願い雨   作:夜泣マクーラ

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第一章
彼女の嘘、彼の嘘


 母さんが買い物に行って帰ってきてないのは幸いだった。俺の狼狽える姿なんて、とてもじゃないが見せられん。

 とりあえず陵を俺の部屋へ案内し、飲み物を用意してくると言ってキッチンへ一時退避した。

 いや~……マジないわぁ~。

 つい先日の自分を振り返る。俺は別れ際になんて言った?めちゃくちゃクールに決めて、しばらく会うことはないだろうみたいに去らなかったっけ?

「それがこんなに早く再会するとか……」

 そりゃあさ、普通は思わんだろうが。見知らぬ他人と、数日後に再会するとかさ。世間狭すぎだろ。しかも、あの子は信と白河とも知り合いらしいし、これ誰かに俺の運命操作されてんじゃねぇの?とか疑うレベルじゃねぇか。

 ま、まあ……作戦としては一つしかないな。このまま初対面を貫き通す。

 もしかしたら、あの子は俺のことなんて覚えていないのかもしれない。ほら、アレだよ。一週間で記憶がリセットされるとかいう設定でさ。そういう病気が世の中にはあるとかないとか聞いたことがある。

 そうじゃなくてもだ、見た目は利発そうなお子さんでいらっしゃるし?俺の気まずい空気を読んで知らない振りをしてくれるかもしれない。

 実際、玄関で間の抜けた挨拶をしてからほとんど会話もしてないし、あの子も何も聞いてこないし。

「そうだよな。俺に恥を掻かせるような、そんな愚作はしないだろう」

 人間ネガティブはいかんよ。笑う門には福来るとか言うじゃん。ポジティブが世界を救うんだよ。

 てなわけで、目下俺が考えることは一つだけ。

「……紅茶ってどうやって淹れるんだよ」

 コーヒーよりも紅茶派な見た目をしているし、紅茶を持っていこうと思うのだが、淹れ方が少しも分からん。近くのコンビニで買ってきてもいいが、前に自販のレモンティーを詩音に奢ったら、馬鹿みたいに渋い顔をされたトラウマがある。

 ……ああ、そうだ。詩音に聞こう。

 あの紅茶ば……博士ならご機嫌で講義をしてくれるはず。ただし、講義が長引く危険性があるため、引き際をしっかりしておくこと。具体的には、淹れ方を簡潔に聞いて、即座に通話を切る。

 てなわけで、電波が届く場所にいてくれと願いつつ詩音に電話をするのであった。

 

 

 参った。いやね、この結果はわかってたよ?詩音が紅茶談義始めちゃったら、数分で話が終わるわけがないって。無理矢理に通話を終わらせようなんてさ、出来るわけないじゃん。だってあいつが拗ねると面倒臭いんだもん。それでも三十分で解放してくれたのは進歩だよな。高校時代なら平気で二時間は放してくれなかったもん。

 部屋のドアを一応ノックする。自分の部屋なのだから必要ないとは思うが、何かしらの不測事態が起こっているのかもしれない。例えば、汗を掻いてしまって着替え中とか、学校外では私服主義だとか。昔、帰って来て部屋に入ったら、彩花が着替え中だったなんてこともあった。

 さすがの俺もあの時はビビッたね。中学生といえば思春期真っ只中で、まだ成長しきっていないあいつの身体でも、こうドギマギしたもんね。あ、今思ったけどドギマギって○どマギにイントネーションが似てるよな。

 ノックの後、控えめな「はい」って声が聞こえ中に入ると、陵は綺麗にぴんと背筋を伸ばして、正座の姿勢で待っていた。

 マジかよ……俺なら数分で脚が痺れて、我慢出来なくて立ち上がったあげくに、ふらついて箪笥の門に足の小指をぶつけて悶絶する未来が待ってるぞ。

「あ~、すまん。待たせちゃって」

「いえ、気にしないで下さい」

「えっと、紅茶で良かったか?陵」

「あ、すみません。ありがとうございます」

「いやいや、はは、あははは」

 ……がう。なにこの白々しい会話?この前のこと突っ込まれないだけマシだけどさ。

 俺も陵の対面に座り、この流れに乗って自己紹介なんてものをしてみようか。陵もこの前のことなんて気にしてないみたいだし、案外俺の気にし過ぎってこともあるしな。

 ようし、それなら仕事に専念しようじゃないか。バイトの初日の基本は自己紹介だ。ここでビシっと年上らしく決めちゃおうぜ俺。

「そんじゃ、挨拶でもしようか。初めまして。今日から君の家庭教師をさせて頂く三上智也です」

「はい、知ってますけど……というよりも、この前お会いしましたよね?」

「ですよねぇ~」

 チッ、まだ高校生のガキだもんな!俺のこの察して空気なんて読めないよね!もうちょっと人生経験積んでくれていれば読めただろうに。

「あのですね、さっきからずっと考えていたんですけれど、少しいいですか?」

「あ~、なんでしょうか?」

 どこか訝しげな視線を受けて、自分の部屋だってのに居心地が悪くなる。

「もしかして三上さん、私のこと知ってたんじゃないのかなぁ~って」

 うん、訝しげどころか、めっちゃ疑われてた。

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、父の知り合いに勉強を見て貰うって言われて来てみたら、それがこの前会った三上さんの家で、本当は私のこと知ってたんじゃないかなって」

