出会ってからいつだって、私はこの手に掬い上げられ続けている。
「ちょっ、そこ避けろ!通してくれ!」
人波を掻き分けながら、歩む力を失ってしまった私を、問答無用で引っ張っていく。
私を連れ出す背中はとても大きくて、幼い日に感じた父の背中の様で、その背中に駄々を捏ねながらもついていく。その背中はなんだか懐かしくて、不意に泣きそうになってしまう。
どうして?
「違うんだ、あいつは答えを出したはずなんだよ!」
あなたはどうして、こんな私の為にいつも一生懸命になってくれるの?
「もし、もしもだ!あいつが逃げるのだとしても、俺はそんなもん認めねぇ!」
私はあなたの心の傷を抉るような、そんなどうしようもない小娘ですよ?
「別にお前等がどうなろうがどうでもいい!」
あなたにとって、私はただの教え子……それだけの関係じゃないですか。あなたの過去を知ったからって、私を家族とは思ってはくれないくせに。それなのに、なんでですか?
「でもなぁッ!傷つこうがなんだろうが、お前等は答えを出さなきゃいけないだろうがッ!それがあの子への――」
どうしていつだって、この手は優しい温かさで私を離してくれないんですかッ!!
「リナちゃんへのお前等の最低限の弔いだろッ!」
雑踏の中、私は三上さんの手の温もりに抗うどころか、もう少し……あと少しだけと、彼の手に縋りついていたいとさえ思っていた。
誤算、なんて言い訳にもならない。俺と智也は見誤っていたし、情報収集を怠っていた。少しまるるんに聞けばわかったことなのに。
誤算の一つ、いのりちゃんは俺等が思っている以上に美少女として有名だったこと。智也は絶対認めないだろうが、考えなくてもわかることだった。ただ、それを見誤ってしまった原因としては、俺達の周りには奇跡的な美女や美少女が多くいて、普通の感覚が麻痺していたことだ。
どうやらいのりちゃんは、この辺りじゃかなり有名で、純粋で可憐なとてつもなく可愛い浜咲の至宝として名前が知られていたらしい。ここら辺は西野の証言で、隙あらばと西野も狙っていたと告白。欲望に正直過ぎだろ。
誤算その二、これは本当に思いも寄らなかったことなのだが、どうやらいのりちゃんと一蹴が別れたらしいと、各方面に噂が流れてしまっていた事だ。
普段一緒にいる二人が、ここ最近一緒にいないのを不審に思った誰かが、もしかしてと流した噂らしいが、この噂が飛んで火にいるアホを大量に呼び込んでしまった。虫よけスプレーは品切れ中。
ステージ上の智也と目が合い、ジェスチャーで会話。
(一蹴はまだか!?)
(すっぽん鍋がフライングヒューマン!?)
通じなかった。なんだよ、すっぽん鍋がフライングヒューマンって。お前がフライングして一蹴を連れてきてくれよ。
混雑する場内で俺も、そして智也も思う事は一緒だっただろう。
「……あ~、これ、もしかしてやっちまったかな?」
そもそもどこから間違えてしまったのか、押し寄せるむさい連中に押されながら、その原因へと遡ってみる。
いや、遡らなくてもわかるな。全て智也の責任だ。あいつがこんな無茶なイベントを思いついて、尚且つ一蹴を見誤ったのが悪い。だからこんな……
「い、稲穂さん!稲穂さんどこですかぁ~!?」
トップアイドルさながら、いのりちゃんが狼の群れに囲まれることになってしまったのだから。
――千羽祭二週間前
「ほら、よくあるだろ?バラエティーとかで、一斉に付き合って下さいコールして、好きなやつに手を差し出すやつ。あれをやろうぜ」
良い考えが浮かんだんだとでも言いたげな顔に、俺はしかめっ面で返す。
智也は自分のベッドに腰かけて、いやぁ、生でアレ見たかったんだよなぁ~。とかなんとか、夢見る少年のような瞳で呟いている。
「千羽大生以外は招待状持ってる奴だけ限定で、もちろんイベントとして学内の参加者も募る」
「で?」
「それでな、イベント会場にはフリーの男女だけがいるわけだ!その会場に小娘を呼ぶ!するとどうなる?」
「……聞きたくないけど、一応聞いておこう。お前の中ではどんなドラマが出来ているんだ?」
「んだよ、もうちょっと乗ってこいよ。あのな、あいつは多少なりとも見た目は悪くない」
「間違いなく国内じゃトップクラスだろうな」
「二次予選止まりだ。じゃなくてな、多少なりとも見た目は悪くないわけだろ?」
「その言い回しは絶対なのかよ」
「するとだな、少しはあいつに交際を申し込む既知外が二人はいるだろう?」
「お前の目が心配になってきた。確実に二人は越えるだろうな」
「交際を申し込まれ困惑する小娘!」
「あ、俺の反論はスルーの方向なわけね」
「そんな小娘の下に」
立ち上がり、バッと両手を広げる智也を、俺は頭が痛くなる思いを押し殺してどうにかこうにか見上げる。
「颯爽と登場する小僧!かぼちゃパンツを履かせても問題はない!二人の男を押しのけて、小娘を奪い走り出す二人!」
「昭和か?卒業式で答辞をする好きな女子を連れ去るみたいな三門芝居、上手くいくわけないだろ。ていうか古いんだよ発想が」
「古くない!この前、ドラマの最終話でやってたんだから、むしろ人気トレンドだ!」
よし、そのテレビ局に抗議の電話をしよう。なんて物を単純な馬鹿にみせてくれたんだってな。どこのK〇Dさんですかねぇ。
すでにフィナーレを思い描いているのか、きっと智也の中の二人は桜舞う校門を走り去る二人が見えている。俺には頭の痛い現実しか見えない。あと目の前の陶酔しきっている馬鹿の姿。
「あのなぁ、それはドラマの中だけであって、現実で上手くいくと思ってるのか?」
「挑戦しなければ、成功もないんだぞ」
「しなければ失敗もないんだよ」
俺の抗議の声に、不満を隠すどころか前面に押し出しながらベッドに座りなおす。ああ、こんな時唯笑ちゃんがいたなら……駄目だ、一緒に夢見るのが目に見えている。彩花ちゃん、今ほど君にいて欲しいと思ったことはない。
どうか教えて欲しい。こいつのエンジンを爆破するには何が必要だ?プルトニウム爆弾でも不可能だ。
「……なあ、智也。本当にあの二人がまた一緒にいるのを願うと思うのか?」
