「はい、というわけで大掃除を始めようと思う」
ほとんど物が置かれていない広いリビングで、久しぶりに気合を入れて掃除をしようと三上さんは息まき、白いエプロンと頭巾、それにマスクを着用した三人。私と今坂さん、それに三上さんだ。
三上さんと今坂さんはよおしとテンション高めなのだが、私は意味が解らず首を捻る。
「え、これどういう状況ですか?」
「だから言っただろ、大掃除だって」
「……聞いてません。聞いてないんですよこんなの」
今日は12月15日の土曜日。普段なら家庭教師の時間まで寝ているのだけれど、朝にいきなり三上さんに電話で叩き起こされて、今日は午前中からだからと問答無用で呼び出された。
のこのこと従ってしまった私が馬鹿なのだけれど、それにしてもこの仕打ちはないのではないかと。
この間の三上さんの問題以降、どこか吹っ切れたかのような三上さんは、どこか以前とは違っていて、無理に作ったような笑顔は鳴りを潜めていた。その事はとても嬉しいですし、三上さんもようやく自分の事を真剣に考えられるんだなと感極まりもしました。もしかしたら、私にもう少し優しさをくれるのではとも期待しなかったわけでもない。その矢先に起きたのがこれですよ。
三上さんの家に着いた途端、お前舐めてんのか?ユニフォームに早く着替えろと、お掃除コスチュームだなんだと手渡され、着替え終えてみれば行くぞと三上さんの家を出て隣へ。隣の家の前では今坂さんが万全の服装で待っていて、わけもわからぬままに今坂さんが持っていた鍵で隣の家へと上がる。まあ、桧月さんの家ですね。そうしたらいきなりの大掃除宣言。もうわけがわかりません。
「いやな、実は今日は彩花の誕生日なんだよ」
「それで?」
「それだけだが?」
よし帰ろう。
回れ右をして帰ろうとすると、今坂さんに止められてしまう。
「いのりちゃん待って!智ちゃんはこの前の事でお礼をしたくていのりちゃんを呼んだんだよ」
「この状況のどこを見てお礼だと?節穴ですか」
「そうじゃなくてね、いのりちゃん達にも楽しんでもらおうって、大掃除の後は全部、唯笑達持ちでパーティーを用意していてね。信君は夕方からしか来れないんだけど、三人で二人にお礼がしたいねって話し合ったの」
そんな殊勝な心掛けを持っているのだろうか?でも素直じゃない人ですし、口や態度とは裏腹に本当に感謝の心を持っているのかも。
ちらりと三上さんへと視線を移すと、アメリカン人のように舌を出して白目を剥き、中指を立ててHAHAHA!と凶悪に笑っていた。
「今坂さん、あの人の目を抉る傘を下さい。大至急」
「と、智ちゃんなりの照れ隠しなんだよぉ~!智ちゃんいい加減にして!」
今坂さんに叱られ、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。なるほど、これが素の三上智也さんですか。私の堪忍袋の破壊工作員ですね。良い大人が小学生のような態度を取ると、こんなにも腹立たしいだなんて。
「つうかよぉ、小僧も連れて来いって言ったよな?」
そんな世迷言もほざきなさっていた気がする。
「無理ですよ。一蹴はもうすぐ就職活動でならずやを辞めないといけませんから、働ける時間がある時はなるべくは出るそうです。なので、夜に合流するとのことです。それに、同僚の野々原さんも辞めるそうですし」
野々原さんの名前に今坂さんはのんちゃんが?と渾名を口にし、三上さんまでもがのんが?と親し気に呼んだ。
「あれ、知り合いなんですか?」
「うん。中学の同級生なんだけどね、唯笑はあまり話したことがないというか、のんちゃんと一番仲が良かったのが智ちゃんなんだよ」
「そうかぁ?黒須と花祭のが仲が良かったろ」
「そりゃあ、あの三人は仲が良かったけど、いっつも休み時間にのんちゃんが智ちゃんのところに来てたじゃん」
中学の同級生という事には驚きはないけれど、まさか三上さんと仲が良かったなんて知らなかった。一蹴も私も彼女の会話についていけな……ああ、なんとなく読めてしまいました。
「のんちゃんと智ちゃんの会話を聞いてると食欲がなくなるって皆言ってたもん」
「やっぱり」
「やっぱりってなんだ小娘」
「つまり、異次元的な会話を繰り広げていたわけですね」
「お前、それのんにも失礼だからな。何もおかしな会話なんかしてねぇよ。普通に挨拶して、昨日何してたとか、さっきの授業がどうだったとか、普通の話しかしてない」
本当かどうかを確認するため今坂さんに目を向けると、ないないと手を振っている。
そうですね、では確かめてみましょう。
「じゃあ、試しにどんな話をしていたのか忠実に再現して見て下さい。三、二、一、はい」
『トモりん、トモりん、あのね夜が来て朝が来てね、その当たり前の事象が不変である確率はね、実は奇跡的な確率なんだってね、のんは気付いちゃったんだ』
『つまり夜と朝は世界の終わりなんだな、特異点なんだな。その瞬間の奇跡の中俺達はいるんだよな。ところでのん、俺達がいるこの空間が幻ではないと証明するためには、まずカメレオンとマブダチにならないといけないんだが、どうしたら俺はそこに辿り着けると思う?』
『でもね、それだとオウムとにゃんことも友達になるべきだよね。歩いてたらね、ビビビって周波数が合ったんだよ』
『学校じゃあの周波数はないんだよな。まずは小さな世界二つ分の存在を確定させないとどうにもならないしな』
『そうだよね!トモりんはいつもそこにいるためには、次元の高低を安定させないといけないもんね。みんなの笑顔はそこにあるんだね』
『ああ、そうだ。おけらだってアメンボだって――』
「もういいです」
胃が逆さまになってしまったかのような、それとも脳が波の中を揺蕩っているような不思議な感覚に見舞われて、額を抑えながら三上さんにストップをかける。
「全然意味が通じないんですけど、本当に地球の言葉ですか?」
「お前こそ頭大丈夫か?」
「……二重に突っ込みたいですが、どういう内容の会話なんですか今の」
「どういうもなにも、そのままだろ」
「浅学な私にわかるようにお願いします」
三上さんは私の態度に気をよくしたのか、腕を組んで得意気に答える。ただ単に、気持ち悪くなってプライドとかどうでも良くなっただけですけどね。
「仕方ねぇなぁ~。この三上智也様が、貴様みたいなミトコンドリアのような知能しか持たない微生物にもわかるよう、丁寧に教えてやろうじゃないか」
「…………」
「い、いのりちゃん落ち着いて。気持ちはわかるけど、その窓ふきスプレーとライターは本気で怖いからやめようね」
いつの間にか凶器を持っていた私の手から、今坂さんが慌てて凶器を取り上げる。無意識に私はなんてことを!
「今の会話は訳すとこうなる」
『三上君おはよう!今日は珍しくすんなり起きられたんだよ』
『俺は眠り足りん。なんで学校なんかに来なければいけないのか、布団の中で一日中寝ることが正義だ。寝る子は良く育つって言うだろ?つまり寝ることが正しいんだと世界が認めてるんだよ』
『凄い理論だね。でも、のんは三上君と話したいからなるべく休まないで欲しいかな』
『お前友達少ねぇもんなぁ~!愛い奴め!がはは!』
『それよりも、さっきの授業中に先生の怒鳴り声が聞こえたけどどうしたの?』
『いやな、数学の林田いるだろ?あいつが平等に――』
「となるんだが、どうしたげんなりした顔して」
「いえ、野々原さんと三上さんがいれば、世界中の女性はダイエットに成功するんだろうなと思いまして」
「ならずやでのんちゃんがいると、尻尾を振って出迎えてくれる子犬みたいに智ちゃんのところにくるもんね」
「あいつの友達なんて五本の指で足りるかどうかの数しかいねぇからな。その所為だろ」
「でも、バレンタインにチョコレート貰ってたじゃんか」
「あん?あれは日頃の礼らしいぞ。なんなら、その時のあいつと俺の会話も「本気で止めて下さい!」ガチで泣きそうになりながら止めるなよ!」
これ以上私の脳みそを搔き乱さないで下さい!聞いた私が馬鹿でした!なんの拷問ですかこれは!
頭を抱え蹲る私に、今坂さんが小声で話し掛けてくる。
「黒ちゃんが言ってたんだけど、智ちゃんがのんちゃんの初恋だったらしいんだ」
「でしょうね」
恋愛観がまったく成長の見込みがない三上さんが気付いていたとは思えませんけど、好意を持たない相手に休み時間の度に会いに行くなんてしませんし。桧月さんは大変苦労なさったのでしょうね、このお子ちゃまに。
「……?」
「どうしました?」
「いや、誰かに馬鹿にされたような気がしたんだが気のせいか」
こういうところだけ化け物染みた鋭さを持っているんですね。ある意味持ってますねこの人。
「与太話はこの辺で良いだろう。とっとと掃除を始めるぞ」
「何を当たり前のように巻き込もうとしているんですか」
「ああ、彩花の両親は夕方頃に来るらしいから、それまでにある程度は終わらせるぞ。おばさんや親父がまともに掃除してるとも思えんし、水道も通ってないから、うちまでバケツに水を汲んで来ないといけないな。おら!ハリーハリーハリー!ポッター」
「私の反論を無視しないで下さい!それと下らない冗談を言うの止めて下さいね。しかも自信なさげに小声で。中途半端なギャグは不快なだけです」
「強引なとこじゃなくて、智ちゃんのギャグへの批判の方が強烈だね」
自分でも駄目だった事は自覚しているらしく、若干肩を落として、今のは俺だって無理だってわかってたとかぶつぶつ言いながら、自分の家まで水を汲みにとぼとぼと歩いて行った。すべった時の落ち込み方がプロ意識を持っているようで、何様なんだろうと口元が緩んでしまう。
「どうしよう、唯笑胃が痛くなってきたよ」
冷笑を浮かべる私を見て、今坂さんは胃を押さえた。
「じゃあ、お前はここな」
了承もしていないのに、当たり前のように連れて来られたのはトイレだった。やりますけどね、ええ。でも普通はトイレは男性の担当区域じゃないです?
