瞼の裏に陽射しの眩しさを感じ、重い瞼を気怠げに上げると、いつもの風景とは違っている事に、ぼ~っとする頭でぼんやりと不思議に思った。
毛布を被りながら、ゆっくりと起き上がって息を吸うと、どこか落ち着く匂い。
何度かその匂いを嗅ぎながら、少しずつ昨夜の事を思い出していく。
えっと、昨日は確か、私……
「三上さんと稲穂さんと一緒の部屋にいて、それで三上さんに……みかみ、さんに?」
ボンッ!なんて音と共に頭から煙を噴出してしまいそうになる。カァ~ッと頬が熱くなって、毛布を被って顔を覆う。部屋の中には私しかいないけれど、あまりの恥ずかしさに顔を隠さずにはいられなかった。
「~~~~~~ッ!?」
三上さんのベッドの中でジタバタ足をバタつかせ、ごろんごろんと七転八倒。
なななな、なんて事を私はやらかしてしまったのぉ~~~~ッ!!
一晩中三上さんに抱きついて泣いて、泣き疲れるまでずっと髪を撫でられててッ!別に三上さんは私の兄でもなんでもないのにッ!
それに、いつの間にかベッドで寝ていたってことは、きっと三上さんが寝かせてくれたんだ……どうしよう、記憶がない。
「ほんとに小娘だよぉ、わたしぃ~」
三上さんも稲穂さんも呆れたよね?こんな醜態を晒すなんて……
「穴があったら冬眠したい」
そうして二人の記憶から昨夜の事が消えるまで起きないでいたい。
そういえば、二人の姿が見えないけれど何をしているんだろう?
『智也!余計な手出しするなよ!あ、止めろって!俺のコーンスープが真っ赤にぃぃ~~~~ッ!!」
『じょうね~つの、まっかなペ~ッパァ~♪』
『ふざけんな!お前が飲めよッ!俺はまた新しくって、全部にレッドペッパー投入するなよッ!』
『果て無き荒野を逝こうぜ?』
『お前だけ逝けよッ!』
見なくてもわかった。多分朝食?を用意しているんだ。今日は休日で、三上さんも私も学校がないし、稲穂さんも午後から仕事なのかも。
机の上の時計を見ると、正午近く。朝ですらなかった……
私の日常にはなかった騒がしい声。だけど、煩わしさなんか感じなくて、むしろずっと聞いていたい気持ちになる。
どうしてかな。多分、一人だったら私は見るも無残に沈んでいた。一言も喋らずに、無為な時間だけが過ぎていったはず。でも、今はなぜか気持ちがすっきりとしている。
「もう、嘘なんてつかなくても良くなったからかな」
それとも、私の中の真っ黒な膿を、三上さんが全部洗い流してくれたから?多分、その両方だ。
「……ほんと、変な人」
何も考えていないように振舞って、その実誰よりも人の心を優しくしてくれる。こんなにも一蹴以外の誰かを信じる事が出来るなんて……悔しさよりも、心地よさが勝ってしまう。
不意に込み上げる、小さな笑み。
そう、だね。まずはちゃんと言わないと。私が自分で嵌まって抜け出すことを諦めてしまった、深く暗い底なし沼から救ってくれたことを。
よしと気合を入れて、私はあの幸福色の喧騒の中へと一歩を踏み出すのだった。
「おはようございます」
「こんにちわだろ。どんだけ寝てんだよ」
「おはよういのりちゃん」
少し寝癖のついた髪をそのままに、すこしだけ恥ずかしそうに起きだした陵を、俺と信で適当に迎え入れる。
ていうかさ、寝坊スキルは俺の特権じゃなかったのかよ?軽く俺を凌駕しやがって。嫉妬するわ。
少し焦げたトーストを齧りつつ、俺特製コーンポタージュに舌鼓を打つ。意外に旨いな。少しピリっとした刺激が良い感じだ。
「あの、三上さん?」
入り口に突っ立ったままの陵がいきなり俺に頭を下げてきた。
「昨日はとんだご迷惑をお掛けしてすみませんでした!」
昨日?ああ、俺様のベッドを占領したことか。
「まったくだお前の所為で俺は身体が痛くてかなわん」
「嘘つけよ。お前めちゃくちゃ熟睡してたじゃんかよ」
俺と信は床で寝たわけだが、毛布が一つしかなくて二人で取り合った結果、俺が勝ち取り、信はクローゼットからコートを取り出して、それを毛布代わりにして寝ていた。固い床で寝るとかマジで地獄な。
「えっと、それもですけど、その……そうじゃなくてですね」