そもそもの問題として、いのりちゃんは良いとしても、一蹴が彼女と共にいる事を望むとは限らない。その事を見落としているんじゃないかと問うと、智也はそんな事かと笑った。
「さあ、それは俺の入り込む問題じゃない」
あまりにも可哀想じゃないかと続けようとした言葉を、智也の真っ直ぐな視線に押し留められてしまう。
「いいじゃねぇか。恋愛に限らず、人間関係なんて大なり小なり傷つくもんだ。あとは当人同士がハッピーにでもグッドにでもすればいい」
そう、なんでもない事のように言う言葉に、俺もつられて笑ってしまった。
確かに智也の言うとおりだ。ハッピーだろうがグッドだろうが、そこまで俺達が介入すべきじゃない。人の気持ちをコントロールすることなんて、神にでさえ許されない領域だ。
それに、智也はこう言った。ハッピーにでもグッドにでも、と。そこにバッドはない。つまり、裏を返せばバッドにならないようには面倒を見てやる。そう宣言したんだ。
「……はは、素直じゃねぇなぁ」
「素直じゃないのは俺じゃなくて、あの困った二人だ」
こうして智也主導の下、恋人量産計画は進められたのだが、俺はふとある不安が過る。バッドにはしないと言うが、ただ一つだけバッドを辿るかもしれない可能性。智也だって気付いていないわけじゃないはずだ。
「なあ、そのイベント……一蹴は来るか?」
そもそも主役が現れなければ舞台の幕は上がらない。チケットの払い戻しという最悪な未来の可能性だってある。そうなったらいのりちゃんは……
「来るさ」
「え?」
迷いのない返答。何かを確信しているような目が、俺には見えていない一蹴の心が智也には理解出来ているようだった。
「あの小僧は間違いなく来る。あれは逃げるなんて器用なことが出来ない馬鹿だろうからな」
なるほど、そういう事か。
「根拠は?」
「俺様の直感。これ以上ない根拠だろ」
その言葉に俺は笑った。一蹴が自分と同じ馬鹿なのだと認めているくせに、認めたくないらしい。本当に素直じゃない。
そうか、それなら来るな。智也なら逃げることはしない。逃げる自分を許せるほど器用な人間じゃないからな。
こうして、俺は智也の計画に乗ったわけだ……智也の甘言に惑わされて、チケットを払い戻す未来に目を瞑ってしまうという、痛恨のミスを犯してしまったと、露にも思わずに。
――二人の重ね、一人の咎人――
加賀正午は焦っていた。これまでの人生でここまでの焦燥感を感じた瞬間などあっただろうか?いや、割とあるなと冷静に思い返す。主に恋人である黒須カナタ関連の事だ。
先日起きた、ヴィンテージ事件だって自分は何も悪くなかったはず。なのに、カナタの好物を買って家に帰れば、元凶の二人と世話役の一人は消えていて、なぜか冷房を最低温度で稼働させているかのような冷たい空気と、リビングの中央には三人をサクリファイスして召喚された薄ら寒い妖気を纏う恋人。恋人じゃない、あれは魔王だった。
その後の事はあまり記憶にないが、ベッドに縛り付けられ、息が出来るか出来ないかの絶妙なタイミングで、水を掛けられ続けた事だけは覚えている。不幸だが口癖の主人公に抗議したい。本当の不幸は何かとその身に刻み付けてやろうかと。
そう、いつだって彼は悪くないのだ。ただ、友人関係が絶望的というだけのこと。今だってそうだ。16時から始まる大規模なイベントの一時間前、絶対に席から立たないで、鷺沢一蹴が受付に来たら即座に連絡しろと厳命されている。律儀に守る必要もないのだが、この言いつけを破ると何をされるか分かったものじゃない。特に三上智也は危険人物として、広域指名手配されている。それを思うと動くに動けないのだが……彼は今まさに窮地に立たされていた。
(まずい、本気で漏らしそう)
急激な尿意に襲われ、なんとか耐えようと内腿に力を込めつつ耐えるも、それも既に限界。尿意と接点の薄い後輩の一大事……どちらを優先するか。人としての尊厳を守るか、人としての尊厳を三上智也に砕かれるか……究極の選択である。
脂汗が浮き出てきて、選択出来ない時間を暫し過ごす。
極限状態の人間とは不思議なもので、そこに存在しない不確かな物に救いを求めてしまう。誰でもいい、神だろうが悪魔だろうがカナタだろうが、とにかく何でも構わない。今の子羊のように頼りない自分を救ってくれと。
脂汗どころか涙が滲んできた彼の視界に、その祈りが通じたのか、よく見知った姿が目の前を通り過ぎようとしたのが辛うじて見えた。もう、ここを逃したら二度と救いは現れないと、彼は震える足を無理矢理動かして、決死の形相でその人物を捕まえた。
「な、中森……」
いきなり腕を掴まれて怪訝な顔で振り返る中森翔太。健に誘われて数人の友人とやってきた千羽祭だが、そこで懐かしい友人にいきなり青い顔で腕を掴まれるとは想定していなかった。
「誰かと思って驚いたよ、久しぶりだな加賀」
「あ、ああ久し振り……で悪いんだけどさ、ちょ、このインカム持って受付に座っててくれ!」
「……は?いや、何を言って、加賀!?」
挨拶も碌にせずに走り去る加賀と、手には渡されたインカム。どうにも面倒事の予感がして、彼は溜息を吐きながら仕方ないと受付にあるパイプ椅子へと座りつつ、友人達に気にしないで楽しんできてくれと伝えたのだった。
「こちら第二ステージ、イベント開始二十分前により会場を一時封鎖。そちらにホシは現れましたか?どうぞ」
「全く状況が理解出来ない親友到着。どうぞ」
「翔太!?」
受付で見張りをしているはずの僕等の便利屋の声ではなく、友人達と千羽祭を楽しんでいるはずの僕の親友の声が聞こえて驚いてしまう。
「な、何してるの翔太?」
「俺が聞きたいんだけどな。いきなり加賀が顔面蒼白でインカム渡してきてさ。何してるんだよお前達」
「何って……真面目に仕事をしているんだけど」
少なくとも僕は真面目にMCをしながら、後輩の行く末を心配している。某メーカーから発売される限定シューズの注文時間が迫り、MCや後輩二人の問題を記憶の彼方に追いやって、今か今かと心待ちにしているダメな大学生とは違って。
「正午君はどうしたの?」
「わからない。必死に走ってどこかに消えたっきりだ」
人の親友を扱き使うなんて、彼は僕に禁じ手を使って欲しいのだろうか?
