「決まったー!! ミッドチルダベルカ杯、優勝は新星、レイジー・ディリジェント選手っ!! 圧倒的、圧倒的な勝利でした。1R25秒でのKO勝利です!」
決勝の舞台。格闘家に限らず、スポーツの世界を生きるものなら誰もが望む舞台。普通であるなら湧き上がる歓声が舞台上の優勝者を称える。
照れくさそうにはにかめば、純粋な子なんだと観客に思われる。
ガッツポーズでも繰り出せば、闘争心のある強い子なのだと印象づく。
では、気怠そうに腕を下げ、弛んだお腹を引き締めようともしなかったのならどうだろうか?
結果、しーんと静まり返っていた。
初優勝に歓喜する姿を見せもしなければ、自分は強者なのだと絶対的な自信を見せる様子もない。
優勝インタビューにやってきた者をかなり嫌そうに見ながらため息を漏らす。
「もう帰っていいですか。お腹がすきました」
嬉しいですとも、自信になりましたとも言わない。優勝した感想が「お腹がすきました」である。あまりのことに観客は押し黙る。
少年はスタスタと舞台を下りて、控室のある通路に消えていった。
小規模とはいえ歴史ある大会で初の優勝者インタビュー拒否で締めくくることになった。
†
「何ですかっ! 先ほどの態度はっ!」
「シャッハちゃん、顔が近い。耳がきーんとする。あと目が怖い」
耳を押さえて苦しそうにするレイジーは、控室に超高速でやってきたシスターに説教を食らっていた。
「レイジー、優勝したことは立派です。私としても非常に嬉しい。最後のことがなければ感動のあまり泣いていたかもしれません」
「勝手に泣けばいいんじゃないかな。僕はその横でコーラでも飲むよ」
バッグをごそごそとあさり、大会中は気を遣って飲めなかったコーラを取り出す。本当に嬉しそうにごくごくと喉を潤していった。
「貴方はいつになったら行儀というのを覚えるのですかっ!」
「別に失礼な態度を取ったわけじゃない。相手が負けて悔しがっている中、コンサートを開いて熱唱したわけでもないし、バカにしたコメントを残したわけでもない。優勝コメントは残したから問題なし」
「お腹がすきましたなんて優勝コメントがありますかっ!!」
シャッハがいつもの穏やかさをすべて捨て去って怒り狂う。まあ落ち着いてと宥めるレイジーの行動がさらにシャッハを苛立たせるが、試合後で疲れているのか、シャッハの話をまともに聞こうともしていなかった。
「レイジーさん、お疲れですか?」
観戦に訪れていたヴィヴィオが心配そうにレイジーにタオルを渡す。
レイジーは下を向いたまま、ヴィヴィオの言葉に返事をしない。
ほぼ一方的な戦いとなった決勝戦でレイジーがケガを負うような場面はなかったはずだが、人知れず負傷していたのかもしれないと周りにいた者が慌てだす。
ただ長年の付き合いであるシスターシャッハはレイジーがなぜ黙り込んでいるのが分かった。
先ほどまで怒りで荒げていた呼吸を正常に戻してから、大きくため息を漏らす。肩もがっくりと落ちる。
「レイジー、賞金は貯金です。ちょっと夕食を贅沢にしようかなど考えてはいけませんよ」
「なのはさん達に食べさせてもらったドラゴンの味が恋しくて」
ずてっと子供組がずっこける。
「ご飯のこと考えていたんですね」
「先輩らしいと言えば先輩らしいけど」
「あははは……」
マイペースという特殊能力をレイジーは高いレベルで習得していた。
「そう言えばアインハルトさん来ませんでしたね」
「何か用があるって言ってたよね」
いつものメンバーであるアインハルトの姿はこの場にはいなかった。レイジーを目標にしている彼女なら観戦に訪れて当たり前なのだが、ヴィヴィオが昨夜連絡した時には用事があるとだけ告げて今回の観戦を断ったのであった。
「ストラトスが居てもいなくても何かが変わるわけじゃないし、良いんじゃない」
いつの間にか着替えを済ませ、帰る準備を整えたレイジーは特に気にした様子もない。
「シャッハちゃん、今日のことは僕の両親には内緒にしてほしい」
「なぜですか? 喜んでもらえるでしょうに……貴方、もしかして」
レイジーの両親はレイジーの将来を心配しシャッハに教育係を頼もうとしたほど、息子に愛情を注いでいる。
そんな両親に優勝報告を隠す意味はない。しかし、レイジーがそう頼んできたことでシャッハは頭を回転させる。