 ああ、確かにそこらへんは疑いたくもなるわな。俺だって信じられなくて無様に狼狽えてたわけだし。

「ないない」

「本当ですか?」

「本当だよ。デウスに誓ってもいい。大体だな、俺は君の名前すら知らなかったんだぞ」

「……そういえばそうでしたね」

「そうだよ。それに、俺だっていきなり親父に言われたんだから」

「お父さんにですか?」

「おう。なんか、君の両親が海外に行くから、彼氏と最近いちゃこらしてばかりの小娘の監視をしろって」

「い、いちゃこら!?な、どどど、どこまで私の事聞いてるんですか!?」

「どこまでって……一人暮らししている彼氏の家に毎日のように通って、もはや通い妻のようになっているとか?娘に学生の本分を思い出して欲しいとか?」

「かか、通い妻!?ふ、ふふ……そ、そんな妻だなんて、お母さんもお父さんも気が早いんだから」

 急に気持ち悪くなったな。気が早いどころじゃなく、バージンロードまで見えてそうなんだけど。

 仲良きことは美しきかな。いいねぇ~、青春だねぇ。おいちゃんは羨ましいですよ。壁ドン代行求むわ~。

「ま、まあ君の色恋沙汰は置いておいて、そういうわけで、あまり君と彼氏を二人っきりにはしたくないらしいね」

 簡単に親父から聞かされたことを話すと、彼女は少しだけ困ったように笑んだ。

「そうですか。そんなに一蹴にかまけてばかりじゃないんですけどね」

 ふむり、軽く嘘をつくねこの子は。もしくは、この子の基準ではそうなのかもしれないな。大人からしたら行き過ぎじゃね?って行為も平気で無視出来る年頃だしな。

 仕方ない、ここは少し大人の味方をしようかね。

「それはどうかな?」

「……どういうことですか?」

「いやね、実は親父からだけじゃなくて、信からも色々聞いてるわけだよ」

「あ、そういえば稲穂さんと親友だって……」

「し、親友かどうかはさておき、この間のことを信と話したんだ。俺も信もトビーの知り合いだしね。そんで、君と彼氏の話もちょこちょこ信から聞いたりしていたんだ」

「えっとぉ~、稲穂さんはなんと?」

「そうだなぁ、毎日のように彼氏の夕飯を用意したり、弁当を用意してやったり、別れ際にキスしたり……」

「そ、その位ならクラスの彼がいる子も……」

「泊まる時もそこそこにあって、信の部屋の天井がぎしぎしと」

「すみません、謝りますからそれ以上は止めてください~ッ!」

 顔を真っ赤にして両手を目の前でぱたぱたさせて、俺の言葉を阻止する。

 なにこの生物、可愛くてちょっと飼いたいとか思っちゃったよ。こんな気持ちカメ吉以来なんだけど。

「で、君はそれでも高校生らしい付き合いをしていると?」

「い、いえ、それは~……でも以前女性誌のアンケートでですね、高校生のアレがですね、アレでして」

 恥ずかしいなら言うな。ていうか言えてないし。

「つまり、真剣に好きなら良いのではないでしょうか!?」

 出たよ。恋に盲目乙女。ちょっとイラっときちゃったよおじちゃん。

「いいわけないだろ!親に心配掛けて胸張るな!」

 は~い!おま言うとか抗議しないでねぇ~。リアル鯉幟事件なんてありませんでした。

「そういうことはな、親にちゃんと認めてもらってからするもんなんだよ!周りがやってるから自分も良いなんて子供の理屈が通ると思うな!」

「……すみません」

 しゅんとさせてしまったが、当然のことを言っただけだ。最近のガキは相手の人生に責任も取れないくせに、すぐに軽はずみな行動を取る。

 俺はどうだったって?ははは!親父も母さんも彩花を嫁に迎える気満々だったし、俺もおばさんとおじさんに早く結婚しろとか言われてたから問題なし。あの人達は俺と彩花が結婚出来る年になったら、その瞬間式を挙げさせようとしてたし。

「まったく、大人しそうで淑やかそうだと思ってたのにな。陵ねがい」

「いのりです」

「ん?何言ってんだ?お祈りしたいなら教会に行きなさい」

「そ、そうじゃなくて」

 なんだなんだ?また反抗ですか?反抗期ってこんなに拗らせられるもんかね。他人の俺にまで歯向かうなんて、ご両親も相当苦労したことでしょうよ。

「いのりなんです」

「いやいや、だからさぁ、なにを」

「私の名前、ねがいじゃなくていのりです」

「…………じゃあ、今日は君の進路に応じて何を集中的に勉強するかを検討しようか」

「私、人の名前すらうろ覚えの人に説教されてたんですね」

 目を住人のいない向かいの部屋に逸らすと、彩花が溜息をついている姿が見えたような気がした。てか、絶対呆れてるな。うん。

「あー!そうだよ!覚えてませんでしたごめんなさい!人の揚げ足取ってないで文系か理系か答えろや小娘!」

「年上が小娘に逆ギレですか!?」

 そうしてまた軽い内戦を繰り広げた後、ようやくにして文系だという情報を得ることに成功。結構時間をロスした気がするが、文系ならとりあえずは古文と現代文学を今日はやろうと妥協案を出すと、そうですねと素直な返事をしてくれた。

「それじゃあ、まずはどこまで君が出来るかわからないから、俺が使ってた参考書で、古文と現代文の基礎テストがあるから、それを解いてもらおうか。わからない箇所があっても、終わるまでは質問はなし。終わってから採点して、間違ってる場所があれば教えてくから」

「はい、わかりました……けど、あの……」

 参考書をぱらぱらと捲りながら、おずおずと尋ねてくる。

 終わるまでは質問はなしって言ったのに、仕方のない奴だな。

「この参考書、びっくりするくらい使った形跡がないんですね」

「……時間はそれぞれ一時間。それじゃ黙って始めろ~」

 だって、参考書よりも、かおるや静流さんが教えてくれたほうがわかりやすかったし。小夜美さんは邪魔以外何もしてくれなかったけどな。あと、みなもちゃんは可愛いから癒しが欲しいときは必須な。詩音は、英語以外は俺並だったし、唯笑に至ってはあいつは理系のが得意だから役に立たなかった。

 黙々と参考書に書き込んでいく陵を見て、過去の自分を思い出しつつ俺は漫画を読むことに。漢ならやっぱ○牙ですよ。これ読み始めると一日があっという間で、レポートなんてやってる暇ないもんな!漢のロマンだよ。

 俺は漫画を読み、片や陵は真剣に勉強していると、階下からただいまの声。

「ふぅ、ようやく帰ってきたか」

「お母さんでしょうか?」

「ん、そうみたいだ。一旦下に行くけど、気にせず勉強しててくれ」

「わかりました」

 部屋を出て玄関に向かうと、そこそこに食材を買い込んできた母さんは、両手に買い物袋をぶら下げてよっこらしょと荷物を置いた。

 よっこらしょって言うような年に見えないほど、俺の母親は若く見える。俺がイケメンなのは間違いなく母の血のおかげだろう。……だ、誰にも言われたことないけど、みんなイケメンだって思ってるよ?多分。

「ただいま~。ねえ、もういのりちゃんは来てるの?」

「ああ、とっくに来て今は勉強中。だから挨拶は後で」

「まあまあまあ!それじゃあすぐにケーキと紅茶を持っていくわね!そうだ、お化粧も直さないと~」

「待てや母親!」

 すぐにでも陵に顔を出そうとする母さんの襟首を掴む。

 俺の母親、三上菫(みかみすみれ)は俺とは間逆で落ち着きのない性格であった。

「ぐふっ!と、智也……お母さんの首が……」

「今は勉強中だって言ってんだろ!後でちゃんと紹介するから、母さんは家事でも」

「そうねそうね!いやぁ~ん、私夢だったのよ~。息子のお嫁さんと一緒にお料理するの~」

「人の話聞けよ!つうか、嫁じゃねぇし、しかも彩花と散々料理してただろうが!」

「それはそれ、これはこれ」

「ほんと黙って。いいから今は大人しくしててくれ、本気で頼む」

「は~い」

 まったくよぉ~、いい年なんだから大人としてもう少し落ち着きを持って欲しいものだ。

 それじゃあと階段を上ろうとする俺を母さんが呼び止めてくる。

「あ、そうだ智也。私聞きたいこと会ったのよ」

「あん、なんだよ?」

「いのりちゃんと唯笑ちゃんとどっちがタイプ?」

 立ち止まった俺が馬鹿だった。母さんを無視して部屋に戻る途中、背中からなにかしらの抗議が聞こえていた。

 部屋に戻ると、思ったよりも早く基礎テストが終わったらしく、ペンを置いて大人しく待っていた。

「なんだ、もう終わったのか」

「あ、はい」

「じゃあ、採点しちゃうから適当に……そうだな、漫画でも読んでて」

「いいんですか?」

「ああ、少し時間掛かるし」

「じゃあ、お言葉に甘えますね」

「おう」

 適当に返事をして採点を始める。て言っても、解答を見ながらだから採点自体は時間は掛からない。時間が掛かるのは間違ってるところを俺が理解できるかどうかなわけで……

 ふむふむ、序盤は間違ってないな。となるとだ……あ~、やっぱり古文の場合は同じ言葉でも意味が違うのがあるから引っ掛かっちゃうか。

「うわぁ~、やっぱり男の人が読む本って少年漫画ばっかりなんですね」

「ん、まあね」

 なんつって、少年漫画の後ろの更に後ろには少女漫画が隠れてるんだけどな。そこまでは探さないだろう。

 この文法は……どう説明したらいいんだ?

「こういう戦うのって怖くてあまり……あれ?これって……」

 伊波、今大丈夫かな。電話してあいつに教えてもらったほうが早いんじゃないか?

「もしかして、ベンチにあった漫画って……」

 うっわ、あいつ出やがらねぇ!金の無心かノートを貸してくれとでも言われると思ってんな。八割は間違いじゃないけどな。

「あのぉ、三上さん?」

「はいはい、ちょっと待ってなぁ~。静流さんは疲れてるだろうしな。かおるでいっか」

「いえ、この漫画の最新刊を公園のベンチに忘れて行きませんでした?」

「あ~、そうなぁ~。あれ忘れてすんげぇショッ……なんだって?」

 聞き捨てならん言葉が聞こえた気がして、思わず顔を上げると、俺の眼前に例のブツが突きつけられていた。

「な、ななな!おま、適当に見て良いと言ったが、漁れなんて言ってないだろうが!なに発掘してんだよ!」

「そんなこと言われても……」

 俺の最大の秘密を暴かれるなんて、陵いのり恐ろしい子ッ!

