その魔道師危険につき……   作:武山 昭喜

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ポート・ファルシオンに到着したマールご一行様。
特に事件らしき事件は起きない……はずだったが


ポート・ファルシオン

「ふぅ、ようやく着いたわねぇ」

 列車からにホームに降り立ち、あたしは背筋を思い切り伸ばしながら独りごちた。

 出発地であるクランタの街から、列車に揺られることおよそ7日間。

 途中、トラブルらしいトラブルもなく順調に旅を進めてきたあたしたちは、無事にアストリア大陸最北端の町であり、またこの国最大の港町でもあるポート・ファルシオンに到着することが出来たのだ。

 

 ここで、旅をした事がない人には7日間もかかるなんて随分遠いと感じるかもしれないが、もしこれが徒歩での移動だったら最短でも数ヶ月、下手をすれば1年近くかかってもおかしくない道のりなのだ。

 それこそ、クランタから7日間ではまだ途中のペンタム・シティにすら到着していないかもしれない。

 

 そういった、今までの旅の常識からするとこの所要日数は驚異的とも言えるほど短いものであり、この列車というモノが持つ能力は計り知れないものがある。

 まったく『機械』と聞くだけで激しい拒絶反応を起こす石頭たちも、端から食わず嫌いせずに一度この驚異的な力を体験してみればもっと柔軟な思考が出来るんじゃないかと思わずにはいられない。

 ……もっとも、よりいっそう魔術の優位性が失われると感じて、逆に思考がさらに硬直する可能性もあるけど。

 

「ほら、いつまでもボケッとしていないでさっさと行くわよ。この町の『支店』に顔を出さないといけないし、結構忙しいんだから」

 そんな鋭いローザの声が聞こえ、あたしは思考を中断せざるを得なかった。

「はいはい、そんなに急かさないでよ」

 どうやらお怒りモードのローザを苦笑混じりで宥めつつ、あたしたちはポート・、ファルシオン駅の改札口を抜け、やたら元気が良い日差しが容赦なく襲いかかってくる街中に出た。

 

 ちなみに、ローザが言う『支店』とは、正式には王立魔道院地方支部といういわば魔道院の出張所みたいなものである。

 これは、建前では魔道院からの任務や個人的な用事で旅をする魔道師を援助する事。本音では魔道院の情報網と影響力を確たるものにするべく設けられた施設だ。

 所在する場所によって規模の大小はあるものの、この国内にあるほぼ全ての町や村はもちろん、さらにはアストリア王国と友好的な関係にある国の主たる街にいたるまで、それこそ魔道士がいる町や村には必ずといっていいほどこの『支店』が存在する。

 

 もちろん、それはこのポート・ファルシオンとて例外ではなく、あたしの記憶では港に近い一等地にかなり立派な建物を構えていたはずだ。

 はっきり言って、現状ではあまり近寄りたい場所ではないが今は魔術によって変装しているし、どこで誰が見ているか分からないのでここは『魔道院に所属する魔道師』として、ごく自然な行動をとっておいた方がいいだろう。

 

 ……と、なんのかんの理屈を付けてみたものの、結局のところ護衛対象であり、なによりあたしにとっては致命的な『弱み』を握るローザが行くというなら黙って従うしかないというだけだ。

 ……うーむ、これは今後の事を考えて、今のうちになんらかの『対処』を考えておいた方がいいかもしれない。

 

 などと、声には出さずごちゃごちゃ言っているうちに、あたしたちはポート・ファルシオンのメインストリートを抜け、いくつもの大型船が並ぶ港に到着した。

 ここからこの町の『支店』までは、もうそれほど遠い距離ではない。

「そういや、あなたとこうやって海を見るのって久々よねぇ」

 あたしのやや前方を歩くローザが、少し歩く速度をゆるめてぽつりとつぶやいた。

「そうね。確かあの時はあなたが上級魔道師資格を取った記念とかいって、2人して強引に長期休暇をとってポート・テハスまで行ったんだっけ?」

 霞の中に隠れた記憶の糸をたぐり寄せつつ、あたしはローザに答えた。

 

 ……そう、あれはあたしが10才になったかどうかという時の話だ。

 あたしより半年ほど遅れてローザが上級魔道師の資格を取った時に、渋る事務局の兄ちゃんを何とか説き伏せて休暇をもぎ取り、王都から比較的近いアストリア大陸西端の港町へ旅行に行ったのだ。

 この時に、あたしは生まれて初めて海というものを見て、時間帯がちょうど太陽が昇る明け方にぶつかった事も幸いし、エラく感動した記憶が残っている。

 よくよく考えてみれば、それから8年の時間を経て海を見るのはこれが2度目になるのだが、だからといって取り立てて特別な感情は湧いてこない。

 ……うーん、もしかしてこれが大人になるって事かしら。

 ちと、寂しい気がするわね。

「そうそう。あの時は、マールってばやたら浮かれていて、いきなり海に向かって攻撃魔術をぶっ放したりしたのよね。……まさか、あんな騒ぎになるとは思わなかったけど」

「うっ……」

 言葉の後半を急に暗いものにして言うローザに、あたしはなにも応える事が出来なくなってしまった。

 ……ホント、嫌なことを思い出させてくれるわね。

 あれは、上級魔道師となって初めて使用する事が許可される攻撃魔術というものに、まだ十分慣れていなかった事ゆえの失態である。

 

 初めて見る海に興奮しほとんど理性のタガがすっ飛んでいたあたしは、新人上級魔道師であるローザの前で良いところを見せてやろうと、『祝いの花火』と称してどうにかこうにか使えるようになっていた攻撃魔術を海に向かって放ったのである。

 もっとも、いかに破壊のために生まれた攻撃魔術とはいえ、当時のあたしが使えたのは、炎系統に属する『フラッシュ・ボール』のみ。

 これは、およそ大人の握り拳ぐらいの小さな火球を撃ち出し、何かにぶつかるかもしくは任意の地点で起爆させると、閃光と大音響をまき散らしながら親指の頭ぐらいのさらに小さな火球が四散するという、端から見るとなかなか景気が良い魔術である。

 しかし、そんな見た目とは裏腹に、攻撃魔術として重要なスペックである殺傷力はほとんど皆無といってよく、例え火球が直撃したところでせいぜいちょっと熱いと感じる程度。

 はっきり言って、ちょっとした隠し芸レベルでしかない。

 

 しかし、当時のあたしにとっては、この程度の初歩魔術を使うのはかなりの大仕事。

 この時ばかりは真剣になり、全身全霊の力を込めて大海原に向かって右手を突き出したその瞬間、その手のひらから飛び出したものは、本来の仕様とは大幅に異なる直径数十メートルはあろうかという、太陽と見まごうばかりの超特大の火球だった。

 要するに、気合いを入れすぎたが故に、思い切り魔術を『暴走』させてしまったわけである。

 一応、自分の名誉のために弁解させて頂くが、数ある魔術の中でも攻撃系統に属するものはことさら扱いが難しく、初心者がボケをかますのは珍しい事でもなんでもない。

 どれほど腕利きの魔道師でも、最初はみんなこんなモノである。

 

「あっ、そういえば、これがかつて魔道院が誇った『最終兵器』の記念すべき『初戦果』だったのよね」

 と、思わず言葉に詰まってしまったこちらの様子を見て、ローザはそう言って意地が悪い笑みを浮かべた。

「い、いや、だから、それは……」

 ううう、やっぱりここで引き合いに出すか。『あの事』を!

 ……そう、あの時、あたしの右手の平から飛び出した巨大な火球は、美しいとさえ思える微妙な放物線を描きつつ、はるか遠くの沖合まですっ飛んでいった。

 そして、小さな火球(と言っても、遠目に見ても人の頭ぐらいの大きさはあったが)をまき散らしながら爆裂四散して果てた。

 これだけなら、ただの巨大な花火だということで、むしろ意に反した大成果に大喜びさえした事だろう。

 しかし、本来ならさしたる威力がないはずの『フラッシュ・ボール』なのだが、見た目の大きさと同様、破壊力もそれなりにパワーアップしていたようでそのレベルは宴会芸どころか、第一線級の高位攻撃魔術とほぼ同等かもしくはそれ以上だった。

 この事が、恐らくこの世界の歴史に残るであろう、未曾有の大災厄を招く引き金となったのだが……と、この先はローザとあたしだけの秘密である。

 えっ、勿体付けていないで、最後まできちんと話せって?

