謎のこの遺跡の正体とは……
遺跡14日目
もう、いい加減こう言うのも嫌になってきているが、とにかくあたし達は遺跡の闇の中を延々と歩いていた。
あのアイアン・ゴーレムをブチ倒してからというもの、あたし達の行く手を塞ぐ魔法生物たちとの遭遇回数が目に見えて増加していった。
しかも、その内容もおなじみの『オオカミ』だけではなく、『スライム』や巨大な『コウモリ』、果ては『四つ足で歩く得体の知れない獣』と、とにかく多種多様な『種族』が出現するようになってきた。
そして、それに加えてエリナの手によって簡単に解除されているものの、うっかり作動させてしまえば、即座に命に関わるような凶悪な罠もかなり頻繁にお目にかかるようになってきている。
今までの経験からこの変化が意味する事は一つ。
あたしたちが、徐々にこの遺跡の重要部に近づいているということだ。
もっとも、以前エリナから聞いた話によれば、彼女が最初に『飛ばされた』階からあたしたちと出会った階に至るまで、『いくつもの階段を登った』という事だったはずである。
それなのに、あたしたちがこの階に至るまでに目にした階段はたった1つだけ。
内部構造が簡単に変わるこの遺跡なので保証は出来ないが、この階は少なくとも最下層ではない可能性が高い。
となると、この先さらにこの遺跡の地下深くの階層に降りていく事になれば、よりいっそう強力な魔法生物や罠に出くわす可能性もあるわけだ。
まあ、これは決して声に出しては言えないけど、かなり気が滅入る話である。ふぅ。
「ちょっと待った。また行き止まりだ」
と、先頭を歩くお師匠が、そう言って足を止めた。
見ると、魔術の明かりがぎりぎり届く程度でハッキリとは見えないが、確かに行く手に大きな壁のようなものがある事は分かった。
「やれやれ、また『幻』かしら?」
ため息混じりにそう言って、エリナは首だけ動かして背後を見つめた。
その彼女の視線の先は前に思わぬ活躍を見せた、ローザに向けられている。
「うーん。今のところ、特に変な感じはしないけど……」
エリナの視線に気が付いたらしく、ローザは自信なさげにモゴモゴとそう言った。
「それじゃあ、もう少し近づいてみますか……」
そんな2人のやりとりを見て、あたしは無意識のうちにそうつぶやいた。
「ああ、そうだな。ここからじゃあ、本当に行き止まりかどうか分からんからな」
元々特に意識して問いかけたわけではなく、むしろ、独り言と言ってもいいような感じだったのだがお師匠が律儀にそう応えてくれた。
ここからでは『何となく壁があるような気がする』という程度にしか見えないので、この先が完全に行き止まりなのか、それとも、見えない範囲に通路や階段などがあるのかは定かではない。
となれば、さらに近づいてみるしかない。
「行きましょう。慎重にね」
とあたしが言うと、皆は小さく頷いた。
通路を塞ぐ壁までは数十メートルもないだろう。
その距離を、たっぷり時間をかけて進んでいく。
あたしたちが進むと同時に魔術の明かりの範囲も移動し、やがて、進行方向の様子がはっきりと視認出来るようになってきた。
……どうやら、この先は完全な行き止まりらしい。
目の前を塞ぐ、床から天井まで繋がる壁には、どこにも通路らしきものは見あたらないし、他の階へ移動するための階段も見当たらない。
となると、あとはもう少し近づかないと判別出来ない『転移』の魔法陣があるか、もしくは、先にあった『幻の壁』である事に期待するしかないのだが……。
「ローザ、なにか感じる?」
「……なにも変な感じはしないわ」
前を見たまま問いかけるエリナに、ローザが自信なさそうに答えた。
まだ分からないが、どうやら後者の可能性は低いようである。
……あーあ、これで正真正銘の行き止まりだったら、さすがにちょっと泣くかも。
などと心の中でつぶやいているうちに、あたしたちは、とうとう行き止まりの壁に到達してしまった。
先に述べたとおり、通路や階段などはなく、また最後の望みだった『転移』の魔法陣もない。
「……うーん、特になにも感じないわね。あたしも断言できるほどの自信はないけど、ただの壁だと思うわ」
と、誰に言われるまでもなく、ローザは頭を掻きながらそう言った。
いちおう、あたしも意識を集中させて目の前の壁をじっくりと観察してみたのだが、やはり、ただの壁だとしか思えない。
「そっかぁ……。まあ、とりあえず、試してみるわね」
そう言って、エリナは早口でなにやらつぶやき、そして両手を前方に突き出した。
すると、その両手の平が淡い光に包まれ……全く何事もなく、そのまま消えていった。
「ふぅ、ダメね。やっぱりこれはごく普通の石壁よ。残念ながら、本当に行き止まりってこと」
と、ため息混じりにそう言って、エリナは前方に突き出していた両腕を下ろした。
その瞬間、みんなの顔に少なからぬ落胆の色が浮かぶ。
もちろん、あたしもその仲間の一人だった。
この時点で、途中にゴーレムまで配されていたこの通路が、実は、ただの長過ぎる袋小路であったという、信じたくもない事実が確認されたわけである。
もっとも、この特殊な構造上、ここに至るまでのどこかで『当たり』の通路を歩いていた可能性もあるが、だからといってこれはあまり慰めにはならない。
「あーあ、無駄骨か。まあ、しょうがないとは思うけど……」
まるで、なにかを吐き出すようにそう言って、エリナはその場にどっかりと腰を下ろしてしまった。
それにしても、床に直に腰を下ろし胡座をかいている彼女のその姿は、いかにもベテランという風格のようなものを漂わせ、なんだかそこらの男よりよほど頼もしそうに見える。
ともあれ、少なからぬ疲労感にさいなまれたのは、あたしとて同じである。
さすがに、エリナほど潔くは出来なかったが、その場に腰を下ろし、何とも言えぬ気だるさを感じながら、あたしは天井を仰ぎ見た。
……あたしのすぐ頭上にはローザだかが浮かべた『明かり』の光球があり、なんだかひたすら無闇にまぶしい。
もはや、なにかしゃべる気力もなく、そのうちただ座っているだけでも面倒になってしまったので、あたしはそのまま仰向けにひっくり返ってしまった。
……ああ~、今まですっかり忘れていたけど、なんか頭の先からつま先まで、やけにベタ付く感じがして気持ち悪いわねぇ。
そういや、もう何日体を洗っていないんだっけ……って、なんか本気で気持ち悪くなりそうだから、これ以上はやめておこう。
ふぅ。早いところ地上に戻って、ちょっと強めのお酒を浴びるほど飲みたいわね。
それに、この辺りってさすがにアストリア王国最大の貿易港があるだけのことはあって、見慣れないけどやたら旨いっていう食べ物が豊富にあるのよね。
……いかん、マジで切なくなってきた。
と、思わず胸中で涙してしまった時、色々な物を全てぶち壊しにする巨大な爆音が辺りを蹂躙した。
「だぁぁぁ、人がシミジミしている時になんだってのよ!!」
さすがにたまらず怒鳴りつつ、あたしはその場でパッと飛び起きた。
「あっ、ゴメンゴメン。あんまりムカついたもんで、つい爆破したくなっちゃってさ」
と、頭をポリポリ掻きながら言ってきたのは、他ならぬエリナだった。
見ると、彼女のすぐ近くにある壁からもうもうと煙が立ち上っている。
「爆破って……あんたは!?」
辺りの状況をちらりと見やりつつ、あたしはジト目でエリナにそう言ってやった。
行き止まりの壁からやや離れた場所にいたあたしはともかく、壁の近くに立っていたお師匠とマリアは床に倒れて目を回しているし、かろうじて意識がある様子のローザも床にへたり込み、引きつったような笑みを浮かべたまま硬直してしまっている。
まあ、幸い誰も大怪我をした様子はないが、まかり間違ってこれだけ巨大な壁が倒壊していたら、あたしたちはそれを自覚する間もなく生き埋めになっていただろう。
「もう、あたしだってちゃんと考えているわよ。爆破する前にちゃんとこの壁全体を防御魔法でコーティングしておいたから、ぶっ飛ばした時の破片やら瓦礫やらはこっちには飛んでこないし爆風対策もこれでバッチリ」
と、あたしの抗議に、エリナはシレッとした顔でそう反論してきた。
……そういや、爆音と振動こそ感じたけれど、当然、襲いかかってくるはずの爆風やら壁の破片やらは飛んでこなかったわね。
だけど……。
「『バッチリ』じゃないわよ、ったく。防御魔法を使う事を思いつく余裕があるなら、それ以前に爆破する必然性があるのかって事を考えなさいよ」
呆れ8割、関心1割、なんかどーでもいいやという投げやりな気持ち1割をブレンドした複雑な気持ちで、あたしはエリナにそう言ってため息を吐いた。
「まあ、確かに、それを言われると辛いわね。ったく、せっかく特製の魔法薬をありったけぶち込んでやったのに、コゲ跡一つ付かないんだから……」
と、あたしの物言いに少しひるんだらしいエリナは、しかし、どこか微妙な見解の相違を見せつつ愚痴を漏らすようにそう言ってきた。
「あのねぇ、壁がぶっ壊れなかったとかそーいう事じゃなくて、そもそもなんで爆破しようと思ったワケよ。意味無いでしょうが」
思わず頭を抱えそうになってしまいつつ、あたしはエリナにそう言った。
「いや、だから、さっきも言ったけどなんか頭に来たからよ。ほら、マールだって、ちょっと前までは、マリアとツルんで色々と『八つ当たり的破壊工作』をやらかしていたでしょう。アレと同じよ」
「……」
キッパリとエリナに返されてしまい、あたしは咄嗟になにも返せなくなってしまった。
……『八つ当たり的破壊工作』。なるほど、決して的はずれな表現ではない。
だが、破壊工作というのは少々オーバーだろう。
なにしろ、あたしがやらかした事といえば『魔術実験許可証』という免罪符を入手した上でちょっと城壁に穴を開けてみたり、大して通行量の無い橋を2、3本落としてみたり、3年後に取り壊し予定だった計画を前倒しして、魔道院の旧実験棟を無料で破壊してみたりと、せいぜいちょっと活発な子供のいたずらレベルである。
いやいや、魔道師たる子供というのは、ノリと勢いだけで無邪気に街を丸ごと吹っ飛ばしたりするんだから、それに比べれば、あたしのやらかした事など、どうということも……ううう、ごめんなさい。街吹っ飛ばしたのあたしです。猛省してます。
「おやま、なにか不満そうね」
「いいえ、何でも無いですってば」
エリナの意地悪な問いかけに、あたしは努めて素っ気なくそう返した。
……ったく、これだから魔道院時代のやんちゃなあたしを知ってるヤツは嫌なのよね。
「ま、まあ、あたしの過去はどうでもいいとして、ストレス発散ならもっと穏便な手を考える事をお勧めするわよ。『破壊の三姉妹』なんて呼ばれたくなかったらね」
と、半ば開き直ってそう言うと、さすがに『三姉妹』は嫌だったのか、エリナはちょっと顔をしかめた。
……フフフ、人の印象ってものは悪いものほど後を引くものなのよ。
たった一度でも変なレッテルを貼られると、そう簡単にはまっとうな魔道士には戻れないのさ。ざまーみろ!!