「お小遣いをまだもらう気ですね?」
「子供だもん。正当な権利。それに優勝賞金はシャッハちゃんの言った通り貯金するから、生活は今までと変わらない。お小遣いを止められると、僕が空腹で死んでしまう」
本当に泣きそうな顔をするレイジーを見てシャッハは思わず笑ってしまう。
ぽんぽんと優しく頭をなでながら、大丈夫だと伝えた。
「貴方のお母さまやお父さまは貴方が稼ぎを得ても、成人するまでは面倒を見るとおっしゃっていました。親の義務であるからと」
ホッとするレイジー。
「ですが、成人後は問答無用で働かせると言っていました。貴方が怠惰な生活を送り続ければ」
「その点は大丈夫。その頃には僕の懐は生涯ダラダラしても大丈夫なほど潤っているはず。僕が働くなんてありえないの」
「自信満々に言うことじゃありません」
レイジーの濁り切った瞳には自堕落な生活を送る自分の姿が見えている。
シャッハには心配でたまらないが。
「それじゃ、僕は帰るね」
「皆で一緒に帰りませんか?」
ヴィヴィオが提案するが、レイジーは全力で首を横に振った。
「家の近くのクレープ屋さんが僕が優勝したらただでなんでも食べ放題にしてくれるって言ってたんだよね。僕の身体を見て優勝は無理と思ったんだろうけど、甘いね、クレープのように。ふふふ、後悔させるくらい食べるんだ」
「止めなさい」
シャッハの注意を聞き流し、カバンを背負った。小さく手を上げてスタスタと控室を出ていく。
「優勝しても、レイジーさんはレイジーさんだね」
ヴィヴィオの言葉に皆が笑ったのだった。
†
「いちご、みかん、チョコ、普通に生クリーム、むふふ」
ほっこりと笑顔を浮かべて路上を歩く少年。その容姿と相まって非常に薄気味悪い。
「St.ヒルデ魔法学院中等科」
行きつけのクレープ屋が見えた時だった。時刻は5時。まだ夕食前であるが、ミッドは日が落ちるのが早く、既に辺りは薄暗い。
そんな中、バイザーで目元を隠した何者かが、少年の前に立ちふさがった。
「1年生、レイジー・ディリジェントさんですね?」
「…………」
無言のレイジー。
声をかけてきた人物に非常に心当たりがある。
いくら目元を隠しているとはいえ、何度も見てきたバリアジャケットに、碧銀の長髪。あまり人を覚えることが得意ではないレイジーでもさすがに目の前の人間を忘れるわけがない。
「私は
「…………邪魔」
問答無用だった。
おそらく大会でもこれほどまで清々しい蹴り技を放たなかったのではと思えるほど、綺麗な一撃がアインハルトに決まる。
目に見えるところにご褒美が待っている。時間も良い頃だ。ここで無駄に時間を浪費するのは、レイジーのお腹具合が許さない。
邪魔者は排除する。相手にどんな事情があれ、至福の時間を阻害するのだから敵だ。本能的にそう判断したレイジーは、事情のありそうなクラスメイトを考慮することなく吹き飛ばして歩を進めた。
「クレープをいっぱいくださいな。約束通り優勝してきました」
「……いや、兄ちゃんよ、あの子は良いのかい?」
クレープ屋について早々、レイジーは注文をしたのだが、屋台の親父さんがレイジーに吹き飛ばされ、壁にめり込んだアインハルトを指さして心配している。
「通り魔みたいなもの。僕に罪はない。さあ、いっぱい頂戴」
「さっき何をしたのか分からなかったが、兄ちゃん、本当に強いんだな。テレビで見てたが、本当に優勝しちまうしよ」
「そういうのはいい。ぷりーず」
「まあ、約束だから。好きなだけ食ってくれっ!」
屋台の親父が準備するからちょっと待っててくれというと、レイジーは屋台の前に置いてあったベンチに腰を下ろす。吹き飛ばしたクラスメイトに見向きもしないあたり、さすがといったところである。
そしてクレープの甘い匂いがレイジーの鼻孔をくすぐり始めたころ、アインハルトが意識を取り戻した。
レイジーが壊したと言っても過言ではないのに、めり込んだ壁を魔法で修復すると、トボトボとレイジーの元に歩いてくる。
がっくりを肩を落とした彼女の姿は悲壮感にも似たものだった。
「ディリジェントさん」
「おは」
加害者と被害者、襲った者と襲われた者、それが一致していればここまで微妙な空気にならなかったのかもしれない。
クレープをせっせと作りながらも、屋台店主が二人の何とも言えない空気に、表情が引きつっていた。
