少しずつ、けれど確実にカズキの身体を蝕んでいった……。
――朝、極東支部内の食堂は混み合っていた。
神機使い、もしくは極東支部に所属する局員達が、束の間の日常を体験する為に各々自由に食事を採っていた。
会話を楽しみながら食事をする者、任務の時間が迫っているので黙々と食べ続けている者。
生きるか死ぬかの中で、皆囁かな日常を過ごしているが。
(…………足りない)
青年――抗神カズキは、この明るい空間とは真逆の、暗い表情を浮かべていた。
いつものように彼は起き、いつものように朝食を食べ任務に向かう……そのはずだった。
しかし……彼は自分の身体に起こっている事実に、恐怖を感じその場を動けずに居た。
――満たされない。
いくら食事をしても……身体が満たされず、空腹感が押し寄せてくる。
既にカズキは四人前はあるかという量の食事を終えている、だというのに……少しも満足感が得られてはいなかった。
尤も、この症状は今回に限っての事ではない。ないのだが……。
(また……僕は、食べたいと思ってしまうのか……?)
普通の食事では、決して満たされないこの空腹感。
それは――アラガミを喰したいという、欲求から来るものだった。
あの日以来、カズキは時折アラガミを喰したい欲求に襲われるようになった
それを知っているのは、捕喰の光景を間近で見たリンドウのみ。
だが、この欲求の間隔は長く忘れた頃にやってくるようなものであった。
だからこそ、この異常な欲求を誰にも気づかれる事はなく満たす事ができていたのだ。
しかし……日に日に、その間隔が短くなってきていた。
普通の食事では満たされない空腹感、まるでアラガミ専用の胃袋でもできたかのようだ。
こんな事は人として間違っている、滅ぼすべきアラガミを喰したいなどと、正気ではない。
無論、カズキとてそれはわかっている。わかっているが……どうしても、その欲求を抑える事ができない。
一度味を知ってしまったからか、飢えと渇きがカズキを人の道から外させる。
(ダメ、だ……)
もう我慢できない、カズキは急ぎ立ち上がり空になった食器を返却口へと戻し、食堂を後にする。
とにかく、急いでミッションを受注してこの飢えと渇きを満たしたい、それだけを考えエントランスロビーへ。
真っ直ぐヒバリの元へと急ぐカズキだったが、その前にある少女に呼び止められてしまう。
「あっ……おはようございます、カズキ」
「っ、アリサちゃん……」
おもわず「邪魔をするな」と怒鳴ってしまいそうになるのを堪え、すぐさま笑みを浮かべアリサへと視線を向けるカズキ。
ぎこちないながらも挨拶を交わし、どうにか誤魔化す事ができた。
「これからミッションですか?」
「う、うん……」
「さすがですね。コウタに爪の垢でも飲ませたらどうです?」
「あはは……」
大分、彼女らしさが戻ってきたようだ。尤もコウタに対しては容赦ないようだが。
「そ、それじゃあ僕は任務に行くから……」
……そろそろ、我慢も限界になってきた。
気づかれないように通り過ぎようとするが。
「あ、あの……私もお手伝いしましょうか?」
「え――」
おもわず、その場で立ち尽くしてしまう。
待った、それは拙い。
このミッションは、アラガミを喰らう為に行くというのに、アリサが来てしまっては……。
「……あの、もしかして迷惑ですか?」
返事を返さないカズキに迷惑がられていると思ったのか、しゅんとうなだれるアリサ。
(そんな顔されたら……)
無理、などと言える雰囲気ではなくなってしまった。
前のような高飛車な態度はなりを潜め、年相応の女の子らしくなったアリサだが……こういう表情をされると、弱い。