……って、なんか壊れ気味ね。あたし。
「うふふ、マールさん。よく分かっているじゃないですか。私たちは、あくまでも二人だから『破壊の姉妹』で済んでいるのです。これでエリナさんが新規加入したらどうなるか……」
「うわっ、びっくりした!!」
一体いつの間に復活したのか、いきなりマリアが横からクチバシを差し込んできた。
……しっかし、どーでもいいが、なんなのよ、その得体の知れない理屈は。
「ちょ、ちょっと、なんであたしが加わるとまずいのよ!?」
と、どうやらマリアのセリフが気に入らなかったらしく、エリナが猛然と抗議の声を上げた。
「あら、自覚していませんか。なんでしたら、ここで逐一ご説明申し上げましょうか?」 と、口調はあくまでも丁寧ではあるが、しかし何となくドロドロしたものを感じさせるマリアの言葉に、エリナは引きつった笑みを浮かべた。
「あ、あはは……。結構です」
乾いた笑い声を上げつつエリナがそう返すと、マリアはニコリと笑みを浮かべた。
「なるほど、『結構』なんですね。それでは、お話しましょう。あれは、去年の事でした。エリナさんは……」
「だぁぁぁ、やめれ。ったく、あんたは悪徳業者の営業か」
なにやら語り出したマリアの肩をガシッと掴みつつ、エリナが慌ててそれを遮った。
「……なんつーか、あんたら実はいいコンビじゃないの」
まあ、『去年の事』とやらが無性に気になるところではあるが、とりあえず、それは胸の内にしまっておく事にして、代わりにそうツッコミを入れてやった。
「どこがいいコンビよ。あたしにしてみれば敵よ敵。ったく、誰がこんなのを魔道院院長代理にしたんだか……」
すると、エリナは心底嫌そうな顔をして、即座にそう反論してきた。
「それは、私の人望が厚かったお陰でしょう。エリナさんも、日頃から人に好かれるように心がけていると多分ちょっとはいい事があるかもしれませんよ」
「ええい、やかましい。大体、あんたのどこに人望があるのよ。人望が!?」
「あら、分かりませんか。『彼氏にしたい先輩ベストテン』の堂々1位に君臨することに……」
「ぬわぁ。そのおぞましい話をするな!!……っていうか、それって、むしろ人望厚いような気がするんだけど、これは気のせいかしら?」
「あっ、そうですね。これは失敗でした」
……あーあ、なんかおっ始まっちゃったよ。
やっぱり、この二人って結構いいコンビだと思うんだけどなぁ。
って、そんな事はどうでもいいか。
それより、この二人が飽きるまでの時間つぶしを考えなくちゃね。
「な、なあ、マール。1つ聞きたいんだが、なんであの2人は言い争っているんだ?」
思考を巡らせているそのうちに、どうやらこちらも復活したようで、お師匠がポカンとしながらそう問いかけてきた。
「一言で言うなら、『女の友情』ってヤツです。あまり深く考えない方がいいですよ」
と、そんなお師匠に投げやりに答えるあたし。
はっきりいって、バカらしくて真面目に説明する気にもなれない。
しかし、そんなあたしのいい加減な一言で、なぜかお師匠は納得してしまったようで、大きくうなずいた。
「そうか、女の友情か。ならば、僕が口を出す問題でもないな」
……いや、納得されても困るんだけど。
まっ、誰が損するわけでもないし、別にいいか。
「まあ、あの2人は放っておくとして、今のうちに、適当に食事でも取りますか?」
あたしがそう提案すると、お師匠は小さくうなずいた。
「そうだな。あの様子じゃ2人ともしばらくは正常に戻らないだろうし、正直な所、かなり空腹なんだ」
そう言って、小さく笑みを浮かべるお師匠に、あたしは片目を閉じて答えてから、その場に腰を下ろした。
そして、傍らに置いてあった荷物袋の中から、味よりも保存性を優先させたとしか思えない、干し肉だのなんだのといった携帯食料を取り出した。
まあ、マリアだったらここで喜々として豪勢な料理を作り始める所ではあるが、残念ながらあたしの腕は彼女には及ばない。
「しかし、何だな。僕も色々と遺跡を見てきたけれど、ここほど面白い場所はないな」
と、あたしの取り出した干し肉をひとかけらかじりながら、お師匠がつぶやくようにそう言ってきた。
「『面白い』ですか。まあ、ある意味ではあたしも同意見ですけど」
思わず苦笑を浮かべてしまいつつそう返すと、お師匠はオーバーなリアクションで肩をすくめてみせた。
「なんだよ、その歯に物が詰まったみたいな言い方は。遺跡好きたる者、なんか変なものを見たら素直に喜べって前から言っているだろうに」
「あの、初めて聞きましたけど。それ」
あたしがすかさずそう切り返してやると、お師匠はきょとんとした表情を浮かべた。
「あれっ、言わなかったっけ。じゃあ、今言ったから今後はそのつもりでよろしく」
しかし、すぐに立ち直ったらしく、お師匠はそう言ってビシッと右手人差し指を立てて見せた。
「よろしくって……まあ、いいですけど」
色々と言いたい事はあるのだが、とりあえず、それはそっと胸の内にしまい込み、あたしは投げやり気味にそう返した。
……『なんか変なモノ見たら素直に喜べ』って、ただのヘンタイのような気がするんですけど。実際。
などと、思わす胸中でシミジミつぶやいてしまった時である。
突然、辺りに『ゴキッ』という生理的嫌悪感を伴う音が響いた。
反射的に、今まで放っておいたエリナとマリアの方を見やると、その双方の顔面にお互いの拳が食い込み、両者とも尋常じゃない方向に首が曲がっていた。
「……」
そして、あたしとお師匠が無言で見守る中、エリナとマリアはゆっくりと床に崩れ落ち、そのままピクリとも動かなくなった。
「……どーやら、カウントは要らないみたいね。二人とも、お疲れ様」
と、どうせ聞こえているわけがないと思いつつ、あたしは一言そう言ってやった。
まあ、2人ともそれなりに重傷のようだが、こんな下らない事のために貴重な魔力を使ってまで治療してやろうとは思わない。
まっ、2人とも首を斬り飛ばしても死ななそうなほど頑丈だし、もうちょっと経てば、勝手に回復するでしょう。
「ふむ、麗しき友情だな。すばらしい」
と、皮肉か本気か、お師匠がなにやらそんな事を言って、ウンウンとうなずいるが、これは無視することにする。
「それにしても、正直言って、本当にこの遺跡から出られるのか心配になってきました。これじゃあ、体力の方はともかく、気力の方がもつかどうか」
気持ちを切り替え、あたしはお師匠にそう言ってため息を吐いた。
もっとも、これはあたしだけではなく、他のみんなにも共通する本音だろう。
お師匠は例外かもしれないけど……。
しかし、これは大きな声で言える事ではない。
もし、あたしたちの誰か1人でもそういう弱音を吐けば、それを引き金にして今までなんとか抑え込んでいた全員の感情が爆発する。
そうなったら最後、もはや脱出できる望みはほとんど絶たれてしまうだろう。
それが分かるからこそ、あたしを含めて今まで誰もこの事は口にしなかったのだ。
聞いているのが他ならぬお師匠だからこそ、あたしはこうして本心を明かせるのである。
「おいおい、マール。この程度でそんな事を言うな。こんなシケた遺跡より、『レビィ・サップ』の方が、遙かにしんどかっただろう?」
と、お師匠はそう言って肩をすくめた。
「まあ、それはそうなんですけど……。あたしはともかく、これが遺跡初経験のローザはもうとっくに限界を超えているでしょうし、いくらベテランとは言ってもエリナはあたしたちよりかなり長期間ここにいますからね。控えめに言っても、あまり長くはもたないと思います」
あたしがそう返すと、お師匠は難しい表情を浮かべた。
いままで特に述べなかったが、いつの間にかローザはスヤスヤと寝息を立てていた。
その様子から、もはや彼女が限界点などとうに超えている事は容易に察しが付く。
それでも、今のところはなんとか動けるようだが、それもいつまでもつ事やら……。
「そうだな……。それは、僕も分かっているんだが、現状ではどうにもならないだろう。とにかく、どこかに進まないと話にならない」
と、久々に見る真面目な様子でそう言うお師匠に、あたしはなにも返せなかった。
お師匠の言う事は、しごくもっともな事である。
もちろん、あたしとてそのぐらいは分かっている。
地上に戻るすべがあるならとっくにそれを試みているだろうし、それが分からないからこそ、こうして延々と地下をうろついているのだから。
「まあ、そう悲観するな。考えても仕方ない事は、端から考えないのが一番。こうなったら、成り行きに任せで前進あるのみだ」
あたしがごちゃごちゃ考えていると、いつものお気楽モードに戻ったお師匠がそう言ってあたしの肩をバシッと叩いた。
「……まあ、それもそうですね。っていうか、肩痛いです」
あたしとてもちろん完全に吹っ切ったわけではないが、お師匠の言うとおりいくら考えても事態が好転するわけでもない。
無理矢理気持ちを切り替えて、あたしはわざと大げさに肩をさすりながらお師匠にそう返した。
……ふぅ、この神経の太さは、いまだにあたしがお師匠に勝てない部分なのよね。言い意味でも、悪い意味でも。
「わはは、骨が折れたわけでもあるまいし、このぐらい我慢しろ。そんなことより、さっさと食っちまおう。特にマリア辺りが起きると、またうるさくなりそうだし」
「そりゃごもっとも……って、それあたしの分!!」
「だはは、早い者勝ちだ、こんなもん」
と、素早くあたしの分の干し肉まで貪り尽くしたお師匠が、勝ち誇ってそう言った瞬間だった。
まさか、あたしの胸中の怒りに呼応したわけではないだろうが、突然、辺りの床が激しく振動し始めた。
「う、うわっ。って、み……」
慌ててそこらに転がっているエリナ&マリアとローザに声をかけようとしたその時、いきなり床が『消滅』した。
それも、あたしだけではなく、全員をすっぽりとカバーするほどの広範囲に渡って。
……そ、そういえば、『定期的に』内部の構造が変わる仕掛けがあったんだっけ!?
と、改めて気が付いた時には、もはや、逃げる暇などどこにもなかった。
当然と言えば当然だが、、あたしたちは奈落の底めがけて落ちていくしかなかったのだった。
「……ほぇ?」
永遠に続くかと思った落下感が急に消え失せ、あたしは思わず変な声を上げてしまった。
とりあえず、辺りを見回して見たが、まるで黒インクで塗りつぶされたかのような闇の中で、全くなにも見えない。
「ふむ、重力緩和の魔術……いや、魔法か」
と、突然闇のどこからかエリナの声が聞こえてきた。
その様子からして、さして遠い場所ではないようだ。
「あっ、エリナ。どこにいるの?」
「いや、そう聞かれてもねぇ。これじゃあなにも見えないって」
……あっ、確かにそうね。
我ながら、ちと間抜けな質問しちゃったわね。
「うーん、それにしても、なんか首から上が異様に痛いのよね。……まあ、それはともかく、なにがどうなっているわけ?」
と、続けてエリナがそう問いかけてきた。
彼女もまた、あたしからさほど離れているわけではなさそうだ。
「なにがどうなっているって……。あっ、そうか。掻い摘んで説明するわね」
一瞬、エリナ流のボケかと思ってしまったが、すぐにあのときの状況を思い出し、今までの経緯を簡単に説明した。
「……なるほど。つまり、今は『墜落中』ってわけね。それにしても、『重力緩和』なんて、そうそうお目に掛かる罠じゃないんだけど……」
あたしの説明が終わると、エリナは思案している様子でそう言った。
「とにかく、『明かり』の魔術をよろしく。こう何も見えないんじゃあ、なにかと不便だし」
「はいはい。それじゃあ……」
エリナの声にあたしは『明かり』の魔術を使い、闇に慣れた目にはちと辛い光球を一つ作り出した。
すると、あたしのすぐ隣にエリナの姿は確認できたものの他のみんなの姿がない。
「あれ、あとの3人は?」
特に誰にと言うわけでもなく、あたしは思わずそう問いかけてしまった。
「さあ、なぜか記憶がぶっ飛んでいるから、あたしにはなんとも」
と、少々困った様子で、エリナがそう答えてきた。
……ああ、そうだったわね。またやっちゃったよ。
「それもそうか……。それにしても、ここって一体?」
なんとなく漂う気まずい空気を振り払うべく、あたしはわざと声のトーンを上げてそう言った。
もちろん、あたしも姿が見えない3人の事は気がかりだが、それと同等程度にあたしたちが置かれている状況も気になる。
死ぬほど考えればこの3人の居所が分かるというなら別だが、今はこちらの事を解決する方が先決である。
「さあ、今のところは何とも言えないわね。まあ、無闇に広い空間だってのは確かだけど」
と、辺りを見回しながら、エリナがつぶやくようにそう答えてきた。
確かに、『明かり』の魔術が及ぶ範囲にエリナ以外は何も見えない所を見ると、ここが無闇に広大な空間である事は間違いない。
ただ、緩やかながらも『落下中』であることは感覚的に分かるので、あたしたちがいまだに虚空にあることは間違いない。
「まあ、なんにしても、用心しておくに超した事はないわね。うまく言えないけど、なにか嫌な予感がするわ」
こちらも辺りを見回していると、いつになく真剣な様子でエリナがぽつりとそう言ってきた。
何かは分からないが、少なくとも彼女が冗談を言っているわけではない事は分かる。
あたしは、返事代わりに腰の銃を抜いた。
「あっ、そうそう。マールは嫌かもしれないけどその銃を貸してくれると有り難いんだけど……」
「えっ?」
いきなり意外な事を言い出すエリナに、あたしは思わず変な声で答えてしまった。
「いや、別に変な事しようっていうわけじゃないのよ。ただ、この先武器らしい武器がないっていうのは、さすがに心許ないからさ」
と、あたしの反応を違う意味に捉えたらしく、エリナは慌ててそう言ってきた。
「あっ、そうじゃないのよ。ただ、エリナが銃を使えるのかなって思ったのよ」
あたしがそう言うと、彼女はニッと笑みを浮かべた。
「もちろん、ちゃんと知っているわよ。使えない武器を貸せなんて言わないって」
「……そ、そうだったの。いつの間に」
あまりにあっさりと断言されてしまい、あたしは驚きのあまりモゴモゴとそう返すのが精一杯だった。