「私は今日、貴方を倒すための訓練をしていたんです。初撃をしのぎ、懐に入り込む練習をずっとしていました。ノーヴェさんにも手伝ってもらって」
「その話長い?」
まったく興味がない。レイジーはそう言ったのだ。
「……私は貴方にとってはまだその程度。歯牙にもかけられない相手だということですね」
「それはいつものこと。1日特訓したくらいで僕と君の差が埋まるわけがない。ストラトスってさ、勉強できるのに、バカだよね」
恥ずかしくなったのか、手で顔を押さえてうつむくアインハルト。耳がほんのりと赤くなっている。
「兄ちゃん、お待ちよ」
わーいとレイジーはクレープを受け取る。視線でもっと焼いてと訴えた後は、もぐもぐとクレープを堪能し始める。
「ディリジェントさん」
「上げないよ」
断固拒否の構えを見せる。アインハルトから皿を遠ざける徹底ぶりだ。
「そうではありません。今日は正式に交際を申し込みに来たのです」
「ごめん、意味が分からない」
バカなものを見るようにアインハルトの方を向いた。
「ディリジェントさんとチャンプと戦ったあの時から――いいえ、きっともっと前から私は貴方に惹かれていたんだと思います。異性を好きになるというのが初めてなので、確証は持てませんが」
ほんのりと頬を赤く染めるアインハルトは、いつもと違ってかなり乙女だった。
屋台店主は空気を読んでフェイドアウトする。
「凡人の僕には理解できない思考が君にあるんだろうけど、これだけは言わせて……頭大丈夫?」
もしや先ほどの一撃が頭部を直撃していて、脳になにがしかの問題を抱えてしまったのではと本気で心配するレイジー。
レイジーにとって女性、それも美少女からの告白など絶対にありえないこととして認識しているので、表情には出していないが、かなり動揺しているのだ。普段はほとんど気に掛けることのないアインハルトの容態を気にしてしまうほどに。
「別に頭を打ったわけではありません。正常です」
「いや、異常だと思うよ。病院に行ったほうが良い」
レイジーが目に見えて動揺していることが、アインハルトにはおかしかったのか、くすっと小さく笑った。
「ディリジェントさん、貴方はもう少し自分の評価を正しくしたほうが良いですよ」
「僕以上に、僕を評価している人なんていないと思うけど」
アインハルトは肩をすくめてから、優しく微笑んだ。
「私はですね、これまでずっとクラウスの無念を晴らすために生きてきました。他者を気にすることなく、覇王流が最強なのだと証明するためだけに、拳を鍛えてきたんです」
「え、なんの話?」
会話が成立しないなと、レイジーは思った。
「そんな私が、初めて異性を意識しました。貴方と授業で初めて対戦して、そして区民センターで敗北して、私は貴方を意識し始めました。私がですよ?」
おどけて見せる。
アインハルトは美少女であるが、他人を寄せ付けない雰囲気から周りに男っ気などない。クラスの男子の中には彼女に話しかけようとしている者もいるのだが話しかけるには至っていない。
唯一会話を成立させる男子がレイジーなわけだが、彼からアインハルトに話しかけることは滅多にないため、クラスでアインハルトが男子と会話をすることなどほぼ皆無なのだ。
だから、というわけではないが、アインハルトの周りに男はいない。彼女自身も異性に興味はなかった。
でも、レイジーが現れたのだ。
最初は異性として意識したというより、格闘家としてだった。
ノーヴェに何度かそういうことを聞かれたこともあったが、その時も格闘家として気になるだけだと思っていた。
だが、レイジーがジークリンデと戦っているとき、はっきりとしたものがアインハルトの心に芽生えた。
格闘家として敬意を持っている、確かにそうだが、それ以外の気持ちもあった。
クラウスがオリヴィエに惹かれたように、強き者に惹かれるのが覇王の血筋なのかと考えたときには笑ってしまった。
レイジー・ディリジェントはアインハルト・ストラトスにとって特別な男かもしれない。そう考えると、自然と笑みが深くなっていた。
格闘技以外に、自分が何かを意識している。今まではありえなかったことだが、それが今自分の身に起こっていると思うと、不思議で違和感ばかりだが、嫌ではないとアインハルトは感じていた。
