願い雨   作:夜泣マクーラ

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彼の後悔、彼の希望

 向日葵が、枯れ落ちる時、俺落ちる。

 三上智也心の句……なんて俳句を詠んで俺は現実から眼を背けていた。

 いつの日か、こんな日が来るってわかっていた。彼女との関係が始まった日から、ずっと……ただ、一つだけ言いたい。

「……智ちゃん」

「な、なんだ?」

「…………唯笑、どうしたらいいかな?どうしたら……いいの?」

「ふむ、そうだな。とりあえず……」

 眼下には、俺に押し倒されている形で放心したように固まっている俺の収入源。頭上には俺たちを見下ろす、生まれてから初めて見る、感情のない目をした唯笑。ちなみに……

「俺の頚動脈に空の注射器をあてんじゃねぇッ!」

 とんでもない凶器を携えながらな!

 どうしてこうなってしまったのか、過去が走馬灯のように流れていく。ていうか死にかけなのかよ俺!?

 ま、まあいい。良くねぇけど。え~、始まりはあの馬鹿と居酒屋に行ったんだったか……

 

 

「と、いうわけだ」

「は~ん」

 ビールを飲みながら、信がトビーから聞いた話を淡々と話してくれた。そんで。俺も淡々と返事をしながら聞き流す。正直、気持ちの良い話じゃないってのもあって、俺は序盤から聞く気が失せていた。いや、別に陵がどうしようがどうでもいいし、彼氏が昔のことを忘れていたからって、だから何?って話なんだよなぁ。

 ……今の俺の状況なら誰でもこんな対応になるに違いない。

「おい、自称俺の親友」

「なんだよ、自他共に認める悪友」

「陵と彼氏の話はわかったよ。九割あいつらが悪いし、同情の余地もない。だから、ぶっちゃけ二人がどうなろうが俺にとっちゃどうでも良い」

 今の俺を彩花が見たら、うっざい位なんとかしようよって干渉してくるだろうな。だけどな、そんなこと本気で心底どうでもいいんだよ!なぜならなぁ!

「お前ね、いくらなんでも冷たいんじゃないか?気になるくせに」

「冷たい?俺が?ははは、何を言ってるんだ……お冷しか飲めない貧乏な俺の前で、美味そうにビールを飲んでいるアホよりも温かいわ!」

 もうね、これ見よがしに勝ち誇ったように呑みやがるわけですよ、この自称親友はよぉ!

「陵なんざ目の前のビールに比べたらスライム以下なんだよ!わかるよな?わかるだろうが!」

「折の中の飢えた猛獣みたいだな。心にゆとりを持とうぜ、智也」

「俺に奢ろうってゆとりを財布に持ってねぇのかなぁ!」

「貴重な情報を入手してきたんだ。謝罪されるならいざ知らず、文句を言われる筋合いはないなぁ」

「その髪に焼き鳥挿すぞごらぁ!」

 ねぎま、つくね、ぼんじり、砂肝を指に挟んで信に襲い掛かる。

「ば、お前それタレじゃねぇか!止めろ!」

「ふはははは!ぎっとぎとにされたくなければ奢れぇ~!」

「ふっざけんな!誰が奢ってやるもんか!あ、おいマジで刺すのかよ!やめ、皮ははんそ……やめろぉーーーーー!!」

 さあ、信の心が折れるまであと何本かなぁ?なんて悪魔の所業を信は四本まで耐えたのだった。

「う、うう……汚されちゃったよぉ」

「ぷはぁ~!仕事を終えた後のビールはやっぱ最高だな!ほら、お前も遠慮しないで呑めよ」

「苦汁を呑ませたい」

「めそめそと女々しいやつめ」

「俺がどれだけこの髪を大事にしていると思っているんだ!?」

「俺と同じくらい?」

「ポジティブ過ぎるぞ澄空の双璧」

「黙れ片割れ」

 とまあ、ジャブの応酬はこのくらいにしておこう。

「ジャブどころじゃねぇだろ」

「おっと、口に出ていたか。それで、俺にどうしろって?」

「真人間になれ」

「世間に自慢できるほどの真人間だが?」

「イナケンの冷笑が目に浮かぶな、その台詞」

「一々うるさい奴め。いいからお前の考えを聞かせろよ」

 信の話を聞いた俺は、そこそこに不機嫌で、そこそこに冷静でもあった。簡単に言えば、心が冷えていただけだが。

「ん、とりあえずさ、智也はトビーと話をしてやってくれないか?」

「俺が?何を話せっていうんだよ?」

「そこはお前に任せるよ。ただ、今のトビーは見ていて辛いんだ。リナちゃんの為って言葉で彼女を傷つけて、それを無理に見ないようにしているみたいでな」

「……まるで、高校時代の俺みたいにってか」

 信の遣り切れない表情だけで、俺は信がトビーに誰を重ねて見ているのかすぐにわかってしまう。厄介なものだよな、限りなく親しい顔見知りってのはさ。些細な表情一つで心が見えてしまうんだから。

 核心を突かれた信は、苦虫を噛み潰したようにして黙った。

「……ふぅ、まあ時間があればトビーと話してみるさ」

「悪いな」

 その一言の中には重い謝罪が隠れている。トビーの問題に向き合うということは、とどのつまり俺自身の愛しい想い出を曝け出すということ。だからこそ、信は本気で俺へと謝罪している。

 ……馬鹿な奴だ。そんくらい、こいつの役に立つならなんでもないのに。

「いいさ。お前もそんくらいで謝るなよ。言っただろ……もう俺達は他人じゃないって」

 俺が高校三年の秋……あの時に俺達の関係は変わった。彩花と唯笑と俺。そこにもう一人加わった大切な一日。あの日から、俺達は三人から四人になれたのだから。

「智也……」

「あ~、時化た顔してんじゃねぇよ。それより、トビーは何とかなるが、あの小娘とそのクソガキはそれじゃあ駄目だよなぁ?」

 とびっきりの悪い顔で笑うと、信は俺の意図が通じたのか同じように笑う。

「ま、だよなぁ?二人は、ある意味俺等に喧嘩売ったわけだし?」

「バタフライ効果ってやつだわなぁ。自分の行いで知らないところに影響を出すって……さあ、信」

「おう、智也」

 

 

『あの二人で遊ぼうか?』

 

 

 澄空の双璧は不適に笑いながら生中を注文した。

「あ、二杯目は自腹な」

「……世知辛ぇ~」

 

 

 

 次の日、労基法違反のバイトを講義の後に控え、俺は重い脚を無理やり引き摺って家路に着いた。母親は晩飯の食材を買いに出ているらしく、家には誰もいなかった。

「ふむ、俺の栄養製造マッスィ~ンが不在か」

 戸棚や冷蔵庫を開けるが、ちょっとした食材があるだけで何もない。夕べの晩飯の残りもないか。

 どうしようかと暫し熟考し、普段は思ってもやらないが自分で何か作るかと思い至る。ぶっちゃけ、客に何も出さないのは大人としてどうかという、非常に常識的な思考からだった。小腹も空いたしな。

