その魔道師危険につき……   作:武山 昭喜

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過去に書きためた小説の一番古いものを加筆修正しながら載せています。
一本の小説を文字数制限に合わせながら分割しているため、全体としてはかなりの長文ですが、よろしかったら最後までおつきあいください


お気楽魔道師
始まりの始まり


「暇ねぇ……」

 うろんなあたしの声が、まったりとした空気の中に消えていく。

 お世辞にも、あまり綺麗とは言えない安宿の一階。

 ごく標準的な宿屋の様式に従って、酒場兼食堂となっているその店内の一角に陣取ったあたしは、テーブルの上に顎を載せるようにして突っ伏していた。

 我ながら、あまり行儀がいいとは言えない格好だが、ここの店内にはあたしの他に客の姿もないし、誰に迷惑が掛かるワケでもないので、別に構わないだろう。

 

 …しかし、暇だ。暇すぎる。

 いっそ、このまま素っ裸になって踊り狂いたくなるぐらい、完全無欠、手加減無しに完膚無きまで暇である。

 仕方ない。陽気もいいし、昼寝でもするか……。

「おい、こら。いい若いモンが、真っ昼間からウダウダしてるんじゃねぇよ。こっちまでやる気なくすだろうが!!」

 あたしがうつらうつらとし始めた、そのタイミングを見計らったかのように、図太い声が脳天に突き刺さってきた。

「なによぉ。せっかく心地良かったのに、暑苦しい声を聞かせないで……」

 いちいち顔を上げるのも面倒なので、テーブルに突っ伏したまま、あたしは声の主に言い返してやった。

 相手の顔など見なくても、あたしが知っている人で、これほど暑苦しく重たい声をした者など一人しかいない。

 そう。この安宿のオーナーである、ハングアップという名をもった、無闇に暑苦しいオヤジである。

「ほほぉ~う。……せっかく仕事持ってきてやったんだが、まっ、あんたが嫌なら、こいつは他に回すか」

「なにぃ、仕事ぉ~!?」

 嫌みったらしいオヤジの声に、あたしはがばっと身を起こしつつ、思い切り絶叫してしまっていた。

 これが相手の策だと分かってはいたが、『仕事』という甘美な響きを前にして、それがいかほどの問題であろうか?

「お、おい、なにもそこまで大げさな……」

「何言ってるのよ。仕事よ仕事!!

 ……ああ、こ、これで、今夜は見た目ちょっとヤバそうな雑草を集めたり、裏の食堂のゴミ捨て場で、近所の野良犬と血みどろの抗争を繰り広げたりしなくても、人並みの晩ご飯にありつける!!」

 椅子を蹴立てて立ち上がり、側にいた筋肉ダルマのようなおっさんの肩をガシッと掴みながら、あたしは思わず感涙にむせいでしまった。

「……最近、妙にやつれたとは思ってはいたが、お前、毎晩ンなもん食ってたのか。あー、分かった。泣くな。頼むから」

「で、その仕事っていうのは!?」

 困った様子でつぶやくおっさんの体をガシガシ揺さぶりつつ、あたしは涙を即座に引っ込め、ほとんど怒鳴るようにして問いかけた。

「ま、まあ、仕事っても大したモンじゃない。こいつを、アモハンにあるトーネードとかいう奴に届けるだけだ。報酬は、金貨で5枚。他に、経費として2枚を前払いだ。もちろん、クローネ金貨だぞ。どうだ、やるか?」

「やる。いえ、やらしてください。お願いします!!」

 なんとなく、哀れみのような色を滲ませたハングアップの声に、あたしは迷うことなく即答……いや、懇願していた。

 彼の手には、小さな封筒が握られているところからして、これを届けろということなのだろう。

 ちなみに、クローネというのは、世界中ほとんどの地域で使えるという通貨で、あたしの様な特定の街に住まない者にとっては、非常に馴染みのあるもの。

 アモハンというのは、このクランタの街から、歩きでおよそ2日ほどの距離にある小さな村なのだが、単にここまで手紙を届けるだけで、7クローネ(経費込み)という報酬は恐ろしく破格である。

 ショボショボな仕事に破格の報酬……怪しすぎる。

 数ヶ月前のあたしなら絶対に受けたりしなかっただろうが、今のあたしにこの話を断る余裕はない。

「な、なんか、そこまで言われると、すげぇ可哀想に思えてくるな……。ともあれ、そういうことなら、この件はあんたに任せたぜ。そうそう、言い忘れていたが、仕事の期限は今日を含めて3日だ。

 少し慌ただしいが、あんたにしてみれば、特に無理な条件じゃないだろう?」

 と言い残すと、ハングアップのオヤジは、手にしていた手紙と2枚の金貨をあたしの席のテーブルに置いた。

 ……3日か。

 

 万一、途中でトラブルが起きた場合、時間的に少々辛くなるが、決して無茶な要求というわけでもない。

 むしろ、あたしのような、いわゆる「流れ者」に回ってくる仕事など、大概ムチャなものが多いので、むしろ、今回はかなり楽だと言えた。

 しかも、酔狂な事に、前払いで経費が出るとなれば、金欠のあたしが受けない方がどうかしている。

「了解。この仕事、確かに引き受けたわよ」

 などと言いながら、あたしはすでにテーブルの上にあった金貨と手紙をひっつかみ、出発の準備をすべく、この宿の2階に取ってある自分の部屋に向かっていた。

 ……うふふ。この金貨の手触り。

 久々過ぎて、なんだか目眩が……。

 ゴン!!

 急速に視界が暗くなったと思ったまなし、激痛と共に目の前に火花が飛び散り、遠くなりかけていた意識が急速に戻った。

 あたしの視界一杯には、かなり長いこと掃除されたことがなさそうな、薄汚れた床が広がっている。

 どうやら、立ちくらみを起こし、コケた拍子に顔面を床にぶつけ、その痛みで意識がはっきりしたらしい。

 ……これが、幸か不幸か微妙な所だけど。

 

「お、おい、大丈夫か!?」

「あはは、若いから大丈夫。ちょっと、栄養不足なだけ……」

 背後からかけられたハングアップの声に、あたしは我ながらワケの分からない答えをかえしつつ、可及的速やかにその場を離れたのだった。

 ……もしかしたら、この仕事。一世一代の大遠征になるかも。

 この宿の2階に向かうべく、全身全霊の力を込めて階段を上りながら、あたしは胸中で漠然とそんな思いを噛みしめていたのだった。

 

 

 旅の準備といっても、あちこちの街を渡り歩いているあたしには、必要な最低限の持ち物しかない。

 ……とかいいつつ、この宿のあたしの部屋には、なぜか壁に変なポスターが貼ってあったり、その他ごちゃごちゃと色々な物が床に転がっていたりするが、それはこの際気にしないで頂きたい。

 

 ともあれ、旅には無用の有象無象のアイテムたちには目もくれず、街から出歩く時には必ず持ち歩いている、長年愛用の道具袋の中に、小振りなナイフやら夜間の必需品である小型ランプなどをきっちり収納し、あとは前金で購入した携帯食料などを放り込めばこれでほぼ準備完了である。

 

 残るは、自分の身に付ける装備類であるが、これこそ本気で質素なもので、普段着兼用の頑丈なだけが取り柄のローブの上にマントを羽織り、護身用の短剣をベルトで腰に巻けば、「旅の魔道士」が完成する。

 ……えっ。いや、これであたし、実は魔道士なんッスよ。一応。

 

「ふぅ。疲れた……」

 一通りの準備を終えたあたしはなんとも言えない疲労感に見舞われ、ため息混じりにつぶやきながら、いかにも寝心地が悪そうでいてやっぱり本当に寝心地が悪いベッドに腰を下ろした。

 ……ったく、この程度動いただけで疲れるなんてねぇ。もう歳かしら。

 と、しみじみ胸中でつぶやいてみるが、実はあたし、まだ18才。

 もちろん、疲れやすいのは年齢云々の問題ではなく、ただの栄養不足である。

 いくら若くとも、さすがに数ヶ月食事らしい食事をしていないとなれば、やはりかなり辛いものがある。

 いくらこの辺りが比較的安全な地域とはいえ、こんな状態で街の外に出るわけにもいかないだろう。

 

 ここは一つ、出発前に、経費の残りでなにか適当に食事するというのが、妥当な判断というものである。

「よし、行くか!!」

 と気合いを込めて独り事を言いながら、勢いよくベッドから立ち上がった瞬間、いきなり世界がぐるぐる回りだしてしまい、あまりに気持ち悪さにベッドから転がり落ちるようにして、床に伏せてしまった。

 ……ああ、あたしのバカ。こういう時に、急激な動きはダメだって。

 などと、独りツッコミを入れていると、ノックも無しに、いきなり部屋のドアが開かれる音がした。

「おい、喜べ。仕事がもう一つ……。って、お前、何してるんだ?」

 ムカつくぐらい元気な様子で、なにか言いかけたその声は、他でもないハングアップの図太いそれだった。

「……見りゃ分かる……でしょ。立ちくらみ……起こして、ぶっ倒れただけよ……」

 視界の中にぼんやり見えるハングアップの足に向かって、あたしは舌打ちしたい気持ちでそう返した。

 大体、女の子の部屋にノックもせずに入り込んでくるなんざ、本来なら即刻「武力行使」ものの所行である。

 まっ、このオヤジに、その辺りの心遣いを期待する方が、よっぽど無茶な注文ではあるが。

 

「おいおい、頼むからこの宿の中で死なないでくれよ……。まあ、いいや。もう一件やって欲しい仕事がある。生き返ったら下に来てくれ」

 と、それだけ言い残し、ハングアップのオヤジはさっさと部屋から出ていってしまった。

 ……ったく、一応はか弱い(……あっ、なぜか鳥肌が)女の子が倒れてるというのに、なかなか冷たい奴である。

 もっとも、あの暑苦しいオヤジに、変に心配されて介抱される方が、かなり不気味かつ嫌すぎる展開なのでむしろ有り難いのだが、なんというか、せめて仕事ではなくあたしを心配する言葉をかけてくれてもバチは当たらないだろう。

 まあ、それこそ「今さら」な話しではあるが……。

 

 ともあれ、そうこうしているうちに、気分もだいぶ良くなってきた。

 もう大丈夫と察したあたしは、今度はゆっくり慎重に立ち上がり、体に変な負担をかけないように注意を払いつつ、そっと部屋を出た。

 そのまま、歩くたびに、床が今にも穴が開きそうな音を立てる廊下を抜け、絶対近いうちに崩れると確信している階段を下り、1階の食堂兼酒場に降りると、さして広くもない店内の中央付近にあるテーブルに、見慣れぬ女の人が座っているのが見えた。

 頭の後ろで一つに束ねた、豊かなシルバーブロンドがよく似合う、ちょっと育ちが良さそうな彼女だが、しかし、その身に纏った服装は一言で言って、どこにでも居る町人その1という、ちょっとアンバランスなものだった。

 少なくとも、この辺りでは見かけない顔である。

 

 街道筋にあるクランタの街は、旅人の姿もかなり見かけるが、この「ハングアップ亭」は、街の中心から外れた場所にあるので、地元の人以外はまず存在すら知らない宿である。

 ハッキリ言って、ここよりもっと目立つ場所に宿など何軒もあるし、普通の旅人ならそれらの宿に宿泊するだろう(現に、この宿の客はあたしだけだし)。

 つまり、『流れ』になにか仕事を依頼するにしても、ここよりは遙かに『玉数』が多いであろう他の宿に足を運ぶのが通常の思考パターンだろう。

 しかし、それをあえてここまで足を運ぶとは、見かけによらず、なかなか常識はずれな人かもしれない。

 

「あっ、こんにちは」

 女の人が、テーブルに置いてあったティーカップを持ち上げた時に、ふとこちらと視線が合い、相手は軽く会釈しながら挨拶をしてきた。

「あっ、どうもこんにちは」

 と、あたしの方も、小さく笑みを浮かべながら挨拶を返す。

 なにしろ、街の外には警備の目が届かないことをいいことに、強盗団がうろついていたりして、これがなかなか物騒である。

 そのせいか、旅慣れた者の間では、街から出れば、例え相手が見知らぬ人でも、出会った人と気軽に挨拶を交わすというのが慣例になっている。

 こうすることで、お互いに要らぬ警戒をせずに済んだり、また、様々な情報交換をするきっかけにもなったりと、いわば必然によって生まれた習慣だが、彼女が挨拶してきたのも、この例に倣ってのことだろう。

 この辺りから、あたしと同様、彼女もそれなりにあちこち旅している人だと察しがついた。

 

「あの、酷く顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」

「え、ええ、大丈夫よ。これは生まれつきだから、気にしないで」

 不意に心配そうな表情を浮かべた女の人にそう問いかけられて、あたしは反射的にそんな答えを返してしまった。

 我ながら、なんだか妙な返事だとは思ったが、いくらなんでも、初対面の人、それも仕事の依頼者になるかも知れない人に、正直に「いや~、金無くてまともにメシ食ってないンすよ」とは言えない。

「そうですか。失礼しました」

 しかし、あたしの思いをよそに、相手はなぜか納得してしまったらしく、素直にそう言って軽く頭を下げてきた。

 ……まあ、いいけど。

 

「あっ、私はエリス。エリス・ランサーっていいます。この街に凄腕の魔道士がいると聞いて、『ポート・ケタス』からやってきたのですが、なにかご存じありませんか?」

「ブッ!!……ポ、ポート・ケタスからですって!?」

 女の人……エリス・ランサーさんの口から飛び出したその言葉に、あたしは思わず吹き出してしまった。

 ……ポート・ケタス。

 人口2万とも3万とも言われる、世界有数の規模を誇る大都市の名である。

 そこからこのクランタの街に来るまでは、最短ルートを選んでも、大陸を2つほど横断し、さらに陸路を延々と北上してこなければならない。

 それこそ、どんなに順調に旅程を消費出来たとしても、1年や2年程度の時間はかかってしまうだろう。

 ……うーむ、凄すぎるぞ。このお方。

 