不満そうな私に気付いたのか、三上さんは頭を掻きながら面倒そうに口を開く。
「あのな、俺は玄関と台所と客室やるし、唯笑は二階全般担当なんだよ。リビングは少しばかり手伝ってもらうが、その、なんだ。無理に手伝わせちまってるし、スペースが狭い方が、あれだ、疲れないかもとか思わないでもない感じでだな」
……そっか。ちゃんと私の事も考えての事だったんですね。
「だから、ちょっと手伝ってもらえば夜まで勉強でも休んでていても、だな」
普通に考えたら二人で掃除をするには広すぎるから、本来は稲穂さんが手伝うはずだったのを、渋々私に頼むことになったのでしょう。それならそうと素直に言えば良いのに、余計な事ばっかり言って、態度だけで本音を示すなんて……ほんと、私の先生は面倒な性格の人ですね。
「別に嫌だなんて言ってませんよ。その代わり、夜のパーティーは期待していますからね」
人差し指を三上さんの胸に向けて悪戯に笑う。すると三上さんも人好きのする笑顔で応えてくれる。
「お、おう。もちろん俺様達が今世紀最大の宴……を?」
「三上さん?」
見ていて嬉しくなるような笑顔が突如としてフリーズしてしまう。冷凍されたマグロのような三上さんは、そのまま健闘を祈るという言葉を残し、私にゴム手袋を渡して扉を閉めた。
なんだろう?私、気に障る事しちゃったかな?
思い返してみても、三上さんの機嫌を損ねるような言葉を口にしていないはずと首を捻る。
「まあ、いっかな」
事の真相は後で三上さんに確かめましょう。
ゴム手袋を両手に装着して、よしと便器へと振り返ると――
「きゃあああああああぁぁぁぁッ――!!!!」
トイレの中から陵の闇を切り裂くかのような悲鳴。その悲鳴に耳を塞ぎ、俺は目を閉じて首を振る。
すまない、陵。仕方なかったんだ。俺はお前を……クソッ!!俺にもっと力があればお前を救えたはずなのに!俺にとって初めての生徒を俺は!
ガチャガチャガチャガチャッ!!!!
「あ、開かない!?三上さん!扉の前にいますよね三上さん!!」
縋るような陵の声が、耳を塞ぐ手のひらを超えて伝わる。
「ごめんな、ごめんな陵!」
「謝るくらいなら開けて下さいッ!!ていうか全体重で閉めてますよね!?」
「違うんだ陵!扉の鍵が壊れちまったんだよ!」
「嘘つかないでって、いやあああぁぁぁッ!!見てます!こっち見てます!開けて下さい三上さん!」
「大丈夫か陵!クソッ!開けよこのやろぉ!」
「開ける振りの茶番はいりませんッ!!」
ドンドンドンッ!!!!
チッ、こいつドアを蹴り破ろうとしてやがる!やらせるかッ!
「お前、彩花の家を壊す気か!器物破損だぞ馬鹿!」
「うるさい出しなさい!なんかおかしいなって思ったら!アレを見つけたからだったんですね!」
アレってどこのカマドウマさんですかね。もしかするとあれかな?便器の横の壁にスマートに立っていた彼かな?中忍試験の為に壁に足を付けてへばりつく練習をしていたのだろう。
ていうか陵のSUN値が危険域だな。言葉がもう丁寧じゃなくなってきた。ちょっと面白いのでもう少しこのままでお送りします。
「ひゃう!きました!近づいてきましたぁッ!!ささ、殺虫剤はどこですかぁ!」
「こんな真冬にあるわけなかろう!まさかこんな真冬に彼が健在と思わなかったんだ!」
注、室内では冬でもカマドウマは普通に生きている事があるから気を付けろ。
「はっはっはっ!お前の毒舌で毒殺すれば良かろう!」
「下らない事言ってないで開けなさいッ!!!!」
下らない事とは心外な。では、有益な情報を与えようではないか。
「陵~!カマちゃんは肉食で、壁を蹴って三角飛びをするほどの運動神経の持ち主だってしってたかぁ~!?」
「あの禍々しいフォルムでさえ有害なのに!?なんていらない情報を!て、飛びました!飛びましたよ!」
わかるぞ陵。本能があいつを怖れるんだよなぁ。なんだよあの脚と触覚。不気味な凶器にしか見えねぇもん。そんな彼を野に放つわけにはいくまい。
「出して!一刻も早く出してぇ~~~!!!!」
「ふははは!泣け、喚け、叫べ!そして死ぐふぁッ!?」
名言を気持ちよく高らかに叫ぼうとした俺を、騒ぎを聞きつけた唯笑がはたきで遠慮なく打ち付けてきた。
「もううるさいよ二人共!ふざけてないで掃除をしてよ!」
唯笑の声が中にも聞こえたらしく、陵は恥も外聞もなく唯笑に助けを求めた。
「今坂さん開けて!助けて下さい!カマドウマが、大きいカマドウマがぁ!う、うう、ふえ……」
後頭部を押さえて蹲る俺を、ジト目で唯笑が見下ろしてくる。
「智ちゃん、虐めはよくないよ」
「虐めじゃないんだ唯笑!獅子は子を千尋の谷に突き落とすとぐあッ!!??」
ま、また叩いた!親父にも三日に一回しか打たれたことないのに!
「しょうがないなぁ、もお」
無言で俺を成敗しながら、唯笑はトイレの扉を開ける。すると中から勢いよく脇目も振らずに陵は唯笑に抱き着いた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で。
「い、今坂、さん」
「はいはい、怖かったねぇいのりちゃん。もう大丈夫だからね」
小さな子供をあやす様に優しく抱き締め、ちょっと待っててねと陵と俺を残してトイレの中へ。そんな唯笑をずびずびと鼻を鳴らしながら陵は見送りながら、ついでに俺の足を容赦なく踏みつけてくる。
ちくしょう、文句を言えないのをいいことに調子に乗りやがって。唯笑がいなけりゃこいつの毒素も退治できたかもしれんのに……
一分後、唯笑は何事もなく出て来ると、玄関へと向かう。なんとなくそれに従い、唯笑の後ろについていくと、玄関を出て外に出て、俺の家と彩花の家を遮る壁へとてくてくと歩いていく。
なんだ、何をする気だあいつ?
「それじゃ、達者で暮らすんだよ」
誰に挨拶をしているのかと疑問に思った瞬間、唯笑は大きく振りかぶり――
「ジャイロボ~~~ル!」
手の中に掴まえていたらしい何かを俺の家へと思いっきり投げやがった!ていうかさっきのカマドウマじゃねぇかよッ!!
「ふぅ、これで一件落着だね。喧嘩両成敗」
一仕事終えた唯笑は清々しい顔。俺は引き攣った笑顔。
「ゆゆゆ、唯笑?おま、お前何してくれちゃっているのかな?」
「何って、智ちゃんの家で暮らしてねって放してあげたんだよ」
「あげたんだよって、お前そんな」
「女の子を泣かせる男の子に人権はないってお母さんが言ってたでしょ。智ちゃんだってそう教わってるはずなのに、どうして意地悪をするのかなぁ?」
「ぐ、む……」
おばさんを出されると俺も逆らえない。反論しようものなら、あの面白おかしい天災に何をされてしまうかわかったもんじゃない。
ちくしょう、今日家に帰りたくないよぉ!と素直に口に出来たらどれだけ楽だろうか。誰か家出青年を泊めてくれる優しいお姉さんはいませんか!?おじさんはノーサンキューで!
「というか、今坂さん素手で捕まえたんですか?」
「ほえ?そうだよ」
何でもない事のように言う唯笑に、陵は尊敬の眼差しを注いでいる。
「か、かっこいいです今坂さん……どこかの最低で度胸貧弱な三上なんとか智也さんと違って。本当にありがとうございました!」
「鼻水垂らしながらほざくな小娘。俺はお前に少しでも強くなってもらおうと、親心で試練を与えてやったんだ」
俺の言葉を意図的に無視しやがる陵。
この時、俺は気付くべきだったのだ……陵の目に仄暗い復讐の炎が燻っていることに――
「今坂さん、私今まで今坂さんのこと誤解してました!」
「も、もお、いのりちゃんったら。そんなに大したことしてないのに照れちゃうなぁ」
「そんなことないですよ!これまで能天気でちょっと無防備で不器用で、更に三上さんの事が好きだなんて、最大の欠点を持っている可哀想な人だなって思っていましたけど、本当は凄い頼りになる素敵なお姉さんなんですね!」
「あはは、そんなに褒めないで……あれ?褒められてないねこれ」
称賛の声に混じる以前までの評価に複雑なご様子だ。
「しかも俺への批判を混ぜてきやがった。唯笑、今のこいつを見てもまだ助けてよかったと思えるか?」
俺の問い掛けに苦笑で応え、同類嫌悪なんだねと俺と陵を評価する。
名誉棄損だ。俺はこいつのように近づくもの全て傷つけるかのような、有害指定されるような人間じゃない。隙を見せたら斬りつけないとこっちが殺られる。くっくっくっ、これで済むと思わない事だ小娘。
「智ちゃん、余計な事考えて笑ってないで、掃除しようよ。このままじゃ結ママ達が来るまでに全然終わらないんだからね」
へいへいと適当に応えながら掃除に戻る。なんか唯笑の態度が浜松から戻ってきてから変わったよなぁ。俺に対して年上目線と言うかなんというか……世話を掛けたから何も言えないけどな。親離れしてしまったかのようでちょっと寂しい……なんて思ってなんかいないんだからな!