なにしろ、前にも述べたと思うが、このアストリア王国において銃という武器は基本的に禁忌とされているし、なにより圧倒的大多数の魔道士はこの武器に対して強烈な拒絶反応を見せるのだ。
そんなわけで、銃を持っている魔道師などこの国ではせいぜいあたしぐらいだと思っていたのだが……。
「分かった。貸す事はやぶさかじゃないんだけど……。手荒に扱って壊さないでよ」
いまだ驚きが収まっていないあたしだったが、あたしはエリナに銃を渡した。
「残弾はあと12発あるわ。必要なら、そっちも渡しておくけど」
「とりあえず、これだけでいいわ。……へぇ、これってミスリル製ね。確かに、これは壊すわけにはいかないわね」
自分で言うだけの事はあって、エリナはやけに手慣れた様子で銃を構えつつ関心したようにそう言った。
……むぅ、エリナってば、実はかなりの使い手とか。
「おっ、そんな事を言っているうちにようやく床が見えてきたわね」
いきなり口調を改めてそう言ってきたエリナの声に、あたしは反射的に足下を見やった。
すると、彼女の言うとおり、まるで闇の中に浮かび上がるように見慣れた石造りの床が確認できる。
「さてと、着地する前に話しておく事が1つあるわ。もし、あたしの身になにかが起こっても、構わずに自分の身を守る事を最優先に考えてね。その代わり、逆にマールの身に何かがあっても、あたしは一切フォローしないわ」
「えっ?」
いきなり真面目に言ってきたエリナに、あたしは思わずそう聞き返してしまった。
「つまり、そのぐらいの覚悟をしておいてっていう事よ。さっきも言ったけど、どうも嫌な予感がするのよ」
と、少し慌てた様子で、エリナは手をパタパタ振りながらそう言ってきた。
「嫌な予感、か……。分かったわ。仰せの通り、何かあったらあたしは自分の事を最優先で行動させてもらうわ」
そう返して、あたしは小さく笑みを浮かべてやった。
もちろん、これには『十分な経験に裏打ちされている上で』という但し書きが付くが、遺跡委調査において、『直感』や『予感』といった類のものはなによりも強力な武器になるのだ。
特に、今まで誰も踏み入った事のない未調査遺跡の場合は、文字通り右も左も分からない場所だけになおさらの事である。
「うむ、素直で結構。あのヘボ弟子も、さすがに、要所だけはちゃんと教育していたみたいね」
と、満足そうにつぶやくエリナ。
……『ヘボ弟子』っていうのは、たぶんお師匠の事よね。
うーむ。今、ふと思ったんだけど『師匠』がこの様子だと、その『弟子』たるお師匠も何かとあたしの事をコケにしまくってくれている可能性が高いわよね。
まあ、どーでもいいって言えば、どーでもいい事なんだけど、今後の師弟関係を良好に保つために、あとでこっそり調査してみるか。
などと、密かに胸中で決意を固めたその時、あたしたちは無事に床へと降り立った。
両足に軽い着地の衝撃を感じつつ、注意深く辺りを見回してみるが『明かり』の魔術の効果範囲以外はひたすら深い闇があるのみ。
今のところ、エリナの言う『嫌な予感』が現実になる兆候はない。
「ふぅ。とりあえず、『着地地点にいきなり罠がある』っていう、腹立たしい事この上ない反則技は無かったみたいね」
と、こちらも辺りを見回していたエリナが、心の底から安堵したと言わんばかりにそうつぶやいた。
「それにしても、ここってかなり広そうね。わざわざ手間暇掛けて、こんな場所を造ったぐらいだから、きっと重要な何かがあるとは思うんだけど、エリナはどう?」
あたしがそう問いかけると、エリナは腕組みをして小さくうなり声を上げた。
「うーん、そうね。まあ、あなたが言うとおりここには『何か』があるのは確かだろうけど、『重要な物』かどうかはなんとも言えないわね。
最悪、あたしらが引っかかった『監獄・ドラゴン付きお買い得バージョン』の可能性もあるわよ」
……そーいや、前にそんな事を話してくれたわね。
まあ、『お買い得』かどうかはともかく、これだけの広さがあれば、巨大な体を持つドラゴンでも、なんら動きが制約される事無く、十分に活動できるだろう。
もし、エリナの言うとおりだった場合、あたしたちは、控えめに言ってもかなりヤバイ事になる。
その頑強な鱗は全ての攻撃をたやすく弾き返し、その鋭い爪は万物を引き裂く。また、その吐息は、あらゆる物を刹那の間に灰燼に帰すだろう。
これは、とある古文書に残されていた『竜』。すなわちドラゴンに関しての記述である。
まあ、実際の所はそれ相応の武器や魔術を使えば、どうにかこうにか傷を負わせる事が出来るし、最強クラスの防御魔術を使えば、爪や『吐息』はどうにかしのぐ事は出来る(ただし、『異世界に住む』と言われるカオス・ドラゴンは除く)のだが、それと『倒す』事はまた別問題である。
これは、正規の調査隊としてこの遺跡に派遣されたエリナの隊が、たった一匹のドラゴンの前に壊滅させられたという事を例に挙げれば容易に理解できる。
なにしろ、魔道院が未調査遺跡に派遣する正規調査隊の戦力は、ざっと兵士1万人分程度に匹敵するのだから。
もっとも、ただの剣や弓などを主戦力とする通常部隊と、制限付きとはいえ一時的に物理的な制約から逃れられる魔術を単純には比較出来ないのだが、それでもドラゴンを敵に回すと、どれほど悲惨な目に遭うかは分かって頂けたと思う。
正直、こうしてエリナが生きているというのはほとんど奇跡に近いのだ。
「まあ、これはあくまでも『可能性』よ。だからそんなビビッた顔しないの」
と、まるで諭すようなエリナの声に、あたしははたと我に返った。
「そ、そう言われても、エリナが『ドラゴンがいるかも』なんて言うと、あながち的はずれな話とは思えないし……」
「あのねぇ、あんたも『魔道院の最終兵器』とまで呼ばれた男でしょうが。たかが、トカゲの親分ぐらいで、がたがた言わないの」
「……いや、あたしって、これでも女だし」
と、そこはかとなく失礼な事を、一片の躊躇いもなく威風堂々と言い放ってくれたエリナに、あたしは思わずそうツッコミを入れてしまった。
「ええい、あたしが男と言ったら、あんたは男なの!!」
しかし、当のエリナは、全く聞く耳持たずと言わんばかりに、キッパリとそう言い切ってくれた。
「いや。それって、かなり無茶苦茶な事言ってるし……」
「あはは、聞こえない。聞こえないわよ!!」
あたしの抗議もなんのその。首をブンブン横に振りながら、にこやかにそう言ってのけるエリナの様子を見て、あたしは思いっきりため息を吐いてしまった。
……つまり、あたしに揚げ足を取られたのが、よほど気にくわなかったってわけね。エリナのやつ。
「まあ、いいわ。アホな事で体力を浪費する暇があるならさっさと次に取るべき行動を考えましょう」
もうどうでもいい気持ちになりながら、あたしが思いっきり冷たくそう言ってやると、エリナは少し寂しそうな表情を浮かべた。
「なによぉ、その連れない態度は。せめてもの気分転換に後輩でもからかって遊ぼうと思ったのに……」
「ん。なんか言った?」
なにやら得体の知れない文句を付けてきたエリナに、あたしは努めて笑顔でそう言ってやった。
むろん、あたしの耳は彼女の言葉をきっちり捉えていたが、いちいち真面目に相手してやるような内容ではない。
「……いーもん。そーいう事言うなら、1人で勝手に遊ぶから」
しかし、エリナはそれが不満だったようでいきなりふくれっ面しながらそう言って、その場にしゃがみ込んでしまった。
「ええい、いいトシこいて駄々捏ねるな。鬱陶しい!!」
さすがにたまらず、思わずそう怒鳴り散らしてしまうとエリナがパッと立ち上がった。
「フフフ、あたしの粘り勝ちね。突き放すなら、最後まで貫徹しないとただの間抜けよ」
と、なにか勝ち誇ったように、エリナは声も高らかにそんな事をのたまってくれた。
「……アホくさ。いい加減にしないと、その鬱陶しい口にサマナーズ・ロッドの先端を突っ込むわよ」
ジト目でエリナを睨みつつそう言ってやると、彼女はなにかを諦めたようにため息を吐いた。
「はいはい。ったく、シャレの一つも分からないとは、よっぽど荒んでいるのね」
「だから、拗ねるなっての。ったく、もうちょっと真面目にやってよね」
なにやら不満そうにぼやくエリナにそう言いながら、あたしは『明かり』の光球をさらに3つ打ち上げた。
それにより、あたし達を中心にして広がる光の輪が大きくなったが、見えるものと言えば、見慣れた飾り気のない床だけ。
あとは、本気で何処までも続いているような気がする一面に広がる闇しかない。
念のため、あらん限りの集中力を動員して、辺りの気配を探って見たが、特に気になる事は無かった。
「言われるまでもなく、真面目にやっているわよ。……どうやら、あたしの嫌な予感は見事に的中しちゃったみたいよ。不幸な事にね」
「えっ?」
ガラリと口調を変え、低く押し殺したようなエリナの声に、あたしは思わずそう聞き返してしまった。
見ると、彼女は何とも言えない複雑な表情を浮かべている。
「ほら、足下をよく見てよ。あなたなら、この正体がなんだか分かるでしょ?」
言われるままに、あたしは足下に視線を落とした。
しかし、あたしの視界にあるのは見慣れた床とそこに立っている自分の足だけ。
これが、一体……。って、ちょっと待った。
かなり注意しないと見落としてしまうが、なにか、床に彫り込んであるのが分かる。
これって……。
「恐らく、『魔法陣』の一部だと思うわ。薄すぎて、ちょっと読み取れないけど……」
あたしがそう言うと、エリナは大きくうなずいた。
「ご名答。これは、結界魔法の一種よ。ただし、『外から中』を守るっていう本来の目的とは逆に『中のものを外に出さないため』に使われているんだけど」
と、そう言って、エリナはその意図が読み取れない笑みを浮かべた。
「……何か『訳あり』みたいね」
そんなエリナの様子を見て、あたしは彼女にそう言った。
「ええ、もちろん『訳あり』よ。まさか、こんなところで『再会』するとは思わなかったけどね」
エリナは、何かを諦めたような少々投げやりとも取れる口調でそう言って、闇の奥を睨み付けた。
「……今になってようやく分かったけど、この遺跡は『古代魔法時代』に造られたものじゃないわ。そう。今から560年前、アリス・エスクード手によって張り巡らされた『大結界』の一つよ」
「なに、その『大結界』って?」
心ここにあらずというような感じでまるで独り言のように言ってきたエリナに、あたしは思わず聞き返してしまった。
あたしとて、これで魔道士の端くれである。
この国や世界の歴史。特に魔術や魔法が絡んでいる事に関しての知識は、今すぐ魔道院で指導教官が出来ると自負出来るほど深く広く蓄積しているつもりだ。
それ故に、これは自信を持って断言出来るのだが、この国に遺されている古文書やあまたの歴史書の中に『大結界』などという記述は一切無い。
そんなわけで、エリナの口から飛び出した聞き慣れない言葉にあたしは少なからぬ興味を抱き始めていた。
「そっか、今はもう失伝しているのよね。……『大結界』っていうのは、一言で言えば、全世界規模の巨大結界よ。アストリア、プレセア、ミスティール、エバァ、エストの5大陸にそれぞれ『頂点』となる祭壇を造り、その各点を結ぶと一つの巨大な『魔法陣』となるってわけ」
「な!?」
頭の中に世界地図を思い浮かべながら、あたしは思わず驚きの声を上げてしまった。
エリナの言った事が本当だとすると、世界のほとんどがその『巨大な魔法陣』の中にすっぽり収まってしまう事になる。
そんな非現実的とも言えるような『大事件』があったなら、当然、なにかしらの記録が残っていても良さそうなものだが……。
「まあ、この事は厳重に隠蔽されていたから、僅かな関係者以外は誰も知らなかったはずよ。一応、当時のアストリア王国の全てを知る事が出来る立場にあって、さらに彼女とは親友とも言えるぐらいの仲だったあたしでさえ、『そういうものを造った』程度しか知らないくらいだしね」
そう言って、エリナは苦笑のようなものを浮かべた。
「なるほど。そういう事ならどの資料を見ても記録が残されていなくても不思議じゃないわね」
と、思わず声のトーンを跳ね上げそうになるのを何とか抑えつつ、あたしは冷静を装ってエリナにそう言った。
多少なりとも歴史やら魔術やらに興味がある人なら、『歴史に埋もれた世界規模の大魔術』などと聞けば思わず興奮してしまうだろう。
ご多分に漏れず、あたしもその一人だったのだが、しかし、エリナの発する何とも言えない雰囲気がそれを素直に表す事を許してくれない。
どうやら、この件に関しては、アリスとエリナの間になにか深い因縁があるようである。
「あっ、ゴメンゴメン。まあ、大したことじゃないんだけど、ちょっと昔の事を思い出しちゃってね。ったく、アリスのやつ相変わらずショボい『魔法陣』描くわね。見習いの方がよっぽどマシなやつを描くわよ」
どうやら、あたしの胸中を察したらしい。
いきなり口調を変え、エリナはそう言って呆れたようなため息をついた。
……まあ、今はそういう事にしておきますか。
「そ、そうかなぁ。あたしが見る限り、これってかなり凄いと思うけど」
エリナの調子に合わせ、なるべくわざとらしくならないように注意しながら、あたしは床の魔法陣を見つめつつそう言った。
今あたしの足下にあるものは、恐らくこの広大な空間全体を使って描かれているであろう巨大な『魔法陣』の一部である。
もちろん、これでは全体としての意味を読み取る事が出来ないが、しかしその複雑に絡み合った『図形』を見れば、これがかなり高度な魔道知識をもって描かれていることが分かる。
明らかに魔術ではない。これは魔法だ。
「凄いわね。これだけの魔法見たことない・・・」
あたしが呟くと、エリナは頷いた。
「そりゃそうよ。アリスが造った最後の傑作だからね」
「ふーん……」
エリナの言葉にあたしは気のない返事を返した。
「あっ、そうだ。エリナの最高傑作っていえば、あなたにちょっとした『お宝』があるのよ」」
「……エリナ。もしかして、ボケた?」
なにやら思わせぶりに語り始めたエリナに、あたしは思わずツッコミを入れてしまった。
なにを隠そう、あたしは借金こそ一山いくらで特売したくなるほど在庫を抱えているが、いわゆる『お宝』なんぞは何一つ持っていない!!