「そんなことより、ホシって何のことだ?」
「あ、そうだ!正午君の事なんかどうでも良いんだよ今は」
「……加賀が逃げ出した理由がわかった気がするな」
「あのね、翔太も知ってるよね?一蹴君の事」
「ああ、あのやたら可愛いって騒がれてた、陵って女子と付き合ってた後輩だよな?何回か話したことがあるけど」
「それなら話は早いね。一蹴君が受付に来たらすぐに報告して欲しいんだ」
「なるほどね、ホシって鷺沢の「うあああああああッ!!??」なんだ今の悲鳴は!?」
「……気にしなくて良いよ。天罰が下った罪人の叫びだから」
この世の終わりでも迎えたかのように、頭を抱えて崩れ落ちる智也君。どうやらあまりの人気で、注文が一瞬で終了したらしい。回線の遅い携帯じゃ間に合うわけないのに。ていうか、真面目に仕事しろ。
「なぜだ。なぜ世界はこんなにも俺に無慈悲なんだ」
「慈悲の心が智也君にないからだよ。あ、ごめん翔太。そろそろステージに戻らないといけないから、何かあったらすぐに報告してね」
「……俺、ここに何しに来たんだっけ?」
「僕のパートナーになる為だよ」
「俺の知ってる健は、親友を大事にする奴だったのにな」
「後で埋め合わせするからさ。じゃ、よろしくね」
インカムを切って、世界で一番切ない背中を見せている、耐え難い馬鹿な相棒に声を掛ける。
「いつまで落ち込んでるのさ。出番だから行くよ」
「……もう、無理だ。後はお前に任せた。俺は今から日雇いのバイトに行く」
虚ろな目に狂気が見えた。駄目だ、オークションで落とすお金を稼ぎに行く気だ!
「行かせるわけないでしょ!自分がいのりちゃん達の為に一肌脱げって誘ったんじゃない!責任は果たしてよね!」
「お前、小娘と限定スニーカー……どっちが俺の人生で大事だと?」
「ここでスニーカーを選んだらクズでしょ」
「罵られても構わない。俺はこの日の為に夏にバイトを頑張って金を作ったんだぞ!?」
「知らないよ」
少しでも目を離すと、ステージとは逆方向に走り出すであろう智也君を、真実力ずくでステージへと連行する。
来年、もう一度彼とMCを頼まれるような事があっても、就活で忙しいとか、研究でそれどころじゃないと嘯(うそぶ)いて断ろうと決意した瞬間だった。
『うぇ~い、招待状ないしは参加証を持ってる奴等、これで全員?あっそ、全員なの』
会場の異様な熱気と、俺の冷気が見事に反比例。なんでだよ。何でこんな気持ちで俺はここに立たなければいけない?俺がこの日をどんなに楽しみにしていたと思ってるんだ。小娘の恋愛事情なんて二の次も良いとこだったんだぞ。
『はい、皆さん凄い数の人だかりですね!あ、この突然豹変したアレな人は放置して下さいね』
お前なんぞに何がわかる。俺のこの張り裂けそうな胸の痛みの何が……
『では、軽く概要を説明しますね。イベントまであと十分を切ったところですが、まずこの場に集まって頂いた方は全員フリーの方々です。本当にフリーかどうかの確認もしております。二股以上の不貞は、僕等は断固として許しませんので。それでですね、集まって頂いた女性の方々は皆さんは全員、ここに集う男子の誰かの意中の方です。これは事前に説明してましたよね?』
はーい!という威勢の良い声と、伊波君は参加しないの~!?といった黄色い声。
『残念ながら僕は参加出来ません。素敵な女性ばかりで本当なら参加したい気持ちもありますが』
ジャジャジャ、ジャーーーーン♪
『リップサービスもアウトなんだ!?』
『うっわ、彼女の前で最低だな伊波』
『うるさいよ。黙って落ち込んでて』
散々俺を痛めつけるからだ。伊波が不利になる発言はどんどん積極的にしていこう。
『それでですね、16時になりましたら合図と共に一斉に皆さんに告白して頂きます。これは、告白イベントだけでは間に合わない数でしたので、このようにまとめてやってしまおうという、企画サイドの杜撰(ずさん)さが見れるイベントですね』
『そんだけ、独身候補が多い証拠だろうな』
『自分もその一人だという事を忘れずにね』
つ、作ろうと思えば彼女の一人や二人作れるもん!まだ本気じゃないだけ、俺はやれば出来る子!
『なお、今日の告白イベントと、この恋人量産イベントで見事カップルが成立しますと、そのカップルには特典が御座います』
特典という言葉にざわつく場内。現金なものだなと苦笑してしまう。
『なんと!明日行われる二つのプロムがあるのですが、このプロムはある種のシークレットイベントとなっておりまして、一つは野外でのアルコール抜きの未成年者でも楽しめるもの。もう一つは二十以上限定の屋内での、ちょっとアダルトなプロムが行われます。この二つのプロムは、ちょっとしたサプライズもありお金も掛かっているので有料となっておりますが、イベントで成立したカップルに限り無料で招待いたします!』
伊波の爆弾発言に沸く観客。千羽谷祭の後夜祭は例年異常な盛り上がりを見せるが、今回のように二種類のプロムを用意することは初めての試み。しかもそれなりに金が掛かっており、入場料を貰わなければ採算が合わない代物。入場料はそこまで高くないが、それでも一歩引いてしまう学生がいるのは否めない。
だが、それが無料で参加出来るとなれば話は別だ。否が応にも盛り上がるのは必然。
『更に!屋内でのアダルトなプロムでは、とある方から寄付して頂きました貸し出し用の為のドレスを、イベント後に進呈致します!』
おっと、女性陣の目が猛禽類の眼にジョブチェンジ。これ、好きでもない奴とでも付き合う可能性が出るから俺は反対だったんだが、恋愛の切っ掛けはそれぞれで良いんじゃない?という、とあるクリニックを開設しているお嬢様からのお達しにより渋々了承することに。
逆らえるわけない。ドレスのパトロン様だもんよ!ちなみに、藍ヶ丘第二中学校の同級生。クラスが一緒だったかどうかは覚えがない。
『というのが、この恋人量産イベント『人類補完計画』の概要と特典となっております。今の説明でご理解頂けたでしょうか?理解頂けたなら、その場で土下座して下さい』
ざけんな!調子乗るなクソ面!お前の彼女寄越せ!伊波君、私の背中に乗って!等の危ない発言に、さすがの伊波の笑顔も若干引いていた。
進行を伊波に丸投げしながら、俺は受付へと連絡する。
『こちら第二ステージ。受付、どうぞ』
『こちら受付、どうぞ』
『……間違えました』
知らない男の声が聞こえ、俺は間違い電話をしてしまった時のように通信を切る。
あっれ、どこ間違えたんだ俺?微妙に知っている声だった気もするが……あ、そうか。うちの近所の、藍ヶ丘駅の中華屋の出前の兄ちゃんの声に似ていたな。あいたたたた、俺としたことがあそこの店に掛けて……馬鹿か。んなわけない。
じゃあ誰だと首を捻りつつ、もう一度連絡すると、さっきと同じ声が聞こえてきた。
どういうことだ?もしかしてこれは……
『おい犯人』
『犯人って』
『貴様加賀をどこにやった!?』
『それは俺も知りたいな。どこに行ったんだろうな、加賀』
『惚けるなよお前……ボンボン以外に取り柄のない加賀を誘拐して身代金を奪おうとしているんだろ!』
『加賀が逃げ出した原因その二だな』
『ふざけるなよ!俺も混ぜろ!』
『しかも金に目が眩んでるし』
『ふへへ、これでスニーカーの金の心配はなくなったぜ』
『俺はそっちの将来が心配だ』
ふむ、俺の心配をするとはな。なかなか出来た誘拐犯じゃないか。
『で、中森よ』
『今までの時間の無駄はなんだったんだ……』
スニーカーが買えなくて、この鬱憤を誰かで発散したかっただけだ。丁度良いやつがいて結構結構。
『伊波から事情は聴いてる。それでな、鷺沢はまだか?』
『まだだけど、一体どういう事なのか教えてくれないか?なんで鷺沢をマークしているのかをさ』
最もな疑問だな。伊波の奴、俺の秘書のくせに説明ぐらいちゃんとしておけよ。
『あまりでかい声じゃ言えんが、実は鷺沢のやつが浜咲で秘密裏に行われている麻雀トーナメントで負けてな、とてつもない額の借金をだな……』
『その話はどの程度で終わる?』
『会社に残っている社員の残業の明かりが消える位には終わる』
『鷺沢はまだだ、来たら連絡するから。じゃあな』
一方的に切られてしまった。中森なら、うんうんと頷きながら優しく話を聞いてくれると信じていたのに……人間不信って、良い奴に裏切られたらなるよな?
