願い雨   作:夜泣マクーラ

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彼の馬鹿、彼女の愚か

「ねえ、一蹴?」

「ん~?」

 夕食後、一蹴の肩に頭を乗せ、私の髪を一蹴が優しく撫でてくれる。私の心が最も落ち着く時間。

 何をするわけでもないのだけれど、テレビを観ながらぼんやりとするこの時間は私達にとってどこか大切に思える。そんな時に、ふと私はあることを思い出して一蹴につい尋ねてしまった。

「一蹴は誰にも……私にも言いたくない事ってある?」

「ない」

 私の目を真っ直ぐに見つめながら、迷わずにそう断言する。

「本当に?」

「当たり前だろ。いのりに隠し事をする意味がないじゃんか。むしろ、なんでも話してしまいそうだ。例えば、今後就職して、その会社の機密とかもな」

「ふふ、それじゃあただの口の軽い人だよぉ」

「はは、そうだな。で、なんで急にそんなことを聞くんだ?」

 それはね、私が一蹴に何年もずっと嘘をつき続けているから……だけじゃ、ない。この前、三上さんと車内で話していたとき、あの人らしくない顔を見てしまったのが原因。らしくないと言えるほど知らないけれど、でも想像すら出来なかったんだもの……あんなにも切なさと優しさと温もりと、これでもかという位の愛おしさと幸福をない交ぜにした、複雑な顔をするだなんて。

 あんなにも不思議な表情をする人なんて初めて見た。

 どんな人生を生きて、どんな想いを抱いたなら、見ている私まで心が締め付けられてしまうような顔と瞳が出来るのだろう?気になって、気になって仕方なくて。三上さんが何を思い出して、何を見ているのか尋ねようとしたのだけれど、それを察したのかやんわりといつもの三上さんに遮られてしまった。

 まるで小さな子供が内緒で集めていた宝物が親に見つかり、それを隠し誤魔化すかのように。

 あの時、私はわかってしまった。ああ、この人が私を自分のパーソナルスペースに入れる事はないって。人のパーソナルスペースには土足で無遠慮に、でも相手が不快に思わないよう入ってくる……そんな卑怯な人の癖に。

「ん~ん。なんとなく」

「そっか。いのりも俺に何でも言えよな」

「うん。私も、一蹴に隠し事なんてしないよ」

 どの口が言っているのか……一蹴は知らない。私がどんなに卑怯で卑屈で陰湿な人間か。絶対に知られたくない。一蹴の傍にいられなくなるくらいなら、私はこの嘘を永遠にしてみせる。自分で自分を世界一嫌いになっても……絶対に。

 

 

 

「却下だ」

「おい智也、何でもするって言ったよな?」

「うるせぇ!こんなもんは却下だ棄却だ破棄だ!」

 ビリビリと信が作ってきた、リア充苦汁舐めろ作戦を散り散りに破く。

「あ、おま!それ作るのにどれだけ俺が苦労したと思ってるんだよ!」

「俺の大学受験より苦労してないだろうが!」

 トビーと青春して次の日、俺と信はいつもの居酒屋で軽く飲みながら、今後の作戦会議をしていた。

「というわけでだ、もう一度会議を再開しようではないかね」

「ゲンド○スタイルで何言ってんだ!お前それがやりたいだけだろ!」

「否定はしない。これより、非リア充補完計画を遂行する」

「日本終わるだろうなその計画」

「私は一向に構わん」

「それ中国の人だよな?詰め込むなよ面倒臭い」

 二人でビールを飲んでクールダウン。

「おい」

「いやぁ~、信さ~、あの計画は駄目だって。あれじゃあ、俺が正義のヒーロー的に出れないじゃん。主役扱いがいいんだよ俺は」

「どう考えたってお前も俺も脇役ポジなんだって。だから、それじゃあつまらないからせめて黒幕みたいなノリで楽しもうぜって事なんだよ」

「おい、テメェ等……」

「あ~?わかってねぇ、わかってねぇよマジで。今の時代、黒幕が主人公やれる時代なんだよ。悪が正義っつうかさ~。わかるだろ?」

「そりゃあ否定はしないが、でもなぁ。それが出来る立ち位置でもないわけで、つまり大人になれよ。あとちょっとで社会人になるんだぞ、お前だって」

「出た、出たよこれ。自分がちょっと早く社会に出たからって先輩風吹かせて、やだねぇ~。こうはなりたくないな。いいか?大人になろうとも俺達はいつまでも夢を」

「いい加減にしねぇと帰るぞ?」

 あまり喋らないくせに、構われなければ構われないで寂しいらしい。ヒートアップする俺達に苛立ちを隠しもしない声をぶつけてくるトビー。はい、実はいたんだなこいつも。てか、トビーいないと話にならないし。

「まあまあ、怒るなってトビー。智也と話すとこうなるってわかってたことじゃんか」

「待てや。俺を我侭で人の意見を聞かない問題児みたいに言うとは、貴様どういう了見だ?」

「そういう了見だよ。さすが相棒、わかってるねぇ」

「つまり、テメェ等のおふざけに付き合わされた俺が馬鹿だったって事だな?……じゃあな」

 いつまでも真面目に話し合わない俺達に痺れを切らしたトビーが、上着を手にとって本気で帰ろうと立ち上がる。

「待て待て待て!悪かったから拗ねるなよトビー」

「今度バイトの可愛い子紹介するから不貞腐れんなよトビー」

 二人で必死に食い止める。こめかみの辺りがピクついているが、問題はないだろう。むしろ、この不機嫌なのがデフォだもんなトビーは。それにだな、トビーに帰られると困ったことになる。

(これだけ俺と信で飲み食いして、トビーが抜けたら割り勘で払えない)

(同意)

 二人でアイコンタクトを取りつつ、まあまあとトビーを宥めながら席に連れ戻す。ちゃ、ちゃんと真剣にトビーの悩みを解決しようとしているぞ?嘘じゃないからな?