 ……ううう、申し訳ありません。あたしの口からはとても言えませんです。

 

「おほほほ。あのマール・エスクードがここまで顔色を変えるなんて、ストレス解消にはもってこいですわね」

 この瞬間、あたしは思わず大規模攻撃魔術をぶっ放しそうになったが、なんとかその衝動を抑え込む事に成功した。

 ……ふぅ、もう少し若い頃だったら、迷わずこのポート・ファルシオンの町ごとローザを蒸発させていたわね。危ない危ない。

 

「あのねぇ、意味もなくケンカ売らないでよ。疲れるから」

 気を取り直し、あたしはローザにそう言って苦笑いを浮かべた。

「あら、随分大人になっちゃったわね。魔道院にいた頃のあなたなら、言葉より先に攻撃魔術が出たはずなのに……」

 と、あたしの反応が不服だったらしく、ローザはため息混じりにそんな事を言ってきた。

 もしかして、本気でケンカ売ってたのか。さっきのあれは?

 そーいう事なら、あたし的には今からでも……って、いくらなんでも、それはちょっとマズいか。

 それにしても、コイツ。そのうち絶対背後から誰かに刺されるわね。

 もっとも、その『誰か』の最有力候補は、むろんあたし以外の誰でもないけど。

 

「なによ、それ。大体、あんただって人のこと言えないじゃないの。

 なんか知らないけど、そっちからやたらと因縁吹っかけてくるクセに、ちょっとこっちが反撃するとすぐに親に泣きついちゃったりしてさ。

 今さらだけど、自分のケツも自分で拭けないクセに、一人前にケンカ売ってくるんじゃないわよ」

 ちょいとばかりカチンと来て、あたしはローザにそう言い返してしまった。

 ……あっ、しまった。これは『来る』ぞ!!

 次に来るであろう彼女の『一撃』に備え、思わず身構えそうになってしまったあたしだが、しかし、その予想は見事に裏切られた。

 

「うっ。それは……。あ、あのねぇ、『ちょっと反撃』って、あんたが怒り任せにぶん投げたナイフのお陰であたしが生死の境を彷徨ったのは1回や2回じゃないわよ。

 そりゃあ、親にチクりたくなるのも当然だと、断固として主張するわ!」

 と、口調には随分トゲがあったが、それでも、あたしが予想していた『一撃』に比べれば、かなり大人しい反応である。

 もし、あの当時のローザだったら、烈火のごとくぶち切れて、手近にある刃物や机や椅子が飛んできたものなのだが……。

 うむ、コイツも少しは大人になったんだなぁ。うんうん。

 って、感心のあまり思わず涙さえ流しそうになっている場合じゃない。

 コイツ、あくまでも自分は正しいと言い張るか。

 ならば、あたしとしても、ここは譲るわけにはいかないわね。

 

「そりゃあ、朝起きて顔を合わせた途端『あーあ、いきなりこんな顔を見るなんて、今日は最悪な一日ねぇ』なんて言われたら、普通はナイフの1本もぶち込んでやりたくなるわよ。女として!」

「なによ、まだそんな10年近く前の事を気にしていたわけ?大体、あの時は、あなたの投げたナイフが、たまたま近くを歩いていた老人会のジジイに命中したお陰で、本当に最悪の一日になったじゃないの。この下手くそ!」

「うるさいわね。あれは、ナイフが飛んでいった先にボーっと突っ立っていたあのジジイが悪いのよ。っていうか、あんたがケンカ売らなければ、そもそもあたしだってナイフを投げるような事はなかったんだし、結局は全部あんたが悪い!」

「本当の事言ってなにが悪いのよ。あんたとアサイチに顔を合わせると、決まってロクでもない目に遭っていたんだから!!」

「それは、あんたがいきなり意味不明の難癖つけてきたせいでしょうが。人を呪いのアイテムみたいに言う前に、自分の胸に手を当てて見ろっての!」

 

(中略)

 

「……っていうわけなの、分かった?」

 そう言って、あたしは肩で大きく息をつきながらローザを睨み付けた。

 それにしても、この唐突に始まった言い争いを一体どれだけの時間続けているのだろうか?

 なんか、いい加減疲れてきたんですけど……。

 

「さ、さすがね。ここまで粘るのは、あなたぐらいのものよ……」

 と、こちらもあたしに負けず劣らず疲労困憊な様子を見せつつ、ローザはそう言ってその場にへたり込んでしまった。

 ……よ、よっしゃ、勝った!

 なぜだか妙なむなしさを感じつつもそれは気にしない事にして、あたしは心の中でそっとガッツポーズを作り、妙に晴れ晴れした気持ちで何となく辺りを見回した。

 夕焼けで真っ赤に染まった空の元、海を渡って吹き付けてくる風が何とも心地良い。

 ……って、夕焼け!?

 瞬時にして我に返り慌てて辺りを見回してみると、見間違えようもなくそこには黄昏時に差し掛かり、徐々に闇の度合いを増していく港町の姿があった。

 

 ちなみに、あたしたちが列車でこの町に到着したのは、まだ朝日がまぶしい時間帯だったはずなのだが……。

 つまり、今から思えば無意味以外のなにものでもない言い争いを、およそ半日近くもの間、飽きもせず延々と続けていたことになる。

 ああー、もう我ながらなにやってるのよ。

 つーか、あれだけ激しくやり合っていたのに、なんで警備兵の一人も止めにこないのよ!!

 

「ほ、ほら、ローザ。いつまでもへたばってないで、とにかく宿探しぐらいはやらないと野宿決定よ!」

 慌てまくってあたしがそう声を掛けると、どうやらローザも現状に気が付いたらしく素晴らしい勢いで立ち上がった。

「し、しまった。急げぇぇぇぇ!」

 ほとんど悲鳴に近いローザの声と共に、あたしたちは夕闇に包まれ始めたポート・ケタスの町を疾走したのだった。

 

 

 大騒ぎで宿を取り、一晩開けたその早朝。

 何となく目が覚めてしまったあたしは、隣のベッドで凄まじいイビキを掻いているローザを起こさぬように気を付けながら部屋を出ると、その足で港へと向かった。

 といっても、特に目的があったわけではない。

 ローザが起きるまで待つのも暇なので、当て所無く散歩でもしてみようかと思っただけである。

「ふぅ、さすがにちょっと冷えるわね」

 まだ朝靄に包まれている港を眺めつつ、あたしは軽く身震いしながらそうつぶやいた。

 今の時期は夏だが、海沿いにあるせいかこの街はやや肌寒いぐらいの気温である。

 それは、宿を一歩出た瞬間に気が付いたことなのだが、どうにか確保した宿は港からほど近いところにあるし、もう一度部屋に戻るのも面倒だということで、寝間着代わりの薄い半袖シャツとズボンという出で立ちでそのまま出てきてしまったのだ。

 うー、目覚ましにはちょうどいいけど、もう一枚なにか着てくれば良かった。

 胸中でぼやきながら、自分で自分を抱きかかえるように腕を組むと、あたしはさらに港の奥へと向かう事にした。

 もちろん、これも特別な理由があったわけではなく、ちょっと寒くてじっとしているのが辛かっただけである。

 

 まあ、それはともかく、さすがにこの国最大の港町というだけあって、取れたての魚介類を陸揚げする小さな漁船から、恐らくは大陸間を結んでいるのであろう、かなり大型の船まで、実に様々な船が桟橋に横付けしていて、まだ日の出まで時間があるのに、船乗りたちの威勢の良い声があちこちで飛び交っている。

 あたしが根城にしているクランタも。田舎にしては大きな宿場町ということで、他の街に比べれば朝は早いのだが、さすがにこの時間では、まだ水を打ったような静けさに包まれているので、これはなかなか新鮮だった。

 と、なんとはなしにそんな事を思いながら、ぼんやりと歩いていくと、あたしのすぐ目の前に、いきなり黒い影が出現した。

 ……あっ!