「ふふふ、小夜美さんに教わった俺の腕をとくと披露してくれよう」

 いつもはろくでもない事しか持ち込まないお姉たまに、今だけは感謝しよう。感謝したことに感謝するが良い。

「さ~て、何を作ってやりますかね」

 鼻歌を唄いながら、存分に俺は自分の才能を発揮したのだった。

 

 

 どう、しよう。

 いつもよりも重く感じる鞄をぶら下げて、私はとぼとぼと三上さんの家へと向かいながら溜息を吐く。

 あの日から、一蹴といる時以外はずっと車内での三上さんのあの表情が離れないままで、それが頭に浮かぶ度に気持ちがどんよりと重くなる。

 会ったらなんて言えばいいのかな?この間はごめんなさい?でも、いきなり謝っても三上さんには何の事か伝わらないかもしれない。それに、どちらかと言えば三上さんのほうが気にしているかもしれないし。変な人だけど、人の心を気遣う人でもあるわけだし。じゃなければ、公園での一件で私を励ましてなんてくれなかっただろう。

「優しい人……なんだよね」

 そんな事、初めからわかっているからこそ、自分がしたことが許せなくて……

「ああ~……どうしよ~……」

 なんて頭を抱え、こうでもないそうでもないなんてやっていると、不毛な時間はあっという間で、いつの間にか三上さん宅に着いてしまっていた。……心の準備も出来ていないのに。早いよ。早過ぎるよ。

「そうだ、今日はインフルエンザに掛かった事にしよう」

 無理だよ。まだ流行ってないもん。なんて自分で心の中で突っ込む。

 言い訳が下手だなぁ、私。

「嘘は得意なのに、ね」

「百面相してどうしたのぉ~?」

「ひゃいッ!?」

 間近で声を掛けられて飛び上がったしまいそうだった。

 横を見ると、両手に買い物袋を提げた姿がやけに絵になっている三上さんのお母さんが、ニヤニヤしながら私を見ていた。

 しまった、タイムアップに……

「なんかぁ、悩める乙女って感じでとっても可愛かったぁ~ん。思わず写メっちゃいました」

「今すぐ消して下さい!」

「え~、もう待ち受けにしちゃったも~ん」

 うわぁ~!やっぱりこの人は三上さんの母親だよぉ~!行動がとてつもなく似ているもん!

 頭痛がしそうな額に手を当て、落ち着こうと深呼吸。と、とにかく心の準備だけでも……

「智也~!美少女がご来店したわよぉ~!」

「……ああ、なんて行動が早いのかなぁ」

 わざと空気を読んでいないこの感じは、紛れもなくあの人の母親だなと痛感する。

 どう謝ればいいか、真っ白になりそうな頭で考えようとしていると、上からやたら能天気な返事が返ってきた。

「おー!ようやく来たか!早く上に来いや小娘~!」

 あれ?気にしているのは私だけだったのかな?なんて思ってしまうような声に拍子抜けしてしまう。

「まあ!愛しの彼女の名前くらいちゃんと呼びなさいっていつも言ってるでしょ!」

「あ~、はいはい。早く来いよマタタビ~!」

「陵です!」

 語感でしか覚えていないですよね絶対!?とんでもない親子の応酬。お父さんもお母さんも、なぜよりによって三上さんに私の面倒を頼んだの?違う意味で面倒だよ。

「それじゃ、夕飯までお勉強頑張ってねぇ~。大人の人間学とかね?」

「あ~、はい。頑張ります」

 まともに受け止めていたら一蹴の前でやつれた顔を見せてしましそうで、おざなりに返事をして二階へと上がらせてもらった。

 さっきので疲れてしまっていた私は、どう謝ればいいだろうなんて悩んでいたことも忘れて、失礼しますと部屋のドアを開けていた。正直、三上さんの事で気にしても杞憂になると思った部分もある。

 そうしてドアを開けると、なにやらテーブルの前で行儀良く座って、やたら爽やかな笑顔を浮かべている、見も知らない三上さんがいた。

「いらっしゃい、疲れただろう?」

「……あの、何があったんですか?」

 謝罪から始まるはずの第一声は、疑惑の第一声へと変わっていた。

 なにか変わった事はないかと思い、部屋を見渡そうと……しなくても、すぐに異変に気がついてしまった。……今この瞬間盲目になってしまいたい。

「ははは、何にもないさ。それよりほら、学校に行って疲れたろう?小腹が減ったんじゃないか?」

「いえ全然お構いなく」

 目の前のテーブルには、三つのお皿の上に三品ほど形容しがたい物体が乗っている。

「遠慮するな。実はさ、この間俺さ、君の事怖がらせてしまっただろう?だからそのお詫びにちょっと料理をご馳走しようかと思ってね」

「りょう、り?これがですか?」

 小石のようにごつごつと歯が欠けてしまいそうな何かに、ぐちゃぐちゃの茶色のような黄色のようなスライムに、内臓がはみ出た魚の遺体。これが?どこの民族の料理なのかな?

「あの、もしかして怒ってますか?」

 この間の失礼な態度にご立腹で、その報復にこんな拷問を?

「何を馬鹿な事を言っているんだい?これは俺が真心を込めて丹精に作った最高傑作だよ」

「命を粗末にしているようにしか見えないですよ!?」

「いや、まあ見た目はそう見えるかもしれない。でもな?強面でも心が清い人だっているじゃないか」

「つまり?」

「つまりそういうことだよ」

 とか言いながら目を逸らされる。それだけで三上さんの思考がなんとなく読めてしまった。たった数回会っただけなのにわかってしまうなんて……とても単純な人だなぁ。

「おい、なんで憐れみの目で見る?」

「いえ、なんとなく」

 多分、自分が食べるつもりで作ったのだけれど、上手くいかなかった。二品目、三品目と挑戦した三上さんだけれど、結局上手くいかずに断念。そこで、残飯処理は誰かいないかと考え、そういえば私が来るじゃないかと最低な人選をしてしまう。しかし、ただ食べろといっても食べるわけがないので、この前の事を盾に食べさせよう……と、こんなところじゃないかな?割と当たっているはず。