『……わけでして、あっと?もうこんな時間ですね。皆さん、お待ちかねの『人類補完計画』開始まであと三分を切りました!男性の皆さんは心の準備をして下さい!』
しまった、中森の所為で余計な時間を喰ってしまった。
んむ~、鷺沢が来ないのは計算外だが、たまたま遅れているだけかもしれん。電車や歩行者が渋滞しているのだろう。コミケなるもののようなもので……そうだよな?俺は信じて待つぞ小僧。
そ、それに陵の傍には頼りになる俺の相棒が……
先程まで陵と信がいた方へと視線を移すと、そこにはいつの間にか愚民の壁が出来ていた。
お、俺の相棒、が?どこだよ!?
ふいに携帯が鳴り、ステージ裏へと急いで降りて電話に出る。
『智也大変だ!』
「大変だも何も、お前等どこにいるんだ?」
『どこも何も、見えなかったか?』
「見えないから聞いてるんだよ。まさか、茶ぁでもしばきに行ってるんじゃねぇだろうな?」
『クソ!そりゃあ見えないよな!一か所だけやたら人が集まってる場所があったろ?そこだよ!』
……いやいや、何をおっしゃってるんですか?
「そこって……あのマリアウォールか?」
『残念、その壁なら崩れて人間は俺といのりちゃんの二人だけだ』
嘘、だろ?だってあの小娘だぞ?顔を合わせれば毒を吐いて、二つのビルの上にかかった鉄骨を渡って下さいが挨拶の、あの陵だぞ?あり得ない。一人二人のドМの豚ならわかるが、いつのまに日本はこんなに終わっちまったんだ?
『あの子が毒舌を吐くのはお前だけだからな』
「自然と俺の思考を読むな」
『とにかく、俺も押し出されて近づけないんだ!』
嘘だろ?イベント開始まで時間は……二分切ってんじゃねぇか!?
どうする?今すぐに鷺沢を探しに行くか?いや、その間陵をあの群衆の中に置き去りに出来ない。それはまずい気がする。だが他にどうする?MCを降りるとしても俺の代役で、しかもぶっつけ本番でもどうにかなる奴なんて……
「いや、待てよ……それなら、なんとか」
そうだ、あいつならなんとかしてくれるはずだ。となると、あとはどうするかだが……
『皆さん、イベント開始まであと一分です!意中の人の目の前で待機して下さい!女性の方々は、心を決めて下さいね~!』
舞台上からの伊波の声に焦りが募る。時間がない……クソッ!
インカムを長机に投げて、俺は迷う暇はないとある場所へと電話する。
頼む、早く……早く出てくれ!
『はい、ありがとうございます。こちら喫茶ならずや、店長代理の白河静流でございます』
ここで待っていれば、私の王子様がやってくる……三上さんの気の抜けた笑顔とセットになった言葉。その言葉を鵜呑みにしたわけでも、ましてや期待していたわけでもない。ただ、私の為に脇目も振らずに頑張ってくれている事を知っていたから、その気持ちを無下にしたくないなって……そう、思っていただけ。私の王子様が来てくれるなんて、そんな淡い期待を抱いたりなんて、都合の良い夢を見たり、なんて……
彼氏と別れたってマジだったんだ?ラッキー、ダメ元で書いたんだけどさぁ。俺も俺も、てか別れるとか彼氏馬鹿っしょ。よっしゃ、絶対俺選ばせて見せるわ。君には無理だよ、僕こそが彼女に相応しい。黙れよチェリー。
雑音が酷い。稲穂さんはどこだろう?もう、ここにいても仕方ないのに。早く稲穂さんとここから出ないと。
一刻も早く抜け出したいのに、いつの間にか稲穂さんは隣にいなくて、まるで入れ替わったかのように知らない人がそこにいた。よくよく見回すと、私を囲むように沢山の男性がいて、中には浜咲学園の先輩だった人の顔も窺える。
『皆さん、イベント開始まであと一分です!意中の人の目の前で待機して下さい!女性の方々は、心を決めて下さいね~!』
伊波先輩の声に、ああ、そいえばと思い出す。三上さんから貰った招待状は、大規模な告白イベントへの参加に必要なものだった。一蹴にも同じ物を渡したと聞いて、それで……それ、で?
ああ、自分のおめでたさに笑みが零れそうになる。三上さんが言うならと期待していたんだ私。自分だけだったなら、そんな楽観的な考えを持つことはなかった。だって、惨めになりたくないもん。わかってるもん。一蹴が私の話を聞いて、忘れてしまった過去を思い出してしまったら、私から離れてしまうって事くらい。
だって、一蹴は誰よりも優しいもん。心が私なんかよりもずっと綺麗、なんだもん。
うん、ちゃんとわかってるから、大丈夫。一蹴の姿が、愛しい影が少しでも見えないかなって、何度も何度も見回したりなんかしてない。一目会えるだけでも、どんな答えでも、その声さえ聴けるならそれだけで……なんて、そんな幸せを願ったりなんてしていない。
「ふっ、うう……」
正解だよ、一蹴。一蹴は何も間違えてない。間違えたのは私。間違いを正解にしようとした私が最低なの。
ここに一蹴がいない、それが答えだもんね?
「あ、いた、い……よ?」
なのにどしてかな?三上さんの楽天家が移っちゃったのかな?
「一言、でもいい……」
どんな言葉で罵られても、どんなに私を責め立てる目を向けられても構わない。
「どこ?どこにいるの、一蹴」
いい加減諦めてよ私!
