開幕&Side by 相馬祐一
~序章・開幕~
しん、と空気が張り詰める。
先程まで一定間隔で鼓膜を震わせていた水滴の音も、いつの間にか消えていた。
大空洞を煌々と照らすのは炎。円形に広がる大空洞の壁かしこに、異様に明るい松明が無数に灯っている。
その光景は中央にそびえる時代錯誤な建造物――いうなればそれは祭壇――をより幻想的に、より重厚に、より壮大に見せるようだ。
カツン、カツンと音が鳴り。
祭壇へと続く階段の元に、二つの影が伸びた。
『……ようやく、終わるんだ』
聞きなれない不思議な言葉が炎を揺らす。
揺れた光の照らしたものは、不気味な銀色に反射する長髪を揺らす青年の横顔だ。
『ううん、違うよ。始まるの。終わりが始まるんだよ』
聞きなれない不思議な響きが空気に触れる。
触れた空気のその先には、神秘的な銀色を振りまく長髪の少女の唇があった。
「そう、か。そうだな、ナヴィス。これから始まるものを……俺たちが、この手で」
「そうだよ、ベアッド。私たちが、この手で」
反響した誓いは虚空に消え、長い残響をその場に遺す。
握った手と手を炎が照らし、見下ろすようにそびえる祭壇に、2人は視線を向けた。
この日をどれだけ待ち望んだか。
この瞬間を、どれだけの命が待ち焦がれたか。
この感覚を、どれほどの祖先が思い描いたか。
遠く遠く、その起源と血脈に宿された誓いを、思いを、願いを、望みを、今ここに果たすと約束しよう。
それが血に宿された悲願であり、彼らに課された運命であるが故に。
『――聖杯に誓いを。我らが悲願、我らが大望。遥か太古の時を経て、今ここに成就されんことを願う』
~ side 相馬祐一 ~
季節は冬。
御影市の住宅街は静まり返り、明かりを灯す家も少ない。
そんな閑静な街角に一つ、小さな明かりを灯す家があった。
時刻は0時。ちょうど今、日付を越えたところだ。
骨まで凍るような寒さの中、今頃みんな震えながら寝てんだろうなと他人事のように思いながら、相馬祐一は自室のベッドに転がり、己が右手天井に突き上げるような形で見つめていた。
幼心に焼きついた『魔術師』という響き。
とにかく不思議で、純粋に憧れていた。
きっとアニメや漫画みたいにかっこよくて強い、一種の英雄的理想像。
自分もそんなふうになれるんだって、訳も無く嬉しかった過去。
そして突きつけられる現実。無論、子供心をそのままに体現できるほど甘いものでもないわけだ。
かつて炎や雷が出ると思い焦がれた右手。もちろん未だに出たことは無い。相馬一族の魔術はそんな大それたものではなかった。
――兄は、果たしてどうだったのだろう。
実際に兄が魔術を行使した現場を見たことがあるわけではない。けれど、行方不明になったあの日、両親は口々にその才能を惜しんだ。
兄には、自分にできなかったことができたのだろうか?
自分はそんな兄よりも劣っていたのだろうか?
時期も遅れたかとくやみつつ、やむなく教わった魔術。しかしその実、祐一はメキメキとその腕を上達させた。両親さえも驚く程であった。
しかし、それでも時折彼らが見せた憂い顔は――やはり、兄と比較してしまったから、なのだろう。
上達する喜びと相反する、自分の知らない兄への劣等感は祐一の精神の根幹を確実に汚染した。
そんな劣等感の克服も兼ねての独り立ちではあったが――結果的にそれは、インドア気質だった彼の自虐癖を大いに促進させる結果となってしまった。
やはりどれほど修練を重ねようとも、兄には遠く及ばないのだろうな、と。
「……あー」
治らないな、この自虐癖も。
自嘲するように祐一は苦笑した。
右手を下ろし、深く嘆息する。
先ほど暖房は切った。部屋の空気を冷気が侵食していく。
暖色、寒色という言葉があるけれど、この空気の変化を色にするならばまさにそんな感じだろう。
温かい恒常的な朱色は、冷たい非常的な水色に塗り替えられていく。
魔的なモノが、部屋に入ってくる。
ふっと、床を照らしていた月明かりに影が差した。
「……あの、いい?」
控えめな声が冷たい空気を震わせる。
目を向けると、いつの間にか月明かりを背に少女が立っていた。
重く輝く長い黒髪に白のワンピースという簡素な出で立ち。普通なら寒くて居られないような出で立ちなのだが、少女の様子からは寒さなど微塵も感じられない。
白く透き通った肌は月光を吸い込み、本当に光っているようにさえ見えた。
だが、驚くようなことではない。
祐一は彼女を知っている。
「どうした?」
顔だけ向けて問う。
「志乃さんが呼んでるよ。立ち会って欲しいって」
「あれ、今日だっけ?」
こくりと少女は頷く。
しまったなあ、しっかり失念していた。
今から行けば、間に合うか。
「ん、わかった。めんどくせーけど、行ってやるかな。お前はどうする?」
「行く」
短く少女は答える。
鈴の転がるような声、というと陳腐な表現かも知れないけれど、少女の声はまさにそんな表現を思わせる。
可憐で、素朴で……少し捻ったらすぐに狂ってしまいそうだ。
「おっけ、了解。んじゃー行きますかな」
気だるげに一度伸びをすると、祐一はそのまま腹筋で上体を起こす。
寝癖……は大丈夫か。どうせ短いからそこまで気にすることでもないし、今から会う相手は志乃だし。
ベッドから立ち上がって、
「……やっぱり気になるなあ」
祐一は少女を見て呟いた。
いくら彼女とはいえ、この時期にワンピース1枚だなんて寒くはないのか?
