信はもちろんのこと、伊波や加賀達も呼ぶ事が多い。

「そりゃあ、彼氏と順調みたいだし、俺だって気を遣うんだよ」

「……周りの女の子にはそんな気なんて遣わないじゃないの」

「なんだって?」

「クソつまんない息子ねって言ったの」

「聞こえてない振りをしたんだから更に酷く言うの止めろ!」

 何が他の女の子には~だ。俺の周りに彼氏持ちなんて白河や黒須だけしかいないだろ。白河に気を遣った事など一度もないし、それこそ無駄な労力だけどな。あいつこそ俺に気を遣え。

「孫を見るチャンスもないようだし、私がいても意味がないでしょ」

「言い方が気になるが、まあ確かに。むしろいたら引っ掻き回されて腹が立ち、潰したいまである」

「あらあら、お母さんの百八ある技で消滅させちゃうぞ♪」

「煩悩しかなさそうな技だな」

「うるっさいわねぇ~。それじゃ、私は買い物に行くから、明後日から頑張りなさいよぉ。年始には面白い事になっているのを期待してるからねん」

「ちょ、待てや母親!」

 呼び止める声も虚しく、母さんは能天気に手を振りながら家を出ていった。

 これが鷺沢が迎えに来るようになる少し前の事。ていうか、俺の晩飯は適当でもいいけど……

「あいつらの飯をどうしろと?」

 

 

 

「あ、いのりちゃん胡椒取ってくれない?」

「はい。こっちはもう出来ますけど、稲穂さんはもう少しかかりますか?」

「いや、こっちも上がるよ。唯笑ちゃん、お皿出してくれないか?」

「うん、大皿で良いかな?」

「オッケー」

 キッチンでは三人の息の合った姿。ダイニングでは料理を待つだけの木偶の坊二人。

「おい、良いのか?小娘と信が新婚みたいになってんぞ」

「そういうあんたこそ、幼馴染が同棲している恋人同士みたいになってるけど」

「……そうなってくれりゃあなぁ」

「は?」

「なんでもねぇよ」

 信だったら唯笑を安心して任せられるんだが、お互いに恋人って雰囲気ではなさそうなんだよなぁ。高校の頃はわりと本気で唯笑の事が好きだったようなんだがな。もっと自分に我侭になってもいいのに、あの馬鹿。

「いいからぼんやり座ってないで小娘を手伝って来いよ。彼氏だろ」

「あんたに言われたくないっすけど、まあそうだな。いのり~、俺も何か手伝おうか~?」

「ううん、一蹴はいつもみたいに待ってて。それが嬉しいんだから」

 振り返った陵が綻んだ笑顔で応える。その返答に鷺沢がドヤりやがる。

「戦力外通告されただけのくせにうぜぇ」

「これが俺といのりの形なんすよ。そんなこと言うならあんたも言ってみたらどうっすか?」

 馬鹿め。こいつは何もわかっていないな。俺が手伝うって言ったらどうなると思ってるんだ。感涙の涙を流しながら助力を求めるに決まってるだろ。

「仕方ない、お前との格の差を見せてやるよ。お~い、俺様が手伝ってやろうか?」

「そのまま指を咥えて飢えていて下さい、お願いします」

 この結果知ってたわ。

「……な?」

「何がな?だよ。格どころか次元が違うじゃねぇっすか」

 ばっかお前、アレはアレだよ。照れ隠しが下手過ぎて、ちょっとばかし辛辣になっちゃう乙女心ってやつなんだって。……ねぇな。

「うるせぇな。お前の彼女、体の半分トリカブトで出来てんじゃね?」

「あんた以外にあんな態度を取るいのりを知らないんすけどね」

「あんな態度以外を俺は知らんがな」

 どんな波乱万丈な人生を送れば、あんなささくれ立った性格になるんでしょうね~。

「お~い、馬鹿二人。飯出来たぞ~」

 三人が両手に皿を持ってテーブルへとやってくる。母さんが親父の下へ旅立ってから、これが三上家の日常となっていた。

 全員が席についていただきますと手を合わせ、各々大皿から料理を取り分ける。

 ふむ、今日のメインは明太子パスタか。これは信が作ったものだな。あとは生ハムサラダにヒラメのカルパッチョとマルゲリータか。イタリアンにでも凝ってるのか?まあ、好物ばかりだから問題はないけどな。