「あの、本当に私は大丈夫なので、遠慮なさらず食事をどうぞ」

「……いやいや、これは君の為に作った料理だよ?僕が食べるなんて」

「こっちを見ながら話して下さい」

「ごちゃごちゃうるせぇ!いいから食えよ!無残に散った命を弔おうとは思わんのか!」

「殺害したのは三上さんじゃないですか!というか本性出てますけど!?」

「うっせぇ!年功序列という言葉を知らんのか!?」

「なら三上さんが最初に食べて下さい!それが年功序列です!」

「あ、間違えた。小娘ファーストだよ馬鹿が!」

「間違えたの自分じゃないですか!本当に大学生なんですか!?」

「ぷっち~ん。あ、今俺を馬鹿にしたな?年上で先生の俺を馬鹿にしたな貴様?」

「三上さんは命を馬鹿にしています。なんですかこれは?」

「見てわからんのか?アホだな」

「一般家庭ではまずお目に掛かれない料理です」

「ふん。常識の檻から抜け出せない小娘に教えてやろう。これはな、俺がアレンジした一般家庭の料理で、から揚げ、オムライス、刺身だ」

 眩暈がした。だって、本気で言ってるもの絶対。

 刺身?確かに魚を刺殺したのでしょう。埋葬されていないですが。オムライス?初級モンスターがやたら異臭を漂わせていますけど。から揚げだけはなんとなくわかる。人を殺せる硬度なのは間違いないけれど。

「一ついいですか?」

「なんだ?」

「三上さんって普段料理とかしませんよね?」

「舐めるな。さしすせそくらい知ってる。元ビューリホー女子大生に教わったからな」

「ビューリホーなんたらはわかりませんが、じゃあ言ってみてください」

「ふん、とことん馬鹿にするつもりらしいな?だが、俺にその勝負を」

「いいから言ってみて下さい」

 ふんともう一度鼻を鳴らして、自信満々に、声高らかに三上さんは答えた。

「坂道を、しみじみ歩く、スパイダー、背中抉じ開け、子供うじゃうじゃ」

 想像して吐き気を催した。

「ふぅ、どうだ」

 良い笑顔に卒倒しそうです。

「どうだって、短歌じゃないですかそれ!」

「あれ?スパイダーじゃなくて、スピ○バーグだっけ?」

「世界的に怒られてしまえば良いです。というか、それ三上さんのお笑い五大元素か何かですか?」

「うはは、何それちょーうけるー」

「……怒りますよ?」

「もう怒ってるじゃねぇか」

「当たり前です!」

 ヤバい。本当に頭痛がしてきた。ストレスで胃までおかしくなりそう。帰ったら胃薬を飲もう。

「私、食材を無駄にするなんて許せないんです。お料理好きだからっていうのもありますが、私達は他の生き物の命を貰っているんですよ?それなのに、こんな扱いをされて……可哀想とか思わないんですか?」

「あ、あれ?ガチで年下に説教されてる俺?」

「何ですか?」

 軽く言うとふざけて流されそうで、私は自分でもびっくりするくらい厳しい声を出していた。子供に説教しているみたいだなぁ。

 私が本気で怒っている事がわかったのか、三上さんは少し俯き、一言だけ小さく悪かったよと呟いた。

「……わかったなら良いんです」

「そうだよな。命を無駄にしてしまったなんて、最低だよな……」

 あ、れ?本気で落ち込んでる。そ、そんなにきつかったかな私?でも、間違った事は言っていないし……だけど年上の人にこんな生意気を言ってしまって良かったのかな?

「あ、あの~……そこまで落ち込まれると私……」

「いや、良いんだ。俺が悪かったしな。ほんと、無駄にしてしまって……俺には料理をする資格なんてないよな」

「で、ですからあまり落ち込まれると、私「てわけで、無駄にした俺に食する資格もないわけで」はい?」

 箸でから揚げを持ち、私に悪漢のように三上さんが迫ってくる。というか凄く楽しそうなのはなんでですか!?

「いやぁ~、俺も命を無駄にするのはどうかと思ってさぁ~。この苦しみを分かち合おうと陵を待ってたんだよ」

「なっ!?」

 なんて事!?三上さんは私が言った事は初めから百も承知で、どうにかしようと自分以外の犠牲者として私を待っていた!?

 じりじり迫ってくる三上さんから距離を取ろうと下がり続け、背中にひんやりとした壁が当たる。絶体絶命!?

「さあ、仲良く地獄に行こうぜ?先生と生徒の禁断の関係だ」

「い、いやぁーーーーー!!」

「うおらぁ!ジタバタすんじゃねぇ小娘!」

 客観的に見れば、幼い男の子同士がふざけてじゃれ合っているように見えるかもしれないけれど、良く見れば婦女暴行に近い事が行われていた。

 逃げる私の服を引っ張り、なんとしてもから揚げを食べさせようとしてくる。

 ……一つ食べて気絶でもしたなら、意識のない私の口にありったけ突っ込むに違いない。それだけは絶対に嫌だ!

 必死に追う三上さんと、決死で抵抗する私。大きくなった体でそんな事をしていれば……

「あっ」

「へっ?」

 バランスを崩して倒れるのは自明の理なわけで。幸いだったのは、倒れた先がベッドの上だった事と、三上さんが私の後頭部を庇うように腕を回してくれた事……最悪なのは、三上さんはそれでもから揚げを手放していなかった事。

「もう、離さねぇよ……」

 台詞だけ聞くとロマンチックなのに。というか、そういう言葉は一蹴の口から聴いてみたいんだけどなぁ。こんな暴漢紛いの人じゃなくて。

「え~と、れ、冷静に話し合いませんか?」

「無理だ。もう、抑えられそうにない」

「大丈夫です。邪悪な笑みは全然抑えられていません」

「責任、取ってくれるよな?」

「因果応報ってわかりますか?」

「こんなに熱くさせやがって……」

 三上さんの額から私の頬へと一滴の汗が落ちてきた。こんなに下らない汗がこの世にあるなんて知らなかった。

「そ、それ以上(から揚げを)近づけたら大声を上げますよ!」

「いいぜ?今、この部屋には俺とお前二人っきりなんだからな。好きなだけ鳴けよ」

「…………」

「……黙るなよ」

「いえ、普通に考えて今の会話はまずいのではないかと思いまして」

「う、うむ。まあ、聞き様によっては心が汚れた奴が聞けば、まずい意味に捉えられるかもしれん」

 自分の心は綺麗だとでも?

