ミオは久しぶりに対面した友人の顔を、まじまじと見詰めた。最後に顔を合わせたのが、楼蘭皇国から出奔する直前のこと。数年来、会っていないにも関わらず、友人の容貌は記憶の中のそれと微塵も変化がない。眼光炯々としているのは、元軍属という経歴を持っているためか。豪く不可思議な男だ。
名を山県犀軒という。
元軍属とは言え、皇国軍第六研究所に所属していた研究者である。幅広く食指を伸ばし研究に没頭していた研究者だったが、中でも人間の精神や心理、宗教などの分野を特に好んでいたように思う。最終階級は中佐だったか。
どうぞ――と言って、ミオは茶を山県の前に差し出した。
「お変わりなくご壮健のようで何よりです。中佐」
「止して下さい。私は最早、引退した身。いささか白髪もしわも増えました」
言うほどに山県の顔にも、その雰囲気にも老いの影は見られない。同年齢の男性に比べて、十は若く見られるのではないだろうか。
いつ――と言って、ミオの振舞った茶に、山県が口を付けた。
「いつ戻られたのですか?」
「人の悪い。耳の早い山県先生ならば、先刻、ご承知でしょうに」
「耳も遠くなりました。貴女が入国していることを知ったのも今朝方です」
「その今朝ですよ。私が楼蘭に着いたのは」
ミオは口元に手をあてて、ころころと笑った。山県も至極穏やかに相好を崩している。
聞けば、退役した現在は、楼蘭皇国の各地を巡り、郷土史などの知識を蓄えているのだとか。博覧強記の山県のこと、莫大な情報をその内に集積して、何を画策しているのやら、その昏(くら)い瞳の色からは一抹も読み取ることが出来ない。
「亜国のBADCと、何か事業を進めているそうですね。神経医薬の研究開発ですか?」
「いえ。古家製薬との創薬分野での事業提携に参画してまして。今回の訪楼は、それが目的です」
「表向きには、でしょう」
ちらと鋭い視線を、山県が寄越した。そして一瞥の後に、再び目を伏せた。何を思うか、湯飲みばかりをじっと見詰めている。
「鈴蘭――という秘匿名を耳にしましたよ」
「やれやれ。人の口に戸は建てられませんね」
ミオはわざとらしいくらいに首を振った。
鈴蘭計画とは、門隠大社の加茂家主導のもと、アルトメリア連邦と連携して進められているMAID開発計画である。その計画の中心で動いているのが、古家製薬とBADCのニ社となる。ミオは開発計画への技術提供を通じての参加だ。
「計画の表の面が創薬事業で、裏の面がMAID開発です」
「格好の技術移転先を見つけましたね」
「まだまだ、これからです。進捗によっては技術だけ売却して、早々に身を引くことも視野に入れていますし。何事も引き際が肝要ではありませんか」
同意するように、山県が深く首肯した。頷き一つとっても、ミオの目に威圧的に映る。幅広く人脈を持ち、情報にも通じ、人を操る術にも長けている山県だが、その最大の武器は慇懃な態度に隠された堅固な精神に違いない。どれだけ揺さぶられようとも、一瞬足りとて怯むことなく、泰山のように常にどっしりと安定し続けるのだろう。うろたえる姿を想像するのも難しい。
不惑を過ぎて、なお健在な山県に、ミオは表情を変えずに感嘆した。
「ところで緑龍井君でしたかな。なかなか面白いですね。二基の永核を安定して内臓するとは。よくぞ制御できたものです」
「恐れ入ります」
「ダイ・ポール・モードとは、先般、学会誌に報告された西海洋ダイ・ポール現象(West Meridian Ocean Di-pole mode:WMOD)に由来した名称でしょう?」
「仰る通りです」
「大気連動型の気象現象。風。そういえば先月、大型のハリケーンが亜国を襲いましたね」
ことり――と山県が、湯飲みを卓上に置いた。きつい視線が再びミオを射抜く。
山県の遠慮のない視線を、ミオは真っ向から見返しながら、ただ沈黙して続きを促した。