それ以外となると、俺のシャツをぐしゃぐしゃに濡らしやがった事か。シャツはついさっき、信がアイロンを掛けてくれたから平気だ。最初は俺がチャレンジしたのだが、どうにも変なところに折り目がついたりして、見かねた信が俺からアイロンを奪って、今は窓辺に干してある。
「んなことは良いから、お前はとりあえず顔を洗ってこいよ」
「そうだな。目、腫れて赤くなってるからさ」
あれだけ泣き続ければ当然だな。今日一日出かけるのは控えたほうが良い。
「あ、それじゃあお言葉に甘えて。それとですね、一応菫さんにも挨拶をしたいのですけど」
「ああ~、母さんなら夜中からいねぇよ」
「そうなんですか?」
「多分、おばさん……唯笑の母親と雀壮に行ったから、唯笑の家で今頃爆睡してるはずだ」
「だからいなかったのか。ていうか麻雀かよ」
「馬鹿にすんなよ。あの人、一応プロだからな」
「おばさん何者だよッ!?」
それは俺も知りたい。色々な資格を持っていて、絶対に役に立たないだろうっていうものをいくつも持っている。我が親ながらバイタリティに富んだ人だ。
「そうなんですか」
「だからあの人の事は気にしなくて良いから、とっととその不細工な面をなんとかしてこい。見苦しい」
シッシッ、と手で追い払うようにすると、信が女の子に対して最低だな。なんて文句を垂れてくる。本当のことを言っただけだろうに、何がいかんのじゃ。
俺のいつもの雑言に、何か言い返してくるかと陵を横目で見ると、言い返すどころか穏やかに微笑んでいた。
「ふふ、ありがとうございます。すぐにいつもの私に戻りますから、待っててくださいね」
「お、おう」
洗面所へと消える背中を見送りながら俺は……
「気持ちわりぃッ!!」
鳥肌が起立なされた腕を擦った。
「あいつに何があったんだよ!キャラ変わりすぎだろ!もはや別人だぞ!」
「まあ、俺も驚いたけれどさ、彼女の気持ちもわからなくはないかな」
「どういうことだよ?」
「つまりさ、いのりちゃんはわかったんじゃないか?お前の言葉が自分を気遣っての事だって。心から信じられる存在っていうか、お前はあの子にとってそういう家族のような存在になっちまったんじゃないか?」
誤解も甚だしい。俺はあいつの面が見るに耐えないから、悪態をついただけなのに。
不貞腐れる俺を、信が面白そうに眺めてくる。
「はは、邪険にしてやるなよ。それにさ、さっきまでのいのりちゃんは多分もう見れないかもしれないし」
目を伏せて言う信に、俺も窓の外の穏やかな風景を眺めながら、そうだなと応える。
今の陵なら俺の挑発的な言葉を全て笑顔で受け入れてくれるだろう。それだけ、俺はあいつの心の奥深くまで踏み込んでしまった自覚がある。陵は心から俺を信じ、俺のやる事全部を笑顔で受け止めるはずだ。今のままなら、な。
そうして、無言だけれど穏やかな空気が流れる俺達の時間……
「い、イヤアアアアアァァァッ――!!」
それを小娘の悲鳴が見事にぶち壊した。
はい、気持ち悪い小娘終了のお時間で~す。
だだだだだと煩い足音が聞こえたかと思えば、ドアを蹴破るかのような勢いで陵が入ってきて、ヤンキーのような形相で俺の胸倉を掴み上げてくる。
「三上さん?」
「お前、今度は逆ベクトルなキャラ崩壊したな」
聖母から地獄の門番にメタモルフォーゼしちゃったか。これも俺の成せる技か。
「何か言う事はありませんか?」
「ブラ付けてないのか。襟元から覗けるから注意しろよ」
「ふふ、ふふふふふ……死にます?」
やべぇ、こいつと出会ってから今が一番キレていらっしゃる。
「まあまあ、いのりちゃん落ち着いて。俺達は悪気があったわけじゃ」
「稲穂さんも同罪です。連座制って知ってますか?」
「はい、すみません」
信雑魚いなおい!もう少し粘れよッ!
「ええ、悪気はなかったのかもですね。ギャグならなんでも許されるわけじゃないんですよ?」
「身体張るのは芸人として当然だろうが」
「私は芸人を目指したことなんて一度もありません。どうしてくれるんですかコレッ!?」
端から見たらキスをしていると誤解されかねない距離まで顔を近づけてきやがる。
おい止めろ、それ以上顔を近づけるんじゃない!吹き出しちゃうだろうがッ!