「とにもかくにも、だ。今から俺が考えてきた計画を忠実に遂行してもらうからな。特に智也」

「誰に物言ってんだ?」

「不確定要素のお前にだよ!」

「……チッ、ミスったな俺としたことが」

 早くも後悔しているヤンキー崩れはスピちゃんを密かに混ぜたハイボールで黙らせ、俺と信はそれはもう真剣に話し合いを再開したのだった。

「あ、もちろん割り勘な」

「当然だな」

「割りに合ってねぇだろうが双璧」

 

 

 酒が入っている所為か、やけにふわふわとした気分で家に帰ると、俺のベッドの上で何かを広げて見ている唯笑がいた。

「よぉ、ただいま。何見てんだ?」

「アルバムだよ。彩ちゃんと、智ちゃんと、唯笑。いつも一緒だった頃の」

「そっか」

 なぜ今そのアルバムを取り出し、俺の部屋で見ているのか。そんなこと、聞かなくてもわかっている。

 アルバムを俺の部屋で見ている理由は、この部屋が一番彩花の影が色濃く残っていて、尚且つ俺がいるから。一人で見てしまったら、きっと泣かずにはいられないだろう。彩花との事を思い出しては笑って、懐かしくて、きらきら輝いていて……そうして笑いながら泣いてしまうんだろう。俺も似たようなもんだしな。

 でだ、なぜアルバムを見ようだなんて思ったのかだが……

「唯笑」

「ねえ、見て智ちゃん!この写真!唯笑が初めて二人の事を撮った」

「唯笑、もうそんな気持ちで見るな」

 俺に見破って欲しかったから。俺に……否定して欲しかったから、だろうな。

「そんな気持ち、って?唯笑はただもうすぐ彩ちゃんの命日だから……」

 唯笑の隣に腰掛け、今にも決壊してしまいそうなほどに揺れている唯笑の頭をゆっくりと何度も撫でてやる。

「……ど、うして?どうしてかなぁ。わかんないよ、どうして智ちゃんが平気なのか」

 全部吐き出せば良い。今の俺はちょっとやそっとじゃ倒れないとこいつはもう知っている。だから、こんな時くらい遠慮なく俺に倒れこんでくれるなら、どんなにそれが重くても俺は受け止めてやる。

「だって……だって!あ、あんなに、あんなに彩ちゃんに似てるんだよ!?どうしたって思い出しちゃうよ!重なっちゃうよ!」

 陵に会えば、彩花と深く繋がっていた人間なら皆唯笑のように感じるはずだ。母さんでさえ、わざとふざけなければ自分を保てないのだから。

「見た目だけじゃない。髪を耳に掛ける仕草も、食べる時の順番も、ちょっとした話し方も、字の形も……些細な事が、沢山重なっちゃうんだよ?」

 さすが家族。食べる順番までは俺は自信なかったなぁ。だ、だからって俺より唯笑のが彩花と愛し合ってたわけじゃ……ないよな?

「おばさんだって、どうしていいかわかってないのに……なのにどうして?なんで智ちゃんは平気なの?どうして普通でいられるの?」

「それは……」

 彩花は絶対にあいつのような嘘はつかないからだ!……なんて言える訳がない。 俺にとって、どんなに姿が似ていようが、所作が同じだろうが関係ない。彩花とは芯の部分がまるで違う。それは魂と言い換えてもいいかもしれない。それだけの事。でも、俺にとっては何よりも重要で、それだけで俺が愛し、慈しんでいる彩花と陵が重なることはないんだ。

「智ちゃん?」

 言葉を途中で放り投げ、その先を紡げずにいる俺を涙で濡れた双眸で覗いてくる。

 こりゃ、誤魔化せないな。

 そもそも唯笑を誤魔化すなんて不可能なんだ。なんてったって、俺が自分自身を騙し続けてきた嘘を最初から見破ってた、そんな稀有なやつなのだから。

「悪い、唯笑」

「なんで謝るの?」

「いや、陵を彩花と重ねて見ることは絶対にない。それは断言出来るんだが……その理由が、な?ちょっと言えないんだ」

 それならさ、今の俺の心境を有りのままに伝えるしかない。

「陵のプライベートな事情をひょんな事から俺と信は知ったわけなんだが、それってのがあまり人には言えないデリケートな事でな」

「それは、表面的なこと?」

「心の問題だ。だから、簡単には話せない」

 ほんの少し今の俺の心情と陵の現状を話しただけ。でも、たったそれだけでも唯笑には伝わってくれる。

「そっか、そうなんだ。だから、智ちゃんは平気なんだね。一番大切な部分が違うから……そう、だよね?」

「正解だ。だから、お前も母さんも馬鹿みたいに彩花をあいつに重ねるなよな」

 知らず、俺はギュッとシーツを掌に爪が食込むほどに握り込んでいた。

 唯笑とこんな話をしている所為で、つい本音が出そうになってしまい、それを寸での所で無理矢理に抑える。

 重ねてなんか堪るものか……自分勝手な純粋で周りも、自分をも騙すあいつとなんて……

 口汚い言葉が頭を埋め尽くす。

 今だけだ。今、唯笑と彩花を想っている今だけは本音で心を埋め尽くしたい。今後、今以上に陵を遠ざけてしまわない為に。今だけ、溜まりに溜まっている自分の中の膿をゆっくりと俺は消化していった。

 

 

 耳元で大音量を撒き散らしながら震える携帯。それを条件反射で通話ボタンを押して耳に当てる。

「……くたばれ」

『へぇ~、智也君が起こしてくれって頼んできたから電話したのに、その恩人にいきなりくたばれとか、智也君がそのままくたばっててよ。留年しても良いならね』

 電話の向こうから伊波の声がして、更にテンションが下がる。なぜに朝一で自称イケメンの声を聞かねばならぬのか。

『一時限目から講義なんでしょ?早く起きないと、電車にも間に合わないんじゃないかな?』

 時計を見ると、確かに今すぐに出ないと電車に間に合わない時間だった。

「馬鹿野郎!なんでもっと早く起こさないんだ!ほんとに使えないなお前は!お前の取り柄はなんだ?その甘いフェイスだけか?」

『ふふ、慌てるといいよ。わざとギリギリに掛けたんだからさ。目が覚めたでしょ?ちなみに僕は怒りに目覚めてるけどね。ホームから落ちればいいのに』

「クッソ、覚えておけよ!」

 ベッドから抜け出すと、すでに唯笑も学校に行ったらしく、部屋にその姿はなかった。

 まずいんだよマジで!ギャグで遅れでもしたら本気で留年の危機だ。あの教授、融通が利かんから遅れたら絶対単位くれないんだよ。

 薄手のシャツを羽織って階下に降りると、母さんが声を掛けてきた。

「智也~、ご飯はいいのぉ~?」

「ウィダーあったろ?投げてくれ」

「はいは~い」

 一昔前のイケメンアイドルのCMのように、口に咥えて駆け出す。後ろからは暢気な母さんの声。

「さ~て、ニッコ生の配信のためにお化粧しないと」

 何やってんだよあの人!?