「あれっ、私変なこと言いました?」

 しかし、当の本人は、あたしの様子に逆に驚いてしまったらしく、きょとんとした表情でそう聞き返してきた。

「あっ、ごめんなさい。ただ、ポート・ケタスってずいぶん遠い場所だったから、ちょっと驚いちゃっただけです」

 一瞬、どう返していいか分からず、あたしはとりあえず適当にそう言っておくことにした。

 まあ、変と言えば確かに変ではあるが、そのニュアンスには、お互いの間で微妙な見解の相違がみられるようだし、その辺りを指摘して修正するのも面倒ではある。

 ……いかん。なんか、言葉遣いが妙に固くなってるわね。

 

「……そうですか。まあ、それはともかくとして、先ほどもお尋ねしましたが、この街に凄腕の魔道士がいるという話を聞きまして……。あの、これがその方の似顔絵なのですがご覧になっていただけますか?」

 一瞬、戸惑ったような表情を浮かべたランサーさんだったが、それでも気を取り直したらしく、すぐにもう一度そう問いかけてきて、自分の傍らにおいてあった袋の中から、なにやら取り出してあたしに差し出して見せた。

「あっ、はい。……でも、あたしもこの街に来て数ヶ月になりますが、そんな優れた魔道士がいるなんて話は聞いたことないですよ」

 と、言いつつ、ランサーさんのテーブルのそばに歩み寄り、その手にある紙に視線をやった。

 瞬間、あたしは思わず硬直してしまった。

 

 氏名、マール・エスクード。年齢、18才。性別、女性。

 2年ほど前に、アストリア王国王立魔道院より、突如として出奔。以後、一切の消息不明。この者の所在に関する、有力な情報提供者には、クローネ金貨3万枚を支給するものとする。

 

アストリア王国王立魔道院 院長代行 マリア・コンフォート

 

 その紙にはそんな文章と共に、どこかで見たことのある女の子の顔が、かなりリアルな質感すらもって描かれていた。

「どうでしょうか?見覚えがありませんか……って、あれっ?。そういえば、あなた、この似顔絵にそっくりですね」

「……まあ、確かに似てるとは思いますが人違いですよ」

 胸中の動揺をなるべく表に出さないように心がけながら、あたしはそっと紙から視線を外した。

「あら、そうですか?」

 しかし、やはりというか、ランサーさんは思い切り疑いまくった様子で、そう言いながらあたしをじっと見つめてくれた。

「そうです。ほら、あたしも一応は魔道士ですが、王立魔道院なんてそんなとんでもない所に入れるほど優秀じゃないですし、あたしと似た顔の人なんて世の中にたくさんいるでしょうし。そうそう、あたしはマリー。マリー・カルタスっていいます。よろしく」

 

 なにか、値踏みでもするかのようなランサーさんの視線をひしひしと感じながらも、あたしは全く気にしていない風を装って、簡単な自己紹介と共にさっと右手を差し出した。

「……ふぅ、そうですね。ふらりと立ち寄った宿屋で、いきなりターゲットに遭遇できるなんて、出来すぎた話ですものね。失礼しました。こちらこそ、よろしくお願いします。えっと……」

「マリーでいいわよ。ランサーさん」

「はい、マリーさん。それじゃ、私はエリスでよろしくお願いします」

 そう言って、エリスは小さく笑みを浮かべたが、それでも、あたしが差し出した右手を握り返してはくれなかった。

 ……なるほど。そこそこ場数を踏んだ、いわゆる「そのスジ」の人たちは、無闇に自分の手を相手に預けたりしないものではあるが、どうやら、彼女の腰にぶら下がっている剣も、ダテというワケではないらしい。

 密かにその事を心に刻んだあたしは、差し出した右手をさりげなく引っ込めながら、ついでに小さく笑みを返しておいた。

 

 同時に、いつもの癖でそっと神経を集中させてみると、どう考えてもあまり友好的とは思えない気配がえっと、およそ6つ程か。

 この宿の入り口の扉と、周囲にある窓周辺から、微かにそのようなものを感じ取る事が出来る。

 ……やれやれ。どうやら、このエリスさん。ただの通りすがりの旅人というわけではなさそうね。

「ところで……」

 あたしの胸中とは裏腹に、エリスさんがフレンドリーな声でなにやら言いかけた時、実にお約束なパターンではあるが、いきなり宿入り口のドアが派手な音を立てて消し飛んだ。 

 ……おっと、攻撃魔術か!!

 などと毒づきながらも、あたしはすでに迎撃モードに入っていた。

「とりあえず、ファイアー・ボール!!」

 叫びながら、さっと右手を前方に差し出すと、酩酊感にも似た感覚が全身を走り抜け、右手の平から直径数十センチ程度の火球が高速発射された。

 その火球は、あたしの狙い通りに、ドアが消し飛ばされたばかりの入り口から、今まさにこちらに飛び込んでこようとしていた2つの人影の片方を直撃し、そして轟音と共に四散した。

 ……これで、まずは2人っと。

 

 胸中でつぶやきながら、ついで体ごと視線を左手に向けると、あたしが放った魔術の衝撃で砕けたか、はたまた自らうち砕いたのか、ガラスが無くなった窓から侵入してくる人影が、これまた2人分認められた。

 もう一度魔術をぶちかますべく、精神集中にかかったのだが、どうやらスタミナ不足が祟ったらしく、意識がぼんやりしてうまくいかない。

 ……ちっ、仕方ない。

 胸中で舌打ちしながら、あたしは右手をローブに設えてある隠しポケットに突っ込み、そして、かなりオーバーなリアクションでその手を引き抜いた。

 ……と、端から見れば、ただそれだけように見えたかも知れないが、もちろん実際は違う。

 あたしの視界の端に、店内に差し込む外の光になにかがきらりと反射した次の瞬間、短い悲鳴を上げて、窓から侵入してきた人影の1つが床に倒れ伏した。

「なっ……」

 倒れた奴の傍らにいたもう1人が、仲間の異変に気づき声を上げたが、すぐに我を取り戻したようで、倒れた男を抱きかかえると、すぐさま手近な窓から逃げ去ってしまった。

 

「ふぅ。派手に登場してくれた割には、意外と根性無かったわね……」

 などと、ため息混じりに毒づきながらも、あたしは胸中でこっそり安堵のため息をついた。

 なにしろ、こっちは極めて体調不良なのだ。

 もし、ここで相手に粘られていたら、さすがにちょっと辛かっただろう。

 辺りに怪しい気配がない事を確認したあたしは、再び隠しポケットに突っ込んでいた右手をそっと抜いた。

 

 実を言うと、あたしの着ているローブは、見た目は市販のそれと大差ないが、色々と自分なりに改造した、一種の「戦闘服」とも呼べる逸品で、先の隠しポケットの中には頑丈な革で出来た鞘が縫いつけてあって、そこには小型の投擲用ナイフが数本収めてあるのだ。

 つまり、早い話、魔術が使えないと判断したあたしは、代わりにこのナイフを投げつけてやったというわけである。

 といっても、もちろん急所は外してあるので、あたしのナイフが命中したあの男も、いきなり死ぬということはないはずである。

「……正直、驚きました。かなりお強いのですね」

 不意に背後から声をかけられ、そちらを振り向くと、いつの間にかあたしが倒した連中が侵入してきた窓とは、反対側の壁にある窓近くに移動していたエリスさんが、ニッコリ笑みを浮かべながら剣を鞘に収めているところだった。

 彼女の足下を見ると、口から泡を吹いて倒れている男たちが2人。

 どうやら、こちらも首尾良く片が付いたらしい。

「まっ、これでも、素人じゃない程度の自信はあるから……。

 それより、こいつら誰なんです?

 少なくとも、あたしの「お客さん」じゃなさそうですが?」

 

 とりあえず、あたしがナイフで倒した連中の方に視線を戻すと、2人はくぐもった苦痛の声を上げながら、今まさに先ほど自らが店内に侵入した窓から脱出を図っているところだった。

 それにしても、よく見ると、2人ともかなり大柄の男である。

 その身なりもかなり立派なもので、それなりに値が張りそうな革鎧を身につけているし、少なくともそこらをうろついているチンピラ連中ではなさそうだ。

 まっ、この辺りは、エリスさんの足下で情けなく伸びている連中を締め上げれば、自ずと答えは出てくるだろうけど……。

「そうですね。身に覚えがない……とまでは言いませんが、今回はちょっと分かりません。申し訳ないですけど……」

 と、なにやらモゴモゴと、歯切れ悪く答えてくるエリスさん。

 ……なるほど。この話題には触れられたくないということか。

 まっ、世界には色々な人がいるし、あたしも無闇に他人事に介入するシュミはない。

 今回の事は、別にあたしが怪我したわけではないし、これ以上ツッコミを入れないことにしておくか。

 

「まっ、いいわ。それより、この惨状をどうにかしないとね……」

 と言いつつあたしはスッと精神を集中させ、とある魔術を使うべく準備を開始した。

 なにしろ、元々あまり手入れなどされていなかった店内だが、今はそれに輪をかけて滅茶苦茶になっている。

 ……やっぱ、いきなりど派手な攻撃魔術は失敗だったかしらね。

 このまま放っておくと、またぞろハングアップのオヤジからどやされること請け合いなので、ここはさっさと修復にかかるに限る。

「……全ての物は、あるべき姿へ」

 ささやくようにそう言って、あたしが『力』を開放すると、床に散らばっていたガラス片は、まるで時間が逆行しているかのように、自ら再び「窓ガラス」へと姿を変え、その他、散らばっていた椅子やひっくり返っていたテーブルも、音もなく静かに元あった場所へと戻っていった。

「へぇ、凄いですね」

 としきりに感心しまくるエリスさんの声に、ちょっぴり気分をよくしたあたしだったが、この魔術は便利なだけに、その術者にもそれなりの負担を強要してくる。

 

 ただでさえフラフラしていた所に、さすがにこれはキツすぎる。

 あたしは手近にあった椅子に腰を下ろし、少しでも体の回復に専念することにした。

「あっ、大丈夫ですか?」

 と、エリスさんが声をかけてくれるが、あたしは黙って右手を挙げ「大丈夫」と意思表示しながら、そっと目を閉じた。

 その途端、決して軽くはない疲労感が全身を襲い、程なくして睡魔が襲いかかってきた。

 ……ふぅ、こりゃ今日の出発は無理かも。

 などと、半分まどろみながらそう思った時、まるで落雷のような轟音があたしの鼓膜を揺さぶった。

「おい、マリー。あれほど俺の店で暴れるなっていっただろうが!!」

「うがぁ、黙ってろクソオヤジ!!」

 この轟音の正体は、言うまでもないがハングアップのオヤジである。

 椅子を蹴倒すようにして立ち上がったあたしは、カウンター席の奥にある厨房から顔を覗かせている見慣れた暑苦しい顔をビシッと指さし、負けじと大声で怒鳴り返してやった。

「てめぇ、誰がクソオヤジだ……って、あれ。なんか、店の中ヤケに綺麗じゃねぇか?」

 あたしの物言いが癪に触ったのか、頭から湯気すら立ててもう一度怒鳴り返してきたハングアップだったが、すぐにキョトンとした表情を浮かべて、店のあちこちをきょろきょろ見回している。

「あったりまえでしょ。あたしの魔術をナメないで!!

 って、それよりも、ちょっと頼み事があるんだけど……」

 とりあえず、自慢すべき事はしっかり自慢しておいてから、あたしは口調を変えてそう言いつつ、エリスさんの足下で情けない姿をさらしている男、それぞれその1、その2をそっと指で指し示した。

「あっ?なんだぁ??」

 と、不審な様子でつぶやきながら、ハングアップは、その見た目からは想像できない身軽さで、カウンターを跳び越え、いそいそとこちらにやってきた。

 そして、あたしの指し示す先にあるその物体をちらりと一瞥すると、意味ありげな笑みをこちらに向けてきた。

 

「なるほどな。まっ、任せておけ。2日もあれば、昔の片思いの相手の名前からパンツのサイズまで、洗いざらいぶちまけてくれるだろうさ」

 そう言って、ハングアップはビシッと親指を立ててきた。

 ……ま、あたしの家に代々伝わる「格言集 第三巻」の一節を引用すれば、「餅は餅屋」というわけである。

 今でこそ、「流行っていない宿屋のオヤジ」と化したハングアップであるが、昔はなかなかコワイ商売をやっていたらしく、彼に掛かればどんな口の堅い奴もたちまち泣きながら洗いざらい喋ってくれると、この界隈ではかなり有名な話である。

 エリスさんのプライベートに首を突っ込むつもりはないが、成り行きとはいえ襲撃者に牙を剥いてしまった以上、せめて相手の素性ぐらいは知っておく必要がある。

 

 あたしは、ハングアップに向けた言動の中に、暗にそういうメッセージを込めておいたのだが、どうやら彼もそれは察してくれたらしい。

「OK。お礼はいつもの通りでいいわね。……ふふふ、あまり非道いことしちゃダメよ」

「ああ、分かってるって。こいつらがブッ壊れない程度で、せいぜい楽しませてもらうさ」

 などと、いかにも「ソレ」っぽいセリフを交わし、最後に実にイヤな笑い声を上げるあたしとハングアップ。

「あの……、なんだか凄く物騒な話みたいなんですけど」

 と、戸惑った様子でツッコミを入れてくるエリスさんの声が聞こえたような気もしたが、委細構わず、あたしたちはただひたすら、黒い含み笑いを続けたのだった。

 

 