は~い、まずはこの三上画伯が説明しますよ~。まず、小娘の額に描かれているのは、キャンプファイヤーをする人々。学生の頃の思い出を描こうと、信のリクエストで俺が描いきました。次に両頬に注目して下さ~い。左には制服姿の女子学生、名前はしおりん。右側にはどこにでもいる普通の男子。そして、真ん中の鼻には伝説の樹。ここまで言えばわかりますね。学生といえば恋愛。恋愛といえばどきめも。ええ、俺は陵の顔で学生の淡い思い出を描いたのです。ちなみに、ちゃんと気遣いもしています。目が腫れぼったかったので、油性ルージュでコーディネイトしてみました。うん、カオスな感じがとても芸術性を感じさせますね。以上、三上画伯のアート講座でした。
「ん~、もう少しピカソに近づけたほうが良かったな。すまん」
「もっと根本的な事を謝って下さいッ!!というか、よく平然と会話していられましたね!?」
がくがくと強烈に前後に揺すぶられ、軽く吐き気を催す。
こいつめ、これだけの大作の何が不満だと言うんだ?
「謝るだぁ?謝るのはお前じゃボケッ!いくら起こしても起きないで、アホ面でグ~グ~寝やがって!鼻提灯なんて初めて見たわ!」
「うう、嘘を言わないで下さいッ!」
「言ってません~!お前、何回あと五分って言って俺と信を跳ね除けたと思ってんの?ていうかそんだけ描かれて起きないほうがおかしいだろうがッ!」
「そうかもしれないですけれど、だからといって女の子の顔に、こんな意味不明な落書きをするほうが重罪ですからね!しかも筆ペン使いましたね!」
「うむ、筆には拘るタイプでな」
「あ、駄目です。もう駄目ですコレ。私の堪忍袋キャパシティオーバーしました」
「お、おい、何を持って……馬鹿それ以上近づけたら洒落にならんッ!や、やめッ!タバスコ~~~~~~ッ!!!!」
熱い熱い熱い~~~~!目にタバスコが~~~~!真っ赤な涙が止まらねぇよ!
「次はコレで良いですかね?」
「次ッ!?次とかもうねぇからッ!これで気は済んだだろうがッ!」
涙で滲む視界の所為で、陵が何をしようとしているのか皆目見当がつかず、じたばたと手を暴れさせる。だが、その隙間を縫うように陵が俺の鼻に何かを差し込んできて、その物体を力強く握り締める。
「って、こえわはびぃぃぃぃぃッ!!!!」
堪らず俺は椅子から転げ落ちて、苦悶に七転八倒。うっすら見えた信の足がめちゃくちゃ震えていた。
「い、いのりちゃん、その位で許して」
「稲穂さん、もう少し待っていて下さいね。次は稲穂さんですから……ね?」
「もう二度としませんすみませんでした」
信の土下座を見下ろしながら陵が冷笑。
こうして、深窓の令嬢のような陵は露へと消えたのだった……
目がぁ、目がぁ~ッ!とでもついやりたくなってしまう事件の後、陵を涙目になりながら家まで送り届けた。よく事故を起こさなかったと自分を最大限褒め称えたい。そんな目の痛みが引く頃に、俺は大学のとある委員会の集まりが行われる教室へ来ていた。
中では活気に満ち溢れた声がいくつも飛び交い、中だけではなく外も走り回る奴が多くいる。
大学がなぜこれほどに活気に溢れているのか、その理由はどこの大学も同じだと思うが、千羽谷大学祭、略して千羽祭が一週間後に差し迫っている所為だ。
この時期になると、二年と一年が主導で動くため、やたら若い顔が疲労により老け込んでいて、逆に三年と四年はあんな時期も私達にはあったよねと、年金暮らしの年寄りのように穏やかとなる。
特に、千羽祭実行委員は三徹なんて当たり前の、締め切りに追われた作家のような形相で仕事をしているものだ。そんな彼らを労おうと俺は手土産を持ってきた……なんて殊勝な事をするつもりは毛頭ない。むしろ、この時期はここをキープアウトして人外魔境に誰も近づけないようにしたい。安倍清明でも呼んじゃう?