 どんな放送か気になって後ろ髪を引かれるが、それは帰ってから確かめよう。我が母ながらとてもアグレッシブな人だ。

 高校時代と変わらない風景を疾走し、なんとか時間に間に合い、電車に駆け込む。

 はぁはぁと息を整えていると、横からハンカチが差し出された。ふむ、やたら気の利く他人様がいたもんだと感心しながら横を見ると、呆れ顔のかおるが出入り口付近のつり革を握って立っていた。

「おはよ。大学生になってもまだ遅刻してるの?」

「サンキュ。遅刻じゃない、遅刻寸前だ。そっちこそ、この時間に会うなんて珍しいな。社会人にもなって遅刻か?」

「今日は撮った画の編集で、現場に行かなくてもいいのよ」

 ふ~んと適当に相槌。どうせ聞いたって俺にはわからんからな。ジャッ○ーが出るのであれば、なんとしてでも俺も同行するがな。

「ところで、その格好はまずくないか?」

「……なにが?」

 俺がおかしいのかもしれないが、妙にかおるのスーツ姿は扇情的で、男の視線を釘付けにする。下手な女優よりも映えるもんなこいつ。それに、そろそろ……「げっ、混んできたね」

 次の駅に到着すると、雪崩のように人が流入してくる。ぎゅうぎゅうに体を押されるだけなら良いが、男の汗や女性の香水の匂いが混然一体となり、起き抜けの体にはとてもありがたくない。ぶっちゃけ匂いで吐きそうだ。

 仕方ないと、かおるを手で出口の隅に押してやり、背後に俺が立つ形にしてやる。

「ちょ、智也?」

「なに赤くなってんだよ。痴漢対策だっての」

 俺が近くにいるのに、そんなことをされでもしたら、後でどんな恨み言を言われるかわかったもんじゃない。金銭的に余裕のない俺は、謝罪の意として物を請求されても買ってやれない。あっても難癖つけて一文も出す気はないけどな!

 いつもよりも人が多くて、かおるの後ろ髪に少しだけ鼻が埋まってしまう。

 ……めちゃくちゃ良い匂いだな。やっぱり自分で稼ぐようになると、使うシャンプーのランクも上がるのかね。

 周りの汚染された空気を吸うのを避けるため、俺はあえてかおるの髪の匂いを嗅ぐようにしていた。

「あのさ、智也。息が耳にかかってくすぐったいんだけど」

「俺の精神安定のためだ。我慢しろ」

「何よそれ?」

 ぶつくさと文句を言いながらも、決して嫌がらない。さすが俺の高校時代からの親友だな。男女の仲を気にするような俺達じゃない……にも関わらず、車内の室温が人々の体温で上がっているためか、やたらかおるの顔が上気している。風邪じゃないよな?

「ん……今耳に智也の唇が……」

「ああ、悪い」

 電車が止まると、どうしても慣性の法則で体が揺れてしまう。にしても、ほんとに良い匂いだな。ん~、マンダム。

「ねえ?」

「嫌がっても離れないぞ。民衆の匂いが酷くて敵わんからな」

「それは、いいんだけどさ」

 なにやらもじもじと言い難そうにしている。

「その、ね?こんなところじゃ、ちょっと……」

「……は?」

 意味不明な一言に、首を傾げてみる。こんなところじゃって、何一つ伝わらないんだが。

「べ、別に嫌じゃないよ。嫌じゃないんだけど……その、こういうことはもっと段階を……んあ」

 やべぇ、俺の読解力ないしコミニュケーション能力が不足しているのか、かおるの言っていることがこれっぽっちも理解出来ない。妙に艶っぽい声を出すし、心なしか息も乱れているような……心不全か?

「すまん、何を言いたいのか簡潔に頼む」

 以心伝心出来ない不甲斐ない親友ですまない。

「だから、ね?当たってる」

「何が?」

「硬いのがあたしのお尻に、ずっと当たってるの」

「それは携帯だ!」

 心の中で謝った俺が馬鹿だった。とんでもない勘違いに顔を真っ赤にして俯いたかと思ったら、足に痛烈な衝撃を受けた。

「か、かおる、貴様……」

 ヒールで思いっきり足を踏まれ、さすがの俺様も涙目でかおるを批難する。

「ふんッ」

 そうして、かおるは顔の熱が引かないまま、俺が降りるまでずっと不機嫌を顕にしていたのだった。

 途中、とんでもない事を言っていた気がするが、聞かなかった事にしておこうと胸の中に仕舞い込み、大学までの道を走る。

(あ、そういや今日からか……)

 俺の遅刻の危機と比べるとどうしても優先順位が下がってしまって忘れていた。

 俺が今日の講義を終えて帰る頃だな。はてさて、どうなることでしょうね~。一体どのようなビフォアアフターとなるか……CMの後、驚愕の結果にスタジオは騒然!?

 

 

「で、こうなるわけか」

 すっかり土砂降りのトーンが顔に掛かってしまっているアホ一匹が、参考書を見ているようで見ていない状態が、かれこれ一時間も続いている。おお、それと皆さんご安心を。見事俺は遅刻を回避しました!廊下をダッシュし、先を行く教授がドアを開けた瞬間、俺は教授の脇を飛び込み前転ですり抜けて、華麗にホームした。ちょっと、教授が笑顔で「三上君、君はとてもユニークだね」なんて褒めてくれもした。てれりこ。い、嫌味じゃないよな?

 そうして残りの講義も終えて帰ってきて、陵を待っていると、抑揚のない声でお邪魔しますとやってきた。ん~、なんとも予想通りの登場でつまらん。この小娘はもう少し俺のようなユニークさを持てないのか?教授が認めてくれた俺の明るい人間性を少しは見習うべきだ。そうだな、勉強するならまずは俺の内面から人間力を学ぶべきじゃないか?そうすりゃ……

「……どうしよう」

 トビーに脅迫デモを起こされても、その場でラジオ体操を始めるくらいの余裕を持てるだろうに。

 いえね、俺は反対したんですよ?追い詰めるにしても、もっと方法はあるのではないかと。だが、あの性格がひん曲がっている稲穂さん家のなんだかさんは「これがスムーズな手段なんだよ」なんて強行するもんだから。まったく、困ったものだ。素直に俺の『リナちゃんの親族語って、当時の事を涙を流しながら何があったのか問い詰めよう作戦』を実行すれば良かったのに。俺の知り合いの演技派筆頭、西野とととに頼み込めば喜んで協力してくれただろうに。

 何も覚えていない彼氏と、全部知っている陵の前で、必死な親族を装えばどんなに簡単だったことか……脚本はかおるに頼むつもりだったし。完璧だろう。だってプロだし?俺ら苦労する必要もないわけで……謝礼は信に払わせればノープロブレム。

 だのに、トビーを使って別れなければ真実を彼氏に話す作戦とか、野蛮で最低だと俺は思うね。何よりさ!