「智ちゃん、そういえばもう少しで冬休みだよね?」

「ああ、ようやくな」

「ようやくって、あんた真面目に大学行ってたのかよ?」

「黙れ小僧。お前は進学しねぇんだから早く就職先探せよ。つうか食費払え」

「コックへの手数料もな。あ、唯笑ちゃんタバスコ取ってくれない?」

「はい。そんなことより、智ちゃん冬休みと言えば一大イベントがあるよね?」

「ちょ、唯笑ちゃんこれケチャップじゃんか」

「一大イベント?あ~、天皇誕生日だな。今年はどこぞの国みたいに、国民全員で天皇を讃えんのか?そいつは確かに一大イベントだな。ほれ、タバスコ」

「ああ、サンキュって、お前はイタリアンをわさびで食べるのか!?」

「辛味って共通点があるから平気だろ」

「そうじゃないよ智ちゃん!冬の一大イベントと言えば!?」

「天皇誕生日じゃないとなると、ああ!世界で一番ご懐妊率が高い日だな!」

「うわ、この人最低だな」

「事実だろうが」

「ご懐妊?ん~……ああ!誤解人だね!」

「お前、本当に看護学校に通ってる?」

「そういえばいのりはクリスマスって?」

「私はその日は反面教師の日じゃないから、ずっと一緒に一蹴といられるよ」

「一蹴、無言でガッツポーズするなって。ガチ過ぎて怖い」

「おい小娘、反面教師とは随分な言い分だなぁ。お前のパスタにガムシロップぶち込むぞ」

「ふふふ、三上さんって冗談ばっかり言うんですよね。あ、ホイップクリーム持ってこないと」

「対抗心バリバリじゃねぇかよ」

「もう!ご懐妊率とかそうじゃなくて、一大イベントといえばアレだよぉッ!」

「なんだよさっきから。どれだよ。スペクタクルでセンセーショナルな一大イベントなんざ他に知らねぇよ」

 カオスな会話が行き交い続ける家庭教師の日の夕食だが、この日ばかりはほんの少しだけ時間が止まった。

「だから、クリスマスイヴだよぉ!恋人の日は唯笑と一緒にいてくれるよね?」

 あ~、恋人の日ね~。恋人ねぇ。誰と誰が?

「え、あ?あ~、そうだったんすか。今坂さんとあんたが恋人ですか~。へぇ~……え、マジで?」

 タイムラグは数秒だが、確かに時が止まった。あまりにアホな発言に。

 だが、本当に時が止まったのは唯笑の発言にじゃなかった。時を操る魔術を使用したのは……

「いつもの妄言だ。こいつと俺は家族でそんな関係じゃない。大体その日は詩音と出掛ける用事があるんだよ」

 どうやら俺だったらしい。

 唯笑の瞳から光が失われ、信は手に持ったピザからチーズが垂れていて、小僧はそんな二人に詩音って誰だよ?と尋ねている。だが、魔術耐性があるらしい陵だけは、我関せずと黙々とサラダを食べていた。