とまあそんな禁忌の場所になぜこの俺様がわざわざ足をお運びなさったかと言えば、なんとこの委員会の今年度委員長様は、この俺の忠実なる配下である西野なのだ。ええ、実はわりとリーダーシップがある子なんですよ。やれば出来る子があいつの座右の銘だからな。
さてさて、それじゃあちょっくら軽く用事を済ませちゃいましょうかね。
コンコンココンコ~~~~~~ン♪と軽快にノックをすると、中から誰だゴラァッ!!修羅に入る覚悟あんだろうなテメェッ!!等といった、素晴らしい歓迎の声。やべぇ、帰りてぇ。
少し待つと、チッとドア越しでもわかる舌打ちを打つ西野とご対面。うん、修羅の顔だこれ。圓明流の後継者と見紛うばかりですな。
「よお、忙しいところ悪いな西野。実は折り入って相談が「ノートも金もない。消えろクソ野郎」……荒廃しすぎだろ」
いつもはもうちょっと紳士な西野が、モノホンにジョブチェンジしていた。確実に何人か殺っている眼だなおい。
「いや、俺も帰りたいのは山々なんだが、そうもいかない事情があってな」
「知るか。帰って今坂さんとリア充ライフしてろ。くたばれハーレム野郎。魂ごとこの世から失せろ」
「何があったらそんなキャラ崩壊が起きるんだよ」
「ほお、知りたいか?知りたいのか貴様、ああん?」
「い、いや、聞きたくはないが、ていうかお前怒ってる?」
「ははは……言わなくても分かれよ」
あっれぇ~?何か西野を怒らせるような事をしたっけ?西野の元彼女に間違って西野と俺が裸踊りをしている動画を送ったり、西野が後輩の女の子に抱きつかれている画像を見せてしまったりしただけなんだが。
「それは高校時代の黒歴史で今は関係ないよな?ていうか、委員会の後輩達がいる前でなに言ってくれちゃってるのお前!」
「あいたたたたた、つい呟いちゃってたか。すまん」
「めちゃくちゃ大声だったけどな!」
「あの後彼女にコーラを頭からぶっ掛けられたのは良い思い出だよな」
あの時の蜘蛛を見るかのような冷めたあの子の眼は今でも忘れられない。
「わかった、相談には乗ってやる。だからそれ以上俺の黒歴史を暴露するな!ていうかそもそも俺が怒ってる理由はそれじゃない!まあ、怨んではいるが」
「漢字が怖いやつじゃねぇかよ」
「あのな、一ヶ月前に俺が頼んだ事覚えているか?」
はて、一ヶ月前に頼まれていた事?西野に頼まれていた事ねぇ~……ああ、そういえば。
「唯笑のブラを貸して欲しいって話だったよな!」
「とんでもねぇ捏造話は止めてくれねぇかなぁッ!」
教室内の後輩達がざわついて、ひそひそ話をしながら西野を見ていた。愉快愉快。
「違うだろ!お前と伊波にステージでのMCを頼んでただろうが!」
「あ、そっちか」
「それしかねぇんですけどね!何もう片方もあったみたいな言い方してんの!?」
確かに頼まれていたような記憶がないでもない。スター性に富んだ俺様を抜擢するあたり、さすが俺の配下だと思い、たまには配下の進言を聞いてやろうと快諾したはず。俺って器がでかいなぁ。
「次の日にはすっかり忘れていた。悪いな」
「全然悪いなんて思ってねぇだろ!打ち合わせにも来ないで進行どうすんだよッ!」
「どうも何もちょうど良いな」
「何が!?」
そんなポジションに俺がいたなんてまさに天啓……いや、過去の俺はこうなる事を既に予見していたに違いない。さすがだ。惚れる。
「いやな、実はすこ~し千羽祭のプログラムの事で相談があってな」
「……待て、それは今の俺を更に酷使しないと誓える内容か?」
「……………………当たり前だ」
「俺の目を見て言え」
だって、聞いたら絶対こいつ反対するもん。まあ、反対を賛成に変える切り札がこっちにはあるわけだが。
「まあまあ、とりあえず俺の話を聞いてからどうするか決めてくれ」
心底嫌そうな顔をする西野の肩を引き寄せ、後輩達になるべく聞こえないように俺達の計画を耳打ちした。
「……マジか?」
「マジだ。信がそっちで動いて既に快諾されている」
「いや、それが本当なら願っても無いが、その条件が正直かなり際どいぞ」
「何がだよ」
「そりゃあ、こっちだってゲストは既に用意しているしな、それを今更キャンセルになんて出来るわけないだろ」
「別に断らなくても良いだろ。そっちはメインでやって、こっちは後夜祭をプロムにしてやっちまえば問題ない」
「いやいや、そもそもプロムを今から準備するのだって、時間と人手と経費が……」
「それも解決出来る。必要に見せて不必要に金をせしめてる部活とサークルがあるからな。そこからすこ~し協力してもらえばいい。なるべく穏便に、向こうから協力するようにな」
「お前、いつのまにそんな証拠を?」
「俺と信の顔はワールドワイドなんだよ。知らなかったのか?」
「知りたくもねぇ」
「あとは、プロム前に競技場を使ってのイベントだが……」