「そうですよね?誰かに見られたりしたら大変な事になってしまいます。なので、一旦離れ「じゃあ、誰か来る暇も与えないで食わせてやろう」て、なんかわかってましたぁ、この結果ぁ」

 いつでもトップギアで、エンストするか衝突するまで止まらない。それが三上智也さんなのです!……バッテリーが上がってくれないかなぁ。

「はい、あ~ん」

 お父さんお母さん、次に会えるのは病院のベッドの上だね。ごめんなさい。でも、娘をこんな非常識が服を着て歩いている人の所に預けた二人も悪いんだよ?腕の良い弁護士を探そうね。

 一蹴……ごめん、ね?私、こんな人に汚されちゃうみたい。抵抗してもね、駄目だったの。どうしてかな、こんな時に一蹴との楽しかった記憶が次々蘇るのは。変だね?変、だよね……でも、どんなに汚されてもね、私は一蹴が……

「ふははははは!これで終わりじゃーーーー!」

 大好きだよ。

 

 

「智ちゃ~ん!唯笑ね~……唯、笑……ねえ?」

 

 

 で、今に至ると。

 なるほど……思い返してはみたが、俺が悪かった事なんて一つもないじゃないか。食べ物を粗末にしないように画策した末の行動なわけで、やましい事は何もないと胸を張って言える。

「どの口で言うんですか」

「智ちゃんサイテーだよ」

「ですよねぇ~」

 なんとか狂気と凶器から抜け出すことは出来たが、その代わりに俺は正座させられ、対面には疲れきった顔の陵と、液体窒素で凍らせたかのように覚めた目をした能天気娘。俺、そんなに悪いことしてないよ?

「それで、智ちゃん?」

「なんでせうか」

「あのね、ほんとなら最初に聞きたかったんだけどね」

「だから何だよ」

 厳しい目を保ったまま、一切隣を見ずに人差し指を指して乗り出しながら言った。

「この子は誰かな!?」

 うわぁ~、無駄に溜めたなぁ。誰にそんな芸風を教わったんでしょうね、この子ったら。

 指を突きつけられた瞬間の陵の顔を是非写メりたかった。小動物のようにビクッとして怯える姿がやたら滑稽だったし。

「誰って、お前母さんに聞いてないのか?」

「全然」

「はあ?んなわけないだろ?」

「ほんとだもん」

「ちょっと待て。じゃあ、お前はなんて言われて俺の部屋に来た?」

 普通の母親ならば先客がいれば、誰々がいるからとか説明するだろう。ていうか、仕事中にいきなり入ってこられても迷惑だしさぁ。真面目に仕事をしていたかどうかは別として。

「えっとね……おばさんに智ちゃんいますかって聞いたらね?」

『智也なら自分の部屋で友達と遊んでるわよぉ~。唯笑ちゃんも混ざってきたら~』

「て言うからね、信くんと遊んでるのかなって思ったの」

 あ・の・お・や~~~~!!

 あの人の思考回路が手に取るようにわかり、俺は加賀ばりの溜息をして額に手を置いた。

「なのに、知らない女の子を智ちゃんが押し倒してて……つい注射器を当てちゃったの」

「お前のつい殺害衝動を抑えられなくなるのか!アホたれ!」

「唯笑は悪くないもん!浮気する智ちゃんが悪いんだもん!」

「人聞きの悪いことをでかい声で……ちょっと、待て」

 呆気に取られている金蔓と、今にも食って掛かってきそうな唯笑に、静かにするように人差し指を口に当てて黙らせつつ、部屋のドアを躊躇なく開け放つ。すると、コップをドアに当てていたらしい年齢にふさわしい格好の母親がそこにはいた。

「何、していやがる?」

 笑顔を引くつかせているであろう俺を、母親は顔色一つ変えず見上げ、スッと立ち上がると……

「……智也!あなた最低ね!」

「最低なのはあんただろうが!」

 逆切れでこの場を切り抜けようとしやがった!

「最低?何を言ってるのかしらぁ?私はただぁ~、昼ドラのような修羅場が見たかっただけだも~ん」

「だも~んじゃねぇよ!実の息子に何させようとしてんだ!」

「実の息子だからこそじゃない!ちなみに、彩花ちゃんと唯笑ちゃんの智也争奪戦ももちろん記録しているわぁ~」

 眩暈がした。それどころか血管が詰まって破裂しそうだ。

「まあ、ちょっとした復讐だからいいじゃな~い」

「なにをわけのわからんことを」

「戦場跡のような台所」

 三上菫、料理に一切の妥協を許さない女。俺が拵えたあの紛争地帯を見て立ち尽くす母の姿。うむ、難なく想像出来るな。悪鬼のような顔をしていたことだろう。だが、それにしたってこの仕打ちはないだろう?ほんのちょっとIHをアイ全治三日にしてしまっただけなのに。

「修理費はちゃんとお給料から引いておくから心配しないでね?」

「ユニオンに訴えるぞおい」

 大体だな、修理費なんて請求しなくてもちゃんと俺は罰を受けるさ。

「じゃあ、頑張って修羅場って~」

「ははは、何を言ってるんだ鬼母(きぼ)よ」

 後ろからそっと俺の肩に手が置かれる。振り向かなくてもわかるさ、温度のない笑顔をした唯笑が幽鬼のように立っているんだろ?だからつまり、これから始まるのはな?

「今から行われるのは修羅場じゃねぇ、冤罪を物ともしない厳しい取調べだろ?」

 無言で体を引っ張られ、ドアの閉まる音が無常に響いた。

 指で座るように促され、渋々俺は席に着いた。対面には氷の笑顔を湛えた唯笑と、呆れて物も言えない陵。これ詰んだな。

「智ちゃん、まず最初に聞きたいことがあるの。この子が誰か、教えてくれるかな?」

 笑顔だけじゃなく声にまで温度がない。誰だよ、こいつにこんな怖い一面を植えつけた幼馴染はよ。

 とりあえず、だ。ここは俺の小粋なジョークで場を和ませようじゃないか。そうすれば唯笑だっていつも通りの、アホな笑顔を見せてくれるはずだ。

「あ、ああ。その子はまたた「陵です」……いのりって名前のクソ生意気な小娘だよチクショウ」

 俺の小粋なジョークが不発に終わった。ていうか早いよ!喰い気味どころか完璧に喰ってただろうが!空気読めよ!そういうおいしい突っ込みは今求めてねぇんだよ!唯笑の好きな猫ネタで場を和ませようとしたってのに、こいつ本気で俺の事嫌いだろ!