 ……結局、あたしの体調不良が原因で、出発は翌日に延期することとなった。

 そんなわけで、昨晩はしっかりと晩ご飯を食べ、十分に体を休めて体調も万全整ったあたしは、一路アモハンに向けて街道を歩いていた。

 前にもチラリと話したが、この辺りは比較的治安も良く、道もほぼ平坦であるために、当然ながら、トラブルらしいトラブルもなく、今のところは順調に旅程を消化していた。

 このペースで行けば、明日の昼ぐらいまでには、無事にアモハンに到着出来るだろう。

 まあ、退屈でおもしろみがないといえばそれまでだが、平和なのはいいことである。

 

「いいですね。この辺りはのどかで……」

 と、あたしの脇から、実にのんびりした声が聞こえてきた。

 ……そう。この声の主は、他でもなくエリスさんである。

 今朝方早く、ハングアップ亭を発とうと部屋から酒場に降りてみると、どういうわけかそこには彼女がいて、今回の旅とも言えぬ外出に同行したいと申し出てきたのだ。

 その意図がよく分からなかったあたしだが、別に断る理由もなく、退屈な道のりを1人で行くよりはマシだろうと思い、さして悩まずその申し出を承諾したのである。

 まぁ、ポート・ケタスからわざわざこんな辺鄙な場所まで来る人だから、その思考パターンなど、あたしには到底理解出来るわけがないが、物好きな人であることは間違いない。

「まあ、この辺りになにか観光名所があるわけでもなし、さりとて、交通の要衝というわけでもなし。比較的旅人も少ないし、それを狙う野盗なんかもほとんど居ない。平和なものですよ」

 そう言って、あたしは小さく笑みを浮かべた。

「そう、それなんですよ。私がここに来た理由は。

 事情は良く知らないですけど、とにかく逃げ出した人が隠れるには、やはり人目に付かない所と、誰しも考えることですからね。

 いくつか目撃情報もありましたし、マール・エスクードさんは絶対この辺りにいると思ったんですけどね」

 と、脳天気な声でそう言って、辺りを見回す仕草を見せるエリスさんの言葉に、あたしの胸中に、なにか冷たいものがわき上がって消えていった。

「そ、そうですね。だけど、あたしがもしそのマール・エスクードっていう人だったら、逆にこういう場所は選ばないと思いますよ」

 出来るだけ、動揺を表に出さないように心がけながら、あたしはエリスさんにそう返した。

「あら、どうしてですか?」

 どうも、この話題に関してはやはり敏感なようで、エリスさんは興味津々といった様子で、すぐさまそう聞き返してきた。

「こういうあまり旅人も来ないような場所に逃げ込んだら、かえって目立っちゃいますからね。

 田舎の情報伝達の早さを甘く見ちゃいけないですよ。普段見かけない人物が通りか掛かれば、その噂は一晩で隣り村3つ程度は広がるんだから。

 それに、もう2年も経っていますから、いくらなんでも、アストリア王国内に居るとは思えないですね」

 と、もっともらしい意見を述べるあたし。

 実際、クランタの宿屋など、希に訪れる旅人が歩きで3日ほど離れた隣町に姿を現した段階で、その情報をいち早くキャッチして営業準備に掛かるほどである。

 こんな場所に魔道師なんぞ逃げ込んでこようものなら、たちまちその噂は近隣一帯の街や村に伝播することだろう。

 それに、逃亡者の心理として、危険な場所からは遠ざかりたいというのは至極当然のことで、もうとっくにアストリア王国国外に出ていると考えるのが妥当である。

 ……と、普通の人間ならこれで十分納得してもらえるはずなのだが。

 

「なるほど、そういう見方もできますね。だけど、私の勘は探し人がこの地に居ると告げているんです」

「にゅぉ?」

 きっぱりはっきり断言してくれたエリスさんに、あたしは思わず変な声を上げてしまった。

 ……カンって。そんなあやふやな根拠で、遠路はるばるこんな場所まで来たんかい!!

「というのは、もちろん冗談で、ちゃんとした根拠はあるんですよ。

 私が調べた情報によれば、マール・エスクードという人物はアストリア王立魔道院の中でも、かなりドロドロした部署の要職に就いていたようですし、そんな人物が出奔したとなれば、魔道院側もさすがに気が気じゃなかったみたいですね。

 やはり、すでに国外に逃げ込んだと考えたようで、かなりの数のトレーサーが世界中に散っているようですし、こうなるとかえって知らない土地で身を隠すより、知っている土地の方がなにかと便利ですからね。

 マリーさんは、そう思いませんか?」

 そう言って、エリスさんはなにか含みを込めた笑みを浮かべた。

「……あなた、一体なに者なの?」

 思わず歩みを止め、あたしはエリスさんに低い声でそう問いかけた。

 トレーサーとはその名の通り、誰かを追跡する者。賞金稼ぎなどが代表例。 

 そして……マール・エスクード。

 幼くして、世界最高峰といえる魔道研究機関「アストリア王立魔道院」に所属することを認められた人物であり、また、史上最年少にして「最強」の称号を冠された結界魔術のエキスパート……。

 

 この辺りの事は、アストリア王国で魔道士をやっている者なら、誰でも知っているいわば伝説みたいなものである。

 しかし、彼女の素性に関しては一切不明で、その人物が本当に実在しているのかどうかでさえ、かなり疑わしいものであり、せいぜいアストリア王立魔道院が意図的に流したブラフである。

 ……というのが、マール・エスクードという人物に対しての、一般的な見解である。

 それなのに、エリスさんはなぜかその嘘くさい人物の実在を確信し、しかも、まず表に出ることのない、魔道院の動きまで把握している様子である。

 この事実は、つまり、彼女が「ちょっと育ちの良さそうな、世間知らずの鉄砲玉女」などという身の上ではないことを雄弁に物語っているわけで、もっと端的に言ってしまえば魔道院の関係者だ。

「はい、なんの事です?」

 と、白々しく返してきたエリスさん……いや、エリスの口元には、うっすらと笑みが浮かんでいる。

「……全く、考えてみれば、最初からおかしかったのよね。マール・エスクードの「手配書」なんて世間一般に出回るはずないし、よしんば出回ったところで、変な冗談だと思われるのがオチよ。

 ホント、昨日はどうかしていたわ」

 自分の言葉を苦々しく噛みしめながらつぶやくあたしを、ただ笑みを浮かべたまま見ていたエリスだったが、突然彼女は吹き出した。

 

「あはは。もう、久々に会ったのにそんな怖い顔しないでよ。しっかし、天下のマール様も「都落ち」してずいぶん鈍ったものね」

 明るいトーンの声でエリスがそう言った瞬間、彼女の体が一瞬淡い光に包まれ、そしてそこには別人の姿があった。

 シルバーブロンドはやや癖のある赤毛に変わり、いかにも育ちの良さそうなな雰囲気を醸し出していた顔立ちは、やや切れ目のともすればキツイ印象を与えるそれに変わっていた。

「ローザ……。あなただったのね」

 少なからぬ緊張下にあった神経を、思わずゆるめてしまいながら、あたしはそう言って苦笑いを浮かべてしまった。

 ローザ・デミオ。これが、あたしとは親友といっていい仲にある、彼女の本名である。

 

「もう、ちょっと遅すぎるわよ。あたし的には、最初にあのボロ宿で会った時に気づいて欲しかったんだけどね」

 と、呆れたような表情を浮かべながら、ローザはいきなりそうのたまってくれた。

「なによ、それってもしかして自慢?。はっきり言って、あんたが使う『幻影』を見破れる奴なんて、魔道院の中でも数えるほどしかいないわよ」

 言われっぱなしも癪なので、あたしはとりあえずそう反論してやった。

 あたしたちが『幻影』と一括りに呼ぶ魔術は、その対象や影響範囲こそ術によって様々ではあるが、その名が示すとおり、その場には実在しないモノの『幻』を作り出すという共通点がある。

 彼女が使っていた魔術は、魔道士の間では変装用の小道具としてよく使われるポピュラーなもので、誰かの姿をコピーした『膜』を自分の周りに張るという、数ある『幻影』の中でも初級レベルのものである。

 もっとも、初級とは言っても、その効果は術者の資質やセンス、経験などによって大きく事なり、ショボい魔道士が使えば、素直に着ぐるみでも作った方がよほどマシという結果になるし、彼女の様なエキスパートが使えば、『解呪』の魔術でも使わない限りは見破れないという、完全に『別人』に成りすます事もまた可能なのだ。

 

 要するに、術を生かすのも殺すのも術者次第というわけで、彼女がちょっと本気になって変装すれば、あたしが知る限りは、誰もそれを見破る事が出来ないだろう。

「あはは。まあ、あたしの特技といったら、これぐらいしかないもの。少しぐらい自慢したって、バチは当たらないでしょ?」

 と、あたしの反論をいともあっさりと受け流してくれるローザ。

 ……まあ、昔からこーいう性格ではあったが。

「はいはい。それで、その「幻影」の魔術しか取り柄がないとかほざく、現役バリバリの魔道院関係者さんが、片田舎に逃げ出した野良魔道士に一体どんなご用かしら?

 まさか、単に昔の友人の顔が見たかったとか、暇だったからからかいに来たなんて理由じゃないでしょう?」

 思い切り皮肉を込めて、あたしはそうローザに言ってやった。

 

 ……ふぅ、『幻影』の魔術しか取り柄がないねぇ。やれやれ、修行時代の同期が聞いたらなんて言うかしら?

「もちろん、決まっているじゃないの……」

 あたしの問いに、なにやら含みを込めてそう答えながら、ローザは腰の後ろに右手を回した。

 ……ふむ、来るか。

 胸中でつぶやきながら、あたしはさっと右手を腰に付けたナイフに遣った。

 まあ、あたしの手配書なんてものをわざわざ持ち歩いているぐらいだから、彼女の目的はあえて聞くまでもないだろう。

 もちろん、それはあたしも最初から承知していたが、対魔道師、しかもお互いに手の内をよく知っている相手とドツキ合いをやる前に、一呼吸おいて置きたかったのだ。

 こりゃ、久々に手応えがある相手ね……。

 と、気合いを込めて相手を見据えたその瞬間、彼女は腰の後ろからなにやら細長い物を引き抜いた。

 瞬間、あたしもナイフを引き抜き、すぐさま飛んでくるであろう相手の一撃を受け止めるべく構えた……のだが。

「魔道院からこれを預かって来たのよ。ほら、そんな物騒な物はしまって、さっさと受け取りなさいよ」

 あたしの予想に反して、相手から飛んできたのは裂帛の気合いを込めた一撃ではなく、緊張感の欠片もないローザの声だった。

 そんな彼女の手には、どこにでもあるごく普通の封筒がある。

 

「……へっ?」

 全く欠片も予想していなかった展開に、思わずあたしは変な声を上げてしまった。

「だから、手紙。これを渡しに来たのよ。念のために言っておくけど、別に変な細工はしていないわよ」

 そう言って、彼女はニヤニヤと笑みを浮かべている。

「ふぅん、手紙ねぇ……。誰から?」

 彼女の真意が読めず、警戒心は解かぬまま、あたしはそう問いかけた。

「さぁね。つい3日ほど前に、草の根引っこ抜いてでもあんたを探して、この手紙を渡してこいって、事務の兄ちゃんを通して指示が来たのよ。

 まあ、知ってるでしょうけど、その指示を出した張本人は不明だし、どんな経緯でこんな指示が来たのかも不明よ」

 そう言って、ローザは肩を竦めた。

 ……なるほど、そういう事か。

 つまり、この手紙を出した誰かさんは、魔道院内の他人に知られないように、あたしにコンタクトを取りたかったというわけだ。

 まぁ、あたしが魔道院に所属していたのはすでに過去の話だが、しかし、決して『円満退社』というわけでは無かった。

 

 それこそ、魔道院内部規定違反で目の前にいるローザの手によってここで暗殺されても不思議ではない程で、ぶっちゃけた話、魔道院とあたしは、敵対関係にあるというわけだ。

 そんな、いわば『敵』であるあたしに手紙を書くなどというのは、確かに魔道院内の他の人に気づかれたらただごとでは済まない話で、この手紙を寄越した誰かさんが用心すること自体はあたしも十分に納得出来る。

 しかし、そこまで苦労してあたしに手紙を出さなければならない理由が、どうにも思いつかないのだ。

 

 もっとも、一見すると無害な手紙に見えるが、実は何らかの罠が仕掛けられているという可能性も十分にあり得るけど……。

 ともあれ、いつまでもグダグダ考えていたところで、どこからも答えは出てこない。

 封筒の上に手をかざし、静かに精神を集中させた。

 もし、この手紙に何らかの魔術が施されていれば、それをどんなに巧妙に隠そうとしても、魔術特有の独特な『違和感』を感じるものだ。

 しかし、この手紙からは、なんの魔術の痕跡は感じられなかった。

 ということは、この手紙に魔術による物騒な罠は仕掛けられていないというわけで、まずは一安心。

 ……もしかして、魔術なんて高度なシロモノじゃなくて、剃刀の刃とかなんか怪しげな白い粉なんかが入っているなんていう、ベタな展開じゃないでしょうね?

 

 などとちょっとビビリつつ、ごくりと唾を飲み込みながら封筒の封を切った。

 すると、封筒の中に入っていたのは剃刀の刃でも無ければ、怪しげな白い粉でもなく、どこにでも売っているような、ごくありふれた白い便箋だった。

 いや、違った。よくよく見ると、ただの便箋などではない。

 厚さ手触り見た目と、全てに置いて最上級である事が分かるご立派な紙に、アストリア王立魔道院のエンブレムが透かし込まれた、歴とした公文書用紙である。

 ……いやー、なんか久々に見ると、いかにも税金無駄遣いって感じの、意味もなく威張り散らしている用紙よねぇ。

 って、まあ、あたしは税金なんぞ払ってないし(悪)、別にそれはどうでもいい。

 さて、わざわざこんな紙まで使って、物好きにもあたしに手紙を寄越した奴は、一体どこの誰ですかねぇ。

 胸中でこっそり皮肉りながら、あたしは手紙の文面に視線を落とした。

 

『前略、親愛なるマール・エスクード様。

 お久しぶりですね。お元気ですか?