ひとまず騒ぎは治まり、我が家で元気に暮らそうとしているであろう、カマ男(お)に想いを馳せて溜息をつきながら掃除に戻ろうとすると、俺の袖をちょんと摘まむ感触に立ち止まる。
肩を小さくして俯く陵が、さっきはすみませんでしたと耳を疑うような言葉を口にする。
「その、ですね。さっきは大袈裟に騒いで迷惑を掛けてしまったので、他の場所もお掃除させて頂いてもいいですか?」
なん、だと?あの立てば爆薬、座れば劇薬、歩く姿はメデューサと名高いあの陵が、こんなにも殊勝な態度を見せるなんて……
そうか、そうなんだな!ついに俺の真心を込めた指導が、荒んで乾ききった陵の心に届いたんだ!俺が教えたかったのは勉強じゃない。勉強なんかよりもずっと大切な心のダムを、潤いのないサハラ砂漠のようなその心に築いてやりたかったんだ。
感無量とはこの事か。熱くなる目頭を手で抑え、ああ、よろしく頼む。と一言言うだけで精一杯だった。
俺の言葉に花が咲いたかのような笑顔を咲かせ、はいと気持ちの良い返事を残して陵が去っていく。
その背中をうむうむと見送り、卒業する生徒を見送る恩師のような穏やかな心でリビングへと向かった。
「なんだよ、あいつも可愛いとこがあるじゃねぇか」
ちょっと俺も悪乗りしちまって悪かったよな。掃除が終わったら少しばかり労ってやるか……
鼻歌を歌いながら俺はリビングの掃除に取り掛かる。マクベスが開演している事にも気付かずに。
ふんふんふ~んと上機嫌で掃除をしていると、こんこんとドアを叩いて陵が俺を呼ぶ。
「お掃除中すみません。ちょっと三上さんにお願いしたい事がありまして」
「おう、なんだ?」
「実は、浴室の掃除をしていたのですけど手が届かないところがありまして」
あ~、確かに女の身長じゃきついとこもあるよな。浴室だと、台座とか使って掃除するのも少し危ないし、仕方ない。可愛い教え子の為だ、今日一日は優しくしてやるか。
「わかった。どこだよ?」
「え、いいんですか!?」
おいおい、そこまで驚くことないだろう。俺の方が年上なんだ、教え子の些細な頼みぐらいいくらでも聞いてやるさ。
まあ、これまでのガキだった俺しか知らないもんな。ここは頼れるお兄さんだと心に刻んでやろうじゃないか。
「おう、俺に任せろよ。頑固な油汚れもちょちょいのちょいだぜ」
爽やかな俺に若干引き攣った顔を見せる。
「……罪悪感がチクチクとして……くるわけないですけどね」
「なんか言ったか?」
「いえ、凄く助かりますって言ったんです」
心が洗われるとこんなにも純粋な少女がいたとはな。いつもこうなら俺だってみなもちゃんへの接し方のように、もっと優しく出来るんだよ。人間素直が一番だよな、うんうん。
――計画通り――
緩んでしまいそうな頬を引き締め、三上さんを浴室へと連れていく。まだ、まだだよ私。油断は禁物。勝利を確信して笑うと負けるルルーシ〇にならないように、気を引き締めないと。
それにしても、なんの警戒もしないで愚かな人ですね。まさか、自分のお陰で私の心が洗われたとでも思っているんじゃないでしょうね?ふふ、そこまでおめでたくはないですよね?
立てば騒然、座れば愚物、歩く姿は裸の王様と名高い三上さんの教え子の私ですよ?あなたの卑劣な挑戦状を無視するわけがないじゃないですか。ふふ、あはははは!
「で、どこが届かないんだ?」
あらあら、警戒もせずに死地に飛び込んでしまいましたか。可愛いですね、食べちゃいたいくらいです。
三上さんの背後に回り……
「あそこです、バスタブの隅の真上なんですけど」
と言いながらある生餌を三上さんの背中に投げ、扉を気付かれないように閉める。もちろん、つっかえ棒を閂のように差し込んで。
『あそこってどこだよ陵……陵?』
私がいない事に気付いた獲物の声が、浴室で反響する。ふふ、狂乱の幕が上がりますよ。
『なんだよ連れてくるなりいなくなりやがって。えっとバスタブの隅の真上な。真上真上……ま……うえええええぇぇぇぇッ――!!!!』
どうやら気付いたようですねぇ~。
『な、あ、あ!陵テメェッ!!』
「どうしました三上さん?」
摺りガラスの向こうにモザイクのように映る三上さんの姿。きっと物凄い形相をしている事でしょう。その顔を想像すると、つい毒島冴〇さんの名言を叫んでしまいそうです。はしたないですね私。てへ。
ガラスを割るかのような勢いで叩かれる。
『あ、開かねぇッ!!クソサギごらぁッ!!』
「三上さん、この家は大切な桧月さんのお家なんですよねぇ?まさかそんな大切な家を三上さんは壊したりなんてしませんよね?」
『ふっざけんなッ!!開けろブスサギッ!!開けないと鼻フック動画を晒してやんぞッ!!』
あはは、愚民の遠吠えのなんて心地いい事でしょうか。ブサカミさん。
そんなに怖いですか~。私の心強い生物兵器、アシダカクモ、アシダカ軍曹は。
『でかッ!!おい、なんか俺を狙ってねぇかあいつ!?』
「それはないと思いますよ。アシダカさんは臆病ですから……主食がなければですが」
そう、彼等は益虫として名高いんです。家の守り神として共生する人もいるくらいなんですから。
アシダカクモさんは人間の味方なんです……先程三上さんの服に密かに付けた視覚害虫を捕食するハンターとして。
『それはないって、おい!なんか物凄い速さで走ってッ!!やめ、なんで来るんだよッ!!』
大好物が三上さんの服についているからですよ。台所を隅から隅まで血眼になって探し出したGという御馳走が。
注、真冬でも室内には大きなアシダカクモさんとゴキブリさんは顕在している可能性があります。特に、アシダカクモさんは日影が好きなので、軒下や天井にいる事が多いので探してみてくださいね。
アシダカクモさんの特性についてはテラフォ〇マーを参照してください♪
『ひゃッ!!やめ、のぼ、え?のぼのぼッ!!??ま、謝るから!ごめ、ごめんなさいマジ無理無理無理無理無理無理ッ!!たすけ、背中、しぇなかやいふぁがああああ――!!!!』
意味不明な言語を叫びながら、何かが倒れたような音が聞こえた。
そうして数分待っても何も聞こえなくて、そ~っと扉を開けると……
「……あ~、強烈ですねこれは」
白目を剥いて泡を吹きながら倒れている情けない大人のお腹の上で、むしゃむしゃと満足そうにお食事中のアシダカ軍曹。
そんなアシダカ軍曹に私はグッジョブと親指を立てると、軍曹も捕食しながら前足を上げて応えてくれた。
「よくぞやってくれました軍曹。叙勲は間違いない働きです。ありがとうございます」
さてさて、この爆笑必至の姿をカメラに収めましょう。
恐怖に気絶する三上さんを背景に、私も入ってツーショット。きゃ、恥ずかしいです。
陵家の家宝にしようと心に決めてスマホを仕舞った時、阿修羅を彷彿とさせるかのような怒れる今坂さんが浴室の前に立っていた。
「いのりちゃん?なに、しているのかなぁ?」
「愚問ですね。復讐です」
「愚答だよ!?こうなるかもって思ってたけどね!?」
どうして仲良く出来ないかなぁと呟きながら、今坂さんは躊躇いもなくアシダカ軍曹を抱きかかえる。うっわ、お腹側から見る足の動きがえげつないですね。ていうか良く平然と抱きかかえられますね!?私の知っている人達の中で断トツで格好いいじゃないですか!
「ごめんねアシダカ君。ここだと騒がしいから、少しだけお引越ししようね」
そうしてテクテクとまた玄関を出て、三上さんの家へと今度は優しく解き放つ。
何者ですかこの人。畏敬すら抱けますよ。
「さてと、いのりちゃんはちょっとリビングで待っててね……正座で」
「え、いや私はただ被害者でして」
元を辿れば三上さんが全ての原因なわけで、これも自業自得の為せる技ではないかとですね。
「なあに?」
機械的な満面の笑みでのたった一言に、戦慄を禁じえない。
「はい、すみませんでした」
これは勝てないと悟り、戦略的撤退を余儀なくされてしまう。
「じゃあ、智ちゃんを起こしてくるから待っててね」
その後、正気を取り戻した三上さんと私は一時間正座させられて、親戚の余計なお世話を焼く叔母のようにグチグチと説教と言う名のお導きを受け……
「陵、ごめんな(今日は許してやるが、今日が終わったら朝陽が拝めると思うなよ?)」
「いえ、私も生意気でした。本当にすみません(また泣かされたいんですか?良いでしょう、いつでも歓迎します)」
爽やかに笑顔でギリギリと音がしそうなほど、結束の固さを思わせる握手を交わしたのでした。
今日は毎年恒例の彩花ちゃんの誕生日。これまでは智也の部屋で三人、もしくはみなもちゃんを混ぜての四人で祝っていたのだが、今年は智也の件が解決したこともあり、特別に彩花ちゃんの家でパーティーをする事となった。
この間の事で、いのりちゃん達に世話になったこともあり、珍しく智也が一蹴といのりちゃんも呼ぼうと提案してきた。残念ながら、みなもちゃんは都内の病院で一日掛かりの検査があり不参加なわけだけど。
バイト上がりに適当にビールやカクテル等を買い込んで、食材もある程度買うと重量はとんでもない事になり、自転車が軋む音を立てた。
ひぃひぃと、息を切らしながら漕ぎ続け、真冬なのに汗が額から流れて止まらない。
そうして体力が落ちた事に密かなショックを覚えつつ、なんとか彩花ちゃんの家に到着する。
今頃は三人で仲良く掃除しているのだろうなと、想像しながら家の中へと入ると……
「あ、信君……お疲れ様~……」
いや、それは俺のセリフなんだけど。リビングには見るからにげっそりしている唯笑ちゃん。何があったのか聞こうと思ったけれど、唯笑ちゃんの背後にむっつりとしたいのりちゃんの姿がある。
「そっちこそお疲れ。ところで一蹴とおばさん達は?」
「ううん、まだだよ。残念な事にね」
ほんとに何があったんだよ。なんとなくは想像出来るけどさ。
ここまで唯笑ちゃんを疲れさせた原因その一は、俺を目にすると造花ですと言わんばかりの素敵な笑顔で挨拶をくれる。花が咲いたようにの対になる表現だけどさ。
「お仕事お疲れ様です稲穂さん。あ、荷物預かりますね。わぁ~、こんなに沢山!疲れたんじゃないですか?わざわざありがとうございます」
外面満点な回答に俺は苦笑する。間違いない、これは智也となにかあったんだ。しかも壮絶に下らない戦争がな。
なんなんだよこの二人。第何次まで大戦するんですかね?人類滅亡するまでやってろよもう。
「あ~、唯笑ちゃんごめん。一人でよく耐えたね」
「信く~ん!唯笑、彩ちゃんの家をちゃんと守れたよぉ!」
「家を守るってなに!?被害範囲おかしくない!?」
これが冗談だったら大袈裟なと笑えるけれど、相手が智也だけに洒落にならないからどうしようもない。
「で、唯笑ちゃんを疲弊させた原因の片割れはどこにいるの?」
「二階に隔離してるよ」
「賢明な判断だね。正解だよそれ」
何があったのかは詳しく聞く勇気もなく、何をやってるんだあいつはと二階に上がる。
二階に上がるといくつか部屋があり、夫婦の寝室と彩花ちゃんの部屋、その他に二部屋程あった。
で、智也はどこにいるんだと目を配らせても、智也の姿は見えない。きっとどこかの部屋の掃除をしているのだろうと、適当に一部屋ずつ開けていこうとすると、ローマ字で彩花と名前が書かれた札が下がっている扉の中から、なにやら穏やかな声が聞こえた気がした。
扉の前まで行くと、微かに聞こえる声に耳を澄ませる。
『はは、懐かしいな。あいつと言えばこれだよなぁ」
彩花ちゃんの部屋の中で智也が愛おし気に語り掛けている。多分、彩花ちゃんの部屋の中は当時と変わっていないのだろう。普通は遺品の大半は処分するものだが、彼等の親がゴミとして扱うとは思えない。捨てずにあの頃のまま残しているのだろう。
優しい人達だ。彩花ちゃんの為だけじゃない、智也達の為に残してくれていたんだ。
『冬になるといつもだったよな。唯笑と俺しか知らない秘密だったけど、からかうと顔を真っ赤にして怒ってたよなぁ」
智也の温もりに満ちた声に、扉を開けることを躊躇してしまう。二人の大事な思い出に土足で踏み込んでしまう気がしたから。
どうするかな……でもまあ、来たことだけは伝えるか。彩花ちゃんの部屋がどんなのか気になるしな!