「その時間ならまあ、出来なくはないな」
「さあ、どうする?こんなに破格なイベント、早々出来るもんじゃないぜ」
「……なにより、向こうのギャラが格安なのが良いな。普通は三倍はギャラ払わないといけないしな」
「だろ?」
「~~~~ッ!わかった、これで行こう!ただし、こっちは裏方で手一杯だからな、進行は全部お前等でなんとかしろ!あと、タイムスケジュールも今日中だ。いいな?」
「いや、今日中はちょっと。今週中にはなんとか……」
「使えない社員かよ。言い訳無用、俺達に無茶を強いるならお前も無茶をしろ」
「お前、いいブラックの取締役になれるよ」
「なんでお前の無茶を聞いて俺が貶されるんだろうね!?」
今日中、ね。実は昨日のうちにある程度のタイムスケジュールは組んであったりする。信は無駄に裏で動く事に喜びを感じる変態だからなぁ。あとは信がどこまで値切れるかだ。向こうだってプロだ、そう易々と呼べるものじゃない。西野には軽い見積もりだけを話したが、正直厳しいかもしれない。友人だからと本人達は了承しても、その前段階には会社というものがある。現実、会社と交渉しないといけないのだが……
「駄目だったら駄目だったで別の手を考えるさ」
陵に任せとけなんて格好つけてしまったんだ。ならば、仮にも先生である俺がダサい姿を見せていいわけがない。小娘一人のハッピーエンドくらい、俺が導いてやるさ。不恰好な笑顔なんて、俺がちゃんと責任を持って焼却しようじゃないか。
「というわけで、これから会議を始める」
厳かに言い放つと、当事者となる二人は俺を親の敵のように睨んできやがった。
「滅茶苦茶な無理を強いておきながら、凄く偉そうだね。どういう神経しているのかな?かな?」
「イナケン、怒りのあまり危ないネタ使うなよ。こいつはこういう奴なんだって知ってただろ?」
「それはそうだけど、智也君とMCをやるって決まった時から破滅しか見えてなかったしね」
あれあれ~?部屋の温度が急速に冷えていくぞ~。冬が近いからだよな?うん。
だって仕方ないじゃん。MCの片割れにも計画を話さないと、進行出来ないしさ。とはいえ、陵の事情については深くは話せなかったが。
「えっと、つまり、僕の後輩二人が喧嘩しちゃって、その仲直りをさせたいからこんな無茶をするってことでいいのかな?」
「可愛い後輩の為だ、身を粉にして働くのは当たり前だろ?」
「リアルに身を粉にしてやりたい気分だよ」
「どうして智也が絡むとイナケンはじょう○ばりに黒くなるんだろうな」
「ヤンデレなんだろ。それより、お前等何飲む?ビール以外にもカクテルとワインもあるぞ」
キッチンに入り、グラスと氷を用意する。つまみはっと、チーズと鮭の燻製があるな。上等だ。
「ちょっと待て」
「俺は明日朝一からだから、カクテルで」
「僕はワインを貰おうかな」
「喜んでー!」
「だから待てって言ってるだろ!」
居酒屋気分で用意していると、俺達三人を咎める声。空気をぶち壊すような人間にはなりたくないものだ。仕方ないと、不満ありありの顔をしている加賀へと視線をやる。
「なんだよ」
「なんだよじゃない!」
「わかってる、お前はビールだよな」
「何をわかってるんですかね!?そうじゃなくて、なんでさも自分の家のように勝手に物色してんだよ!」
はい、実はそうなんです。今回の会議に加賀の部屋を使わせてもらっているのです。俺の部屋に四人はちょっと狭いし、他二名の部屋は俺の家よりも狭苦しい。だが、俺達には頼りになるパトロンである加賀正午がいる。こいつ、親が金を持っているらしく、やたら広い高級マンションに住んでいる。そんな頼りになる友達を使わないで、他にどう使えというんだ。ついでに、酒も良いものが揃っているだろうという期待もあったけどな。
「良いだろ別に。あん、なんだこのワイン。馬鹿みたいに古いな、賞味期限過ぎてんじゃねぇか?」
「そうだね、心配だし僕等で飲んであげようよ」
「いや、馬鹿ッ!それはマジでやめ「おお、コルク抜く時の音が良い感じだなこれ」ざけんなぁーーーーーッ!!」
ははは!加賀の慌てる顔は本当に美味しいなぁ。
「おま、それ俺のじゃないんだぞ!」
「わかってるって。親父さんのだろ?」
「ショーゴの親父さんくらい大物なら、おう、呑め呑めって許してくれるって」
などと気楽に笑っていると、次の加賀の一言に俺等三人は凍りついた。
「たは~~~、違うって。あのな、それ……カナタのだぞ」
瞬時に俺達三人はお互いへと目線を行き交わせる。今までふざけてなんとかなると思っていたが、とてつもない地雷を踏んでしまった。
奴の名前が出た途端、俺達三人の顔から血の気が失せた。
「嘘、だろ?」
「どこか特別な日に開けようって、あいつにしては珍しく大事に抱えてたっけ……」
やばいやばいやばいやばいッ!死刑執行五秒前だろうがッ!