 私も色々と書きたい事はあるのですが、時間的な余裕がありませんので、用件のみ記させて頂きます。

 様々な伝手を使い、現在、あなたがいわゆる『何でも屋』のような事をされていると知りました。

 そこで、このような手紙では失礼かと思いましたが、私も仕事を依頼させて頂きたいと思います。

 依頼の内容は、ローザの護衛と彼女が受けた任務の補佐です。

 詳しいことは、彼女から説明を受けて頂き、その上で結果この依頼を受けて頂くか拒否されるかご判断下さい。

 なお、報酬の件ですが、とりあえず諸経費込みで1万クローネを提示させて頂きます。

 もし、この額に不服がありましたら、多少上乗せも可能ですのでご相談下さい。

 それでは、これにて失礼させて頂きます。お風邪など召さぬよう、ご用心下さいませ。

早々

 

 マリア・コンフォート

 

 P.S

 この手紙をローザに見せる事は構いませんが、読後直ちに焼却処分して頂きますよう、お願い致します』

 

「……はぁ!?」

 手紙の内容があまりに突拍子ない事だったので、あたしは思わず目を擦って読み直してしまった。

 しかし、何度読み直そうが、その内容は変わりない。

 ものは試しと、斜め読みや縦読み、さらには上下をひっくり返して読んでみたり、太陽にかざしてみたりしたのだが、ただ得体の知れない文章になっただけだった。

 つまり、この手紙に記された事は、いたって真面目というわけで……。

「あれま、もしかしてラブレターだったとか?」

 余りのことに、思わず唖然としてしまったあたしの様子を見て、ローザが素っ頓狂な事を問いかけてきた。

「ち、違うって、ちょっとこれ見てよ!!」

 そんなすっとぼけたローザの問いに真面目に答える気が起きず、あたしは問題の手紙をパタパタ振りながらそう言ってやった。

「あら、いいの?どれどれ……って!?」

 あたしが差し出した手紙を興味深そうに受け取ったローザだったが、次の瞬間、顔の骨格が変わったんじゃないかと思うほど、もの凄い驚愕の表情を浮かべた。

 

 ……そりゃ、まあ、驚くわよね。普通。

 なにしろ、マリア・コンフォートは、他でもないアストリア王立魔道院の院長代行。つまり、暫定ナンバー1の地位にある人なのだ。

 実のところ、あたしとローザ、そしてマリアは同期である。

 その後の進路選択で、今となっては立場が色々変わってしまったが、今のあたしは単なる野良魔道師だ。

 通常なら魔道院の依頼など、まずあり得ない。

「い、1万クローネぇ!?」

「だぁぁぁぁ、そこで驚くなぁ!!」

 いきなりボケた事を抜かしてくれたローザに、あたしは反射的にツッコミを入れてしまった。

「い、いや、だって1万クローネよ。こんだけあれば、向こう10年は遊んで暮らせるわよ!!」

「ま、まあ、そりゃそうだけど……。って、そうじゃなくて。あんた、その手紙の差出人を誰だと思ってるのよ?」

 一瞬、ローザのペースに巻き込まれそうになったあたしだが、なんとか気を取り直し、自分でもばかばかしいと思いつつ、この手紙の最大の問題点を指摘してやった。

「誰って、マリアでしょ?。別に珍しくないじゃない」

 と、さも当然と言わんばかりに、ローザはきっぱりとそう答えてくれた。

「あ、あっ、そう……。じゃあ、なんでそう平然としていられるのよ。当然分かってるとは思うけど、マリアは魔道院の院長代行。つまり、偉い人なのよ。アンダースタン?」

 相手のあまりの鈍さに頭を抱えたくなりながらも、あたしはなんとかそう言い返した。

 ……ったく、なんでこんな事をいちいち解説せにゃならんのよ。ふぅ。

 

 国民のほとんどが魔道師であり、魔道王国の別名を持つアストリア王国にとって、魔道院はただの魔道師養成学校ではない。

 一定の制限はあるが、王令から独立した独自の法が制定され、ある意味でもう一つの王国とも言える。

 そこの院長代理ということは、魔道師に取っては国王代理といってもいいのだ。

「ええ、もちろん分かってるわよ。で、それがどうかしたの?」

 しかし、あたしの懇切丁寧な(?)指摘にも関わらず、ローザはこちらの意図を全く察してくれなかったようで、きょとんとした表情で再び問いかけてきた。

 ……この瞬間、あたしの精神的耐久度は限界を迎えた。

「だぁかぁらぁ魔道院トップのマリアがあたしにこんな手紙を送ってくるって事は、つまり規定を無視して魔道院を飛び出した不良野良魔道師に仕事を出したって事。非公式にね。

 これがばれたらあたしはともかく、マリアもあんたもヤバいって事!!」

 そこまで怒鳴り散らして、あたしは肩で激しく呼吸した。

「はいはい、そんなに怒らないで。ゴメン、ちょっとからかい過ぎたわね」

 激しく上下する視界(呼吸のせいだけど)の中で、ローザはそう言ってペロリと舌を出した。

 ……こ、こいつ、最初から全部分かっててボケたフリしていたわね。

 くっそぉ、なんか悔しいけど、言い返すだけの肺活量がない!!

「ああ、もうそんなに睨まないでよ。ほら、お菓子あげるから」

「……い……要るか……ンなモン……」

 身振りで「まぁまぁ」などとやりつつ、本当に派手な色彩をした糖菓子と思われるものを差し出してきたローザに、あたしはなんとかそれだけ言い返した。

 もしかして……、いや、確実にバカにされてるわね。あたし。

 まあ、昔からコイツはこーいうヤツではあったけど。

「あっそ、これ結構おいしいんだけど……」

 そう言って、ローザはこちらに差し出していた糖菓子(多分)を自分の口に放り込んだ。

 ……こぬやろ、一発派手な花火上げたろか?

 などと、どす黒い感情を煮えたぎらせながら睨むそのうちに、彼女は咀嚼も素早く飲み下すと、サッと表情を変えた。

「とまあ、冗談はさておき、実際の話、マリアは内心ではあなたの規定違反を容認しているみたいよ。

 ただ、自分の立場もあるし、なによりも『老人会』がうるさいから、そんな事は間違えても大きな声じゃいえないでしょうけどね。

 だから、こんな面倒くさい手段を使ってあなたに手紙を出したのも、いい意味でマリアなりになにか心づもりがあるんだと思うわ」

「ふーん、なるほどね……」

 ローザの話に、あたしは短くそう返して考え込んだ。

 この執行部というのは、魔道院院長の補佐という形で、実質的に魔道院を動かしている部署のことである。

 そして、『老人会』というのは、正式には『執行部顧問会』といって、その名を聞けば無く子も黙る名うての魔道士で構成されていて、その役割は、前途の執行部に対してアドバイスし、適正な運営を補助するためにある。

 ……となっているが、本音と建て前が違うのはどこの世界でも同じで、『アドバイス』という形で執行部に対して絶対的な権限を持っているのが実情だ。

 それこそ、「執行部ってのは執行部顧問会の略称だろ?」とか「魔道院に執行部なんていう部署はない」という者もいるほどである。

 もっとも、規定では、魔道院の中で絶大な権限を持つ執行部、いや、正確には『老人会』が出した裁定であっても、最終的に魔道院の最高責任者である院長の承認を得なければ発効しない事になっている。

 しかし、これは政治的な問題なのだが、蒼々たるメンツを揃えた『老人会』に対しては、魔道院院長といえどもそうおいそれと口を挟めるものではなく、よほど突拍子もない話でもなければ首を縦に振るしかない。

 さもなければ、たちまちその地位と一緒に命を失う事にもなるのだ。

 ゆえに、魔道院の中では、『院長なんぞなるもんじゃねぇ。あんなもん、老人会の操り人形か生け贄だ』と公言してはばからない者が少なからずいたりする。

 

「あっ、やっぱり疑ってるわね。まあ、もし立場が逆だったらあたしも疑うだろうし、無理もないけど」

 あたしの様子を見て胸中を察したらしく、ローザがそう言って苦笑を漏らした。

「まぁね。魔道院が相手じゃ誰だって用心するわよ」

 ここで下手な芝居をしても意味がないと判断したあたしは、ローザの言うことを素直に認めて苦笑を返した。

 魔道院を飛び出てから2年ちょっと。

 最初は追っ手も凄かったし、露骨に攻撃されたものだが、今はもう平和なものだ。

 そこにきて、いきなりの『来訪者』。罠であると考えるのが普通だ。

「そりゃごもっとも。……で、あえて聞くけど、マリアからの依頼はどうしますか?」

 と、冗談めかして言うローザに、あたしはひょいと肩を竦めて見せた。

「こらこら、説明もなしに決められないでしょ?」

 あたしがそう返すと、ローザは一瞬ポカンとした表情を浮かべ、次の瞬間、ポンと両手を打った。

「あっ、そうだった。あなたを探すのに夢中で、すっかり忘れていたわ……」

 などと、マリアが聞いたら泣き出しそうな事をつぶやきつつ、彼女は右手の人差し指を自分の目に突き出し、虚空に小さな円を描いた。

 すると、彼女が描いた円の内側の風景が一変し、さながら黒インクを垂らしたかのように『闇』が出現した。

「さっき渡した封筒と一緒に、この命令書を受け取ったんだけど、ポート・ファルシオンの近所で『遺跡』らしきものが見つかったらしくて、例によって研究部の連中が調査に出かけたらしいのよ。

 だけど、ポート・ファルシオンに到着したっていう連絡を最後にこの連中の消息がプッツリ途切れちゃったらしくて、あたしにお鉢が回ってきたってわけ」

 そう言って、ローザは自らが生み出した『闇』の空間に無造作に手を突っ込み、ぶ厚い紙束を引っ張り出した。

 これは、遠方にある物体を瞬時に手元に呼び寄せるという、魔道士の間では『召還系』と呼ばれる魔術の一種で、かさばる物を持ち運びするときに重宝する。

 まあ、これは余談だけどね。

 

「よいしょっと。これがその詳細資料ね。あたしも全部読んだわけじゃないけど、そこそこ優秀な連中が調査に向かったみたいよ」

「どれどれ」

 そう言いながら、ローザが捧げ持つぶ厚い紙束を受け取り、ぱらぱらとページをめくってみると、確かに、遺跡の調査に向かった名簿の中に、かなり腕利きの魔道師たちの名前がいくつも見つかった。

「えっと……、総勢10名ね。なんだか知らないけど、この規模の遺跡調査としては、ずいぶん気合いが入ってるわね」

 その『調査隊名簿』というタイトルが記されたページで手を止め、あたしは独り言のつもりでそうつぶやいた。

「まあ、最近はてんで『遺跡』なんて発見されてなかったから、研究部の連中も気合いが入ったんじゃないの?」

 と、なぜか妙に嬉しそうにローザがそう言ってきた。

「なるほどね……」

 と、ローザに適当に答えながら、あたしは再び資料のページを繰った。

 ……あたしたちが『遺跡』と呼びならわしているそれは、正式な書類上では『古代遺跡』と記述されるのだが、要するに、この世界に存在した過去の文明が残した遺物のことである。

 ここで、「なんだよ、言葉そのままじゃねぇか!!」と、律儀にツッコミを入れて下さったあなた。

 

 ……まさしくその通りです。申し訳ない。

 まあ、こんな洒落も飾り気も無いネーミングが施されてしまった遺物たちではあるが、あたしたち魔道師たちにとって、その存在は決してバカに出来るものではない。

 というのも、世界中で度々発見される遺跡には、記録も残っていないような遙かな大昔に生まれ、あたしたちが使っている魔術の源流になった「古代魔法」に関する貴重な資料が眠っている事があるからだ。

 もっとも、この古代語魔法を使うノウハウは完全に失伝してしまっているためそれそのものを使う事は出来ないが、これらの資料から新たな魔術を生み出すヒントを得たり、未だに解明されていない魔術の謎を暴くきっかけにもなる。

 もし、これらの『遺跡』が存在しなければ、恐らくこの世界に魔道師などというものは存在しなかっただろう。

 とまあ、そういうわけで、昔からアストリア王立魔道院は熱心に古代魔法の研究を行っていて、国内外を問わず例えどんなにしょぼそうなシロモノであっても、『遺跡』らしきものが発見されれば必ず調査隊を送り込むのが慣例になっている。

 とはいえ、もちろん毎回毎回『お宝』が発見されるわけではなく、むしろ大ハズレというパターンが多い。

 今回、ローザの持ってきた資料にある遺跡も、それだけ見ればさほど大したものではなく、大ハズレ組の一員のように思えるが、調査隊が忽然と消えてしまったというのがちょっと気になる。

 すぐに考えついた事は、遺跡を調査している途中で、誰かが致命的な罠を作動させてしまったということ。

 これは、別に考えすぎでも何でもなく、見た目がどんなにショボショボな遺跡でも、ひっそりと致命的な罠が仕掛けられていたりすることはままある。

 それを調査中に誰かがうっかり作動させてしまえば、最悪の場合、一瞬にして調査隊が全滅する可能性もあるし、実際、過去にそうやって命を落とした魔道師たちはかなりの人数に上る。

 もっとも、先ほど名簿で確認した面々は、全員が全員とも遺跡調査のベテランだし、遺跡の怖さを十分に知っているはずなので、余程の事がなければそんな事態にはならないだろうが……。

 ともあれ、これは遺跡調査に関わった事がある者なら誰でも思いつく事だし、それで納得出来ないからこそ、こうしてローザを派遣する事になったのだろう。

 その理屈はあたしにも容易に理解出来るが、ただし、これはあくまでもこの資料が事実に基づいているという前提があっての事。

 あたしがいくつか考えついた中で、一番信憑性が高いと思う仮説は、この資料にある遺跡など存在せず、代わりに、魔道院の中から選りすぐりの魔道士たちが大勢でお出迎えというパターンだ。