「……っ!?」

 数分置きに泣きそうになられる俺の身にもなれよ!陰気臭いったらないんだよ!一リットルじゃ足らない涙で溺れんぞコラ!

 あ~、本気でどうすんのこれ?信からはトビーと会った後のこいつをフォローしろって指示されているが、俺に何を期待しているんだよ。自慢じゃないが、俺は唯笑を泣かせるのが得意な男だぞ?慰めるなんてのは専門外。こういうのは信のが得意だろうが。なんだったら、あいつが彼氏から奪っちまえば良いんだ。……無理だな。変なとこ一途だしな、あの雑学王は。

 どうしようかと辺りを見回すと、背中からやけに変な視線を感じ、なんだと振り返る。

「……息子、年下、泣かす」

 ちょいと開いたドアからこちらを覗き、なにやらメモっている変質者がいた。というか母親。

 俺が気付いた事に気付いたのか、グッと親指を立ててきやがった。折りたい、あの親指。

 ネタをありがとうとでも言うように、少量の微笑を残して消えていく。壊したい、あの笑顔。

「あ~!クソッ!」

 頭をガシガシと掻き毟りながら立ち上がり、陵の上着をぶっさいくな顔に思い切り投げつける。

「きゃっ!な、何するんですか!」

「うぜぇんだよいつまでもめそめそと!お前の所為で俺の株価が邸内で暴落してんだよ!」

「ちょ、いつも通りで何を言っているのかわからないんですけど」

「うっせぇ!とりあえず上着を着ろ!」

「はい?」

 要領を得ていない陵を手を引いて無理矢理立たせる。

 このまま家にいたんじゃ、俺がどんなことになるかわかったもんじゃない。階下から……

「ニッコ生のネタゲット~♪」

 社会的によろしくない鼻歌を歌っている鬼母(きぼ)。俺が母だったら、小型カメラを持って部屋の中をリアルタイムで配信する。その程度、どうってことなくやってしまうのが三上家だ。

「今日は課外授業だ。俺の社会的地位を守る為にな」

「ほんとに何言ってるか……あ、無理矢理引っ張らないで下さい~!」

 無駄に粘られるが知ったことか。俺の沽券が秒単位で危ういんだからな!

 母さんが機材を用意しながら、俺が陵を連れて出て行くのを横目に確かめると、俺に聞こえるほど大きな舌打ちをした。あの人、紛れもなく俺の親だわ。自分の肉を切ってでも笑いを取りにいくなんて……だから俺のようなタフで素敵な男の子が育つわけですね。もう、本気で親父のとこに戻ってくれ。

 

 

 車を走らせ着いたのは、銀杏(いちょう)の歩道が近くにある海岸沿い。ちょっとした防波堤があり、そこから見る夕焼けは絶景で、言葉を失うほどの幻想的な景色なのだ。

 車を防波堤傍に止めて、車を降りる。どんよりだんまりの陵にも、顎で降りるように示すと、大人しく車を降りた。

 良かった。また俺が自分を襲うんじゃないかと怯えられるかとも思ったが、そういう気配はない。ここら辺は人気がないしなぁ。一人以外は。

 別に俺はこいつに美しい景色を見せて気を紛らわせようだなんて思っていない。むしろ、俺のささくれた精神を安定させて欲しいがためにここに来た。

 たまに伊波とか出没するから危険だが、奴は今日はバイトで夜遅いから出くわす事はないだろう。

「あの、ここにきて何を?」

 頭に疑問符を浮かべる馬鹿には、黙って途中で買ったあったかい缶コーヒーを渡して、質問をあえて無視して俺は防波堤に腰掛ける例外へと近づく。

 この時期は風が多少強くて、普通はあまり人は寄り付かないが、この子だけは例外だ。この時期は毎日のようにここに絵を描きに来ている。いつか見た金色の海をもう一度その目と、キャンバスに残す為に。

 小さなその子の背中に、自分が来ていた上着を肩から掛けてやる。

「へ?」

 きょとんとしてこちらを見る、可愛らしい瞳。未だに幼さが残っているなんて、ほんとに俺の妹だったら良かったのに。

「や、今日も描いてんだな。でも、もうちょっと厚着しないと風邪を引いちゃうよ、みなもちゃん」

「智也さん!」

 二つに結んだ彩花と同じようにサラサラとした長い髪を揺らし、みなもちゃんは花が咲いたかのような笑顔を見せてくれる。

 伊吹みなも、俺の一つ下の後輩で彩花の従姉妹。難しい病気を患っていたが、三年前に海外で手術を受けられる事になり、術後二年の時を経て帰国。今は来年から美大に通う為に修行中。

「久しぶりだね。ごめんな?ほんとはもうちょっと会いに来たいんだけど」

「そんな……こうして会いに来てくれるだけでも嬉しいです。智也さんに会えるだけで、それだけで元気になっちゃいますから」

「そっか。なら、来れる時はなるべく来るようにするかな。最近は単位がやばくて、レポートやら講義やらで全然時間が取れなくてさ」

「もう。無理しなくて良いんですよ?」

「なんの!俺もみなもちゃんに会えて元気を貰っているんだから。俺の清涼剤だよみなもちゃんは」

「え~、なんですかそれ~!」

「あはは、それだけ癒されるって事だよ」

「じゃあ、私と一緒ですね」

「これぞウィンウィンってね。あ、そうだ。姫に買って来た物があって、じゃ~ん」

 ホッカイロとほっとレモンを取り出して、冷えた頬に当ててあげる。

「わぁ~!あったかぁ~い。ありがとうございます、智也さん」

「なんの。姫の御体をお守りするのが騎士の務めゆえ」

「あはは!またそういう冗談ばっかり」

「冗談なんかじゃないんだなぁ~。俺にとってみなもちゃんは大事な妹だからねぇ」

「えへへ、嬉しいです。智也お兄ちゃん」

 

 

 え~っと、なんですかこれは?

