たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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龍井得道 六

慌ただしい喧騒によって目を覚ました龍井は、酷く不機嫌そうに上体を起こした。素っ裸のまま肩に遊女の帯を突っかけ、片膝を立てて猫背に構える。

面倒事が出来したか――そう思いながら、龍井は昨夜脱ぎ捨てたジャケットを手繰り寄せた。だが、ふところのポケットから煙草を取り出してみれば、紙巻は一本も残っていない。

龍井はくしゃくしゃと頭をかきむしった。

 

「どうなさいました」

「何だか騒がしくしてるみてぇだけど」

 

寝乱れた布団の中から遊女――華の香(かのか)と言ったか――が、目をこすりながら顔をのぞかせた。抱いた感触や肌の張りから察するに、三十路も手前という遊女にしては幾分かとうのたった年齢だろうが、切れ長の瞳と、涼しげな顔立ちが際立った別嬪だ。二十かそこら、化粧によっては十代と言っても充分に通るような、華やいだ雰囲気をしている。寝起きのまどろんだ表情もまた、どこか気が抜けていて艶っぽく感じられるのだから、女とは至極不思議な生き物だ。

紙巻の代わりに、龍井は煙管(きせる)を無心した。

 

「足抜けか、あるいは――あ、煙草くれ」

 

騒ぎの原因について、最初、龍井は足抜けを疑った。遊郭という場所柄、客と遊女がねんごろになることなど殊の外に多い。客の大半は束の間の逢瀬のように一夜限りの関係で済ますのだが、中には本気で好き合ってしまう輩もいる。遊女の身請け――借金を肩代わりし、妓楼から遊女を買い取る――には、凡夫にとって眼も眩むほどの大金を要するのが世の常だ。結果、手と手を取り合って、芳原遊郭から逃亡を図る男と女が稀に出る。それが足抜けだ。大概は逃げる途中で捕まって、男は殺され、女は遊郭に連れ戻されることになるのだが。

あらあらなどと言って足に絡みつく華の香の白いうなじに、龍井はつと指を這わせた。首筋から背をつたい、そのまま脇に手を忍ばせて華の香をぐいと引き寄せる。

そして浅く唇を重ねた。

 

「今少し朝寝といきたかったんだが」

「ゆるりとされていかれては」

「や、帰るわ」

「あら、つれない」

 

紅屋を包む雰囲気に、足抜けとは異なるものを感じた龍井は、早々に場を離れることにした。足抜けを追う際に特有の、殺気じみた鬼気迫る感が喧騒にはなく、その反面、戸惑いや不安が混じっているようだったからだ。大量殺人鬼という自らの経歴が露呈し、いたずらに人心を揺さぶった恐れもある。警察沙汰は、真っ平ごめんだ。

しかし龍井の考えとは裏腹に、華の香がずいぶんと唐突なことを言った。

 

「また烏でも出ましたかねぇ」

「からす?」

「最近、噂になっておりまして――」

 

煙草盆を引き寄せながら、華の香が興味なさそうに又聞きの噂話を語り始めた。

曰く、人の生き胆を食む烏がいるのだとか。GにMAIDに、人喰烏とは世も末だと、龍井は思った。不安の種はいつだって、よく分からない茫漠から生じるものだ。しかし、よくよく耳を貸してみれば、噂の出元は多発する誘拐事件であるらしい。どの口と耳を伝聞すれば、誘拐犯が人喰烏の話に変節するのやら。

火を灯した煙管を華の香から受け取ると、龍井は紫煙を深く吸い込んだ。充分に肺にため込んだ後、鼻から白煙を吐き出す。

どこか遠くで、新造がいないだ何だと、誰かが大声で叫んだ。他に烏野郎云々とも聞こえる。

ねぇと華の香が、赤い舌を出した。妙に赤い、なまめかしい舌だ。

 

「公僕は来やしませんよ。廓の内のことは、義狼組が仕切ってますから」

 

芳原遊郭内での有事は、ほぼ全て独立自治組織である義狼組が片付けるのだと、華の香が言った。そして警察機構の介入は、早くとも明日以降だとも付言した。龍井の股ぐらに、その端正な顔をうずめながら。

ももをなぜる華の香の黒髪に、龍井は一抹の未練を覚えた。いっそのこと全てを打っ遣って、女だけに耽溺したいという欲求がむくむくと鎌首をもたげるのを自覚した。しかし、それでも固辞するように、華の香の肩を押し返したのは、昨夜の雪辱の味が未だ鮮明だったからだろうか。

 

「先約があるんでな」

 

龍井はそう言って、煙管を煙草盆にカンと打ちつけた。

憎らしい人――背に華の香の声を受けながら、龍井は紅屋を後にした。

 

 

*

 