 まさかとは昔から思っていたが、もしかして俺には本当に人とは違う能力があったとは……聖杯戦争に参加したり、どこぞの街でナチスと戦うか。

「え?え?え?智ちゃん、どういうことかなそれ?唯笑聞いてないよ。ねえねえねえねえねえねえ?」

「お前急にキャラ崩壊して病んでんじゃねぇよ!近い近い怖い!」

 キスどころか目を抉られそうな恐怖を抱く。

「智也どういうことだよ!俺は何も聞いてないぞ!」

「恋人風に問い質すの止めろ!なんでただ友達と出掛けるだけでこんな大騒ぎになる!?」

「そりゃあイヴに女と出掛けるってなったら、普通はデートだからじゃないっすか?」

「ちょ~っと黙っててくれないか小僧。さもなくば折るぞ」

 そこまで騒ぐことかよ。詩音だってそんな恋愛脳全開で一緒に出掛けるわけじゃないだろうし。

「あの、詩音さんってどなたなんですか?」

「詩音ちゃん?詩音ちゃんはねぇ……詩音ちゃんは……唯笑にライバル宣言した強敵なんだよぉ~~~~ッ!!!!」

 なんじゃそら。初耳だぞ。あいつもこいつになにしてくれちゃってんだよ。詩音までアホの子になるつもりか?

「いえ、それはどうでもいいんですけど」

「良くないよお!」

 狂乱している唯笑の代わりに信が陵の質問に答える。

「双海さんっていうのは端的に言えば、智也への好感度マックスのシリーズ最強ヒロインなんだ」

「メタい説明はいかんだろ」

 下ネタと並んで俺が嫌いな発言しやがって。

「お前等は少し黙ってろ。詩音は俺の友達で、帰国子女のクォーターでだな、しかも紅茶マニアで紅茶の話になると一日は語るという病気を持つやつだ。キャラ強すぎだろ」

 俺が珍しくまともに紹介すると、陵はクォーター……とぽつりと呟いて黙り込む。なんだってんだ。

「で、その人って美人なの?」

「正直、いのりちゃんを凌駕する」

「信、てめぇは今俺の踏んじゃいけない地雷を踏み抜いたぜ?」

「一蹴くん……残念だけど本当なの。唯一対抗できるとすれば唯笑だけだと思うな」

「図々しいなお前」

 臆面もなく堂々と言えるその神経の図太さはどこで買えるんだろうな。

 その後もギャースカとうるさい夕食が続いた。もちろん陵も小僧優先でいつも通りに会話に参加していた。今の俺と同じように、な。

 

 

 

 唯笑達が帰った後、信と俺の二人で夕食の片づけをしていると、信は少しだけ嬉しそうに口にした。

「それにしても驚いたなぁ。まさか双海さんとだなんてな」

「あのなぁ、何勘違いしてんだお前は。詩音にはちょっと俺の用事に付き合ってもらうだけなんだよ。美味い紅茶の店に連れていくって条件でな」

「用事?デートがメインじゃないのか?」

 わかってるくせにこいつ、俺をわざとからかってやがるな。

「なわけあるか。ちょっとした下らない用事さ。詩音が用事に一番適したやつだったってだけだ」

「ほほ~ん。となると、やっぱり本命はいのりちゃんなわけか」

 思わず拭いている皿で頭を勝ち割ってやろうかとしてしまう。危ない危ない、サスペンス劇場がここで繰り広げられるところだったじゃないか。

「どうしたらそうなるんだっての。あいつには鷺沢がいるし、俺はあいつらが一緒にいることを望んでいるんだぞ?じゃなきゃ、あんな馬鹿みたいに動き回るかよ」

「そうか?じゃあなんでいのりちゃんが来る時、毎回誰かしらを呼ぶんだ?」

「そりゃ、男女が二人ってのは向こうの両親にも、言うまでもなく鷺沢にも悪いからだろ」

「その気もないのに、随分気が回るんだな」

 その気がおきそうで怖いからじゃないのか?暗に信はそう俺に問いかけているが、それに取り合わず俺は黙々と皿を拭いていく。

「ま、それはそれでいいさ。でもな、智也……そんなんじゃ俺は誤魔化せないぜ」

「しつこいぞ。人間不信もいい加減にしないと」

「お前もいのりちゃんも、最近ずっと目を合わせようとしていない」

 信のその一言に、皿を拭く手を止めてしまう。こいつ、気付いていたのか?