「お兄ちゃんって……良い響きだなぁ!もう一回言ってよ!」

「え~!恥ずかしいですよ~!」

「お願い!」

「もう……智也お兄ちゃん……」

「――最ッ高」

 何を見せられているんだろう?どうやら彼女は三上さんと親しい知り合いのようだけれど、ようするに私が落ち込んでいるからとか関係なく、ただ自分が彼女に会いたかったから来ただけですか、そうですか。

 ていうか、私にはコーヒーだけで彼女にはホッカイロまで用意していたんですね。私とはランクが違うんですね。体どころか心も冷え切っている私の心を凍らせにきましたか、そうですか。

「ところで智也さん?」

「ん?どうしたの?」

「あちらの悟りを開いたかのような目をしている子は?」

「ああ、今わけあって預かっている子供。親父からベビーシッターのバイトを頼まれて仕方なくね」

 今決めた。すぐにでも免許を取ろう。この人をこのまま置き去りにして帰るために。盗んだ車で走り出したい。

「あ、ちょっと凍った笑顔になりましたけど」

「そういう仕様だから気にしなくても良いよ」

 ついにはアンドロイド扱いですか。別に良いんですけど、なんでかな?こう、沸々と熱いものが込み上げてくる。端的に言えば、これが激昂ってやつですね。初めて経験しました、貴重な体験をどうもありがとうございます。あまり、私は汚い言葉を使うことはないけれど、今だけは許して欲しいな。くたばってくれないかなぁ~、目の前の海に飛び込めばいいのに。

「あのー!あなたもこっちに来ませんか~!」

 そう声を掛けてきてくれた彼女の顔を初めて目にすると、そのあまりに儚い愛らしさに一瞬言葉をなくした。

 背後には海に溶ける太陽。その光景にこれほど違和感なく溶け込める彼女の澄んだ存在感に、私は一瞬息を飲んだ……のだけれど、隣のガキ大将のような人が、素直な嫌そうな顔が目に入り、幻想的な気分が台無しになった。

 へぇ~、嫌なんですね?二人の時間を邪魔されるのは嫌ですか~。

「はい、今行きます」

 それじゃあ、遠慮なく嫌がらせをしよう。罪悪感なんてこれっぽっちもない。

 彼女の傍まで行くと、どうぞと手を差し出される。差し出された手を取ろうとして、だけれど躊躇してしまった。

「どうかしましたか?」

「あ、いえ……」

 差し出された指も、袖から覗いた腕も私よりもずっと痩せ細っていて、その手を取っていいものか迷ってしまった。

 正直に言えば、その細さは病的にも思えた。触れたら壊れてしまいそうなほどに。

「おい、姫がせっかく手を差し出してくれたんだ、早くしろ」

「智也さん、あまり女の子に乱暴なことを言っちゃ駄目ですよ」

「親愛の裏返しで意地悪を言ってしまうのが俺なんだ」

「そんな智也さん嫌いです」

「参ったな、みなもちゃんに嫌われたら生きていけないよ俺」

「じゃあ、彼女にももうちょっと紳士で接して下さいね?」

 年上だろう三上さんを嗜め、再度私に手を差し出してくれる。その手に、今度は躊躇なく手を添えて防波堤に登って腰を掛けた。

 違うんだろうなぁ。多分、三上さんは私が戸惑った理由に気付いて、わざと乱暴な言い方をして背中を押してくれたんだ。彼女が気に掛けないよう、配慮した言葉だった。

 腰を掛けて眼前の海を眺めると、角度も高さも違い、さっきとはまったく別な美しさを見せてくれる。その風景に言葉も忘れ、ただただ呑み込まれていく。

「初めまして、智也さんとは……兄妹?親戚?になる予定だった伊吹みなもです。智也さんの一つ下です」

「あ、私は陵いのりと言います。浜咲学園の三年生で、わけあって三上さんのお宅で時々勉強を見てもら……って?います?」

「ちゃんと監視してんだろうが」

 言い方最悪ですね。間違いじゃないのが残念ですけど。

「あ~!やっぱり!そのスカートはそうじゃないかなって思ってたんです。えっと、いのりちゃん?って呼んでも良いですか?」

「あ、はい。敬語じゃなくても全然。伊吹さんのほうが年上ですし」

「ふふ、じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」

 なんて清廉とした笑顔なのだろう。その清らかさを前にすると、自分が惨めに思えてしまう。だって、私には無理だもん……そんなに透き通った笑顔なんて。

 それに、気になったこともある。

 彼女が私に向けた笑顔の中に、どこか親しみと寂しさが混ざっていたような気がした。それがなんなのか、私には知る由もないのだけれど。

「どうだ?めちゃくちゃ可愛いだろう?」

「はい。智也さんの親戚とは思え……あれ?」

「とんだ無礼者だな貴様は。俺の親戚なればこそ「ちょっと静かにして貰えますか?」……泣きてぇ」

 何かを聞き逃しているような気がして、さっきの自己紹介を思い出すと、少しだけ引っ掛かる言葉を思い出した。

「親戚になる予定?それって」

 その先を紡ごうとすると、伊吹さんが三上さんに目配せをして何かを確認しようとした。でも、それよりも早く三上さんの声が私の言葉を掻き消した。

「実は俺の親父がみなもちゃんを気に入ってさぁ!養子にしようかっつってな!でもみなもちゃんにも両親がいるし、なんとか家に引き入れられないかと家族全員で綿密に会議をしたことがあるんだよ!な?」

 おどけた三上さんと、戸惑いながらも笑おうとする伊吹さん。

 ああ、また……これと同じ顔を私は前にも見ている。触れられたくない何かに触れようとすると、三上さんはそう設定されているかのように、自動でおどけて誤魔化そうとする。

 その証拠に、伊吹さんに不自然な目配せをしていた。

「そう、でしたね。あの時は私のお母さんもお父さんも驚いていて大変だったんですよ~!」

「ごめんごめん、俺の家族は突拍子もないので有名だからさ~」

 二人で紡ぐ言葉の中に、どうしたって隠せない郷愁のような想いが見てとれた。

 なぜ、隠せてもいない隠し事をするのかはわからないけれど、三上さんは頑なにその心の内を見せようとはしない。それが他人全てになのか、それとも私個人になのか……別に、三上さんが何を隠そうとどうでもいいはずなのに、モヤモヤしたものが胸に溜まっていくのを自覚していた。

「へぇ~、そうなんですか」

 でも、そのモヤモヤを解放する時はこないと思う。これ以上、私も三上さんも距離を縮めることはないもの。だから、私は適当に返事をして、伊吹さんが描く絵に興味を移した。

「あの、絵を描かれるんですね」

「うん。下手の横好きって言うのかな?絵を描いていると、本当にそこに行ける気がしたり、不思議と気持ちが穏やかになったりするんだ」

「見せて頂いても良いですか?」

「……どうぞ」

 伊吹さんに今までよりも近づき、横からキャンバスを覗く。

「――え?」

 そこに描かれていた風景に私は言葉を失った。

「どうだ、凄いだろ?」

 自分の事のように誇らしげに言う三上さん。

 キャンバスには海原に絨毯のように銀杏が敷き詰められ、黄金色の海原を朝日が照らし出していて、こんなにも心奪われる風景があるのかと目を疑ってしまう。

「私、この黄金色の海を見たことがあるんだ」

 伊吹さんはその光景を思い出すように瞳を閉じ、三上さんも懐かしげに目を細めている。

「こんなに綺麗な風景が、本当に?」

 信じられなくて問い返すと、二人共が顔を見合わせて微笑みながら頷いた。

「夢、だったのかもしれないけれど、私はほんとうにあったんだって信じてるよ」

 もしかして、三上さんもその場に?