 そいつを集めてるなんて、偶然知ったかおると、唯笑しか知らないのに!

 と、とにかく落ち着け。ここで下手を打つわけにはいかん。男の沽券に関わるからな。

「そ、そうだ!実はそれはかおるのでな、あいつ俺の部屋にそれを置いていってるんだよ」

「誰ですかその人。そして、最初にそうだって、思いついたように言いましたよね?」

「聞き間違いだ。耳の中洗剤で洗濯した方が良いんじゃないか?」

「三上さんは言い訳が下手な頭を洗濯したほうが良い気がしますよ」

「お前、案外容赦ないな」

「自分でもここまで人に失礼になれるんだって驚いてます」

 ぐむぅ、まるで鬼の首を取ったような顔をしおって。ここまで俺を追い詰めるとは……確かに俺が公園に本を忘れたことがそもそもの原因かもしれんが、だからといって素直に認めるのも癪に障る。

「よし!じゃあ、今から君の頭を何か良い感じの固さの物で殴るから、俺が少女漫画を集めてる記憶だけを消去してくれ」

「錯乱して無理で物騒な提案をしないで下さい!」

「それが嫌なら、君は何も見てない、俺は何も見られていない。そういうことでオッケー?」

「いろいろ危険な提案も却下です!」

 そ、そうだな。今の発言はとある組織から滅法怒られるな。

 クソッ、こうなったらこれしかないというのか……この俺が、まさかこんな手段を取るしかないなんて、へへ……信や唯笑が見たらなんて言うかな?

「あの~、三上さん?」

 腹を括り、いざ尋常に!

「陵……」

「はあ、なんですか?」

「今までの無礼は水に流して、誰にも少女漫画のことは言わないでくれないか?」

 ふんぞり返って頼み込んでみた。

「そんなに高飛車な頼まれ方初めてです。一蹴と稲穂さんにうっかり口が滑ってしまいそうだなぁ~」

 誠実に頼んだのに、素気無い反応。こいつの血の色は何色だよ。

「……ほう、つまり君はあれか?地に頭をこすり付けて泣いて縋れとそう言うわけか」

「そうは言ってません。ただですね、もう少し普通に頼んだり出来ないんですか?初めて会ったときから変わった人だなって思ってましたけど」

「変わってるとか褒め言葉だな。オンリーワン最高。でだ、とりあえず……」

 正座して頭を絨毯に押し付ける。

「え、えええええ!?ほ、本当にやるんですか!?ちょ、止めてください!」

「俺だってやりたくなんかない!だが、あいつ(最新刊)の……あいつの命が危ないときに、意地なんか張ってられるか……」

「三上さん……」

「今までの失礼な態度は謝る。だから、どうかあいつの命だけはどうか……どうか!」

「それはいいですから顔を上げてください!じゃないと」

「助けて下さいッ!」「智也~、ご飯出来たわよぉ~」

 ……あ、れ?今、なんか第三者が吞気な声で入って来たような?

 顔を上げると、満面の笑みでドアを開けたままの姿勢で固まった母さんがいて、陵は左手で額を押さえて横に首振っていた。

「か、母さん、これは……あれだ」

「失礼しました~、ごゆっくり~」

「待てやーーーーッ!」「待って下さい~~~~ッ!」

 年下の制服女子の前で土下座する息子の図を見てフェードアウトしようと、良からぬ誤解をした母親を俺と陵は決死の形相で止めに掛かるのであった。

 

 

 妙に買い込んできたなと思ったら、どうやら陵の分も夕食を用意したらしい。

 夜まで勉強に専念するため、こちらで夕食の面倒を見るとのこと。

 食卓には大量のから揚げにシーザーサラダ、コーンスープとフランスパンかご飯が並んでいる。

「夕食までお世話になって、すみません」

「いいのよ~、馬鹿息子と二人で食事なんて味気ないし、可愛い子がいてくれたほうが私も嬉しいもの」

「か、可愛くなんて、全然」

「そうな~。年上の俺を土下座させるくらい可愛いな~」

 横から気の利いた合いの手を入れると、ジロッと睨まれたので黙々とから揚げを食べて誤魔化す。

 悔しいことに、母さんの作る料理に間違いはない。なんてったって、彩花の料理の師匠は母さんだからな。今にして思えば、小さい頃から俺の嫁としての英才教育を施していたのかもしれん。

「あ、このから揚げ凄く美味しいですね」

「そうでしょ~。料理はねぇ、私の唯一の武器なんだからぁ。そうだ、今度何か教えてあげるわ」

「本当ですか?是非お願いします」

 なんとまあ、嬉しそうに笑っちゃって。どうせ、彼氏に作ってあげようとか?喜んでくれるかな?とかスイーツ思考を巡らせているんだろう。吐き気がするわいな。僻んでなんかないけど。

「ええ、お安い御用よ。それにしてもいのりちゃんって、本当に可愛いわね~。将来は間違いなく美人さんになるわよ~」

「え、えへへ。そうですか~?」

 ふははははは!母さんはいつの間に社交辞令がこんなに上手くなられたんでしょうね。息子はびっくりしすぎて、陵のから揚げを気付かれないように奪ってしまったよ。

「ふふ、これなら合格よ~」

「はいはい、合格おめ……なんのだ?」

 聞き逃そうとしたが、嫌な予感がして聞き返す。止められないのは長年の付き合いでわかってるが、この母親の思考を少しでも理解して被害を最小限に抑えたいからな。

「なんのって、決まってるじゃな~い。あんたのお嫁さん候補によ」

 母さんの発言を予想していた俺は驚くことはなかったが、対面に座る陵は少々フリーズ気味だ。

「…………はい?」

 返答までもがエラー気味である。可哀想に。

「あらあら、照れちゃってもう」

「目が腐ってんのかよ。これはショックで固まってんだろ」

「え~、どうしてぇ?あ、もしかしてあんたが激しくいのりちゃんに嫌われてるからとか?」

「好かれようとも思わんが、そうじゃない。あのな母さん、あんたは知らないかもしれないがな、実は陵には」

「彼がいるんでしょ?」

「そうそう……あん?」

 あれあれあれ~?目の前のこのお方はなんとおっしゃったのでしょうか?

「いやねぇ~、そんなの知ってるわよぉ~。私だって事情は聞いてるもの」

「じゃあアホな事言うの止めろよ。おかげで事態が飲み込めてない小娘が、見事にオブジェと化してるじゃねぇか」

 ハンマーで叩いたら崩れてしまいそうだ。こう、砂のようにさらさら~ってな。

「でもねぇ~、それとこれとは別じゃないかしら?別に結婚しているわけでもなし、それに好きなのよ私~、りゃ・く・だ・つ・あ・い」

「良い年して腐ってんな」

「自分が巻き込まれるのは嫌だけどぉ~、見るのは楽しいじゃない?」

「大体の人間がそうだろうよッ!」

 あの親父にしてこの母親ありだなッ!

 あまりのショックに耐え切れず、陵が箸を逆に持って空気をパクついてますから!

「んもう、そんな事言って~。実はあんただっていのりちゃんのこと嫌いじゃないくせに~」

「ふぁッ!?」

「コーンスープを鼻と耳から流し込んだろうかッ!」

 何を事実無根なことを!陵も赤くなるのやめぇや!こういうことに慣れてないのはわかるけどさ!