「正確には、眼を合わせている振りをずっとしているよな。まるで示し合わせたかのように」

 そう、信の観察眼は実に優秀で、まさにその通りだった。あいつがどういうつもりかはしらないが、陵も俺もずっと目を合わせているふりをし続けている。

「いのりちゃんだけだったなら俺は別にどうとも思わなかったけどな。ああ、今回もダメだったか……てな。けどな、お前まで同じってのはどういうことだ?」

 まったく、この分じゃ唯笑にもバレているだろうな。ああ、そうだよ。俺は陵から全力で目を逸らし続けている。理由は……

「これ以上近づきたくないんだろ?そうじゃないと、お前の気持ちが、抱え続けてきた想いが壊れるんじゃないかって怖いんだろ?」

 そう……考えてしまうのも無理はないだろうな。それでいい、唯笑も信も勘違いしてくれているのなら、それが俺の救いになる。

「でもな、そんな事で壊れてしまうような、そんな脆いもんじゃないだろ、お前の彩花ちゃんへの想いはさ」

 ああ、そうだよ。俺の彩花への想いが壊れるなんてことは永遠にない。あってはならない。だからこそ、俺は陵へと近づけない。俺の一番は彩花なんだ。だから、俺はまだ……

「でもな智也、俺は――ッ」

 信がなおも続けようとする言葉を、俺は微笑みを向けて黙らせてしまった。

「悪い、信……もう少しだけ、さ……勘弁してくれよ」

 俺の所為で信が苦しみ続けているのは誰よりも俺が思い知っている。俺が踏み出せなければ信が救われることはない。それでも、だ。俺には誰かを愛する資格なんてないんだ。最初から俺に誰かを愛する権利なんてない。誰が許そうと、俺だけは俺を許さない。極刑、なんだよ。自分で自分を罰することしか俺には出来ない。世間が俺を罰してくれないのだから、そうするしか道なんてなかったんだ。

「智也?」

「悪いな信。だが、いい加減はっきり言っておくな。俺は……」

 

 

 ――俺が誰かを愛する事は生涯をかけて有り得ない――

 

 

 

「だっせぇな、俺……」

 俺の言葉に信は力をなくしたかのように、そうかとだけ呟いて落胆して家を出ていった。

 信を傷つけてしまう言葉だってのは知っていた。知っていてあえて俺は言葉にしたんだ。そうでもしないと、信は俺を見捨ててなんてくれない。諦め悪いからな、俺の最高の親友はさ。

「ごめんな、ごめん」

 わかってくれなんて勝手な事は言えない。信がこれで俺から離れてくれるのなら安いもんだ。俺の身勝手な罪悪感なんてどうでもいい。

「けど、諦めてなんてくれねぇよなぁ」

 この程度じゃあいつは諦めない。どうやら、あいつの幸せの最低条件は、俺が誰かと歩んでいくことらしいからな。まったく、難儀な事だ。不毛な願いを俺達は抱いて生きていかなくちゃならないなんて。

 俺は俺の幸福なんて望んじゃいない。いいや、むしろ幸福であってはならないと堅く自分に言い聞かせ続けてきた。

 これでいい。これまでのように、俺はどんどん独りになっていこう。彩花が最後の一人となるまで。

「仕方ねぇだろ。俺はこんな最低な屑なんだ。お前だって知ってるだろ。俺よりも俺の事を知っているんだから」

 窓辺に感じる気配。鍵を閉めずに過ごす日々の影をそこに見る。

「だから、そんな泣きそうな顔で俺を見るなよ彩花」

 ほらな、俺は最低だ。最愛をこんなにも悲しませているのに、俺は自分の生き方を変えられないんだからな。

「……電話、しないとな」

 電話帳に新たに加わった名前。その人へと連絡を取る。電話をした瞬間、背中に懐かしい重みと温もりを感じ取る。

 そっか、お前も受け止めてくれるか……

 彩花がいてくれるのなら、もう俺は逃げる必要はない。過去と決着をつけるんだ。

「もしもし、お疲れ様です」

 窓の外、夜空を見上げる。夜空に星はなく、一面を厚い雲が覆っている……そんな寂しい夜空だった。

 