『16時になりました!それでは、シンデレラを舞踏会へ招待して下さい!』
私を囲む人達全員が頭を下げて片手を差し出し、一斉に同じ言葉が場内に響いた。
『俺と(僕と)お城へ行こう!!シンデレラ!』
馬鹿、ですね。このセリフを考えた変な人も、私なんかをお城に誘う奇特な人達も。あなた達に求められるような価値のある女性じゃないんですよ?だって、私はこの世界で最も卑劣で卑怯な……そんなどうしようもない小娘なんですから。
沢山の想いが入り混じる手の数々。きっと、なけなしの勇気を出して告白してくれている人もいるはず。最初の告白イベントを飾った男性のように。
いくつも差し出される手の中には、緊張で震えている手もあって……それを見たら、ああ……もう、いいかなって。
一蹴は来てはくれなかった。返事をしない事が一蹴の答え。それなら、こんな醜い私でも、この時だけは誰かを喜ばせてあげられるなら……付き合う事は出来ないけれど、それでも……
同情にも似た気持ちが私の手を動かす。一際緊張している手に触れるまであと……
「――――ッ!?」
数センチの距離で、私の手は止まった。視界の隅に辛うじて映った手……その手が私を金縛りにさせた。
「な、にを……?」
その手は率直に言えばこの場にはそぐわないものだった。だって、一人だけ隙間から伸ばして中指を立てた手を出しているから。
「何をしているんですか?」
MCは参加出来ないんじゃないですか?というか、後出しですよね?その手は何ですか、喧嘩を売っているんですか?
言いたい事は山ほどあるのに、その手よりも素敵な手は沢山あるのに……
「馬鹿じゃないですか!三上さん!」
その手を見つけてしまった私は、目元を拭って自分でも気付かずに笑いながら、ふざけた手を力の限り両手で掴まえた。
「いってぇーーーー!!折れる!俺の中指折れるから離せ陵!」
「絶対離しません!」
陵が気付くかどうかは賭けだった。俺の手が陵の目に映る場所に出せるかどうか、俺からは確認することが出来なかったから。だが、確認出来たなら陵なら俺だとわかると確信してもいた。つうか、中指立てるのなんて俺以外にいるわけがないしな。
陵が誰の手を取ったのか、騒然とする男共。陵の取った手を辿ると、見える俺様のご尊顔。
囲んでいた一同の視線が俺に集まり……
「ヤッホー、僕トミーだよぉ!」
裏声を使ったネズミの物真似で応える。渾身の出来だと自負している。
「……てへ♪」
『三上てめえええええええぇぇぇぇッ!!!!』
ですよねぇ。
富士山が噴火したような怒号。俺の鼓膜が破れたらどうしてくれるんだ。日本の至宝と学者の間で噂の鼓膜だぞ。
「悪いな、こいつじゃお前等に相応しくないんだ」
「……こんなイベントに連れ出しておいて、良く言えましたね?」
「うるせぇ!とにもかくにも!」
掴まれている手を思いきり引っ張り、陵を一本釣り。途中躓いたらしく、転ばないように抱き留めてやる。
「きゃッ!み、三上さん!?」
おやおや、一丁前に赤くなってまあ。いつもこれくらい可愛げがあればなぁ。
「走れ陵!」
陵の手を今度は俺が掴む。人込みではぐれないように、ぎゅっと強く。
『待てやごryぁplmんd2m、¥!!!!』
怒りが限界突破した民衆の怒号は言葉になってすらいない。怖いよ。これ、戻ってきた後に俺の命やばくない?ヒットマン雇っていてもおかしくない狂気だろ。
と、そういえば……
「三上さん!三上さんちょっと!」
「あ~、ちょっと待ってろ!えっと……」
携帯を取り出し、俺と伊波を修羅にさせた馬鹿に電話する。今の時間は出れるだろ?
『おう、どうした三上?』
「よお、学内での株価が暴落した委員長」
『お前等の所為だけどな!』
「いや、自業自得だろ。俺と伊波を敵に回したのはお前だろ?」
『それにしたってもうちょっと手加減ってものをだな「そんな些細な事よりも」些細じゃないよ!?』
今後の西野の大学生活の心配なんかしていられる状況じゃない。もとより心配なんてしたことはないが。
「買い出しで使ってたミニバンを使いたい。キーを持って駐車場で待ってろ!」
『はあ?あの車は事務で申請しないと出せないんだが』
「キーはあるんだからいいだろ!」
『何に使うんだよ?』
「後輩を助けるためだ」
『後輩?お前が助けたい後輩って事は伊吹さんか?』
そうか、西野は俺の交友関係をある程度理解していたな。だからこそ勘違いしているんだろう。
「いや、みなもちゃんだったらリムジンを頼む」
『まあ、だよな。じゃあ、誰だよ?』
「陵って小娘を乗せるためだ」
『じゃあ駄目だ』
「ああそう……なんでだああああぁぁぁ!!??」
西野の即答に絶叫。どういう思考回路でその答えが出てきたのか……駄目だ、灰色の脳細胞でも導き出せん。
『陵って、浜咲の子だろ?お前、彼女がどれだけ天使かわかっていらっしゃるのでせうか?』
「言葉遣いが崩壊しているほうが気になるわ!」
『あのなぁ、非公式に彼女のファンクラブがあって、特設サイトもあるほどに彼女は人気なんだぞ?』
「目が腐ってやがる」
『ちなみに、管理者は俺』
「お前発信じゃねぇかよ!」
これは碌な社畜にならんわ。営業から直帰するタイプ間違いなし。
『というわけで、彼女と美味しい思いをさせるわけにはいかないな』
「苦い思いしかしてねぇ……」
こんな下らない事をしている時間なんかないってのに、どうしたら西野を……
ふと陵を振り返ると、俺の視線とぶつかった瞬間視線を逸らされた。泣いていたのを見られたくないらしい。
まったく、この程度で泣くなんてな。少しは図太い浜咲の先輩……浜咲?
一瞬のひらめき。むしろこれしかないと思えるような名案が浮かんだ。
「西野」
『なんだ?俺はこれでもいそが「車貸してくれたら、陵が浜咲の女子と合コン組んでくれるってよ!」任せとけよブラザー』
即座に電話が切れた。よし、これで目の前の問題はクリアされた。
「いえ、あの……組みませんよ?」
「あいつの目の前に人参をぶら下げただけだ。食わせるとは言ってない」
馬車馬が滞りなく走ってくれるなら問題はない。ここからは俺の感を信じるしかない。
駐車場に向かって急ぐ。鷺沢の答えはわからない。だが、これまであいつの傍にい続け、手を繋いできたこいつに卑怯な真似をする事を俺は許さない。許してはならない。背を背けて受ける罰に意味なんてないんだ。
「三上さん」
「なんだ?」
気持ちが落ち着いたのか、いつもの陵の声だ。
「あの、どこに?」
ああ、そういえばどこに向かうのか言ってなかったか。
「鷺沢に会わせてやる」
ただ一言。その一言に陵は瞳に怯えの色を湛えて足を止めた。
「……おい、行くぞ」
無理矢理歩かせようと、少しだけ力を加えるも、弱い力で踏ん張って動こうとしない。
手から伝わる震え。その震えが陵の感情の答え。
「い、やです」
「知るか。行くぞ」
更に力を加えると、今度は俺の手をあらん限りの力で振り払った。
振り払った自分の手を抱え、俺を怯えを隠すように厳しく見据えてくる。
「どうして、ですか?」
どうして、だと?それは俺のセリフだ。なんでお前は立ち止まる?