というか、そんなものが一つでもあれば、あたしはもうちょっと平穏な人生を送っているはずである。
「……まあ、いいわ。今度、何かの機会で王都に来る事があったら、4番街区33番街にある『フーリズ亭』っていう酒場に顔を出してみるといいわ。サンイースト通り沿いにあるし、多分、すぐに分かると思うわよ」
そう言って、エリナは意味ありげな笑みを浮かべた。
……王都ペンタム・シティは、その中央にある王宮を取り囲む5重の城壁により、合計5つの区画に分けられている。
ただし、むやみやたらに立派なアストリア城が建っている一番中央の区画は純然たる王宮の敷地であり、実質的に残り4つ分の区画がペンタム・シティーと呼ばれる街である。
エリナの言葉にあった『4番街区』とは、最外周とその一つ内側の城壁の間にある区画で、旅人やよその街から流れてきた人たちが多く集まるせいか、この街でもあまり治安が良くない場所である。
その中でも33番街というのはとりわけ危険な地域で、誇張でもなんでもなく不慣れな者が運悪く迷い込むと、二度とまともな姿で出てこられないような所である。
魔道院を飛び出した時に、一時的に身を潜める必要があった関係でここに飛び込んだのだが、まあロクでもない場所だった。
しかし、『フーリズ亭』なる酒場など心当たりが無いのだが、エリナの口ぶりからすると、そこに何かがあるようである。
……よりによって、4番街区33番街ねぇ。正直、あんまり気が進まないけど、暇があったらあとで行ってみるかな。
「まあ、その『フーリズ亭』ってのはいいとして、あまり勿体ぶらないでその『お宝』とやらを話しなさいよ」
と、あたしが促すと、エリナは一つうなずいた。
「はいはい、焦らないの。あなたが言うとおり、人間が魔法を捨て去ったのは今から約560年ぐらい前よ。
だけど、これはあくまでも人間の話。他の種族。例えば、エルフ族なんかはだいぶ衰退してきているとはいえ、現在でもちゃんと魔法のノウハウを受け継いでいる。
これは、もちろんあなたも知っているわよね?」
「え、ええ、もちろん知っているけど……」
エリナの問いかけに、あたしは戸惑ってしまいつつそう答えた。
彼女の言ったことは魔道士ならずとも誰でも知っているような、いわゆる一般常識というやつである。
人間以外の種族。特に有名な所では精霊力を使う事に掛けてはこの世界で右に出る者はないと言われるエルフ族の間では、いまだに魔法が使われているのだ。
しかし、それがアリスの事とどう結びつくのやら……。
「それで、まあ、アリスっていう人はこれがまた変わり者でさ。どういうわけか、当時のエルフ族族長と親交があったみたいで、こっそりエルフ魔法のノウハウを教わっていたみたいなのよ」
「うなっ!?」
エリナの口から飛び出したとんでもない言葉に、あたしは思わず変な声を上げてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。アリスって人間でしょう。それなのに、エルフ族と仲が良かった上に、魔法まで教わっていたっていうわけ!?」
ほとんど無意識のうちにあたしの口から飛び出した声は、かなり掠れていた。
まあ、これは言うまでもないとは思うのだが、はっきり言ってエルフ族と人間は極めて仲が悪い。
この原因に関しては諸説紛々だが、あたしの見解はこうだ。
つまり、自然の環境をうまく利用して生活するエルフ族にとって、自分たちの都合で見境無く環境を変えてしまおうとする人間は限りなく愚かで度し難い存在に映り、また自分たちの生活の場を奪う脅威でもある。
対して、人間から見れば、エルフなんぞいまだに原始的な生活を送っている下等種族のくせに、唯一の取り柄である魔法の力を振りかざして、大きな顔をしている鬱陶しい連中というわけだ。
これでは、お互いに敵対することはあっても、理解し合う事などまずあり得ないだろう。
そんなわけで、人間の社会では純粋なエルフ族を見る機会はまず無く世界に何カ所かあるエルフの集落に人間がうっかり踏み込んでしまうと、たちまちボコボコにされてたたき出されるというのが現状なのだ。
これで、アリスがエルフと親交があったなどと言われても、あたしがにわかには信じられない理由がお分かり頂けただろうか。
まして、エルフ族の虎の子とでも言うべき魔法のノウハウなど、例え死ぬほど土下座しまくって懇願しても絶対に教えてもらえるわけがない。
「まあ、『現代人』のあんたが驚くのも無理はないけど、アリスが生きていた頃の人間とエルフの関係は今よりはもう少しマシだったのよ。
とはいえ、さすがにエルフ魔法のノウハウなんて普通なら絶対に教えて貰えるようなものじゃなかったんだけど、この辺りはアリスの人柄ってやつでしょうね」
そう言って、エリナは小さく笑みを浮かべた。
「ひ、人柄って、そんな一言で片づけていい問題じゃないと思うけど……」
あまりの事に少なからず混乱してしまいながら、あたしは彼女にそう返した。
まあ、あたしは魔法を使えないのでこれは自信を持って断言できるわけではないが、全てにおいて魔術とは桁違いの力を持つ魔法は、それに比例して術者にかかる負担も相当なものになるはずである。
もし、今エリナがあたしに魔法のノウハウを伝授してくれたとしても、おおよそまともに使えるとは思えない。
「まあ、なにしろ、エリナってのは、魔道士としては肝心なものが色々と抜けてるヤツだったけど、相手を信用させるって事に関してはあたしもいまだに彼女を超える人に会った事がないくらいだからね。
ホント、魔道士なんてやってないで、詐欺師にでも転職したら大金持ちになれたかもしれないわね」
そう言って、エリナはひょいと肩をすくめた。
「うーん、詐欺師で大金持ちになっても、あまりいい人生は送れなさそうな……って、そうじゃなくて、いくら人に信用されやすいって言っても、限度ってものがあると思うけど……。
それに、百歩譲ってエルフに信頼されて、魔法のノウハウを教えて貰えたとしても、人間が簡単に使えるようなものじゃないと思うけど」
あたしがそう言うと、エリナはわざとらしくオーバーなリアクション付きで、驚いたというような表情を浮かべた。
「あらま。じゃあ、人間で魔法が使えるあたしは何?」
「変態」
あたしがそう短く即答した瞬間、エリナは派手にコケた。
「あ、あんたね……」
よろよろと身を起こしながら睨み付けて来るエリナに、あたしは苦笑を浮かべつつ手をパタパタと振ってやった。
「冗談よ。でも、自称『少なくとも560年くらい生きてる人』に向かって、あたしの常識なんて何一つ通用しないでしょう。だから、エリナは例外。それこそ、なんだってありでしょうが」
「ぐむっ……。なかなかイタイ所を」
と、額に汗を浮かべながら、何とも言えない表情を浮かべるエリナ。
……ふっ、勝った!!
「ま、まあ、あたしの事はともかく、実際の話、魔法なんてそんな難しいものじゃないわよ。
諸般の事情で詳しくは話せないけど、あたしなんて魔法どころか魔術の知識すら完璧にゼロの状態だったのに、とある事をきっかけにいきなり使えるようになっちゃったぐらいだしね。ある意味、魔術よりも習得が楽かもしれないわね」
「ふーん、そうなんだ」
と、なにやら言い訳のように言ってきたエリナにあたしは素っ気なくそう答えてやった。
まあ、にわかには信じられないが、かといって、魔法を使えないあたしが否定するわけにもいかない。
「なんか冷たいお言葉ねぇ。って、まあ、これ以上は教えるわけにはいかないから、あたしとしては、むしろこの方が助かるけど……」
と、そう言う割には、エリナはなにか物足りないような表情を浮かべている。
「あのねぇ。それなら、そんな不満そうな顔してないで、もうちょっと嬉しそうにしなさいって」
そう言ってあたしが苦笑を浮かべると、エリナはため息をついた。
「だって、面白くないんだもん。あんたも魔道師なら、普通はもっとビシビシとツッコミを入れたっておかしくないわよ」
「だって、これ以上教えられないんでしょう。それじゃあ、いくらあたしが食い下がっても意味無いし」
「むっ……」
……ふっ。勝利とは虚しいものね。
「さて、そんなどーでもいい事はこの辺で切り上げて、真面目にこれからどうするか考えましょう。手当たり次第に歩き回るってのは、どう考えても得策じゃないしね」
「はいはい。分かってますよ。とはいえ、あたしも『大結界の頂点』を見るのは初めてだから、どうするって言われても困るのよね」
と、本気で困った様子で、エリナがそう返してきた。
「そういや、この遺跡に関わったのは、そのマリアとかいう人と他数名だけだったっていう話だったわね。エリナ、もうちょっと細かい事は聞いていないの?」
あたしが問いかけると、彼女は力無く首を横に振った。
「まあ、さっきも言ったけど、『大結界』に関しては、エリナ本人と数名の仲間以外は誰も知らないわ。……いくら魔術や魔法が使えるとはいえ、これほどの物を造るならそれなりに大工事になったはずなんだけど、『なんか変な事やってる連中がいる』っていうレベルの噂話すら聞かなかったわ」
なにやら思案している様子で、まるで独り言のようにエリナがそう言ってきた。
……確かに、これほどまでに大規模な遺跡……いや『建築物』を造ろうとすれば、いくら魔術や魔法を駆使したとしても、どうしても派手で目立つ大工事にならざるを得なかったはずである。
となれば、その『建築物』を造る目的などの詳細な情報は分からなくとも、様々な噂話ぐらいは飛び交うはずである。
しかし、それすらないと言うのだから、これはちょっと不自然な話だ。
「……でも、その辺りの事情は、あなたに聞けば分かるわね」
どうやら、あたしが考え込んでいる間に、何か思いついたらしい。
そう言って、エリナは意味深な笑みを浮かべた。
「えっ、あたし?」
いきなり話を振られ、あたしは思わず聞き返してしまった。
「そう。あなた以外に誰がいるのよ。前に言ったでしょう。あなたは、アリスから全ての記憶だの能力だのの『遺産』を引き継いでいるってね」
「あっ。なるほど、そういう事か」
エリナが言わんとしている事の意味が分かり、あたしは反射的にそう言った。
つまり、前にもちらりとやってくれたが、あたしのどこかに眠っているらしい『封印』とやらを解いて、アリスの『遺産』を復活させようと言うわけである。
これなら、確かに直接『本人』に話が出来るわけだし、この遺跡に関する様々な情報を引き出せるというわけだ。
まあ、なんだか反則技っぽいが、この際それは言うまい。
と、十分乗り気なあたしだったが、しかし、次のエリナの言葉で、思いっきり冷や水をぶっかけられたような気分になってしまった。
「だけど、これにはちょっと問題があるわ。アリスが闇に葬ろうとして自爆した『例の魔法』は、元々、彼女の父王が『不老不死』を得ようとした課程で開発されたものだけあって結構えげつないのよ。
前にも言ったけど、あなたの中に眠っている『アリス』は、今のところはほぼ完全に封印されているみたいだけど、年齢と共にその封印の効力が失われていくに従って、徐々に『目覚めて』いく。
まあ、こう言うとなんだかよく分からないだろうけど、これを言い換えれば、つまり、見た目の姿は『マール・エスクード』のまま、その中身が徐々に『アリス・エスクード』という人間に置き換わっていくっていう事。つまり、この封印が完全に解けた段階で、あなたはマリアに生まれ変わっちゃうわけよ。それも、なにもしなければ、無意識のうちにね」
「……」
重い口調でエリナが話し終えても、あたしは即座になにも答えられなかった。
見た目は変わらないまま、『中身』だけそっくり別人に入れ替える。
あたし自身は使えないが、これは『精神操作系』という特殊な系統に属する魔術で実現出来るという知識はある。
しかし、これはあくまでも一時的なもので、その持続時間はせいぜい半日程度だったはずで、『生まれ変わる』などというにはほど遠い。
でも、エリナの口ぶりからすると……。
「とは言っても、さすがにへっぽこなアリスだけの事はあって、実際に封印が完全に解けるまでは、最低でも150年ぐらいはかかるみたいだし、普通はその前に寿命を迎えるだろうから、その点は安心していいわよ。……ただし、誰かが『余計な事』をしなければね」
言葉の後半部を妙に強い口調にして、エリナがそう言ってきた。
この時、あたしはエリナの『本心』にようやく気が付いた。
「……つまり、『マール・エスクード』として一生を終えられるはずだったのに、ここであなたが『封印』を解いちゃうと、あたしはあたしじゃなくなるって事か」
エリナにといういより、ほとんど独り言というような感じで、あたしの口から自然にそんな言葉がこぼれ出た。
すると、エリナはコクリと一つうなずく。
「そういう事。まあ、前にちょっとやったみたいに封印を軽く弱める程度なら、放っておけば勝手に元のレベルに戻るから大した問題にはならないんだけど、さすがにここまで徹底して機密保持に努めた『大結界』の記憶となると、ちょっと封印を弱めたぐらいじゃあ掘り出せないと思うわ。……最悪、マール・エスクードという人間は、この世界から消えて無くなる」
そう言って、エリナはあたしをじっと見つめた。
……彼女が最後に言った『消えて無くなる』という言葉が、妙に耳の奥にこびり付いて離れない。
そう。『消えて無くなる』だ。別に『死ぬ』わけではない。
しかし、あたしにしてみれば、その両者にさほどの違いはない。
確かに、転落人生真っ逆さまなあたしではあるが、だからといって、全てをほっぽり出しても構わないなどと思えるほど、完全に煮詰まってしまっているわけではないのだ。
正直、そんな『アリス・エスクード』なんていうどこの馬の骨とも知らないヤツに、この先あたしの人生全てをくれてやるなんぞ、クソ食らえという感じだ。
「……冗談じゃないわね」
少なからぬ怒りを込めてそう言うと、エリナは小さく笑みを浮かべた。
「もちろん、あたしだって分かってるわよ。だから、アリスにご登場願うのは、他にどうにもならなくなった場合の最終手段。今あたしたちが取るべき行動は一つ。遺跡調査の基本原則『分からない場所は、自分の足で確かめろ』ってこと!!」
口調をガラリと変え、勢いよくそう言い放ったエリナは、何処とも知らぬ闇の向こうを
ビシッと指さした。
「……いや、その『最終手段』だけは絶対に止めてね。ホント、お願いだから」
そんな元気なエリナに、あたしは深くそう言って深くため息を吐いたのだった。
……なんか、あたしって実はかなり不幸なのかもしれない。はぁ。
……遺跡調査における基本原則『分からない場所は、自分の足で確かめろ』。
つまり、四の五の言わずにひたすら歩き回り、己の愛と勇気と根性と忍耐と体力と(その他計23項目省略)に全てをゆだねて活路を開くべし!!