 なにしろ、表向きは平和的な研究機関兼魔道士養成施設である魔道院だが、その裏側では、どうにも目障りな奴を「狩る」ことを専門にしている極悪非道の暗殺チームが編成されているのだ(もちろん、これは一部の人間しか知らないけど)。

 実のところ、あたしもそこそこ戦える自信はあるが、この連中が相手となると、はっきり言って勝ち目はない。

 つまり、考えるまでもなく、この依頼はさっさと蹴飛ばしてしまうのが最良の策なのだが……。

「あれま、その顔。ま~た疑ってるわね。心配しなくても大丈夫よ……なんて、あたしの口からは気安く言えないけど、少なくとも、あたしが命令を受けたことは本当よ。って、いくら言っても信じてはもらえないだろうけど」

 あたしの心境を敏感に察したらしく、ローザはそう言って苦笑を浮かべた。

 やれやれ、勘の鋭さは昔と変わらないわね。

 

「……質問その1。遺跡調査なのに、なんで畑違いのあんたにお鉢が回ってきたのか?」

 しばし考えてから、あたしはあえてトーンを低く抑えた声でローザにそう言った。

 実は、これがあたしが疑念を抱く最大の要因だったのだが、少なくともあたしが知る限り、ローザは遺跡調査に関しては完全に素人なのである。

 例え大したことがなさそうな遺跡であっても、そこに危険が潜んでいる可能性が否定できない以上、ずぶの素人を単独で派遣させるとは考えにくい。

 しかも、ベテラン揃いの正規調査隊が失踪したあととなれば、なおさらだろう。

「回答。率直に言って不明。ただし、あなたと面識があり、接触を試みても不用意に警戒されないという思惑があったと推測される」

 突然問いかけたにもかかわらず、ローザは驚いた様子もなくそう答えてきた。

「質問その2。あんたが受けた命令の発令者は?」

「回答。命令書の署名は執行部ではなくマリア・コンフォート本人。ちなみに、この命令書には非公式の極秘任務だと明記されている」

「質問その3。もし、あたしがマリアの依頼を断ったら、あなたはどうする?」

「回答。どうするもなにも、あたしは任務を全うするのみ」

 そう言って、ローザはちょっとだけ胸を張った。

 つまり、もしあたしがこの依頼を断れば、ベテランの調査隊でさえ失踪した遺跡に、素人のローザが単身で乗り込むということだ。

 これは、すなわち、ほぼ確実に彼女も失踪するという事を意味している。

 ……うーむ、マリアのやつ。確信犯的にローザに命令を出したわね。

 

「ふぅ、なんか填められているような気がするけど、そういう事ならこの依頼は断れないわね。ただし、遺跡の代わりにコワイ魔道士さんたちが待ちかまえていたら、あんたは一生後悔することになるわよ」

 半ばやけくそ気味に、あたしはローザにそう言った。

「もちろん、その点は心得ているわよ。でも、良かった。正直な話、一人で遺跡調査しろなんて命令が来たときは、真面目にマリアの首をへし折ってやりたくなったのよね」

 冗談めかしてそう言って、ローザは屈託のない笑みを浮かべた。

「こらこら、そんな事大声で言ったら不幸になるわよ」

 かなり不穏当なローザの言葉を聞いて、あたしは反射的に辺りを見回してしまったが、しかし、視界に入るのはのどかな片田舎の光景だけ。

 これなら、このローザの発言が誰かに聞かれたという恐れはないだろう。

「もう、相変わらず心配性ね。大丈夫よ。いくら魔道院でも、そう簡単にあたしにケンカを売るようなマネはしないだろうし」

 そう言って、ローザは楽しそうに笑い声を上げた。

 ……そういや、今まで完璧に忘れていたけど、コイツってアストリア王国じゃあ超が付くほどの名門貴族の出身だったのよね。

 確かに、いくら魔道院とはいえ、そうおいそれとローザに手を出すわけにはいかないか。ふぅ、政治ねぇ。

「……たまにだけど、バックに有力な親が付いてるのって羨ましくなるわ」

 ケラケラと笑っているローザをジト目で睨みながら、あたしはそうつぶやいてこっそりため息をついた。

 ……ふぅ、世の中って不公平よね。

 

「まあ、それはどうでもいいわ。それより、マリアの依頼を受ける前に、もう1つ条件を付けさせて貰うわよ」

 すぐに気持ちを切り替えてあたしがそう言うと、ローザは笑い声を引っ込めた。

「ん、条件?」

 キョトンとした表情で聞き返してきたローザに、あたしは一つうなずいて答えた。

「実はね、もう一つ仕事を抱え込んでいるのよ。内容は大したことじゃないんだけど、期限が迫ってるからこっちを優先させる事を承諾する。これがもう一つの条件よ」

 あたしがそう言うと、ローザはニヤッと笑みを浮かべた。

「ああ、そういう事ね。了解したわ。じゃあ、あたしはクランタのあなたが泊まっていた宿で待っているから、とっとと用事を済ませて来ちゃって」

 そう言ってさっと踵を返し、元来た道を引き返していく彼女の背中を眺めているうちに、あたしは忠告しておかなければならぬ事がある事を思い出した。

「あっ、念のために言っておくけど、あのボロ宿って夜中になると色々出てくるわよ。例えば、あんたが苦手な黒くて艶やかなアレとか」

 あたしがそう言い放った瞬間、まだそれほど遠くへと行っていなかったローザの背中ががピクリと震えた。

「……って、言うのは冗談で、やっぱり久々に会ったことだし、あなたに支障が無ければ、あたしも同行しようと思うんだけどいいかしら?」

 クルリとこちらを振り向き、引きつった笑みを浮かべる彼女に思わず苦笑してしまいつつ、あたしは手で「付いてこい」と合図して、ハングアップのオヤジ経由で依頼された手紙を届けるべく、アモハンの町へと向かったのだった。

 

 

「へぇ、これが噂の大陸横断鉄道ってやつねぇ……」

 目の前にあるチョコレート色の客車を見つめつつ、あたしは思わず感嘆の声を上げてしまった。

「もう、違うわよ。これは大陸縦貫鉄道。アストリア大陸を南北に貫いてるの。東西に貫く横断鉄道は、王都の駅で乗り換えよ」

 と、脇でローザがいちいちツッコミを入れてくれるが、それは完全に無視して、あたしは改めて目の前の見慣れぬ物体を見つめた。

 ここは、クランタの中心部から少し外れた場所にある、アストリア大陸横断……、いや縦貫鉄道の駅である。

 このアストリア縦貫鉄道というのは、機械大国の異名を誇るミスティール王国の援助の元で、とかく時間が掛かる徒歩や駅馬車に変わる交通手段として設けられたものである。

 これは、なんでもアストリア大陸の北端に位置するポート・ケタスからほぼ中央部にある王都ペンタムシティーを経由し、南端のポート・ファルシオンまでを、線路という一定間隔を開けて平行に並べた2本の鉄棒で結び、その上を列車という車輪のついた大きな箱をいくつも連ねて移動するものらしく、この車輪付きの箱には主に人が乗るための客車と、荷物を載せるための貨車というものがあるらしい。

 そして、この鉄道というもので最も特筆すべき事は、ポート・ケタスからポート・ファルシオンまで移動しても、僅か1ヶ月足らずしか掛からないという高速性にある。

 とまあ、あたしもその程度の認識はあり、以前から興味を持ってはいたのだが、この鉄道を利用するための料金が恐ろしいほど高額でさらに頭に来ることに列車に乗らずただ駅の中に入るだけでも、冗談かと思うほど法外な料金をふんだくってくれるのだ。

 その上、まだ列車の数がそれほど多くないようで、地面を這う線路とやらは見ることがあっても、その上を列車とやらが走っている様子は見たことがない。

 そんなわけで、あたしは今までそこらに転がっている木箱が連なって線路の上を走っているような光景を勝手に想像していたわけだが……。

 

 なるほど、法外な料金を取るだけのことはあって、これから乗り込む列車はなかなか快適そうである。

「もう、そんないかにも珍しそうにしないでよ。一緒に行動するあたしが恥ずかしいわ」

 と、隣でため息混じりにローザがそんな事を言ってくれた。

「しょうがないでしょ。本当に珍しいんだから。……でも、まあ、マリアもよくこんな大金を出したわね」

 視線をあきれ顔のローザに移し、あたしは心底感心してそう言った。

 そう、普段なら端から移動手段の選択肢に入らなかったであろう列車を使える事になったのは、他ならぬマリアのお陰である。

 急ぎ足で手紙を届け、クランタへと戻る道すがらにローザから聞いた話によると、今回あたしに仕事を依頼するに当たって、マリアは色々と配慮したようで、ポート・ファルシオンまでの移動手段として、決して安価とは言えない鉄道の乗車券を二人分用意してくれたらしいのだ。

 その資金の出所は聞いていないが、あたしの推測では、魔道院院長代理の立場をフルに生かして、きっちり経費扱いになってるだろう。

 

 まあ、それはともかく、あたしにとってはこうして鉄道に乗れるだけですでにこの依頼の元は取れているのに、さらに1万クローネの依頼料が出るとなれば、もはや文句をいうつもりはない。

 もっとも、もしこれが何らかの罠であるなら、当然依頼料は欠片も出ないだろうが、それでも、あたしは全てを許してしまうだろう。……多分ね。

「それについては、あたしもかなり驚いたわよ。正直言って、あとがちょっと怖いわね」

 そう言って、ローザは小さく肩を竦めた。

 ……ふむ、オイシイ話には裏がある。貴族のご令嬢も、世の中の摂理ってやつが分かってきたわね。

「まっ、これだけの待遇をしてくれたんだから、それに見合った働きはしないとね。まっ、あたしは魔道院と関係ないからいいけどさ」

 あたしがそう言うと、ローザは思いっきり嫌そうな表情を浮かべ、ベーっと舌を出して見せた。

「さて、そろそろ発車時間だし、列車に乗り込みますか」

 軽くため息をついてから、ローザはそう言ってポケットから乗車券を取り出した。

「ええ、そうね。なんか、ちょっと緊張してきたわ」

 そんな彼女にうなずいてからそう答え、あたしたちは目の前の客車の端にある乗降口へと向かった。

 

「ほぉ、中も豪華ですなぁ」

 乗降口のステップを上った瞬間目の前に飛び込んできた景色に、あたしはまたもや簡単の声を上げてしまった。

 綺麗な木目が刻まれた壁は、なにか透明な塗料が塗られているようで、顔が映るほどピカピカに磨かれているし、足下の床にはつまずきそうになるほど毛足が長い赤い絨毯が敷かれている。

 そして、客車内をやんわりと照らす照明には、いかにも高価そうな凝った意匠が施されたカバーが掛けられ、とにかくひたすら高級感に溢れていた。

 正直な話、普段は傾き掛けたボロ宿に寄生している身にとって、ここはあまりにも身分不相応な空間。こうして立っているだけで、体が萎縮していくのが分かる。

「えっと、一応解説しておくけど、ここはデッキ。まあ、玄関みたいなものよ。客室はそこのドアを開けて入った先にあるの。ボケていないで付いてきて」

 なぜか、妙に偉そうにそう言って、さっさと客室内に入ってしまったローザのあとを、あたしはおっかなびっくり付いていった。

 ローザの言うデッキにあるドアを開け、客室内に入ると、駅のホーム側に寄せるようにして細い通路が延び、その通路に面してずらりと小部屋が並んでいた。

 もっとも、小部屋と言っても気のせいかあたしが泊まっているボロ宿の部屋よりは少し広そうに見えるし、何より、開け放たれた小部屋のドアからのぞき見た室内は、はっきり言って滅茶苦茶豪華である。

 ……ほ、ホントにこれでポート・ファルシオンまで行くわけ。なんか、着く頃には精根尽き果てていそうなんですけど。

「えっと……。よし、この部屋みたいね。ほら、冷や汗流していないで中に入って」

「は、はい……」

 ちょうどこの客車の真ん中辺りにある小部屋の前で足を止めたローザに促されるまま、あたしはその室内に入った。

 そのあとに続いてローザも室内に入り、後ろ手でそっとドアを閉めた。

「ほら、立っていないで座ったら?」

「そ、そうね。ふぅ、なんかどっと疲れたわ」

 ニマニマ笑みを浮かべるローザに勧められるまま、目の前にあったベンチのようなシートに腰を下ろすと、あたしは思い切り深くため息をついた。

 まあ、ベンチと言ってもそれはあくまでも形だけで、ふかふかのクッションといい見た目の質感といい、公園にあるそれとは全く別物だけど。

「もう、このぐらいで情けないこと言わないでよ。あっ、そうそう。もう一度解説しておくけど、この小部屋のことはコンパートメントっていうのよ。それと、あなたが座っている椅子のそばにあるドアを開けるとベッドがあるから、寝るときはそっちね」

 なにやらローザがそう言った時、ガクンという衝撃と共に、窓の外の景色がゆっくり動き始めた。

「おっ、発車したわね。これは特別急行だから、次に止まるのはペンタム・シティよ」

 徐々に動きが早くなっていく窓の外の景色を眺めながら、ローザが妙にはしゃいだ声を上げた。

「そういや、ずいぶん列車に詳しいみたいだけど、前にも乗ったことあるの?」

 あたしがそう問いかけると、ローザはなんだか小さい子供のような笑みを浮かべた。

「まさか、これが初めてよ。なにしろ、この鉄道が開通したときはもう魔道院にいたし、ほら、ウチってああいう家だから、まさか鉄道に乗りたいから小遣い寄こせとも言えないでしょう?」

