家に帰ってから、シンタローは作曲に再び取り掛かろうとした。
しかし、まったく手につかなかった。やる気が出なかったのだ。
油断していれば、すぐあいつのことを思い出してしまう――シンタローはそんな葛藤に襲われていたのだ。
「あ、あのー……ご主人? どしたんです?」
エネが優しく声をかけるも、シンタローはそれを半ば無視する。
シンタローは再び、過去に戻る。
それは、シンタローと彼女の――ある思い出。
◇◇◇
楯山文乃という少女は、お世辞にも頭がいいとは言えない学力だった。
そんなことなのに父親は高校の先生をやっているのだという。なんともおかしな話だ。
とはいえ、昔からの友人であるアヤノを、俺――如月伸太郎は放っておくことなんて出来なかったのだ。
「なあ、アヤノ。お前どんだけ頭悪いんだ? このxはここじゃなくて、ここに入れるんだ。そしてこれは二次方程式の解の公式を使うんだよ……」
「そんなこと言われてもわかんないよ……。もっと解りやすく教えてくれないかなあ」
「解りやすく……たって、これでも精一杯だ。理解が足りないんじゃないのか?」
「ひどいなあ、シンタローは」
そう言ってアヤノは笑った。
俺は気を取り直して、
「ほら、笑ってないで宿題やるぞ。これやらないと来年も三年生なんだろ?」
「うわー! それは嫌だね!」
「だから頑張れ、って言ってるんだろうが……」
俺は怒りを抑えながら、またアヤノに勉強を教え始めた。
アヤノの宿題が終わる頃には、もうすっかり夕方だった。
「……もうこんな時間か」
時計を見るともう六時を回っている。
アヤノは宿題が終わったのを自慢げに俺に見せてくる。しかしながら、その六割以上は俺が答えを教えたに等しいことを本人は覚えているのだろうか?
まあ、いい。
そんなことはどうだっていい。
一先ず、俺は帰ろう。
「ごめんね、今日午後の授業ないのに手伝わせちゃって……」
玄関でアヤノはそう言って平謝りした。
「……別に。暇だったから手伝ってやっただけだ」
俺はそう答える。
対してアヤノは微笑みながら、俺の顔を見た。
「ほんとにありがとうね、シンタロー」
「……ほら、そんなことより帰るぞ。もう日が暮れちまう」
そう言って俺はそそくさと靴を履いた。
「うん……そうだね」
アヤノは、そう頷いて俺の後ろをくっつくように歩き出した。
「ねえ、シンタロー。少し疲れているんじゃない?」
アヤノが、俺の隣に歩いているときにそう言った。
俺は「そうか?」と答えた。アヤノはさらにそれに続けて、
「うん。きっとそうだよ。目にもクマができているし」
「それは昔からだ」
「あれ? そうだっけ?」
「そうだ」
俺はアヤノの言葉を乱暴に返すと、さらに歩き出す。
「でも、ちゃんと食事とか取ってるの?」
何を唐突に。
「……ああ、とってるよ。別に、俺に構わなくていい」
「でもシンタローのことが心配なんだよ」
「うるさいな、どっかへいってくれよ!」
言ってしまった。
もののはずみで、俺はアヤノに言ってしまった。
でも、アヤノはそれでも微笑んで、
「行かないよ、だってシンタローのことが心配だし、シンタローとこうして歩いて帰りたいから」
そう言って、アヤノは俺の手を掴んだ。