「馬鹿野郎ッ!なんでもっと早く言わなかったんだッ!」
「言う前に嬉々として開けたじゃないかよ!」
いやいやいやいや、本当にまずいですよぉ。これが唯笑やかおるならどうとでもなるが、黒須だけは洒落にならない。あの女に常識や冗談なぞ通じる気がしないし、笑顔で俺を社会的に殺そうとするのが眼に見えている。
「はっ、そうだ!最初にワインを飲みたいとか調子乗ったのは伊波じゃねぇか。というわけで、この責任は伊波の所為」
「ちょっと!僕は関係ないでしょ!ていうか、賞味期限過ぎてんじゃねぇかとか、ちょっとアホな発言してたの自分でしょ!僕はまさかそんなヴィンテージに手を出すなんて思ってなかったよ!」
「あー!そういう責任逃れすんのか!そうだねとか同意して笑ってたくせに!」
「その場のノリでしょ!普通人の家のヴィンテージワインに手なんかつけないよ!常識を疑っちゃうね!」
ぎゃーすかと俺と伊波は、どうにかして相手に責任をなすりつけようと、自分の中の汚い大人の部分を総動員して言い争う。
「お前等なぁ、イナケンも智也も落ち着けよ」
「これが落ち着いていられるか!」
「そうだよ!あの黒須さんだよ!?」
「お前等の中でカナタはどんだけ理不尽な存在になってんだよ」
信の呆れ顔に、俺と伊波も冷静さを取り戻す。そう、だよな。ちょっとびびり過ぎだったかもな。黒須だって良い大人なんだ、ちょっとした手違いで空けてしまったと素直に謝ればきっと許してくれるはずだ。
「とにかく、黒須さんに素直に謝ろうよ。そうすれば怒ったりなんてしないよ」
「ああ、そうだな。そうと決まれば膳は急げだ。加賀、今すぐ黒須に連絡を……加賀?」
さっきから大人しい加賀の肩に手を置くと、俺達の話を聞いていなかったのらしく、彫刻のように立ち尽くしている……汗を床にだらだら落としながら。
そんな加賀の様子に嫌な予感を覚え、どうしたのか聞いてみると、黙って俺達に見えるように携帯の画面を見せてきた。そこには……
『ショーゴぉ!あたしに映画の主演の話がキターーーーッ!今からショーゴのとこ行くから、あたしのワインを用意して待ってて♪』
「神の悪戯どころのタイミングじゃねぇ」
「ワールドカップ決勝でオウンゴールを決めた気分だね」
「イナケン、もうそれ歴史的事件だから」
という事はここにもうすぐ死神が降臨するという事だ。あまりの絶望に眩暈がしつつも、どうにかして現状を打破する策を考える。何か……そう、何かないか?