気遣いなんてなんのその。好奇心に便乗して俺は二人の思い出に土足で入る。俺と智也達の間に遠慮なしってな!
ドキワクしながらドアを開けると、目に映る景色は想像通りの綺麗に整頓されながらも、女の子らしさを感じさせる雰囲気の部屋だった。小物やぬいぐるみ、壁紙やベッドも女の子らしい配色で、どことなく良い匂いがしそうな、そんな素敵な部屋……なのだが、とてつもない異物が混ざっていた。
彩花ちゃんのタンスを開け、ふふふと哀愁を漂わせながら下着を見て笑う馬鹿がそこにはいた。
「何やってんだお前は!?」
「おう、ようやく到着か。おっせぇぞ馬鹿」
「馬鹿はお前だよ!何してんだマジで!?」
綺麗な思い出に浸ってるかと思えば、とんでもねぇ浸り方してやがった!どうしたら下着を持って哀愁を漂わせられるんだよ!どんなメンタリティしてんのこいつ!?
「何って、ああ!見ろよ信!これだよこれ!」
嬉々として俺に下着を見せつけようとしてくる智也。頭狂ってんのか!?自分の彼女の下着を他の男に見せつけるって、どんな高度なプレイだよ馬鹿野郎!
などと心の中で抗議しながらも、ちらっと見てしまう俺だけどね!
「おま、止めろよ!彩花ちゃんが悲しむ……だ、ろ?」
と加速しようとした鼓動が緊急停止。そわそわ乗車したのに駅に着くことはなかった。なぜなら……
「これ、毛糸のパンツか?」
智也が手に掲げていたのは、水色の毛糸のパンツで、お尻になぜか牛丼のマークがあった。
「な?な?傑作だろ!?あいつ、なんでか冬は毛糸のパンツを履いてたんだよ!しかもわけわかんねぇのが、全部丼シリーズでさぁ!どこで買ってんだって話だよなぁ!」
本当に訳が分からない。丼シリーズって需要どこだよ。俺の彩花ちゃんのイメージはさ、白とかちょっと大人な黒とか、こう女の子って感じの下着を着ているものとばかり想像してたんだけど。
智也がタンスを漁ると、親子丼、鉄火丼、いくら丼、ウニ丼、うな重、ロコモコ等々……女子力皆無じゃないかよ!
よくよく部屋を見渡すと、ベッドにあるぬいぐるみはや〇し師匠と鶴〇師匠だし、窓の上の壁には誰かのサイン入りのハリセンが飾られていて、机の上の小さな門松にはクリスマスっぽい飾りつけが施されている……なんだよこの部屋。どこに女の子要素があるって?俺の目は節穴かよ。
「はぁ~、笑った笑った。あとはなんか面白い下着ねぇかなぁ」
まだ飽き足らない智也は笑いの為の物色に勤しむようだ。俺の中の清楚な彩花ちゃんがこれ以上失われないよう、俺は部屋を出ようとしたのだが……
「智也、お前もう止めとけよ」
「あん?何言ってんだよ。俺の記憶じゃ、これよりもとんでもねぇ物があったはずなんだよ」
「いや、お前と彩花ちゃんは恋人であり家族以上だったのはわかる。わかるけど、ほら?彩花ちゃんだって女の子なわけで、つまりそういう事をするのはどうかと俺は親友としてだな……」
「んだよ、ぐちゃぐちゃ煩いな。別にやましい事してるかもしれんが、やらしい事をしているわけじゃ「ないとほざくか愚息?」……おい、なんでもっと早く教えてくれない相棒」
心なしか震えた声で抗議してくるが、俺に一切非はない。出ていこうと振り向いたそこには、雷神風神も裸足で逃げ出す形相のおじさんが仁王立ちで立っていた。
「そ、宗吾さん、お、おお、お帰りなさい」
「ああ、ただいま智也。そしてさよならだ愚息」
あ、これ死亡フラグ立ったわ。さすがにこれは助けられない。助けようと手を伸ばせば、俺諸共奈落へ一直線だもんな。というわけでヘルプの視線を向けてくる親友へ俺は……
チーン、合唱。
「は、ははは、ち、違うんだって宗吾さん。これは、その……アレですよ」
「どれだ?俺を納得させられる言い訳を必死に考えてみせろ」
おじさんの迫力に気圧され、智也の喉がごくりと鳴る。言い訳出来ても延命は無理だろうけどさ。
しょうもない言い訳をしようと、かつてない速度で脳を回転させる智也に、俺は憐れみの目だけを注ぐ。
そうしてどれだけの時間がたったのか、智也は何もかも悟ったかのような静かで穏やかな目をおじさんへと向けた。どうやら覚悟を決めたらしい。
サスペンスで追い詰められた犯人のように、物憂い気に窓へとゆったりと歩き……
「宗吾さん、さっきのあれは違うんだよ。あれは、そう!愛ゆえに暴走してしまった結果なんだ!」
「……ほお、愛しているから娘の下着をくんかくんかしていたと?」
冤罪だが、そう見られても仕方ないことをしていたのは確かだ。俺も同じように誤解したし。
「誰が色気もねぇあいつの下着なんか「シヌカ?」いえ、そうです。あまりに愛おしくて魅力的で、彩花の誘惑に勝てなかった結果と申しますか……」
お前が勝てなかったのはおじさんだろ。
「なるほど。確かに彩花は世界でも屈指の美しさを持つ娘だったからな。決して親の贔屓目ではなく、世の中の男を狂わせてしまう魅力を持っていた。そう考えれば智也、お前が狂ってしまうのも頷け「るわけねえよ!」……なんだと?」
いつの間にか智也は窓を開け放ち、屋根へと飛び出していた。
そうか!窓に近付いたのは鍵を開けて抜け出す為だったんだな!
「ふはは、甘い甘い!宗吾さん甘いなぁ!俺が誰に育てられたと思ってるんだ!」
「くっ、忘れていたよ智也。お前は人類が到達してはいけないクズの境地と呼ばれた、あの慧の愛弟子だったことをな」
誰だよそのセンス溢れる呼び方した奴。激しく同意しちまう。
「ふははははは、あばよとっつぁ~ん」
そうして、微妙な物真似をしながら智也は自分の家の屋根へとジャンプ!
「待て~!と~もや~!」
おじさんもノっちゃったよ!しかもクオリティたっけぇなおい!
