月面
『よーし、補給物資が届いたぞ。ここではネジ1本、ワイヤー1本が超高級品だと思え!!』
『わかってますよ、コードS-1』
漆黒の宇宙に浮かぶ白い星、月。その大地の上で、宇宙服を装備した人物達が、工具やら月面車を持ち出して、なにやら作業を行っていた。
彼らは、国際宇宙開発プロジェクトのメンバー達であり、月面基地の開発と居住エリアの開発を任されたプロフェッショナル達だ。
地球から打ち上げられ、国際宇宙ステーションを経由して送られてきた補給物資を受け取り、基地の整備などを行うのが彼らの任務だ。
国際宇宙開発プロジェクト、アメリカ政府及びグローバルコーテックスと呼ばれる大企業が母体となり、全世界規模で行われている一大プロジェクト。かつて、人類を月に運んだ偉大なる船――アポロ号――の名を冠しアポロ・プロジェクトとも呼ばれていた。
『こちらムーンラビット。コードH-1が補給物資を輸送し、その後でそちらの作業にまわす。問題は無いかコードS-1』
「コードS-1了解。コードH-1によろしく言っといてくれ」
作業整備班長コードS-1――セルゲイ・スミノフは新しいパイプを溶接しながら、通信機の相手ムーンラビット――基地指令に返事を返すと、鼻歌交じりで作業に戻る。
コードと言うのは、彼ら開発プロジェクトメンバーの間で使われる通称のようなものだ。セルゲイの頭文字はSであり、一番最初の参加メンバーなのでS-1。
彼の部下のボブならば、B-1。先にジョージがJ-1と付けられていたので、ジョンソンはJ-2など。それぞれが作業中は番号で呼び合っているのだ。
唯一例外はH-1と呼ばれるコードを持つ【彼】ぐらいだろう。
月面を疾駆する銀色の影――と言えば、格好が良いかもしれないが、塗装も何も施されていない素体の色だ――が、ステーションから打ち出された補給物資を捕捉する。
『こちらH-1。物資を確認。これより、基地に輸送する』
ブースターを噴かして飛び上がり、銀色の影――国際宇宙開発プロジェクト所属の全身装甲IS――はワイヤーアンカーを補給物資に括り付けると、ゆっくりと地面に降ろす。
そして、物資コンテナに装着されていた車輪を起動させると、開け放たれていた月面基地の格納庫に運び入れた。
そこに待機していた作業員達に任せると、ワイヤーアンカーを解除して肩のインサイドに巻き上げる。
『ご苦労H-1。引き続き、外の作業に移ってくれ』
『了解。S-1、何か問題箇所はありますか?』
『あぁ、H-1か。今の所は大丈夫だが、新しいポンプ持ってきてくれるか?少し長さが足りなかった』
H-1は短く了解と答えると、格納庫内に設置してあったポンプを持ち上げると、S-1が作業している地区に飛び上がった。
眼下に広がる月面基地の所々で、溶接や塗装をしている作業員の姿が見える。その一角で、手を振っているのはS-1だ。静かに側に降り立つと、運んできたパイプを溶接箇所に設置して、H-1が背部に装着していた溶接器具でつなげ始める。
『そう言えば、今回の補給物資、中に家族からの贈り物があるんだったな』
『その筈ですよ。S-1は奥さん達からの手紙ですか?』
『なっはっは。うらやましいかH-1?お前さんも、良い嫁見つけろよ』
『月に居るのは、ウサギ位ですよ。後は俺達プロジェクトメンバーですか』
スキャンバイザーの下でH-1は小さく笑みを作る。多くのプロジェクトメンバー達は、最年少のH-1の事を良く気にかけてくれている。
時に最初期から参加しているS-1を初めとする古参達にとって、H-1は子供のような物らしい。
『H-1聞こえるか?こちら、D-2だ。すまないが、岩に車輪が挟まっちまった!少し手伝ってくれないか?』
『おいおい、D-2。昨日も同じことしただろうが!!気をつけろ!!』
『仕方がないでしょ、S-1!!でこぼこしてんですから!』
『こちらH-1。直ぐに向かいますよ。S-1ここはお願いします』
スキャンバイザーに記された地点まで飛翔すると、少し大きめの岩に車輪を取られた月面車が見えた。近くでは、先ほどの通信相手の作業員がこちらに手を振っている。
『アンカーワイヤーで引っ張りますから、少し離れててください』
任せた言って作業員達が、充分な距離をとったのを確認すると、H-1はワイヤーアンカーを打ち出して車に固定。ブースターを点火して、ゆっくりと車を動かし始めた。