なんというか、この上なく投げやりな行動原則である。
とまあ、そんなわけで、あたしとエリナはひたすらあちこち歩き回っていた。
「……でね。まあ、あたしもさすがにムカついたから、『ウザい。この原始耳長族が!!』なんてうっかり口を滑らせちゃってさ。ホント、危うく人間対エルフの異種族大戦に発展するところだったわ」
「あ、あはは、そりゃそうだわ。って、もしかして、今エルフと人間が不仲なのは、もしかしてそれが原因じゃあ……」
「まさか。そこは、誠意にアリスの強力な資金力をプラスして、ちゃんと円満に納めたわよ」
「う~ん。特に『資金力』って辺りが、なんだか政治よね」
……ハッキリ言断言しよう。あたしたちは、緊張感の欠片もない完璧な世間話モードである。
そりゃあもちろん、あたしたちだって真面目にやっていたのだが、どれだけ歩いてもあるのは床と闇だけ。
こうなると、遅かれ早かれ緊張感や集中力が尽きてしまうのが人間の悲しい性である。
ちなみに、先に『限界点』に到達したのはエリナの方だったようで、彼女が世間話をふっかけて来た事をきっかけに、あたしも見事に『上がり』となってしまったわけである。
まあ、要はもし何かあってもあたしは悪くないと言いたいわけだ。以上。
「まあ、なんだかんだ言っても、やっぱ世の中最後はゼニが物を言うのよ。ゼニが。あんたも、せっかく『魔道院院長経験ありの野良上級魔道士』なんていう強力すぎる武器があるんだから、無節操に借金ばかり作っていないで、今のうちにしこたま稼いでおかないと確実に後悔するわよ。特に、あと10年ぐらいして、体力とか気力の衰えを実感できるようになると、なおさらね」
「うっ……。こ、心に染みる言葉ね。特に『借金ばかり作るな』とか『野良魔道士』って辺りが泣けてくるわ」
人生における大先輩の有り難すぎる忠告に、思わず本当に涙してしまった時、あたしは目の前の光景にふと『感覚的な違和感』としか言いようのないものを感じ、反射的に足を止めた。
……あたしが盛大に打ち上げた『明かり』のお陰で、今は周囲20メートル(目算値)程度は視界が利く。
しかし、注意して辺りを見回しても、特に目を引くような物は見当たらない。
だが、何かがおかしい。うまく言えないがこれ以上進むのはマズイような気がする。
「へぇ、よく気が付いたわね。なかなかいい勘してるじゃないの」
すぐ隣からエリナに声を掛けられ、反射的に彼女を見やると、その手には先ほどあたしが貸した拳銃があった。
……どうやら、『荒事』みたいね。ふぅ。
ともあれ、今は落ち込んでいる場合ではない。
あたしもあらかじめ『穴』から取り出したままにしておいたサマナーズ・ロッドを改めて持ち直し、じっと前方を注視した。
これなら、よほどの相手でも何とか対応が出来るだろう。
「へぇ、僕に気が付くなんて、なかなかやるじゃないか」
と、突然どこからかそんな声が聞こえてきた。
あたしには聞き覚えのない声だが、その質から推察すると、恐らくまだ声変わりする前の男の子だろう。
しかし、素早く辺りを見回してみても、肝心のその姿がどこにも見当たらない。
「こら。どこのガキンチョだか知らないけど、あんたのかくれんぼに付き合っている暇なんてないの。いいから、さっさと出てきなさい」
どうやら、彼女もあたしと同じ考えに至ったらしく、そう言って辺りを見回した。
口調こそ完璧に相手を嘗めきった感じだが、しかし、彼女の動きには一分の隙もない。
「やれやれ、せっかちなオバサンだね。今そっちに行くから、ちょっと待ってよ」
「お、おば……」
またもや闇の中から聞こえてきた男の子の声に、エリナは引きつった笑みを浮かべた。
……うわっ、エリナってばかなり怒っていらっしゃるわね。
もっとも、彼女はオバサンどころか、『バケモノ』とさえ呼んでも差し支えないような年齢である。
それを面と向かってハッキリ言われれば、そりゃあムカつくのも無理はないだろう。
……ふむ。このガキンチョ、なかなかの無茶っぷりね。
まるで、昔のあたしを見ているような感じで、微笑ましさすら感じてしまうぞ。
ただし、あんまり長生き出来るタイプじゃなさそうだけど。
「はい、来たよ」
次の瞬間、いきなり背後から聞こえてきた『声』に、あたしは思わず身を強ばらせてしまった。
……ち、近い。っていうか、ほとんど真後ろ!?
「へぇ、こっちのオバサンもいい勘してるね。もしちょっとでも動いていたら、今頃は首から先が無くなっていたよ」
まさに、吐息すら感じられる距離で聞こえてきた『声』は、いかにも無邪気な子供という感じだったが、その中にも異様な冷たさを感じるものだった。
ハッキリ言って、怖い。
……どうやら、変なハッタリというわけじゃないわね。
「それじゃあ、こっちのオバサンは、僕がいいと言うまで動いちゃ駄目だよ。もし、勝手な事をしたら……」
続けて、そんな『声』が聞こえてきたかと思うと、首筋にヒヤリとした感覚が走った。
……なるほど。まさかこの距離では大振りな剣という事は無いだろうから、恐らくナイフかせいぜいショート・ソード程度かな。
ともあれ、かなり癪に触るが、今は言う事を聞いておくしかないだろう。
思わず、うなずいて応えそうになってしまったが、しかし、その寸前で『動くな』と言われていた事を思い出し、あたしは沈黙で肯定の意を示した。
「ふぅ。オバサンが頭のいい人で良かったよ。血を見るのはあまり好きじゃないんだ」
しばらく黙っていると、そんなまるで人を嘗めているかのような『声』が聞こえた。
……こ、このクソガキ(推定)。あとで、傷口から出血しなくなるまで殴り倒す!!
「さてと。それじゃあ、今度はそっちのオバサンに言うけど、その手に持っている危ない物を床に置いて」
心の中で渦巻くどす黒い感情を、なんとか臨界寸前状態で押さえ込んでいると、今度はそんな『声』が聞こえた。
これは、あたしに向けたものではなく、エリナに向けられたものだろう。
視界の外なので直接彼女の様子を見る事は出来ないが、それでも、気配で彼女が何やら動いたのが分かる。
……た、頼むから、余計な事しないでよ。
あたしは、思わず胸中でそんな事をつぶやいてしまった。
情けないと言う無かれ。こっちは、真面目に命が掛かっているのだ。
しかし、あたしのそんな悲痛な思いは、彼女には通じなかったらしい。
次の瞬間、鼓膜が破れそうな程の大音響が聞こえ、一瞬意識が遠ざかりかけたその刹那、いきなり誰かに右腕を掴まれて力一杯引っ張られた。
「のわっ!?」
いきなりの事に、そのままバランスを崩してしまったあたしは、為す術もなく床に倒れ込んでしまった。
そして、それとほぼ同時に、激しい耳鳴りにも負けない轟音が、再びあたしの鼓膜を容赦なく痛めつける。
もう、なにがなんだか……。
全く状況がつかめていなかったが、とるもとりあえず身を起こそうとしたその途端、背中に強烈な圧力が掛かった。
「ぐえっ!?」
思わず踏みつぶされた蛙のような声で呻いてしまったその瞬間、もはやほとんど機能していないらしいあたしの耳が、三度微かな爆音のような音を捉えた。
……どうやら、動かない方が身のためのようだ。
ふとそんな事を悟り、あたしはひたすらそのままじっとしている事にした。
しかし、聞こえるものといえば、気分が悪くなるほどの激しい耳鳴りだけ。見えるものといえば、文字通り目と鼻の先にある床だけ。感じるものといえば、さっきからずっと背中を押しつぶしているなにかの『圧力』だけ……。
可能な範囲で首を動かしてみたが、それでも、あたしの視界では床と闇ぐらいしか捉えられない。
……一体、なにが起こっているのよ。
と、その時、不意に背中に掛かっていた『圧力』が消えた。
あたしとて、もはや我慢の限界である。
たまらず飛び起きるようにして身を起こすと、すぐ目の前に、困ったような笑みを浮かべている見知らぬ少年が立っていた。
その見た目から察するに、恐らく2桁の年齢に達しているかどうかという所だろう。
あと10年もすれば、掛け値抜きに『いい男』になっているだろうと思う整った顔立ちに、凝った刺繍が施されたいかにも高級そうなローブがよく似合っている。
この服装からして、恐らくは何かの宗教関係者だと思うが、あたしはそっち関連には疎いのでよく分からない。
……誰だ、コイツ?
などと、状況を忘れて訝しんでいると、その『少年』がなにやら言ってきた。
しかし、耳鳴りが激しすぎて何を言っているのか分からないし、あたしには『読心術』などという便利な技能はない。
そこで、身振りで『耳が聞こえないからちょっと待って』と返答すると、彼は何か納得したようにうなずき、そして、さっと右手をあたしの顔面にかざした。
「はい、これで治ったと思うよ。ちゃんと聞こえてる?」
「うわっ、テメェか!?」
嘘のようにピタリと耳鳴りが収まった瞬間、聞き覚えのありすぎる嫌な『声』が聞こえ、あたしは思わず3歩ほど後じさってしまった。
そう。この声は、間違いなくあの『声』である。
「あはは、そんなに嫌わなくてもいいのに」
「……異界の鍵よ。我が身を守る力となれ。最大威力で展開!!」
問答無用。
手にしたままだったサマナーズ・ロッドを構え、暢気に笑い声を上げるクソガキに答える代わりにあたしは最大出力で電撃をお見舞いしてやった。
もちろん、こんなものをまともに食らえば、人間など一瞬にして消し炭と化す。
あたしとてそれは十分承知しているが、しかし、一度命を狙われた相手に対して、手加減してやる義理はない。
しかし……。
「なっ!?」
荒れ狂う電撃の雨が収まった時、あたしは信じがたい光景を目の当たりにした。
「へぇ、頭がいいだけじゃなくて、ずいぶん変わった物を持っているみたいだね。まあ、僕には効かないけどさ」
思いっきり小馬鹿にしてくれた口調でそう言ってきた少年には、傷どころかその衣服にコゲ跡すら無かった。
「……そ、そんなバカな」
そんな余裕綽々な少年の姿に、あたしの口から自然にそんな言葉がこぼれた。
先ほどサマナーズ・ロッドから放たれた電撃は、掛け値抜きに最高出力である。
確かに、この杖に仕込まれた魔法はあくまでも『簡易版』で本来の手順を踏んで使うそれより威力は数段落ちる。
しかし、そこは腐っても魔法である。
例え上級防御魔術を使ったとしても、到底防ぎきれるものではない。
それなのに、これは一体……。
「まあ、今回はサービスだよ。もし、もう一度僕を傷つけようとしたら、その時は……。言わなくても分かっているよね?」
あくまでも気楽にそう言ってくる少年に、あたしは黙ってうなずくしかなかった。
さっき、不覚にもあっさり背後を取られた時の事は、あたしの脳裏にしっかりと焼き付いている。
あの時、確かに油断していた部分はあるが、それを差し引いても、あたしよりもこの少年の方が上手だという事は確かだ。
もし、彼の警告を無視して再び何か仕掛けても先に倒れるのはあたしの方だろう。
まあ、あたしとてこんな事を認めるのは誠に遺憾ではあるのだが、無駄死には嫌だし事実は事実として真摯に受け止めておく必要がある。
「それにしても、2人とも思った以上にやってくれるから驚いたよ。もう一人のオバサンなんて、いきなり攻撃してきたかと思ったらそのままあっさり逃げちゃうし」
あたしが少なからぬ緊張感を抱いていると、再び少年が無邪気な声でそんな事を言ってきた。
……おい、ちょっと待て。『もう一人のオバサン』って、紛れもなくエリナの事よね。
そう言われてみれば、彼女の姿がどこにもない。って、ことは……。
「……あ、あんの薄情者ぉぉぉ!!」
今さらながら、自分の置かれた状況をようやく全て把握し、あたしは思わずそう叫ばずにはいられなかった。
そう。あたしの鼓膜を破壊してくれたあの轟音は、エリナがこの少年に向かって発砲した時の銃声というわけである。
恐らく、いきなり銃弾をぶち込んでこの少年をひるませ、その隙にトンズラするというのが彼女の作戦だったのだろう。
この少年にしてみれば、まずはあたしを抑える事に成功し、自分が主導権を握ったと思った直後の事態だっただろうからその効果は覿面だったはずである。
……あ、あんのド腐れババア、あたしを『人柱』にしたわね!!