「まだ役に立てないかもしれませんが、足は引っ張りません。カズキの役に……立ちたいんです」
「ぅ、む……」
ああ困った、もう断れない。
いや、いらないから。なんて言った時には。
「そうですか……どん引きです」なんて言われかねない。
(…………仕方、ない)
我慢する事にしよう、どうにか衝動を抑えてミッションを終えてから、また新しいミッションを受けるとしよう。
「じゃあ一緒に行こうか?」
「あっ……はい!」
ちょっと引きつった表情を見せつつそう言うと、途端にアリサは嬉しそうに笑顔を浮かべて頷きを返した。
(――急がないと)
今この瞬間にも、衝動は強くなっている。
本当に急がなくては、彼女に……あれを見られるわけにはいかないのだから。
■
――ボルグ・カムラン。
巨大な尾針を持ち、四本足のサソリのような外見を持つアラガミ。
外皮は鋼のような光沢と強度、前面には二つに分けた盾のような装甲を持った、強力なアラガミである。
今回、そのアラガミが鉄塔エリアに出没したとの事で、カズキはこのミッションを受注したのだが……。
「? あの……カズキ?」
「―――ぁ、何?」
「いえ、その……どこか体調が悪いんですか? 顔色が悪いですけど……」
そう訊いてみるアリサだったが、カズキは大丈夫と言って彼女から視線を逸らす。
明らかに大丈夫ではないとアリサは思ったが、このまま帰す事もできないので、何かあってもフォローすればいいと自分に言い聞かせ、鉄塔エリアを探索する。
それに――アリサ自身、余裕があるわけじゃない。
ボルグ・カムランというアラガミと戦うのは初めてなのだ、それに……まだ本調子でもない。
もっと楽なミッションならばとも思ったが、カズキの役に立ちたいという気持ちが先行してしまい、つい言いそびれてしまったのだ。
(大丈夫……自分を信じて、カズキと一緒に戦えば……)
暗示を掛けるように心の中で言い聞かせていると……カズキは、突然足を止めた。
アリサもそれを見て視線を前に向けると、同じように足を止める。
――ボルグ・カムランが、こちらに背を向け呑気に食事をしていた。
「カズキ、私は後方で支援をしておいた方がいいでしょうか?」
少し声を落とし、隣に居るカズキに話しかけるアリサ。
だが、カズキから返事が返ってこず、怪訝そうに視線を向けると――
「――は、ぁ、あ」
「…………えっ?」
おもわず、呆けてしまった。
だって、カズキのアラガミを見る瞳が。
まるで――美味しそうな食べ物を見るかのように、輝いていたからだ。
お腹が空いてお腹が空いてたまらない、そんな中で……極上の食べ物を見つけた、そんな顔をしているから……。
アリサは表情を固まらせて、近くにアラガミが居る事も忘れ……彼を見つめていた。
荒い息を繰り返して、カズキは無防備なアラガミを見つめ続け……そっと、神機を構える。
「カズ、キ……?」
何か、恐ろしいものを見ているような錯覚に陥り、アリサは震える唇で彼の名を呼ぶ。
――違う。
今の彼は、いつものカズキではない。
あの優しい笑みも、優しい空気も……どこにも存在しない。
あるのは、まるでアラガミを見ているような恐怖心だけ、が……。
「――イタダキマス」
じゅるりと口を鳴らし、カズキはぽつりと呟きを漏らす。
その言葉の意味が、一瞬理解できなかったアリサは反応が遅れ。
その間に、カズキは神機を剣形態にしたままアラガミに向かって駆けていった――
■
――もう、止められない。
アリサの前でこの状態を見せないようにしていたカズキだったが、アラガミの姿を見た瞬間……そんなものは消し飛んでしまい、残ったのは捕喰欲求だけだった。
やめろ、アリサちゃんが居るんだぞ。