 

 

 詩音さん……名前を聞いた瞬間、それが誰なのかは聞かなくても勝手に頭の中にあの日の幻想的な映像が浮かんだ。そう、なんだ。あの人と三上さんはクリスマスイヴを過ごすんだ。

「でもさあ、信の料理も美味いけど、やっぱいのりの料理が一番俺にあってるんだよなぁ」

「そりゃそうだよ。だって、一蹴の好きな味を私が一番知ってるんだからね」

「だよな」

 三上さんはデートじゃないって言っていたけれど、きっと詩音さんは三上さんの為に一生懸命オシャレしてくるんだろうな。

「あとさあとさ、驚いたよな!三上……さん。あいつに付き合ってる人がいるなんてな。世の中には物好きがいるもんだよなぁ」

「そうだよね!私もびっくりしちゃったもん!」

 イヴの前の日はどんな服を着ていくか悩んで眠れなくて、あそこに行こう、ここに行こうって想像するだけで楽しくて胸が高鳴って。

「しかもとんでもない美人って、一度会ってみてぇ~」

「あ~!一蹴、その美人な人に会いたいだけでしょ~!」

「な、馬鹿違うって!」

 待ち合わせに早く着いちゃって、三上さんが走ってくる姿を今か今かと待ちわびて、遅れてきたことを謝る三上さんに嬉しそうに怒って。

「俺にはいのりがいるし、もう全然他の女に目なんか向かないから!」

「ほんとかなぁ?一蹴って女の子にすぐ優しくするから心配だなぁ」

 もうしょうがない人ですねって言って、彼の手を取って歩き出す。道行く恋人と同じように、凍えそうな手を温め合って……

「そんなことねぇって!それにほら!」

 一蹴の手が私の手を掴む。妬ましくて眩い夢から現実へと引き戻される。

「俺がこうして手を繋ぎたいって思うのはいのりだけだから」

「うん、私も一蹴だけだよ」

 嬉しそうに微笑む一蹴と、笑顔の仮面を張り付け続ける無様な女。

 手の温度とは裏腹に、心の温度はどんどん下がっていく。凍り付いて痛みが走るけれど、私はそれを呑みこむ。

 だって、私はこの手を離すことは出来ない。それを三上さんは望まないし、私が自分の気持ちに素直になってしまうと、一蹴だけじゃない……三上さんを傷つけてしまう。だから、私は気持ちを嘘で塗り固めていく。虚飾がいつの日か本当に変わるように願いながら。

 そうして、吐き気のする自分を私は否定しながらも受け入れる。

「そうだ、明後日っていのり暇だろ?」

「うん、そうだけど」

「俺も就職活動でならずやを辞めるし、忙しくなる前に二人で久しぶりに出掛けようぜ」

 一蹴の願う私、三上さんが望む距離。それを忠実に実行する。そうすることが誰も傷つける事のない最善だから。

「へへ、じゃあその日は一蹴を独り占めだね」

「それは俺のセリフだっての」

 そう微笑み合いながら、どちらからともなく唇を重ねる。

 初めて……初めて一蹴とのキスが痛く感じられる。胸が疼いて叫び出したい。浅ましい自分が自分を糾弾する。お前ほど醜悪な女はこの世に存在しないと。

 

 

 