本来ならば大出力ブースターなのだが、全開にしてしまえば、車を何処かに吹き飛ばしてしまうそうなので、出力には充分に気をつけているらしい。
そうしていると、岩から車輪が外れ、それを確認した作業員達が乗り込んでエンジンをかける。
『すまない、H-1。これで作業に戻れるぜ』
『また何かあったら、言ってください。……これは道路整備も考えないといけないか。やることは多いな……』
スキャンバイザーの下で小さく呟きながら、H-1は再び別の作業現場に飛び立った。
月面基地内部 IS専用格納庫
【酸素注入を確認。気圧問題なし、外壁ロック問題なし。ISを解除に問題ありません】
格納庫内の響く電子的な声を聞きながら、H-1はふうと小さく息を吐きながら、纏っていたISを解除する。その中から出てきたのは、明るい蜜色の髪が特徴的な少年。
本来ならば、ISとは女性にしか扱えぬ絶対兵器と言うのが、一般的常識。
最も、本来ならばH-1が行っているように、ISの本来の目的は宇宙開発の筈なのだが、何故か軍事転用された悲しき兵器でもある。
高性能なISは既存の兵器を旧世代の遺物にし、女尊男卑と言う風潮を作り上げてしまった。現在では、競技用として扱われているが、兵器には変わりは無い。
まぁ、月面基地には女尊男卑という物はないし、第一、母体となっているネスト財団は男女平等を謳っており、才あるものならば性別は問わない。
少年、アーウェンクル・ランガードはISスーツを脱ぐと、作業用の服に着替えて格納庫を後にした。人口重力が働く基地内部は、地球上と同じ環境に保たれている。
「よう、アーウェン。お疲れさん」
「セルゲイ班長。お疲れ様です。これから、食事ですか?」
「あぁ、お前もだろう。一緒に行こうぜ」
うーん……廊下で背伸びをしていると、アーウェンクルの背中を叩きながら、セルゲイは隣に並んで歩き始めた。叩かれた本人も、小さく笑みを浮かべて、はいと言っている。
こうして面倒見が言いセルゲイだからこそ、班長と言う肩書きを持っているんだろう。
「ったく、ディックの奴。また車輪をはめてやがったからなぁ」
「仕方がないですよ。そろそろ、作業用通路の舗装、考えたほうが良いかもしれませんね」
「まぁ、それも必要か。許可が下りるのは、次の物資補給だろうけどな」
「そう言えば、家族からの手紙見たんですか?」
「当然だろうが。ほれ、嫁さんからの手紙と写真。そして、ほれ!!」
満面の笑みでセルゲイは一枚の画用紙をアーウェンクルの鼻先に突きつけた。そこには、クレヨンで似顔絵が書かれていた。
恐らくは、彼の子供が書いた似顔絵なのだろう。持っている彼の顔は、これ以上に無いほどデレデレしている。
「お子さんが書いた似顔絵ですか?」
「おうよ!!もう、うれしくて嬉しくてしょうがねぇよ。きっと俺の子供はノーベル美術賞取るな!!」
親馬鹿全開のセルゲイに、アーウェンクルは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
嫁と子供の惚気話を聞きながら、食堂に入り他の作業員達に手を上げたり、挨拶を交わしながら、何時もの様に地球が一望できる窓際の席に座る。
「よう、アーク。この記事読んだか?」
「記事?……あぁ、先ほど届いた新聞ですか」
作業員の1人が、アーウェンクルに新聞を投げ渡す。今回の物資で届いたものなのだろうが、どうかしたのか?と首をかしげて新聞をめくる。
すると、そこには世界初の男性IS操縦者が登場したと大きく書かれている。
「へぇ、ISを動かせる男性か。名前は……オリムライチカで良いのか。下は騒然となってるだろうな」
「いやいやいや!!まずは世界初って所に食らいつけよ!!お前だって、男でIS動かしてるだろう!?」
「俺の場合は特別ですし、何より公にはされてませんから」
なんでもないと言った様子で、アーウェンクルはレトルトパックのカレーを食べながら、新聞を横に置く。周りの作業員達は、ため息を付いたり、肩を落としたりと反応は様々だ。
この少年は、とことん自分の事に関しては無頓着らしい。
「おまっ……自分がどんだけ重要で希有な存在か、わかってんのか?」
「充分理解してますよ。だからこうして、人類の夢のため、月で働いてるんじゃないですか」