「ご存知でしょうが、九星図において四緑木星の巽宮が風。陰陽五行で見れば風は木気に配当される。陰陽道の観点から見ると、DPMは木気であると言える。それだけではない。木気の色は緑、木気を司る聖獣は龍。随分と強く木気を帯びているようですね。龍井君は」
「華国の緑茶である龍井茶が好きなものですから、それにあやかったまで。そのような符合があろうとは、思いもしませんでした」
山県が目の高さに湯飲みを掲げた。言わずもがな、振舞った茶こそが龍井茶である。
「好きな茶に由来したというエピソードには、確かに貴女らしいセンスが感じられる。実に貴女らしい。もし龍井君が刀ではなく、別の武器――例えば弓矢などを持っていたならば、私もそれで納得したことでしょう。ですが、日華流という剣術流派を勘案すると、いささか事情が異なります。日華とは太陽の意ですからねぇ」
「偶然のつながりを必然と思いたがるのは、過去の人間が何度も繰り返してきた過ちでは?」
「ええ。分かっていますとも。あくまでも仮説、例えばの話です。ですから話半分に聞いて下さると、大変助かります」
ミオには、一言一句とて聞き漏らす気などなかった。腹芸を得意とする輩を相手に、話を適当に合わせることほど愚の骨頂はない。取り分け、こういった手合いを野放図にしてしまうと、最後の最後でしらばっくれることも許されないことになりかねないのだから。
「木気が示す方位は東、太陽の正位です。なぜ、こんなにも執拗に木気を、ひいては太陽を暗示するのか。常々、疑問に思っていたのですが、彼が刀を使い、かつDPM起動の際に鴻宝を読み上げると知り、ふとある仮説に思い至りました。刀とは金気。九星象意は七赤金星の兌宮(だきゅう)。方位は西、つまり太陰(月)の正位です」
天墜未形、馮馮翼翼――と山県が鴻宝第三巻天文訓を諳んじた。民俗学などに造詣深く、かつ大華京国にも足繁く渡っている山県のこと、鴻宝全二十二巻に精通していても何ら不思議はない。
「天地之襲精為陰陽、陰陽之専精為四時、四時之散精為萬物。天文訓の冒頭がDPMの鍵だそうですね。天文訓は宇宙開闢の理論に始まり、陰陽二気より万物が生じると説く。それを踏まえて、木気と金気を併せ持つ龍井君の在り方を考えてみたのですが――いかがですか。私の考えは」
あえて結論を言わなかったのだと、ミオは確信した。その証拠に、山県の言説に、そして示唆している答えに、おおむね間違いはない。
「さて。答えるも何も、無学な私には山県先生の考えなど、とんと検討もつきません」
「貴女は謙遜のように嘘をつく」
「やはり人の悪い。か弱い婦女子をいじめるような無体は、止して下さい」
「か弱いか。なるほど。失礼しました」
山県が呵々と笑った。温厚な人柄に珍しく、膝をぽんと一つ打ち、からからと声を上げて破顔している。しかしそれが、ミオを評価した歓笑なのか、それとも憶測を確信に変えたがゆえの嘲笑なのか、山県の無表情な笑いからは一向に読み取れない。
「今は酉月の旺気。金気がもっとも壮んになる時期。武芸館には近寄らぬようにしましょうか」
だからこそ、その笑みはミオの癪に障った。我を忘れるような激しい怒りではなく、棘の刺さった痕がうずくような、そんな苛立ちだ。
腹いせにミオは情報を一つ開示することにした。
「山県先生。一つだけ。渡神(ワタリノカミ)に気を付けて下さい」
辞去しかけた山県が、中腰のまま止まった。思慮深い瞳が、物事を見透かすように細くなる。
「ケガレに触れるつもりですか」
「はい。金気が墓となる戌月に。午に生じ、戌に旺んに、寅に死す。三辰は皆――」
「――土なり。鴻宝にある三合ですね。しかし、龍井君一人では、いささか荷が勝ちすぎるのでは」
「問題ありません。木気が足らぬのならば、天を揺るがしてみせましょう」
笑みを消した山県が、再びソファに座った。ソファの足がぎしりと軋む。その軋轢が、実に耳に心地よい。
そうしてようやく、ミオはいつものように笑った。