 と、思ったときにはもう遅い。

 ドンという衝撃と共に、あたしは不意に目の前に飛び出てきた人と衝突してしまった。

「おっと、悪いな。出航前で急いでいたんだ」

 そのいかにも『海の男』という感のあるがっしりしたその男の人は、そう言って赤銅色に日焼けした顔に、妙にまぶしく感じる白い歯を見せた。

「あっ、いえ。こちらこそぼんやりしていまして……」

 いきなりの事でちと驚いたものの、相手の反応がこれでは文句を言うわけにもいかず、あたしはそう言って軽く頭を下げた。

「なるほど、眠気覚ましの散歩ってわけか。この時間は早朝便の出航で大騒ぎしている船が多いし、忙しくてイライラしている奴もいるから気を付けた方がいいぞ。じゃあな」

 そう言って、その男の人はがっちりした体格に見合わない素早さで、あっという間に船が停泊している桟橋へと消えてしまった。

 ……ふぅ、話せる人で良かった。

 ローザぐらいならともかく、いかにもパワフルそうな船乗りさんとケンカなど、さすがにちょっと嫌だしね。

 さて、気を取り直して、もうちょっと散策を続けますか。

 

 と、一歩足を踏み出した時である。

 旅用の頑丈なブーツの底を通して、足の裏にカツンという固い感触を感じた。

 不審に思って、そっと足をどけてみると、薄明るい光の中で、なにか鈍く光る物が落ちているのが分かった。

 身をかがめてそれを拾い上げると、それは少々年季が入っている感のある、金色のペンダントのようなものだった。

「なんだこれ?」

 思わず独り言をつぶやきながら、そのペンダントの様なものを右手でいじっていると、突然そのペンダントのような物がパカッと半分に割れてしまった。

 どうやら、これはただのペンダントではなく、中に小さな写真などを入れておくロケットだったらしい。

 そして、そのロケットの蓋が開くと同時に、それを持っていた右手の上になにか軽い物が落ちたのだが、この明るさだとそれがなにかは分からない。

 そこで、とりあえず近くにあったガス灯の下まで移動し、改めて右手の中身を確認すると、蓋が開いたロケットの中には写真などの類はなく、その代わりに中に入っていたと思われる、何重にも折りたたまれた小さな紙片が手のひらの上にあった。

 ……うーむ、なんかいかにも意味ありげねぇ。

 よし、ちょっと怖いけど、確かめてみますか。

 心の中でそうつぶやいて、ここまで来るとほとんど職人技だと思うほど、丁寧に小さくたたまれた紙片を広げてみた。

 

『HよりMへ連絡事項あり。可及的速やかに宿へ帰投されたし』

 

 一杯に広げても、すっぽりとあたしの手のひらに収まってしまう程度のその小さな紙片には、知らない人が見ればなんだかよく分からないと思われる一文が記されていた。

 全く持って唐突な展開だが、実をいうと今までにこれと似たような経験を何度と無くしている。

 あたしには何のことかもう察しが付いていた。

 

 まず、手紙の冒頭にある『H』は、あのハングアップのオヤジ。次の『M』は、あたしことマール・エスクード。

 つまり、ハングアップのオヤジからあたしに連絡することがあるので、さっさと宿に戻れというわけである。

 もう言うまでもないとは思うが、さっきあたしがぶつかってしまったあの男の人は、裏でハングアップのオヤジと何かしらのつながりがある。

 この短いメッセージをあたしに伝えるべく、偶然の事故を装って、さりげな

くロケットを足下に落としたというわけだ。

 なんというか、こんな凝った『演出』なんぞしないで、素直に「宿に戻れ」と一言伝えてくれれば済む話だとは思うが、これは、なんでも昔取った杵柄とかなんとかで(怖くて詳しくは聞けなかったけど)、これがあのオヤジのポリシーらしい。

 

 ちなみに、この『伝達手段』はその時と場合に応じて様々に変化するのは言うまでもなく、毎度毎度人にぶつかってロケットを拾い上げているわけではない。

 ……そういえば、いつだったか、いきなり頭上から目の前に落ちてきた植木鉢の中に手紙が入っていた時があったわね。

 あの時は、さすがにあたしも、オヤジに対して殺意すら覚えた記憶がある。

 ともあれ、ハングアップのオヤジが持つポリシーは謎だが、今までの経験上、こういうときは、素直にメッセージに従った方がいいことは理解している。

 ここは、さっさと宿に戻るのが得策だろう。

 そう思って、あたしは急ぎ足で宿にとって返したのだった。

 

 

 宿に戻り、通路までローザのイビキが漏れだしている部屋の前に来ると、そのドアの隙間に先ほどは無かったくすんだ色をした封筒が差し込んであった。

 これが、ハングアップのオヤジが寄越した連絡事項とやらだろう。

 その封筒をそっと手に取り、なるべく音を立てないように気を付けながらドアを開けて部屋に入ると、自分が寝ていたベッドに腰を下ろした。

「ったく、ローザの奴、どっか病気じゃないの?

 うるさくてかなわないわよ……」

 ほとんど地響きに近いローザのイビキに閉口してしまいしつつ、あたしは封筒の封を切った。

 ……あっ、封印の代わりに、妙にファンシーなクマさんのシールが貼ってある。

 一瞬、ハングアップの脂ぎったごっつい顔が脳裏に浮かんでしまい、このクマさんシールとのギャップに思わず身震いしてしまいつつ、あたしは封筒の中身を引っ張り出した。

 

『おう、まだ生きてるか?

 ……って、この手紙を読んでいるって事は、わざわざ聞くまでもねぇな。

 まあ、時節の挨拶はこのぐいらいにしてだ、早速本題に入ろう。

 この前、お前にケンカ吹っかけたあの連中はプレセア王国軍に所属している事が分かった。

 もう、ピンと来ているだろうが、念のために言っておくと、プレセア軍に所属っつっても、普通に槍とか剣をぶん回している連中じゃなくて、ちとヤバイ部隊の奴らだ。

 こんな輩にケンカ売られるなんざ、さすがは俺が見込んだことはある。と言いてぇところだが、正直言って、こいつはただ事じゃねぇぞ。

 これは余計なお世話だと思うが、油断だけはしねぇこった。

 じゃねぇと、溜まってる宿代払ってくれる奴がいなくなるからな。

 じゃあな、幸運を祈ってるぞ

 

 署名はどこにもないが、この文面を見ればハングアップが書いた物であることは分かる。

 その全てを読み終えたとき、あたしはおもいっきりため息をついてしまった。

「まあ、堅気の奴らじゃないとは思っていたけど……」

 そう独り言をつぶやきつつ、あたしはそのままベッドの上に横になった。

 ……プレセア王国とは、エレナ海峡を挟んでアストリア大陸の東にあるプレセア大陸のほぼ全域を領土に治める国で、世界でも1、2を争うほどの規模を誇る強大な軍隊を擁し、『同盟』という名目でいくつもの国を半ば隷属下に置く、まさに世界最強最大の大国である。

 

 しかし、そんな向かうところ敵なしといった感のあるプレセア王国にも、どうにも疎ましい目の上のたんこぶ的な国が1つあり、それは他ならぬアストリア王国である。

 いわば国が持つ力である軍隊の規模こそ、両国との間には大きな隔たりがあるが、アスリア王国には、それを補ってあまりある『魔術』という力がある。

 例え重装備を施した1000人の兵士が相手でも、熟練魔道師が一人いればいともあっさり撃退出来ると言われているだけに、優秀な魔道師を多数擁するアストリア王国に対しては、さすがのプレセア王国でもそうおいそれと手を出すわけにはいかない。

 そんなわけで、プレセア王国は魔道士を『これは、人ならぬ力を用いて世界に害を与える者である。故に、徹底的に撲滅しなければならない』として、この意見に同調しない者は全て『敵』であるなどと公言してはばからないし、対するアストリア王国も、プレセア王国を『武力をもって世界征服を企む蛮族の国』と痛烈に非難していたりする。

 まあ、ぶっちゃけた話、この両国の中は極めて険悪というわけである。

 両国の言い分をあたしの見解で言い換えれば、『てめぇ、なんか得体の知れない力使いやがって。ムカツクんだよ!』、『けっ、ちょっと腕っ節がいいからって何様のつもりだよ!』。

 はっきり言って、子供のケンカレベルである。

 