自分がISを動かせると知った時に、アーウェンクルは真っ先に月面開発に名乗りを上げた。先程も述べたが、ISの多くは軍事転用され、本来の目的、宇宙開発から遠のいてしまっている。だからこそ、唯一の例外である自分が月の開発に携わるべきだと思ったのだろう。何より、公になると色々と面倒だったので、月と言う僻地に行けばばれる心配も無い
「班長、こいつ……こんなんじゃ、絶対に恋人作れませんよ」
「それ以前に月なんかじゃ、どうにもならねぇよなぁ」
「……そういやさ、下にIS学園って言う所があるらしいぞ。IS専門の学園で、女子生徒ばかりらしい」
「ふ~ん。このオリムライチカも、そこの入学試験で発覚したって書いてるし、そこに入学すんだろう?男1人で大変だよなぁ」
「……だったらよ、アーウェンもそこに通わせれば良いんじゃねぇか?」
セルゲイの一言で、作業員達がアーウェンクルに一斉に視線を向ける。……向けられた本人は、カレーを完食しお汁代わりのラーメンを食べている所だった。
実際、彼ら作業員達は、アーウェンクルに普通の学生の様に、青春を送ってもらいたいと考えていた。人類の為に、こうして働いてくれているが彼はまだ若い。まだまだ青春を満喫して欲しいと言うのが本音。
『総員聞け。ネスト財団より緊急連絡がある。各自、最寄のモニターの前に集合せよ』
「緊急連絡だぁ?……おい、映画止めろ。モニターに写すぞ」
基地指令の放送と共に、ざわめいていた食堂が一斉に静かになった。食堂内のモニターで流されていた映画をとめさせると、セルゲイを初めとする作業員達が前に集まる。
後ろではマイペースにアーウェンクルはコーヒーを飲んでいた。映像を見なくても、音声だけ拾えれば問題ないと思ったのだろう。
『やぁ、諸君。久しぶりだ。経過報告を受けているが、開発は順調のようだね』
「レ、レイヴン総帥!?ま、まじかよ……」
モニターに映し出された男性こそ、月面開発プロジェクトの最大出資者、グローバルコーテックスの長、レイヴン・アークーフェザーその人である。まさかの総帥登場に、別な意味で作業員達は困惑を隠せない。
そのざわめきを気にせずに、レイヴンはにこやかな笑みを浮かべて、言葉を続けた。
『今回、緊急連絡と言う方法で通信しているが、なに、特別悪い知らせではないのだ。……勿論、暗号処理してあるので、解析はされないさ』
「暗号処理するって、結構やばい内容の様な気が……」
『はっはっは。セルゲイ君の言うとおりだな。まずは、今回の物資に積んであった新聞は読んだかね?世界初の男性IS操縦者の所だ』
「え、はぁ。読みましたけど、こちらではそんなに驚くことでも無かったですよ。アーウェンも居ましたし……」
男性でISを扱えるアーウェンクルを見てきたので、月面ではそんな大騒ぎにはならなかった。
強いて言えば、彼の存在が公にされておらず、オリヒメイチカが世界初と言う所で騒いだ程度だ。
『うむ。織斑一夏。彼はかの初代ブリュンヒルデの実弟であり、我が財団の頭脳、夏冬春秋の知り合いでもあるのだ』
「初代ブリュンヒルデと言う事は……ラナさんと決勝で戦った織斑千冬の?」
『おぉ、アーク、元気そうだな。うむ、君の言う通り、織斑千冬の弟だ』
世界最強と呼ばれる織斑千冬。そんな彼女と、第一回モンド・グロッソの決勝戦で戦ったのが、レイヴンの妻であるラナ・ニーセルンだ。
その決勝戦は、激戦にして名勝負だったと語り継がれている。アーウェンクルにとって、レイヴンは父の様な存在だし、ラナは母親のようなものだ。
『まぁ、彼の件に便乗と言う訳ではないのだが、アメリカ政府も財団に打診をしてきたよ。……そろそろ公表すべきじゃないのか、とね』
「それはつまり、俺の存在を世間に明かすと言うことですか?」
『うむ。政府も国内に居ないか調査して、発見したと言う事で公表したいと言ってきている。勿論、所属はネスト財団であり、開発プロジェクトになる。
勿論、私としては、この機会に地球に帰還し、織斑一夏と同じIS学園に入学して欲しいと思っている』
「し、しかし、俺が抜けたらこちらの開発計画が滞るのでは……」
『それに関しては問題ない。財団から増員と出資金額を増額する。……君も少しは学生生活を送りたまえ』
最後の方でレイヴンは、暖かな父親のまなざしでアーウェンクルの事を見つめていた。彼もセルゲイ達と同じで、アーウェンクルに地球で学生生活を送って欲しいと思っているのだ。
「アーウェン。たまには自分の事も考えろって。俺達だけでも、開発はうまく出来るさ」