「あっ、そう言う事ね」

 ローザのちょっと含みを込めた答えに、あたしは思わず苦笑してしまった。

 実のところ、魔道士の中には、最近になって急に世間に普及し始めた機械技術に対して、かなり否定的な意見を持つ者が多いのだ。

 

 彼ら曰く、「機械技術などというわけが分からんものなど信用できん」とか、「あんなもの金持ちがさらに金を儲けるための手段でしかない」などなど、まあ色々言っているが、その根底にあるのは今まで自分たちが占有してきた「魔術を使うことによって、人が持つ力を遙かに超越した『力』を顕示する」という事で得た、いわばその特権的な立場が地に落ちてしまうという危機感だろうとあたしは思っている。

 この辺りは、特にアストリア王国で有力な立場に居る魔道士ほど、機械技術を忌み嫌う傾向がある事からも容易に察しが付くだろう。

 そして、ローザの家は紛れもなくその有力な立場にある名門貴族。しかも、別名『魔道士の高級専門店』と言われるほど、有能な魔道士を多く輩出する事でも知られている、ガッチガチの魔道一族なのだ。

 

 となれば、もしローザが鉄道に乗るからお小遣い頂戴なんて言い出せば、その後の展開は火を見るより明らかだろう。

 なにしろ、時として実の娘より世間体を気に掛けるのが貴族というもの。

 良くて勘当。悪ければ、冗談抜きに抹殺されかねない。

「……でも、それにしては、列車に乗れてヤケに嬉しそうだし、第一、やたら知識が豊富よねぇ」

 あたしが我ながらもっともだと思う事を問いかけると、彼女はビシッと人差し指を立ててニヤッと笑った。

「いい、マール。知らないものに対して興味を抱くのは、人間として当然の摂理よ。その素直な欲求に従えないほど、あたしは石頭じゃないわ。あのクソ親父と一緒にしないで」

「……つまり、興味本位でひたすら知識ばかり増やした挙げ句、それで全てを知った気になっているただのオタクってことね」

 声高に叫ぶローザにすかさずツッコミを入れてやると、彼女は椅子から盛大にずり落ちた。

 我ながら、この上なく正確で分かりやすい解釈である。

「あ、あんたねぇ、そのすっごく頭に来ることをさらって言ってのける癖、まだ治ってなかったの?」

 ズリズリと体を引きずるようにして座り直しつつ、ローザはジト目でそんなことを言ってきた。

「癖って、単に自分に素直なだけよ。……まあ、それはともかく、ペンタム・シティに着くのはいつなの?」

 ローザの言葉を軽く受け流しつつ、あたしは次の質問を投げかけた。

「ふぅ……。そうね、遅くても明日の昼ぐらいには着くと思うわよ」

 一瞬、なにか言いたげな表情を浮かべたローザだったが、しかし、すぐに諦めた様子でそう答えてきた。

「明日の昼か。噂には聞いていたけど、随分早いわね……」

 そうローザに返しながら、あたしは思考を巡らせた。

 

 ちなみに、余談だが、クランタからペンタム・シティまでは、一般的な移動手段である徒歩で10日、お金があるとき専用の駅馬車を利用しても約5日ほどの時間が掛かっていたから、同じ距離を正味1日掛からずに駆け抜けるというこの列車の早さは実に画期的である。

 さて、それは別にどうでもいい話。問題は、この列車がペンタムシティに着いたときだ。

 このアストリア王国の中心部であり、他国と比べればさほどでもないが、一応立派な王宮があるこの大都会には、あたしにとっては鬼門とも言える王立魔道院も存在する。

 となれば、手配書が出回っている事もあるし、当然監視の目もかなり厳しいだろう。

 いかなまだ庶民には高嶺の花とはいえ、その監視の目は列車にも向けられていることは容易に察しがつく。

 もし、このまま何の対策もせず、徒然なるままに列車に揺られて行けば、あたしにとっては余り好ましくない結果になる可能性が高いだろう。

 となれば、まず考えつくのはアレか……。

「ねぇ、ローザ。一つ頼みがあるんだけど、ペンタムシティに着く前に……」

 とあたしが切り出すと、彼女は皆まで言うなとばかりにサッと手を挙げた。

「そのぐらい分かってるわよ。列車がペンタム・シティに入る前に、この変装のカリスマ魔道士があなたを見違えるような姿に変えてあげるわよ。

 しかも、今回は無料サービスでね」

 そう言って、ローザはニッと笑みを浮かべたのだった。

 

 

「へぇ、さすがに大したものねぇ」

 小部屋もといコンパートメントに備え付けの鏡に映った自分の姿を見ながら、あたしは思わず感嘆の声を上げてしまった。

 その鏡に映っている姿は、見知ったいつもの顔ではない。

 見た目はちょっとキツそうなつり目に、腰まで伸びるサラサラのシルバーブロンド。

 年の頃は、恐らく20代中盤から後半に掛けてといった所だろう。

 服装こそ全く変わらないものの、オリジナルのそれとは似ても似つかないこの顔なら、まずあたしだと思う者はいないだろう。

 これは、言うまでもなくローザの手によって施された変装処置の結果である。

 前にも述べたような気はするが、ローザの使う『幻影系』の魔術は掛け値抜きの一級品。

 同じ魔道士として認めるのは小癪に障るが、本当にさすがとしかいいようがない。

「へへへ、今日もいい仕事したわ」

 と、あたしの様子を見て満足したらしく、ローザが得意げにそんな事を言ってきたが、しかし、不意にハッとしたような表情を浮かべた。

「……って、そうそう。これを忘れちゃ完成じゃないわね」

 そう言って、彼女は自分の目の前の空間に小さな『穴』を開け、そこに右手を突っ込んだ。

「えっ、なんかマズイ事でもあるの?」

 ちょっと不安になり、ローザにそう問いかけると、彼女は返事の代わりに『穴』から何かを取り出した。

「これを忘れちゃ格好が付かないわね。はい、どうぞ」

 そう言って、ローザが差し出してきた物を見た瞬間、あたしはいきなり冷水を掛けられたような感覚に襲われた。

「こ、これって……」

 『それ』を凝視しながら、あたしは我知らずそんな声を上げていた。

 その声が、微妙に震えているのが分かる。

「まさか、見覚えがないとか言うわけないわよね?

 これから行くところは魔道院が監視下に置いている遺跡なんだし、絶対に必要なものよ」

 あたしの気持ちを知ってか知らずか、ローザは無邪気とも思える声でそう言ってきた。

 

 その彼女が差し出している物は、三角形を2つ組み合わせたいわゆる六紡星に、アストリア王国の紋章である図案化したドラゴンを組み合わせた意匠が施された、一目で手間暇掛けて作られたと分かる銀色のペンダントだった。

 これを持つことが出来るのは、世界広しといえども少数。

 すなわち、アストリア王立魔道院に所属し、しかも上級魔道士の資格を持つ者だけである。

 もちろん、見覚えがないなどと言うことはない。むしろ、忘れられるなら忘れたいほどなんだけどね。

「……ふぅ、きっちり処分したつもりだったんだけど、わざわざ見つけて持ってきてくれるとはね。ホント、有り難くて泣きそうよ」

 しばしの沈黙の後、ようやく気が落ち着いてきたあたしは、ローザにそう言って苦い笑みを浮かべてしまった。

「まぁね。中庭に穴掘って埋めてあっただけだから、あなたが魔道院を飛び出してすぐに発見できたわ」

 そう言って、ローザはなにやら含みのある笑みを浮かべた。

「そう言わないでよ。なにしろ、これってやたら固くて何やっても壊れなかったし、時間もあんまり無かったんだから……。

 ところで、ローザ。あなたはあたしがこれを捨てた理由を知ってるの?」

 言葉の後半を改まったものに変え、あたしがそう問いかけると、ローザは小さくうなずいた。

「まっ、少なくとも、単に魔道院の生活が嫌になって飛び出した。っていうわけじゃない事ぐらいは分かっているつもりよ」

 わざとらしく冗談のような口調でそう言ってきた彼女に、あたしはまた苦笑を浮かべるしかなかった。

「なるほど。それで、なおかつ『それ』をあたしに渡すっていうんだから、あんたもホントに酷い人よね」

 半ば諦めたような気持ちでそう言って、あたしはローザが差し出しているペンダントをそっと受け取った。

 久々に持つと、見た目の大きさ以上にずしりと重く感じるこのペンダント。

 凝った意匠が施されたその裏面には、小さな字ではあったが、紛れもなくあたしの名前が刻印されていた。

 そう、これは紛れもなく、あたしが魔道院で上級魔道士資格を取った時に渡された物である。

 色々あって、魔道院を飛び出す時に、全ての縁を切るつもりでこのペンダントを捨ててきたのだが、やれやれ、因果なものよね。

 

「ほら、自分の物なんだから、遠慮しないでちゃんと首に掛けなさいよ」

 そう言って、ローザは自分の首に掛かっているあたしのそれと同じペンダントを揺らして見せた。

「はいはい。あんたって、マジでいじめっ子よね」

 ため息混じりにそう返しつつ、あたしはペンダントに付いている、その見た目よりは遙かに頑丈な細い鎖を首の後ろに回し、留め金を引っかけた。

 もうしばらくこれを付けていなかったのに、その装着手順を体が覚えているところがちょっと悲しい。

「はい、これで完成よ。ほら、まともな魔道師になったじゃない」

「あー、もう放っておいてよ」

 茶化すローザを適当にあしらいながら、あたしは椅子に腰を下ろした。

 首にぶら下がって揺れるペンダントが、なんだか本来の重量以上に重く感じる。

 

「さて、そろそろペンタム・シティね。ここでしばらく停車するけど、このコンパートメントから無闇に出歩かなければ問題ないと思うわよ」

 そう言いながら、ローザはコンパートメントの通路側にあるドアの小窓と、反対側の大きな窓のカーテンを手早く閉めた。

 すると、間もなく通路側から足音が聞こえてきた。

 瞬間、思わず息を潜めてしまうあたしとローザ。

「ご乗車のお客様にご案内申し上げます。間もなくペンタム・シティ中央駅に到着します。当駅で下車されるお客様はご準備をお願いします」

 と、同時に図太い男性の声が聞こえ、同じセリフを繰り返しながら、足音は急速に遠くなっていった。

 どうやら、この列車の車掌さんだったらしい。

「ふぅ、なんかいいタイミングで来たわね。ちょっとドキドキしちゃったわ」

 足音と声が完全に聞こえなくなると、ローザはそう言って小さく笑みを浮かべた。

「なんか、いかにも逃亡者って感じで肩身が狭いわね」

「もう、これも誰のせいだと思ってるのよ」

 ……はい、あたしのせいです。ごめんなさい。

 ともあれ、時として耳障りだと思うほどのガタガタという列車の走行音と揺れが、徐々にスローテンポになってきた。

 カーテンの隙間からそっと覗くと、外を流れる景色が目に見えてゆっくりとした速度になってきている。

 どうやら、本当にペンタム・シティが近づいてきたらしい。

「さて、ここがまず第一関門ね。まあ、小耳に挟んだ情報だと、街道筋の監視は結構厳しいみたいだけど、鉄道の方はそうでもないみたいだから、なんとかなるとは思うけどね」

 声をやや低めのトーンに落とし、つぶやくようにローザがそう言った。

「まっ、いざとなったら、街ごと消すつもりで暴れるから覚悟はしておいてね」

 あたしがそう返すと、ローザは引きつった笑みを浮かべた。

「ちょっと、それをあんたが言うと洒落にならないわよ」

「まあ、それは相手の出方次第ね」

 あたしがそう言うと、ローザは心底嫌そうな表情を浮かべてため息をついた。

 ……やれやれ、やっぱりあたしの『伝説』はそう簡単に消えないか。

 

 実はこのあたし、全く不本意ながら(ここ強調)攻撃系の魔術で街や村を根こそぎ吹き飛ばしてしまった事が2、3回あるのだ。

 そのせいで、その昔は『魔道院の最終兵器』とか『全自動粛正システム』などと、不穏当なあだ名を頂戴していた時期もあり、少なくともあたしが魔道院を飛び出すまでは、この逸話は伝説として脈々と語り継がれていたのだ。

 なんというか、関係者の皆様。その節は大変ご迷惑をおかけしました。謝るので損害賠償請求だけは止めて下さい。お願いします。

 

 とまあ、我ながら誠意があるお詫びを済ませたところで、列車の速度は見る間に遅くなっていき、やがてペンタム中央駅へと滑り込むと、最後にガタンと大きな揺れを残して停車した。

 すると、通路を歩くたくさんの足音が聞こえてきて、それに混じって、外のホームの喧噪まで聞こえてくる。

「マール。この駅を発車すると、いよいよこの大陸縦貫鉄道のハイライト、ペンタム山脈越えに入るわよ。その関係で、ここで先頭の機関車を山岳路線用の強力なタイプに交換して、さらに背後から急坂を押し上げてやるために、列車の最後部に機関車を2両連結するのよ。

 うーん、なんかゾクゾクしちゃうわ」

 と、声のトーンは抑えたままだが、今にも爆発しそうなはしゃぎぶりで、ローザが早口でそう言ってきた。

 ここまでの道すがら、ローザからそれとなく聞いた話によれば、機関車というのは列車を牽引するために一番先頭に連結されている『箱』で、なんでも魔道工学とかいう怪しい学問の粋を結して作られたエンジンとやらから動力を得ているらしい。

 この話を聞くまで列車は馬が引くものだと思っていたのだが、うっかりそれを言うとローザにバカにされそうなので、そっと心にしまっておいたことは内緒である。

 

 まあ、それはいいとして、ペンタム山脈とは、ペンタム・シティの北に横たわる長大な山々の連なりで、ここから北に向かうには、険しい山道をひたすら登るか、時間の大幅なロスを覚悟で大きく迂回するしかない難所である。