 しかし、いかに低レベルな理由で争っているとはいえ、そこに国の威信だのなんだのが絡んでくると、かなり規模の大きな話に発展してしまう。

 現在の所、この両国の間で全面戦争が勃発するという、下手をすれば世界中を巻き込む大乱に発展しかねない最悪の事態は発生していないものの、水面下ではすでに熾烈な『戦闘状態』に突入している。

 事実、あたしが魔道院院長の職にあった頃、プレセア王国が放った間者の手によって何度か暗殺されそうになった事があるし、反対に過去に何度かあったプレセア王国の要人たちの『怪死事件』に、魔道院が抱えている特殊戦闘隊が関与しているというのは、もはや公然の秘密である。

 

 ハングアップのオヤジが寄越したこの手紙によれば、変装したローザと再会したあの時、突然襲いかかってきたあの連中は、他国に潜入し、主に偵察、暗殺、重要施設の破壊工作などを担当し、アストリア王国の要人の間ではことさら恐れられている、プレセア王国軍の特殊戦闘チームの一員だというのだ。

 これは、にわかには信じがたい話ではある。

 言うまでもなく、あたしはもはや魔道院院長どころかそこに所属する一般の魔道師でもなく、むしろその魔道院から追われている身でさえある。

 プレセア王国とて、高いリスクを払ってアストリア王国に人員を潜入させるなら、そんな放っておいても消えそうな奴にちょっかいを掛けるより、現在の魔道院院長代理や王族、または有力な貴族を標的とするだろうし、その方がより理にかなっているというものである。

 

 しかし、どうにも口が悪く見ていて暑苦しいあのオヤジだが、彼が持つ情報収集能力に関してはあたしは全面的に信用している。

 あのハングアップがトチ狂って妙な事を言うとは思えないし、前途の通り今や一介のはみ出し魔道士となったあたしではあるが、決して公にはならない魔道院の『暗黒面』を知る数少ない一人であることには変わりないし、一応、魔道師として少なくとも十人並み程度には使えるという自覚はある。

 となれば、プレセア王国に目を付けられる可能性も決して否定は出来ないだろう。

 

 ……しっかし、はた迷惑な話よねぇ。

 ただでさえ、魔道院と借金取りという実に手強い敵を二つも抱え込んでいるっていうのに、そこにプレセア王国まで参戦して来たとなると……。うーん、頭が痛い。

 ったく、真面目に泣きたくなってきたわ。

「うーん……。焼き肉定食追加……大盛りで……」

 と、あたしの耳に、隣のベッドで幸せそうに眠りこけているローザの寝言が聞こえてきた。

 この瞬間、あたしの胸中でどす黒い感情が巨大な雷雲のようにムクムクと頭を擡げてきた。 

 ……こ、コイツ。あたしが酷く思い悩んでいる時に、クソ暢気に眠りこけている上に、よりによって『焼き肉定食大盛り』ですって!?

 もちろん、これが不条理な怒りであることは、あたし自身も理解している。

 しかし、もはや完全にあたしの胸中を覆い尽くした雷雲は、その程度で晴れるほど生やさしいモノではなかった。

「……風よ。我が意に従い、この腐れ脳天気に裁きを与えよ!」

 

 

 本日未明、突如として発生した竜巻により、ポート・ファルシオンの一部に家屋の倒壊などの大きな被害が発生した。

 アストリア王国軍災害対策隊の発表によると、この事故で幸い死者は出なかったものの、旅行中でポート・ケタスに立ち寄り宿で就寝中だった王立魔道院上級魔道師、ローザ・デミオさん(21)が崩れてきた瓦礫の下敷きになり、一時意識不明の重体になったほか、住民130名以上が重軽傷を負った模様。

 また、この突風で港湾設備や停泊中の船舶にも被害が発生し、本日出航予定だった全ての定期船が欠航するなど、ポート・ファルシオンの混乱は当分続くことが予想される。

 なお、竜巻が発生する直前、若い女性の怒鳴り声のようなものが聞こえた(消息筋)との情報もあり、現在、当局が捜査を進めている。

(アストリア歴、夏の2月10日発行。某大手紙より抜粋)

 

 

「いやー、一時はどうなるかと思ったけど、ちゃんと回復してよかったわ」

 真夏の太陽が照りつける中、あたしは隣を歩くローザにそう言った。

 しかし、夏は照り返しで暑く冬は逆に底冷えするような寒さを感じるこの石畳というものは、本当にどうにかならないモノだろうか?

 まあ、見た目が綺麗なことと、どれだけ日照りが続いても砂埃が立たないという利点は認めるけど……。

「ホント、参っちゃうわよね。まさか、竜巻が泊まっていた宿を直撃するとは思わなかったわ」

 と、ローザがやれやれと言わんばかりにため息をついて、苦笑いを浮かべる。

 ……よし、まだバレていないわね。

 ローザに向かってにこやかに笑みを浮かべつつ、あたしは心の中でこっそりとそうつぶやいた。

 

 突如としてポート・ファルシオンを竜巻が襲ったあの日から、今日で7日間ほどの時間が過ぎている。

 特に被害が酷かった港付近の地区もアストリア王国軍災害対策隊の尽力により、こうして歩いて見る限り、今はほとんど以前の姿を取り戻しているようだ。

 また、竜巻の発生原因として当初は『悪意ある魔道士の放った攻撃魔術』とか、『プレセア王国の破壊工作』などという噂も流れたが、最終的にはどこぞの専門家が発表した『ここ数年来続いている異常気象によるもの』という、なんともおざなりな結論で落ち着いた。

 まあ、あたしがどうこう言える筋合ではないのだが、本当にいいのか。それで?

 もっとも、だからといって、事の真実を暴くまで気合い入れて調べられても困るし、むしろ、これはあたしにとっては喜ぶべき事である。

 ありがとう、へっぽこ『専門家』殿。あなたのお陰で、あたしは命拾いしました。

 

「ん、マール。どうしたのよ、急にボケっとしちゃって?」

 横からローザの声が聞こえ、あたしははたと我に返った。

「な、なんでもないわ。ちょっと暑くて……」

 咄嗟とはいえ、なるべく不審な口調にならないように気を遣いつつ、あたしは彼女にそう返した。

 いや、実際、暑くてもうどうにもならない。

 今までも度々述べているとは思うが、今の時期は夏である。

 しかも、そろそろ昼食でも取ろうかという時刻で、天候は雲一つ無い快晴。

 さらにいうなら、今日は風もほとんど感じられないほどに弱く、すぐそばに海があるせいか、ちょっと動くたびにやたらじめじめとした空気が体にまとわりついてくる。

 はっきり言って、屋外を出歩くべき環境ではない。

 それは、あたしたちの他に、酔狂にも外を出歩いている人がほとんど見られないところからして、まず間違いないだろう。

 

「もう、このぐらいの気温でガタガタ言わないの。ホント、あなたって昔から暑さに弱いんだから……」

 と、クソ暑いという表現ですら生温く感じるこの猛烈な暑さの中、信じられないことに顔色一つ変えないで歩くローザがそう言って呆れたようにため息をついた。

「暑いものを暑いって言ってなにが悪いのよ。って、もう暑いって何回も言わせないでよ。余計に暑くなるわ」

 そんなローザに、あたしはげんなりしてしまいながらそう言い返した。

 なんかもう、言い返すのも面倒になってきたわ。ホント。

「あんたが勝手に『暑い』って連呼してるだけでしょうが……。全く、最近の若いモンは堪え性がないわねぇ」

 と、なんだか年寄りじみた事をぼやくローザを無視して、あたしはひたすら歩くことに専念した。

 ちなみに、あたしは18才。ローザは20才。

 彼女に比べれば、確かにあたしの方が人生経験は短いが、しかし、それで偉そうな顔をされるほど年の差が開いているわけではない。

 ……まあ、堪え性がないというのは認めるけど。色々な意味でね。

 