 久しぶりの一蹴とのデートはやっぱり楽しくて、二人でいる空気が心地いい。

 この日は冬晴れで、街行く人々も太陽の少しの温もりにどこか活気づいているよう。クリスマスが近い事も活気づく理由の一端なのだろう。

 とある有名なアウトレットモール内はクリスマス一色で、中央には目玉の大きなツリーが眼下の人々を見守る。

「なんか、こうしてデートしてるとさ、本当にいのりとまた恋人に戻れたんだなって実感しちまうな」

「うん、私も」

 あの頃と気持ちに差異はあるけれど、こういう時間を重ねていけばこんなこと気にならなくなる。一蹴の事が嫌いになったわけじゃないもの。あの頃と好きな気持ちは変わらない。変わらない……だから、こんなにも私は……

「そうだ、ここら辺に静流さんのお勧めの喫茶店があるんだよ。行ってみるか?」

「そうなんだ!楽しみだね」

 悲劇のヒロインを気取る。舞台の袖から、主人公の傍に居られるお姫様を眺めるしか出来ないくせに。

 一蹴に手を引かれ、こっちだったようなと歩いていく。

 小さな看板の小さなお店がひしめき合っている。だからかな、一蹴は目的のお店を見つけるのに凄く苦労している。

 私の為に一生懸命になってくれるその気持ちが嬉しくて、ぐちゃぐちゃ考えている自分に嫌気が差す。

 こんなに一生懸命に楽しい日にしてくれようとしてくれている恋人がいる。それ以外に何が必要なのだろう。それだけでいい。一蹴が私をきっと……

「あった、ここだここだ!」

「あ、ここって……」

 前に女性誌のデートに行きたいスイーツ店でピックアップされていたお店で、私も一度は来てみたかったお店。そのお店の名前は……

「いらっしゃいませ~!」

 『ファミーユブリックモール店』だ。

 店内に入ると、メイド服風のコスチュームの店員さんが笑顔で迎え入れてくれる……と思ったのだけれど違った。

「二名様でしょうか?かしこまりました、ではこちらの席へどうぞ」

 仏頂面の愛想のない美人さんだった。

「あ、いらっしゃいませー!おい里伽子、もうちょっと愛想をだな……」

「はいはい、いいからあんたは卵を愛してなさい。あ、いらっしゃいませ」

「だ~か~ら~!」

 奥から出てきた男性の文句もなんのその、彼女はすぐに新たに来たお客様の対応へと向かった。

 あ、アットホームなお店、かな?

「……綺麗な人だったなぁ~」

「一蹴?」

「ち、違うぞいのり!今のは客観的な意見で!」

 ま、まあ一蹴が感嘆の息を吐くのも頷けるけれど。愛想はないけれど、間違いなく美人だったし、年上特有の艶っぽさもあったもんね。

「それよりほら、ここのケーキがめちゃくちゃ美味いって静流さんが言ってたんだ!なんでも知り合いのパティシエが作っているらしくて」

「へぇ、静流さんがケーキの事で絶賛するなんて珍しいね」

 ケーキに関して静流さんは嘘を言わない。それどころか、いつもよりも厳しい評価をする人だから、その静流さんが絶賛するケーキがそれほど美味しいのか期待してしまう。

「え~っと、どれにしよっかなぁ」

 メニューを見ながら、クロカンブッシュやブッシュドノエルといったクリスマスらしいメニューに目が行く。あ、クラシックショコラも美味しそうだけれど、チーズスフレもいいなぁ。

 味への期待と値段の安さについつい目移りしてしまう。そうして二人でメニューと睨めっこしていると、ふと奥の席に見覚えのある姿がある気がした。誰だろうとそちらに目をやると……