「どうしようもなく先が見えなくて、これが最後だって無茶したことがあるの。その時にね、智也さんが私を背負ってここまで連れてきてくれたの。凄く寒くて、眠ったらもう起きれないかもって覚悟して……そんな私を智也さんが後ろから温めてくれて……そうして何時間も二人で海を見ていたらね、私と智也さんの願いをあ……神様が叶えてくれたのかな?数え切れないくらいの銀杏の葉が海を覆い尽くして、朝日がきらきらって照らしたの」

 きっと、二人はその日のことを鮮明に思い出して共有しているのだろう。そこには誰も踏み入ることの出来ない絆があった。

「まあ、あれから一度も見れていないけどな。そんなことがあって、この時期はみなもちゃんはここで絵を描いているってわけだ」

「まだ時期は早いんですけどね」

「いいじゃんか。いつ見れるかもわからない景色だしね。そんで俺もこの時期は良くここに来たりしてる。俺ももう一度見たいからな」

 なぜだろう?今坂さんといる時と似たような空気を感じる。彼女もまた自分の家族だとでも言うかのような。

 ううん、そうじゃない。三上さんにとって、伊吹さんは家族なんだ。どんな関係があるのかは想像も出来ないけれど、間違いなく三上さんにとっては妹同然な存在なんだ。

 二人の空気に当てられ、車に戻ろうとも思ったけれど、少し腑に落ちないこともある。

「そんなことがあったんですね。三上さんには似合わない素敵な思い出じゃないですか」

「そんなに突き落とされたいかぁ?」

「それはこっちの台詞です。なんですかこの扱いの差は!?私も年下じゃないですか!」

「貴様と天使のようなみなもちゃんを一緒にするな!あまり生意気な事を言うと本当に落とすぞ!」

「やれるものならやって、いやああああぁぁぁ!!どこ触ってるんですかぁぁぁぁッ!?」

 背後から両脇に手を差し入れられて持ち上げられる。セクハラですよねこれ!?

「変態です!セクハラですッ!」

「貴様に色気なぞ早いわ小娘!ほ~れほれ!謝らないと時期はずれの海水浴を楽しむことになるぞ~」

「そんなこと出来るわけって、左手の力緩めないで下さいよーーーー!」

「ギャグは本気でやるから面白いんだろうがぁ!」

「智也さん!駄目ですよーーー!」

「伊吹さん助けてください!本気です!この人本気で落とすつもりです!」

「ふはははは、後三十秒の猶予をやろう。早く謝ることだなぁ!」

「い~やあああぁぁぁぁッ!!」

 最低セクハラ行為は本当に私が泣きそうになって謝るまで止まることはなかった。断言します。絶対この人はこの先一生独身です!間違いありません!

 

 

 

 人がまばらな公園。夕日で見えない表情。見えなくてもわかる顔。侮蔑と蔑みと憎しみ、それら負の感情全てが綯(な)い交ぜになった顔。

『お前、凄いよな?どんな神経してりゃあ、あいつと恋人になれるんだ?』

 声だけでわかってしまうソレを直視する勇気を持てず、ただ俯いて時が過ぎるのを待つ。

 受け止めなければいけない義務があるはずなのに、私は純粋な悪意に怯え、受け止める覚悟を持てずにいた。

『教えろよ?どんな気分だ?あいつの代わりに得た幸せってやつはよ?』

 や、めて……そんなこと、自分が良くわかっている。今更あなたに言われなくたってわかりきっている。

『どうだよ?何もかも忘れたあのクソと、それ以上の厚顔を曝すお前……そいつはどんな幸せなんだ?……笑えるな』

 嘲(あざけ)り笑い、はっきりと見下される。私の想いを下らないと容赦なく殴りつけられる。

『あいつの存在を踏み躙って手に入れた幸せはちゃんと美味いか?なあ、おい?』

 喉がカラカラに渇いて言葉が出ない。私だけが空気が吸えなくなってしまったように息苦しい。

『……チッ、さっきから黙ってんじゃ……ねぇぞッ!!あッ!!』

 悪く、ない。この人の言っている事は何一つ間違っていない。生きる事を諦め掛けてた一蹴を助けたい……そんな綺麗事で、自分の犯した罪を覆い隠して、その罪を今もずっと犯し続けているんだから。

 でも……それでも私は……

『そうか、テメェはあくまで俺の言葉を聞くだけのつまらねぇ人形になるつもりか。俺の気が済むまではって……随分舐められたもんだなぁ』

 しょうがないじゃない。だって、私にはあなたに責められる以外に何も出来る事なんて……

『馬鹿か?こんなもんで俺の気が済むわけねぇだろうが。……二週間だ』

『……え?』

 彼の目を見ないように顔を上げると、その口が酷く恐ろしく歪んでいた。

 その悍(おぞま)しい気配に、背筋が凍りついた。

『お前に与える期間、執行猶予。お前から別れるか、それともあいつに俺が真実を告げるか……ああ、それともお前があいつに罪を告白するでもいいな。あのクソがどんな表情(かお)をするのか……そうだな、それでいい。二週間以内にお前があいつに罪を告白しろ』

『な、にを……』

『はっ、優しいだろ?別れろってのは撤回してやるんだからな』

『そ、そんなこと出来ないッ!!』

 先ほどまで恐怖で動かなかった口が、目の前の存在以上の恐怖に突き動かされて動き出す。

 それだけは絶対に許容出来ない。どんなに恨まれ、罵まれたとしても耐えられる。だけど、一蹴に真実を知られるだなんて……想像もしたくない。

『お願い、私はどれだけ責められても構わない!でも一蹴には何も言わないで!悪いのは私で、一蹴は何も……何も悪くないの!』

『……なるほど、な。真実を知られたらどうなるか怖いか?……反吐が出る、が良い表情をするじゃねぇか。決めたぜ。お前が自分から告白するか、それとも期間が過ぎて俺が真実を言うか……この二択だ』

 世界が真っ暗で何も見えなくり、足元さえも脆く崩れ去りそうで、私は力なく膝をついた。

 どうしたら、良いの?