「あ~あ、あいつこれ開けるの楽しみにしてたのに、俺もただじゃ済まないんだろうなぁ」
なんて、俺達よりも軽度の罪に溜息をしながらワインを手にする加賀。そんな加賀の姿に俺と伊波は顔を見合わせて頷きあい、即座に行動に移す。そんな俺達を信は眼を瞑って見逃してくれた。
あとは……
「しょうがないね、僕と智也君で土下座するよ」
「だな。悪かったな加賀。後は俺達で何とかするからさ」
「お前等……ま、まあ俺は止めた側だから、別に悪くはないんだけどさ、いいのか?」
「仕方ないよ。悪いのは僕達だもん」
「まあな。ガキみたいにふざけ過ぎたよな」
俺と伊波の殊勝な態度に、加賀がどこか感心したようであった。そんな加賀に俺達は最後の仕掛けをする。
「それでさ、今から黒須さんが来るんだよね?」
「あ、ああ。多分一時間で来るとは思うけど」
「じゃあ、悪いんだが、ちょっと黒須の機嫌を取るためにあいつの好きな物買ってきてくれないか?」
と言いながら、俺は加賀に気取られないようにとある物を隠す。
「そうだな。カナタもそれなら……あ、金は」
「僕と智也君で出すよ!ね?」
「あ、ああ!当たり前だろ!」
財布から二人で五千円を出して加賀に手渡す。正直、かなり痛い出費だが、遺体になるより遥かにマシだ。
「じゃあ、お前が買い出しに行ってる間、俺達でここを片付けとくから」
「ああ、わかった。それじゃあ、急いで……あれ?」
「どうかしたか?」
「いや……まあいいか。じゃあちょっと行ってくるから、片付けは頼むな」
「うん。気をつけてねぇ~……詐欺に(小声)」
加賀が部屋を出て、俺達は安堵のため息を付く。
「お前等、下衆な事でとてつもないコンビネーション発揮するなよ」
さすがに信にはバレているらしい。
「命あっての物種だ」
「綺麗事だけじゃ会社は成り立たないのと一緒だね」
「ブラック企業って知ってるか?」
ごちゃごちゃとうるさい信は置いておいて、俺はさっき自然に隠したとある物を取り出す。加賀の携帯だ。
「伊波、すぐにさっきのを送ってくれ」
「もうやってるよ」
先程、加賀がワインを手にした際、その姿を伊波がシャッター音を切って即座に撮影。その写真を加賀の携帯へと転送し、その画像を使って……
『ごめん、カナタ。実は……開けちゃった、テヘペロペロ』とライン。
携帯をソファーに放り投げて、ミッションコンプリートと俺と伊波はハイタッチ。
「さすが智也君。責任逃れの天才だね」
「そういうお前も、高性能下衆思考だったぜ」
「……ショーゴをスケープゴートにしておいて、よくそんな爽やかに笑えるなお前等」
さて、もうここに用はない。上着を手に取り、一仕事終えた会社員のように、俺と伊波は歩き出す。
「このあと俺の家で飲み直すか」
「そうだね。なんだか疲れちゃったしね」
二人で笑い合い、加賀の家を出た。最初の目的?俺達ならアドリブでなんとかなるだろ。世界の終わりを回避した俺達なら、もう何も怖くない。こうして、この日の夜は一人の青年の断末魔と共に更けていった。
ならずやでのバイトが終わり、家に帰るとポストに封筒が入っていた。封筒には招待状と下手糞な文字。差出人の名前は、三上智也。
その名前を目にすると、俺は封筒をゴミ箱に投げ捨て、布団に横たわる。
あの日以来、いのりには会っていない。会おうと思えば会えるけど、今顔を合わせてもお互い気まずいだけだし、なにより口汚く罵ってしまいそうな自分が怖かった。
真っ暗な部屋の中、飯も食う気が起きず、今までの事が頭の中を堂々巡りしている。
いのりは、最初から俺の事を知っていて近付いて、そして……
「いのり、わかんねぇよ」
どうして俺と付き合おうって思ったんだ?どんな気持ちで俺といたんだよ?そりゃ、告白された時は嬉しかったさ。こんなに可愛くて優しい女の子が俺を好きだって言ってくれて……最初は、そんな軽い理由で付き合った。でも、一緒にいるうちにいのりの駄目なところも見えて、でもそんないのりも愛おしくて、俺はいのりとじゃないと駄目なんだって、そう思えるまでに好きになったんだ。
一緒に花火を見に行って、秋には紅葉を見て、冬には寒さに比例するように寄り添って……二人で季節を感じていたはずなのに。同じように感じていたと、そう思い違いをしていた。だからなのか?だからいのりは追い詰められていった?
いのりの過去を知ろうともせず、その傷に触れようともしないでいたから、だからいのりは追い詰められたんじゃないのか?傷に気付かない俺に安堵して、安堵と同じくらい不安も抱えて。ああ、そうさ。いのりが悪いわけじゃない。大切な記憶を、心の奥深くに閉じ込めて忘れ去った俺が悪い。そんなこと、あの男に言われなくたって知っているさ。知っているのに……
「馬鹿だろ、俺……」
心のどこかでいのりを罵倒する自分がいる。どうしてもっと早くに打ち明けてくれなかった?俺の事を見縊っていたんだろ?ふざけるな!俺はそんなに弱くない!事実から目を背けるほど俺はガキじゃない!
そう、自分の事を棚に上げていのりの所為にしている自分がいる。
こんなどうしようもない俺の傍に、ずっといてくれた愛おしい存在を俺は……
どうせなら殴ってくれれば良かった。それどころか俺の目の前でいのりをあの男が奪ってくれたなら良かった。そうすれば、俺は自分の弱さを恨まずに、あの男を気兼ねなく憎むだけでいられた。
「クソッ」
結局、どうすることも決められずにいると、玄関を叩く音が聞こえ身体を起こす。
まさかいのり?