「そうなんだ~。陵いのりちゃんね。初めましてだね。唯笑はね、今坂唯笑っていうんだ。智ちゃんとはもう付き合い始めて結構長いんだよ」

「おま、その言い方じゃあ……」

「え!?三上さんに恋人がいらしたんですか!?」

「こういう誤解をされ……ん?今俺の事を馬鹿にしなかったか貴様?」

「いえ全然」

 しれっと答えられ、俺の聞き間違いかと首を捻る。そうか、あまり人を疑うのは良くないよな、うん。

「このアホ娘、紛らわしい言い方をするな。唯笑とはほぼ産まれた時からの付き合いでな。恋人じゃあない。こんなアホが俺様と釣り合うとでも?」

「三上さんが釣り合う人なんているんですか?」

「うん、やっぱ聞き間違いじゃないな。お前表に出ろ。公衆の面前でお尻ペンペンしてやるから表出ろ」

 人生の先輩として、こういう子供の長い鼻は削ぎ落としてやらねばならん。わりと本気で。

「へぇ~、仲良いんだね二人とも」

「どこをどう見たらそうなる」

「いのりちゃんの上に覆い被さっている智ちゃんを見たらこうなるもん」

「その程度でか!なら俺は信とどれだけ仲が良いんだって話になるだろうが!」

「男の子同士は良いんだよ?全世界女子の常識だもん」

「気持ち悪い常識だな。まあとにかくだ、唯笑よ、お前は誤解しているんだ。俺と陵は仲良くもなければ、お互いに特に興味もない」

「あったらもう二度と訪ねないです」

「ちょっと黙ってようか小娘。俺の堪忍袋がいくつあっても足らなくなるから」

 いつまでも小さいことで怒っているなんて、器の小さなガキめ。少しは寛容な俺を見習って欲しいものだ。

「いいか、唯笑。母さんが説明しなかっただろうから、俺が一から説明してやる。実はだな」

 俺が陵の面倒を見ることになった経緯をあるがままに話す。こいつが彼氏持ちのスイーツだと知れば唯笑もきっとわかってくれるに違いない。

 こんこんと子供に言い聞かせるように丁寧に説明していくと、唯笑の顔もどんどんにこやかに……

「そっかぁ~、そういう事だったんだね」

「そうなんだよ。まったく迷惑な話しだよなぁ~」

「それで、その話が覆い被さっていたのとどういう関係があるのかな?」

 ならなかった。

「三上さん、凄く無様です」

「うるさい。てかいつまで怒ってるんだ小娘」

「あれで怒らない女子がいたら、私はその人とは友達にはなれません」

「いつまでも女々しいやつめ」

「またいちゃいちゃしてる」

「お前の目は腐っているのか!?渋○先生の義眼のがお前の目より絶対見えてるぞ!」

 くそぅ、仕方ない。ここは恥を忍んで真相を打ち明けるしかないか。まあ、唯笑や信なら大した手間は要らないんだがな。だって、たった一言で済むのだから。

「なんだ、まあ。覆い被さっていた理由だがな、お前ならテーブルの上を見ればわかるだろ?つまりはそういうことだ」

 凄惨という表現がこんなに似合う料理もないであろう三品を両手を広げて示す。

「あの、それじゃあわからないんじゃあ……」

「なんだぁ~。いつもの智ちゃんのとんでも行動の所為だったんだねぇ~」

「通じたんですか!?」

 甘いな小娘。前後不覚になっていなければ、こいつはとっくに気づいていたんだ。ただ、いつもが保てない理由がどうしようもなくそこにあっただけなのだから。

「うん。アレでしょ?智ちゃんが料理に失敗して、捨てるのは勿体無いから自分以外の人に無理矢理にでも処理させようとしたんだよね」

「イグザクトリィ」

「どうしてこれだけでわかるのか不思議です」

「えへへ~、でもさぁ智ちゃん?」

「なんだ?」

「豚の角煮ときんぴらごぼうは美味しく作れるのに、どうして他の料理は駄目なんだろうね」

「自分でもそれが不思議でならん」

「逆に凄いですねそれ!?」

 陵が目を剥く勢いで驚いているが、高校の頃に小夜美さんにまともに教わったのがその二品だけだったからな。それ以外にもあの人と色々作ったが、全部ネタパン関係だった。ふむ、そう考えるとすべての元凶はあの自称ビューリホーOLに帰結するな。後で静流さんと二人で抗議の電話を入れてやろう。素知らぬ悪質クレーマーを装ってな。

「というわけでだ、俺にやましい事は何一つないわけだ」

「やらしいことはあるかもだけどね」

「ははは、誰がそんなアダルトな突込みを教えた~?」

 唯笑の両頬を摘んでぷ~いぷいしてやる。

「いひゃいひゃい~!おひえたほはほもひゃんらも~ん!」

「誰がホモだコラ!」

「ひょんんびゃほとひってはいよぉ~!」

 ふははははは!涙目になっても止めてやらんぞ!こうなりゃ、このままこいつも処理班のメンバーに加えてやろうと、右手は摘んだまま左手で魚の遺体を摘む。ちなみに、素材の味を最大限に生かす為に醤油も何もつけていない。職人のこだわりだ。

「ほ、ほもひゃん?ほ、ほちつほう」

「何を言っているのかわからんなぁ?日本語を喋れよ、にんねこ民族」

 がくがくと震える唯笑の可愛らしい小さな口を抉じ開けるように、自称刺身を捻じ込んでいく。

「く、くしゃいよぉ。こんなの、ひどいよぉ~」

「はん、お前が見ちゃいけないものを見たのが運の尽きだ。もう逃がさないからな」

「……絶対わざと誤解される台詞を選んでますよね?」

 まあな。ぶっちゃけると、この悪漢ごっこがちょっと楽しくなってきている。

 臭いよぉ~と泣きながら、唯笑は体の力が抜けたように、両腕をだらんと垂らしてされるがままになっている。……カーテン閉めようかな?なんか罪悪感がそこはかとなく……ま、いっか。彩花も俺と一緒に笑って見守ってるさ。ポジティブって良い言葉だよな、うん。

 視界の端で、そ~っとドアに向かって動く小娘が見えたので、素早く小娘の顔すれすれに箸を投げた。端だけにね。

「ひうッ!?」

「逃がすかよ、生贄」

「なんの儀式ですか!?」

「サ~バトサ~バト♪」

「わ、私はまだ死ねません!一蹴ともう一度会うまでは!」

「ふっ、誰も俺からは逃げられん。さあ、三人で仲良くおねんねしようぜ?」

 ぐふふと足を震わせる陵に近づく。一蓮托生、人類皆兄弟。ラブアンドデ~ス。

「い、良いんですか?私には切り札があるんですよ」

 その最後の希望に縋るかのような声に、俺は足を止めてしまった。

 動きが止まった俺に、攻守逆転したかのように不敵に笑み、陵は鞄から一冊の本を取り出した。

「ふっ、何かと思えば漫画本なんかで……?」

「ふふ、ただの漫画本だとお思いですか?」

 陵が持つ本に俺の目が釘付けになる。なぜなら、まさに俺の急所となる一冊が、その手の中にあるのだから。

「き、貴様それをどこで……いや、違うな。お前だったんだな?」

 失くした後、すぐに公園に戻って探してもなかったわけだ。まさか、こいつが持ち去っていたとはな。盲点だったぜ。

「ええ、そうです。本当ならもっと和やかに返したかったんですが、致し方ありません。この本と私の命、取引といきませんか?」

「クッ、小賢しいことを!窃盗だぞ!」

「どの口が言うんですか!?」

 強い光が瞳に宿っている。なるほど、つまりは……

「しょうがない。その本とギャグは引き換えに出来ないからな。お前は下で待ってろ」

「へ?と、智ちゃん?」

「ありがとうございます」

「い、いのりちゃん?ま、待って、唯笑も……」

 亡者が釈迦に手を伸ばすが如く、唯笑は陵に手を伸ばす。が、その手を俺は掴んで引き寄せる。

「おいおい、生贄がこれ以上減るのは許さんぞ」

「すみません、今坂さん。私には生きなきゃいけない理由があるんです」

「ゆ、唯笑にもあるもん!」

「ほう、言ってみろ」

「……智ちゃんの奇行を治すために看護師にならないと」

「釈明終了。じゃ、すぐに済ますから待っててくれ」

「はい」

「なんでだよぉ~~~~!?」

 売られて行く子牛を見るように、遣る瀬無い視線を向けながら陵が部屋を出て行く。中々に策士だな。良い性格をした女性になるだろう。どうかその強かな性格を失くさないで成長して欲しいものだ。