「ほら、見えてきたわよ。怪しまれたくなかったら、気合い入れ直しなさい」

 しばらくして、ローザがそう言って指をさした先には、遠目に見ても少々年季が入っているように見えるが、それでもそれなりに重厚さを漂わせる、なかなか立派な建物がある。

 知らずに見れば、恐らくこの町の役場かなにかだと思うだろうが、実は、これが王立魔道院ポート・ケタス支部。通称『ポート・ファルシオン支店』の建物である。

「ふぅ、やっとここまで来たわね。ったく、これで熱いコーヒーとかお茶とか出されたら悪いけど暴れるわよ。あたし」

 内心安堵のため息をつきながら、あたしはローザにそう言ってやった。

 そう、あたしたちがこうして炎天下を歩いてきたのも、このポート・ファルシオン支店に立ち寄るためだったのである。

 本来なら、この街に着いたその足でここに向かう予定だったのだが、意味不明の口げんかやら謎の竜巻やらに阻まれ、こうしてローザが病院から退院してくるまで先延ばしになってしまっていたのだ。

 しっかし、病院から出てきたその足でここに来るなんて、ローザもいつの間に仕事熱心になったんだか。

 

 さて、それはともかく、もう間もなく到着するポート・ファルシオン支店は言うまでもなく魔道院の息が掛かった施設である。

 ここでは、あたしたちは魔道院に所属する上級魔道師という目で見られるだけに、それ相応の言動が要求されるだろう。

 正直、暑さで目眩すら覚える状況だが、ローザが言うとおりちと気合いを入れ直す必要がある。

 軽く頭を横に振り、気持ちを入れ替えたちょうどその時、あたしたちは、ポートケタス支店の重厚なドアの前に立っていた。

「さて、行くわよ。熱い飲み物が出されないことを祈るわ」

「同感」

 小声でつぶやくように軽口を叩いてきたローザに、あたしも小声でそう返し見た目よりは幾分軽いその巨大な木戸を押し開けた。

 出入り口のドアをくぐると、そこはちょっとした屋敷の玄関ホールぐらいはあるかなり広い部屋になっている。

 ここは、訪れた魔道師たちの用向きを聞き、必要な手続きなどを行う『受付ホール』と呼ばれる場所だ。

 どうやらなんらかの魔術を使って気温が調整されているらしく、受付ホールに一歩入った途端、ひんやりとした空気が体を包み込んだ。

 我ながら実に正直なもので、暑さでほとんど溶けかかっていた体に、いきなり活力が戻ってくる。

 

 ……おし、これで気合い十分。やっぱ、暑いときに外を歩くもんじゃないわ。

「ううう、寒い。ちょっと冷やしすぎよ。これ」

 しかし、この快適な室温がお気に召さなかったらしく、隣のローザが身震いをしながらそうぼやいた。

 ……うーん、そういや暑さには超人的に強いコイツも、寒さには滅法弱かったわね。

「はいはい、苦情は後回しにしてさっさと用事を済ませる!!」

 外とは立場が正反対になり情けない表情を浮かべるローザに、あたしは冷たくそう言ってやった。

「分かってるわよ。用事っていっても大した事じゃないから、すぐに終わると思うわ。とりあえず、その辺で大人しく座っていて」

 と、不機嫌にそう言って、ローザはすたすたと奥にある受付カウンターへ向かって行った。

 そんな彼女の背中に思わず苦笑を送ってしまいつつ、あたしはちょうど近くにあったベンチに腰を下ろした。

 そして、なんとはなしに、ゆっくりと辺りを見回してみる。

 とにかくひたすら広いこの受付ホールだが、今は人影もまばらで閑散としている。

 ここから見える範囲では、ローザがとりついている受付カウンター以外は完全に開店休業状態なのだが、それでもカウンターの向こうに座る係員にだらけている様子はない。

 もし、あたしがあの受付係だった、確実に職務放棄を決め込んで昼寝でもしている所だろうが、大したプロ根性というか教育が行き届いているというか、とにかくご苦労様です。

 

「……失礼。隣、よろしいですかな?」

 不意に聞き慣れない声が聞こえ、あたしはそちらを振り向いた。

 すると、いつの間にそこにいたのか、見たところもう初老に差し掛かっていると思われる、きっちり整えられた口髭がとってもダンディなオジサマがにこやかな笑みを浮かべて立っていた。

 ……いや、オジサマなどと言っては失礼か。

 あたしのすぐ脇に立っているこの人は、あたしのそれと同じ複雑な意匠が施されたペンダントを下げている。

 つまり、この方は紛れもなく上級魔道師であるということだ。

 そして、これはどこがどうだからと具体的に言葉に出来ない、いわば『魔道師の勘』みたいなものなのだが、彼はかなり腕が立つと見て間違いない。

 いいトシこいてアホなことばかりやってる魔道師も多いので、あたしは単に年齢だけでは『目上』とみなさないのだが、少なくとも彼にはある程度の敬意を持って接するべきだという、なんというか、そういう雰囲気を感じた。

 

「ええ、空いていますのでどうぞ」

 とりあえず、失礼にならないと思われる程度の言葉遣いを心がけながら、あたしは彼にそう応えた。

 すると、彼は軽く会釈してあたしの横に腰を下ろした。

 ……しかし、なんだってわざわざあたしの横に?

 先ほども述べたが、この受付ホールはガラガラで、他に空いているベンチなどいくらでもあるのだが……。

 も、もしかして、これはナンパというやつか!?

 などと、思わず嬉しくも慌てふためいてしまったが、すぐさま別のあたしがそれを否定した。

 ……自分で言うのもちと悲しいが、一体あたしのなにが悪いのか、今までに一度もそういう経験がないのだ。

 もちろん、あたしとて人の子ゆえ、こちらからそういうややこしい感情を抱いた相手もいるにはいたが……いや、止めておこう。

 ともあれ、昔から男どもの『絶対付き合いたくない相手ランキング』で上位を定位置にしているあたしである。

 もうほとんどヤケクソだが、つまり、この彼も別にそういう感情を抱いてあたしに近寄ってきたわけでないと、思いっきり大声で断言していい。

 ……ええ、そりゃ悲しいですとも。こんな事を自信を持って言うのはね。

 

「それにしても、噂には聞いていましたが、それほど面倒な用向きではないはずなのに随分待たされますな」

 あたしの隣に腰を下ろし、しばらくの間を開けてから彼はまるで独り言のような口調でそう言ってきた。

「ええ、それに関しては私も同感です。もっとも、お役所など、どこもこのような感じでしょうけど」

 彼にそう返して、あたしは小さく笑みを浮かべた。

 ……なるほど。単に待ちくたびれて、愚痴る相手を探していたわけね。

 まあ、あたしもただ待っているのは暇だったから、話し相手が出来ただけでもよしとしておきますか。

「なるほど、ごもっとも。……あっ、これは失礼しました。私は、トーラス・フォードと申しまして、魔道院で指導教官などやっている者です」

 そう言って、彼=フォードさんは軽く会釈した。

 この指導教官というのは、魔道院の初等課程に入ると必ずお世話になる、いわば師匠みたいなものである。

 この初等課程というのはそこで学ぶ見習い魔道士としての将来が決まる重要なプロセスだけに、指導教官にはことさら秀でた能力が要求され誰でも簡単になれる役職ではない。

 つまり、このフォードさんはあたしが察した通りかなり腕利きの魔道師というわけである。

 ……ふぅ、これは迂闊な事を言うわけにはいかないわね。

「あっ、指導教官でいらっしゃいましたか。

 私は、かつてクレスタ・フィアチャイルド様に師事させて頂いた、マール・エスクードと申します」

 何となく襟元をただしながら、あたしはフォードさんにそう返した。

 まあ、自分の『親』でもあるクレスタさんに、様を付けるのは何となく違和感があるのだが、今は自分の『師匠』として紹介しているので、こうするのが自然だろう。

「ああ、あのクレスタ殿ですな。……しかし、これは私の記憶違いかもしれませんが、彼の弟子の中に、マール・エスクードという名は無かったように思うのですが」

 と、ちょっと首をかしげて、フォードさんはいきなりそうツッコミを入れてくれた。

 

 ……あ。

 両親が亡くなったあと、クレスタさんが親となって育ててくれたのだが、それとほぼ同時にあたしは魔道院の初等課程へと入る事になった。

 ただ、クレスタさんはあたしの両親の死因となった事故に恣意的なものを感じていたらしく、あたしの本名を伏せて、代わりに『マリー・クレスタ』という偽名で呼ぶ事にしたのだ。

 もっとも、偽名といっても、あたし自身でさえ10才までずっとそれが本名だと思っていたほど徹底したもので、当時の魔道院名簿にもあたしの名はない。

 マール・エスクードという本名は、上級魔道師になった時に初めて使ったのだ。

 あのペンダントを受けるに当たって、『本当の名前』が必要だったから……。

「いやはや、失礼した。なんにつけ詮索したがるのは、年寄りの悪い癖ですな。申し訳ない。

 ……なるほど、その見事な『幻影』の魔術は、あそこのカウンターにいるローザ殿の手によるものと察します。なにか、特別な事情がおありなのでしょうから、気になさらないでください」

 にこやかな表情でフォードさんにそう言われて、あたしは思わずピクリと体を震わせてしまった。

 

 ……あ、あたしが『変装』している事を見抜いた!?