「あはは。まあ、次からは相棒をちゃんと選ぶ事だね」
「あ、あんたが言うなぁぁぁ!!」
少年の的確なツッコミに、あたしは思わず涙しつつそう怒鳴り返すしかなかった。
……ううう。あたしったら、あまりにも不遇過ぎるわ。まさか、これは魔道院の陰謀か!?
「ああもう、こうなったらヤケよ。どーせあたしが死んだって誰も泣いてくれないし、煮るなり焼くなり好きにしなさい!!」
もう、本気でなにもかもどうでも良くなってしまい、あたしは吐き捨てるようにそう言ってその場にどっかりと腰を下ろした。
なんか、追いつめられて開き直った悪党みたいな言動だが、それはこの際気にしないで貰いたい。
「う~ん。僕は食人の趣味なんて無いから、残念だけどその希望には応えられないよ」
と、からかうようにそう言って、少年は屈託のない笑みを浮かべた。
……もっとも、その顔の裏で何を考えているのか分かったものじゃないけど。
「あっ、そうそう。一応、礼儀として自己紹介しておくね。僕はカリム・フリーダ。カリムって呼び捨てでいいよ」
「……ったく、この状況で礼儀もなにもあったモンじゃないわよ……。まあ、いいわ。あたしはマール。マール・エスクードよ。不本意だけど、よろしく」
と、投げやりな気持ちそのままの口調でそう返し、ついでに中指を押っ立ててやった。
「あーあ、なにもそんなに嫌わなくてもいいのに。僕の言う事さえ聞いてくれれば、オバサン……じゃなかった、エスクードさんに危害を加えるつもりはないよ」
「えっと、姓で呼ばれると違和感があるからマールでいいわ。……ったく、どの口がそんな事言うんだか」
思わず呆れてしまいながらそう返すと、少年は小さな笑い声を上げた。
「あはは。それもそうだね。……さて、もうあまり時間がないから、そろそろ本題に入るよ。実はマールさんたちがここに来るまでの間、僕はここからずっと様子を見ていたんだ。それで、大体の事情は分かっているつもりなんだけど、念のために確認しておくね。
……あなたは、僕の敵ですか?」
言葉の後半を改まった口調にしてカリムがそう言った瞬間、ほんの一瞬だけ頭の中がざらつくような、何とも言えない感覚を感じた。
「うっ。気持ち悪い……」
思わず率直な感想を漏らしてしまうと、カリムは小さく笑みを浮かべた。
「はい、結構です。ごめんなさい。慣れない方には、少し辛かったかと思いますが、特に害はありませんので安心してください」
と、これまでのいかにも子供のような無邪気な口調から一転、いきなり大人びた落ち着いた声でそう言ってカリムは小さく笑みを浮かべた。
「……なんなのよ。あんたは?」
どうやら、見た目通りに『子供』じゃないと直感しつつ、あたしはカリムにそう問いかけた。
すると、彼はコクリと1つうなずき、そして深く頭を下げた。
「マール・エスクード様……これまでのご無礼、平にご容赦ください。改めて自己紹介致しますが、僕はカリム・フリーダ。アリス様よりこの『ジュル・エハラスト』の管理を託された者です」
そう言って、カリムは頭を上げた。
……『ジュル・エハラスト』。これは、古代アストリア語ね。
えっと、現代語に直訳すると『檻の一角』か。
エリナの話では、この遺跡は巨大結界の一部だという事だから、かなりストレートなネーミングよねぇ……。
って、あれ。そんな事より、さらに優先すべきツッコミ・ポイントがあったような気がするわね。
うむ。こういう時は、最初から整理して考えてみるのが一番。
さて、彼が言った言葉をもう一度繰り返すと……。
「あの、どうかされましたか?」
あたしが必死に思考を巡らせていると、カリムが不思議そうにそう問いかけてきた。
「あっ、ゴメンゴメン。あのさ、悪いんだけど、さっきあたしに言った事、もう一度だけ繰り返して貰えるかな」
思わず手をパタパタ振ってしまいながらそう返すと、彼は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに一つうなずいた。
「えっと、確か『マール・エスクード様。これまでのご無礼、平にご容赦ください。改めて自己紹介致しますが、僕はカリム・フリーダ。アリス様よりこの『ジュル・エハラスト』の管理を託された者です』だったと思います。……あの、何か失礼な事を申し上げてしまったでしょうか?」
「あっ、そうじゃなくて、ちょっと気に掛かる何かがあったから……。ゴメン、少し時間を貰える?」
心配そうに問いかけてきたカリムにそう言ってから、あたしはもう一度彼の言葉を脳裏で繰り返した。
……えっと、『マール・エスクード様。これまでのご無礼、平にご容赦ください』。と、ここまでは特に変な所はない。
それじゃあ、今度は次の『改めて自己紹介致しますが、僕はカリム・フリーダ。アリス様よりこの『ジュル・エハラスト』の管理を託された者です』だ。
まずは、彼の『カリム・フリーダ』という名。これは、特に変わったものではないし、なにより、ここにツッコミなど入れたら失礼極まりないというものだろう。
ええっと、それで彼は『アリス様からこの『ジュル・エハラスト』の管理を託された者』なのよね。これも、さして……って、ああっ!?
「あ、『アリス様』って、もしかして、あのアリス・エスクードとかいう、よく分からないけど、なんかドジで間抜けなヘボ魔道士の事!?」
ようやく、最大のツッコミ・ポイントに気が付いたあたしは、ほとんど脊椎反射のレベルでそう叫んでいた。
「おおっ、『ドジで間抜けなヘボ魔道士』ですか。なかなか当を得た表現ですね。はい、そのアリス・エスクード様ですよ」
と、苦笑のようなものを浮かべて、カリムはそう返してきた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。そのアリス・エスクードって、今から560年くらい前の人じゃないの!?」
全くワケが分からないまま、あたしは思わずそう聞き返してしまった。
そう。あのアリスという人が生きていたのは、今から560年ほど前の大昔。
まあ、エリナという例外があるので、こう言うのもなんだかちょっと自信が無かったりするが、とにかく、普通の人間が生きられる年数ではない。
「ええ、そうですね。もう少し正確に言うと、アリス様はとある魔法の実験に失敗するという事故で亡くなっています。ちなみに、この事故が原因でアストリア大陸の約半分が海中に沈み、現在の姿になりました」
まるで、世間話でもするかのような口調で、カリムはそう言って小さく笑みを浮かべた。
「こ、こらこら、笑ってる場合じゃないでしょうが。アストリア大陸の半分が沈むような事故って、一体なにをやらかしたのよ!?」
なんとなく頭痛のようなものを覚えながら、あたしは思わずそうツッコミを入れてしまった。
まあ、あたしも『大昔のアストリア大陸はもっと広大だった』という話は知っていたが、まさか、たった一人の魔道士が引き起こした災厄だったとは。
全く、世の中知らない方がいい事って、結構あるものよねぇ……。
って、そうじゃなくて、ここまで細かい事を知っているという事は、すなわちこのカリムが『アリスの時代』にはすでに生まれていたという事だろう。
ということは、この人って……。
「……あ、あの、つかぬ事をお伺いしますけど、カリムって何歳?」
驚き。というか、戸惑い過ぎたあまり、かえって『醒めて』しまいつつ、あたしは彼にそう問いかけた。
「あっ、僕の年齢ですか。今年で、ちょうど15才ですよ。……もっとも、『人間式』に計算し直すと、概算で580才ぐらいになりますけど」
そう言って、彼は自分の耳を指さした。
その動きに釣られて視線を動かすと、今の今まで全然気が付かなかったが、彼の耳は先がピンと尖った細長い形をしていた。
これが意味する事は一つ。すなわち、彼がエルフ族の血を引く者であるという証である。
「なっ……。あなたって、ハーフ・エルフだったの?」
瞬間、あたしは思わずそんな驚きの声を上げてしまった。
ちなみに、ハーフ・エルフとは、人間とエルフの混血によって生まれた種である。
とはいえ、姿形や考え方などは人間そのもので、その特有の形をした耳を見なければ全く気が付かないだろう。
あたし自身、今までかなり世界中を見て回って来たが、それでも、ハーフ・エルフを見かけたのほんの1、2回程度しかない。
ともあれ、これで彼が常識はずれに長生きしている理由が分かった。
というのも、ハーフ・エルフはさすがにエルフの血が流れているだけの事はあって、人間と比較するとその寿命は桁違いに長く、軽く数百年から千数百年は生きてしまうらしいのだ。
もっとも、かつては『不老不死』とまで言われ、ドラゴン以外の他種族を圧倒する長寿を誇るという純粋なエルフ族にはちと及ばないようだが、それにしても、驚異的に長生きすることに変わりはない。
「あはは、ハーフ・エルフですか……。うーん、あなたは人間ですし、そう思ってしまうのは当然かも知れませんが、僕はこれでも純エルフなんですよ」
と、なんとも言えない複雑な表情で、カリムはそう言って頭を掻いた。
「うげっ。じゅ、純エルフ!?」
今までの人生において、恐らく初めてではないかと思うほどの極めて強烈な衝撃を受け、あたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
……純エルフ。つまり、混じりけなしの純粋なエルフ族である。
本来は、『エルフ』と言われればこちらを思い浮かべるべきなのだろうが、なにしろ、彼らは極めて少数である上に、世界各地にある森林地帯などの奥地に引きこもっているため、人間がその姿を見る事は極めて稀……というか、ほとんど不可能である。
それ故に、人間にとって『エルフ』といえばハーフ・エルフの事だと思うのが普通で、素直に純エルフだと思う者はまずいないだろう。
ご他言に漏れず、このあたしもその一人で、よもやカリムが純エルフだとは、端から思っても見なかったというわけだ。
とまあ、言い訳はこのぐらいにして、カリムが純エルフだとすると、人間であるあたしに対して、次に起こす行動は……。
と、次に起こるであろう、あたしにとってはあまり望ましくない展開を察し、思わずその場から3歩ほど後じさりつつ、いつでも魔術が使えるように心構えを整えた。
「あっ、ご安心ください。純エルフと言っても僕はかなり変わり者ですから、人間に対する無意味な敵愾心というものは一切ありませんから」
しかし、あたしの予想は完全に覆され、カリムはそう言って笑い声を上げた。
「……そ、そうなの?」
彼の言う事がどうにも信用できず、あたしは警戒を解かないまま、とりあえずそう聞き返した。
前にも少し述べたと思うが、エルフと人間はかなり仲が悪い。
まずあり得る話ではないが、運悪くエルフと人間がどこかでバッタリ遭遇してしまったらどうなるか、その後の展開は容易に察しが付く。
もし、『特に理由はないが、とにかくエルフなんざクソ食らえ』という、そこらによくいるタイプだった場合は無論の事、彼らと無意味に事を構えるつもりは無いという少数派の人間だった場合でも、ほぼ確実に戦闘状態になるだろう。
なぜなら、前者はともかく、例え後者の場合であっても、エルフにとっては『忌まわしき人間ども』である事に変わりはないからだ。
ちなみに、あたしは少数派である後者の一人なのだが、ちゃんと人並みに自己防衛本能を持ち合わせている。
だから、どんなに不本意ではあっても、混じりけ無しの殺意をむき出しで掛かってくるような相手に、『話せば分かる』などと悠長な対応をするつもりはない。
そんなわけで、望む望まないに関わらず、ここでカリムと一悶着ある事は確実と、身構えていたのだが……。
「おや、信じて頂けないようですね。ですが、少し考えてみてください。もし、僕にその気があるなら、問答無用で仕掛けると思うのですが」
あたしの心中を察したらしく、カリムが苦笑混じりにそう言って来た。
「……ふぅ、分かった。とりあえず、今はそれを信じましょう。ただし、もし何か妙な事をしたら、その時はあたしも容赦しないからね」
カリムを見つめつつ、しばしの間考えてから、あたしはため息混じりにそう言った。
とはいえ、あたしは彼の事を完全に信用したわけではない。
しかし、彼の様子を見る限り、少なくとも、今すぐ何か仕掛けるつもりはなさそうだし、なにより、こんな場所で延々と不毛な言い争いをするというのは、どう考えても得策ではないだろう。
まあ、このまま本当に彼が何もしてこないなら、それでよし。反対に、もし何かあったら、その時はあらん限りの『火力』で対抗するのみである。
「あはは、それはお互い様ですね。僕の方も、いざとなったら手加減はしませんよ。念のために申し上げておきますが、エルフ族を怒らせるとネチネチしつこいですからね」
と、冗談のような口調で、カリムがそう答えてきた。
……そういや、さすがに寿命が桁違いに長いだけの事はあって、エルフの時間感覚は人間のそれと大きく異なるって、何かの本で読んだ事があるわね。
そのせいで、数十年ぐらい前の事でも、エルフにしてみれば『つい最近』の話で、彼らを怒らせると、その禍根は親、子、孫と三世代ぐらいに渡って引きずられるらしい。
まあ、あたしはエルフを怒らせた経験はないし、もちろん今後もその予定はないので、この真偽は確認しようがないが、ともあれ、よほどの事情と覚悟がない限り、エルフには手を出すべきではない事は確かだろう。
「さて、それはともかく、まずはあなた以外の皆さんについてお話しましょう。
エリナ様とあなた以外は、全員僕が地上に『転移』しておきました。
本来なら、一緒にお送りすべきだったとは思いますが、なにぶん、ここで一人きりという生活は退屈なものでして……。手前勝手な事と承知でアリス様の血筋であるあなたを、ここにお呼びさせていだたきました」
と、そう言って、カリムは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
まあ、こんな場所に数百年も独りぼっちで放り出されたら、いかなエルフとはいえ、確かに退屈……どころか、気が狂ってもおかしくないだろう。
そんな時に、どうやら旧知の仲らしいエリナの顔を見たら、思わず『お呼び』したくなるのも無理はない。
しかし……。
「なるほどね。とりあえず、みんなの事については感謝するわ。……だけど、なぜあたしをここに呼んだの?