 

妓楼「紅屋」を出た後、龍井は加茂邸へと足を向けた。昨夜の東郷やヨーダーとの戦闘について、ミオに報告するためだ。ことにヨーダーに関して言えば、ミオとの因縁も深いのだから、軽視する訳にもいかない。

 

「そりゃ、ご苦労さん」

 

しかし、ミオの反応は酷く素っ気なかった。興味がないというよりも、問題として認識していない様子で、鼻歌交じりにそろばんを弾いている。

 

「イイのか? ヨーダー・マスダだぞ」

「アタシが呼び寄せたんだから、楼蘭にいて当然じゃん。いない方が腹立たしいってもんだ。だから放っときなって。それよか先刻ママが到着したよ」

 

ママの一言に、龍井は億の苦虫を噛み潰したような表情をした。ミオと龍井の間で、ママと呼ぶ対象は一人しかいない。見計らったように屋敷の奥から、柔和な笑みを浮かべる女――MAIDのイーヴィが現れた。肩まで伸びる髪は、ゆるく波を描いて肩までを隠している。その合間から見え隠れする瞳と笑みは、見るからに果敢無げだ。しかし右肩から先が無骨な鎧――鋼鉄製のガントレットに覆われていて、イーヴィの華奢な面影には似つかわしくない。肩口に見え隠れする三枚のブレードもまた、アンバランスな雰囲気を助長している。 イーヴィが見計らったかのように、柔和な笑みを浮かべた。

 

「ハロー。マイサン」

「オメーをオカンに持った覚えはねぇ」

「ヒドイヒドイ」

 

龍井の言いに、傷ついただ何だと、イーヴィが不平をもらした。一端に文句を垂れるイーヴィだったが、その実、最前からの微笑は崩していない。

そういう女だということを知っている龍井は、返事もせずにミオを見た。だが、ミオはミオで、泣かした泣かしたなどと騒いでいるのだから始末に負えない。

修次郎のように、龍井は嘆息した。

二基のエターナル・コアを搭載するMAIDを、ダイ・ポール・メード(Di-Pole MAID:DPM)と呼ぶ。龍井もイーヴィも、そのDPMである。ただしミオの研究開発の末に生まれた龍井に対して、偶発的な出生を持つDPMがイーヴィだ。つまりは生来から二つのエターナル・コアを体内に持つ、天然のDPMといったところか。そのイーヴィから得られた一部のデータをDPMの研究開発にフィードバックしたがために、その事実を喩えてママだ母だと呼んでいるのだが。しかし龍井自身は、あまりその呼び方を好いてはいない。一度でも懸想した女を、どうしてママなどと呼べようか。

 

「オメーどこ行ってたんだよ。俺らにミオの世話任せてよ」

「こらこら。龍井や。今のは聞き捨てならないな。人の金で女抱いといて、そんなこと、どの口が言えたもんだろうね。世話してんのはアタシじゃないか」

「うるせーな。俺の労働あってこその金だろーが」

 

イーヴィが苦笑しながら、まあまあと龍井とミオの間に割って入った。

 

「ミオ。BADCは条件を飲むって」

「へえ。意外だな。もっと、ごねるかと思ったが。ウチの取り分は?」

「60パー。これ契約書の雛形。私も目を通したけど、たぶん問題ないよ」

 

どれどれ――と言って、ミオがイーヴィから書類を受け取った。ちらと覗き見れば細かい文言でびっしりと埋め尽くされている。一行読むだけでも疲弊しそうだ。

傍らで聞いていた龍井に理解できたことは、イーヴィがアルトメリア連邦に単独で渡り、BADC――アルトメリア連邦に本社を置く大手製薬企業だ――と何がしかの話を取り付けてきたということだった。平素から元EARTH所属のイーヴィか、あるいはミオ本人が渉外を受け持っているため、近々の営業案件については常に龍井の詳らかに知るところではない。しかしきな臭い噂の絶えないBADCを相手にしている点と、何よりもミオが対外的に卸している製品の性質を鑑みるに、真っ当な取引ではないことがうかがい知れる。

あきれる龍井を他所に、書類に猛烈な勢いで目を走らせていたミオが、満面の笑みで顔を上げた。

 

「ご苦労だったね。イーヴィ。しばらくの間は、好きにしてくれて構わない。楼蘭観光でもしていると良いよ」

「ホントに? ありがとう」

 

瞬間、龍井は閃いた。

 

「暇なら付き合えよ。イーヴィ」

「あら。エスコートしてくれるの?」

「飛びっきりの場所に案内してやるよ」

 

龍井の視界の端で、ミオがにやりとほくそ笑んだ。それはイーヴィの同道について、許可が出たということを意味する。

 

「楼蘭武芸館にな」

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