「そうだぞ、アーク!!この機会に、地球の生活を満喫してこいよ!!」
「そうだ!!地球でアーウェンが嫁を見つけてこれるか、賭けしようぜ!!」
セルゲイを筆頭に、騒ぎ出す作業員達をレイヴンは、はははと見ているし、アーウェンクルに至っては戸惑っていた。
しかし、作業員達は口々に、ここは任せろ、とか、子供は子供らしく学校に行けよ。と暖かく送り出そうとしてくれている。
『どうかね。みんながこう言っているのだ。こちらに戻ってこないかね?』
「総帥……。わかりました。アーウェンクル・ランガード。地球に帰還し、IS学園に入学します」
『よろしい。ならば、数日中に帰還用のシャトルを用意しよう。会見はこちらで行っておく。勿論、君は以前から月面開発に従事しており、帰還して調査したら、適正があった、と発表する
入学手続きも、任せておきなさい』
こうして、世界で2番目の男性IS操縦者、アーウェンクル・ランガードはIS学園に入学することになった。
「よーし、野郎共!!今日はアーウェンの門出だ!!騒ぐぞぉぉ!!」
「「「おぉー!!」」」
・レイヴン・
地球 アメリカ アイザックシティ
本社ビルの最上階で、私は小さく息を吐き捨てた。アーウェンクル・ランガード。彼と出会ってから、随分と時間が過ぎ去ったものだ。
自宅の庭先の手入れをしていたときに、彼は木々の間で静かに眠っていた。私の気配に気がついたのか、目覚めた彼を、とりあえず家の中に連れて行き話を聞いた。
しかし、その全てが訳の分からないものだったよ。名前は無い、地名も知らない。親も分からない。なにより、声に感情が無い。
覚えていた言葉も、訳が分からない物だらけだ。【次期H-1デバイス】【熾天の器】【秩序の守護者】何かの神話なのだろうか
警察に届けるべきか……と悩みながらも、私は一応財団の医療スタッフにメディカルチェックを行わせたのだが、ある意味で良かったのかもしれない。
知らされた内容は、驚愕するほどのものであり……吐き気をもよおすものだった。彼の身体は……殆どが改造されていた。
内蔵系は通常のものより、強固な物に変換され、筋力も薬物か何かで引き上げられている。
なにより、狂気としか言い様がないのは、神経の光ファイバー化、骨格内部に機械を埋め込んだ骨格強化。それなのに、成長するとはどういう原理なのか。
一体、誰が何の目的で、この少年にそんな改造を施したのかは、分からない。ただ1つ言える事は、その全てが高水準であり、代償など1つもないというところか。
なにより、一番気になったことは、彼の瞳と左肩に記されている文字【H-1】とは何なのだろうか。疑問は尽きなかった。
調べていくうちに、彼が唯一所持していた紅いイヤリングがISのコアだと分かり、彼は何処か非合法な研究機関で生まれ、改造されたのかと結論付けた。
驕りではないが、私の庇護の下に居れば、そんな研究機関に狙われることも、政府に預けてモルモットにされることも無いだろう。私は、彼の存在を伏せる事にした。
アーウェンクル・ランガードと名づけて、息子のように可愛がり、無償の愛を注いできた。
だからこそ、彼には自分の事を考えて欲しいのだ。私の宇宙開発と言う夢だけではなく……自分の未来を。
「……あぁ、私だ、春秋博士。アーウェンクルがIS学園に入学してくれることになった。うむ、ついては君もそちらに行って貰いたい。うむ、彼のISは特別性だ。君以外には整備は出来ないだろう。後は、武装と塗装も施さねばなるまい。……資金は用意しよう、よろしく頼む。」
夏冬春秋。彼もまた、私の夢の為に、引き入れた天才。かの天災、篠ノ之束と世界最強織斑千冬の幼馴染。
束博士が失踪したときに、日本の要人保護プログラムで篠ノ之一家が分裂するのを完全には防げないが、週3~4回は連絡を取れる様にできる。その代わりに、我が財団に所属して欲しいと持ちかければ、帰ったきた答えはOKと言う物だった。束博士には及ばない物の、彼もまた天才であり、宇宙開発には無くてはならない存在となっている。
つくづく、私は汚い大人なのだろう。……彼の優しさを利用し、彼自身と彼の大切な者の間を引き裂いたのだから。
その贖罪と言う訳ではないが、IS学園には織斑千冬が居ると言う。再会の手伝いくらいは……行いたいものだ。
短いのに詰め込みすぎて、訳が分からなくなった……