思わず尊敬の目を向けそうになると、視線の先にいるべき姿がない事に気付く。
あれ?と窓に近付くと、向かいの部屋に智也の姿がない。もしやと思い下を見ると……
「すげぇな。こんな昭和なオチありかよ」
三上家の庭でもんどり打つ馬鹿一匹。
「……馬鹿息子め、また同じことを繰り返すなんてな」
「繰り返すって、何度もやってるんですか?」
「ああ、懐かしいものだ。落ちて白目向いて気絶している智也を見て、親子揃って良く笑ったものだ」
「まともな人間が見当たらない!?」
こうして、今日のメンバーがほぼ揃ったのだった。
「で、俺は忘れ去られていたわけなんだ」
陵の紹介を兼ねた結さん達への挨拶を済ませ、ある程度掃除も終わり、女性陣での食事の準備も滞りなく終わり……いや、嘘ついたわ。滞ってたからな。実は水道も電気もガスも通っていて、わざわざ家まで水を汲みに行かなくても良かった事実が判明し、陵と第何次かもわからない戦争が勃発したわけで。なぜ水道などが使えるようになってたかと言えば、宗吾さんの仕事の関係で戻ってくるのが三月から来月に変わり、それなら今のうちに手続きを済ませておいた方がいいと、手を回していたのだと言う。そんな事夢にも思わなかった俺を、年下とは思えない威圧を持って陵が糾弾。あとは言わなくてもお解りだろう。そういうことだよ。
と、なんやかんやイベントを消化して、食卓に温かな料理の数々が並んだ時、ようやく重役出勤してきた馬鹿が現れたのだった。
「あ?おいおい、今のもしかして俺達をディスってんのか?」
拗ねたように食卓に加わる鷺沢が漏らした一言に、俺を筆頭に一同が愕然とした瞬間だった。
「そうじゃねぇけど、違うじゃん!俺が来た時なんて言ったか覚えてんすか?あ、忘れてたわとか言ってたじゃんか!」
「そうじゃねぇって。そんな話を俺はしてねぇよ。俺は、何一つ手伝ってないのに、何を拗ねた事を言ってんのかって言ってんだよ」
「まあ、それはそうだけど、だからちゃんとケーキ持ってきたじゃないっすか」
「ケーキ?」
「そうっすよ?桧月さんの誕生日だって話だったから、こうしてお土産として持ってきたのに、そんな言われるの俺?」
「オーケー。それは嬉しい。素直に嬉しいけどな鷺沢。だったら聞くけどよ、お前、そのケーキはちゃんと買ってきたんだよな?」
「……いや、それは」
「買ってきたんだよなぁ!?まさか売れ残りのケーキなわけねぇよなぁ!?なあ!?」
「だから、それは……ちょ、見てないでいのりも信も助けてくれねぇかな!?」
「一蹴、彩花さんの誕生日なのに売れ残ったものを貰ってきたの?嘘、だよね?一蹴は優しいから、そんなことしないよ、ね?」
「智也も落ち着けって。まさか一蹴がそんな失礼な事するわけないだろ。俺達にとって大切な女の子の誕生日に売れ残りとかさ。そんなの、俺達はまだいいけど、おじさんやおばさんに失礼過ぎるしさ」
「ああ、そうだな。確かに疑う必要もなかったよな。ごめんな鷺沢」
「あ、え、まあ……謝られても……売れ残りだし」
「帰れッ!!!!」
怒鳴りながら鷺沢に強烈な肩パンを一発喰らわせ、むおおぉと小さく呻きながら鷺沢がガチで痛そうに崩れ落ちた。
「結ママ、宗吾パパ、気にしないでね。ここまでで1セットだから」
「相変わらず賑やかなのね智くんは」
「ははは、懐かしいなこの雰囲気」
賑やかな中、一人だけ口もきけない状態なんだけどな。
「ところで智くん、売れ残りの彼の紹介をしてもらえないかしら?」
「そうだな。売れ残りを押し付けに来た彼の名前を教えてくれないか?」
「追い打ちのかけ方容赦なさ過ぎじゃないっすかねぇ!?」
「黙れ売れ残り」
「俺が売れ残ってるみたいな言い方止めろよ!?」
皆に可愛がられて嬉しそうにしている。どうせおいしいとか思ってんだろ。
「すみません。初めまして、いのりと付き合っている鷺沢一蹴です。今日はお邪魔してすみません」
あれあれ~?俺に対して一度も畏まったことないくせに、結さん達にはしっかり敬語で話すのか。さては、エセ体育会系な言葉遣いは俺を舐めている証拠だったんだな?
畏まる鷺沢に、結さんはなぜか俺と鷺沢を見比べて……
「智くん、残念なお知らせがあるわ」
「聞きたくないけど聞きましょう」
「あのね、智くんより彼の方が格好良いの。どうしましょう」
「どうすれば良いか教えましょうか?その口を閉じればいいんですよ」
「智ちゃん、唯笑も結ママと同じ事ずっと思ってたよ」
「便乗して逆襲しようとしてんじゃねぇぞ!」
「まあ、当然ですね」
「勝ち誇るな腹黒」
「いや、そんな事ないっすよ?マジで三上の方が格好いいっすもん」
「上から目線でなにほざいてんだテメェッ」
せっかくの豪華な食卓もなんのその。心と心を殴り合うという、醜い争いとなってしまった。
「まあまあ、それよりも折角用意したんだし始めようぜ。彩花ちゃんの二十歳の誕生日をさ」
場を沈めようと皆を信が宥め、そうしてようやく場が整う。唯笑の馬鹿め、ここまでが1セットなんだよ。
それぞれに飲み物が行き渡り、乾杯の音頭を取ろうと俺が立ち上がると、あれ?と首を傾げて陵が口を開いた。
「今、彩花さんが二十歳って言いましたよね?」
「そうだが?なん「三上さん達、いつからお酒を呑んでいたんですか?」……彩花誕生日おめでとう!乾杯ッ!!」
『おめでとうッ!!!!かんぱ~い!!!!』
陵の疑問を無視して乾杯する。そんな俺達についてこれず、え?え?と戸惑うばかりの陵。
「あの、私の質問は?」
「うるせぇな。いいか?お前は高校生だよな?」
「そうですね」
「じゃあ、俺達はなんだ?」
「大学生です」
「信は?」
「社会人です」
「そういうことだよ」
「どういう事ですか!?」
暗黙の了解を知らない人間はこれだから困る。空気を読めもしやがらない。お酒は二十歳になってからなんて常識だろ。俺達は皆高校生以下じゃない、つまり大人だ。なんにも悪い事なんてしてないやい!
鷺沢と陵の二人だけはウーロン茶を飲み、大人組はビールを口にする。もちろん唯笑もビールだ。こいつ、カクテルとか飲みそうな見た目のくせに、日本酒とか平気で呑むんだよなぁ。
「美味しい~!働いた後のビールは格別だね智ちゃん」
「疲れた体に染みるよなぁ。あ、宗吾さん焼酎もありますけど?」
「ああ、悪いな。芋はあるか?なければ麦でも良いが、お湯割りで頼む」
「了解。信はどうする?」
「俺はまだビールで良いけど、唯笑ちゃんは?」
「ハイボールがいいなぁ」
「智くん、私もハイボール貰えるかしら?」
「はいはい」
早くも居酒屋のような雰囲気の中、素面の二人はちびちびと飲みながら食べる。酒を呑むと食べるよりも呑む事に集中するため、大量の料理を消費するために二人は貴重な戦力だ。
「そういえば、プレゼントとかないんですか?」
「ないない」
素朴な陵の質問に軽く答える。
彩花の誕生日を口実に騒ぎ倒すだけの嬉しい一日というだけだ。プレゼントを用意したところで、渡した相手の笑顔がそこにないなんて、そんな虚しい行為をしたいだなんて……そんなの喜劇にもならない。ただの自己満足だ。
「でもまあ、あいつが欲しい物はわかるけどな」
「へぇ~。じゃあ桧月さんが今欲しい物ってなんなんすか?」
素面二人が暇をしないように話を続けようとしたのだが、逆に俺が面倒な事になったぞ。あいつが今欲しい物か……そんなもの、誰に聞かなくても一番俺がわかっている。答えは一つ……
「金」
「それいらない人間がいないですよね!?汚い大人じゃないですか!?」
「臆面もなく真面目な顔で最低な事を言ったぞこの彼氏!!」
ラブなロマンスを期待していた子供二人には悪いが、これが綺麗事のない真実ってやつだ。
「文句あるのか?じゃあ聞くが、お前等は何が欲しいんだよ?」
「私ですか?私は……今欲しい物ですよね?えっと……あ、最近ポーチが壊れてしまったのでポーチですね」
「ポーチね。それ金で買えるよな?」
「……選んでくれた気持ちが嬉しいんです」
「ほお、じゃあギラッギラなシルバーのメッキのポーチでも良いんだな?ゲ〇模様のポーチでも良いんだな?淫〇がプリントされたポーチでも嬉しいんだよな?」
「普通は選ばないですよね、そんな狂気的な柄なんて」
「なんでだよ?価値観が破壊的な奴が、一生懸命悩んで迷って真剣に選んだかもしれないだろ。それでも嬉しいんだろ?」
「子供みたいな追い込み方し始めたよこの人」
「黙れイケメン。けど、そういうことだろ?なのに、え?嬉しくないとか今更言うのか?」
「それは、だってそんなの選ぶ人なんて」
「いないって言いきれないだろ?鷺沢がもしだ、万が一そういうプレゼントを選んだとして、お前は心から喜べるのか?喜べるのかって聞いてんだよ」
「……嬉しくないです」
「だよなぁ?じゃあ俺の答えは間違って?」
「ないです」
「まったく。でだ、さっき俺を盛大にディスってくれたわけだが、なんか言う事はねぇのか?」
「……すみませんでした」
「鷺沢、お前の彼女が謝ってんのに、お前はあやまぎゃッ!!!!」
喋っている途中で後ろから思いきり叩かれて、とんでもねぇ強さで舌を噛んでしまった。
「悪・即・斬」
「ふえ、てふぇ~!?」
両腕を組んで仁王立ちの唯笑に陵が涙を潤ませて抱きつく。
「もう大丈夫だよいのりちゃん。智ちゃん、イジメ格好悪い」
標語のように言われ、ぐむむと押し黙ってしまう。
「一蹴君も、彼氏なのに彼女を守れないなんてかっこ悪いよ」
「……すんません」
ちくしょう。今日は唯笑に全部良い所を持っていかれている気がする。
「唯笑さ~ん!性根が逆走している三上なんとか智也さんから守ってくれてありがとうございます」
「唯笑!そいつを放せ!お前の薄っぺらい胸じゃあそいつぐふぁッ!!」
「やられるのわかってて言うなんて、勇者だなあんた」
漢には殺られると確信していても、やるべき時があるのだよ小僧。ところで唯笑さんや?ここ最近しっかりしすぎじゃないかい?しっかりどころか、俺への突っ込みが容赦なさ過ぎですよ。昔から三上智也の賢い飼育マニュアルを愛読しているからわかるよな?三上智也が我侭な時は、頭を撫でて優しくしてあげて下さい。そうすればあなたもたちまち幸福になるでしょうって。
彩花の誕生日を口実にしたどんちゃん騒ぎ。そんな俺達をどこか遠い景色を、いや、懐かしい光景を慈しむような二人の穏やかな視線。
そんな二人の胸中を俺は推し量ることが出来ない。
陵の事はおそらくだが、母さんかおばさんから耳にしていたはずだ。だが、実際に本人と対面して宗吾さんと結さんは何を胸に抱えたのだろう?強制収容所に送られた俺が心配する事じゃないかもしれないが、そこは唯笑が上手くとりなしたのだと信じたい。
他愛ない会話にそれぞれが笑顔を咲かせ、彩花との懐かしい記憶を少しだけ語り合いながら、気持ちの良い酔いに未成年以外が身を委ねようとしていた時だった。
イ〇ポ~ンと夜も更けようかという非常識な時間に非常識な音の呼び鈴が鳴った。
さすがに今の音はおかしい。随分と下品な怪奇現象だな、変質者の地縛霊じゃねぇかとケラケラ笑い、陵だけはドン引きしていた。
とにもかくにも、音がおかしかろうがなんだろうが来客には違いないと、一番酔っていない俺が玄関へと向かったのだが……そこで事件が起きた。
玄関まではいは~いと陽気な声で向かった俺は、扉の向こうから聞こえた声に一気に酔いが冷め、それどころか吐き気を堪えてるかのような青ざめた顔をしてリビングへと引き返す。
リビングに飛び込んだ俺を、酔っ払いの飢餓長髪野郎が顔を真っ赤にして笑いながら「どうしたぁ~?変態仮面でも来たのかぁ?」などと事態を把握していない馬鹿。お前を変態仮面にして警察署の前に放置してやろうか!?