「一蹴、ちょっといいか?」
なんて幸せな奴だよ。いのりなわけがないのに、まだ俺はいのりに背負わせようとしているのかよ。
外から聞こえた声は信だった。
「出てこないならそれでも良い。少し伝えておきたい事があって」
もしかしたら俺を咎めに来たのかも知れないと思ったが、信の声には棘がなく、俺を労わっているようにさえ聞こえた。
「招待状は見たか?」
招待状?ああ、あのゴミか。見たくもない。
「もし、お前がいのりちゃんの事が許せないのなら、その招待状は見なくてもいい」
許すも何も、いのりはもう……
「でも、もしお前がまだ彼女を必要とするなら、その招待状を見てくれ。彼女とこのまま別れて後悔をしたくないなら」
必要?馬鹿な事を言うなよ。必要じゃない時間なんてなかった。今だってこんな俺の傍にいてくれるならいて欲しい。だけど、俺の弱さを全部受け入れられるほどいのりは強くなんてない。でももう、俺は……
「安心しろ。お前がどうしようと、あの子は俺達が支えてみせる。けどな……」
俺はあいつに甘えてばかりの惨めな自分を見たくないッ!
「この先二人がどうなろうと、過去を清算しない限りどこまでも過去はお前達を苦しめる事になる。それを忘れるなよ」
「というわけで、ほらよ」
対面に座る陵に、俺は小僧にも送った同じ封筒を投げて渡す。
「あの、参考書を解いている時に、邪魔するように渡すの止めてください」
言葉に軽い毒が混ざっている。まだ怒っているのか、小さい女だな。
「なんですかこれ?」
「うちの大学祭でやる、とあるイベントの招待状だ」
「そうですか、お返しします」
「せめて中を読んでから返答しろよ!」
「三上さんの企みが一度でも私を喜ばせた事がありましたか?」
「泣いて喜んでた記憶ならある」
「前から思ってましたけれど、ずっと言わないままであったことがあるんですけど、言っても良いですか?」
「いや、言わな「頭大丈夫ですか?」ストレート過ぎじゃねぇかなぁ!?」
辛辣を通り越して残酷にすら思えるわ。末恐ろしい女子(おなご)じゃあ。
「いいからとにかく受け取れ!せっかく俺と信が未を粉にしてイベントを開催出来るようにしたんだからな!まったく、誰の為にこんな……」
「へぇ~、誰の為、なんですか?」
からかう様に俺を見てくる陵に、俺は舌打ちをしてそっぽを向く。ちくしょうめ、もっとどん底まで落ち込ませたままにしておけばよかった。心無しか、以前よりも距離が近付いたような気がする。俺からじゃなく、勝手に入ってくるのがもう腹が立つ。人のパーソナルスペースに無断で入りやがって。アメリカなら射殺もんだぞ。
「ふふ、まああり難く受け取っておきますね」
「家の額縁に飾っても良いぞ」
「身の程を弁えましょうね」
「お前は口を弁えようか」
さて、渡すものも渡したし、陵が問題を解くまで暇だな。西野に悪戯電話でもして遊ぶとするか。
「あ、そうだ。聞きたい事があったんですけど」
なんて携帯を手に取ると、電話をする前に小娘からの声。参考書へと顔は向けたまま、まるでなんでもない事のように、陵は口を開いた。
「彩花さんって、どんな人だったんですか?」
こっちを見ずに問い掛ける声には、誤魔化しを許さない真剣さが含まれているようで、俺は思わず今はいない隣の部屋へと視線を向けてしまった。
なぜもなにも、信が俺の事を話したのだから聞かれても不思議じゃない。だが、どうしてそこまで真剣に質問してきたのか……それが腑に落ちない。腑に落ちてはいけない何かがある気がして、すぐには答えられなかった。代わりに俺はどうしてだ?と問い返していた。
「どうしてって気になるじゃないですか」
な、にを?
乾いた唇からその言葉が出る事もなく、そうして……
「どの位素晴らしい聖母のような女性だったら、三上さんのようなちょっとアレな人と付き合えるのかなって」
「お前と正反対の可憐なやつだったのは間違いねぇよッ!!」
俺の怒りが爆発したのだった。
憤慨する俺と、俺を馬鹿にして笑う陵。
馬鹿な俺達を嬉しそうに、でも物悲しげな表情をして見ているような……窓際にそんなあいつがいるような気がして、少しだけ胸が苦しくなる。
もう少し、だから。もう少しで終わるから、待っていてくれ。
心の中でそう呟くが、俺の声にあいつがどんな顔をしているのか、もう真っ直ぐに見れなかった。
いつもよりも短めの話ですが、後二話で一部は終わりですので、少々お待ち下さいませ