 そう、言うまでもない事ではあるが、例によって、あたしはローザの『幻影』で全く別人の顔になっているのだ。

 これを見破れるのは、はっきり言って誰もいないだろう。

 ……いや、待て。よく考えてみたら、たった1人だけローザの『幻影』を見破れる人の心当たりがある。

「……もしかして、お師匠様?」

 ごくりと唾を飲み込んでから、あたしは恐る恐るフォードさんにそう問いかけてみた。

 すると、彼は小さく笑みを浮かべた。

「おや、この程度の揺さぶりで動揺してしまうとはまだまだ半人前ですな。嘘を付くなら最後まで嘘を通せ。と、確か、クレスタ殿の口癖でしたな」

 と、あくまでも見た目相応の落ち着いた声で、フォードさんはそう返してきた。

 瞬間、あたしは思わず引きつった笑みを浮かべてしまった。

 ……うわっ、間違いない。お師匠様だ!!

「な、なにやってるんですか、こんな所で!?」

 もはや、近所迷惑もなにもあったもんじゃないとてつもない大音量の叫び声が、あたしの口から自然とこぼれ出てしまった。

「こら、あまり騒ぐんじゃない。受付のお姉さんが怖い目で睨んでるぞ」

 いきなり30年は若くなった口調でフォードさんにそう窘められてしまい、あたしは思わず赤面して俯いてしまった。

 ……いや、『フォードさん』ではない。

 

 なにしろ、この見た目初老のオジサマは、紛れもなくあたしのお師匠様であり、また『親』でもある、フィアチャイルド・クレスタその人なのだから。

「って、ンなことはどうでもいいです。なんでいきなりお師匠様が出現するんですか。……大体、その格好は一体!?」

 受付のお姉様が送ってくる非難の眼差しにちょっとひるんでしまったあたしだが、すぐに気を取り直してなるべく小声でそう問いかけた。

「あはは、なかなか様になってるだろ、この格好?……しかし、『出現』ってのは酷いなぁ」

 そう言って、お師匠様は小さく笑みを浮かべた。

 そう、お師匠様ことクレスタさんは、確かまだ40才にも達していない若いともオジサンとも言えない微妙な年齢である。

 もちろん、見た目年齢もそれ相応で、いっつもほったらかしのボサボサ頭とだらしない格好が、何とも言えず『オタク』っぽい雰囲気を醸し出しているはずなのだ。

 はっきり言って、こんないかにもモテそうなシブいオジサマとは似ても似つかない。

 恐らく、これもあたしと同様、『幻影』系統の魔術で『変装』しているのだろう。

「いえ、『オリジナル』を知っている身にとっては、その格好はちと調子乗り過ぎかと……」

 と、あたしが思わず本音を漏らしてしまった瞬間、彼の両眼にキケンな光が宿った。

 ……うわっ、しまった!?

「ふーん、我が子にして有能たる弟子も、ちょっと見ないうちに随分口が達者になったようだねぇ」

「い、いや、冗談ですよ。大変似合ってます!!」

 なにやら、バックにドロドロした空気を漂わせるお師匠様に、あたしは慌ててフォローを入れた。

 もっとも、胸中でこっそり「ただし、オリジナルの姿を知らなければ」と付け加えておいたが……。

「うむ、最初から素直にそう言えばいいのだよ。全く、相変わらず照れ屋だなぁ」

 と、どうやら機嫌が直ったらしく、お師匠様は満足そうな様子でそう言った。

 ……ふぅ、ちょっとヤバかったけど、単純な性格で助かったわ。

 しっかし、これはあたしが『照れ屋』などという話じゃなく、一般的には『脅迫』と言うような気がしないでもないんだけど……。

 まあ、この場でそんなツッコミを入れるような愚行はしないけどね。

「はぁ……。まあ、それはともかく、そんな手間暇掛けて変装してまでなぜここに居るんですか?」

 なんとなく、どうでもいいような気分になってしまったが、そんな気分をどうにか入れ替え、あたしは最大の疑問をぶつけてみた。

「おいおい、それに関しては、マリー……じゃなかった、マールだって人のことは言えないだろう?」

 しかし、お師匠様は呆れたような様子で、逆にそう聞き返してきた。

 あたしの名前をわざわざ言い直したところを見ると、今は『親子』ではなく、あくまでも『師匠と弟子』として話しているという意思表示だろう。

 

 ともあれ、考えてみれば、あたしもローザの魔術によって『変装』しているし、そういう意味では、お師匠様と同類である。

 かといって、いかなお師匠様とはいえ、事情が事情だけに、あたしがここにいる理由を素直に明かすわけにはいかないだろう。

 となれば、やはりはぐらかすしかないか。

「ちょっと事情があって、細かいことはお話出来ないんですけど、あたしはローザのお供でここに来ているんです。『変装』している理由は、あえて言いませんけど……」

 と、あたしがそう言うと、お師匠様はニヤリと笑みを浮かべた。

「へぇ、それじゃ僕も同じだな。故あって事情は話せないけど、ローザのお供としてここに来たんだよ」

「えっ?……じゃあ、まさか!?」

 なにか、いたずらっ子のような笑みを浮かべるお師匠様に、思わずそう聞き返してしまうと、相手はコクリと軽くうなずいた。

「そーいうこと。なにしろ、今回はちょっと過激な『おもちゃ』みたいだからね。少しでも人手が多い方がいいだろ?」

 実にさらりとした口調でお師匠様がそう言った瞬間、あたしは思わず口をあんぐりと開けてしまった。

 

 お師匠様が言う『おもちゃ』とは、つまり遺跡のこと。

 要するに、ローザが受けた極秘任務のサポート要員として、ここでお師匠様も仲間に加わるというわけだ。

 あたしにしてみれば、全く寝耳に水の話である。

 はっきり言って、遺跡調査のエキスパートでもあるお師匠様が出張ってくるのであれば、あたしの出る幕などどこにもない。

 ……なによぉ、ローザの奴、そーいうことなら最初に言いなさいよ。

 これだったら、例えあたしがこのマリアの依頼を蹴飛ばしたところで、ローザは安全確実に遺跡調査任務を遂行出来ただろうし、あたしだって、依頼料は魅力的ながらも、それ以上にリスクが大きすぎるこんな依頼を受けることは無かっただろう。

 あーあ、なんかいきなり士気ガタ落ち。この場で依頼キャンセルして帰ろうかなぁ。

 などと、ちとばかりふて腐れてしまっていると、お師匠様が小さく笑い声を上げた。

 

「あはは。そんなに心配しなくても大丈夫だよ。マールはもう一人前の魔道師だし、昔みたいに、ガミガミ言うつもりはないからね」

 と、お師匠様は微妙に勘違いした事を言ってきたが、それをいちいち否定するのも面倒なので、とりあえず苦笑だけ浮かべて流しておく事にした。

 ……まあ、お師匠様に八つ当たりしても仕方ない。

 真に文句を言うべき相手は、あたしが依頼を受ける時点で、説明を思いっきり省いてくれたローザである。

 さて、あんにゃろうが用を済ませて戻ってきたら、思いっきりイジメてやりますか。

 と、密かに決意を固めたとき、まさにグッド・タイミング(いや、バッド・タイミングか?)で、ローザがトテトテとこちらに歩み寄ってきた。

「ゴメンゴメン。意外と手間取っちゃって……って、なんかすっごく怒ってる?」

「……うん、怒ってる」

 あたしの視線を見て、なにやら悟ったらしく、驚いたような様子で問いかけてきたローザに、あたしはただ一言だけ答えた。

「い、いや、だから、思いのほか手続きに……」

「そーいう事じゃないわ。……ちょっと顔貸して!!」

 どうやら、あたしの怒りは察しても、その原因までは分からなかったらしいローザの言葉を途中で遮り、あたしは彼女を引きずるようにして、ポート・ファルシオン支店の外に出た。