 これもローザから聞いた話だが、普通に街道を歩いても難儀な場所であるのと同様、鉄道にとってもここは難所のようで、ペンタム・シティを発車した列車がこの山脈を越えて北部地方に入るまではほぼ一日かかるらしい。

 もっとも、ペンタム山脈越えの街道は、通常は徒歩で1週間以上かかるのが相場なので、これでも速い事に変わりはないけどね。

「へぇ、なんかよく分からないけど、とにかく凄そうだっていうのは分かったわ」

 妙に熱が入っているローザに適当に答えつつ、あたしはカーテンの隙間からこっそり外の景色を覗いた。

 すると、さすがに王都らしく、ここはかなり大きな駅のようで、ここから見えるはんいだけでも4つのホームがあり、あたしたちとは反対方向に向かう南行きの列車の姿も見える。

 うーむ、さすがに活気は王都なりにあるわね。あんまり好きな街じゃないけど。

 

 などとぼんやりと思っていると、突然コンパートメントのドアがノックされた。

 瞬間、浮かれていたローザの表情はスッと引き締まり、あたしはさりげなく腰のナイフに手を掛けた。

 そして、お互いに軽くうなずき合ってから、ごく自然な口調でローザが応答した。

「はい、どなたですか?」

「ペンタム警備隊の者です。ただ今、ある事件の捜査を行っています。ご協力をお願いします」

 ローザの声に、ドアの向こうの相手は穏やかな声でそう答えてきた。

 その声の様子からして、まだ若い男性のようである。

 それにしても、『ある事件の捜査』ねぇ。……こりゃ来るべきモノが来たかな。

「はい、分かりました。今ドアを開けます」

 そう応えながら、ローザはあたしの顔をちらりと見た。

 そんな彼女に、あたしはすかさず小さくうなずいた。

 はっきり言って、好んでお会いしたい相手ではないが、だからといって、ここで変な理屈をこねて追い払おうものなら、それこそ自分からクロだと言っているようなものである。

 しゃあない。覚悟を決めますか。

 ナイフの柄を握る手に力を込めたその前で、椅子から立ち上がったローザはドアの掛け金を上げ、ドアを開けた。

「恐れ入ります」

 と、開いた間口から覗いた顔は、予想通り、まだ若い男性だった。

 しかし、ペンタム警備隊と名乗った割には、一般の兵士が着ている皮鎧ではなく、見た目ちょっと高級そうなダーク・グレーのスーツ姿である。

 ……ふむ、ペンタム警備隊という身分は詐称で、実際は魔道院の擁する水面下の組織。

 恐らく、魔道院の内部では嫌われ度トップクラスの特別監査室辺りから派遣された奴ね。

 うーむ、最悪、コイツを街ごと消すっていう選択肢も考えなきゃまずいかな?

「いえ、ご苦労様です。それより、ある事件の捜査というのは?」

 相手の素性に感づいているのかいないのか、ローザは至って平然と自称ペンタム警備隊の男性と応対している。

「あっ、これは上級魔道士の方とは知らず失礼いたしました。それで、現在、我々はこの人を捜しているのですが、ご存じないですか?」

 一応、魔道院の慣例に従ってローザに敬意を表してから、自称ペンタム警備隊君はスーツのポケットからなにやら紙を取り出した。

「はい、拝見します。さぁ、私は存じませんわ。あなたはどう?」

 そう言って、ローザは自称ペンタム警備隊君が差し出した紙をあたしの前に持ってきた。

 その瞬間、思わず吹き出しそうになってしまったが、それは何とか堪えた。

 ……そう、もう話すまでもないとは思うが、ローザがあたしに差し出した紙は、まさにあたしの手配書だった。

 それに描かれたあたしの似顔絵がまた酷いもので、目つきがいかにも『2、3ぐらい、軽く殺っちゃってます』という凶悪な感じになっていたが……。

 ええい、誰が描いたか知らんが、絶対に見つけ出して目玉ほじくり出してやる!!

 と、内心怒りが沸々とこみ上げてきていたが、それを我ながら感心するほどの自制心で何とか押さえつけ、表向きは平静を保って首を横に振った。

 

「いいえ、あた……私も存じませんね。これほど目つきが悪い方なら、一目見れば分かると思いますけどね」

 そう言って、あたしは見るのも忌々しい自分の手配書をローザに突き返した。

 あたしは嘘は言っていない。確かに、似たような顔は毎日見ているが、その人はこんなに目つきが悪くない!!

 ……ああ、あとで塩でも撒いておくか。いや、これは我が家の風習で、魔よけになるらしいのよ。嘘かホントか知らないけど。

「と、そういうわけです。お役に立てずに申し訳ないです」

 あたしが差し出した手配書を自称ペンタム警備隊君に返しながら、ローザは本気で申し訳なさそうにそう言った。

 なんというか、大した演技力である。

「そうですか。どうもお手数おかけしました。それでは、これで失礼します」

 そう言って、自称ペンタム警備隊男は一礼してコンパートメントのドアを閉めた。

 瞬間、ローザがため息でもつきそうな表情で肩をなで下ろした。

「あっ、申し訳ありません。最後に一つよろしいですか?」

 まさに絶妙のタイミングで再び自称ペンタム警備隊君の声が聞こえ、ドアが開いた瞬間、あたしは危うく声を上げそうになった。

 ……うわっ、アブねぇ!!

「は、はい、まだなにか?」

 さすがにこれには驚いたようで、ローザも一瞬言い淀んだものの、それでもあまり不自然には聞こえない声でそう応えた。

「いえ、うっかり忘れてしまっていたのですが、この列車にはどちらまで乗車されますか?

 不躾なことをお尋ねして申し訳ありませんが、上司からの命令でして……」

 と、申し訳なさそうに頭を掻きながらそういう自称ペンタム警備隊君。

「ああ、なるほど。分かりました。ですが、残念ながらそれはお答えできません。極秘任務ですので」

 そう言って、ローザは自分の首に掛かってるあのペンダントをちらつかせて見せた。

「あっ、これは大変失礼致しました。それでは、お邪魔いたしました」

 いささか乱暴なローザの答だが、しかし、自称ペンタム警備隊君はそれで納得したようで、もう一度一礼するとコンパートメントのドアを閉めた。

 そのまま落ちた息が詰まるような沈黙の中、足跡が遠ざかって行くことを確認してから、あたしたちは同時に大きなため息をついた。

「……あいつ、あの年でなかなか大したものよ。一度油断させておいて奇襲をかけるのは、聞き取り調査の基本だもの」

 額に浮かんだ嫌な汗を拭いながら、あたしは小声でローザにそう言ってやった。

「全く、さすがに特別監査室の一員ね。若くても油断しちゃいけないわ」

 あたしの向かいの椅子にぐったりと腰を下ろしながら、ローザも小声でぼやいた。

「あっ、あなたもあいつが特別監査室だって気が付いていたのね」

「当たり前でしょう。目つきを見ればすぐに分かるわよ。でも、まあ、なんとか誤魔化せたかな」

 思わずあたしの口から飛び出した言葉に、ローザはさも当然と言わんばかりにそう返してきた。

「だといいけどね。まあ、もしバレてちょっかい出してきたら、その時はあたしも真面目にぶっ飛ばすけど」

「……だから、笑えないって、それ」

 

 などと、それから1時間ぐらい適当なやりとりを続けた頃だろうか。

 もういい加減慣れてきたガクンという衝撃と共に、列車がゆっくりと動き始めた。

「ふぅ、とりあえず第1関門突破ね。ペンタム山脈を越えれば、あとは3日ぐらいでポート・ファルシオンよ」

 そんなローザの解説が聞こえる中、列車は徐々に速度を上げ、昼下がりのペンタムシティを抜け、その外に広がる大草原を突き進んで行ったのだった。

 

 

 

 ローザ曰く『ペンタム峠越え』を無事に完了し、アストリア王国北部地方に入った列車は、今日も淡々と鉄路を進んでいく。

「……ねぇ、さすがに飽きてきたんだけど」

 元々2脚合わせて4人座れる椅子の片方を占領して寝っ転がりながら、あたしは誰とも無くそうつぶいやいた。

「そんなに暇なら、この客車について技術的な視点から熱く語って上げてもいいけど?」

「……遠慮しておきます」

 ローザの有り難くもなければ鬱陶しいだけの申し入れを即座に却下して、あたしはぼんやりと天井を見つめた。

 途中、ペンタムシティでヒヤっとする事はあったものの、ローザが熱く語るだけの事はあって、ペンタム山脈越えの車窓はなかなかダイナミックで素晴らしかったし、とにかくあたしたちの旅はかなり順調に進んでいる。

 ……そう、順調に進んでいる事に関しては、むしろ有り難いぐらいなのだが、しかし、いかんせん順調過ぎてつまらないのである。

 もちろん、あたしとて厄介なトラブルを望むほど酔狂ではないが、だからといって、北部地方に入ってから延々と続く草原が広がるだけの車窓は1日で飽きるし、このペースで今日を含めてあと2日間もの時間を過ごすのは、はっきり言ってかなり厳しいものがある。

 とはいえ、ローザの熱いオタク話を延々と聞かされるというのも、それはそれで発狂しそうで嫌だけどね。

 ……あー、こりゃいかん。なんとかして面白いイベントを見つけなくては。

 

「うーん、客車の話がダメなら、本当にあったかもしれない怖い話……ってのも、あんたには全く効き目がないのよね。

 うーん、どうしようかな?」

 と、なにやらブツブツつぶやくローザの声に耐えかねて、あたしはため息をつきながらゆっくり身を起こした。

 ちなみに、万が一を考えてあたしはまだ変装したままなので、普段よりも遙かに長く伸びている髪の毛が鬱陶しくて仕方ない。

「そういえば、今までゆっくり話していなかったけど、あたしが魔道院から出たあと、みんなは元気にやってるの?

 もちろん、これはあなたも含めてね」

 あまりにも時間が余って仕方ないので、あたしはパッと思いついたネタをローザに振ってみた。

「ええ、みんな元気にやってるわよ。クレスタの旦那は相変わらず研究室をぶっ飛ばしてるし、ビトーは地下室にこもりっきりでなんだか得体の知れない生物の観察をしているし、マリアは澄ました顔してひたすら書類にサインを書いてばかりで、あたしは変わらずお気楽魔道士をやってるわ……。

 ただね、やっぱりあなたが抜けた穴は大きいわよ。特に、あたしは愚痴と嫌みをぶつける相手が居なくて困ってるしね」

 そう言って、ローザは小さく笑みを浮かべた。

「もう、それは言わないでよ。……なんて、強く言えた立場じゃないわね。みんなに迷惑を掛けたとは思うし、いつか謝らなきゃって思っていたのよ。ごめんなさい」

 本心からそう思って、あたしはローザにそう返した。

「まあ、確かに迷惑を被っているのは事実だけど、それはあなたが謝る事じゃないわよ。あたしも噂に聞きかじった程度だけど、あなたが飛び出した理由が理由だしね」

「……噂に聞きかじったって、どんな話よ?」

 少し考えてから、あたしは思い切ってローザにそう問いかけた。

 まあ、大方ろくでもない話になっているとは思うが、気になることはやはり解決しておいた方がいい。

「うーん……。まあ、他ならぬあなたがそう言うんだから、あたしも遠慮しないで話すわよ。いいのね?」

「ええ、構わないわ」

 なにか、言いにくそうに念を押してきたローザに、あたしは苦笑混じりにそう答えた。

「ふぅ……。まず、あなたが魔道院から飛び出した直後は、そりゃ偉い騒ぎになったのよ。

 まあ、就任最年少記録を作って就任した魔道院院長がいきなり失踪したんだから、当然と言えば当然だけどね」

「あーあ、やっぱりそうなったか」

 ローザのちょっとトゲがある言葉に、あたしはまたもや苦笑いを浮かべながらそう答えるしかなかった。

 

 ……そう、なにを隠そう、あたしは魔道院始まって初という若干16歳という年齢で、魔道院のトップの地位に就任してしまったのだ。

 別に、これは嫌みでも無ければ自慢でもなく、あくまで単に事実を述べるだけの意図しかないのだが、どうやらあたしは遺跡研究の分野で周囲に一目置かれる存在になってしまったらしく、先代の魔道院院長が亡くなった折りに、あちこちから推薦されてほとんど無理矢理この地位に就かされてしまったのである。

 もっとも、これがあたしが魔道院を飛び出すきっかけを作る事になったのだから、皮肉と言えば皮肉だけどね。

「まあ、そういうわけで、あなたが魔道院を去ったあとは当然ながら色々と噂が飛び交ってね。『老人会』がいじめたとか、プレッシャーに耐えきれなくて逃げ出したとか、中には酔った勢いで国王を暗殺しかけたから逃げたなんて話まであったわよ」

「うわっ、それはあり得ないわね」

 と、ローザの口から飛び出した珍説に、あたしは思わず吹きだしてしまった。

 ……おいおい、いくらあたしが様々な不名誉伝説を持っているとはいえ、さすがに国王を手に掛けるような事は楽しくも恐ろしい事はしないって。

 

「で、騒ぎが一段落したころになって、あなたの代わりとして院長代行に就任したマリアが、資料庫で変なモノを見つけたって、あたしにちょっとだけ話てくれたのよ。

 ……その、あなたの両親が亡くなった魔道実験中の事故は、実は『老人会』が仕組んだ謀殺だった可能性があるってね」

「……」

 沈痛な面持ちで締めたローザの言葉を聞いて、あたしは思わずコンパートメントの天井を仰ぎ見た。

 ……マリアのバカ。そんなことローザに話したら2人とも命が危なくなるってのに。

 これじゃあ、なんのために魔道院を飛び出したんだか分からないじゃないの。

 

「まあ、最初はあたしも質の悪い冗談かと思ったんだけど、そのうちマリアが根も葉もない噂なんて絶対にしないだろうって思い直して、正直なところ、半信半疑だったんだけど、今のあなたの反応を見ると、どうやら図星だったみたいね」

 やりきれないような表情でそう言うローザの顔を、あたしは真正面から見つめた。

「……それに関しては、あたしは肯定も否定もしないわ。あくまでも、無責任なうわさ話よ。それと、今の話、悪いことは言わないからすっぱり忘れる事!!」

 あたしが語気を強くしてそう言うと、ローザは小さく笑い声を漏らした。

「もう、それじゃ肯定しているようなものじゃない。大丈夫。心配しなくても、この話はもう魔道院中……いえ、それどころか、王宮内や貴族たちの間にまですっかり知れ渡っているわよ」

「へっ、そうなの?」

 ローザの口から飛び出したあまりにも衝撃的な一言に、あたしは思わずぶっ飛んだ声を上げてしまった。

 ……ちょ、ちょっと待て、いくら何でも、こんな話が表に出てきたらエラい騒ぎになるってば!!