「もういいじゃないですか。一蹴は答えを出したんです。ここにいないのがその証拠じゃないですか」
「……お前、本気で言っているのか?」
「三上さんこそ、どうしてそんなことをするんですか?」
なるほどな。つまりこいつは鷺沢の答えがこれなのだと諦めてしまった……だから、もう動けない。これ以上、あいつから答えを聞く勇気は自分にはないと……そんなどうしようもない恐怖で足が竦んでしまったわけだ。
動こうにも動けない。心がそれを望まない。
一つ息をついて、俺は空を仰ぐ。
俺だったらどうだ?もしも俺が――にもう一度会う事が出来たとしたら……
想像しただけで俺は足が竦んでしまった。自分を罵り、蔑み、糾弾する声。その声に俺は耐えられるのか?無理だ。俺自身が自分の過ちを認めてしまっているのだから。ちっぽけな俺の心は、その声に粉々に砕かれるだろう。容易に想像できる。
「どうして、か」
でも……それでも俺はッ!!
「俺なら、例えどんな声でも良い。俺を傷つける言葉を百並べられても構わない……それでも俺は、会いたいって願っているから」
どんな言葉で責め立てられ、世界全てに否定されても、会える嬉しさに比べたら些末なことだ。
「それって、彩花さん……ですか?」
「俺、馬鹿だからさ、逃げたくないんだよ。全部受け止めたい。それがどんなことだって良い。それが大切な奴なら尚更だ……その声ですら大切だと思えちまうから、だから真っ直ぐ向き合いたい」
何一つ飾らない言葉。不格好で、格好良さなんて微塵もなくて……こんな言葉が陵に届くかはわからない。それでも、大切から目を背けることは、今後のこいつの傷になる気がするから。
「……三上さんは卑怯です」
「知らなかったのか?」
「……知ってました」
「それに、お前は向き合ったじゃないか、リナちゃんに真っ直ぐに謝れただろ?」
「はい」
「なら、鷺沢とも向き合わないとな。リナちゃんに恥じない生き方をしようぜ?」
「でも、一蹴の目を真っ直ぐに見れる自信がありません」
「お前なら大丈夫だ。それに、もしも崩れそうなら俺がいる。信がいる、唯笑がいる。こんだけの馬鹿がお前といるんだ、怖いものなんて何もない。そうだろ?」
「……なんですかそれ」
「最強だろ?」
「ふふ、負ける気がしなくなりました」
「当然だ」
お前一人くらい何度だって怯えから抜け出させてやる、この程度で良いならいくらでも引っ張り上げてやる。だからいくらでも傷つけ、どれだけでも泣き喚け。一晩中だろうが、一日中だろうが、一年中だろうが俺達がお前を笑わせるために馬鹿をしてやる。歩けるようになるまで背中を蹴飛ばしてやる。
「よし、大丈夫だな。じゃ、思う存分泣きじゃくりに行こうぜ?」
俺の差し出した手を、今度は陵が握ってくる。俺の背中を見失わないように、ぎゅっと強く。
『はい、ではカップル成立した方はあちらの……あれ?』
『は、はは。久しぶり、健』
『なんで翔太がそこにいるの?』
『なんでだろうなぁ?』
窓の外を流れていく街並みを眺めると、そこにはそれぞれの日常がある。
子供と手を繋いで歩く親子、じゃれ合いながら歩く友人、仕事中のスーツ姿の大人、待ち合わせをしている恋人。沢山の日常があって、今の私も他人から見ればなんてことのない日常の一部なんだ。そう考えると、先程まで抱えていた不安が、ふっと軽くなった気がした。
車内に流れる軽快な音楽。三上さんは指でリズムを取りながら運転する。何も気負わずに……?ほんの少しの引っ掛かり。それが気になって、私は三上さんに問いかけた。
「あの、三上さん?」
「甘くて苦くて目が回りそうです♪」
「三上さん!」
「な~んだよ~♪」
陽気な返事に力が抜けそうになる。私の人生に関わる問題を前に、どうしてこれ程までに気楽でいられるのか、神経の図太さに脱帽してしまいそう。
「一蹴がどこにいるのか知っているんですか?」
迷いなくハンドルを切っているけれど、そもそも一蹴がどこにいるのかわかっているのかな?
「あ~、それなら「静流さんが、一蹴は今日休みを取ってるって言ってたんだよな?大事な用があるとかで」そうそう、てなわけで……あ?」
「へ?」
三上さんの言葉を遮った言葉。その発生源は後部座席からで、そちらに目を向けると、悪戯っ子のような笑顔で手を振る稲穂さんがそこにいた。
「いい、稲穂さん!?いつからいたんですか!?」
「最初から潜んでたんだよ」
それにしたって、気配が全然なかったんですけれど。忍びの生まれか何かですか?
「で、なんで鷺沢が休みを取ってる事をお前も知っているんだよ?」
「俺も連絡したからだよ親友。智也のが少し早かったみたいだけどな」
本当に兄弟のように気の合う二人だなぁって感心するよりも!