「そそそ、そうなんですか!?」

「信じてんじゃねぇ小娘!いいか?この人はな、すぐにこういうありもしないことを言うんだよ!」

 唯笑はもちろんのこと、詩音、かおる、みなもちゃん、小夜美さん、静流さん等々、例を挙げたら切りがない。

「まあ、そうだけどね」

「……なんだ、そうなんですね。びっくりしました」

「たく、余計なこと言うなよ」

「はいはい、ごめんねぇ~……チラ」

 意味深に俺をちらちら見てくるが無視する。

 はぁ~、何を言いたいのかは言わなくてもわかっているが勘弁してくれ。

 その後は他愛ない話にシフトして食事を済ませ、時間まで陵の勉強を見てやった。

 と言っても、陵がわからないところは頼れる友人達に電話して聞きながら教えたんだけどな。別に俺が馬鹿とかじゃないぞ?ただ、アレだよ。大学生になって基礎が疎かになってはいけないと、みんなに思い出してもらうために敢えて聞いて回っただけだから。……いや、マジで。

 

 

「智也~、そろそろ時間よ~」

 階下から声が掛かり、時計を見るともう九時半を針が指していた。

 そうか、真面目に勉強するとこんなに時間って早いんだな。おかげで人体の壊し方をかなり詰め込めたぜ。今すぐにストリートファイトしたい気分だ。

「そんじゃ送ってくから、教科書とか閉まったら下に来てくれ」

「そんな、送ってもらうなんてッ」

 なにやら焦って送ることを拒否されたんだが……彼氏に後ろめたいとでも思ってんのかね。

「黙れガキ。お前みたいなガキを大人が一人で帰らせるわけにいかないだろ。世間体だって大事なんだって少しはこっちの事情も考えてくれ」

 ……少し突き放したような言い方になっちまったけど、こう言えば渋々従うし、俺に対して悪感情は抱いても、悪いなとは思わないだろ。

「……わかりました。よろしくお願いします」

 勉強道具を鞄にしまう陵を部屋に置いて階下に向かうと、車の鍵を持った母さんが玄関で俺を待っていた。

「なんだ、わざわざ待ってなくても良かったのに」

 母さんは自分の愛車、ボク○ーの鍵をぶらぶらさせて何かを言いた気に俺を見ていた。

「……なんだよ?」

「別に~。ただ~、なんか少しあの子に対して冷たいな~って思っただけ」

「そうか?」

「そうよ~。みなもちゃんへの態度とは随分違うなぁって」

「そりゃそうだろ。みなもちゃんは俺にとって妹みたいなもんだし、あの子はみなもちゃんと違って赤の他人だろ」

「ま、そういういい訳も成り立つか」

 含みの言い方に少しだけ苛立ってしまう。

 そりゃあさ、母さんは俺のことを誰よりも見てきた家族だし、俺が間違ってたらそれを責める権利がある。それでも、さ……少しはお手柔らかにしてくれてもいいんじゃねぇかな?

「何が言いたいんだよ?」

 だから、止めてくれよ。その……

「わかってるでしょ。そこまで頑なに別人だって言い聞かせなくていいんじゃない?彩花ちゃんにあそこまで似てるからって……ね?」

 何もかも見透かした目、止めろよッ!!

 叫んで八つ当たりしたい衝動が、胸の内で暴れまわる。衝動が溢れ出しそうになるのを理性で抑え、それでも厳しい眼で母さんを睨みつけてしまった。

「図星を突かれたからって、怖い怖い。まだまだ子供ねぇ~」

「そうだな。高校の頃だったら怒鳴っていた。少しは成長した息子を褒めて欲しいもんだね」

「んふふ~。そのくらい知ってるわよ」

 俺の精一杯の反抗も何処吹く風。暖簾に腕押しとはこのことだ。

「チッ、車で待ってるからって陵に伝えてくれ」

「あいあいさ~」

 でも、このままやり込められたんじゃ悔しいから少しだけ仕返し。

「それと、息子に野暮焼くなんて、昔と違って年取ったんじゃないか?そろそろ老後の心配でもどうだす?お肌とか最近……ねぇ?」

「なっ!?」

「じゃあ、行ってきま~す」

 そそくさと撤退。扉の向こうから鬼の鳴き声が聞こえたが逃げるが勝ちだ。

 心の中で、老後の面倒は俺が見てやるからと謝罪しつつ車に乗り込んだ。

 数分待っていると、玄関から陵が出てきて助手席に乗り込んだ。

「それじゃあ、すみませんがお願いします」

「おう」

 陵の家の住所を聞いて車を走らせる。

 でかい車はあまり好きじゃないが、自分で維持出来ないから、自分の愛車を買うのは就職してから。本当はスポーツタイプが良いんだけどな。

 少し走ると、国道に直通する曲がり角が見えてきた。

 走りながら陵が時折道を示してくれて、その時もその角を曲がるように指示してくれた。

「あ、そこは右で」

「…………」

 しかし夜の住宅街は本当に車通りが少ないな。まあ、道が狭い分助かるけど。

「三上、さん?」

「ん~?ラジオじゃなくて曲でも掛けた方が良いか?白河とかもたまに乗るからクラシックも」

「そうじゃなくて道ですッ」

「道って……あれ、間違えたか?」

 俺が無視しているとでも思ったのか、やけに機嫌の悪い声で注意された。

 そりゃ、ほとんど初対面の男と狭い空間に二人きりじゃ不安にもなるだろうがな。

「間違えてはいないですけど、あそこを曲がらないと国道に出るのに遠回りになるんですけど」

「そう、だっけ?」

「そうだっけって、三上さんのほうがこの辺りは詳しいんじゃないんですか?」

 まあ、な。詳し過ぎて陵に言われるまでもない。

 つまり、最初から通る気なんてなかった。

「あ~、悪いけどあの道嫌いなんだよ」

「そんな、嫌いって」

 歩いていくなら我慢出来る。だけど、車でだけはあそこを通りたくない。

「だってさぁ、見通しがめちゃくちゃ悪いじゃん。急に人が飛び出してきたらどうすんの?」

「人って、こんな夜中に人なんてあまり通りませんよ」

「そうかもしれないけどさ、それでも危険は回避するのが利口なわけで。ほら、かもしれない運転って知らないか?教習所で習うんだけどさ」

 白々しい言葉だって、自分で理解出来てしまう。てことはだ、他人にだってそんな言い訳通じるわけなんてないんだよな。

「三上さん、送って貰っておいてこんなこと言うのも失礼なんですけど……私、あまり好きな人以外の男性と二人でいたくないんです。彼に……一蹴に申し訳ないって思っちゃいますから。だからなるべく早く帰りたいんです」

「あ、ああ、わかってる。君の気持ちはわかってるよ。それでも、やっぱ命には代えられないって……」

 陵の言い分は間違っていない。むしろ、とても誠実で純粋な恋心を抱いているのだと感心すらする。間違っているのは俺で、正しいのは俺よりも生きていない彼女。わかってる……わかってんだよ……

 俺の要領を得ない言葉に、彼女はそれまでの業を煮やしきってしまっていた。

「わかりました、今日はいいです。でも、今度からはあっちの道からお願いします」

 言葉の端々に隠そうともしていない棘が飛び出している。

 ここで、ごめん。わかったよって……この場限りの嘘をつくことは出来る。出来るけれど、誠実ではない。身勝手な誠実だろうと、この事にだけは嘘をつきたくはなかった。だから俺は、陵の欲しい言葉とは逆の言葉で応えるしかなくて……

「……わりぃ、それは無理だ」

「――ッ!?どう、して……」

 正直に彩花の事を話すつもりはない。多分話してしまったらこの子は気に病むタイプだろう。それよりなにより、俺が話したくない。友人でも家族でも幼馴染でもなんでもない他人に、彩花の事を語りたくなんてない。

 だからまた、同じ言い訳を俺は壊れたレコーダーのように繰り返すしかない。

「だからさっきから言ってるだろ?人身事故をなるべく回避するためだって」

「ですからこんな夜中なんですから」

「じゃあその確率がないと断言出来るのかよッ――!!」

 少しで良い。ほんの少しでも陵が引いてくれたらそれで良かったのに。そうしたら、こんな無様な姿を曝け出さずに済んだのに。

「み、かみ……さん?」

 俺の怒声に、彼女はただ呆然と俺の名を呼んだ。

 ああ、止まらない。もう、止められない。

「ふざけんなッ!何が夜中だから人があまり通らないだ?お前みたいなガキが大丈夫だろうって考えた所為で人が死ぬんだぞッ!お前、それで人を轢いたらどうすんの?どうやって謝って、どうやって泣いて責任取るつもりだ?」