 

 かなり腸が煮えくりかえるような思いを味わっているとはいえ、ローザが受けた任務の性質上、どこで誰が聞いているか分からないポート・ファルシオン支店の中で話すのはマズいと判断するぐらいの理性は残っていたのだ。

「……あんたねぇ、なんで最初に話してくれなかったのよ!?」

 ポートケタス支店の巨大な扉を抜け、どうにも我慢しがたい炎天下の中を歩き、適当な路地裏に身を潜ませるや否や、開口一番、あたしはローザに向かって思い切り怒鳴り声を上げた。

「えっ、ちょっと、話が見えないんだけど……」

 しかし、まだローザはあたしの言葉の真意を察してくれないらしく、きょとんとした表情でそう返してきた。

「だから、今回の件に、あたしのお師匠も絡んでいるって事よ!!」

 元々熱くなっていたところに、この気温が加わってさらにイライラしまくりながら、あたしは叩き付けるようにして、ローザにそう言ってやった。

「い、いや、ちょっと待って。あなたのお師匠ってクレスタさんよね。彼がどうしたのよ?」

 ……まだすっとぼけるか。コイツは。

「どうしたもなにも、さっきあたしの隣に座ってたシッブイじいさんがお師匠様だったの。

 で、本人の口から、自分も遺跡探索のサポート役として加わるって聞いたのよ!!」

 もはや、攻撃魔術すらぶっ放しそうな勢いで、あたしはローザにそう言ってやった。

 しかし、次の瞬間、あたしの予想に反してわけが分からないという様子で、大きく両目を見開いた。

「ちょっと、なによそれ。あたしはそんな話聞いていないわよ?」

「もう、この期に及んでまだシラを切るつもり?」

 と、思わず反射的にそう返すと、彼女は大きくため息をついた。

「あんたねぇ、暑さで脳みそが干割れたんじゃないの?

 大体、自宅に戻る時間も惜しいとか言って、研究室を自宅化しているようなクレスタさんがこんな遠い町に出てくるわけないでしょうが……」

 と、呆れた様子でローザがそう言ってきた。

 ……うっ、言われてみれば、確かにそうかも?

 

 ローザが言うとおり、あたしが魔道院にいた頃は、遺跡研究に没頭しまくるあまり、お師匠様は、自分に与えられた研究室にベッドなどの最低限の家具を持ち込み、そこに寝泊まりするのが常になっていた。

 あたしから見れば、ほとんど『病気』としか思えないのだが、研究室兼自宅と言っても差し支えない程で、本当の自宅に帰るのは、ぜいぜい年に1、2回程度。

 しかも、いつ寝ていつ食事しているのかさえ分からないほど、とにかくひたすら研究活動に勤しむという、不摂生という言葉では物足りないほどの有様だったのだ。

 ローザの口ぶりから察して、それは現在も変わっていないようであるが、そうなると、その研究を中断してまでわざわざこんな遠方に出向いてくるとは到底思えない。

 ということは、さっきの自称『トーラス・フォード』さんは、一体何者なのだろうか?

 そんな疑問が胸中にわき上がったとき、背後から誰かが左肩をポンと叩いた。

「おいおい、ローザ君。最近は僕がちゃんと帰宅しているのは知っているだろう?……まあ、お世辞にも『定時帰宅』とは言えないけどね」

 聞き慣れた声に慌てて背後を振り向くと、そこには『謎の初老の男』ではなくボサボサの黒髪にだらしない服装をした、見た目はまだ十分に若者で通じる男性が立っていた。

 見間違えようもない。彼こそが、あたしの『親』であり『師匠』であるフィアチャイルド・クレスタその人である。

「なっ……。く、クレスタさん!?」

 あたしの記憶を辿る限り恐らく初めてではないかという程、完膚無きまで驚愕しまくっている様子のローザが、周囲の家の窓ガラスが振動するほどの音量で素っ頓狂な声を上げた。

 ……どうやら、本気でお師匠様がここに来ている事を知らなかったみたいね。

 あたしは、また故意か過失かはあえて問わないけど、単にローザがすっとぼけていただけだと思っていたんだけど、どうもこれは勘違いだったらしい。

「いきなりでっかい声出して、どうしたんだい

 まさか、僕の事を研究室に取り憑いた自縛霊かなにかだと思っていたとか?」

 と、完全に絶句してしまっているローザに向かって、お師匠様はなんだか楽しそうにそう言った。

 突然だが、ここで魔道院名物『百話怪談』の第二七話を紹介しよう。

 

 ……特別棟4階のとある研究室に入る。

と、昼夜を問わず、一心不乱に机に向かう男性の姿を見る事がある。

 しかし、彼に迂闊に声を掛けてはならない。

 さもなければ、『うるさい、黙っていろ!』という怒鳴り声が、あなたが生きているうちに聞く最後の言葉となるだろう。

 大変重要な事なので、もう一度繰り返す。

 幸か不幸か『彼』の姿を見る事が出来たとしても、完全に無視する事を強く勧める。

 もっとも、かつてこの研究室に入り、そのドアから2度と出てくることが無かった十数名の仲間入りを望むなら、あえて止める事はしないが……。

 

 まあ、どこにでもあるような他愛のない話ではあるが、なにを隠そうこの話はお師匠様がモデルになっているのだ。

 もちろん、あたしが知る限りでは本当に死者や行方不明者は出ていないが、お師匠様が半ば私物化している研究室は魔道院の特別棟4階の端にあるし、この研究室に入ればほぼ間違いなく『彼』とご対面出来るはずだ。

 そして、『彼』に迂闊に声を掛けると……ほとんどの場合、怒号一発で追い出される事になる。

 と、そんなわけで、こういう『本当に起こる怖い話』が生まれる事となったわけなのだが、これに引っかけてお師匠様はちょっと皮肉めいた冗談を飛ばしたのだろう。

 ……しっかし、『自縛霊』って、ある意味でまんざらでもないような気がするわね。

 

 あたしの記憶にあるお師匠様は、それこそ、いつぽっくり逝ってもおかしくないほど、研究室にこもりっきりでなにやらゴソゴソやっていたし。

「い、いえ、そういうわけではないのですが……。あの、なぜこの町にいらしたのですか?」

 どうやら、僅かに落ち着きを取り戻したらしいローザが普通に会話する程度の音量で、お師匠様にそう問いかけた。

「おや、その問いに関する答えは、さっきマールが話していたと思うけどな。

 まあ、いいや。僕がこの町に来た理由はただ一つ。君が調査する予定の遺跡を、この目で確認するためだよ。もちろん、ついでに君のサポートもするけどね。

 なんせ、僕の弟子は基本的な知識については問題ないんだが、実践経験が足らないせいで、応用力にかなり問題があるからなぁ」

 まるで茶化すような口調でそう言って、お師匠様はあたしの肩を再びポンと叩いた。

「……お師匠様、なんかさりげにイジメましたね。あたしの事を」

 思わずジト目で傍らにいるお師匠様を睨みつつ、あたしは思わずぼやくようにそう言ってしまった。

「いんや、別にイジメてなんかないよ。単に事実を端的に述べただけ」

 まさに、掛け値抜きの即答。

 お師匠様にキッパリハッキリそう言われてしまい、あたしは二の句が継げなくなってしまった。

 

 ……ううう、そりゃお師匠に比べればあたしの遺跡探索の経験なんぞゴミみたいなもんだけどさ、ちょっと前に『あたしはもう一人前の魔道師』って言ったくせに、いきなり半人前扱いってのは、ちょっと責任感無さ過ぎというか……。

「遺跡をこの目で確認するって……。この件は、マリア、いえ、院長代理直々に下命された極秘任務ですよ。それを、なぜクレスタさんがご存じなんですか!?」

 あたしがちょっと落ち込んでいる間に、ローザが戸惑った様子でお師匠にそう問いかけた。

 