いくら『アリスの血筋』とは言っても、あたしにしてみればよく分からない『昔の人』だし、あんまり関係ないと思うんだけど……」
あたしがそう問いかけると、カリムはなぜか一瞬だけ困ったような表情を浮かべ、そして、真顔でこちらを見つめた。
「それは……」
『解説しよう。そこのカリムが、あたしのみならずマールまでここに呼び寄せたのは、単に寂しさを紛らせたかっただけでなく、この『大結界』に異変が起きているからなのだ!!』
と、カリムの声を遮って、どこからか聞こえてきた聞き覚えのありすぎる大声に、あたしは思わずハッとしてしまった。
「なっ。あんた、逃げたんじゃなかったの!?」
「え、エリナ様!?」
あたしはもちろん、どうやらこれはカリムにとっても予想外の展開だったらしく、二人ともほぼ同時に驚きの声を上げた。
「だ~れが逃げたって?」
「どぇあぁぁぁ!?」
いきなり背後から聞こえてきたエリナの声に、あたしは正体不明の叫び声を上げつつ、思いっきりその場で飛び上がってしまった。
「お、脅かすんじゃないわよ!!」
着地と同時にバッと背後を振り向きつつ、あたしは思い切りそう怒鳴った。
「あら、これって今魔道院で大ブレイク中の挨拶よ。知らなかったの?」
と、いつの間にかそこに『出現』していたエリナが、シレッとした顔でそう返してくる。
……そ、そういや、前にマリアも同じ事を言っていたような。
もしかして、本当にこんな暗殺者まがいの挨拶が流行ってるのか。
だとしたら、死ぬほど迷惑だぞ。この腐れ魔道院め!!
「ま、まあ、なにはともあれ、エリナ様が戻って来てくださった事ですし、ここはよしとして……」
『良くない!!』
少しおどおどした様子で割り込んできたカリムに、あたしと、そしてなぜかエリナまでもが異口同音に発した怒声が突き刺さった。
「ち、ちょっと、なんであんたまで……」
思わずエリナにツッコミを入れかけてしまったあたしだったが、しかし、彼女は黙って手を挙げて『止めろ』と無言のままに伝えてきた。
その何とも言えぬ迫力に、あたしが思わず言葉を飲み込んでしまうと、その間に、エリナはキッとカリムを睨み付けた。
「あんたねぇ。いくら『手順』とはいえいきなりあたしの背後を取った挙げ句、混じりけ無しの殺気ぶつけてくるなんざいい度胸してるじゃないの。もしかして、もっかい素っ裸で晒されたいわけ。ああっ!?」
と、実にドスが利いた声でそう言って、エリナはズイッと顔をカリムに近づけた。
……な、なんか、もの凄いメンチ切ってるわね。
さ、さすが、金貸し屋で取り当てのバイト(確信)してるだけの事はある。
などと、思わず関心してしまっているうちにも、カリムの顔色は、青から白へとめまぐるしくその色彩を転じていった。
「も、もももも、申し訳ありませんでした!!」
そして、ついにエリナの凄みに耐えられなくなったらしく、ついにカリムは大泣きしながら土下座したのだった。……が。
「おい、兄ちゃん。ゴメンで済んだら、警備隊は要らないんだよ」
と、なんかどこかで聞いたようなセリフを吐き捨てつつ、エリナは土下座しまくっているカリムの背に右足を乗せ、そのままグリグリとこじり始めた。
……うわっ、エリナさんったら、あたしもそこまでは滅多にやらないぞ。
でも、なんか妙にハマッてるわね。
って、暢気に関心してる場合じゃないわね。
エリナのやつ、このまま放っておくと、どこまでもダークサイドに墜ちていきそうだし、ここらで正気に戻すか。
「……必殺、打算と馴れ合いの女の友情アタック!!」
ゴキィィィン!!
咄嗟に思いついた正体不明なあたしの声と、澄み渡った金属音が周囲に響き渡る。
「うぐっ!?」
そして、苦悶のうめき声と共に、床に力無く伸びたのは、他ならぬカリムさんだった。
その彼の後頭部には、あたしが力一杯突き出したサマナーズ・ロッドの先端が食い込んでいる。
「フッ、死して屍拾う者無し」
と、タイミング良くどこからか吹いてきた風に前髪を嬲らせながら、あたしは誰とも無くそうつぶやいた。
「……あ、あのさぁ、格好付けてるところ悪いんだけど、ミスは素直に認めた方が好感度高めよ」
……むっ。
「な、なによ。人がせっかく勝利の余韻とか虚しさを噛みしめている時に!!」
背筋に流れる冷や汗らしきものは無理矢理気にしないことにして、あたしは無粋なツッコミを入れてくれたエリナに反論した。
そ、そりゃあ、実はエリナを狙っていたけど、ちっとだけ手元が狂ったという些細なミスがあったような気がするが、何事にも予想外のトラブルは付きものである。
それに、世の中には『終わりよければ全てよし』という言葉がある。
途中の経過はどうあれ、最終的に『エリナを正気に戻す』という目標を達成できたのだから、どこからも文句を言われる筋合いはない!!
「ふーん。じゃあ、あたしが彼にフォローする必要はないわけね。念のために確認しておくけど、彼が純エルフ族だっていうのは、もう知っているわよね?」
……それからきっかり3秒後。あたしはその場に土下座までして、エリナにフォローを要請した事は言うまでもない。
「はいはい、最初から素直にそうすればいいのよ。……だけど、あたしの目から見ても、これはかなり重傷よ。もしかしたら、すでに逝っちゃってるかも?」
「そ、それは……」
エリナの本気と冗談をブレンドしたような声に、あたしは咄嗟になにも言い返せなかった。
カリムの後頭部にめり込んでいたサマナーズ・ロッドはすでに除去済みだが、それでも、どこに当たったかすぐ分かるほど、くっきりとその跡が残されている。
そして、もちろん、彼はピクリとも動かない……。
エリナではないが、控えめに言っても、これはかなりの重傷だろう。
……マズイ。もし、本当に『最悪の事態』になっていたら、あたしはエルフ族全員を敵に回す事になる。
いや、これは決して大げさな話ではない。
なにしろ、彼らは『個』に対する攻撃でも、種族全体に対する攻撃だと認識し、一丸となって報復措置に出るのだ。
いくらエルフが少数派種族だと言っても、その数は10や100という単位ではあるまい。
そんな大人数。しかも、魔法すら使う種族を相手に、あたし一人でどう立ち向かえというのだろうか。
……よし、こうなったら。
「猛り狂う炎よ。我が前に……」
「うらぁ、ヤメんかい!!」
ゴッ!!
己の身を守るため、何の躊躇いもなく炎系最強の攻撃魔術を放とうとしたあたしだったが、エリナの激しいツッコミにより、それを中断せざるを得なかった。
「いったいわね。なにも、グーで殴る事はないでしょうが。グーで!!」
痛む頬をさすりつつ、エリナに文句をつけたあたしだったが、しかし、彼女にギロリと睨まれ、思わず3歩ほど後じさってしまった。
「あんたねぇ……。『証拠隠滅』を謀る前に、全力で治療を試みるのが人の道だと思うけど」
と、低く抑えたエリナの声に、一瞬ひるみかけてしまったあたしだったが、しかし、何とか気を取り直し、彼女を逆に睨み付けてやった。
「……なにを甘い事を言ってるのよ。いい、相手は純エルフなのよ。どうにかこうにか治療に成功したとしても、『ゴメン』って謝って済む相手じゃないわ。となれば、いっそ全てを無に返すしかないでしょうが!!」
「だから、勝手に無かった事にするなってば。……あのねぇ、純エルフってのは、あんたが考えてるほどヤワじゃないのよ」
と、そう言って、エリナは小声でなにやらつぶやいた。
すると、床に倒れたまま動かないカリムの体を淡い光が覆ったかと思うと、彼の後頭部に残された傷跡が、見る間に消えていく。
「……んあ。あっ、エリナ様じゃないですか。おはようございます」
そして、傷が跡形もなく消え去ったその瞬間、少し寝ぼけたような声でそう言って、カリムは、何事もなかったかのように、その場に立ち上がったのだった。
「ねっ。この程度の怪我なら、すぐに治療してやればどうって事はないのよ」
心なしか得意げな口調でそう言って、エリナはニヤッと笑みを浮かべた。
「そ、そうなんだ……」
カリムのあまりのタフさに、半ば唖然としてしまいつつ、あたしはエリナにそう返した。
この程度の怪我……。あたしの見間違いじゃなければ、カリムは、後頭部の形が変わる程の思い切り重傷……いや、致命傷としか思えない深手を負っていたような気がするんですけど。
「えっ、誰かお怪我されたのですか?」
一人状況が飲み込めていないらしいカリムが、不思議そうな様子でそう問いかけてきた。
「えっと……」
「あっ、大したことじゃないわよ。気にしないで」
思わず返答に困ってしまったあたしだったが、タイミング良くエリナが助け船を出してくれた。
「そうですか。分かりました」
一瞬怪訝な表情を浮かべたカリムだったが、しかし、どうやら納得してくれたようで、すぐにそう言ってきた。
……ふぅ、エリナのお陰で、なんとかなったわね。
もっとも、さっきから彼女が『貸し1つよ』と目で伝えてきているので、素直に謝意を捧げる気にはなれないけどさ。
「まっ、そんな事はどうでもいいとして、わざわざあたしたちだけ呼び寄せたぐらいだから、よっぽど急ぎの事態なんだろうしさっさと本題に入りましょう」
と、エリナが促すと、カリムはコクリとうなずいた。
……そういや、さっきエリナが『大結界』とやらに異変があるなんて言っていたわね。
「あっ。はい、そうでした。それでは、早速お話しさせて頂きます」
そう前置きしてから、カリムはあたしには得体の知れない話を始めたのだった。
……今更どうでもいいけど、あたしがサマナーズ・ロッドを振るうきっかけになった、エリナとのいざこざは、当事者二人ともすっかり忘れているみたいね。
もちろん、あたしにしてみればその方が都合がいいんだけど。
「……というわけなんです。この『大結界』についてエリナ様がどの程度ご存じなのかは僕には分かりませんが、少なくとも、尋常ならぬ事態であることはご理解頂けたと思います」
「……そうね。確かに、楽観できる話じゃないわね」
なにか必死な様子が見て取れるカリムに、あたしは滅多に見た事がない、極めて深刻な表情を浮かべたエリナが応える。
と、こんな感じで進むカリムとエリナの会話は、あたしの体感ですでに2時間以上続いているが、未だに終わる兆候が見られない。
「ええ。念のために、もう一度確認しておきますが、現段階で生きていると確認できるジュル・エハラストは3つです。残りの二つ……具体的には、プレセア大陸とエスト大陸のそれは、完全に機能を停止してしまっています。この状況で、あと一つ機能を停止すると……。エリナさんもよくご存じの、アレが再び出現することになります」
「アレか……。現代にあんなもんが出現した日には、本気でシャレにならない事になるわね」
……ううう、いつ終わるの。このツッコミを入れる余地すらない、ひたすらシリアスな会話は。
あっ、そうそう。余談かもしれないけど、完璧に『置いてきぼり』を食らってしまったあたしは、暇つぶしに道具袋の整理中っす。
といっても、単に中身を全部出してまたそれを入れ直すという、非建設的この上ない作業を繰り返しているだけなんだけどさ。
よし、こうなったら、ここのところずっと片づけていなかったあれ。別名第二の道具袋こと、いつも虚空に開いている『穴』の整理でもするかな。
などと、普段なら絶対に思いもしない事を胸中でつぶやいた時、いきなり頭をコツンと小突かれた。
「こら、あんたにも関係する話なんだから、遊んでいないでちゃんと聞きなさい」
慌てて辺りを見回していると、そんなエリナの声が飛んできた。
「えっ、あたし?」
彼女の思いもよらぬ言葉に、あたしは思わずそう聞き返してしまった。
「ったく、なにぼけっとしてるのよ。……まあ、いいわ。とにかく、かいつまんで話すわね」
と、心底呆れたようにそう言って、エリナはそこで軽く一息ついた。
「マール。あたしが、この遺跡は『大結界』の一部だっていう話をしたのを覚えてる?」
口調をガラリと変え、真剣そのものの表情でそう言って来たエリナに、あたしは一つうなずいて応えた。
「ええ、覚えているわよ。確か、大昔に世界規模の超巨大結界を張ったっていう、アレでしょう?