「それより、なんで稲穂さんが一緒にいるんですかぁ!?」
三上さんだけならまだしも、稲穂さんにまで情けない姿を見られてしまう可能性が……いえ、その、ついこの前見られているけれどね?それでも一回と何回もとでは意味が違うわけで。
「まあ、いてもいいんじゃないか?お前が泣き喚いても信なら慰めるだろうし」
「泣くこと前提なんですね!?」
「ちなみに俺は爆笑で迎えてやる」
平手で迎え撃とう。
「いいじゃんか、俺がいてもさ。何せ、最低でもグッドにしないといけないし」
「ノーマルで充分だろ?」
「……何の話ですか?」
私の知らないところで何かを共有しているらしく、二人は素知らぬ顔で歌い始める。
『南南西を目指してパーティを続けよう♪』
お二人は二十四時間お祭りじゃないですか。お似合いの曲過ぎて笑ってしまう。
「じゃなくて、稲穂さんの登場の所為で忘れてました」
「俺の所為って……」
「一蹴がどこにいるのか知っているんですか?」
そんな私の最初の疑問に、三上さんも稲穂さんも不敵に笑う。
「察しの悪い女だな。だから小僧に愛想を尽かされるんだ。ざま!?おい!脇をつつくな!死ぬぞ馬鹿!?」
そのままトラックに運転席だけ突っ込めばいいんです。私の心の傷を嬉々として突いてくるようなんて。
「智也、お前もう少しデリカシーを持てよな。だから彼女が出来ないんだよ」
「あと見た目ですね」
「お前等今すぐ車から飛び降りてしまえ!」
ぶつぶつと文句を言いながら、三上さんはそっぽを向いて口を開いた。
「あいつの居場所なんて、一つしかねぇだろ」
そんな三上さんに、稲穂さんもそうだなと同意する。
結局私は一蹴がどこにいるのか、二人が何を見据えているのかもわからないままそこへと連れていかれた。
私と一蹴、二人が心を誤魔化す事の出来ない唯一の場所へと……
目を閉じて思い出す過去は、いつだって綺麗な事ばかり。
飛田扉の不貞腐れた仏頂面と、飛田扉を揶揄う俺、そんな俺達を見て屈託なく笑うつばさちゃん。幼い日々の思い出はいつだって三人の美しくて……そんなことしか思い出せない自分はなんて弱いのだろう。
もっとあったはずなんだ。つばさちゃんの涙も、飛田の打ちひしがれる姿も、俺の無力な悔しさも、あったはずなのに……何一つ思い出せない。いや、思い出したくないだけだ。
正面から向き合うことが出来る強さを持ち合わせない俺は、弱虫以外の何者でもなくて、だからだよな。いのりをずっと傷つけてしまったのは。
「俺がさ、もう少し強ければいのりは話してくれたと思うんだ」
手を合わせながら、俺は上を向けないまま彼女へと語り掛ける。そんな資格はもうないけど、上を向けないけれど、それでも言わずにはいられない。
「つばさちゃんの事を受け入れていれば、あいつが自分を追い込む事なんてなくて、君を傷つけることだってなかった」
ずっと、あの日から考え続けた。それ以外に何も出来ることがなかったから。
ifに意味があるとは思えないけれど、もしもあの時俺がって。そうやって考えていくと、結論は一つしかなくて……全ての責任は俺の弱さだ。
「二人共参るよな?飛田がキレて当然だ。俺は何一つ成長しちゃいなかった。辛い現実に目を瞑って、怖い怖いって震えて蹲って……だせぇよ。今だってそうだ、俺は君と目を合わせることも出来ない」
今になって自分の愚かさ、惨めさ、罪の重さを知って、ようやく自分がどんなに矮小な人間かを自覚出来たんだ。どうしようもない、おめでたい馬鹿だった。
こんな俺が何をどうしたらいいか、悩んで悩んで悩み抜いて、それで出た答え。ただ一つ空っぽになったと思った心に残った答え。
膝をついて、両手を地面につき、額を地に伏せて俺は彼女と向き合う。顔を向けられない俺に出来る誠意は、こんな事くらいだった。
「ご、めん……俺、ほんと、どうしようもねぇよ……」
許されないと、君の前で俺に涙を流すなんて……そんな無様は許されないと知っていても、弱い俺の心は耐えきれない。地面を濡らす雫が次から次へと溢れて仕方ない。
雨なんか降ってもいないのに、そこは水溜りが出来そうなくらいに濡れていた。
「つばさちゃんを泣かせて!いのりから笑顔を奪って!飛田に憎ませてしまって!」
大事なつばさちゃんの絆を、俺がぐちゃぐちゃに壊してしまったんだ。
子供が積み木を崩すかのような、悪気のない悪意で。
「君の大切を壊して!ごめん、なさ……いッ!ごめ、ごめ……んッ!」
頭の中が真っ白で、もうごめんの言葉以外が出てこなくて、ぐちゃくちゃの感情のまま俺はつばさちゃんに縋る。
許してくれなんて言えない。許さないままでいい。馬鹿俺は、一度許されてしまえば君の想いを忘れてしまうかもしれない。だから、どうか許さないで。
身勝手な願いを、どうか彼女が受け入れてくれたらと、長い時間俺はつばさちゃんへと頭を下げ続ける。
そうして、どれほど時間が過ぎたのか……ようやくだ。ようやく聞こえ始めた。いのりの何にも、信や皆の中にも降っている音。雨音が俺の耳の奥に聞こえ始めてくれる。
この音が聞こえなければ始まらない。始める事なんて出来ない。
こんな弱虫の俺でもさ、ようやく出来たんだ。もう二度と揺らがせない、揺るがしてはいけない覚悟ってやつが。
その覚悟を、ここから始めよう。
その為には、虚勢を張れ。強がって見せろ。俺は曲がりなりにも男なんだ。なら、大切な人の前でこれ以上格好つけられないような、そんな男で良いわけがない。
歯を食い縛り、意を決して上を向く。つばさちゃんから目を背けるのは昔の弱虫の俺。現在の俺は違うだろう!
腕で涙を拭い、情けない顔をマシな顔へ。
「……つばさちゃん、もう一つ謝らないといけない事があるんだ」
空っぽの心に残った答え。それが真実なのだと信じるから。
「ううん、そうじゃねぇな。謝るのは卑怯だ。だから、宣言……かな?」
この真実はもう二度と違えない誓いへと繋がる、俺の嘘偽りない気持ち。
目を瞑り、逃げ続けた俺が逃げてはいけない存在。
それに気付いてしまったから、もう無視なんか出来ないんだ。
「俺、あいつを抱き締めに行くよ」
誰に咎められても止まれない、止めようものなら這ってでもそこへと辿り着く。その覚悟が俺の唯一だ。
「雨に濡れ続けたあいつに傘を渡しに行く!代わりに俺が濡れ続けてみせる!今度は俺があいつの隣にいるんだ!」
一緒の場所に立てた今だから出来る。もう一人で俯かせたりなんかしない。あいつが泣いている時に一人にしてなんてやらない。
「泣いてるあいつの隣で、雨の中俺は笑ってやるんだ!笑ってその手を離さない!大丈夫だって言い続けてやる!」
だって、それが俺の――
「こんな馬鹿の為に仮面をつけ続けたあいつを俺……壊れちまうほど好きになっちまったからさ」
最後に残った真実なんだ。
――馬鹿、馬鹿だね、一蹴は……
肩に掛かる懐かしい重さ。背後から俺の肩へと両腕が回されて抱き締められる。
「なんだよ……俺、今つばさちゃんに言ったばっかなんだけど?抱き締めに行くって。なのに、抱き締められるとか格好悪いじゃん」
「馬鹿、一蹴のばかぁ……」
頬にかかる俺の好きな髪の毛の感触がくすぐったい。くすぐったくて、涙と共に笑いが込み上げてくる。
そうだ、この存在を俺は求めていた。
愛しい繊細な手を握って目を瞑る。
「馬鹿はどっちだっつうの。お前、覚悟しとけよな?今度は俺がしつこくお前につき纏ってやるから」
「うん」
「嫌だって言ったって、離さないからな?」
「うんッ」
「お前の髪の毛で遊んでいいのは俺だけだ」
「うんッ!」
俺達二人だけしか祝福しない二人だとしても、もう二度と俺は迷う事はないだろう。俺の為に犠牲にしてきたいのりの時間。その時間を俺は埋めていこう。どんな犠牲を払ったとしても、いのりの笑顔がその先にあるのなら、それだけで良いと思えるぐらいには強がれるようになったのだから。
「智也、お前の見たかったハッピーエンドだな」
遠目で二人を眺めながら、智也の肩に手を回す。
俺も智也もこうなるように動いていた今回の一件だけど、ハプニングばかりで思い通りに動いた事のほうが少ない。特に、一蹴が大学祭に現れなかったのが最大の誤算だ。
そこで一つわからないことがある。なぜ一蹴はいのりちゃんと寄りを戻す事を望んでいたのに、学園祭に来なかったのかだ。いのりちゃんの事を選んだのなら遅れるなんてあり得ない。そこだけが謎のままだった。
もしかしたら智也は答えを知っているのかもしれないと、智也へと顔を向けたのだが、それを聞くことは出来なかった。それどころか、その事がどうでもよくなるような衝撃が身体を駆け巡る。
「……車に戻るぞ。もう少ししたらあいつらも戻ってくるだろう」
「あ、ああ」
背を向けて歩き出す智也に、俺は何も声を掛けられなかった。
二人を見る智也の顔。その目。それは今までに俺が見たことのない表情だった。
羨望、祝福、悲愴、哀愁……ありとあらゆる感情を押し留めようとして失敗したかのような、そんな不細工な微笑み。
その表情に俺は――
「……やっと、だな」
喜びに打ち震えて叫び出したくて仕方なかった。
俺以外にもう一人、智也のそんなこちらまで締め付けられてしまうかのような表情を見ていた事にも気付かずに。
「いのり?」
どこか心ここにあらずの様子を見せたいのり。どこかへ視線を投げたまま固まっている。どうしたんだ?