「ん?どうしたいのり?」

「い、一蹴隠れて」

「は?」

「いいから隠れて!」

 椅子を一蹴の隣へと移動させて、一冊のメニュー表で二人で顔が隠れるようにする。

「おい何を……って、あれは……」

 一蹴も気づいたらしく、私と同じようにひそひそとした声になる。

 だって、奥の席にはいつもとは違う落ち着いた服を着て大人の顔をした三上んさんがいて、それともう一人……

「三上?ていうか一緒にいるのって誰だ?」

 詩音さん……じゃない。詩音さんや三上さんよりも年上で、ビシッとスーツを着こなした大人の女性が三上さんと話をしていた。

「へぇ~、そういうことか。三上って年上の人と付き合ってたんだな」

「……多分違うよ」

 恋人という雰囲気じゃない。だって、三上さんのあんなに強張った顔初めて見るもの。緊張で周りが見えてなくて、心なしか震えているようにも見える。

「何話してるんだ?」

「良く聞こえないね」

 周りの雑音に二人の声が掻き消されて、ところどころしか会話が拾えない。

 三上さんの尋常じゃない雰囲気に、私は我知らず一蹴の服の裾を掴んだ。

「いのり?」

 何が、あったんですか?いつもの人を喰った余裕な態度の三上さんはどこに行ったんですか。それにその人と三上さんはどんな関係ですか?恋人、じゃないですよね。別れ話よりもずっと重い空気ですもん。

 私の緊張が伝わったのか、一蹴も黙り込む。せっかくのデートが台無しだけれど、それでも一蹴も気になるんだ。三上さんのあの今にも逃げ出したくて仕方ないといった弱った姿、その理由が。

 私達はこの日、稲穂さんも今坂さんも知らない心の奥底にいる三上さんを見てしまう。見てはいけない、誰にも知られてはいけないはずの彼の本当の姿、臆病で泣いてばかりいた小さな子供の三上智也を。

「……は、私も子供だったのね」

 ところどころ聞こえ始める会話。口の動きでなんとなく理解してしまうけれど、彼女の言葉がどういった意味を持つのかまではわからなかった。

 彼女の言葉に三上さんは違いますと首を振り、そして……

「申し訳ありませんでした。これまで俺はずっと、ずっとあなたに、貴方達に俺……取返しのつかない事を俺はしたんです。こんなことで許されるわけではありませんが、この先もずっと俺は謝り続けます。絶対に忘れません。本当に、申し訳ありませんでした」

 誠心誠意の謝罪。誰にも見られたくないはずの三上さんの懺悔の姿。突然の事に私も一蹴も顔を見合わせる。

「い、いのり今日はちょっとこの店はやめておこうか」

「そ、そうだね、今日は、ね?」

 見てはいけない光景に気まずくなり、すぐに店を出ようとこそこそと荷物を手にする。そうしながらも、耳だけは金縛りにあったかのように二人の会話へと注意を向けたまま。それは一蹴も同じようだったらしくて、だからこそ私と一蹴は次の三上さんの言葉に、足元が崩れ去ってしまったかのような衝撃に声をなくしてしまったのだ。

「三上君そういうのはいいの。あの日悪かったのはどちらでもない、運が悪かっただけなの。本当にそれだけで、それなのに私があなたに……」

「違います。確かにあの時は運が悪かったかもしれません。でも、その後俺は……運なんかじゃない。俺、なんです。俺が――!」

 

 

 

 外に出て私達は言葉もなくブリックモールを後にして、自分たちが暮らす街へと帰る。とても私も一蹴も何かを話せる心境ではなかったし、口にしてはいけない鎖が口を覆っているような感覚で、ただただ三上さんの背負う十字架の重みに震えてしまいそうになる。

 どういうこと?違う、三上さんがそんなこと……でも、あの言葉はとても嘘には思えなかった。じゃあ、どういうことなの?