「智ちゃん、お願いだよぉ。助けて」

 涙目の上目遣い。これが唯笑以外にやられていたら、俺は踏み止まるのかもしれないが、残念だったな。ガキの頃からずっと一緒なんだ、もうお前のその攻撃にはとっくに免疫がついているのさ。

「安心しろ、唯笑」

「智ちゃん」

「俺も一緒に死んでやるから」

「智ちゃんみたいにゲテモノに免疫なんてないよ~~~~!!」

 その後、俺の部屋からは悲鳴にならない悲鳴がしばらく響き渡ったのだった。ていうか、お前もきゅーちゃんとかわけわからんもん作って食わせた事があるだろうが。その時の仕返しと考えれば罪悪感なんてあるわけもなかった。

 

 

 憔悴しきった唯笑をベッドに寝かせながら、陵と素知らぬ振りで今日の勉強を終えて、この間と同じように俺は陵を家まで送っていた。

 家を出る時、唯笑が何かを言いたげに俺を見ていたが、帰ってから話すと目で告げて出てきた。ま、この小娘を見れば当然そうなるわな。元から知っていた信はともかくとして。どうして、母さんも唯笑もそんなに気にするかね。俺よりも、二人の心のが心配だっての。

「本当に仲良いんですね」

 特に喋ることもなく無言だった陵が、思いついたかのように話し出す。

「そりゃあ、ほぼ生まれた時から一緒だからな。あいつはもう俺の家族なんだよ」

「でも、血は繋がってませんよね」

「繋がってたら、あいつは俺に似てもっと利口になってただろうなぁ」

「……どうして付き合わないんですか?」

 俺の軽口を聞き流して、突っ込んだことを聞いてくる。

 なるほどね、こういうところは子供だな。自分が気になった事を、距離感などをすっ飛ばして聞いてくる。あまり重いことじゃないと思っているんだろうが……まあ、その通りだ。胃にこってり重い話でもなんでもない。

「今坂さんを見ていて思ったんです。気を悪くさせてしまったならすみません」

「いや、別にいいさ。隠しているわけじゃないしな、俺もあいつも」

 俺と唯笑の関係は、俺の周りにいる奴等なら全員が知っていることだ。何も問題ない。

「正直な、あいつに告白されたこともあるんだ。でも俺はそれを断った」

「どうしてですか?あんなに素敵な人なのに」

 そりゃそうだろう。なんてったって、俺と彩花の自慢の妹なんだ。世界一可愛いに決まってる。俺にとって、最も幸せになって欲しいやつだ。

「だからだよ」

「え?」

 彩花と俺と唯笑。三人でいた日々が今でも瞼の裏に焼き付いて離れない。

 彩花と付き合い始めて少ししてからだったか、彩花がふと漏らしたことがある。自分の背中を押してくれたのは唯笑だったと。彩花は涙を零さないように、上を向いて微笑みながら、唯笑の純粋な気持ちにありがとうと感謝していた。

 そう、唯笑は俺と彩花が一緒にいることを心から望んでくれた。自分の気持ちを押し殺しても後悔しないほどに。俺達三人の中で一番強いのは間違いなく唯笑で、そんなあいつを俺と彩花は誇りに思うと同時に、何よりも大事な家族だと感じていた。その想いは今も、これからも変わらない。世界で一番大切な家族は唯笑だと、俺は笑顔で宣言出来る。

 まあ、だからこそあいつに陵の事をどう説明しようか悩んでいるんだけどな。

 陵が胸に秘めていることを話すわけにもいかないが、隠し事をするのも気が引ける。かといって、話したとしてあいつがどんな気持ちになるか、手に取るようにわかってしまう。

 誰よりも優しいからな。怒るでもなく、ただ静かに泣いてしまうだろう。リナちゃんだけじゃない、陵の奥にある気持ちまでをも慮って。

「まあ、陵にはわからないさ。まだまだ子供だからな」

 からかうように笑って言うと、俺の態度がお気に召さなかったのか、少しだけ膨れたようにしてそっぽを向いた。

「自分ではそこまで子供じゃないと思ってます」

「いやいや、めっちゃ子供だろ」

「例えばどこがですか?」

「まさに今。自分で子供じゃないって言うのは子供の証だ」

「……意外にまともな事を言うんですね」

「失敬な」

「じゃあ、三上さんはもっと子供ですね。人の嫌がる事を嬉々としてするんですから」

 仕返しとばかりに言い返してくる。愚かな小娘め。

「まあな。俺はいつまでも少年のような瞳をした純粋な男でありたいからな」

「あれが少年の行いなら、三上さんの少年像は腐ってます」

 俺が腐ってるなら信も腐ってるな。陵が俺がどんな高校時代を過ごしていたか知ったら、一体どんな反応をするだろう?想像すると、自然と笑いが込み上げてくる。

「俺が腐ってようが陵が子供ってのは変わらないな」

「どうしてですか?」

 それはな、お前もお前の彼氏も、自分がした事の重さをわからないまま、受け止めることも出来ていないからだ……なんて、言えるわけもなく。

「さあ、なんでだろうな?」

 と、適当に返事をすることしか出来なかった。

 これ以上考えると、まだ子供だった時の自分を思い出しそうで嫌だった。

 もう、あの頃の俺じゃない。今ならば、彩花のおじさんとおばさんと笑って話せる自信がある。誰よりも深い絶望の中にいる二人に、もう二度とどうしようもなく辛い顔なんてさせやしない。……あの時のように、大人な気の使い方なんてさせやしない。