 車を路肩に止め、自分より年下の少女を怒鳴りつけるなんて……それも、明らかに間違っているのは自分だって痛いくらい理解していることで。

「命に値する責任なんて誰も取れねぇんだよッ!」

 母さんが彼女を送れるのなら、俺は喜んで母さんに頼んだ。だけど、母さんは彩花と唯笑を本当の娘のように育ててたんだ。俺に対するように怒って、泣いて、喜んで……そうして育てた娘が大人になる前に、自分より先に逝ってしまって……平気なわけがないんだ。

 そんな彩花が交通事故で逝ってしまって、俺と同じかそれ以上に壊れたのは母さんだった。

 あの日、遅刻が多かった俺は休日に学校に呼び出され、プリント作りを手伝わされた後、帰りに小降りの雨が降ってきて、彩花に傘を持ってきてくれと頼んだ。

 別に、傘がなくても問題のない雨だったのに、俺はただ彩花に会いたくて……その日、彩花は学校に来る途中で事故に遭って……そして、そんな彩花を最後に見送ったのが母さんだった。

 俺の傘を取りに行って、その傘を渡したのが母さん。

 あの日以来、母さんは車で事故現場の近くを走れなくなった。

 俺だって、近づきたくないけど、母さんに送らせるなんて酷なことは頼めない。だから俺がって……なのに、こんな……情けねぇ。

 正論言われて?彼女の気持ちを蔑ろにして?そんで逆ギレ。笑えねぇよ。

 息を荒くして言った後に、はっとして陵を見ると、彼女は俺の剣幕にすっかり萎縮してしまい、言葉を紡げなくなっていた。

「悪い。もちろん、陵の気持ちは良く分かる。でも、さ……俺には無理なんだ。だから、本当に申し訳ないんだけど、少しだけ遠回りさせてくれ。この通り」

 冷静になって頭を下げるが、陵は俯いて黙ったまま。

 ……やっちまった。

 今日のことが親父に知れたら何を言われるかわかったもんじゃないが、少々のウザさは受け入れよう。今日のことは全面的に俺が悪い。

「あ~、それじゃあ行くぞ。怒鳴っちまって悪かった」

 俺の謝罪が聞こえているのかどうかはわからないが、小さく頷いた陵を見て車を再度走らせる。今度は住所をカーナビに入力して。

 帰る最中、陵はずっと無言のまま、俺を見ようともしなかった。

 

 

 玄関の外から、車が去る音が聞こえた後、玄関を背にそのまま力なく私はずるずると腰を落とした。

 家に帰宅した私は、玄関から一歩も動けないまましゃがみ込んだ。

(私……多分、三上さんを傷つけた)

 あの時、私を怒鳴りつけた時の三上さんの顔がずっと頭から離れない。

(だって、あの表情(かお)は怒ってたんじゃないもん……泣き出しそうなのを堪えて我慢してる子供みたいだったから)

 思い返せばハンドルを握る指だって震えていた。何かを恐れているように、ずっとハンドルを強く握って震えてたんだもん。

 何が原因かなんて詳しいことは何も分からない。でも、多分あの道に近づいてからなのは間違いない。

 何かが、あの先で何かがあったんだ。だって、様子がおかしくなったのはあの場所に近づいてからだから。

 表情に余裕がなくなって、心なしか冷や汗のようなものも掻いてて……だからこそ、私は誤解したんだもの。

 自分に対して、邪な感情を抱いているんじゃないかって……そんな下衆で最低な勘繰りをした。

 勝手に不安になって、勝手に怯えて、勝手に吠えて……

(そんな人じゃないって、知ってたのに……なのに、そんな最低な思い込みで私、三上さんを傷つけたんだ)

 初めて逢ったあの公園での、頭を撫でられた手の温度を私は信じられなかった。信じられないどころか、忘れてしまっていた。

 三上さんは何度も私に謝ってくれて、別れ際も本当に悪かったって言ってくれた。

 違うのに。

(謝らなきゃいけなかったのは私なのに、三上さんの目を見れなかった……)

 ふと、公園での三上さんの言葉が脳裏に過ぎった。

 

『自分の問題から目を逸らさないで、それでも笑うんだよ。雨はさ、冷たいだけじゃないんだって……そうすれば、時間が経てば気付くはずだから。そういうふうに出来てるもんだ。そんでな?今度俺が君と会ったらこう聞くよ……雨は上がったか?って。その時はさ、笑顔で君なりの答えを聞かせてくれるか?』

 

 そう、三上さんはそう言ってくれたんだ。

(だか、ら?)

 でも、そう言えるってことはもしかして……

(三上さんにも癒えない傷が?)

 経験したからあの言葉が言えたんじゃ……

「そう、だよね」

 きっと、三上さんの心の中には今も癒せない傷があって、その傷に気付かずに私は触れてしまったのかも……

 それに気付かず、私は自分の中にある一蹴への想いにしか目を向けなくて、身勝手に三上さんの傷を抉ってしまったんだ。

「ごめん、なさい……」

 こんな私は三上さんが言うように、確かに小娘以外の何者でもない。

「ごめ……なさい……」

 明かりも点けず、真っ暗で少しだけ肌寒い家の中で一人、あの瞬間の三上さんの表情ばかりが頭を過ぎって、一つ、また一つと目から静かに涙が零れ落ちていた。

 

 

 

「それは智也君が悪いね」

「だな。三上が悪い」

「お前等に優しさを期待した俺が馬鹿だったよッ!」

 陵を大人気無く怒鳴った翌日、千羽谷大学の学食で伊波と加賀にそれを話すと、精神をボッコボコにされていた。

 二人は俺が珍しく真剣な顔をしているのが気になったらしく、何かあったのかと聞かれたのだが、始めはまったく違うことで悩んでいると思ったらしい。

 主に単位がやばくて留年の危機なのでは?とかな。

「何かと思って聞いてみたら、そうだよねぇ、留年なんてしないよねぇ。散々僕達からノートを借りたり、勉強だって見てあげたりしてるんだもん。それで留年なんてことになったら……ねえ?」

 暗に潰すよ?と言っているわけだが、笑顔で言うの止めろ。ほんと黒いなこいつ。

「にしてもさぁ、なんだっけ?陵って子だっけ?普通は適当に言い訳して誤魔化すだろ。それを怒鳴りつけるなんて……三上の所為で俺達はキレやすい若者とか言われるんだよ。わかってるの?」

「お前等には友達を慰めようっていう優しさはねぇのかよ」

「ないよ」

「あるわけないじゃん」

 口を揃えてろくでなしだわこいつ等。

「マジでさぁ、次に会ったらどうすればいいと思う?」

「とりあえず僕にさば味噌定食を奢ってくれればいいと思うよ」

「俺は焼肉定食な」

「真剣に聞いてるんだよッ!」

 俺が年に一度もないガチな悩みを抱えているというのに、二人はざまぁとでも言いた気で、真面目に相談に乗ってくれない。これなら信を頼ったほうがマシだった。

「ん~、そんなこと言われてもね~。とにかく謝る以外に何も出来ないんじゃない?」

「んなことはわかってるんだよ。どう謝ればいいかってことさ」

「そうだなぁ……玄関で土下座待機して待ち伏せるとかどうだ?」

「この俺様に軽々しく地に頭をつけろと言う訳か貴様は?」

 加賀の顎を掴みタコ口にしてシェイクしてやる。

「ふゃめふぉ~ッ!」

「ふははははは!何を言ってる?日本語を喋れよ、たは~君!」

「……相談する側の態度じゃないよね」

 俺を精神的に追い詰めることに全力を注ぐお前が言うな。

 加賀が涙目になったのを見て満足して解放してやる。

「ああ~、顎が~」

「たく。もう少し考えて話せよ。その案はとっくに考えてたんだよ」

「考えてたのならなんで俺がこんな目に遭わされたんだよッ!」

「そりゃあ、加賀なら乱暴に扱っても構わないかと思ってな」

「そうだね」

「なにその歪んだ価値観!?つうか伊波もちゃっかり同意するなよッ!」

「ごめん、つい。それよりさ、さっきから気になってることがあるんだけど……」

「なんだ?」

 伊波が缶コーヒーを飲みながら、チラッと横に座る加賀に視線を送りつつ言った。

「智也君のその問題はどうでもいいとして」

「お前、月夜の晩だけじゃねぇからな、気をつけろよ」

「正午君に話してみたら?」

「何を?」

「陵さんと飛田君の公園でのこと」

 なぜ伊波がそう提案するのかはわからなかったが、俺を嬲る事以外にも頭が回る奴だし、なにか考えがあるのかもしれん。

 って、そういえばそうだ。忘れていたが加賀って……

「飛田?あいつがどうかしたのか?」

 トビーに俺よりも詳しいじゃねぇか。しかも、トビーと最も接点のあるマグロー(飛田の舎弟?)とも仲良いし、こいつに聞いてみるのが一番早いじゃん!