 今坂さんや稲穂さんに尋ねようにも、もしも二人が知らなかったらと思うと、とてもそんなこと聞きだそうだなんて出来ない。

 駅に降り立ち、曇り空の夕暮れを一蹴と帰り路を歩く。本当なら楽しい気持ちのまま帰ってきて、一蹴の家で二人で一緒に食事をして、二人で……

「なんなんだよ」

「え?」

 困惑に彩られた一蹴の声には苛立ちも垣間見えた。

「俺、あいつに信の事聞いたんだ。それで、さ。多分三上は愛している人を失ったんだって、今も愛し続けたままなんだって、そう思ってたんだ。だから、今もずっと二人は後悔しているって」

 それなら私も後に稲穂さんから聞いた。稲穂さん自身の話も。交通事故から始まった悲しい絆。だけど今は優しさで紡がれた絆。そんな悲しくも美しい素敵な話で、自分の所為で失ってしまった幸福を三人は悔いて雨の中を生きている……そのはずだった。

「俺さ、正直あいつの、三上の強さ?みたいなのに嫉妬してんだ。だってさ、世界で一番愛していて、産まれてからずっと一緒だった掛け替えのない人を失ってさ、それでも今もずっと変わらずに、その人を愛し続けられるってさ、他の人間からしたら馬鹿みたいな綺麗事じゃん?それでも、あいつは笑顔で辛そうにもしないでってさ……」

 一蹴の言いたい事は私の気持ちそのもので、だからこそ悔しい。

「なのに、あいつ!あ、あいつ何して!」

 俺達の事なんか気にしている場合じゃないだろうと、小さく呟く。

「何があったかなんてわかんねぇけど!でも、あんな……俺、あんなのに助けられたのかよッ!あ、あんなに……あんなに苦しんでいる奴に助けてもらったってのかよッ!!」

 苦しんでいる、その一言で済ませられるものじゃない。三上さんはこれまで何年もの間一人で孤独に戦い続けてきたんだ。せめて自分の周りの人達の笑顔が曇らないように……

「情けねぇ、情けねぇよな……何がどうなってんのか、あいつが何を背負ってんのかわかんねぇけど、俺達に出来る事ねぇのかよ。貸し、返せるの今じゃねぇのかよ」

「……どうしたらいいかな?」

「あんな話聞いて黙っていられねぇよな。そうだ、信にッ!」

「それは駄目だよ。三上さんは多分誰にも話していないと思う。なんとなく、だけどそう思うな。そういう人だもん」

「じゃあ、どうしたら……このままじゃあいつ!」

 一蹴は綺麗だね。自分の事を助けてもらったから、純粋に三上さんを今度は自分が助けてあげたいんだね。本当に、一蹴は優しい。私なんかと違って。

「独りじゃん。あいつ、こんなの独りで背負い続けんのかよ……」

 だって、私……嬉しいって思っちゃったんだ。

「そんなのいくらあいつが強いったって耐えられるわけねぇじゃんか」

 今坂さんも稲穂さんも、詩音さんも知らないはずの三上さんを私だけが知っている。それを私は……

「んだよ、何があったんだよ、三上は何をしたんだ?どうしてあんな……」

 

 

 ――俺が殺したんです。俺は最低な人殺しです――

 

 

 

 臆病で泣き虫で弱虫な貴方を自分だけが知っている優越感がこんなにも嬉しいの。




大分久しぶりの更新になってしまいましたすみません。
今回は本当はギャグ回を挟もうかなと思っていたのですが、こう引っ張り続けるのもなんやねん!ってなるかなと思って、二章の最大の問題である智也の隠し続けてきた過去を最初に持ってきました。
ギャグが書きたくてうずうずしていますが、もう少し我慢します。
書いていて思ったのは、いのりが壊れていくなぁと。自分の気持ちを制御できないのが恋や愛なのですが、ここまでふり幅が激しいヒロインもそうはいないなと。本編の時からいのりには感じていた事ですが。純粋故に、なのでしょうか。雅にも似たところはあるのですが、あちらはとてもわかりやすいので。なにせ、恋愛や世間に関しては雅は子供のままなのでww


智也の発した言葉、人殺しと言う言葉。智也の背負い続けた罪。それを少しばかり描いていきますので、少々息苦しくなるとは思いますがご容赦願います。
ではではまた。
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