頭ではそんな自分の声が聞こえるが、既に身体と理性のリミッターなど外れてしまった。
地を蹴り、未だ食事に夢中になっているボルグ・カムランへと、一直線に向かっていく。
アスファルトの駆ける音で気が付いたのか、ボルグ・カムランが立ち上がりカズキへと振り向くが、それより速く間合いを詰め一閃。
放電ブレードの刀身が後右脚にくい込み、電流がアラガミを襲う。
素早く引き抜き、今度は腹の下へと踏み込みアラガミの腹部へと剣を突き刺した。
「ギュアァァァァッ!!」
苦悶の声か、それとも怒りの声か、ボルグ・カムランは耳障りな声で鳴き巨大な尾針をくねらせる。
これは通称「スピンテイル」という、尾針を身体ごと一回転させ攻撃する予備動作だ。
それに気づいたカズキは、急ぎ装甲を展開するが――ボルグ・カムランの一撃は不発に終わる。
何故なら、アラガミの口めがけてアリサの砲撃が放たれ、怯んだからだ。
「後方支援は任せてください!!」
いまだ混乱する頭で、アリサは叫ぶ。
……先程の彼の様子は気になる、だがだからといってぼーっとしている場合ではない。
まずはアラガミを倒してからだ、そう自己完結させアリサは再び銃身パーツ――レイジングロアを構え、氷属性のレーザーをボルグ・カムランの口に照準を合わせ撃ち込んでいく。
しかしそう何度も不意打ちは成功しない、ボルグ・カムランは前面にある盾のようなものでアリサの銃撃を防ぎ、お返しとばかりに尾針を彼女へと突く。
「くっ!!」
精密射撃のように精錬された尾針の攻撃を、アリサはどうにかステップで回避するが、避けきれない攻撃もありわき腹や肩を掠め血が滲み出ていった。
痛みは少ない、アリサは思い切って剣形態へと可変、そのままボルグ・カムランへと突っ込んでいく。
それに対し、ボルグ・カムランはもう一度尾針の一撃をお見舞いしてやろうとするが……その隙を狙ったカズキの斬撃が、今度は前左脚を斬り裂いた。
「ギュゥゥォォッ!!」
「煩い――!」
不快感を露わにしながらカズキは跳躍、剣を逆手に持ち直し横薙ぎの一撃を振るう。
鋼のような外皮に、横一文字の傷が生まれ。
「やぁぁぁぁっ!!」
その間に間合いを詰めたアリサの一撃が、先程カズキが傷つけた前左脚へと食らいついた。
これにはボルグ・カムランもおもわず巨体を支えきれず、その場で崩れ落ちてしまい。
2人は、同時に銃形態へと神機を変え――目の前にあるボルグ・カムランの口部の中へと銃撃を叩き込んでいった。
「ギュ、ギィ……!」
ビクビクと痙攣するボルグ・カムラン、多大なダメージを負ったが……まだ息がある。
「これで――!」
トドメだ、もう一度剣形態にしてから、アリサは神機を振り上げ――そのまま固まってしまった。
「――――えっ?」
目の前の光景が信じられないとばかりに目を見開き、けれど決して逸らす事はなく。
――アラガミを文字通り喰らうカズキを、見つめ続けていた。
「――――」
思考が、凍りつく。
彼が何をしているのか理解できず、ただ茫然としてしまうアリサ。
しかし、ようやく思考が元に戻り、彼が常軌を逸した行動に出てると理解した瞬間。
「な、何をしているんですか。カズキ!!」
アリサは叫び、急いでカズキの元へと走り寄った。
しかし、カズキはアリサの声に反応しないまま、ボルグ・カムランの身体に食べ続ける。
「うっ……!」
その光景はおぞましく、アリサはおもわず口を押さえ後退る。
がりがりぼりぼりぐちゃぐちゃ。
硬い外皮をものともせず、肉を引き千切り骨を喰らい自身が血で汚れようとも構わずに食べ続いていくカズキ。
(何なの……一体、カズキはどうしてしまったの……?)
