楼蘭に四剣あり――
武芸館にて行われた第一回剣術大会の優勝者である、神鳴秘丶(ぴちょん)が残した言葉である。四剣とは第一回大会準決勝まで進出した四名が所属する流派、すなわち、神鳴秘丶を始祖とする神鳴流、後にアルトメリア連邦に伝来しツェダイ流となる角流、一太刀の速度を極めた白加賀流、そして剣即王道をかかげる日華流を指す。同時期に創設されたこれら四流派の実力に大きな差はなく、再度刃を交えたならば結果もまた違っただろうと神鳴秘丶は付言している。第二回大会以後、実力の拮抗した四流派が剣術大会の上位を長い間、独占したことがその良い証左だ。
その日華の名を背負い、龍井は武鶴二尺七寸を正眼に構えた。日華流のほとんどの技は、この正眼――中段の構えを基軸に派生する。それほど日華流において重んじられた構えだ。
対して、優に三尺はあろうかという長刀を、東郷が左の脇に構えた。その刀身は墨を垂らしたように暗く、それでいて幽かに照るためか、構えるだけで昏黒の軌跡がたなびく。その残像は、さながら闇に染まった帯革だ。
「失望させてくれるなよ。日華流」
裂帛の気合を込め地を蹴った東郷に合わせて、龍井もまた正眼に構えたまま前に出た。十間あった遠間合いが瞬時に縮まる。
そして龍井は見た。東郷の手首がゆらりと動くや否や、恐るべき速さで刃が首筋に急襲するのを。殺生を一抹も厭わない鋭い一撃とは、一介の国家元首には実に似つかわしくない。
首元に迫る巨大な殺意に肝を冷やしながらも、首の皮一枚に刃が喰い込んだところで、龍井は武鶴二尺七寸で受けて弾いた。そして返す刀で袈裟に斬った。凡百の剣士ならばこれでお仕舞いというタイミングだ。過剰なエターナル・コアの力に頼る必要もなく、人の腕力のみ刀に込めるだけで引導を渡すことができる。
はずだった。
弾いたはずの東郷の長刀が、絡みつくように武鶴二尺七寸の切っ先に追いすがった。それは、龍井にとって思いも寄らぬ反応だった。あるはずのない場所に、突如として伸ばされた刀。二刀流でもなければ、暗器の類でもない。
疑問を抱えたまま、小出しの攻防を繰り返した。ぎんと音をたててつばぜり合いになったのは、十合を斬り結んだ頃合か。
ぎりりと鳴る刃越しに、龍井は東郷の寡黙な瞳を覗き込んだ。
「心得がないって訳じゃねぇみてぇだな。流儀を聞こうか」
「楼蘭四剣が一。白加賀流」
流儀の名を聞いた龍井は、人らしからぬ東郷の実力に合点がいった。斬撃の速度をひたすらに追求した白加賀流ならば、一度刃を弾かれてもなお、戻す刀で防御に転じるのも易かろうか。
多くを語らぬ反面、交えた刃は雄弁だ。東郷が白加賀という流派の中においてだけでなく、楼蘭皇国内においても指折りの実力を有していることを物語っている。
「多芸なもんだな。そうでもしねーと日華に勝てねぇと知ったか」
「何を言うかと思えば。若造の振るう日華など、児戯にも等しい」
くいと東郷が顔を上げた。表情のない顔の中、胸中の想いを映すように双眸だけが気色ばんでいる。
ましてや――と東郷がさらに続けた。
「ましてや外道に堕ちた剣ごとき、何を恐れる必要がある。草葉の陰で初助が泣いているぞ!」
突然、飛び出した初助――日華流先代頭首宮城峡初助――の名に、龍井は一瞬間だけ気を取られた。DPM(Di-Pole Male)化施術の際に失った記憶と絡げて、師である初助に関する記憶も忘却してしまっている。だから稽古時の光景やら話した内容やら、師事した初助について明確な記憶がある訳ではもちろんない。それでもインケンメガネ――ミオから聞き及んだ事柄は知っている。初助という名の壮年の男が、孤児だった夜一を引き取り、日華流の門弟として、また自らの息子として育てたということを、そしてその息子同然に育てられた朝日那夜一によって殺害されたことを、龍井は経験として知らずとも、記録として識っている。
だから少しだけ怯んでしまった。
そして寸余の隙を生んでしまった。
「人の力を舐めるな、小僧!」
交差する刃の内側、ふところ深くをするりと射抜くように、龍井はあご先を直下から蹴り上げられた。反動で身体が宙に浮き上がる。
暗転する視界、口中に広がる血の味、危険を察知した時には既に遅く、無防備になった腹部に衝撃が走った。肩か掌底による一撃だろうか、覚えた鈍痛から当身の類だろうことに、弾き飛ばされながら気付く。
龍井は中空で体勢を立て直すと、膝を突いて着地した。ただの人間に後塵を拝するという屈辱に、総身の震えが止まらない。それは蹴り上げられた後に、なぜ当身を見舞われたかを理解したからだ。一刀両断する機会に放たれた打撃の理由など、一つしかない。つまりは手加減されたのだ。
だからか、再び開いた間合い五間先で、鋭い目付きで見下す東郷の表情が、殊更、鼻についた。
「残された日華の伝承がこの程度とは。あまりにも初助が哀れだ。やはり武鶴は俺が貰い受けるとしよう」
「黙れ、老いぼれが。出し惜しみは止めだ。明日の朝陽は拝めんと思えよ」
「口だけは達者だな小僧。だが、もう十分だ。日華の名をこれ以上汚さぬように、貴様はここで死ね」
引き潮のように音が消えた。そして風も凪いだ。龍井と東郷を中心とする閉じた世界に、研ぎ澄まされた殺気が満ちる。時間もない。光もない。真っ平らな沈黙だけが、そこにある死を今か今かと待っている。
死地への一歩を踏み出した瞬間、しかし、場に素っ頓狂な声が割って入った。
――おやぁ。誰かいますかぁ?