なんて、それどころじゃない俺は、どうにかしてこの九死に一生が目前に迫っている危機感を皆に伝えようか必死に頭をフル回転させた結果……
「やっべぇ!マジやっべぇ!」
とてつもなく頭の悪い言葉しか出なかった。
そんな狼狽した俺の言葉に、さすがに危機感を覚えたのか……
「さぁ~、第二ラウンド開始しよぉ~!」
「そうね、あらあら唯笑ちゃん、ショットガン四杯目じゃない」
「唯笑ちゃんはどこかの馬鹿息子と違って漢らしく育ったようだな。それにこんなにも可憐になって」
「一蹴、はいあ~ん」
「いのり、さすがに皆の前では恥ずかしいって……なんつって、あ~ん」
拾って!雑な振り方だったかもしれんが、誰かレシーブくらいはしてくれ!
クソッ!せめてこの場で一番まずいのは……
「唯笑!とにかく今だけは一時避難だ!彩花の部屋から俺の部屋へ避難するぞ!」
「もう、本当におかしいよ智ちゃん。はい、スピリタスあ~んしてあげる」
「致命的なあ~んを強要してんじゃねえええええッ!!!!俺はともかく、お前はあのモンスターに狩られるぞ!逆モンハンになっちまう前に!あのタイラントに捕まる前……に……」
「智ちゃん?」
唯笑の肩越しに見えるのは、庭に面する窓。そこに俺は異様な行動をする不可思議な影を目にし、眩暈で崩れ落ちそうになる。
影は鍵の近くにガムテープを何重かにして張り付け、空き巣の常習犯のようにそのガムテープ目掛けて肘鉄。音もなくその箇所だけ割れる窓。そこから手を伸ばして鍵を開け、まるで玄関から普通に正攻法で来ましたみたいな顔で奴はリビングへと舞い降りた。
奴の出現を目撃した唯笑はようやく状況が飲み込めたらしく、スピリタスのアルコールが空気に溶けて消えたかのように、紅潮していたはずの頬から赤が消え、土気色へとみるみるうちに変わっていく。
唯笑だけじゃない。結さんと宗吾さんと俺を除く全員が同じ死相を浮かべていた。
「おいおい、随分と冷てぇじゃねぇの?あたしへの招待状はどうしたよ結」
「招待状って、慧ちゃんに昨日連絡したじゃない。なのに、うっせぇって一言で切ったのは自分でしょ。麻雀か何かしてたんでしょ、どうせ」
「よくわかってんじゃねぇか。よお、宗吾。相変わらず陰気くせぇなてめぇは」
「黙れ。土足で上がったのは今更怒る気にもならんが、まずは貴様がたった今割った窓の修理費と慰謝料を財布ごと置いていけ」
「お前、久しぶりに会ったってのに喝上げか?上等だよごら」
「無理よあなた。慧ちゃんのことだから、お財布に一円もないもの。昨日しこたま負けたんでしょうから。喧嘩以外は最弱なのに、無駄に張り合うんだもの」
「うっせぇ。あたしのギャンブルの才能は全部唯笑に吸い取られちまったんだよ」
和気藹々とは結構な事だ。仲良きことは美しきかな。どうぞどうぞ、旧知の仲を心行くまで温めて下さい。温め過ぎて破裂してしまえ。
さて、奴がタイラントらしからぬ笑顔と言語で話している間に、俺だけは逃げさせてもらおう。
ちなみに、俺以外の四人は足をがくがく震わせてその場から一歩も動けないようだ。唯笑はわかるが、信達はどんなトラウマを植え付けられたのか。トラウマ製造機め、俺の下僕達を骨の髄まで怯えさせたな。
まあ、今日だけは許してやろう。どうぞ、その四人の贄を存分に味わってくれたまえ。ふはははは!
「で、誰がタイラントでトラウマ製造機だって?」
なんなのこの人。いつの間に俺の背後にいらっしゃったのでしょうかね?ATフィールド破ってくるとか、暴走初号機並みにエグいんですけど。
「さて?なんのことでしょう?俺はおばさんの事を楊貴妃?クレオパトラ?アフロディーテ?いやいや、そんなちょこざいな存在とは格が違う、全宇宙の美の集大成だと、いつもいつも恋焦がれているのに、そんな事言うわけがないじゃないですか」
完璧な俺の本音に、しら~っとした視線を送りつけてくる一匹の野良小娘。
「頭悪いのに一生懸命煽てる言葉を考えました感が凄いですね」
こんな非常事態でも俺を貶せるお前の胆力に脱帽だわ。
「はっはぁ!その通りだ弟子!あたしの美しさに敵うやつぁ、ちぃっとばっかしいねぇよなぁ!ところで、随分と久しぶりじゃねぇか?あんだけ世話してやったってのに」
「その節はどうも」
蒔田さん達の一件にこの人が関わっているなんてのは火を見るより明らかだったわけで、世話してやったの意味を正しく汲み取り、形だけの感謝だけはしてやる。
「つうわけで、まずは智?あたしの足を舐めな。つま先から丹念に丁寧に愛情を持って」
「結さん、シュールストレミング用意して。食べてから存分に舐めてやるよ耄碌ババ……~~~~~~~ッ!!!!」
突如の衝撃に声を失くすと同時に、おばさんの足が俺の視線の先に見える。
あ、れ?景色が逆さに……なんだよ、これ?
冷たいフローリングが頬を伝っている。つまり、俺は倒れているらしい。
身体を動かそうにも指先一つ動かせず、徐々に遠のく意識。唇を噛んで、痛みで何とか意識を保つ。
「もお、慧ちゃんったら。正中線五連突きは命の危険があるから封印してねって、学生の時に協定を結んだじゃない」
「良いんだよ、こいつはこの程度で死ぬような鍛え方してねぇもんよ」
「確かにな。貴様が小さい智也を引き連れて旅に出て、樹海に一週間置き去りにしたこともあったな。ふっ、懐かしい思い出だ」
あ?樹海に一週間置き去りにされた思い出なんて俺には……ッ!?
思い出そうとするとこめかみに鋭い痛みが奔る。
うむ、これはあれだな。思い出してはいけないパンドラの箱だな。脳裏にツキノワグマよりも大きいエゾヒグマや、捕まえた蛇の皮を剥いで焼いている光景が過るが……待て待て!樹海どころの騒ぎじゃ無くね!?
これ以上はまずいと記憶をぽいっとゴミ箱へ。
「唯笑ちゃん、普通に笑顔で話せる思い出じゃないんだけど。てか、笑いながら話してるこの人が人間に見えない」
「まだ人間だと思ってたんだ信君。死刑になってないのが不思議なんだよ。国際手配されていても唯笑は驚かないよ」
「今、初めて三上さんの人間性が歪んでいる一端を垣間見た気がします」
「三上……辛い子供時代を過ごしていたんだな。今度から少し優しくしてやろうかな」
ちょいちょい俺への評価が気になるが、とにもかくにも何とか立ち上がれるくらいには意識がはっきりしてきた。
がくがく震えながら立ち上がると、シカの子供かよ情けねぇなぁッ!!と最高峰のクズが笑う。
憐れみの視線を向ける唯笑達を無視して、無言で部屋を出て一旦家へと戻る。
「ふはは、負け犬が帰んぞぉ!遠吠えもしねぇのかよ、だっせぇ!」
などと戯言が背後から聞こえたが、怒りを通り越している俺の燃料としかならない。
キレちまったよ俺。こんなにキレさせるなんて、さすが俺の天敵だよなぁ。もう泣いて謝っても許さん。
「え?え?本当に三上さん帰ってしまいましたよ?」
「さすがに帰るだろ。俺だったら病院に搬送されてる自信あるし」
「あのさ、智也をフォローしなくてもいいの?」
「智ちゃんを?どして?」
「どして?って、だって今のはさすがに……」
「わかってないなぁ信君達は。今の智ちゃんは昔の智ちゃんなんだよ?」
「つまり?」
「見てればわかるよ。今から面白いものが見れるから」
――数分後
智也がいなくなってしばらくすると、玄関が開いた音がした。どうやら智也が帰ってきたらしいと、リビングの扉の前に視線を向けていると、静かに扉が開きそこにいたのは……
「…………(しゅたっ!)」
挨拶のつもりなのか、四角いフォルムのロボットの着ぐるみが片手を挙げた。
何が何だかわからない俺と一蹴、いのりちゃんは無言で頭にクエスチョンマークを浮かべ、唯笑ちゃんは親指を立ててロボットにエールを送る。おじさん達は、そそくさとテーブルの上の料理などを茶の間の方へと移動させ始めた。
状況が飲み込めない俺達は、どうする事も出来ないまま成り行きを黙って見ていたのだけれど、異常な反応を示す人物がいた。
「――ひきッ!?」
あのクズの境地が顔を青褪めさせ、喉から絞り出したかのような悲鳴を上げたのだ。
「慧、さん?」
ロボットはそんな慧さんにてこてこと可愛い足取りで近づいていくが、慧さんはぶるぶる震えながら立ち上がり、後退りし始める。
「おお、おま、お前、やめ、智也なんだろ?なあ智也、テメェこんなことしてわかって……」
その問い掛けに応えることなく、無言で距離を詰める。
「と、智也、だよなぁ?」
おいおい、心なしか暴君の眼が潤んでないか?声も震えているし、どういうことなんだよ。
不安を解消して欲しい問い掛けは、ロボットの無言に掻き消される。
「な、なんだよテメェ!く、来るなよぉ~!」
壁際まで追い詰められた暴君は俺の位置からでは表情ロボットに遮られて見えないが、確実に泣いている。
「ねえ、唯笑ちゃん?あれ何?」
「何って見たまんまだよ。お母さんの唯一の弱点でね、着ぐるみ恐怖症なんだよ」
暴君のくせになんでそんな可愛い恐怖症持ってんだよ。ちょっとギャップで可愛く見えちゃうんだけど。
確かに着ぐるみ恐怖症の人は割といる。何かしらの恐怖感があるというのだが、普通の人には理解出来ない恐怖らしい。
「あの着ぐるみは智ちゃんがお母さん撃退用に用意してた最終兵器なんだ。成長に合わせていくつも用意してるんだよ」
「智也って裁縫出来たの!?」
「命と引き換えにめきめき上達してたなぁ」
たまに手先が器用だなぁと思う事はあったが、命の危機に瀕した結果だったのか。しょうもねぇ~!
