第六話 ロスタイムメモリーⅠ
考えたことはないだろうか。
自分が既に死んでいるのではないか――ということについて、だ。
今の世界は非常につまらない。
生きる気力もない自分は、すでに死んでいるのではないか――。
「……曲が出来ねーっ!」
シンタローという少年はそんなことを考えている余裕があった。実際、イライラしていたのだろうが、けれども少年はイライラしている暇などなかった。
コーラを一口飲み、目を再びパソコン画面に向けた。彼は今、音楽を作っていた。
そこそこ有名なプロデューサーになって、アルバムを発売する――それがシンタローの目標であった。
しかし。
「ご主人、まったく毎日向かっているのにこの出来……やはり派手な何かがないとだめなのでしょうか?」
「おい、何を言っているんだ?」
そう言ってエネ――シンタローのパソコンに住み着く少女――は笑って、
シンタローの目の前の画面に浮かび上がっていた演奏データを強制的に削除した。
「うおおおおい! 何をするんだよ!?」
「ちょっとしたアレが必要かと思いましてテヘペロ」
「テヘペロじゃねえ!」
さて。
シンタローがどうして、このような状況になったのか。
そんなこと、解りもしない。
「……ったく、外にでも出るか」
そう言ってシンタローはハンガーにかかっている赤いジャージを羽織った。
――彼女のことを、忘れたくないから。
シンタローは、忘れたくなかった。いや、忘れられなかった。
だから今も、この赤いジャージを着ている。彼女の、好きな、色。
「……ご主人? どうかしました?」
エネに呼びかけられ、シンタローは現実に引き戻される。
「ん……いや、なんでもない」
そして、シンタローはスマートフォンを取り出して、イヤホンを装着する。エネもそれを見てスマートフォンに自らのデータをインポートした。
夏は暑い。
当たり前なことではあるが、八月十四日という日(つまり今日)は午前九時の時点で猛暑日を気象庁が発表するほどの暑さだった。
そんな町並みを赤ジャージのシンタローは歩いていた。
当たり前だが、保険証は持参している。「いつでも倒れても身元も判明するし病院行けるし一石二鳥だね!」と彼の妹であるモモが言ったためである。
「ほんとに今日は暑いですね~……。あんまりスマートフォンって中にある暑い空気のためにファンなんて付いてないんですよね……」
「つまり?」
「ノートパソコンを今度から持ち歩いてくださいね!」
「アホか! そんな余裕ないんだよ!」
ぎゃーこらぎゃーこらと、シンタローとエネはぐだぐだ駄弁りながら坂に差し掛かったところだった。
シンタローは立ち止まり、坂の上を見た。
そこには一人の少女が居た。
カゲロウのように、ゆらゆらと浮いていた。
「アヤノ……!」
彼女は、彼が知る数少ない人間のひとりだった。
そして彼は――あの夏の記憶を思い出す。
ある炎天下の日のこと、僕らは歩いていた。
まだ、とても暑く夏の温度が目に残っていた。
「ねえシンタロー、明日土曜日じゃない? どっかにいかない?」
「構わないでよ、何処かに行ってくれ」
僕は、あまりにも君が構ってくるから、君の手を払った。
「行かないよ」
そう言って君は、僕の手をつかみ返した。
「……五月蝿いな」
振り返ることもなく、僕は歩いていった。
僕は――いや、『俺』はその頃の自分に、問いかける。
――でも、本当の心は?
シンタローは買い物を済ませ、またいつものように引き篭っていた。
「……ご主人、そんなんじゃダメですよ?」
エネが心配するも、伸太郎には届かなかった。
伸太郎自身は天才である。
だが。
そんなものでは、前を向くことなどできないことは、彼には理解できていた。
「……巻き戻ればいいんだ」
ぽつり、と。
シンタローは呟くが、それは彼以外の人間に聞こえることはなかった。
「……なあ、エネ」
「どうしました?」
「もしも、もしもだが、カゲロウが夢を見せてくれるとしたらどうする?」
「どうでしょうね~」
エネは小さく微笑む。
「……まあ、いい。いいよ。悪かったな、変なこと聴いて」
そう言ってシンタローは自らのベッドに潜り込んだ。
「ちょ、ちょっとご主人!? まだ昼の二時ですよ!? 寝るには早すぎないですか……!」
エネの心配は必要もなかった。
彼はまだ眠っていない。
彼が考えているのは、ただ一つ。
――もしも、自分が死なない世界があるとするなら。
だが、彼は知っている。
アヤノという人間は、例え彼が何千年と生きようとももう居ないということを。