 子供だった自分を少しでも思い出してしまい、ハンドルを握る手に少し力が入ってしまった。

「三上さん?」

「ん?どうかしたか?」

 表情には出していなかったつもりだったが、陵がどこか気遣わしげに俺を見てきた。それに、俺はなんでもない風に応える。

「……いえ、なんでもありません」

「そっか。それよりお前に要求したいことがあるんだが」

「あ、本ですね」

 うわ~、また悪漢ごっこしようと思ったのに、出鼻を躊躇なく挫かれたよ。

 陵の家に着き、玄関前に停めて本を受け取る。

「陵よ、少しは俺の遊びに付き合おうとは思わんのか?社会に出たら縦社会だからな?上司の我侭に少しは付き合わないといけないのが暗黙の」

「そうですね、気をつけます。三上さん以外には」

 マジで良い度胸してんなこの小娘。ここは一つ、大人らしい注意でもしておこうかね。もしくは未来予知とも言う。

「ふっふっふっ、あんまり俺を舐めてるとその内痛い目を見るぞ。そうだな~……二週間以内ってとこかな」

「はい?」

 可愛らしく首を傾げる陵に満足し、俺は車を走らせる。

「じゃ、未来にご注意を~」

 窓から手をひらひらさせて走り去りながら、後ろから聞こえた声にほくそ笑んだ。

「な、何で二週間なんですか~!?」

 ふはははは、精々陰陽師の星詠みもびっくりな天才未来予知に怯えるがいいわ!はてさて、この未来予知を現実にするため少しは働きますかね。

 とりあえず唯笑に少し遅くなるから、寝たければベッドで寝ていろと連絡し、もう一人にも連絡をする。

「よお、この間振り~。あのさぁ~、例の動画の元を消して欲しければ今から指定する場所に来いよ。ん~?そんな口を利いていいのかなぁ?おお、ぶつくさ言ってないで十分以内に来るようにな。ほれほれ、早く焼きそばパン買って来いよぉ~!」

 電話の向こうで、携帯をミシミシ言わせている音を聞きながら俺は上機嫌に目的の場所へと向かった。

 

 

 陵が婦女暴行されそうになった公園に行くと、街灯の下のベンチに血走った眼を向けてくる野獣が一匹。

「やふ~、お待たせ~」

「この下衆野郎ッ」

 和やかに挨拶をすると、トビーが手に持っているコンビニの袋を投げつけてくる。……マジで焼きそばパン買って来ちゃったよ。食いたかったから丁度良いけど、ほんと見た目とは裏腹に素直で良い子だなぁ。もう、大好きだよトビー。

「んぐんぐ……ん~?おいおいトビー」

「あ?」

「紅しょうが少ないぜ?買い直してきてくれよ」

 あ、ゴムが勢い良く切れた時のような音が聞こえた。

「死・に・て・え・か・?」

 やたらドスが利いた声に一瞬声が出なくなっちゃったよ。べ、別にトビーにびびってあげたんじゃないんだからね!勘違いしないでよね!

「まあまあ、俺だって好きでこんなことをしたわけじゃないんだ。ただな、信がトビーと話してやってくれって言うからだな、仕方なく嫌々弄ってあげているわけで」

「その割には目をキラキラさせてるじゃねぇか」

「夜空の星が目に映ってそう見えるだけだ」

「今日は曇りだろうが」

「おっと、ケアレスミスだ。てへ♪」

 自分で自分の頭をげんこすると、さらにトビーの機嫌が悪くなった。どこまで機嫌の悪さが進化するのか試してみたい気がするが、部屋に唯笑を待たせてるからな、早く用事を済ませてしまおう。あいつを待たせているだけならいいが、なんだか嫌な虫の知らせが……

「とりあえずだ、約束通りトビーは来たわけだし、動画を消すことを前向きに検討しようじゃないか」

「てめぇ、消さない奴の言葉だろうがッ」

 いや、当たり前じゃん。こんなレアなトビーはプレミアですもん。家宝にするんだ。

「そこは信じてくれとしか言えないな」

「信じられる要素がねぇな」

「ありゃりゃ。俺と過ごした時間はそんなもんだったのかね。泣けるぜ」

「物理的に泣かせんぞ?」

 まあ、最近の若者はすぐに暴力に訴えるんですね。物騒だわ~。

「まあまあ、それなりに俺を味方にしておくと特典も付いてくるんだが」

「ストレスが特典じゃねぇか、テメェは」

「そうか?俺を味方に付けるとな……あの二人の泣き顔が見れるぜ?しかも、お前の大事な子も満足するほどに、な」

 俺の言葉に少しは興味を惹かれたらしい。うざそうにしつつも、俺に言葉の先を促す。

「俺は信程優しくないからな。悪い子にはお仕置きしないと気が済まないわけだ。それに、このままにするのはあの二人にも良くないだけじゃない」

 トビーの鋭い眼光と真っ直ぐに向かい合い、俺はいつものようににへらと笑ってトビーの胸に指を突きつける。

「トビーとリナちゃん、二人だって救われない。俺はさ、それが我慢ならないんだ」

 純粋過ぎるからこそ、トビーは許せないんだ。大事な友達に忘れられたままでいる彼女はきっと泣いている。それがトビーにはどうしても許せない。当然だ、俺だって許せない。だから、彩花を悲しませたままだった自分を俺は自分で殴りつけたんだ。そんなのさ、誰だって許せるわけがないんだよ。

「……うぜぇな。別にテメェの手なんか借りなくたって、俺は一人でやる」

 ああ、そうだな信。今のトビーは高校時代の俺そのものだ。違うのは、責める相手が内か外かの違いだけ。今のトビーはリナちゃんを想うばかりで、自分を想ってはいない。だから、自分を傷つけてでも、どれだけの後悔をしようとも厭わない。

 まったく、不器用だな。俺も、トビーもさ。

「間違っても、もう二度と二人でいようだなんて思いたくなくる程に、俺がこの手であいつ等をめちゃくちゃにしてやる。そうすれば、リナだッ!?」

 厨二気味なトビーの頭に、問答無用で手刀を喰らわせると、舌を噛んだのか俯いて肩を震わせていた。……顔を見せてくれないだろうか?涙目のトビーとか萌えるじゃん。

「三上、て、め」

「ごちゃごちゃうるせぇ!この舌ったらずが!」

「ああ!?テメェの所為だボケッ!」

 胸元を捕まれるが、んなもんでびびる俺じゃない。ていうか、こんな子供なんか怖くもなんともない。

「お前ほんとアホなツンデレだな!お前がしたい事はなんだ!?リナちゃんがどうやったら笑ってくれるかじゃねぇのか!?」

「ああ!?リナはもういねぇ!笑った顔なんかもう二度と見れねぇんだよッ!部外者が知った顔で語ってんじゃねぇぞ!」

「ああ、そうだよ。部外者だよ俺はな!けどな、知った顔なのは当然だクソ餓鬼ッ!テメェまで自分の中からリナちゃん消そうとしてんじゃねぇぞッ!あの二人の中にリナちゃんがいなくても、トビー!お前の中にはいんだろ!そこにずっといるんじゃねぇのかよ!」