ロボットが暴君の前で手を振ったり、顔を極限まで近づけたりして、その度に暴君とは思えない可愛い悲鳴が響く。
「く、来るなよぉ~!か、帰るから~!もう何もしねぇよぉ~!」
「ロボ、ツイテク。ケイ、ツイテク」
キャラ設定守ってるなぁ。あいつ復讐が怖くないのかよ。
「ひぅッ!?も、もう嫌だよぉ~!唯笑助けろよぉ~!」
「助けたら家までついてくるけどいいの?」
鬼かこの幼馴染連合は。もうヤダこの血筋。
「うう、助けてよぉ~……優紀~」
優紀?彼女は誰の事を……
「はいはい、もう帰ろうね慧」
いつからそこにいたのか、気配もなく暴君の肩を抱くひょろっと背の高い眼鏡をかけた男性。
「ごめんねお父さん。お母さんのこと頑張って宥めてね」
「お父さん!?いやいや、いつの間にいたんだよ!?」
「いつの間にって、やだな~信君。お母さんが来る前からずっといたよ」
「いなかった!あんな人いなかった!」
「……?何を言ってるのかわからないけど、ほら、窓を見てみてよ。お父さんが直してくれてるでしょ?」
窓を見てみると、割れていたはずの窓がいつの間にか修復されていた。職人がやったかのように、新しい窓に替わっている。
「もうホラーだよね!?一蹴達は気付いてたか!?」
一蹴といのりちゃんはぶんぶんと首を横に振った。
「え~?一緒に料理も食べてたのになぁ。確かに影は薄いかもしれないけれど、ちょっと失礼じゃないかな皆」
父親が好きなのかぷんぷんと怒る唯笑ちゃんだが、俺達はそれどころじゃない。俺達三人のうち誰一人その存在を認識していなかった事実に驚愕してしまい絶句となる。
そうこうしていると、いつの間にか知らぬ間に暴君と唯笑ちゃんの父親?らしき人は部屋からいなくなっていた。
「ふう、これで化け物退治は完了っと。おじさんがあとは上手くやってくれるだろう」
着ぐるみを脱いでぱたぱたと手で仰ぐ智也の言葉に耳を疑う。
「おじさんって、智也?いつから唯笑ちゃんのお父さんっていたかわかるか?」
「いつって、俺が屋根から落ちた時に彩花の部屋にいただろ。何言ってんだお前?宗吾さん、おじさんずっと宗吾さんと話してたよね?」
「ああ、久しぶりで話が弾んでな。慧にはもったいない男だよ彼は」
「本当にねぇ。ふふふ」
当たり前のように話す四人の姿に背筋が寒くなる。
「……一蹴、俺正常だよな?」
「異世界に迷い込んだ気分なんだけど」
「今坂さんの家って普通の人いないんだね」
知ってはいけない世界を覗き込んでしまった俺達の耳には同じ曲が聞こえていたに違いない。
ちゃらららん、ちゃららららん♪という世にも奇妙な曲が……
宴もたけなわとなり、いのりちゃん達を送り出して残った面々で後片付けをしていると智也と唯笑ちゃんはおばさんに呼ばれて二階へと行き、俺はおじさんと茶の間に残された。
最初は普通に二人で片づけをしていたのだが、どこか言い辛そうに少し良いかなとテーブルへと誘われる。
席につくと、真っ直ぐな視線が俺へと向けられ……
「稲穂君、私の家族を、息子を助けてくれてありがとう」
恥も外聞もなく下げられた頭に、俺はわけがわからず慌てて頭を上げてもらおうとするが、おじさんは俺の願いを聞いてはくれなかった。
「本当なら、彼等にも感謝しなければならなかったが、智也の前では言い出せなくてな。今後また会えたのなら伝えるが、どうかこんな情けない大人だが感謝の言葉を受け取って欲しい」
「感謝だなんてそんな……俺はただ、俺の自己満足であいつを放っておけなかっただけで、感謝されるようなことはなにも……」
誰がどう贔屓目に見ても勝手な罪悪感を抱いて、勝手にあの馬鹿の隣にいたくて、勝手に一緒に雨に濡れてやりたくて……ほんと、それだけで……
「いいや、君がどう思おうと君は智也を、いいや智也だけじゃない。私達のこと、彩花の事も救ってくれたんだ。本当なら、私が智也を救ってやらなければいけなかったのに、智也に全てを押し付けて一人にしてしまった。慧や智一に何と言われようと、私達が智也の傍にいるべきではなかったかと、何度も何度も自分で自分に問うてはみたが、情けない事に正解がわからずに智也を追い詰めるばかりで……」
おじさんが抱え続けた苦悩を、親としての絶望を俺が推し量る事は出来ない。俺には想像も出来ない苦痛がこれまでの年月に詰め込まれているのだろう。そんなおじさんを責める気になんてなれない。それどころか、俺を責める権利がおじさんにはある。
でも、こんな雨なんかもうごめんなんだ。俺も唯笑ちゃんも智也も、きっと彩花ちゃんもこの連鎖を終わらせることを望んでいるんだから。蒔田さん達から頂いた希望はきっと、その連鎖を終わらせる為のものなんだ。だから言わなければいけない。俺にその資格があるかはわからないけれど……
「おじさん、頭を上げて下さい。偉そうなことを言うかもしれませんが、もう止めましょう」
もう俺達はただ雨の中佇む事に飽きた我侭な子供なのだから。
「これまでの罪悪感、苦悩、苦痛……俺達は傷を大切にするばかりで、彩花ちゃんの笑顔を曇らせてばかりでした。そんなの、何も生みません。何一つ解決しない。俺は智也と唯笑ちゃん、おじさん達への罪悪感から目を逸らせないままで、でも真っ向から向き合う事も出来ずにいました。だけど、それは俺だけじゃない。蒔田さん達も、おじさん達も、智也も唯笑ちゃんも……そして多分彩花ちゃんもそうだったのかもしれません」
勝手に誰かの罪を自分だけのものだと抱え込んで、のた打ち回って足掻いて、そうしてその誰かを更に傷つけて……どうしようもない輪の中で生き続けてきた。
「どうしたらいいのか、どうすれば罪悪感が消えるのか……過去と同じように消えるはずがないのに、どうにかしなければと躍起になって……そんな全部が今はどうでも良いんです」
消えないなら、過ちを正せないのならどうすれば良い?答えは簡単だ。俺と唯笑ちゃんが得た答え、蒔田さん達に望む希望、智也が必死に掴もうとしている未来。俺達が進む道は一つだけだ。
「消えないなら、消したくないのなら……」
ああ、そうだ。智也と唯笑ちゃんと彩花ちゃんと俺と、四人でずっと一緒だと約束したあの燈火は今もこの胸にある。この燈火だけはどんなに激しい雨でも消えることはない。
「これまでの全部を均等に抱えて笑えばいい。一人の強がりじゃ壊れてしまうけれど、四人で抱えて強がって、馬鹿みたいに笑って泣いてこの先を生きていけばいい」
誰かの燈火が消えたのなら、三人の燈火をそっと灯してやる。心に傷を負ったのなら、その傷に手を当てて自分の心にも少し分けてもらう。他人には無理でも、俺達四人にはそれが出来る。あの日の智也の涙がその証明だ。
「だから、頭を上げて下さい。そして、これからの俺達四人を見守っていて下さい。俺が、俺達が強がる姿を見ていて下さい。きっと、何があっても俺達は笑ってみせますから。泣くときは、大声で泣いて見せますから。だから、過去を想う時は三人の笑顔を思い出して、笑って下さい。それだけで、俺達は肩を組んで笑い合えると、そう思うから」
俺の言葉を頭を下げたまま黙って聞いていたおじさんの口から、ふっと呆れたような声が聞こえた。
「四人、か……君は凄いな」
「いえ、そんな」
「三人の世界にまさかもう一人加わることが出来るなんて思いもしなかった」
顔を上げたおじさんの顔はどこか嬉しそうに目尻が下がっていた。
「見てみたかったな、彩花が今の君達といる姿を」
そんな言葉に、俺は悪戯をする子供の様に笑って……
「え?見えませんか、俺達と馬鹿をやってお腹を抱えて笑っている彩花ちゃんの姿が」
そう返したのだった。
彩花の部屋の電気を点け、俺は机の椅子へと腰かける。
唯笑は先に帰るねと満面の笑みで、結さんにありがとうと抱き着いてから帰った。
多分、彩花が俺達の前からいなくなって初めての心からの満面の笑みだったんじゃないだろうか。
「やっぱ結さんには敵わねぇよなぁ。さすがお前の母親だよ」
机の上に伏せてある写真立てを直して悪態をつく。
写真立ての中には、悪ガキの両腕に鎖のように絡みつくアホ二人。唯笑が陵に気を遣って伏せていたんだろう。そこまであの小娘を気にする必要もないだろうが、あの二人には彩花の姿は少々刺激が強いかもしれないからな。
「ああ、そういえば忘れてたわ」
と、ジャケットに入れていた小さな箱を取り出す。一応、約束の年になっちまったから仕方ない。別に俺と彩花が約束したわけじゃないが……
「ほらよ。デザインが気にくわないとか文句言うなよ」
最低でも二十歳には結婚……なんて、呑気な親達は勝手に俺達に将来を決めつけていたからな。とはいえ、これと言った不満もなかったのも事実だが。
箱を開けて写真の前へ。決して安くはない小さな宝石が煌めく指輪に苦笑してしまう。
詩音はクリスマスプレゼントなんて言っていたが、残念。これは昔からの契約であり約束の印だ。
「ていうか、文句を言ったら問答無用で泣かす。これ買う為にどんだけ働いたかわかるだろ?高校からずっと細々と貯めて買ったんだからな」
その資金の中にはかきこおろぎで得た賃金も少しばかり。犠牲になったコオロギ達に涙を流して感謝する事だな。
「これ買うのめっちゃ恥ずかしかったんだぞ。なんか高級な店の中に場違いな服を着た奴が来たって感じでよ、ああいう店ってなんで上品ないらっしゃいませって特徴的な挨拶すんだよ。びびるわ」
そりゃ、こんな見るからに子供な俺が結婚指輪を買うだなんて思いもしないだろうけどな。だからって、なにも近くのアクセサリーショップを斡旋しなくても良かろうに。地味に傷ついたからな。
ちなみに、俺の指輪はチェーンに通して首にぶら下がっている。指に嵌めて周りに詮索されるのもなんだし。べ、別に恥ずかしいわけじゃないんだからね!ふん!