「ほら、飛田君の名前に食いついた。話しても良い?」

「……伊波、お前って腹黒いだけじゃなかったんだな」

「今後智也君が留年の危機になっても絶対に手を貸さないってここに誓うよ」

「まだちょっとは余裕があるから大丈夫……かもなぁ」

 予断は許さない状況とも言えるがな。

「三上の留年とか土下座とかは廃棄して、飛田がどうしたんだよ?」

「だからお前等のその俺への扱いをだな……まあいい。えっとな、そもそも俺と陵は家庭教師の時が初対面じゃなかったんだよ」

 こいつ等の中での俺のヒエラルキーはこの際置いておいて、とにもかくにも加賀に陵との初対面の話をした。

 確かに、俺の失態の話よりも陵とトビーの問題のが悔しいが重いわけで……俺のプライドとかほんとどうでもいいよな。うん。

 俺の話をわりと真剣に聞きながら、加賀は少し首を捻って、俺の話の中で引っかかったことを尋ねてきた。

「あのさ、そもそもなんで飛田は陵の事とその彼氏の事を知ってるんだ?」

「それは知らん」

 そういう情報収集は俺よりも適任がいるし、そっちに任せている。

 あいつ他人の問題に手を貸すのが趣味だしなぁ。

「あっそう。じゃあ、次。なんで飛田は陵と彼氏が付き合っている事に怒っているのか……これも不明と」

「ああ」

「じゃあ最後。これは俺に心当たりがあるんだけど、飛田が二人のことを知った経緯。確か陵は俺等の後輩、浜咲学園の三年だよな?」

「そうだけど、それがどうかしたのか?」

「どうしたも何も、マグローに妹がいるの知ってるか?」

「あいつの家族構成なんて知らねぇよ」

「……多分、飛田に二人の情報を流したのはマグローだ。あいつなら飛田の事なにかしら知ってるだろうし、陵やその彼氏のことを知っていてもおかしくない。そんで、それを意図したのかしてないのかは知らないけれど、マグローに二人の事を話したのがマグローの妹じゃないかな。あいつの妹も浜咲学園だしな」

 なるほど、そう考えるとあの場で陵に会いに来たっぽいトビーがいた理由が繋がる。つまりはマグローが余計なことを言ったわけだ。あいつ、後でコーヒーに見せかけた醤油のソース風味を飲ませてやる。

「なるほどねぇ~。それにしても正午君」

「なんだよ?」

「正午君って馬鹿じゃなかったんだね」

「白河の男を見る目に疑問が出てきたんだけど。なんでこんな奴がモテたんだよ」

「それな」

 こうして、俺の暴言問題はうやむやになり、陵とトビーの問題に思わぬところで近づいたわけだ。あとはあっち次第だが……

「そういえばさ、智也君……はい」

 爽やかな笑顔で俺に手を出してくるイケメン。俺と握手したいわけじゃないだろう。ならば……

「あ~、はいはい。ほれ」

 掌の上に涎を垂らそうと顔を突き出す。

「ちょッ!?何してんのさ!」

「いや、俺の聖水が欲しいのかと思って」

「頭腐ってるの!?誰もそんな汚染水欲しくないよ!お金!この前貸したお金返してよ!家庭教師で収入があったんでしょ!」

 ふむふむ、金に汚いこいつは、たかだかコーヒー一杯の金を返して欲しいとそういうわけか。卑しいやつめ。

「あ~、それな……無理」

「ちょっと、何言ってるのかわかんない」

「お前頭良いくせに理解力ないのな」

「智也君は仁義を学ぼうね!」

 男のくせにごちゃごちゃと小さい奴だな。器が知れるわ。

「つまりだな……」

 そう、俺だって六千円入ってくる算段でいたわけだよ。あんなことが陵とあったわけだが、それでも家に帰り着く頃には、車を降りてスキップして家に入ったわ。お金があれば何があっても上機嫌になるのが人間ってもんだ。帰ってすぐに俺は母上に言いましたよ。今日のお給料よ~こせ♪って。母上もね、はいはいと笑顔でお財布からお金を抜いたわけです、はい。そうして俺の手に渡ってきたのはなんとびっくり二千円じゃないですか。おやおやおや~、おかしいなぁ?五千円と千円を間違えちゃったのかな?って思って間違いを指摘したわけですが、どうにもそうじゃないと。

「……つまり、どういうこと?」

「それがな、その六千円から小娘の食費と送るときのガソリン代を抜かし、尚且つ俺が家庭教師出来るだけの学力がないということを加味した結果、一回につき二千円なのだそうだ」

 この年で二千円って、月四日ペースだとしても月に約四万しか貰えない計算だ。労働組合に訴えるぞ。

「へぇ~、それは大変だねぇ」

「そうだろう?だから返済は……」

「ごちゃごちゃ五月蝿いよ。いいから返してね」

 ……有無を言わさぬ笑顔に、渋々俺は財布から五百円を伊波に渡す。

「加賀……こいつって高校でもこんなだったか?」

「俺が知る限り、三上と付き合ってからこんな容赦のない性格になったんだと思う」

 そうか、俺には鬼畜を養成する才能があるのかもしれん。

 軽くなった財布に涙し、俺達はそれぞれの講義へと向かった。

 ……もう、陵とトビーの問題なんかどうでもいいよ。俺の財布事情より重い問題じゃないもんッ!

 

 

 

 コトコトと鳴るお鍋に、お豆腐を入れて蓋をし、隣のコンロで煮ているカレイの煮付けの様子を見る。

 うん、もうちょっとかな。

 昨日は三上さんの家にいた所為で一蹴に会えなかった分、今日は美味しいものを食べさせてあげたい。丁度一蹴もアルバイトがお休みで、今日は長い時間一緒にいられる。……もちろん、門限までには帰らないといけないけれど。