頭が混乱して、何をすればいいのかもわからなくなる。
……やがて、カズキの動きが止まった。
「――――、ぁ」
そこでようやく、彼は自分が何をしていたのかを自覚する。
……見られてしまった、リンドウ以外の人間に。
自分のこの、化け物みたいな行動を。
身体は震え、カチカチと歯を鳴らしながら……カズキは、アリサへと視線を向けた。
「――――」
アリサが、茫然とカズキを見つめていた。
アクアブルーの瞳に、拭えない恐怖の色を宿しながら。
……当たり前だ、こんな光景を見てどうして。
どうして、自分を人間に見る事ができるというのか。
「あ……あ……」
アリサの瞳を見て、カズキは震えを大きくする。
恐がられた、こんな……こんな自分を見られてしまった。
もう――手遅れだ。
彼女と築いてきた信頼関係は消え、最悪アナグラにも居られなくなるかもしれない。
アラガミと同じ事をしでかしたのだ、無理もないとわかっているが……孤独には、なりたくなかった。
――もう独りは嫌だ、もう大切な人達を失うのは嫌だ。
もう、あんな経験は二度としたくは――
「カズキ」
震えた声で、アリサに名を呼ばれた。
これから放たれるのは、罵倒か恐怖に満ちた悲鳴か。
終わってしまった、絶望へ心を沈めながら……カズキは、アリサの言葉を待った。
すると、彼女の口から放たれたのは罵倒ではなく――疑問。
「……どうして、こんな事をしたんですか?」
「…………」
隠し通す事は、当たり前だができるわけがない。
だから、カズキは包み隠さず全て話した。
――リンドウを助ける際、ヴァジュラもどきに瀕死の重傷を負わされた事。
――死を覚悟した瞬間、不思議な感覚と「アラガミを喰したい」という欲求が生まれた事。
――その後、今のようにアラガミを食べたいという欲求に逆らえなくなる事。
自分の異常を、アリサへと告白した。
「…………」
話を終えても、アリサは黙り込みただカズキを見つめ続ける。
(……ここまで、か)
こうなれば腹を括り、どんな言葉も受け入れてしまおう。
もう自分は化け物なのだ、人間ではないのだから心はいらない。
だから、カズキは僅かに身構えアリサの言葉を無言で待っていたのだが。
――ふわりと、アリサに抱きしめられた。
「…………えっ?」
意味が、わからない。
彼女は、どうして化け物である自分に……。
「……ずっと、辛い思いをさせてしまって……ごめんなさい」
「……アリサ、ちゃん?」
「確かに驚きました、恐いと……思ってしまいました。
けど、今のカズキは恐くありません。いつもの優しいカズキに戻っていますから。
――ずっと私達に言えなくて、辛かったんですね」
優しく、壊れ物を扱うかのようにアリサはカズキの身体を抱きしめ、言葉を紡ぐ。
……彼の辛い顔は、もうこれ以上見たくなかったから。
「……アリサちゃんは、僕が恐ろしくないの?」
「今は恐くないです、それに……事情もわかりましたから」
「だ、だけど……僕は、アラガミを食べるなんていう化け物みたいな事を」
「そうですね」
でも、とアリサは言葉を続ける。
「私にとって、カズキはカズキです。アラガミを食べるとしても、私にとってはどうでもいいです。
――ですから、自分を化け物だなんて言わないでください」
「アリサ、ちゃん……」
頬に伝う、暖かな液体。
涙を流すカズキに、アリサは優しくその涙を拭いてあげた。
「これからは、その欲求が現れたら私に言ってください。必ず協力しますから」
「…………うん」
ああ、なんて。
なんて、自分は幸せなのだろうと、カズキは思う。
こんなにも優しい子に、自分の異常さを理解しながらも、支えてくれると言われて。
傍に居てくれる事が、こんなにも嬉しい。
「……ありがとう、アリサちゃん」
「はい。どういたしまして」
ニコッとカズキに笑みを見せ、アリサは立ち上がり神機を手に取る。
すると神機を捕喰形態へと変形させボルグ・カムランのコアを摘出させた。
「――終わりですね、戻りましょう」
「うん……」
口の周りに付いた血を拭ってから、カズキも立ち上がる。
「カズキ」
「ん?」
「私、今よりもっと強くなってみせます。身体だけでなく心も……。
あなたが私を守ってくれたように、私も……あなたを守りたいから」
力強い瞳、強い決意を持ってアリサは誓いを立てる。
その言葉に偽りはなく、故にカズキも――誓いを立てた。
「……なら、僕も今より強くなるよ。アナグラには……大切な人が沢山居るから」
この不条理しかない世界でも、自分が住むあの場所は、優しい空気に溢れている。
だから、だからこそ守りたいと願ったのだ。
たとえこの身が、人から外れたとしても。
必ず守ってみせると、カズキは新たな誓いを己の胸に刻んだのだった。
To Be Continued...