 俺を掴んでいる手が震えた。ほらな、本当はこいつだってわかっているんだ。ただ、認めることが怖いだけなんだ。自分の憎しみで潰されていく綺麗な過去が……

 だから、こんな馬鹿を俺達は放っておかない。例え、自分の馬鹿な過去を曝け出そうともだ。

「俺はな、トビー。二人だけじゃない。お前までがリナちゃんの笑顔を曇らせようとしてんのが気に喰わねぇんだよ!大切なんじゃねぇのかよ!自分見失うくらい大切なんだろうが!」

 膝抱えて、真っ暗な中に一人で閉じ籠もって……そんなの、もう見たくねぇ。そんなの、俺一人で十分なんだ。

「三上、お前……」

「だったら、リナちゃんが笑顔でいられるように頑張れよ!せめてお前の中でだけでも笑顔でいさせてやれよッ!それが……それが、さぁ!俺達に出来る最高の生き方じゃねぇのか!大切な人を想うって事じゃねぇのかよッ!」

 嘘ついて笑って、いつだって泣き続けて……雨は冷たいままで、俺をどんな気持ちで彩花が見守っているかなんて考えもしなくて……そうして、どんどん俺の中の彩花の顔から笑顔が消えていった。

「答えろ、飛田扉ッ!お前はどうあって欲しいんだよ!いなくなってしまった彼女に、どんな顔でいて欲しいッ!」

 俺の愚かさに気付かせてくれたのは、唯笑と信だ。二人が俺を優しく導いてくれた。もし、二人がいなければ俺は永遠に彩花を悲しませたままだった。

 大切な存在を失った時、自分の心の傷の深さなんて、自分じゃ気づけないんだ。自分を想ってくれる誰かがいて、初めて気付く事が出来る。だから、トビーにとってのそれが、俺と信であれたならと思う。唯笑も一緒だったならもっと良かったんだが……もう、そこまであいつに甘えられない。今度は俺が守ってやりたいから。今度こそ、あいつの家族として間違えたりなんかしない。

「お、れは……」

「言えよ、トビー。そんで、俺達に任せとけ。なんてったって俺も信も――」

 

 

『お前と同じ傷から立ち直った先輩だからな』

 

 

 もう、それ以上言葉はいらなかった。

 トビーの肩に手を置くと、俺の胸倉をきつく握り締めていた手から力が抜けた。自分じゃどうしようもなかったら、もう一つしかないんだよ。邪魔なプライドなんて捨ててしまえ。

「んだよ、それ」

「なんだ、知らなかったのか?」

「知るかよ、まさかただの馬鹿だと思ってたテメェが、俺と同じだなんてよ」

「おい、誰が馬鹿だ?超絶才色兼備だろうが」

 俺のいつもの正直な言葉を鼻で笑い、俺の胸を拳で軽く一回叩いてくる。

「……じゃあよ、テメェの馬鹿で教えてくれよ。どうすりゃあ、リナは笑う?俺はどうすりゃあ」

「あ、それはもうちょい待ってくれ。俺等もそこまで計画詰めてねぇんだ」

「…………あ?」

 こうね、良い感じに青春をしていたところ悪いんだが、嘘はいかんよな。

「テメェ、あれだけ偉そうにしてたじゃねぇか」

「いや、俺は元から偉いから、偉そうにってのは間違いだ。そもそもだな、臣下のなんちゃってポニーが計画書を出さないのが悪い。仕事の遅い部下で大変申し訳なぐはッ」

 鳩尾に良いのを一発もらって、トビーの胸へと倒れこむ。BL女子諸君!今だ激写してくれ!死なば諸共、写真をネタにして末代まで笑ってやる!

「お前を頼ろうとした俺がば「オエエエエエェッ!!」……おい、ゲロクソ。何してくれんだ」

「あ~……すっきりした。何って?いや、俺さゲテモノ食ったばかりで気持ち悪くてな。そんな俺の腹は時限爆弾だったわけでな。つまり殴ったトビーが悪い。むしろ俺様の口から出たものは聖水として受け入れろ」

「ふ、はは……ははははははは!ほんと、テメェって奴は……あ~、ほんと」

「神様そのものだろ?」

「前歯叩き折ってやんよ」

「ノーモアバイオレンス!」

 全身全霊のトビーの攻撃を俺は体力の限界まで避け続けたのだった。いやぁ~、ベンチって投げてあんなに飛ぶんだな。二次元の世界だけかと思ったぜ、ははは……マジで涅槃覚悟した夜だった。

 

 

 トビーとの死闘でへとへとになって帰ると、玄関には見知った靴が一組増えていた。この靴は信?

 母さんに聞こうと思ったが、母さんは風呂に入っているらしく、まあいいかと部屋へと向かうと、やたら騒がしい二人の声が中から漏れてきた。

 こんな夜中にうるさいなんて、まだまだ子供だなとほくそ笑んでドアを開けると――

「ね?言ったでしょ?あいつってこういうのが好きなんだよ」

「え~~~~!?でででで、でもこれ外人さんだよ!?」

 俺のデンジャラスゾーン(本棚の後ろ)が開門されて、一人は心底馬鹿にしたように、もう一人は初心に顔を真っ赤にしてはしゃいでいた。

「はっ!?でも智ちゃんって昔よく詩音ちゃんを見てた!」

「あ~、双海さんはエロ也のドストライクだもんなぁ。それと、何気にDVD。年上も好きなんだよなあいつってば。硬派気取ってるけど、実はかなりエロ「くたばりゃああああぁぁぁッ!!!!」ぶべらッ!!」

 にやけ面目掛けて低空ドロップキック。もう容赦しねぇ!嫌な予感がすると思ったらやはりか!

「お前等はオチを着けないと満足出来んのか!?てか、人のトワイライトゾーンに何してんだ殺すぞ!」

「……も、もう死にそうなんだが」

「死ね!言っておくが今からここは死地だ馬鹿野郎!」

「……髪の毛、染めようかな」

 俺と信のバトルロワイヤルの脇で、唯笑は一生懸命髪や小さな胸を気にしていた。いや、お前はそのままでいてくれ。マスコット的なままで。

 そんな中、階下では……

「あらあら~、ほんといつまで経っても子供なんだから、あの子達は」

 はい、子供です。てか子供でいいわ!こいつを殺れるならな!

「喰らえや!蒼龍天○!」

「なんの!天破活○!」

「う~、智ちゃ~ん!唯笑どうしたらいいの~!」

 まあ、つまりは……今日も三上家は平和でしたとさ!もういいぜ!




大分更新が遅れて申し訳ありません。仕事が急激に忙しくなり、帰って寝るだけの日々……ってのは言い訳になりませんね。これからも頑張って書いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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