 ピーピーと炊飯器の音が鳴り、もういいかなとおひたしとカレイの煮つけをお皿に盛り付けて、お味噌汁を仕上げに掛かる。

「い~の~りッ!」

「きゃっ!」

 後ろから一蹴がいきなり私を抱きしめてくれる。

 ああ、なんて幸せなんだろう。彼の腕の中にいる度、私はいつもそう思う。

「もう、一蹴。今お料理中だから危ないよぉ~」

 本当はそんなこと思ってないけれど、一応は注意しないと。火事になったら大変だもんね。

「だってさ~、昨日は家庭教師の所為でいのりに会えなかったし、少しでもいのり成分を補給しとかないと、俺ガス欠になっちまうよ」

「え~、なにそれ~?」

 一蹴に抱かれたまま、私はお味噌汁の味を確かめる。

「うん、美味しい。一蹴、ご飯持って行くから手伝ってくれる?」

「へっへぇ~、一昨日振りのいのりの手料理~。もう、腹が減りすぎて死にそうだ」

「ご飯沢山炊いたから、おかわりしてくれると嬉しいな」

「おう。三杯くらい余裕だ。それとも、ジャーごと食べてやろうか?」

「ふふ、そんなに食べたらおなか壊しちゃうよ」

「いのりの料理は別腹なんだよ」

 いつもの笑顔、いつもの温もり、いつもの一蹴との食卓。この風景があれば私は何もいらない。何を犠牲にしてでも、この日常を失いたくない。

 卓袱台に料理が揃い、二人で手を合わせていただきますをして食べ始める。

 でも、私は一蹴が食べるのを見てから食べ始める。

 一蹴が私の料理を美味しいと食べてくれる表情が何よりも好きで、それを見てからじゃないと食べたくないの。

「うん、やっぱ美味いな。てか、高校生が煮つけって凄いよな」

「そんなことないよ、覚えちゃえば難しくなんてないもん」

 本当は何度も練習して覚えたんだけどね。失敗作はお父さんが食べてくれたんだよね。ありがとう、お父さん。

 他愛ない会話、今日学校で何があったとか、ならずやでこんなことがあったとか。それで、話が終われば良かったのに……そうはいかなかった。

「そういえばさ、家庭教師はどうだった?」

「へ?」

「ほら、向こうの家に出向いて勉強を教えて貰うって言ってたじゃん。あれ、どうなのかなぁ~って」

 何か別なことを聞きたそうだけれど、一蹴はじっと私を見るだけだった。

「どうって……凄く優しい人で、み、先生のお母さんもとても良くしてくれるの」

「そっか、向こうの親も一緒なのか」

 ほっと溜息をついて一蹴は笑った。

 あれ?もしかして、一蹴妬いてくれてたのかな?男の人とは伝えていたけど……

 そっか、そうなんだ。嫉妬、してくれたんだ。

 一蹴の嫉妬が嬉しくて、一蹴の鼻をちょっと摘みたいかった。摘みたかったけれど……

「ん?どうした、いのり?」

「え、何が?」

「いや、なんつうか、笑おうとして失敗してるような気がするんだけど」

 なんで今、三上さんの複雑な表情を思い出すのッ!

「そ、そんなことないよ~」

「そうか?」

「そうだよ。ただ、ちょっと一蹴の嫉妬が可愛いな~って思っただけ」

「なッ!?べ、別に嫉妬なんて……ちょっとしかしてねぇし」

 顔を赤らめてそっぽを向く仕草が本当に可愛くて笑ってしまう。

 そうだよ、ね。今は一蹴といるんだもの。あの人の事なんて関係ない。今はただ一蹴に甘えたいの。私があの人を傷つけたことを少しでも忘れさせて欲しい。

 一蹴の部屋に来るまで、ずっと一日あの人の事が頭から離れなかった。次に会う時、どんな顔をして会えばいいだろう……。なんて謝ればいいだろうって、そんなことばかり考えていて疲れてもいた。

 だから、今日は一蹴に抱きしめてキスして欲しい。いつもよりももっと甘えさせて欲しいって思ったの。

「ま、まあ向こうも親が一緒ならいいや。しっかり勉強に励みたまえ」

「それは一蹴でしょ」

「俺は進学しないからいいんだよ」

「もう、しょうがないなぁ」

「それより、おかわり」

「は~い」

 一蹴からお茶碗を受け取って台所へ。

 テレビのバラエティを観ているのか、一蹴の大きな笑い声が聞こえる。

 いつもなら一緒に私もテレビを見て笑い合うのだけれど、今日は上手く笑えそうになかった。

 ……三上さんの事よりも、飛田さんの事で悩むべきなのに、そのことまでも私は忘れていた。

 

 

 

「よお、久しぶりだな信」

「やあやあ、トビー」

 夜、ファミレスでイタリアンハンバーグセットを食いながら、トビーに手を上げて応える。

 トビーを席まで案内してくれた店員の子が、ご注文がなんたらかんたらとお決まりの台詞を言う前に、トビーはドリンクバーだけで良いとそっけなく言って追い返した。

「トビーさ、もうちょっと愛想良くしたほうがいいぞ。せっかくイケメンなんだから。そんな顔に産んでくれた親に悪いだろ?」

「俺を施設の扉の前に捨てたクソなんざ知らねぇよ。それより……」

「ああ、やっぱチョコパフェが食いたくなったんだろ。見た目に反して可愛いものが好きなんだからなぁ」

「……お前も三上も人の話を聞きやがらねぇな。そうじゃねぇ、お前が俺を呼び寄せたブツを消せ。今すぐ」

「あ~、だよなぁ~」

 にへらと笑い、ちゃちゃっと例の動画をトビーの前で消去する。まあ、智也の携帯に永久保存されてるけどな。

 普通に呼んでも来そうになかったから、悪いとは思ったが、いのりちゃんに悪漢の如く迫る動画をネタにトビーをここに呼んだんだ。

「これでいいだろ?」

「ああ。それじゃあ俺は帰るぞ」

「……深歩ちゃんに告げ口しちゃおうかな~」

 トビーの愛しの君であり弱点の、荷嶋深歩(かしまみほ)。とある事情で足が悪く、トビーは彼女の世話を何かと焼いている。

 席を立とうとしたトビーは舌打ちをして俺を睨んだ。

「コーヒー取ってくるから待ってろ」

「ごゆっくり」

 そりゃ、深歩ちゃんには知られたくないだろうな。あの子が知ったら烈火の如くトビーを叱り嗜めるんだろうし。……あれ、それで問題解決するんじゃ?なんて思ったりしたけど、それじゃあ俺がつまらない。

(何より、あの馬鹿の頼みだしな)

 智也がいのりちゃんの事を気に掛け、トビーに探りを入れるよう俺に頼んできた。あいつが他人の女の子を気にするなんて、かなり珍しい。

 昔はどうだったか知らないけれど、あいつはああ見えて、彩花ちゃんを失ってから精神的引き篭もりなんだ。そうは見えないかもしれないけれど、こと恋愛に関しては他人の一切を拒絶してやんわりと壁を作る。

 雨は上がったと優しい嘘をつく、そんな大馬鹿で、俺にとってあいつは、幸せになるのを見届けなければいけない親友。

 そんなあいつがいのりちゃんを少しでも気に掛けた。なら、少し様子を見るのもおもしろ……良い兆候なんじゃないかと思えるわけで。

 取りとめもない事を考えている間にトビーが戻ってくる。

「おかえりんさい」

「エセ京都弁止めろ」

 ちゃんと突っ込んでくれる優しい奴なんです、はい。

「で?俺に何が聞きたい?」

「泣かせた女の数」

「死ね」

 おしぼりを投げつけられるが、それをキャッチして顔を拭く。

 沸点が低いのが偶(たま)に傷なんだよねぇ。

「冗談だって。軽口くらい許してくれよ」

「俺がそういうの嫌いだって知ってるよな」

「ああ、知ってるよ。嫌いと言いつつ最後まで付き合ってくれるのもな」

「……うぜぇ」

 まあ、こうやってずっと弄るのも面倒だし、さっさと聞き出す事を聞いてしまうか。

「聞きたい事は一つだよトビー……あの子、いのりちゃんと一蹴になんでちょっかいを出す?」

 智也も俺も、トビーが大した理由もなく他人の恋路を邪魔する奴じゃない事は知っている。だからこそ気になる。どうしてトビーがあんな……あんな三流悪役になっちまったのかを!……別に馬鹿にしてはいない。笑うのを堪えてなんかないからな!