「最近は、貴方の事ばかり考えていました。不思議な気分でした。そして今日、貴方に挑んで勝てばこの思いも何かが変わるのかと思いましたが、敗れてしまいましたから、変わりません」
「……僕とストラトスがラブ展開になるようなイベントは発生していなかったと思うんだけど」
「私も分かりません。もしかしたら本当におかしくなってしまったのかもしれません。ですが、私は貴方を好きになりました。これだけは事実です」
美少女からはっきりと好きだと告白される。衝撃だ、これはかつてないほどの衝撃だとレイジーは考える。
目の前の少女、つい今しがたまでまったくそういう対象としては見ていなかった。
可愛いと思うし綺麗だとも思うが、それはあくまで美意識的な話でしかない。
レイジーの周りには美少女が、それこそバーゲンセールのように安売りされている。
では、その女性たち全員に胸が高鳴るような想いをしたことがあるか、答えはNOである。
アイドルに心ときめくファンもいるのだろうが、大抵のファンは夢と現実を分けて考えている。
レイジーもそうだ。
だから、レイジーは今思っていることをはっきりと彼女に告げる。
「ごめん、ストラトス。僕は今まで君を恋愛対象に見たことがないんだ。好きです、良いよと簡単に答えられるものじゃない。不誠実だしね」
「やっぱりそうでしたか。なんとなく断られる気はしていました」
アインハルトは気にした様子はなかった。
少女にとってみれば相当な勇気を出しての告白だったのかもしれないが、フラれた彼女の表情はとても穏やかだった。
「貴方はそういう人です。一時の感情で動いたりはしないと思っていました」
「僕にとっては生涯君のような人から告白されることはないからチャンスなのかもしれないけど、僕はあんまり君のことが得意じゃないんだ。ごめん」
「はっきりと拒絶されると、心が痛みますね。泣いてしまいそうです」
「笑ってるけど?」
アインハルトの顔は確かに笑っていた。
「女の子は辛い時でも笑えるんです」
「僕はえんえん泣くよ。恥も外聞もなく」
「そこは改善した方が良いかと。やはり男性は逞しい方が、好まれますよ」
そうは言うものの、アインハルトがレイジーがそんなしっかりとした人間になるとは全く思えなかった。
この人は、自分の欲に忠実に生きる。そしてその生き方が自分を惹きつけたのだと分かっているから。
「今は諦めます」
「これから先はないと思うけど」
「分かりませんよ。人の心は変わっていくものです」
「僕の人生計画だと、僕が怠惰に生きる生活費しか計算に入ってないんだけど」
「そこは頑張ってもらうしかありませんね。貴方ならきっと大丈夫です」
「誰かのためにお金を稼ぐなんて、思ったことはない。きっとそう思える人と僕は結婚したいと思うんだ。ストラトスには今のところ思えないかな」
「それも今はです。明日には変わっているかもしれません」
アインハルトは立ち上がった。
「私はクラウスの血を引いています。彼がどれだけ執念深いか、私はよく知っている」
「僕も君がしつこいのはよく知ってるよ。たぶん、君について唯一はっきりとわかることだ」
「では、覚悟してください。私はとてもしつこいですから」
ニッコリとアインハルトが笑った。その表情にレイジーは一瞬だが、ドキッとしてしまう。
「僕は君が求めるような人間じゃないんだけど」
「それは貴方の考えです」
「仲良くできないかもしれない」
「できるようになっていきたいと思います」
「強引な子と仲良くなる方法を知らないんだ、人間だもの」
久しぶりに聞いたなと、アインハルトはレイジーの口癖に苦笑した。
「では、一つだけ。これはヴィヴィオさんから教わったことです」
恥ずかしいんですけどと、断りを入れてから、アインハルトは口を開いた。
「名前で呼び合いませんか? まずは友達からということで」
少女と少年はしばらく見つめあった。
かつて、ヴィヴィオの母である高町なのはが、親友であるフェイト・T・ハラオウンと友達になった時に言った言葉だ。魔法の言葉である。
「うーん、それじゃあ――」
レイジーがこの後、アインハルトの名前を呼んだかは定かではない。
これで完結です。今まで読んでくださってありがとうございました。強引に終わらせてしまったことは申し訳ありません。これ以上は……