「いのり!」
「は、え?」
大きな声で呼んで、ようやくいのりは俺へと向き直った。
「どうしたんだよ?」
「う、ううん。なんでも……あ、それよりも一蹴?」
さっきの放心した様子を隠すように、いのりは頬を膨らませて俺の鼻をつまんでくる。
「なんで大学祭に来なかったの?」
「……は?来なかったのって?」
いのりが何を言っているのか理解できない。何か約束をしていたっけ?いやいや、していた覚えはない。それどころか俺は行くつもりだったんだ……今から。
その事を話すと、いのりはん~?と首を捻り、俺も首を捻る。どうにも会話が噛み合わない。そこで、一旦整理することに。
「えっと、いのりは大学祭で、あの男に招待されて行っていたのか?」
「うん。イベントがあって、そのイベントに一蹴が来るからって」
だよな。俺もそのイベントに招待されたわけで。なのに来なかったってどういうことだ?
「だから待ってたんだよ。なのに四時になっても来ないから」
「……四時?」
「うん」
「四時、ね」
「一蹴?」
いのりの答えでようやく合点がいった。俺は黙って懐に仕舞っていた招待状をいのりに渡す。
「あれ、これって招待状?」
「それ、読んでみろよ。汚い字だけど、なんとか読めるだろ?」
「手書きで送ったんだね。えっと……イベント開催時間が……」
俺の言いたいことが伝わったらしく、いのりの招待状を持つ手が震える。おそらく怒りで。
「開催時間が6時?16時じゃなくて、ろ・く・じぃ~~~~!?」
そうなのだ。その招待状には6時と記載されていて、いのりは16時だと言う。つまりあの野郎は、16時の1を書き忘れていたらしい。だから、俺は元からこの時間に間に合うように、つばさちゃんのところを出るつもりだった。
さすがにつばさちゃんに何も言わないでいのりを迎えに行くのは、不義理が過ぎるってもんだ。
「ということは取り越し苦労だったどころか、全部三上さんの所為じゃない!」
「そうなるな」
三上とどんなやりとりがあってここまで来たのかは知らないが、いのりの茹でた蛸のような真っ赤な顔で大体の想像がついた。いらない心配を俺の為にしてくれてたに違いない。
むんずと俺の手を取り、いのりがずんずん勇ましく歩き始める。
「い、いのりさん?」
「一蹴、年上の人を虐めてみたくない?」
軽くあそこが縮み上がった。とんでもねぇ笑顔を人の彼女に植え付けてくれやがる。
もう二度といのりを怒らせない。俺の脳内プログラムを書き換えた瞬間だった。
これで全部終わりだよ彩花。
運転席に座り、ハンドルへと体重を預ける。心に圧し掛かる重さを預けるように。
俺があいつの為に一生懸命になった?違う。あいつの為なんて崇高な理由じゃない。俺の為だ。
視界の端にちょろちょろする何かが目障りで、それを振り払っただけ。それだけの事で、決してあいつの為なんかじゃない。
俺が優しい?馬鹿を言え。優しくなんてあるものか。もうずっと前から俺は世界の底辺で生きている人間なんだ。そんな人間が優しいわけがあるか。
唯笑も信も知らない。知られてはいけない俺の闇。雨なんて生易しいものじゃない。凍てつく雪がずっと降り続けている俺を、決して知られてはいけない。
唯笑達は俺が彩花を愛したままでいると、だから恋を忌避していると、そう勘違いしてくれている。勘違いではないが、それだけじゃない。唯笑は理由にまでは思い至ってはいないだろうが、もしかしたらそれだけじゃないと感づいている節がある。それでいい。深く追求してきてものらりくらりと躱してみせる。
まだ、なんだよ。俺に誰かを愛する権利なんてまだ与えられていない。もう少しだけは恋に踏み込めない。
そろそろいいかもしれない。逃げないで向き合おうと、そう思い始めた頃に陵は俺の前に現れた。
危なかった。正直、もう少し遅ければ俺は陵を……いや、臆病な俺は結局動けないままだっただろう。だが、それでいい。彩花と唯笑と信と俺。四人で俺の世界を閉じてしまおう。そこに入り込む異物は排除する。
お前は、こんな事望んじゃいないのはわかっている。でもな、お前だけは知っているだろう?どれだけ俺が汚れきったガキかを。こんな俺の傍に誰かを置いていいはずがない。俺の一番近いところにいていいのは、彩花……お前だけだよ。
悪いな、俺だけで背負うべき事なのにな。けどさ、それをお前は許してくれないだろ?だったら、ちょいと俺の迷惑を一緒に背負ってくれ。俺がたった一人遠慮なく迷惑を掛けられるのはお前だけだしな。唯笑と信には……俺以外の世界がある。二人にはどうしても幸せになってもらわないと困る。俺から離れるのに時間は掛かるだろうが、なんとかしてみせる。
だからさ、彩花。少しだけ待っててくれな?俺が死ぬまでもう少しだけ、さ。きっと俺は地獄行きだけど、顔を合わすくらいは許してくれるだろ?だから、それまでは……
――他の誰にも、この罪を背負わせてなんかやるものか――
お久しぶりです。
一蹴といのりが再び結ばれるここまでが一章となっております。
後日談、幕間と続きまして二章突入となりますので、暫しお待ちくださいませ。
……今回は思ったように書けなかったと、反省しております。