『そこまでショックを受ける事かよ?お前がやった事に比べたら、大分優しいはずだろ』

 一蹴がもしも思い出してしまったら、一蹴は私をどんな目で見るの?

 考えただけで、震えが止まらなくなる。

 だ、め……そんなの絶対無理だよ……そんなの、私……耐えられない……けど、それならどうしたらいいの?どうすれば彼は満足する?

『わ、別れます……から……』

『あ?』

 そうだ。私がもう二度と一蹴に近づかなければ、一蹴に知られる心配なんてない。

 もう、髪を弄ってくれなくても良い。もう、寝ぼすけな私を起こしてくれなくても良い。もう、ご飯を作ってあげられなくても良い。もう、私のなぞなぞに付き合ってくれなくたって良い。もう……もうッ!好きだなんて甘えさせてくれなくても良いッ!

『だか、ら……もう二度と一蹴には近づかない。約束、します、から』

 血の滲む言葉を吐き、目の前が霞んで見えなくなりそうな私の肩に、飛田さんの手が置かれ……

『残念だなぁ、陵。俺は、お前が心底嫌いだ。そんな俺がお前の絶望が何かしっているってのに、そいつを実行しないわけねぇだろ?』

 死神の最終宣告が告げられた。

 今度こそ、世界が崩れ去った。私が守りたかったたった一つの想いは、この瞬間に音を立てて粉々に砕けてしまった。

 もう、何も見えなくて、自分の体までもが壊れてしまいそうなほどに、心が引き千切られる。

 どう、してこうなっちゃうんだろ?

『うん、やっぱマイホームはこれぐらいは欲しいな』

 私があの時、りなちゃん……あなたに成り代わってしまったから?

『城下町があって、やっぱ家はハイデルベルグ城がいいか』

 その報いが今になって私を……

『おお、カメ吉の家も用意しないとな。そうだな、首里城でいいかカメだけに』

 わ、私を……うん、ちょっと待ってね私。

 さっきから飛田さんの後ろに見える砂場で、見知った人が年甲斐もない事をしているのは何?

『そうだ、信と唯笑の小屋も用意してやろう。俺様は慈悲深いなぁ』

 いやいや、突っ込みどころがありすぎですよね?なんで和風な城下町に洋風のお城なんですか?というかあなたはいつから皇帝のような地位になったんですか?しかもカメ吉ってわけがわかりません。なんでカメに首里城なんですか。何も掛かってないですし、普通は竜宮城ですからね。今坂さんと稲穂さんの家は小屋って、ヒエラルキー狂ってますから。

 あれあれ?昨日の出来事に関係ないのに、しれっと出てくるの止めてくださいよ。意味わからないです。

『ん~、あとは~……小娘の住む竪穴式住居もだな』

 

 

 

「せめて長屋にして下さいッ!!」

 はぁはぁと息を荒げながら私は目を覚ました。

 ゆ、め?いや、夢なんだろうけど、夢にしたってどう考えても登場人物にミスがある。一蹴ならともかく、なんで三上さんが通常運行で出演するの?おかげで……

「馬鹿、みたいじゃないですか」

 あれだけ怯えて不安に苛まれていた心が、めちゃくちゃに掻き乱されてわけがわからなくなっていて、自然と私は笑っていた。

 窓から射し込む陽光に手を翳して、昨日までの自分を笑う。

「どうにもなんない問題なら開き直れ……か」

 まったく、人の夢にまで出てきてなんて迷惑な人なんだろう。

 それでも、少しだけ気持ちが楽になってしまうのだから、変な人だよね。

 今なら、一蹴の前でいつも通りの私でいられるような、そんな気がした。

 

 

 

 今日は家庭教師の日じゃないから、一蹴にご飯を作って上げられる日なんだけど、昨日のことがあって一人になりたくなくて、一蹴にお願いして『ならずや』でお仕事が終わるまで待たせてもらった。

「いらっしゃいませ」

 ドアが開く度に聞こえる一蹴の挨拶、注文を受け付けている時の営業スマイル、なによりそのウェイター姿がもうもうもう!カッコイイ!

 今度一蹴に一日あの姿で一緒にいてくれないか頼んでみよう。それがクリスマスプレゼントでも全然構わない。むしろ希望します!

 きゃ~ッ!なんて妄想していると、一蹴が近寄ってきて、アイスティーを注いでくれる。

「待たせてごめんな。つまらなくないか?」

「ううん、全然平気だよ」

 働いている好きな人の背中……萌えるよぉ。

 顔を赤くする私に首を傾げる一蹴。すると、ドアが開いて二人のお客さんが入ってきた。

 そのお客さんを見て、一蹴が小さく「げっ」なんて言っていたけれど、私はそんな一蹴に気付かずに幸せに浸っていた……浸るよりも隠れるべきだったのに。

「あら、智也君と健君。いらっしゃい」

「只今帰還致しました、静流様」

「普通に入りなよ智也君。大学生がみんな馬鹿に見られちゃうから」

「それは何か?俺は馬鹿だと言いたいのか?」

「紙十重位のね」

「静流さん、マスタードとケチャップお願い。こいつの目をホットドッグにするから。さあ、一刻も早く!」

「はいはい、あとでいくらでも。静流さん、僕にはコチュジャンとXOジャン下さい」

「二人とも仲が良いのはわかったから、大人しく座ってね。お客様の邪魔だから」

 聞き覚えのある声と名前にそちらを見ると、憧れのほたる先輩の恋人の伊波先輩と、そんな優等生で大人な伊波先輩と同年代とは思えない子供、三上さんが静流さんと仲良さげに盛り上がっていた。

「最悪だ」

 私の隣に立つ一蹴ががっくり肩を落としている。

「ど、どうしたの一蹴?」

「いやさ、あの人いるじゃん。先輩の隣の。あの人、すんげぇ面倒臭いんだよ。無茶な注文したり、適当なクレームつけたり……何度キレかけたかわかんねぇくらいだ」

「そ、そうなんだぁ~」

 ごめんね一蹴。私は何も悪くないけど、その人一応私の面倒を見てくれている変な人なんだぁ。ていうか外でも通常運行なんですね三上さん!?少しは自重しましょうよ!