とたんに龍井も東郷も、揃って足を止めた。ぎくりとして、声のした参道の方に目を向ける。招かれざる客の闖入は、互いとって実によろしくない。それが一般人ならば、なおさら始末に負えない。未だ声の主が、遠くにいることだけが幸いか。
――こっちかな。
それでも、じりじりと接近する第三者の間延びした声に、東郷が長刀を鞘に納めた。芳原遊郭という土地柄は、首相という立場に酷く障るだろうし、何よりも人斬包丁片手に素性の怪しい輩と殺しあっていたとあっては、三面記事で済むはずがない。それどころか銃後最悪の犯罪者と謳われた日華三十人殺しとの密会として報じられる可能性すらあり得る。暴力行為も罪人との癒着も、ともに国の代表にとって相応しくない。
東郷が舌を打った。
「邪魔が入ったか」
「逃げるつもりじゃねぇだろうな」
「武鶴は暫時、預けておく。今は退くが、常に狙われているということを、努々忘れるなよ」
「ちょっと待てコラ。ここまで虚仮にされて、ただで帰す訳ねぇだろ」
今にも飛びかからんという意思の表れか、龍井は剣の構えも忘れて前傾姿勢になった。背を見せようものならば背を斬ろう、右に逃げようものならば肝を貫き、左に逃げようものならば首を裂いてくれる。そう、龍井は目で語っている。
じゃり――足下が鳴った瞬間、上空から何かが舞い降りた。
「白加賀の。ここはワシに任せて早ぉ退け」
烈火のごとく気炎を吐く龍井と東郷の間に降り立ったのは、背の低い老人だった。わずかに背を丸め、高齢さを感じさせる所作で東郷に向き合っている。しかし音もなく、綿毛のようにふわりと着地するその身のこなしたるや、目を見張るばかりだ。
知り合いなのか、東郷が驚きもせずに言った。
「どうして、ここに」
「細かいことは、どうでも良かろう。顔を見られん内に、さっさと行け」
「この香は――芳原か。老師。お戯れもほどほどに」
「分かったから。ほれ。疾く去ね」
わずかに眉間にしわを寄せた東郷が、渋々と頭を下げて踵を返した。そのまま硬質な闇の中へと遁走する。
姿を消す東郷を確認した後に、小柄な老人がくるりと龍井の方に向き直った。ゆるく弧を描く睫線から、柔和な印象を受けるが、その実、目は凍てつくほどに冷ややかだ。
「お前さんが日華の一粒種か。動かんかったのは良い判断じゃ。もし飛び出しておったら、ワシの刀の錆びになっとったじゃろうて」
間違いではなかった。矮躯の老人の背に、言い知れぬ嫌な予感を覚えたからこそ、逃げる東郷をみすみす逃がしたのだし、また自らも棒立ちでその場に留まったのだった。蛇に睨まれた蛙のように、老人のまとう雰囲気に飲まれてしまったと言った方が正確か。
「テメェ、まさか」
「ジオ・ドミナントでは弟子が世話になったな。一度、顔を見てみたいと思っとったんじゃが、はて、何とも余裕のない面構えじゃのぉ」
ほれ――と、一声かけて、老人が手にした杖を緩々と突き出した。特筆するほど速くもなく、また死角を貫くようでもなく、吐息のようにゆっくりと、真っ直ぐに伸びるただの突きだ。しかし、なぜか龍井は、その突きを払い除けることができなかった。ミオのゲンコツのように、いかにもか細く鳩尾に突き立つのを、龍井は反応できずに許したのだった。
そして、老人がにやりと嫌らしく笑った次の瞬間――
どすん!
尋常ではない力でもって、龍井は吹き飛ばされたのだった。呻く間もなく、背後の茂みにもんどりうって没入する。
老人のしわがれた笑い声が追い打ちとなった。
「男に名乗る名など持ち合わせておらんでな。さて。それじゃ失礼するかのぉ」
老人の笑い声は夜のまにまに頼りなく響いたが、それも四方三間を震わせて消えた。茂みの中に横たわる龍井は、心底、面倒くさくなってしまった。悔恨の念以上に、自らを取り巻く状況に対する鬱憤ばかりが、腹の底に淀んでいる。
だから龍井は――
「糞ツェダイ共が」
そう毒づいて、夜の芳原遊廓に女を漁るために足を向けた。