「でだ、渡して早速だけど……わりぃ、この先二股するかもしれん」
関白宣言どころの話じゃないが、こればかりは言っておかないと話にならん。心なしか頭を何かに叩かれてるかのように痛い気がするが。
「嘘はいかんからなぁ。ほら、この先どうなるかわからんし。つっても、相手にも二股を許してもらわにゃならんわけで……」
そんな心広いマザーテレサみたいなやついるのだろうか?マザーテレサが二股許すかどうかは知らないが、許してくれそうじゃないか?なんとなく。
「ま、この先の話だ。今のところそういった心配はなさそうだが、それなりには前を向いてみようと思う年頃なんだ。許せ貧にゅっげふッ!!??」
喉を原因不明の激痛が襲った。地獄突きじゃねぇかよ!?
寒い室内が更に寒くなった気がしたが、気の所為だろう。鶴〇師匠のぬいぐるみの目尻が吊り上がっているが、断固として気の所為だ、うん。
「あまり心配するなって。まあ、その……なんだ。お、お前を、その、あれなんだな、あ、あ、あ、あい……愛して、るるるるるぅ~……のかなぁ?う、うむ。それだけは変わらん自信がないわけでもなかったりあったりでだな」
今のこの場面を誰かに見られたら死ねるぞ。穴があったら入りたい。てか入るわ。
彩花のベッドにダイブして布団にくるまる。
「い、今際の際まで、こ、こんなこと絶対言わんからな!」
寒いはずなのに顔が火照って仕方ない。
ちくしょー。こんなんで二股出来るのかよ。いやいや、夜王智也を目指すと決めたじゃねぇか。俺なら楽勝だ。
首から下がっているリングに触れる。愛の証と、もう一つ……彩花の想いの証の二つに……
『智くん、唯笑ちゃん、これ受け取ってくれるかしら』
『結ママこれ、指輪?そんな、こんな高価な物貰えないよ!』
『違うのよ、この指輪はね?』
「メモリアルリング、ね」
遺骨を加工して出来たダイヤモンドのリング。彩花が亡くなってから遺骨で造ったこの指輪を、結さんはずっと大切に持っていたのだそうだ。俺達二人に渡すためにずっと。
あの頃の俺達に渡してしまうと、ずっと過去に囚われてしまいそうで渡すわけにはいかず、こうしてあの日の事故とちゃんと向き合えるようになってから渡そうと結さんは心に決めていたらしい。今の俺達なら大丈夫だろうと、この指輪を渡す意味をしっかりと理解してくれると。
「唯笑のやつ、薬指に丁度合うとか言って飛び跳ねて喜んでたぞ。いつでも一緒だぁってさ」
冗談じゃない。口煩い幼馴染に二十四時間監視されるなんて拷問だぞ。生理現象の時はどうすりゃいいんだよ。彩花の視線が気になって出来ない……いや、恥ずかしがって顔を隠すだろうから問題ないな。じゃあいいや。
「この先、唯笑を幸せにしてくれる奴かどうか、あいつの前に現れる男をお前が審査してやればいい」
俺を選ぶ目利きが確かなお前だ、あいつの相手を任せられる相手を厳選してくれ。今の俺の胸の内に疑問を持ちやがったら髪の毛を半分切るからな。
「でもってだな、俺の相手もお前が見てくれや」
こいつなら二股を許してもいいっていう、稀有なやつをさ。
「ふぁ~」
布団にくるまってたら、少し眠くなってきたな。今日はこのまま寝ていくか。
ぼ~っとし始めた意識の中、ぼんやりと大切で大事なお約束を忘れていたことを思い出し、礼儀を重んじる俺は小さく、そっと、たった一人にだけ聞こえるようにその言葉を呟いた。
――なあ彩花?俺と、結婚、しようぜ?
乱痴気騒ぎから解放されて、私は一人で家路についた。
最近は一蹴の部屋か、私の家でずっと二人でいた。私の部屋には入れてあげられないけれど、狡く誤魔化して入らないようにしていた。だけど、今日は少しだけ体調が悪いからと、一人で過ごすことにした。
家に帰り私はすぐさまバッグを玄関に放り、ドクン、ドクン、と大きく脈打つ心臓と共に洗面所へ走る。
『ッ!?……あ、え?』
夕暮れの公園で初めて目を合わせた時、あの人は挙動不審なほどに狼狽えていた。いつも挙動不審だけれど、でもあの時の狼狽え方はこれまでの三上さんを見ている限り、明らかにおかしかいと今になって思う。
そう、あの時だけ……あの瞬間だけなんだ。蒔田さんとの一件を忘れて、三上さんはただの三上智也を表に出してしまったのは。
「どうして、気付かなかったんだろう」
鏡に映る自分の姿、その姿に手を伸ばす。
「どうして、気にしなかったんだろう」
彩花さんがどんな人なのか、三上さん達の話の中でしか知らなかった。意図して、三人は隠していたのだろうと今ならわかる。彩花さんの写真を、私は一度も目にしたことがないなんて、どう考えてもおかしいもの。
ないわけがない。三上さんの部屋に、彩花さんの写真がないなんてことあり得ない。なのに、子供の頃の写真や卒業アルバムを私は目にしたことがない。そんなこと、あり得ない。誰かが意図して隠していない限りは。
今日、私は彩花さんの部屋に入ってはいない。今坂さんがやんわりと遠ざけていたんだ。もしくは、私達が家に入る前にあらかじめ隠していたのかもしれない。
だから、今坂さんに落ち度は何もない。ただ、彩花さんの家の中全部を知っているわけじゃなかっただけの事。おじさん達の寝室の本棚、そこに収納されていた建築の専門書の間に挟まっていた……その一枚を除いては。
掃除をしていて、本からはみ出していたそれが気になって手に取ったのは偶然だったけれど、その偶然は私に衝撃を与えた。
写真には、三上さん一家、彩花さん一家、今坂さん一家がお花見をしている時の、誰もが桜舞う中で幸福に笑う姿で写っていた。その中には、中学生の頃だろうか?あどけない三人の子供。真ん中の少年は馬鹿みたいに笑っていて、両脇に少女二人。片方は能天気に笑っていて、そしてもう一人は頬を膨らませて怒っているようで、でも柔らかく笑っているようでもあった。
最初は、あ~、この人が彩花さんなのかと不思議な感覚の中で眺めていて、でも違和感がどこかにあって……どこかで、ううん。いつも見ているかのような既視感が付き纏った。拭えない違和感、その正体に辿り着くにはそれはあまりに身近過ぎた所為で遅くなってしまった。
どうして三人は彩花さんの写真を隠していたの?
「当然、だよね」
どうして三上さんは初めて目を合わせた時に狼狽えたの?
「幽霊でも見た気分だったのかな?」
桜の中で三上さんの隣で、三上さんを愛していると誰にでもわかる目で訴えている少女……彩花さんに見覚えがあるのは?この既視感の正体は?
「目の前に、いるよ、ね?」
ああ、良かった。今この場に一蹴がいなくて本当に、本当に良かった。
「ふふ、そうか、そうだったんだぁ」
こんなにも恍惚に蕩けた表情(かお)を、教え子の私が、一蹴の恋人の私が絶対にしてはいけないのだから……
どんな表情で彼女は彼に愛を囁いたのだろう?どんな表情で彼女は彼を抱いたのだろう?どんな表情で彼女は彼の唇を……
「三上さん、三上さん三上さん」
一人でいる時間だけのこの想いだけなら許してもらえますか?貴方が愛する人と瓜二つだという事に悦びを感じても許してくれますか?どうか、今だけは――
「う、ふっ、うう……」
自然と伝う涙と零れる嗚咽。
洗面台に手をついて膝から崩れ落ち、嗚咽を止めるかのようにもう片方の手で口を抑える。
どうか、こんな事で自分を満たす惨めな私を、許して下さい。
――今だけは、この愛を許して下さい――
お久しぶりです。こんなに長くかかってしまい申し訳ありません。
お待たせしてしまった言い訳はしません!僕が悪いです!炬燵から離れられない僕が悪い!ほんっと~に申し訳ありませんでした。
以前お話した通り、ちょっと頭がおかしいギャグ回となってしまいました。てへ。
今坂家最大の謎、父親登場。実はそこかしこに偏在している存在……もしかしたらあなたの後ろにも……
智也の二股宣言は多分、智也というキャラクターは彩花への想いは不変なのだろうなとプレイ時から感じていたことで、だからこそ智也は彩花への想いを認めてくれて、なおかつ彩花への気持ちと同じ気持ちを相手に与えていくのだと僕は思います。智也を愛するということは、彩花を愛すると同義ではないかと。めぞん一刻の五代君のような器の女性じゃないと難しいかもですね。
では、また次回お会いしましょう。
更新がこんなに遅くて本当に申し訳ありませんでした!じゃんじゃん、文句を言ってください!