それで、この遺跡は、その超巨大結界の要となるジュル・エハラストとやらの一つとか……」
「まあ、及第点ね。で、そのジュル・エハラストは、この遺跡の他にあと4つあって、いわゆる『五大陸』に、それぞれ一つずつある。これも、前に話したけど大丈夫?」
「もちろん、ちゃんと覚えているわよ」
心なしか心配そうに問いかけてきたエリナに、あたしはすぐにそう答えた。
「それなら結構。じゃあ、これから本題に入るけど、カリムの話では、その合計5つあるジュル・エハラストの内、プレセア大陸とエスト大陸にある2つが、2ヶ月ぐらい前に、相次いでいきなり機能停止状態に陥ったらしいのよ。それも、原因不明でね」
そう言って、エリナは深くため息をついた。
「えっ、それじゃあ……」
「あっ、大丈夫よ。アリスにしては珍しく器用な事をやったらしくて、5つあるジュル・エハラストの中で、2つまでは機能停止してもなんとか大結界を維持出来るらしいわ」
あたしの言いたい事を察したらしく、エリナがすかさずそう言ってきた。
……なるほど。大体話が読めてきた。
つまり、あと一つジュル・エハラストが機能を停止してしまうと、『大結界』が維持できなくなって消滅するというわけである。
もちろん、あたしはその『大結界』がなんのために設けられたのか分からない。
しかし、これほどまでに大規模な結界を張ったという事は、それ相応の『何か』を守るか、あるいは封じるために設けられたものだという事ぐらいは察しが付く。
……いや、先ほど何となく聞きいていたカリムとエリナの会話内容からして、大結界が作られたのは、恐らく後者の『何か』を封じるためだろう。
すると、『大結界』が解かれれば、当然、その『何か』も解放されてしまう事になるわけで、それが極めてヤバい事態である事は、エリナとカリムの様子を見れば細かい事情をよく知らないあたしでも容易に察しがつく。
となれば、エリナが最終的に言いたい事は……。
「なるほど。つまり、機能停止したその2つのジュル・エハラストの調査と、状況次第によっては機能回復をやろうっていうわけね」
あたしがそう言うと、エリナは一瞬驚いたような表情を浮かべてから、コクリと一つうなずいた。
「なんていうか、時々だけど鋭い勘が働くみたいね……。もちろん、あたしも最終的にはそのつもりだけど、その前にこの『大結界』についてちゃんと調べる必要があるわ。ここから出たら、急いで王都に戻らないといけないわね」
「その『時々』ってのは余計よ……。まあ、いいわ。なんだか大変そうだけど、どう考えても、あたしが力になれそうな所はなさそうね。とにかく、無理しない程度に頑張ってね」
と、あたしが心の底から労いの言葉を掛けた瞬間、エリナはピクリと眉を跳ね上げた。
「はぁっ、何言ってるのよ!?
さっき、『あなたにも関係ある』って言った事、もう忘れちゃったの?」
「えっ!?」
こんな時に冗談言うなと言わんばかりのエリナの声に、あたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「『えっ!?』じゃないわよ。あのねぇ、あんたがアリスから引き継いだものは、記憶や能力だけじゃないでしょうが。知らないとは言わせないわよ?」
と、尖りまくった声で、エリナが口早にそう言ってきた。
どうやら、彼女はあたしがすっとぼけてこんな反応を返していると誤解しているようだ。
しかし……。
「なんの事を言ってるのよ。言っておくけど、あたしが誰かから引き継いだものっていえば、変な人脈とこの体ぐらいのものよ」
キッパリとそう言ってやると、エリナはぽかんとした表情を浮かべた。
「……いや、マジで知らないの?」
「知らないも何も、他になにがあるっていうのよ?」
そして、しばし流れる沈黙。
「……ふぅ。今思い出したけど、前に『フーリズ亭』の話をした時も、あなたは知らなかったのよね。それじゃあ、知らない方が当然だわ」
なにか、酷く疲れたような様子で、エリナはぼやくようにそう言った。
……そういえば、ちょっと前に、あたしが親から引き継いだ『お宝』があるとか無いとか、エリナがちらりと言ったわね。
「まあ、いいわ。あなたが持っている『お宝』に関しては、あたしが口で言うより現物を見た方が早いわ。とにかく、急いで王都に向かうわよ!!」
「えっ。ちょ、ちょっと!?」
力強く一方的に断言してくれるエリナに、あたしは慌てて声を上げた。
「なによ、まだなんか文句あるの?」
と、かなりイライラした様子で聞き返してきたエリナに、あたしは思いっきり深いため息を返した。
「大アリよ。今のあたしがどういう立場か、あなたも知らないわけじゃないでしょう?」
と、何となく頭を抱えてしまいながら、あたしはエリナにそう言ってやった。
……そう。何を隠そう、あたしは『魔道院から逃げ出した』という重罪人なのである。
そのくせして、『魔道院院長』などという超大物が身近に現れたりしているが、それはあくまでも王都から遠く離れたこの地だから許される事。
ここまで来る道すがら、列車の中で自分の手配書を見せられたのは、まだまだ記憶に新しい。
もし、あたしが王都に『帰還』などしようものなら、それはもうエラい騒ぎになる事は間違いなしだろう。
「もちろん、知ってるわよ。だけど、用事があるのは第4街区だけだし、あそこなら『手配者』が一人くらい入り込んでも、誰も気が付かないわよ」
と、あたしの心境を知ってか知らぬか、エリナはお気楽にそう言ってくれた。
……おいおい。
「そりゃまあ、確かに、第4街区だけならどうとでもなるとは思うけど、その前にある『入街審査』はどうするのよ。さすがに、ここは簡単にパス出来ないわよ」
非常に重要な点を完全に忘れてしまっているエリナに、あたしは半分呆れてしまいつつそう返した。
一度も旅をした事がない人は、もしかしたら知らないかもしれないが、ペンタム・シティのような大きな街に入る時には、必ず『入街審査』と呼ばれるチェックを受ける必要がある。
これは、その街に入る者から通行税を徴収する事を主目的として設けられたものだが、同時に、手配中の犯罪者や素性の怪しい者が街に入り込まないようにするという、一種の防波堤のような役目も担っている。
もっとも、その審査員に、幾ばくかの『袖の下』を渡せばスネに傷がある者でもどうにか街に入れる可能性がある。
しかし、今回はその場所に大きな問題があるのだ。
というのも、さすがに魔道院のお膝元だけあって、ペンタム・シティの入街審査に当たっているのは、魔道院特別警備部の連中なのだ。
これが、もし他の人なら、あるいはどうにかなったかも知れないが、ちょいと昔に色々とあったせいで、あたしの顔は魔道院のみならず、ペンタム・シティ中に広く知られているのだ。
となれば、さすがに入街審査員も、露骨に見て見ぬふりを決め込むわけにはいかないだろう。
……まあ、それ以前に、『袖の下』をどうやって工面するかという、絶望的な問題もあったりするのだが、それは悲しくなるので、今は考えない事にしておく。
ともあれ、以上の理由から、あたしにとって、ペンタム・シティは無闇に近寄る事が出来ない場所だという事がよく分かって頂けたと思う。
エリナの言うとおり、ペンタム・シティ第4街区に入ってしまいさえすれば、いくらでも身の隠しようがあるのだが、それ以前に、入街審査で引っかかってしまえば、街に入れないどころかその場で捕縛され、2、3日後には処刑台の露と消えるのがオチだろう。
と、こんな事は、わざわざあたしが口に出すまでもなく、エリナとて十分承知しているとは思うのだが、しかし、彼女はニヤッと笑みを浮かべた。
「フフフ、その辺は問題ないわよ。なにしろ、今の魔道院はマリアの完全独裁体制だからね。彼女にちょっと手を貸して貰えば、入街審査なんて無きに等しいわ」
自信たっぷりにそう言って、なぜか得意げに胸を張るエリナに、あたしは深いため息を返した。
「ふぅ……。あのね、エリナ。マリアって、ああ見えて公私の分別はきっちり付ける人よ。彼女の個人的な感情は知らないけど、魔道院院長代理という立場から見れば、あたしは是が非でも処刑しなければならない重罪人よ。まあ、魔道院の影響が少ない他の街ならまだしも、ペンタム・シティでそういう便宜を図ってくれるとは思えないけど」
「あのねぇ、あんたに言われなくても、そのぐらいはちゃんと承知してるわよ。まあ、マリアとの交渉は、あたしに任せておいて」
と、自信たっぷりに言ってくれるエリナに、あたしは咄嗟に反論する事が出来ず、とりあえず肩をすくめて応えた。
……まあ、そこまで言うならお任せしましょう。まあ、あまり期待はしていないけど。
「とまあ、そういうわけで、まずはここから出ないとね」
あたしがなにも言わないのを肯定の意ととったようで、エリナは独り言のようにそう言って、視線をカリムに向けた。
「それじゃあ、大結界に関しては、まずはあたしたちで調査してみるわ。頃合いを見て、もう一度ここに来るから、それまでに、あんたの方でも出来る限り情報を集めておいて」
……いや、『あたしたち』って、まだあたしが手を貸せるかどうか分からないんですけど。
「分かりました。お手数をおかけして申し訳ありません。僕がここから動く事が出来れば、なにかお手伝い出来るのですが……」
しかし、あたしの胸中のツッコミなど伝わるわけもなく、カリムはそう言って軽く一礼した。
「まっ、これもアリスと関わりを持った宿命みたいなもんだから、気にしないでいいわよ。それじゃ、とにかくパパッと地上に戻してくれる?」
「了解しました。それでは、よろしくお願いします」
と、カリムがそう言った瞬間、軽い酩酊感のようなものと共に、視界がぐにゃりと歪んだ。
そして、歪んだ視界が元に戻ったと思った瞬間、いきなり強い光が目に飛び込んできた。
「ぐっ……」
暗闇に慣れていたあたしの目には、この光はあまりに強烈だった。
思わず悲鳴のようなものを漏らしてしまいつつ、あたしは目を限界まで細く閉じ、右手を庇のようにして額に当てながら、ゆっくりと辺りを見回した。
……周囲を取り囲む巨木の群れ。そして、鼻を擽る緑の臭い。
ここ久しく忘れていた地上の姿が、今まさにあたしの眼前にある。
そう。恐らくはカリムが使った『転移』の魔法だと思うが、あたしは地上に帰ってきたのだ。
「ふぅ。やっぱ地上の空気はおいしいわね」
と、すぐ近くでエリナの声が聞こえた。
ようやく明るさに慣れてきた目でそちらを見ると、心の底から安堵しているという表情を浮かべながら、エリナが小さな笑みを浮かべていた。
「はぁ。ったく、あれだけ苦労して進んだのに、一瞬で地上に戻れるなんて、なんか拍子抜けだわ」
そんなエリナの様子を見た瞬間、なぜかいきなり派手な疲労感に襲われ、あたしは思わずそうぼやいてしまいながら、その場に腰を下ろした。
と、今気が付いたが、ここはあの『祭壇』の上である。
……最初にここに立った時には、まさかこういう展開になるとは思ってもみなかたわね。ふぅ。
などと、ちょっと感慨にふけっていると、突然、それを完璧にぶち壊す素っ頓狂な声が聞こえた。
「ああっ、エリナさんとマール。良かった、無事に帰ってこられたのね!!」
我に返り、辺りを見回してみると、まず、こちらに向かって駆け寄ってくるローザの姿が目に入った。
そして、彼女からやや遅れて、やはり走ってくるお師匠とマリアの姿も確認出来た。
「ふぅ。どうやら、こっちも無事だったみたいね」
思わず手を振って応えながら、あたしは誰とも無くそうつぶやいた。
「まっ、ヘタレなカリムにしては上出来ね。……ふぅ、さすがにあたしも疲れたわ」
と、こちらも手を振りながら、エリナがぽつりとそう漏らした。
まっ、なんにせよ。とりあえず、この遺跡の調査は一段落って所かな。
あとは、報告書を書いて打ち上げやって……。それから先の事は、まともなベッドで一晩寝てから考えましょう。
こちらに駆け寄ってくるみんなの姿を見ながら、あたしは胸中で漠然とそうつぶやいたのだった。
遺跡編終了です。
これで第1部終了となります。
第2部は舞台が王都に変わります。