 まあ、ローザのこの反応は、しごく当然の事である。

 各部署を経由して下される通常の命令ならともかく、マリアからローザに直接下された『極秘命令』だとすれば、当人たち以外にそれが漏れる可能性は控えめに言ってもかなり低いだろう。

 それなのに、命令を受けた当のローザが関知していないのに、いきなりお師匠様が現れたとなれば、まさに『信じられない!』の一言だろう。

 しかし、よくよく考えてみれば、お師匠様がこの『極秘命令』を知り得る方法が1つ存在していることに気が付くだろう。

 それは……。

 

「そう驚くようなことじゃないわよ。ローザが出発したあとに、例の遺跡に関して、あたしたちだけじゃ対処しきれないと思われるなにかとんでもない事が潜んでいると判明したら、マリアはどうすると思う?」

 あたしがそう言うと、ローザはハッとしたような表情を浮かべた。

「……もしそうなれば、当然マリアは補充要員を送ろうとするし、こと遺跡に関しては膨大な実績を残しているクレスタさんに白羽の矢が立つ、と。……クレスタさん、これで間違いはありませんか?」

 そう問いかけるローザに対し、お師匠はただ無言で答えるのみ。

 その彼の口元には、なんとも意味不明な微笑が浮かんでいた。

「……どうやら、図星だったみたいですね。お師匠様」

 お師匠が浮かべる微笑にちと不安を覚えたものの、しかし、あたしはほぼ確信を持ってそう言った。

 ふと目があったローザも、どうやらあたしと同感らしく、小さく笑みを浮かべながら一つうなずいた。

 

「……ざ~んね~ん!」

 しばらく間を開けてから、お師匠はなんか思い切り楽しそうな様子で一言そう言った。

『へっ!?』

 あまりに予想外だったそのお師匠の様子に、あたしだけでなくローザまでも同時に変な声を上げてしまった。

「正解は『コソコソ魔道院を出て行くローザ君を偶然見つけたもんで、なんとなく面白そうだから付いていってみたら、こんなものを拾っちゃったから』でした!!」

 と、この上なく楽しそうにそう言って、お師匠は懐からゴソゴソとなにやら取り出した。

 見ると、かなりヨレヨレになっていたが、それは白いごく普通の封筒だと分かる。

「……なんです、それ?」

 そんな疑問の声が、我知らずあたしの口から飛び出すと、お師匠はニヤっと笑みを浮かべた。

「そういや、これは君の物だったな。ちょうどいいから、返しておくよ」

 そう言って、お師匠はそのクシャクシャになった封筒をあたしに差し出してきた。

 はっきり言って、その意味が全く理解出来なかったが、とりあえず、なにも聞かずにその封筒を受けるとすでに開封済みであることが分かった。

 その事がどうにも不審に思えてならなかったが、しかし、それはあえて問わず、代わりに、その封筒を太陽にかざしてみると、どうやら、中になにか入っているらしい。

「そんなに警戒することはないよ。なにしろ、君はすでにその中身を一度は見ているはずだしね」

 と、またもやお師匠がよく分からない事を言ってくる。

 怪訝に思いながらも、その封筒の中身を引っ張り出したその瞬間、あたしは完全に硬直してしまった。

「あああ、それって!?」

 どうやら、あたしの手にある『モノ』を見て、ローザもその正体を察したらしく、いきなり大声で悲鳴のような声を上げてきた。

 そう、お師匠から渡された封筒の中身。

 それは、ローザ経由で届いた、あのマリアからの手紙だった。

 確か、これを読んだあと、クランタの隣町まで手紙を配達するために街道を歩き始めた時に、何気なくポケットに突っ込んでおいたと思ったのだが……。

 しばしの硬直の後、急に体の自由を取り戻したあたしは、慌ててポケットの中や普段持ち歩いている旅行用の革袋の中を探ってみたが、あの時にちゃんとしまっておいたはずのあの封筒がない。

 この時のあたしの顔は、恐らくかなり青ざめていただろう。

「やれやれ、いかんなぁ。この手紙にも、『読後焼却の事』と書いてあったっていうのにそれを気軽にポイ捨てするなんざ、さすがに我が愛弟子。素晴らしい反骨精神だよ」

 という、強烈なお師匠の皮肉を聞きながら、あたしはその場にヘナヘナと腰を落としてしまった。

 ……うわぁ、シャレにならん事をやっちまった!!

 い、いや、断じて『ポイ捨て』なんぞしていない。

 あとで適当なときにきっちり焼却処分しようと思っていたのだが、どうやら、街道を行くうちにうっかり落としてしまったようである。

 しかし、わざわざ公文書用の用紙を使って、文末に焼却処分せよとまで書かれた手紙である。

 こんなシロモノをうっかり落とすなど、はっきり言って言語道断の失態であることはあたしにも十分判っているし、もちろん、『ゴメン、落としちゃった。あはは』などと誤魔化して済ませられる問題ではない。

「……ふぅん、なるほど。結局はマールのせいだったわけね。

 あたしも手紙の文章を知っていたわけじゃないから、あの時は別に気にしていなかったんだけど、まさか『読後焼却』無視とはねぇ」

 どうやら、ローザも事の重大さに気が付いたらしい。

 ゆらりとした足取りで地面にへたり込んだあたしの前に立った彼女は、およそこの世のものとは思えない程の形相を浮かべ、あたしをじっと睨み付けながら冷たい声でそう言ってきた。

 ……無理もない。この手紙をあたしに届けたのは、他でもないこのローザ。

 事前にその内容を知らなかったとはいえ、あたしがこの手紙を街道に落とした……つまり、第三者に手紙の内容が漏れている可能性があるという事実をマリアが知れば、あたしはもちろん、これに関わったローザも連帯責任を問われる可能性があるのだ。

 そもそも、マリアは非正規なルートを使ってローザにこの手紙を渡したのだから、正確にその内容を知らないまでも、決して気易く扱っていいものではない事ぐらいは察しろというわけである。

 あたしを見下ろす様にして睨む彼女の視線は、明らかに失望と非難、そして猛烈な怒りの気配に満ちあふれていた。

「い、いや、こ、これは、その……」

 そのローザの視線に対する自己防衛反応

で、思わず言い訳を並べ立てようとしたあた

しだが、うまく適切な言葉が見つからない。

「……これからあたしが行うべき制裁処置について、最適なものを一つ選びなさい。1番、『シヌまでぶん殴る』。2番、『水平線の彼方まで蹴り飛ばす』。3番『原型を止めないほど激しくぶった切る』。4番、『重石を付けてポート・ファルシオン港に沈める』。さあ、どうぞ」

「うわわわ、ご、ごめんなさい!!」

 背後にどす黒いオーラを漂わせつつ、指折り数えながら静かに告げてきたローザに、あたしは思わず土下座してまで謝った。

 ……コイツ、マジだ!!

「うーん、僕としては、描写的な問題から流血とかなさそうな『4番』がいいと思うけど」

「うわっ、お師匠様まで!?」

 実にお気楽かつ無責任な事を宣ってくれるお師匠の声を聞き、あたしはがばっと頭を上げて悲鳴を上げてしまった。

「……はい、『4番』。よろしいですね?」

「うん、よろしいです」

「……あ、あたしの意思は?」

 静かに語るローザと、対照的にお気楽なお師匠のやりとりに、あたしは半泣きで反論するしかなかった。

「と、いうわけで……」

 しかし、あたしの抗議の声などまるっきり無視してくれたローザは、静かにそう言いながらギロリとあたしを睨み付けた。

 そんな彼女の手には、一体どこから持ちだしたのか、いつの間にかやたら頑丈そうなロープが握られていて、しかも、足下には巨大な岩が数個転がっている。

「……あんたとは長いつき合いだったけど、これでお別れね。それじゃ」

「ぎゃああああ、こっち来るなぁぁぁ!」

  ここはポート・ファルシオン。

 うだるような炎天下の元、路地裏にあたしの絶叫が響き渡ったのだった。

 

 

 




元ある文章を切り取るだけだと思っていたら、案外不備が見つかって修正しながらの投稿です。
これが結構手間取るのなんのって(苦笑)
まだ本編に入っていません。
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