 俺の視線を真っ直ぐに受けとめ……るかと思いきや、トビーは顔を逸らした。

「……関係ねぇだろ」

 トビーならそう言う事は予想済み。

「そうだけどさぁ、ちょっとは話してみようとか思わないか?俺ってわりとそういういざこざに役に立つ男だって自負してるんだけど」

「脇で笑ってるだけだろお前は」

「そんな事はないって。あ~、なんだか深歩ちゃんの声が聞きたくなって」

「あれは俺が施設にいたときの事だ」

「深歩ちゃん効果パないなッ!」

 さっきまでの態度を悔い改め、敬虔なクリスチャンのように素直にトビーは語りだした。

 ロリィって名前とかどうだろう。

 そうして語られたのは俺が思っていたよりも重く、俺が知っている物語よりも不純で都合の良い……そんな三人の話だった。登場人物は三人、リナ、一蹴、トビー。時折、三人を見ていた一人が物語りに入ってきた。

 元々一蹴とトビーは同じ孤児院にいたらしい。ここら辺の事情は知らなかったが、なるほどね。だからあいつは進学はしないわけだ。今の両親は養父母で、迷惑を掛けたくないんだろうな。

 それで、二人は近くの病院に入院していたリナちゃんと出会い、よく遊びに行っていた。リナちゃんは難病で外に出れずにいたようで、いつも遊ぶのは病院内。

「リナは外に出て良いような体調じゃなかった。だが、それをあの野郎は……」

 その事を一蹴は不憫に思い、なんとかしてやりたかったんだろう。よくある天使の都合の良い御伽噺を信じて、教会に連れて行けば病気が治ると信じた一蹴。リナちゃんを連れて行こうと彼女を連れて病院を抜け出した。

 当時の一蹴の優しさからの行動。責められるものじゃない。その気持ちを否定したら、他の純粋な想いも否定する事になってしまう。

 そうしてリナちゃんを連れ出そうとしたが、二人は抜け出す途中、大人に見つかってしまい慌てて逃げた。逃げて……逃げて……逃げたその先の道路で、二人は交通事故に遭った。そして、それが切っ掛けでリナちゃんは……

「なる、ほどね……」

 唇を噛み締めて話すトビーの姿が、かつての親友を思い出させる。

 交通事故か……あながち俺も無関係を装えない内容だな。

「で、一蹴が原因なのは分かったけど、でもそれは子供の頃の事だろ?成長してそんなことをしたのなら問題だが……」

「んな事で恨んじゃいねぇ。俺だってリナを助けたかった。だから、あいつのした事自体を恨んでるわけじゃねぇ。問題はその後だ」

 きっと、リナちゃんを救えなかった事……その事が今もトビー自身許せないんだろうな。だから深歩ちゃんの事も、甲斐甲斐しく面倒を見るんだろう。

 ここで話が終わりなら、俺はトビーを説得してちょっかいを出すのを止めさせられた。でも、話はここで終わらなかった。トビーの言うように、問題はその後で、そして俺自身もトビーのように怒りに身を任せてしまいたくなりそうで怖かった。

「事故の後、リナが亡くなった事がショックだったのか、それとも事故の所為なのか知らねぇが、あいつはリナの事を覚えていなかった……まさか今もそうだとは思わなかったが」

 事故の後、リナちゃんの事を忘れ、自分の殻に閉じ篭った一蹴だったが、そんな彼の前に一人の少女が現れる……リナちゃん、一蹴はつばさちゃんって呼んでいたらしいが、その子の名前を騙る少女が。

「まさか、それが?」

「ああ、偶然同じ病室に入院してたあの女、陵いのりだ」

 いつも三人を見ていた少女がこの時、初めて物語りに自分で自分の役を作って登場した。

 ああ、そうか。そういう……事、か……

 確かにこれは駄目だ。どうしようもない。つまり、いのりちゃんはやっちまったわけだ。一蹴を助けたいという想いかどうかは知らないが、人としてそれはやってはいけない事。

「あの女はな……信。リナを……リナの存在をあのクソ野郎の心から殺しやがったんだ。徹底的にッ」

 爪が食い込み、トビーの掌から血が滲む。

「その後、あいつが養子に出てあいつらは離れた。それで終わっていれば……けどよぉ、今あいつ等が再会して、しかもあの野郎はリナを忘れ、リナを騙った女と付き合っているだ?お前……そんなの許せるか?お前だったら許せるのかよ、なあ?」

「トビー……」

 そう、だよな。許せないよな。トビーの痛みが俺にはよくわかる。俺だけじゃない、智也だってきっといのりちゃんと一蹴を許さないかもしれない。

 俺も智也も忘れなかった。彩花ちゃんを一時たりとも忘れる事はなかった。二度も大切な人を殺すなんて出来るわけがない。そんなの、悪魔の所業だ。

 彩花ちゃんと直接接点はないが、偶々事故現場に居合わせ何も出来なかった俺は、事故の後に走ってきた男子が泣き叫ぶ姿を見ているしか出来なかった。俺が早く動けていたら……適切な対処が出来ていたら、智也が優しい嘘をつく事も、彩花ちゃんが死ぬ事もなかったかもしれない。

 だからこそ、俺達はあの日に降り出した雨を忘れないんだ。忘れてはいけない。

 それが生きている俺達が出来る唯一の事だから。それなのに……

「だからな、俺は絶対にあいつ等を許さない。何があろうと、リナを忘れさせてなんてやらねぇ」

 なんて声を掛ければ良いのか……今はもういのりちゃんの味方をする気には到底なれない。トビーの気持ちは間違いじゃない。むしろ正し過ぎて言葉もない。でも、智也ならなんて言う?あいつなら……

 沸騰しそうになる頭を、息をついて冷静にする。唯笑ちゃん、俺、智也……三人にとってトビーの話は心に刺さる。それでも、俺は言わなければいけない。トビーの気持ちがどれだけ正しくても、どれだけ理解出来ても、俺は言うんだ。

「……それじゃ駄目だ」

 それが、あいつに雨はいつあがる?と言った俺の責任だから。

「あ?お前……」

「何リナちゃんを盾にして人の恋路ぶち壊そうとしてるんだよ。それはさ、違うだろトビー」

「……テメェ、いつ俺がリナを盾にした?」

「しているんだよ。つまり、アレだろ?リナちゃんの事をしっかり思い出させて、二人にリナちゃんに謝らせればいいだけじゃん……だろ?」

 だよな。彼女を理由に人の愛情を壊しちゃいけない。二人が壊すのならまだしも、他人が壊していい物じゃない。

 俺の言葉に、トビーは鋭い睨みを利かせてきてちょっとびびっちゃいそうなんだけど。ガチだよこいつ。

「それでリナが許すと?は、何も知らねぇテメェの言葉じゃ軽くて聞く気にも」

「知ってるよ」

「……何言ってやがる?」

 トビーは知らない。生まれた時から一緒で、ずっと長い時間恋してきた二人と、もう一人の幼馴染の悲しい恋物語を。トビーは知らない。そんな三人を守れたかもしれない、臆病な子供の話を。

「知っているんだけど、さ。それは俺の口からは話せない事なんだよ。だから、そうだな……智也と話してみたらどうだ?」

「あの何も考えてない馬鹿とか?」

「ま、まあその通りなんだけど、とにかく話してみろよ。そうしたら少しは考えが変わるんじゃないかと思うわけだ」

「……あいつと話すと頭痛くなるんだよ」

「ん~、今回は多分あいつが一番トビーの気持ちがわかるし、考えも変わるはずだからさ」

「どういうことだ?」

「それは智也と話してから、な?」

 幼馴染以上、恋人以上、家族以上を失い、今も彼女を愛し続ける智也ならトビーを救えると俺は確信している。何より、あいつはトビーにこんな虚しい事して欲しくはないだろう。

「にしても、逆だったな」

 智也がトビーに、俺がいのりちゃんと一蹴に手を貸してやった方が良かったらしい。

 これからあいつがどう行動するのか、想像すると少し笑えた。

 だってさ……

「安心しろよトビー。俺とあいつがなんとかしてやるよ」

「…………?」

「俺達がハッピーエンドは無理でも、グッドエンドにしてやるって事さ。俺の良い知恵と、あいつの良い馬鹿で、な?」

 あいつは、周りが笑顔になるグッドエンドの為に優しい嘘をつく……そういう悲しい馬鹿だから。

 

 

 

 

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