そう問うてみるも、少女はただ首を振るばかり。どうなってやがるんだ一体。
まあ言っても仕方が無い。少女がいいならばそれでいいのだろう。少なくとも祐一の体は寒いのだ。壁にかけてあった厚手のジャケットを羽織り、彼は寒さを凌ぐことにした。
少女と共に部屋を出て、祐一は玄関へ向かう。小さいとはいえ二階建ての家に男子高校生が1人暮らしというのもなかなか無駄に贅沢なのではないだろうかといつも思うが、あって困るものでもない。特に気にすることではなかった。
「そうだ、志乃の方はどんな感じだった? 準備とか一通り終わってる感じ?」
少女はふるふると首を横に振った。想定済みである。
「あー……立ち会うっつーより手伝えって感じだろうな」
「志乃さん、意地でも自分でやりきるつもりでいるけど」
「そう言って今まで自分でできた事が何回あったかねえ」
皮肉っぽくそう言うと、少女はクスリと笑った。
「じゃあ、見てあげないと、だね」
「そーゆーこと」
まったく手間のかかる幼馴染だ。もう少しあいつは頭を使うことを知るべきだろう。考えなしに行動するからこうなるのだ。
変わらない幼馴染の行動に苦笑する。だが、今回ばかりは事情が違う。普段の厄介ごととは違う。
祐一の胸も高鳴りを隠せないでいるほどに。
噂に聞いた冬木の聖杯戦争。
7体のサーヴァントと7人のマスターが競い合うゲーム。
最後まで勝ち残った勝者には、万能の願望器たる聖杯がもたらされる、と。
失われたと思ったその戦争は、ここ、御影市にてふたたび執り行われようとしているのだ。
何故かはわからない。
けれど。
再び右手を見る。
なんの力も無い、無力な右手。
だがそこには、赤い痣のような文様がくっきりと浮かんでいた。
選ばれたマスターたる証、サーヴァントへの絶対命令権、3画の令呪に他ならない。
令呪の存在のみが、聖杯戦争の開幕を何よりも雄弁に物語っていた。
「……マスター?」
隣の少女が不思議そうに祐一の顔を見上げる。30センチの身長差があれば見上げるという表現が正しかろう。
「あ、いや、なんでもない……わけじゃないけど」
そうして祐一は、視線を少女に向けて、
「――よろしく頼むよ、メリー」
自身のサーヴァントにそう言った。
祐一の召喚したクラスはアサシン。
都市伝説に名高い『メリーさん』に他ならない。
誰がこの少女を見てサーヴァントだなどと思うだろうか。現に祐一も驚いた。
けれど、間違いなくサーヴァントなのだ。
本来聖杯戦争におけるアサシンクラスは、そのクラス自体が触媒となり定められた英霊が召喚される。
だが、彼の召喚したアサシンはその法則に当てはまらない。
都市伝説の存在、メリー。英霊としても、反英霊としても、とても該当するとは思えなかった。
……しかしこうして召喚された事実は揺るがないわけだから、祐一は特に気にもしなかったが。
声をかけるついでに頭を撫でてみた。
艶やかな髪はとてもさわり心地がいい。
触れた手のひらはスルリとその小さな頭部を滑り落ちる。
「ひぁっ!?」
当人は突然の事に驚いたようで、目を丸くして祐一の手から飛び跳ねるような形で離れる。
「おっと、嫌だった?」
「…………」
アサシンは肯定も否定もしない。ただ目を丸くして祐一を見るばかり。
まだ召喚して間もないからだろう、何を考えているのか等まだわからない。
けれど、きっと慣れていない、のだろう。どことなく可愛らしい。そんな印象を感じた。
「ま、いいか。頼むよ、メリー」
そうして祐一は同じ言葉を繰り返す。
彼の言葉に、アサシンは笑顔でしっかりと頷いて言った。
「絶対に、勝つよ」
「おう」
兄でさえ未踏であるこの聖杯戦争。
それを制したとなれば、その実力は兄をも上回ることに同義なのである。
玄関の戸を開く。眼前に広がった雲ひとつ無い真冬の空に、祐一は不敵な笑みをむけて見せた。
そして外へ足を出す。同時に、隣にいた少女は白いと息と共に溶けるようにして姿を消した。