 言えない。絶対に一蹴には三上さんの家で勉強をしているなんて口が裂けても言えないよぉ~。

 こ、ここは私がいることをバレないようにしないと。

 メニュー表立てを私の顔が見えないような位置に移動させる。あとはさりげなく退店すればセーフだよね。

「いのり、なにしてんの?」

「一蹴、今だけは私を気にしないで」

「めちゃくちゃ気になるんだけど」

「えっと……い、いのりちゃんのなぞなぞた~ぃ……」

「今まで以上に唐突過ぎる!」

 自分でも挙動不審なのはわかっているけれど、しょうがないの一蹴。だって、何をするかわからない人で制御不能なんだもんあの人。せめて知り合いだって事だけでも知られないようにしないと。

「お~い、そこのイケメ~ン。オーダー」

「……少々お待ちください」

 どうやら一蹴の癪に触るらしく、営業スマイルに罅が入っていた。

 何を言っているの三上さん。一蹴がイケメンなのは当たり前なんだから、一々言わなくても良いんですよ。えへへ。

「ごめんね鷺沢君。迷惑だったら店から蹴り出すから」

「何を言っているんだ。内心イケメンって言われて喜んでいるに決まっているじゃないか。なあ?」

「……はあ」

「ほらな、こんなに喜んでる」

「智也君の目は賞味期限が切れているみたいだね。新しいの買ったほうがいいよ」

「は、はは……(先輩、今すぐに蹴り潰して下さい!おねがいしゃすッ!)それで、ご注文は?」

「伊波の所持金目一杯で買える物全部」

「智也君の生命保険でこの店を買おうかな」

 す、凄いですね三上さん。あの温厚な伊波先輩が三上さんにだけ容赦がないですよ。先輩の背中にそこはかとなく阿修羅が見えますし。

 どうやら、三上さんと接していると容赦なくなるのは私だけじゃなかったみたい。

「智也君、健君。いい加減にしないと……ね?」

 二人がいつまでも注文をしない事に業を煮やした心優しい店長代理が、私が今まで見たことのない鬼も泣き止む笑顔をしていた。

「あ、謝るので、あの拷問は伊波だけでお願いします」

「主犯は智也君でしょ」

「……ご注文いいっすか?」

 あ、本格的に一蹴が苛立ってる。怒ってる顔もカッコイイなぁ~。

 なんて惚けている私に那須与一も驚くような矢が放たれた。

「そうだなぁ~。じゃあ、アメリカンを一つ。そこで隠れているようで隠れていない小娘の奢りでな」

 しまった。カウンター席とテーブル席の高さの違いを計算に入れてなかった。

 つまり、テーブルにいる私は先輩と三上さんの身長だとばっちり見えていたわけで……えっと、こういう時はなんて言うんだっけ?……ああ、そうだ。

「……オワタ」

 だっけ。

 

 

 

「は?え?」

 事情が呑み込めずに目を白黒させるイケメン。挙動不審な店員だな。情緒不安定かな?

「おい、なに隠れてるんだよ小娘。尻が隠れてないんだよアホが」

「い、いのり?」

「……ん?」

 店員が陵の名前を呼び捨てにするだと?おいおい、どんな教育をしているんですかねこの店は。店長を呼びたまえ!美しく気立ての良い店長を!

「こらこら、年上を無視するとはとんだ小娘だな。早く出て来い。故郷のお母さんが韓流ドラマを観て泣いてるぞ」

「それ私を思って泣いてないじゃないですか!……あ」

「ふっ、餌に引っ掛かったな」

「……陵さん、知らない振りしていればいいのに。良い子すぎる」

 思わず突っ込んで口を抑える陵と、何がなにやらわかっていない美人とイケメン。ちなみに、俺もわかってないんだけどな!人間関係面倒臭いなこの空間!

「ど、どういうことだよいのり?」

「てか、なんでこのイケメンは陵を呼び捨てにしている?不敬罪で打ち首になるぞ」

「あ~、智也君知らなかったんだ」

「なにがだ、イケメンじゃないイナケン」

「あはは~、片方潰すよ~」

 な、ナニをですか?

「あのね智也君。彼なんだよ」

「お前の?」

「脳を日干ししなよ、腐ってるから。そうじゃなくて、陵さんの彼氏が彼なんだよ」

 ……ふむ、つまりだ。

「俺の下僕が一人増えたって事で良いんだな?」

「あ、もう手遅れだったみたいだね、生まれ変わるしかないよ」

 お前の毒のが手遅れだよ。ボケる度に俺の心が腐っていきそうだからな。

 なるほどねぇ~、これが彼氏、ね。小娘のくせに生意気な。こんなイケメンが彼氏だと?ぼかぁ~、こんな不条理な世界にぃ~、異議を唱える所存であります~!

「一蹴……その、ね?とても、と~~~~~~~~~~~~~っても遺憾なんだけどね、実は私がお世話になっている人なの」

 どれだけ感情を溜めたんですかね。格ゲーのメーターだって振り切れちまうだろうよ。

「お世話にって、前に言ってた勉強を見てくれているってやつか?」

「……不本意ながら」

 どれだけ年上の俺を虚仮にしちゃうのあの子。

「この!ちょっとアレな男が!勉強を!?」

 それは、こんな聡明そうな俺が陵を相手にしているなんて信じられないって意味かな?うん、違うな。こいつ、本気で俺の学力を疑ってんだ、間違いねぇ。

「静流さん、俺泣いていいかな?」

「いいけど、その前に智也君」

「なんでせうか?」

「私も聞いてなかったのだけれど、いのりちゃんとお勉強をしているってどういうことかしら?」

 え~、なんで静流さんまで面倒な事になってんの~?

「これ、もう収拾つかないよねぇ」

 ただ、知り合いを見かけたから俺流の挨拶をしただけなのだが……

「いのり!本当に何もされてないか!?」

「……されてない、かな」

「何で間が開くんだよ!」

「そうだ!はっきり勉強をしっかり見てもらっていると事実を言え!」

 虚ろな目が俺を捕らえてくる。この前の料理のことをまだ根に持っているらしいな。

「智也君!いのりちゃんに何をしたの!何をしているの!」

「いのり!正直に話せ!お前が傷つけられたなら俺が、俺があの男を駆逐してやるから!」

「智也君!」

「いのり!」

「もしもし、ほたる?今ね、凄く面白いネタが目の前にあるんだけど……うん、ちゃんと撮ってるから。後で送るね」

「最後の待てや!国境飛び越えてなにしくさってやがる!」

 俺は静流さんに、陵は彼氏に問い詰められ、俺も陵も相手から目を逸らし……

(え~、なにこの茶ば~ん)

 奇しくも同じ思いを共有したのだった。

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