「そうなの。まあ、あたしもこれを話そうかどうか悩んでいたんだけど、実は、あなたの両親に関する件は、突発的に発生した事故ではなく、魔道院の老人会が関与した暗殺であったと、マリアが正式に世間に公表したのよ。

 もちろん、しっかりと証拠を固めた上でね」

「ま、マジで!?」

 ただでさえ驚いていた所に、さらにローザから追い打ちを掛けられ、あたしは開いた口が閉じられなくなってしまった。

 ……お、おいおい。『老人会』の面々って、魔道院だけじゃなく国政にまで影響を与えるような重鎮揃いよ!?

 いくらなんでも、そんなことをしたらアストリア王国が大混乱になるってば!!

「大マジ。ほら、あなたの両親って魔道院やペンタム市民にシンパが多かったし、王族や貴族たちともかなり太いパイプを持っていたでしょう?」

「えっ、そうなの?」

 ローザの口から飛び出した意外な言葉に、あたしは思わず驚きの声を上げてしまった。

「な、なによ、知らなかったの?」

 しかし、驚いたのはローザも同様だったようで、逆にそう聞き返されてしまった。

「知らなかったの?って言われてもさ、あたしの両親が亡くなった時はまだ4歳になったばかりだったし、正直、顔すらあまり覚えていないぐらいだから……」

 そうモゴモゴと言い返すと、ローザはハッとした表情を浮かべた。

「……あっ、そうか。ゴメン」

「別にいいわよ。それで、話に続きがあるんでしょ?」

 ちょっと重くなった空気を払拭すべく、あたしは意図的に明るい声でそう言った。

 実のところ、これは別に強がっているわけではない。

 というのも、両親が事故で亡くなったという事実は、あたしが15歳になったときに初めて聞かされた事なのである。

 しかも、これはかなり恣意的なモノを感じるが、『本当の両親』であるガルシア・エスクードとマリー・エスクードについては、資料がほとんど残っていないのでほとんど知ることが出来なかったし、正直言ってあまりピンと来ないのが実情なのである。

 

「そ、そうね。で、当然と言えば当然だけど、魔道院はもちろん、王宮や貴族たちまで巻き込んで大騒ぎになっちゃってね。

 魔道院やペンタム・シティでは連日暴動や抗議集会が起こるし、『老人会』のメンバーが何者かに暗殺されるわ、とばっちりでマリアが暗殺されそうになるわ、血の気が多い貴族が暴走して魔道院に大軍を率いて突っ込むわ、その暴走した貴族軍を追い返すために国王軍が出動するわ、おまけになぜかあたしのクソ親父がいきなり街中で裸踊りを始めるしって、そりゃもう大混乱になったのよ」

 と、話の内容とは裏腹に、なぜか妙に楽しそうにローザはそう言った。

「そ、そりゃ、そうよね。……まあ、あなたのお父さんが裸踊りをぶちかましたのは謎だけど」

 その時の王都の混乱ぶりを想像して、あたしは冷や汗混じりにそう返した。

 

 いや、全く、あたしが片田舎でほけら~っとしているうちに、なんかとてつもない大イベントが発生していたのね。

「まあ、あのクソ親父はどうでもいいとして、あたしもこの時はマリアってば、こんなスキャンダルを気易く発表するなんてなに考えてるのよ!?とか思ったんだけど、事態を重く見た国王が、あなたの両親を謀殺した『老人会』メンバー全員を処分した途端、驚くほどあっさりと収束したのよ」

「えっ、そうなの?」

 なにやら意味深な笑みを浮かべているローザに、あたしは思わず声のトーンを跳ね上げて聞き返してしまった。

 ……普通、こういった騒動が起こると、連鎖的に日頃の鬱積した感情も暴発して、もうどうにもならない事態に発展するものなんだけど。

「そう、嘘みたいに急速にね。これがなにを意味するのか、あなたならすぐ分かるでしょう?」

 そこで言葉を止め、ローザは先ほど食堂車で調達してきた瓶詰めの水を口にした。

「……もしかして、マリアお得意の『根回し』ってやつ?」

 しばし考えてから、思いついた事をそのまま口にすると、ローザはニヤッっと笑ってコクリとうなずいた。

「はい、正解。つまり、マリアがあなたの両親について発表した直後に起こった大混乱は、実は彼女が事前に貴族や王族、さらには一部の一般市民たちに『仕込み』を入れておいて作為的に発生させた騒動だったって事よ。

 ……『邪魔者』を一掃するための、いかにももっともらしい理由付けをするためにね」

 ……アストリア王国の王族や貴族に深いつながりを持ち、また魔道院やペンタム市民の間にもシンパが多かったというあたしの両親の死が、実は魔道院の『老人会』が仕組んだ謀殺だった。

 この事実を、ほかならぬ魔道院院長代理が公式に発表したことで、その犯人である『老人会』に対して多くの人たちが強い反感を覚え、その感情は程なく暴動という形で爆発する。

 そして、急激にエスカレートする暴動をなんとか沈める方法を模索した国王は、その暴徒たちの怒りの集約点である老人会メンバーの処刑を断行し、結果、一連の暴動は収束することになった。

 非常に大まかではあるが、これがマリアの描いたストーリーだろう。

 もちろん、アストリア王国の王族や貴族は決して一枚板ではないし、実際にこのストーリー通りに事を運ぶのは、普通に考えればまず不可能と言っていいだろう。

 しかし、マリアには他の誰もが決して持つことが出来ないであろう、ある意味で世界最強の武器がある。

 その『武器』とは、とてつもない充実度を誇る人脈の広さ、つまり強大なコネクションである。

 なんだ、そんな事かと言う無かれ。

 なにしろ、あたしが知っている範囲だけでも、アアストリア王国の王族や有力な貴族、国内の主たる街や村の領主はもちろん、周辺諸国のお偉いさんやエルフなどの異種族の間にまで、実に広範囲に渡って太いパイプを張り巡らせていて、また、この貴重な『資産』を運用する事に関して類い希な才能を持っているのだ。

 

 はっきり言って、彼女がその気になれば、全世界レベルの大戦争を起こすことさえ、決して不可能な話ではない。

 そんな彼女にとって、適切なタイミングを狙えば、魔道院の『老人会』メンバーを一掃することなど、さしたる苦労はないだろう。

 ……『姿無き魔王』、マリア・コンフォート。その才は未だ健在というわけね。

「それで、その『邪魔者』を一掃したあと、マリアは院長代理という立場を最大限に利用して、徹底的に魔道院内の組織再編成にかかったわ。

 いちいち全部話すのも面倒だから、すこしだけ具体例を挙げると、老人会こと執行部顧問会は完全に廃止。旧老人会に取り入ることで甘い汁を吸っていた連中を全員更迭。

 それに、魔道院に所属する各人の能力を考慮した、大規模な人事異動ってな感じね。きっぱり断言するけど、今の魔道院はあなたが知っている魔道院じゃないわよ」

「はぁ、なんか目眩がしてきたわ……」

 さらなるローザの言葉に、あたしはもはや、なにも言うことが出来なかった。

 

 あたしが魔道院を飛び出してから、およそ2年余り。

 院長という立場を経験したことで、あたしは『老人会の、老人会による、老人会のための魔道院』という現状を嫌でも認識することになったし、その長老会が持っていた絶大な権力と怖さは十分理解しているつもりだ。

 だからこそ、あたしは両親の事故についての真相を知ってしまった時、一目散に逃げ出してしまったのである。

 この時に胸中にあったものは、両親を『殺した』老人会に対する憤りなどといったものではなく、純粋な危機感と恐怖のみ。

 なにしろ、あたしの両親の件に関しては、当然、老人会としては決して表に出すことが許されない極秘事項である。

 それなのに、よりによって実の娘がこの真実を知ってしまったというのだから、老人会がどんな動きを見せるかは、さして考えなくても容易に察しが付くというものだろう。 

 それだけに、あの老人会をあっさりと打ち倒し、僅か2年で魔道院を再編してしまったというマリアには、正直、恐れすら感じてしまう。

「まあ、ごちゃごちゃと話したけど、要するにあなたの両親に関する件はすでにみんなが知っていることだから、別に大声でしゃべっちゃってもどうってことないわけ」

 あまりの事に、ほとんど思考能力が停止してしまったあたしの様子を、なんだか面白いモノでも見るかのような様子でしばらく眺めていたローザだが、やがて、そう言って長い話を一方的にまとめてしまった。

「……なるほどね。ちょっと話が大きすぎて混乱してるけど、結局、コソコソ逃げ回っていたあたしは、マリアにとっては絶好の踏み台だったっていうわけね」

 ごちゃごちゃになった思考回路を何とか整理整頓して、どうにかこうにかそう言うと、ローザは力強くうなずいた。

「まあ、端的に言ってそういう事ね。実際、マリアの企みが成功した裏には、老人会に対する反発心だけじゃなくて、あなたに対する同情も少なからずあったと思うし」

 なんのフォローも躊躇もなく、ローザにきっぱりそう言われてしまい、あたしは真面目にへこんでしまった。

 ……勝手に祭り上げられて院長にされた結果、知らないなら知らないで済む事を知っちゃったがために逃げ出すハメになった挙げ句、それをエサにかつての同僚はおいしい魚をたんまり釣り上げている。

 しかも、こうして列車で旅をしているのは、他でもないそのマリアの依頼によって、かなりヤバそうな臭いプンプンの遺跡調査なんぞを押しつけられたからであって、悔しいことにあたしはその依頼を断る事が出来ない状況にある。

 よ、世の中って、あまりにも過酷で不条理すぎる。もう、誰も信じたくない……。

「あ~あ、こりゃちょっと効き過ぎたかな……。もう、仕方ないわね。これあげるから元気だして」

 そんなローザの声に釣られて、俯いていた頭を上げると、彼女の手には小降りのリンゴ大の大きさに膨らんだ、いかにも頑丈そうな革袋があった。

「本当は、ポート・ケタスに着いてから渡そうと思っていたんだけど、中に1000クローネ入っているわ。前金として渡しておくわね」

 瞬間、脳が行動を指令するより早く、あたしの右腕はローザの手から革袋をひったくっていた。

 そして、その革袋の口をきつく縛っている革ひもを解くのももどかしく、その中を確認すると、目が眩みそうな光を放って佇むクローネ金貨がずらりと勢揃いしていた。

「あ、あはは、お、お金だ……」

 我知らず、そんなことをつぶやいてしまうと、ローザが盛大にため息をついた。

「ああ、もう嫌になるわね。あたしって、こんな情けない奴と張り合っていたのね」

 ローザのそんなぼやきが聞こえた途端、あたしははたと我を取り戻した。

 ……い、いかん、久々に大金を見たもんだから、理性がすっ飛んじゃったわ。

「コホン……。そ、それにしても、マリアの奴、あなたに前金まで渡してるなんて、ずいぶん露骨な事をやってくれるわね」

 何となく気まずい空気を追い払うべく、あたしはあえて口調を荒くしてそう言った。

「やれやれ、文字通り現金なものね……。まあ、いいわ。露骨って言うなら、先にこの列車の乗車券を2人分用意していた事もそうでしょう。

 結局の所、今回のあたしの任務は、最初からあなたを巻き込むように計画されていたって事よ。あっ、そうそう。もう前金を渡したんだから、この期に及んで断るってのはナシだからね」

「あ、あはは、言われなくても分かってるわよ。ちゃんと料金なりの仕事はするつもりだから安心して」

 なにやらトゲがある声で返してきたローザに、あたしは乾いた笑い声を上げながらそう応えるのが精一杯だった。

 ううう、なんか決定的に不信感を与えてしまったみたいね、あたし。

 もう、ちょっと取り乱しただけじゃないの。ローザってば了見が狭いわよ!

「ふーん。もし手抜きしたり逃げ出したら、あたしにも考えがあるわよ」

 しかし、あたしの誤魔化しはかえって彼女の不信感を煽ってしまったようで、不信感に満ちた目であたしをにらみ付けた。

「か、考えって?」

 なにか、とてつもなく嫌な予感を覚えながら、あたしは思わずそう聞き返してしまった。

「……8年前の『あの事』をみんなにバラす」

 低く押し殺した声でローザがそう言った瞬間、澄んだ音すら立てて時間が止まった。

 、あたしの脳裏に、今まですっかり忘れていた過去の忌まわしい記憶が次々とフラッシュバックしていく。

「そ。そりゃもう死ぬ気で働きますから、『あの事』だけはどうかご内密に!」

 ようやく時間が流れ始めた次の瞬間、あたしは椅子から転げ落ちるようにして、床にひれ伏していた。

「うむ、分かればよろしい!」

 その間にも、列車はゴトゴトと暢気な音を立てて走ってゆく……。                            




パソコンどころかワープロ時代からの化石みたいな小説ですが、筆者的にはこれが最初の小説だけに思い入れはあります。
人前にお見せするのも恥ずかしい駄文ですが、今後ともよろしくお願いします。
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